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南岸町(スポーン)

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みなみきしまちし
南岸町市

南岸町駅西口 「とえい門」と「とえい門通り」

南岸町市旗
地方スポーンちほう
都道府県
団体コード?
面積広い
総人口10万人くらい目指したい。実数2万人くらい
人口密度
隣接自治体三隅郡三隅町、広谷町、原津田村
市の木
市の花?
市の鳥?
南岸町市役所
市長
所在地南岸町市二段坂
座標X:387 Y:76 Z:455

南岸町市(みなみきしまちし)は、スポーンがある座標原点を中心に南岸湖のほとりに位置する自治体。


概要

鯖はじめての街であると同時に新興住宅が多く見られるベッドタウン。

ほぼ全域が独自の用途地域の指定を受けており、スプロール的開発を阻止している。


交通の要衝として機能しており、鯖各地へ行ける、、、といいなぁ。


公営線敷設前は寂しい村落だったが、ニュータウン化のため鉄道が敷かれると人口が爆発的に増加し、付近を代表する都市へと変貌した。


地理

南岸湖の南東側、三隅山山頂の西側に位置している。東端は三隅山の尾根伝いに三隅郡三隅町と接している。


旧南岸町地区は三隅山の影響から山がちな地形であり、各所で急坂や高低差のある土地が見受けられる。

一方、旧入膳地区、旧朝方新田地区、旧湖南地区は干拓が行われたこともあり、比較的平坦である。

南岸湖に囲まれた島(※実際には陸地で繋がっている半島)の竜頭(半)島が存在する。

  • 赤鍋山(あかなべやま):とんでもなく大きい火口からマグマを覗かせている。破局噴火でもおこしたんですかね?
  • 入膳山(にゅうぜんやま):入膳駅の東にそびえ立つ山。傾斜ゆえ鯖民の開発を阻む、と思われたが山以西は平野が広がっていることが判明し開発が行われた。
  • 三隅山(みすみやま):南岸町の東に位置する山。南岸町はこの山の麓にあたる。傾斜がかなり急なため開発を阻む。

河川/湖沼

  • 赤鍋湖(あかなべこ):赤鍋ダム建設中。
  • 久保川(くぼがわ):穂ヶ久保村から久保瀬へ流れる川。
  • 城戸倉川(きどくらがわ):南岸湖へ注ぐ短い人工河川。川にかかる城戸倉橋はボトルネックで渋滞の名所。南岸湖や入膳湖等近隣水域を含めると多くの橋梁が渡る場所でもある。河川名称は開発発起人である、和泉四国三郎之助(いずみしこくさぶろうのすけ)の出身地から命名された。
  • 小久保川(こくぼがわ):小久保地区を流れる川。
  • 湖南運河(こなんうんが):南岸湖と三隅湖を結ぶ人工河川。
  • 南岸湖(なんがんこ):南岸町に接する湖。入膳湖、赤鍋湖が近隣にある。
  • 沼沢川(ぬまさわがわ):沼沢ダム付近が源流。湖南地区に流れる(予定)。
  • 掘北川(ほりきたがわ):入膳地区の外苑を流れる川。入膳山の地下水が湧水している城沼(しろぬま)を源流とする。
  • 三隅湖(みすみこ):三隅山の東に広がる湖。おそらくワールドで一番大きい水域(メタ)。山々に囲まれており開発の難易度が上昇する。

歴史

都市名の由来

南岸町は始祖であるNGTからとられた(N:なん、G:がん、T:ちょう)。ただし、読み方は「みなみきしまち」である。

また、みなみきしまちの「まち」は自治体としての○○町の「まち」ではなく、「みなみきしまち」で1つの固有名詞である。

←以下は長い、かつ空想なので興味のない方は閉じてください。

沿革

近代以前

・マイクラ歴(以下省略)550年頃:竜頭地区に古墳(竜頭一号墳・竜頭二号墳)が造成される。

・1500年頃:水井氏が入膳城を造成。

・1578年:入膳大火が発生。入膳地区の北半分が消滅。

・1712年:朝方新田の開発が完了。

・1789年:城戸倉川が完成。

町村制施工後

・1889年:町村制施工により、南岸郡 樫原村、光円寺村、新浜村、待乳崎村、瀬尾村、久保瀬村、入膳町、朝方新田村が発足。

・1904年:南岸郡 樫原村、光円寺村、新浜村、待乳崎村、が合併し、南岸町が発足。

・1908年:南岸郡 瀬尾村、久保瀬村が合併し、湖南村が発足

・1910年:公営鉄道(田園都市線、通称公営線)が南岸町駅まで開業。

・1921年:南岸郡 南岸町が湖南村を編入。

・1940年:E-001号首都圏南部高速自動車道(通称圏南道)が着工される。

・1947年:南岸町ニュータウン計画が始動。

・1948年:和泉交通南岸湖軌道線が、南岸町駅前電停から入膳北島電停まで開業。

・1953年:南岸郡 入膳町が朝方新田村を編入。

・1971年:南岸郡 南岸町、入膳町、厄ノ浦村が合併し南岸町市が発足。これにより南岸郡が消滅。

市政以降

・1990年:南岸湖軌道線が地下鉄へ転換されようとするが、頓挫する。

・1991年:南岸湖バイパス、E-101号新浜竜頭有料道路が開通。

・200x年:行政区を設置。

変遷表

1889年1904年1908年1921年1953年1971年200X年
厄ノ浦厄ノ浦村南岸町市湖南区
瀬尾村湖南村南岸町
久保瀬村
樫原村南岸町中央区
光円寺村
待乳崎村
新浜村入膳区
入膳町入膳町
朝方新田村

神聖な竜頭

550年頃に竜頭地区に古墳が2基造成された。

未だに誰の墓か、何の目的で作られたかは不明であるが、竜頭はそれ以降神聖な土地として上陸が禁じられるようになった。

そのため集落は今に至るまで一切なく、スムーズな工業化と開発が可能となった。

水井氏の築城と開発

1500年頃の入膳は、あたり一面海水混じりの湿地帯であり、居住や農作に適していなかった。また、周囲を山に囲まれており良港も存在しなかったので交易には不適であった。

そこで半ば左遷の形で水井(みずい)氏が入膳に移封され、開発を任されることになった。

まず治水に手を付け、入膳山からの地下水が湧き出る一帯を築堤により封鎖し(後の城沼と水井堤)、地区外苑に河川(後の掘北川)を通すことで入膳一帯の脱湿地化を図った。次に入膳城の築城とお堀の整備を行い、おおよその土地整備が完成した。

食糧・貨幣獲得のために群生していたヨシをすだれに加工し特産品にしていた。掘北川の河口は浅く干潮時には干上がることから、現在の黒桶地区まで陸路で輸送し船で出荷していたと考えられる。

ある程度困窮から脱したところで、すだれの利益を元手に粘土を原料に焼き物を生成し、さらなる利益を上げていた。

焼き物を加工していた頃からは城下は繁栄の一途であり、入膳は周辺地域の顔となりつつあった。

入膳大火

1578年冬、入膳城二の丸(現在は入膳庁舎が建てられている)から出火。原因は不明だが冬季であることから囲炉裏が火元と考えられている。

当時、入膳山から吹き下ろす南東の風が強く吹いており、またたく間に本丸、三の丸、北島地区、堀北地区へ燃え移った。

結果、入膳は北部が完全に消失し、水井家を始めとして多くの人が犠牲となった。

冬季であったため食糧が乏しく、さらに堀北川周辺はすだれ・焼き物の作業場や保管庫が集積しており、これらの消失により経済的基盤を失ったことから飢饉が発生した。

この大火以降入膳を離れるものが後を絶たず、入膳は半ば廃墟と化し、以降100年間人が寄り付くことはなかった。

朝方新田の新田開発

入膳大火以降周囲の人口はめっきり減少したが、鯖全体の総人口は増えており農地拡大が課題となっていた。

1712年、この問題を解決するために朝方新田にて新田開発が行われた。このときの開拓団の衣食住の場として入膳は再利用され、再び街としての歴史を歩み始める。

城戸倉川の開削

入膳湖は南岸湖と繋がっておらず、大雨が降ると付近一帯は水が溢れ出し水害が度々発生していた。

それを解決するため和泉四国三郎之助(いずみしこくさぶろうのすけ)を顧問とする開拓団が招かれた。

当時は手掘りであり、開拓団の人数は十数人ほどであったため工事は難航したが、1789年に城戸倉川が完成した。

河岸に咲く桜並木はこのときに整備され、植え替えを何度か経て現在に至る。

町村制施工時の南岸郡の各町村の動向

1889年、町村制が施工された。南岸湖から郡名は南岸郡と命名された。当時南岸郡いち栄えていたのは入膳城下一帯の入膳町であり、郡役所も入膳町に設置されていた。

樫原村、光円寺村等他7ヶ村は人口が少なく寂しいところだったが、入膳町に対する対抗意識と嫌悪から団結する兆候が見られていた(※当時の入膳町民は自らの力を信じ、南岸湖を入膳湖に、南岸郡を入膳郡に変更する運動を行っていた)。ただし、朝方新田村は歴史的経緯から親入膳であり、他村とは距離をとっていた。

南岸町誕生

町村制施工から間もない1904年、樫原村、光円寺村、新浜村、待乳崎村の4ヶ村が合併し南岸町が誕生した。「大した発展もしてないのに”南岸”を名乗るのは僭称である。」と入膳町から抗議を受けるもどこ吹く風を貫き通した。この頃から旧光円寺村の若い衆(後の光円寺閥)は鯖議会に議員を積極的に擁立し、南岸町の政治的影響力を強めていった。

瀬尾村、久保瀬村の謀反

瀬尾村と久保瀬村も南岸町に即時合併する手はずだったが、南岸町をよく思わない入膳町有志が引き抜き工作を実施した。結果として両村は入膳町に入るには至らなかったものの、湖南村として新設合併し南岸町に対する牽制の役割を担った。

裏切られる形となった南岸町は激怒し、それまで両村に対して行っていた経済的援助(※少額であったとされる)を打ち切った。ただし、数年後方針を転換し湖南村に対して懐柔することで、1921年南岸町は湖南村を編入合併した。

南岸町インフラ開発ブーム

1910年の公営鉄道開業、1940年の高速道路着工と南岸町では高速道路と鉄道の開発が盛んになった。当然光円寺閥の政治的取引によるものだったため、入膳町はやはりよく思わなかった。さらに鉄道駅、高速道路出入り口ともに入膳町内に設置される計画がなかったことが火に油を注いだ。

しかし、そこそこ発展していた入膳町は町中に通すだけの土地がなく、財政も豊潤ではなかったため用地買収が困難であり、町の僻地へ誘致運動を展開せざるを得なかった。この判断が入膳の未来を左右する。

不便な入膳町と便利な南岸町

鉄道利用者が日々増加し経済的発展を確実にする南岸町とは対称的に、入膳町は移動の不便さを強いられ経済では南岸町の後追いをするようになっていた。この反省から入膳町は新たな方針を打ち出し、この頃延伸計画のあった和泉交通南岸湖軌道線を町中、それもお堀の直上に土地を無償で貸与することを決定した。賛否両論あったが鉄道が経済発展に重要なことは町民の目にはっきりと映っており、反省から賛成多数となった。さらに1953年、それまで不良債権と見られていた朝方新田村(※新田開発以降ほぼ農地しかなく、ほかは遊泳場があるだけの村であったため財政上の重りとなることは明白であり編入を渋っていた)を編入し、数値上の人口増加に励むと同時に和泉交通へ朝方新田地区への延伸用の土地を無償譲渡した。また、この頃観光客増加を目的とした建築物への景観規制が行われた。しかし、これらの策は裏目となる。

ストロー効果と高齢化

以前に比べ移動は改善されたものの、町民の多くは入膳駅の不便さから和泉交通を経由して南岸町駅を利用していた。そのため、消費の場は入膳町内から南岸町に移り、労働者はそれなら最初から南岸町で住めばよいということで南岸町への移住が流行りだしていた。また、南岸町はニュータウンの造成が相次いでおり、移住に拍車をかけた。

そもそも路面電車と普通鉄道では輸送形態が大きく異なる上、遠隔地との行き来にはやはり普通鉄道(公営鉄道)が必須であったため、和泉交通の延伸は結果としてストロー効果を促進させるだけだった。このため、入膳町では町中から若者が消え始めており、少子高齢化が進行した。また、景観重視のための規制は観光客が増加せず経済発展に制限をかけるだけに終わったため、益々南岸町を勢いづかせるだけであった。

1971年、プライドゆえ拒否し続けてきた南岸町からの編入の誘いを、財政悪化を理由にとうとう受け入れる。

こうして南岸町市が誕生した。

市政施工後

市政へこぎ着けた南岸町市であったが、財政悪化にあった旧入膳町を放置するわけにはいかず救済の手を差し伸べた。

まず、城南台、黒桶地区に宅地開発を行い雇用を確保するとともに、人口基盤を整備した。さらに観光客が増えず手入れが行き届いていなかった歴史的建造物の整備を実施し、観光にも注力した。


この頃から南岸町市内では渋滞が頻繁に発生するようになり、バイパス設置、軌道線の地下鉄転換が叫ばれるようになったが、地下鉄化は頓挫した。


行政区の設置

市域の拡大に伴い行政の非効率化が起こり、地域のニーズにそぐわないようになる。

そこで、行政区を設置して分権改革に舵をとった。


そして今に至る。


行政

・市長:?

ス○○ネットや、アーキ○クト説がある。

市役所

  • 本庁舎(南岸町市二段坂):現在の本庁舎は市政後建設されたものである。黒いので熱を吸収し夏は暑い。
  • 旧庁舎(南岸町市本町):光円寺村・南岸町時代の庁舎。光円寺閥の根城であったことから「光円寺の政治工廠」の通り名がつけられていた。ただし、所在地は本町である。モデルあり。

旧庁舎
  • 入膳庁舎(南岸町市堀内):旧入膳町の本庁舎だった。現在は福祉・教育に特化する部署が配置されている。

入膳庁舎

行政区

4つの行政区から構成される。

以下の数値はおおよそのもの。


区名読み人口(千人)面積(km2)人口密度備考
中央区ちゅうおうく142
入膳区にゅうぜんく510旧南岸町新浜地区含む
湖南区こなんく4

各区役所は整備中


部局

※調整中※

分庁方式を採用

本庁

下記以外すべて

入膳庁舎

福祉部、農政部、観光部、教育委員会及び事務局


財政

財政力指数は概ね0.9前後。


(補助金・交付金を含め)税金による多大な開発を行っている最中なので、徴税による開発費用の回収は時間がかかる見通し。


市域のうち生活の場が集約していることもあり、コスパ…費用対効果が良い。


市の課題

今のところ概ね順調であるが、以下の課題がある。

ライフライン設備がない

都市として根幹の問題であるが、そのうち整備する予定。そのうち。ダム・浄水場建設中←NEW


食料不足

爆発的な人口増加に対して食料が不足している。このため、朝方地区での農地開発が予定されている。


職場不足

爆発的な人口増加に対して職場(雇用)が不足している。このため、各地で雇用を(無理やり)確保する。


司法

現在司法施設は存在しない。

自力救済の世界である。


立法

市議会

  • 定数:40
  • 任期:4年
  • 選挙区:中選挙区制(単記非移譲式)
  • 議長:1(協調同盟党)
  • 副議長:1(市民による進歩の会)

会派

()内は議席数

会派の設立は2人から可能。

議長・副議長はいつでも決裁可能。


  • 与党 

2会派から成る。

概ね、市の開発と利益集団の地位向上が役割。

  • 協調同盟党(16)

旧南岸町議会の光円寺閥と旧入膳町議会主流派の合同会派の旧南岸湖同盟と、東方協調会、西方交流会による合同会派及び政党。従来型の地縁ベースのエスタブリッシュメント。

南岸町市医師会等、名だたる圧力団体が背後にいる。

  • 交通倶楽部(4)

交通機関の発展を会是とするグループ。大筋では協調同盟と合意しているが、交通政策に限り独自の要綱を示している。最近、和泉交通の刺客だということがモンロー派の工作でバレたが、和泉交通の関係者しか交通倶楽部に投票しないので大きな影響はない。


  • 中立

1会派から成る。

政治的立ち位置は政策によって是々非々。

  • 分権改革の集い(5)

とにもかくにも分権を推進する集団。

また、市の部門を廃止・民間移転することに執着している。

入膳分離派の末裔。


  • 野党

2会派から成る。

どちらかといえば、地縁よりも各人の職やイデオロギーと結びついている。

  • 市民による進歩の会(10)

市民生活向上及び環境保護グループと、入膳分離派の寄り合い所帯の「分離・市民・環境グループ」が起源。

その後、南岸町ニュータウンの生活環境改善を目指すニュータウンフォーラムと合併。

また、近年、市から民間団体を排除しようと企むモンロー派が加わった。

「生活・分離・市民・環境・モンローグループ」では長いので、今の名前に。

このように多種多様な会派が合同して誕生したので、確固たる指針はない。

  • レイクユニオン(5)

労働者の利益を代表する会派。中小企業の従業員から成る。



選挙区・定数

選挙区定数議員(会派及び人数)
中央区22協調同盟党(13)、進歩の会(7)、分権改革(2)
入膳区8分権改革(3)、ユニオン(3)、協調同盟党(3)、進歩の会(1)
湖南区8交通倶楽部(4)、ユニオン(2)、進歩の会(2)

各選挙区について


  • 中央区

協調同盟党の地盤。

ただし、人口の多いニュータウン住民が進歩の会に投票しているので、安泰ではない。

  • 入膳区

入膳地区は分離志向(反南岸町志向)が強いため、分権改革の集いが有利。

また、新浜地区が入膳区に編入されたため、ユニオンもそこそこ強い。

ゲリマンダー

  • 湖南区

協調同盟党と選挙協力をしている交通倶楽部が優勢。


議会の変遷

以前は地域ごとに会派が形成されていたが、市の経済構造・人口の変化により、各自の利益を保全する構成となった。


交通倶楽部が野党にまわると、与野党で完全に伯仲していまい、議長すら決めることができなくなる。

よって、交通倶楽部はキャスティング・ボートを握っており、比較的好き放題している。


政治的争点

  • 法人税値上げ

市民の福祉改善の財源として法人税を値上げする案が野党から持ち上がっているが、圧力団体に睨まれた与党がそんなことできるはずもなく、議論はまったく進んでいない。

  • 民間資本問題

安価で良質なサービスを提供するために、公共事業に民間企業を参入させているが、ひどい癒着を招いていると野党から批判されている。

実際そうなのだが、やはり圧力団体に睨まれているので議論は進まない。


経済・産業・開発

産業構造

南岸町地区はニュータウン化を推し進めており、公的な住宅投資を行い人口増加を狙っている。

増えた住民は今後整備予定の大都市に通勤する予定。


農業は今のところ入膳地区のみ。

入膳地区掘北では、地下水を用水とする小規模田圃が広がる。

将来的に入膳地区西部の埋立地を広大な小麦畑として整備し、竜頭地区に製粉工場を建設予定。


鉱業・漁業・林業はなし。


工業化も進めており、竜頭地区を中心とした周辺地区では工場の建築を奨励している。

特に竜頭・久保瀬地区は貨物駅があることから、大規模な工場が存在する。

新浜・黒桶地区は高速道路のICが近いことから、軽工業の工場が集積している。


商業は南岸町駅を中心として栄えている。

西口はオフィスが、東口はサービス業の店舗が集積している。

南岸町駅付近は用地買収が困難なことからこれ以上の都市化が望めず、瀬尾地区を新都心として新規に整備している。

新浜地区は道路の結節点であるため、小・中規模ではあるがロードサイド型店舗が集積している。


電力・ガス・水道等ライフラインは整備中。


積極的な道路供給と土地整備が行われている。

特に南岸町地区は高低差が激しいため度々大規模な「整地」が行われる。


「住むための街」を拭うために、最近は[いつ?]入膳地区の歴史的建築物をメインに観光に特化中。

決して、でもしか観光ではない。[要出典]


以上より、南岸町市は住宅・工業・公共投資が盛んな第二次産業重視の産業構造である(高度経済成長時代かな?)。

ライフラインはないけど。


企業

本社がそこそこあり、税金が潤沢。


今後の開発予定

  • 入膳マリーナ

堀北川河口にマリーナを整備予定。

ホテル・ゴルフ場等も整備し、保養地区に。


  • 団地の新造

紋峰地区の東に造設予定

ついでに行政区を再編する、かも


  • 裁判所

瀬尾地区


  • 消防署

南岸町地区


  • 下水処理場

場所未定。早めに整備したい。


  • 共核大学建設

杉峰地区に予定。


地域

←長いので興味のない方は閉じてください。

中央(ちゅうおう)区

南岸町(みなみきしまち)地区

住宅が多い。


  • 樫原(かしわら)

山間の地区。

  • 黒が丘(くろがおか)

人類が増えすぎた人口を宇宙に…(ryというわけではないが、人口の増加に対応すべくつくられた黒が丘団地がある。

  • 黒が丘(くろがおか)団地

15棟からなる大規模団地。

1200人以上の居住が可能であり、ひとつの街を形成している。

今のところ団地と他地域を結ぶ道路は1本のみであり、朝ラッシュ時間帯は大変な渋滞が発生する。

  • 光円寺(こうえんじ)

南岸町駅東口に位置する地区で、1970年代の町並みを色濃く残す。

  • 主要施設
  • 光円寺商店街

南岸町で最も古く、最も人と人の繋がりが深い商店街。八百屋など食料品店、衣料品店、薬局、美容院などがあり光円寺の人々は普段からこの商店街を利用している。

最近、近くに総合スーパーができた。

  • 福井内科医院

地区唯一の内科医。平日は高齢者、休日は若年者の利用が多く、院長は過労死寸前である。

  • 正台(しょうだい)

正台団地のみで構成される地区

黒が丘団地とあわせて南岸町で最も人口密度が高い

  • 正台(しょうだい)団地

12棟からなる団地

約2000人が居住可能

  • 新町(しんまち)

南岸町駅西口に位置する地区で、再開発されたビル群が立ち並ぶ。とえい門がランドマーク。

  • 通町(とおりまち)

廃れた通町商店街がシンボル。所謂インナーシティー。新興住宅街が広がる。

  • 長坂(ながさか)

南岸町市総合病院を皮切りに新規に開発が行われた。交通の要衝。

  • 七背人(なせり)

総合公園の開発が計画されている。

  • 二段坂(にだんざか)

本庁舎と住宅団地がある。南北に細長い。市役所等官公庁の庁舎や、政党本部が位置しているため、「二段坂」は「政治」、「行政」を意味するメタファーと化している。

  • 古浜(ふるはま)

長坂の北部に位置。昔は湖が閉鎖水域だったため、新浜地区とつながっていた。当時は新浜ー古浜両地区をまとめて「浜」と読んでおり、城戸倉川の開削以降長坂側を古浜、入膳側を新浜とした。「浜」の地名は路面電車の駅に残っている。

  • 本町(ほんまち)

旧役場の所在地

  • 待乳崎(まつちざき)

小学校がある住宅街。

  • 紋峰(もんみね)

住宅団地が広がる。名前の由来は、風紋のように峰がうねうねとしていたことから。



入膳(にゅうぜん)区

入膳(にゅうぜん)地区

旧入膳町一帯のエリア

過去には入膳城が存在し城下を形成していたが、大火により消失

政策により城址付近は景観に配慮した建築物への規制を行っている。


  • 鬼塚(おにづか)

寂しいところだったが、入膳駅の再開発で見違えるようになった。

  • 北島(きたじま)

我知院北島寺と入膳北島高校があるのみ。

  • 北山(きたやま)

全体的に傾斜地。ほぼ農地だけだったが、現在は開発が盛ん。北山ダムの所在地。

  • 蔵町(くらまち)

中学校がある。

  • 黒桶(くろおけ)

区画整理と宅地造成が行われた住宅街。

  • 呉服町(ごふくちょう)

洛中に位置。おそらく呉服商人がいたとされる。

  • 城南台(じょうなんだい)

宅地造成事業で作られた台地。入膳の町中の建築物には景観規制がしかれているため、現代的な戸建住宅はここに集積している。

  • 新浜(しんはま)

もともと旧南岸町地区だったが、行政区の設置に伴い入膳区へ管轄を変更した。

商業施設が建ち並ぶ。

浜を埋め立てた土地なので地盤がゆるい。

バイパスが出来たこともあり、諸店舗は集客に暗雲が立ち込めている。

  • 主要施設
  • 吾妻電鉄バス中部営業所

鯖内の大手バス事業者の営業所。20年以上前のバスを酷使しているが、整備車庫、洗車場でメンテナンスはばっちり。営業所建物の中には発券場の他、高速バス利用者向けのシャワー室などもある。むかしは駅東にあったが、再開発で移転を余儀なくされた。

  • 中腹(ちゅうふく)

公営鉄道入膳駅がある。入膳山の中腹だったので中腹。

  • 東台(ひがしだい)

城南台の東に位置。入膳病院あり。

  • 堀内(ほりうち)

入膳城址や入膳庁舎がある。

  • 堀北(ほりきた)

入膳地区の北端に位置する。原津田から入膳城下に至るXX街道を中心に、平入の住宅や商店が軒を連ねる。南端には神社や集合住宅なども見受けられる。

  • 堀ノ南(ほりのみなみ)

読んで字の如し。

  • 武者町(むしゃまち)

入膳中央電停の所在地。

  • 両屋町(もろやまち)

歴史的建築物が多くある。城前通りより西側を「右屋形町」、東側を「左屋形町」と呼称していた時代があり、後に両屋形町を併合し両屋町となった。

  • 竜頭(りゅうず)

旧南岸町地区だったが、新浜地区と同様に行政区設置の際に入膳区へ管轄を変更した。

古墳がある。工業団地が整備される予定。


朝方新田(あさがたしんでん)地区

地名が示す通り浅い干潟を埋め立てて作られた土地。

「道の駅あさがた」と隣接している朝方新田水泳場があり、夏は賑わう。

  • 新田(しんでん)

湖南(こなん)区

旧瀬尾村と旧久保瀬村の両村に該当する地区


  • 久保本町(くぼほんちょう)

久保駅の所在地。工場が多数立地している。

  • 小久保(こくぼ)

湖南運河の河口部に位置。小久保団地あり。

  • 泉右衛門町(せんえもんちょう)

泉右衛門橋に由来。

  • 浜瀬尾(はませお)

瀬尾駅の所在地。

  • 東小久保(ひがしこくぼ)

従来は小久保地区の一部だったが、湖南運河の開削により旧瀬尾村へ編入。東小久保団地あり。

  • 厄ノ浦

閑散としているが、平地が多いのでポテンシャルは高い



公共施設等

入膳地区に集中している

教育機関

()は予定

小学校

入膳区:呉服町小学校、城南台小学校、掘ノ南小学校

中央区:待乳崎小学校、紋峰小学校

湖南区:瀬尾第一小学校

中学校

入膳区:蔵町中学校

中央区:紋峰中学校

高校

入膳北島高校、(南岸町高校)、(入膳商業高校)

大学

(共核大学杉峰キャンパス)


医療機関

南岸町市総合病院:モデルあり。


南岸町市総合病院

入膳病院


郵便局

中央区:長坂郵便局、古浜郵便局

入膳区:


その他公共施設

警察

入膳警察署

消防署

入膳消防署

上水・下水

(北山浄水場)

図書館

南岸町市中央図書館

博物館

入膳城址博物館(整備中)


交通

スポーンの地ということもあってか、交通の要衝である。


鉄道


  • 公営鉄道
  • 田園都市線(通称公営線)
  • 南岸町駅:田園都市線の終端駅。
  • 入膳駅:入膳山の中腹部に位置。入膳地区の中心からは高低差があり、また距離があることから利用者はさほど多くなかったが、路面電車線開業に併せて行われた中腹団地造成によって利用者が増加。

  • 和泉交通
  • 本線
  • 瀬尾駅:ターミナル駅。
  • 湖南運河駅
  • 久保瀬駅:久保瀬工業団地の玄関口。

  • 鹿島鉄道:整備中
  • 鹿島本線
  • 北朝方駅

  • 千曲交通:整備中
  • 竜頭貨物線
  • 竜頭駅
  • 久保瀬駅

軌道

  • 和泉交通
  • 軌道線:数が多いため省略。詳しくは和泉交通のページへ。

バス

今後路線増加予定。バス停は多すぎるので省略。詳しくは各々のページへ。

  • 吾妻電気鉄道
  • 入膳線:和泉交通とルートが競合しており、幾度となくバトルが繰り広げられた。ただし、輸送手段の違い(バス)ゆえ運賃面はどうしても劣る。
  • 三隅線

  • 和泉交通
  • 201系統

道路

道路大好き民がいるので、あちこちに道路がある。

開発完了面積に対する道路面積が大きい[要出典]

高速道路

  • E-001号首都圏南部高速自動車道(通称圏南道)
  • 南岸IC-新浜JCT
  • E-101号新浜竜頭有料道路
  • 新浜JCT-新浜IC-竜頭IC

一般道(主要道)

  • 0-001号南岸湖環状線(湖南バイパス、南岸湖バイパス、入膳バイパス、朝方新田バイパス)
  • 0-002号南北縦貫線
  • 0-027号東砺光円寺線

一般道

  • 1-101号
  • 1-201号

主な市道

道の駅

  • 道の駅あさがた:朝方新田地区にある道の駅。遊泳場が併設されており、夏を中心に賑わう。

観光

名所・旧跡

  • 入膳城址:大火により現在は公園と博物館、庁舎が整備されている。本丸から見渡す城下は壮観。
  • 両屋町の町並み:入膳城の城下町にあたる。一時は廃屋が増える等放置されていたが、観光地を増やすために整備された。

両屋町の町並み
  • 我知院北島寺:通称北島寺。本言宗和泉派の総本山(※架空ですよ!)。大火後に再建された。本格的哲学を学べる。

我知院北島寺
  • 堀北集合住宅:元は町営の集合住宅であったが、その外観から観光地化している。壁が薄すぎる等現在では居住に適さないものの、立派な観光資源として生まれ変わっている。なお所在地は北島地区で、名称は「堀北川」より。

掘北集合住宅
  • とえい門:南岸町駅西口の開発事業を祝して建てられた。名前で落ちてる。
  • 竜頭潜水橋:竜頭地区と新浜地区を結ぶ潜水橋。道幅が狭く危険かつ、長い(約500m)ので対向待ちの時間が長いことから地元民はまず利用しない。

竜頭潜水橋

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みなみきしまちむら
南岸町村
画像(整備中)

南岸町村旗
地方スポーンちほう
都道府県
南岸郡
団体コード?
面積たぶん6平方キロメートルぐらい
総人口大変少ない
人口密度
隣接自治体南岸町市、三隅郡三隅町、麻宮郡原津田村
市の木
市の花?
市の鳥?
南岸町村役場(整備中)
村長
所在地
座標
画像(整備中)

南岸町村(みなみきしまちむら)は、南岸町市の北に位置する自治体。


概要


2021年11月17日に、南岸町市から分立した村。

電源開発(ダム)・大学・住宅団地の造成を見込んで独立した。


南岸町市とともに、南岸町ニュータウンを構成する。


地理


北東を赤鍋山、東を三隅山、西を入膳山に囲まれている。


3つの山に囲われており、さらに赤鍋湖が中心に位置するため、大規模開発は見込めない。



  • 赤鍋山(あかなべやま)
  • 入膳山(にゅうぜんやま)
  • 三隅山(みすみやま)

すべて上記を参照のこと。


河川/湖沼


  • 赤鍋湖(あかなべこ):上記参照
  • 粗戸川(あらどがわ):小さな涸れ川。
  • 杉峰川(すぎみねがわ):やはり小さな涸れ川。

歴史


名称の由来


始祖NGT氏に因んだ、大変ありがたい名前。


南岸町市と似ていてややこしいという南岸町市民の声があるが、特に気にしていない。


地域


  • 粗戸(あらど)

峠がある。

  • 杉峰(すぎみね)

赤鍋ダム所在地。


公共施設等


教育機関


小学校

杉峰小学校

(浜杉峰小学校)


中学校

杉峰中学校

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