さまよう肖像エリーゼ
4/30~5/12
第二回スペボスホワイトデー10位 チョコ1186個
巡り会う恋人ロメオ、冥府の恋人ロメオにおいて、微笑みの令嬢の話題があります。
さまよう肖像エリーゼ
ねえあなた、ちょっと人を探しているのだけれど・・・
あなたより背が高くて、ほんの少しだけ頬がこけていて、どこか頼りない瞳をした男の人よ。年は、そうね・・・いくつかしら・・・
・・・あら、それよりわたくしが誰かですって?
私の名前はエリーゼ。お父様は画商をしているの。ジェラートが好きで、お日様が嫌いで、苗字は・・・分からないわ。
「自分の名前なのに苗字が分からないなんで変」?・・・だって仕方ないじゃない、「あの人」が教えてくれなかったんだもの。
本当はね、・・・わたしは「絵」なの。エリーゼは、モデルになった女性の名前。
絵が動くなんておかしい?ええ、わたくしもそう思うわ。面白いでしょう、こうして額縁を行き来すれば絵にだって人にだってなれるのよ。
けれどもね、こんな姿になったのには理由があるの・・・
・・・少し昔の話をするわ。わたくしを描いたのは、ある売れない画家の男。そう、わたくしの探している人よ。
あの人は叶わぬ恋をしていたの。名の知られた画商の令嬢、身分も立場も違う女性、エリーゼに・・・
あの人自身、その恋が報われないのは分かっていた。だからせめてその美しい姿を残そうと、あの人は筆をとったの。
そうしてわたくしは完成したわ。あの人の愛情が沢山こもった、とびっきり美しいエリーゼの姿で。それから、二人の生活が始まったの。
毎日、あの人は愛おしげに私を見つめて、わたくしも微笑んであの人を見つめ返した。他には何も要らない、幸せな日々だったわ。
けれどもある夜、あの人は難しい顔でコートを羽織ると、ドアを開けて出て行ってしまった。
「行ってきます」も、「さようなら」さえも言わず、ただ思いつめたようにわたくしを見つめたその後で・・・
そうして朝になっても、あの人は家には帰ってこなかった。
はじめは信じられなかったわ。ちょっとお買い物に行っているだけ、ちょっと旅行にいっているだけ、そう思っていつまでも待っていたの。
けれども、それから何度も朝と夜が来て、とうとうあの人は帰らなかったわ。・・・それでも、わたくしは諦められなかった。
埃が積もって、蝶々がとまって、いつしか壁がはがれて額ごと床に落ちてしまっても・・・
ただあの人に会いたくて、たった一言「どうして?」って聞きたくて、日に日に想いだけが募っていって・・・
気が付けば、わたくしの体は額縁を抜けて、この世界をさ迷い歩いていたわ。
不思議でしょう。でも、どこかで納得もしているの。・・・だって、あのまま終わりたくなかったんだもの。
絵はね、見てもらえなくなったらおしまいよ。太陽の光に色を奪われて、乾いた風にキャンバスを削られて、あとは寂しく朽ちてゆくだけ。
だからその前に、あの人の目でもう一度わたくしを見てほしかったのよ。
それに、レディをこんなに長い間寂しがらせたんだからたっぷりお仕置きしなくっちゃね。これでもすごく怒っているのよ。
・・・ありがとう、お話を聞いてくれて。そうだわ、肝心の彼の名前を言っていなかったわね。
わたくしを置き去りにした、あの人の名前はね・・・
・・・ ・・・何ですって?
「その名前に、覚えがある」・・・?
「数年前に、町の外れで親切にしてくれた老夫婦も同じ名前だった」ですって?・・・嫌ね、こんなありふれた名前、どこにだって・・・
「老夫婦は昔、売れない絵描きの青年と、名高い画商の娘だったと聞いた。」?・・・そ、それって・・・
「二人は恋をしたけれど、立場も身分も違う者同士の恋に誰もが反対したけれど」・・・
「それでも二人は諦めず、ある晩に、とうとう手を取り合って故郷を離れた」・・・
「そうして二人は遠い町で暮らし始め、貧しいながらも幸せに生きて年を取った」
「今でも生きているなら、きっと同じ町の外れで暮らしているはず」・・・ ・・・そう・・・
・・・もう、そんなに長い時間が経ってしまっていたのね・・・
・・・けれど、あの人はちゃんと・・・
旅人さん、目元を拭ってくださらない?おかしいでしょう。絵の具がとけてしまいそうなの。
いいえ、うれしいのよ。この世界のどこでだって、あの人が幸せに生きてくれたことが。
・・・あの人、また大好きなエリーゼに会えたのね・・・本当に・・・よかった・・・
・・・え? 「彼に会いに行かないか」ですって?それは・・・
それは・・・会いたいわ・・・だけれど・・・でも・・・
や、やっぱり結構よ。旅人さん、わたくしのことは忘れて他へ行って頂戴。
「どうしてそんな事を言うの」って・・・だって・・・
あの頃に比べれば、絵の具も褪せてしまったし、埃もかぶってしまったわ。もう、あの人の知っているわたくしでは・・・
違うの、会いたいの、会いたいのよ・・・だけどこうして、いざ会うとなると・・・ ・・・んもう、分かって頂戴よ!
旅人さんが諦めないなら、わたくしにだって考えがあるわ。こうやってまた額縁の向こうに隠れれば・・・
きゃあ!急に持ち上げないで。わ、分かったわよ、旅人さんについていくわ。ついていくから・・・
それにしても、旅人さんって、意外と強引なのね。わたくし、なんだか・・・うふふ。
・・・うふふ、違うのよ。あの人の若い頃を思い出して、ちょっと懐かしくなっただけ。
風が心地いいわね。こんな気分、何十年ぶりかしら。
・・・わたくしが重いですって?レディに対して失礼ですこと。大事に運ばなきゃ酷いわよ。
なんてね、冗談よ。・・・本当はとっても感謝しているんだから。
ねえ、さっきのことだけれど・・・
わたくし、「絵は、見てもらえなくなったらおしまい」だなんて、ひどい嘘をついてしまったわね。
本当はね、どんな絵だって、描いてもらえるだけで幸せなの。
想いを込めた一筆一筆が自分を形作っていく。色を持って、形を持って、この世界に生まれてくることを誰かが望んでくれている。
こんなに幸せなことってないと思わない?絵ってね、本当はきっととっても幸せなものなんだと思うの。
わたくしったらこんな簡単なことも忘れていたのね、寂しすぎて。
ありがとう、旅人さん。わたくしの幸せを、思い出させてくれて。
・・・そう。この道が、あの人のところまで繋がっているのね。
あの人、どんな顔をするかしら。ちゃんとわたくしを手にとってくださるかしら。・・・嫌ね、恋する乙女っていつでも不安ばかりで。
家がみえてきたわね。あの人の家かしら。
旅人さん、少し足を止めて、わたくし、ここで本当に、元の絵に戻るわ。
・・・あら、不思議そうな顔。 「会って話さなくていいの」ですって?ええ、これでいいの。
だってあの人、わたくしがこうしてお喋りしたらきっとびっくりするわ。お爺さんになっているというなら尚更よ。
それにね、わたくし本当はちょっとだけあの人と話すのが恥ずかしいの。・・・こういうところは、きっと元のエリーゼに似たのね。
・・・大丈夫。あの人さえ変わっていなければ、言葉なんてなくてもきっと気持ちが通じるわ。毎日見つめ会っていた、あの頃のように。
それではね、旅人さん。あなたがいつまでも、幸せでありますように。
「渡したいものがある」? どれどれ・・・
ほう、この絵は・・・
ありがとう。これは確かに私が描いたものだ。
懐かしいな、これは私の妻なんだ。もっとも、あの頃は妻ではなく、叶わぬ恋の相手だったけれど
もうあれから何十年も経ったのだな。どんなことがあっても、妻は最後まで私のそばで微笑んでいてくれた。そう、この絵のように
・・・おや?私の描いたこの絵は、これほど幸せそうに笑っていただろうか。
いや失礼、幸せな顔をしているのは私の方だな。・・・愛する妻に、また会えたのだから。
ありがとう、大切に飾るよ。いつまでも。いつまでも・・・
手まねく肖像エリーゼ
ごきげんよう、あなたは旅人さん?王立第七美術館へようこそ。
ふふ、振り向いても誰もいないわよ?
残念、右でもないし、左でもないの。さあ、わたくしはどこにいるのでしょう?
・・・あら、もう気付いたの?うふふ、そんなに驚いてくださって嬉しいわ。
そう、あなたの正面にいる絵がわたくしよ。名前はエリーゼ。
「まさか、絵が喋るなんて」という顔をしているわね。ふふふ、それならもっと面白いものを見せてあげましょうか。
ほうら、こんな風に絵から抜け出ることもできるのよ?面白いでしょう?
・・・あら、あなたの方がずっと面白い顔をしているわ。ちょっと驚かせすぎちゃったかしら。
ごめんなさいね。この館にはあまり人が訪れないから、わたくし少しはしゃいでしまって。
「どうしてそんな事ができるの」ですって?・・・うふふ、どうしてかしらね。レディには秘密がつきものなのよ。
それよりあなた、旅に疲れているのなら少しだけこちらで休んでいきませんこと?
こちらはとっても良いところよ。静かで、安らかで、ひっそりとした幸せに満ちているの。
あら、違うわ。わたくしが話しているのはこの美術館のことじゃなくって・・・
『絵』の中よ。額縁のこちら側。
ねぇ旅人さん、あなたも『絵』の世界においでなさいよ。そうしてこちらで、いつまでもわたくしのお話相手になって頂戴?
・・・・・・いやね、冗談よ。でも、お話相手が欲しいのは本当。ねぇ、何か面白い話はないかしら・・・・・・
え?わたくしのお話?・・・・・・そうねえ・・・・・・
わたくしの絵画名は『微笑む令嬢』、作者は不詳なの。
わたくしを描いた画家は、もういないわ。・・・・・・いいえ、そうではなくて。行方を眩ませてしまったのよ。
それでね、ある日空き家になった画家の家に物盗りが入ったの。
けれども本当に貧しくて質素な家だったから盗むものもろくになくってね、物盗りは仕方なくわたしを持ち去ったわ。
そのあとは色々なところへ売られていったのよ。はじめは怪しげな古物商、その後はお調子者の旅商人、その後は偏屈者の骨董屋さん・・・・・・
何度も人の手を渡るうちに、わたくしも段々こつを掴んできたの。・・・・・・手に取ってもらう瞬間に、ほんの少しだけ笑いかけてみせるのよ。
そうすれば、どんな人もわたくしの笑顔に魅了されて、どんな値段でもわたくしを買おうとしたわ。
あら、レディの微笑みってこういう時のためにあるものでしょう?・・・・・・それに、わたくしの美しさはあの人が唯一わたくしに残してくれたものだもの。
・・・・・・いいえ、何でもないわ。お話を続けましょう。
いつからかしらね、『微笑む令嬢』という名前がついたのは。新しい買い手がつく度に、値打ちもどんどん上がっていったわ。
それで最後に、この美術館に来たの。作者不詳のまま、こうして飾られることになったのよ。
ここに訪れる人は皆素敵な人ばかりよ。皆わたくしを見て、ためいきをついて、「美しい」と言ってくれたわ。
・・・・・・けれども、どれだけ多くの人に、どれだけ熱っぽい言葉で称えられても、わたくしの心が満たされることはなかったの。
・・・・・・・・・それはきっと、わたくしが『ひとりぼっち』だから。
額縁の中は確かに静かで、安らかで、幸せな世界よ。だけど少しだけ寂しいの。
ねえ、やっぱりこちらにいらっしゃらない?旅人さんが来てくださったら、きっと退屈しないと思うのよ。
お話をなんてしなくってもいいわ、ただ居るだけでも良いの。ねえ、お願いよ。
・・・・・・わたくしは戻りたいだけなのよ、あの幸せだった毎日に。
・・・・・・つれない人ね。
旅人さんが嫌っておっしゃるなら、わたくしにも手段があってよ。
さあ、大人しくつかまって頂戴?
うふふ、一筋縄ではいかないようね。なら、これはどう?
あらあら、意外と身軽なのね。だったら・・・・・・
ねえ、どうしてそんなに逃げ回るの?そんなに『絵』の世界はお嫌い?
・・・・・・なあに?「そっちには行けない理由がある」って。
・・・・・・そう、守りたい人がいるのね。
大事な人がいるって、素敵なことね。・・・・・・その人といつでも話したり、笑ったりできるなら尚更。
羨ましいわ、わたくしにも昔は・・・・・・大事な人がいたの。
・・・・・・いいえ、嘘をついたわ。きっと今もね。・・・・・・ずっと忘れようとしていただけで。
わたくしは・・・・・・わたくしを描いてくれたあの人にもう一度会いたいの。
・・・・・・本当は分かっていたわ。わたくしが寂しいのは、この館に人が訪れないことでも、絵の中にひとりぼっちだからでもなくって・・・・・・
心から慕っている、たった一人の大事な人に、もうずっと会うことができないからだって。
ごめんなさいね。あなた、見た目は全然違うけれど、雰囲気がどこかあの人に似ていたの。だから少し、我儘を言ってしまったわ。
・・・・・・ねえ、どうしたらあの人に会えるかしら。
どうしたら、もう一度あの優しい目で見つめてもらえるのかしら。
・・・・・・どうしたら・・・・・・また「綺麗だ」って、あの穏やかな声で言ってもらえるかしら・・・・・・。
・・・・・・うふふ、冗談よ。そんなに悲しい顔をされたら心が傷むわ?
ありがとう、わたくしは平気よ。・・・・・・『微笑む令嬢』だもの、ちゃんと微笑んでいなくっちゃ。
それに、わたくしのこの微笑みだってあの人からのかけがえのない贈り物ですもの。・・・・・・大事な宝物よ。
・・・・・・それではね、旅人さん。お話相手になってくださって、本当にありがとう。困らせてしまって、ごめんなさいね。
・・・・・・あら、『作者を探したい』ですって?
お気持ちは嬉しいわ。・・・・・・けれどもわたくしは沢山の街をこえて、国をこえて、ひどく遠いところに来てしまったのよ。
仮に生きていたとしても、こんなに遠いところまで来られるはずがないわ。ましてや、一度手放した絵画一枚だけのために・・・・・・
大丈夫よ、わたくしはあの人に会えないままでもきっと幸せ。
・・・・・・夢を見せてくれて、ありがとうね。旅人さん。
・・・・・・あなたの大事な人を、どうかそのまま、ずっと大事にしてあげてね。
ここが王立第七美術館か。ずいぶん遠いところまで来てしまったな。
もう、二度と見る事はないと思っていたあの絵にまた出会えるとはね・・・・・・。少し無理をしてでも、来る価値はあったよ。
・・・・・・あれは、もうたった一枚しか残っていない、愛する妻の肖像なのだから。
さて、この辺りだと思ったが・・・・・・。・・・・・・そうだ、この絵だ。確かに私の描いた、エリーゼだ。
『微笑む令嬢』か。良い名前だ。・・・・・・懐かしいな、この微笑みが私は何より好きだった。・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ん?
・・・・・・今、私の名前を呼ぶ声が聞こえたような・・・・・・
ははは、とうとう耄碌して耳までやられてしまったかな。わたしも年を取ったものだ。
けれども、死んでしまう前にここに来られて本当によかった。あの旅の方には、手厚く礼をしなければならないな。
これから何度でもここに来よう。何度でもここに通おう。・・・・・・愛するエリーゼのためなら、それぐらい惜しくはないさ。
君がまた、私に微笑んでくれてよかった。・・・・・・綺麗だよ、エリーゼ。