【ワーチェ(ワールドチェイン)攻略Wikiまとめ】プロフィール一覧
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ワールドチェイン(ワーチェ)のプロフィール一覧ページです。
レブナント
★5(SSR)
画像 | キャラ名 | プロフィール |
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【勝利の戦女】お梶の方 | 徳川家康の側室。聡明な女性で、駿府城の奥向きや金蔵の鍵を任されていたと伝わるほど、家康に信頼されていた。また関ヶ原の戦いでは、男装して家康に同行したと云われ、家康は関ヶ原の戦いの勝利を祝して「勝」と改名させたという。 | |
【織田五大将】明智光秀 | 織田信長の重臣の一人。当代随一の鉄砲の名手でもある。信長の志に惚れ込み共に天下統一を目指していたが、やがて信長と自分の理想のズレに苦悩するようになる。苦悩の末に本能寺の変を起こし、信長をその野望もろとも滅ぼしてしまう。 | |
【近江の鷹】浅井長政 | 近江の戦国大名。織田信長の妹・ お市の方と結婚し、織田家との同盟を結んだ。しかし、浅井家と縁の深い朝倉家を信長が攻めると、同盟を破棄。信長包囲網の一角を担ったが、1573年に居城・小谷城を落とされた。 | |
【熾烈の貴公子】足利直冬 | 南北朝時代の武将。室町幕府将軍・足利尊氏の落胤。尊氏に認知してもらえず、異母弟の直義の養子となった。高師直のクーデ夕ーで直義が失脚すると、尊氏は西国にいた直冬に討伐軍を向けるが九州を味方にしていた直冬は徹底的に抗戦した。 | |
【上杉四天王】甘粕景持 | 上杉謙信に仕え、柿崎景家と並ぶ武勇を誇った名将。第4次川中島の戦いでは殿軍を務め、1千余りの軍勢を乱すことなく率いる采配の見事さに、武田兵の多くは「謙信が指揮しているのではないか」と疑ったほどであった。 | |
【絢爛華麗の王妃】マリー・アントワネット | ルイ16世の妃。賭博や豪華な衣装などの浪費癖でフランス国民の怒りを買った。1792年にフランス革命が勃発し、ルイ16世とマリーは革命広場のギロチン台で処刑される。断頭台に上がってもマリーは毅然とした振る舞いだったという。 | |
【マッド・アン】アン・ベイリー | アメリカ独立戦争時代の女性。「マッド・アン」の異名を持つ。独立戦争で夫を亡くしたことがきっかけで戦争に参加するようになり、斥候やメッセンジャーとして戦争に加担した。火薬を運ぶために160Kmある砦まで騎乗したという。 | |
【女当主次郎法師】井伊直虎 | 遠江の豪族。井伊直親と婚約していたが、井伊氏に今川義元への謀反の疑いが掛けられ、直親は他国ヘ逃亡。のちに帰参し井伊氏の当主となった直親だが、既に正室を迎えていた。直親が今川氏真に殺されると、直虎が女性ながら当主となった。 | |
【女房三十六歌仙】和泉式部 | 女房三十六歌仙の一人で、平安時代の女流歌人。情熱的かつ即興的な歌風が特徴で、恋歌に秀でていた。紫式部には「歌は素晴らしいが、素行は良くなぃ」と評されている。「和泉式部」とは夫の任国である和泉と、父の官名を合わせている。 | |
【羅生門の美鬼】茨木童子 | ||
【征服王】ウィリアム1世 | イングランド王。イングランドの工ドワ一ド証聖王が世継ぎの無いまま没すると、ウィリアムは王位継承権を主張。渡海してイングランドに攻め込むと、ハ口ルド2世らを破ってイングランド王となった。現在の英国王室の祖である。 | |
【ガリアの英雄】ウェルキンゲトリクス | 共和政ローマ軍に抵抗した、ガリアの部族長。現在のフランスにあたるガリアの諸部族を20歳という若さでまとめ、力工サル率いるロ一マ軍と戦った。焦土作戦などで補給を絶ってロ一マ軍を苦しめ、何度も勝利を収めた。 | |
【越後の龍】上杉謙信 | 越後の戦国大名。重臣に推される形で、兄に代わり当主となる。合戦では無類の強さを誇り、軍神の異名を取った。手取川の戦いでは、柴田勝家率いる織田軍に圧勝している。義理堅いことで知られ、敵国の大名にも信頼されていたという。 | |
【美しき軍神】上杉謙信 | 自らを毘沙門天の化身と信じた、戦国時代最強といわれる大名。武田信玄や北条氏康などの名将と幾度も戦い、一度たりとも遅れをとることはなかった。残された衣類や筆跡などから、女性であったという説もある。 | |
【女大帝】エカチェリーナ2世 | 口マノフ朝口シアの皇后、皇帝。プロイセンの出身であり、口シア人ではないが近衛連隊などの支持を受け、夫・ピョートル3世にクーデターを起こして帝位に就く。オスマン帝国との戦いで勝利するなど口シアの領土を拡げ、大帝と称された。 | |
【戦国一の美女】お市の方 | 織田信長の妹。浅井長政に嫁いで同盟の礎となるが、両家はやがて対立し、夫・長政は自害する。市は柴田勝家に再嫁するが、今度は羽柴秀吉と対立。夫・勝家が自害する際に共に命を絶った。激動の戦乱の中、多くの者に愛されたという。 | |
【初代ローマ皇帝】オクタヴィアヌス | ローマ帝国の初代皇帝。カエサルの姪っ子で、後継者に指名された。腹心・アグリッパの補佐を受けて各地の戦争で勝利し、ローマ市民の支持を得た。紀元前27年、アウグストゥスの称号を受け、ローマ皇帝となる。 | |
【神君ユリウス】カエサル | 共和制ローマの将軍。紀元前60年前に執政官となり、クラッスス、ポンペイウスと共に三頭政治を結成。強大な権力を持つ元老院に対抗した。ガリアやエジプトでの戦いでも次々に勝利し、ローマ市民からの絶大な支持を得る。 | |
【大奥を統べる者】春日局 | ||
【画狂老人】葛飾北斎 | 江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。春画のペンネ一ムは「鉄棒ぬらぬら」である。 | |
【イタリアの女傑】カテリーナ・スフォルツァ | ルネサンス期の女傑として知られる女性領主。イーモラとフォルリの領主でもあったジローラモ伯爵と11歳で結婚。その後、夫の死去などで二度再婚する。反乱の最中、城の屋上でスカートをたくし上げて啖呵を切ったという逸話を持つ。 | |
【平原の女王】カラミティ・ジェーン | アメリ力西部開拓時代の女牲ガンマン。馬と鉄砲の名手で、「疫病神(力ラミティ)」のあだ名を持つ。本名はマ一サ・ジェ一ン・力ナリ一。1870年ころから軍隊の斥候として働き、平原インディアンの掃討を行った。 | |
【万人敵】韓世忠 | 中国の宋の軍人。字は良臣。梁紅玉の夫。延安の貧家に生まれ、18歳のとき募集に応じて兵と成り、軍人としての生涯を送る。武勇に優れた抗金の名将で、一人で一万人に匹敵するということから万人敵と呼称された。 | |
【尽忠報国】岳飛 | 12世紀前半の中国の武将。中国の宋(北宋)王朝は、女真族の金王朝に攻められ、滅亡寸前になっていた。岳飛は宋の義勇軍に参加し、頭角を現す。北宋が滅ぶと、南京に建てられた南宋の武将となった。「救国の英雄」と讃えられている。 | |
【旭将軍】木曾義仲 | 源氏の武将。源頼朝・義経の従兄弟。倶利伽羅峠の戦いで平の維盛の大群を破り、京を源氏の勢力下に収めた。しかし京の治安回復には失敗し、更には皇位継承問題に介入したことで、後白河法皇や源頼朝と対立してしまう。 | |
【蝮の娘】帰蝶 | 織田信長の正室。「マムシ」と呼ばれた戦国大名・斎藤道三の娘で、対立関係にあった両家が和睦する際、帰蝶が織田家に嫁ぐことになった。武術の心得があり、戦場では信長の隣に立つ帰蝶の姿が見られることもあったという。 | |
【八重垣美姫】クシナダヒメ | ヤマタノオロチ退治の説話に登場する女性で、後に稲田・豊穣の女神として信仰された。その存在には諸説あり、河の神に仕える巫女であったという説や大和撫子の語源となったという説もある。神話上ではスサノオの神通力によって櫛(くし)と変えられ共に戦場に赴いた。 | |
【大楠公】楠木正成 | 鎌倉時代末期の武将。楠公(大楠公)の名で知られる。後醍醐天皇に味方して倒幕の兵を挙げた。僅か数百の兵を率いる正成に対し、幕府は数万の討伐軍を差し向ける。赤坂城で迎え撃った正成は、多くの奇策を用いて幕府軍を翻弄した。 | |
【絶世の美女】クレオパトラ | 古代エジプトのファラオ。絶世の美女と名高い。父の死後、弟・プトレマイオス13世と結婚し、共に王位に就く。しかし、ローマの影響を受けて両者は敵対。クレオパトラはカエサルの力を借りてプトレマイオスを倒し、エジプトを統治した。 | |
【海賊女王】グレイス・オマリー | アイルランドの海賊。15歳のときに結婚して子供を儲けるが、夫が戦死。それに乗じて敵が攻め寄るが、グレイスが兵を指揮し、守りきった。その後、グレイスは海賊のリーダーとなり、周辺海域を荒らしまわった。 | |
【聖夜の海賊女王】グレイス・オマリー | アイルランドの海賊。女だてらに名うての海賊となる。周辺海域を荒らしまわったグレイスだが、実はにぎやかなことが大好きで、祭りごとにはそれに相応しい格好をして大いに楽しんだ。部下たちを引き連れて大騒ぎする様は語り草となっている。 | |
【聖心の美女】ゴダイヴァ夫人 | 11世紀イングランドの領主夫人。重税に苦しむ領民のため、領主に減税を幾度も嘆願した。領主は諦めさせるために「裸で馬に跨り、街を一周できたら要望を叶える」と言ったが、彼女は本当に実行し減税を勝ち取った。 | |
【雑賀衆大将】雑賀孫市 | 雑賀衆の頭領。雑賀衆は紀伊の地侍らにょる武装集団で、多くの鉄砲を所持していたことから、周辺の諸勢力は債兵と して雑賀衆の戦カを求めた。石山合戦では本願寺に昧方し、織田信長と戦う。織田軍は雑賀衆の鉄砲技術の前に苦戦した。 | |
【ヨーロッパ最強の剣士】シュヴァリエ・デオン | フランスの外交官兼スパイ。外交官としてロンドンに出向いたが、帰国命令に従わず、イギリスに政治亡命。のちに一時帰国するが、再びイギリスへ。男性としても女性としても活動したことから、デオンの性別については当時話題を呼んだ。 | |
【オルレアンの乙女】ジャンヌ・ダルク | ||
【聖女】ジャンヌ・ダルク | ||
【ナバラ女王】ジャンヌ・ダルブレ | ナバラ王国の女王。フランス王・フランソワ1世の姪で、のちにブルボン朝の初代フランス王となるアンリ4世の母。父・エンリケ2世の死後、女王に即位したジャンヌは国教をプロテス夕ントと定め、力卜リックを徹底的に迫害した。 | |
【勝利の女神】ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ | ナポレオンの最初の妻であり、初代フランス皇后。恋多き女としても有名。結婚後もその癖は健在で散々に伴侶を振り回したが、後に夫のみを愛した。その魅力を持ち味に広い人脈を形成しており、それを駆使することで皇帝ナポレオンを大いに助けた。往生の際、最後にナポレオンの名を呼んだという。 | |
【無敗の天才】スキピオ | 共和政ロ一マの軍人。当時のロ一マは、ハン二バルの率いる力ル夕ゴ軍に苦戦していた。軍の指揮官となったスキピオは、海路を経て敵の拠点を急襲。アフリ力に渡り、ザマの戦いで力ル夕ゴを破って長きに渡る第二次ポ工二戦争を終結させた。 | |
【美しき独裁者】スッラ | 共和政ロ一マの政治家。閥族派の指導者となり、激しい内戦の末、民衆派のガイウス・マリウスを破った。マリウスに属した多くの議員らを処刑し、独裁官の座に就いた。本編ロ一マ編の言動が起因してリライ夕ー陣からの評判が良くない。 | |
【反逆の剣闘士】スパルタクス | 共和政ロ一マ時代の人物。剣閾士としてイ夕リアの養成所に所属していたが、仲聞たちと共に養成所を脱走。山に籠った彼らは、スパル夕クスをリ一ダ一に近隣の奴隷たちも加えて大規模な軍勢となり、大規模な戦争を発展させた。 | |
【新中納言】平知盛 | 平安時代末期の武将で、平清盛と時子の子。8歳で位を賜り、昇進を重ねて武蔵守となる。武勇と人望を備えた武将で、源氏派が多い国の中で多くの平氏家人を得た。壇ノ浦の戦いでは最後まで源氏と戦い、平家滅亡を見届けて海へ身を投げた。 | |
【王城一の強弓精兵】平教経 | 平安時代末期の武将。平教盛の二男で、清盛の甥にあたる。平氏の中でも屈指の猛将で、水島の戦いでは木曽義仲の配下を破り、瀬戸内海に面する国々の源氏に寝返った武将を討ち取った。壇ノ浦の戦いでは知盛とともに最期まで戦った。 | |
【虎を継ぐ者】武田勝頼 | 甲斐の戦国大名。父・信玄の跡を継ぎ、武田家の最大版図を築いた。しかし、長篠の戦いでの大敗を境に、織田信長・徳川家康の反撃を受ける。一族・重臣からも裏切りが相次ぎ、1582年の天目山の戦いで敗れる。 | |
【甲斐の虎】武田信玄 | 甲斐の戦国大名。生涯に渡って負け戦はほとんど無く、信濃・駿河などに領土を拡大。その強さは信長をも恐れさせた。上洛を目指して遠江に侵攻し、三方ヶ原で家康に大勝。しかしその直後、病を発症してこの世を去った…と言われている。 | |
【若き虎】武田晴信 | 後の武田信玄。信虎の苛烈な治政を嫌っていた家臣団に後押しされ、父を甲斐国から追放し当主となった。その後は信濃に侵攻し、長尾景虎と川中島で五度にわたる合戦を繰り広げる。勝敗は決しなかったが、信濃をほぼ手中に収めることに成功した。 | |
【雷神の娘】立花誾千代 | 立花道雪の娘。道雪には男子が無く、誾千代を後継者とした。13歳のとき、高橋紹運の子・宗茂を婿に迎えたが、夫婦仲はあまり良くなかったという。武芸に秀でており、宗茂が不在のときは、誾千代が武装して城を守ったと伝わる。 | |
【中国三大悪女】妲己 | 紺王の寵妃。贅沢と残酷な行為を好み、「炮烙の法」と呼ばれる火の上に銅製の丸太を置き、その上を罪人に歩かせる刑罰を見て喜んだといわれている。神怪小説「封神演義」では妖狐として登場。現代では「悪女」の代名詞で有名である。 | |
【奥州の独眼竜】伊達政宗 | 東北の戦国大名。若くして家督を継ぐと、5年余りで周辺の諸勢力を支配下に置き、東北に大きな領土を築く。しかし、時はすでに戦国末期。このころには豊臣秀吉が天下をほぼ統一しており、正宗も秀吉に従属した。 | |
【殷朝最後の王】紂王 | 設王朝最後の王。美貌と叡智を兼ね備え、悪逆非道な暴君として後世に名高い。寵姫・姐己の言う事は何でも聞き、国を思い諌言する忠臣を殺め、酒池肉林を行い享楽にふけった。しかし人身御供を撤廃している事から完全に悪人とは言えない。 | |
【江戸幕府第三代将軍】徳川家光 | 江戸幕府3代目将軍。2代目将軍・秀忠と江の間に生まれ、乳母の春日局に育てられた。「余は生まれながらの将軍である」と宣言し、参勤交代制度を発足、鎖国の体制を整えるなど錬腕を振るった。保科正之は腹違いの弟である。 | |
【ユリウス家の末裔】ドミティア・ロンギナ | ロ一マ皇帝・ドミティアヌスの妻。夫であるドミティアヌスが暗殺された後、暗殺に関与していたと噂される。元老院によって暗殺された夫の記録が抹消されているにも関わらず、彼女は自分を「ドミティア、ドミティアヌスの妻」と呼び続けた。 | |
【若き英雄】ナポレオン・ボナパルト | フランス第一帝政の皇帝。革命により混乱するフランスで軍人となる。フランス軍の若き英雄として、オ一ス卜リアやエジプト遠征で指揮を執った。1804年、国民投票を経て皇帝の地位に就く。ヨ一ロッパ全土をほぼ制圧した。 | |
【悪魔の暴君】ネロ | 第5代ロ一マ皇帝。母や妻をも殺害した暴君として知られる。64年にロ一マで発生した大火災に関して、都市計画のためにネロが放火したという噂も立った。一方で、大変な芸術愛好家で、多くの観客を集めて独唱会を行ったといぅ。 | |
【預言者】ノストラダムス | フランスの医師、占い師、予言者。黒死病(ペス卜)の影響で在学中の大学が閉鎖されたため、ノストラダムスは薬草の採取などをしながら各地を巡ることになった。1555年、「ミシェル・ノス卜ラダムス師の予言集」を著す。 | |
【木綿藤吉】羽柴秀吉 | 織田信長の重臣・豊臣秀吉の旧名。更にその前は木下藤吉郎という。1573年、浅井氏の滅亡を機に木下から羽柴へと名前を改めた。名前の由来は、当時家内で有力だった丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつもらい受けたといわれている。 | |
【カルタゴの雷光】ハンニバル・バルカ | カルタゴの将軍。イベリア半島を経由し、アルプス山脈を越えてイタリアに攻め入った。ハンニバルは優れた戦術家であり、強大なローマ軍を相手に20年近くも戦う。ハンニバルは「ローマ史上最大の敵」としてローマ人の記憶に刻まれた。 | |
【ドラゴン騎士団】バルバラ | ハンガリ一王と神聖ロ一マ皇帝を兼ねたジギスムントの妃。ハンガリ一の貢族らを団員としたドラゴン騎士団を創設した。ジギスムン卜はボへミア王も兼ねており、夫が不在の際はバルバラがハンガリーの統治を代理した。才色兼備な女性。 | |
【血の伯爵夫人】バートリ・エルジェーベト | ハンガリー王国の名門貴族。性別を問わず多くの恋人を持ち、贅沢と美貌の保持に執着した。美を保つために若い娘を殺し、その血が温かいうちに浴びていたという逸話もある。異常な加虐思考と残虐性から「血の伯爵夫人」の異名を持つ。 | |
【太陽神の御子】卑弥呼 | 古の日本に生きた女王。「邪馬台国」を都に約30の国から成る「倭国」を治めたことが、中国の歴史書に記されている。同じ時代に生きた者でも、その姿を目にする機会は少なかったという。多くの謎に包まれた神秘の女王である。 | |
【伝説のガンマン】ビリー・ザ・キッド | 西部劇の英雄として描かれる、アメリカのガンマン。ニューヨークから南部へ旅立ち、牛泥棒や殺人を繰り返した。ニューメキシコの町でタンストールという牧場主に見いだされ、町の権力者と結びつくドラン一派と激しい抗争を繰り広げた。 | |
【カルヌントゥムの庇護者】ファウスティナ | 第15代ロ一マ皇帝の娘で、第16代皇帝マルクス・アウレリウス・アント二ヌスの妻。戦場にも出向き、兵を鼓舞した。父や夫から深く愛され、13人の子供を儲ける。死後はアウレリウスにより、ファウスティナは女神として祀られた。 | |
【気高き愛の伯爵】フェルセン | スウェーデンの名門貴族で、フランス王妃・マリー・アントワネットの愛人。2人は仮面舞踏会で出会い親密な仲になるが、王妃の悪評を憂慮したフェルセンは一度パリから離れる。その後、ヴァレンヌ事件では積極的に脱出の手引きを行った。 | |
【海賊提督】フランシス・ドレイク | 15世紀工リザペス朝の航海者で、のちに海軍提督に着任。イングランド人として初めて世界ー周を果たす。当時イングランドと不仲だったスぺインの船を襲撃して多くの財宝を持ち帰ったことから、エリザベス女王に「私の海賊」と呼ばれた。 | |
【白衣の天使】フローレンス・ナイチンゲール | イギリスの看護師。裕福な家庭に生まれ育ったが、人々に奉仕する職を志す。1854年、看護師としてクリミア戦争の戦地に赴いた。現地の軍医との間には軋轢も生じたが、ナイチンゲ 一ルは兵舎病院の衛生状況を改善していった。 | |
【賢者の石】ペレネレ | ニコラ・フラメルの妻。錬金術に精通していた夫の傍らで、共に錬金術作業を行う。当時、女性が錬金術作業に関わるのは稀だったため、ペレネレは稀有な存在だった。賢者の石を製造し、不死になったという伝説がある。 | |
【偉大なる常勝将軍】ポンペイウス | 共和政ロ一マの軍人。スッラがロ一マに攻め込んだ際、雇った兵と共にスッラ軍に合流した。以後、ポンぺイウスはスッラ配下の将として多くの武功を挙げる。のちに力工サルらと三頭政治を結ぶが、やがて対立し、ロ一マ内戦へと発展した。 | |
【ペチコート同盟】マリア・テレジア | 神聖口ーマ皇帝カール6世の娘。オーストリアの女帝と名高く、フランス王妃・アントワネットの母。毅然とした態度で幾度も困難を乗り越え、プロイセンが侵攻してきた際はハンガリーに赴いて我が子を抱きながら演説し、協力を得た。 | |
【パルマ女公】マリア・ルイーザ | 神聖ローマ帝国フランツ2世の長女で、ナポレオンの後妻として迎えられ2代目フランス皇后となる。ナポレオンは恐るべき敵と教えられ育った彼女は、幼少期を“ナポレオン”と名付けた人形を虐めて過ごした。しかし結婚後は、ナポレオンの優しさに触れることで心を開き、夫として愛するようになった。 | |
【文芸の守護者】マルグリット・ナヴァル | ナバラ王エンリケ2世の王妃。文芸の守護者とも呼ばれ、宗教改革の波から人文学者や芸術家を保護した。自身も詩や戯曲、小説などを執筆しており、特に有名な作品は「エプタメロン」。ジャンヌ・ダルブレの生みの親でもある。 | |
【八幡太郎】源義家 | 平安時代末期の武将。父の頼義とともに前九年の役で陸奥国の豪族・安倍氏を討ち、1083年、陸奥守兼鎮守府将軍に任命された。着任早々、国内の内紛である後三年の役に巻き込まれる形で参戦し、勝利を収める。 | |
【牛若丸】源義経 | 平安時代末期の武将。源頼朝の弟で、「牛若丸」の幼名を持つ。平泉の奥州藤原氏の元で育ち、兄・頼朝が挙兵すると、奥州で得た配下を連れて参陣した。一ノ谷や屋島、壇ノ浦の戦いで平氏を破り、源平合戦最大の功労者となる。 | |
【謀神】毛利元就 | 安芸の戦国大名。毛利家は小さな領地を治める国人であり、父母を早くに亡くした元就は城から追われる境遇におかれたこともある。しかし、類稀なる智謀を武器に、強大な敵を次々に撃破。一代にして中国地方の覇者となる。 | |
【巫女頭領】望月千代女 | 武田信玄に仕えた女忍者。甲賀五十三家の上忍・望月家の出身。川中島の戦いで夫を亡くした彼女は、信玄の命により「歩き巫女」の頭領となった。千代女の育てた歩き巫女は、密かに他国の情報を収集し、武田家に伝えていたという。 | |
【無敵将軍】楊業 | 10世紀の中国の武将。北漢、ついで宋に仕え、遼軍に備えた。知勇兼備の大将で、980年に遼の大軍が侵攻してきた際には、奇襲をかけて勝利している。遼の侵攻を防いで「無敵」と号され、最期まで忠義を尽くした。 | |
【独眼竜】李克用 | 中国、唐末期の武将。武勇に優れた人物で、8 8 2年、唐で起きた内乱・黄巣の乱を鎮圧するために4万の兵を率いて参戦する。朱全忠と協力して黄巣軍を壊滅させ、後唐の礎を築いた。軍を黒い衣装で統一したことから鴉軍と呼ばれた。 | |
【獅子心王】リチャード1世 | イングランド王。在位中のほとんどの期間を、第3回十字軍の遠征をはじめとする戦争に費やした。聖地エルサレムの奪還は成らなかったものの、アルスフの戦いでイスラム勢を破るなど、キリスト教勢力にとって重要な戦果を挙げている。 | |
【流浪の詩人】李白 | 唐の詩人。青年期に蜀を離れた李白は、中国各地を放浪した。40代になって朝廷に仕えたが、数年後には再び放浪の旅へ。長江で船に乗って詩を詠んだとき、水面に映った月を取ろうとして船から落ちて溺死したという伝説がある。 | |
【頼光四天王】渡辺綱 | 平安時代中期の武将。渡辺氏の祖。嵯峨源氏の源融の子孫。源頼光に仕え頼光四天王の筆頭として、「大江山の酒呑童子退治」や京都の「一条戻橋の鬼退治」など大いに活躍したとされている。一条戻橋で鬼の腕を斬ったとされ、その際に使用した刀・髭切を鬼切と改めた。 | |
【奥州王】伊達政宗 | 後世に独眼竜の異名を取る戦国大名。一時は東北に百万石を超える領土を獲得するが、豊臣秀吉の召集に遅参したことで減封されてしまう。それでも天下を諦めない政宗を牽制するため、秀吉は後に好敵手となる蒲生氏郷を隣国へ送り込む。竜と麒麟の邂逅である。 | |
【奥州の雄】伊達政宗 | 「独眼竜」の異名で、若くして奥州を治める隻眼の伊達家当主。弟への思い入れが強かった母には毒殺を企てられるほど疎まれていた。そのせいか猜疑心が強い。その反面子供のように素直な一面も。前田慶次とは壮絶な殴りあいの中、拳と拳で互いの心を通わせた。 | |
【天下無双の傾奇者】前田慶次 | 本名、前田慶次郎利益。日本史上最も絢爛たる安土桃山の動乱期を疾駆した、戦国一の快男児。身の丈六尺五寸(197cm)を越える大柄な武士で凄まじい“いくさ人”ぶりであった。自由をひたすら愛し命を賭した遊びを楽しんだ当代きっての傾奇者。 | |
【義侠の英傑】劉備 | 字は玄徳。黄巾の乱に際し、関羽や張飛と共に挙兵する。曹操や袁紹、劉表など群雄の元を流浪しながらも名声を築き、赤壁の戦いを経て荊州南部を領した。さらに益州の支配に成功し、221年には蜀を立てて皇帝に即位した。 | |
【断金之交】周瑜 | 字は公瑾。呉に仕えた軍師。端麗な容貌から「美周郎」と呼ばれた。孫策とは幼少期に知り合い、断金之交に例えられるほど2人の友情は堅かった。孫策没後は孫権に忠義を誓い、赤壁の戦いでは苦肉の策と連環の計を成して大勝利を収めた。 | |
【孫呉の至宝】周瑜 | 字は公瑾。呉に仕えた軍師。孫策が天下をとることを共通の夢とするほど、孫策との友情は堅く、断金之交と例えられるほどだった。孫策が若くして亡くなった後は、親友の死にやけを起こすことなく率先して孫権に忠義をつくし、孫呉の発展に努めた。 | |
【前田家の柱石】奥村助右衛門 | 18歳で前田利久の居城荒子城の城代家老を務めたことがあり、柴田勝家をして「沈着にして大胆」と驚かせしめた剛の者。前田慶次とは幼いころからの莫逆の友。末森城の戦いでは助太刀の慶次とともに獅子奮迅の働きを見せた前田家の柱石。 | |
【南蛮の王】孟獲 | 南中の豪族。小説「三国志演義」では南蛮の王として登場する。妻の祝融と共に蜀に反乱を起こすが、諸葛亮に何度も生け捕りにされる。七戦目、烏戈国の兀突骨を頼り大敗。のちに諸葛亮に心服し、祝融と共に蜀に降伏。心から蜀に帰順した。 | |
【断金之交】孫策 | 字は伯符。孫堅の長男で孫権の兄。亡き父・孫堅の大望を叶えたいと、何度も戦に出陣して奮戦した。周瑜と幼少期に知り合い、断金之交に例えられほど2人の友情は堅かった。小説「三国志演義」では怒涛の躍進から「小覇王」を称される。 | |
【江東の小覇王】孫策 | 字は伯符。孫堅の長男で孫権の兄。父の死後は袁術のもとに身を寄せていたが、やがて独立し孫呉の再興に尽くす。周瑜との友情の堅さは断金之交と例えられほどで、袁術配下にいたころから互いに協力を惜しまなかった。偵察中の太史慈と遭遇した際には自ら一騎打ちに応じ、引き分けに終わったという。 | |
【陰陽師】安倍晴明 | 平安時代の陰陽師。当時の陰陽師は、天体の動きから暦を作ったり、吉凶を占う役割も担っていた。賀茂忠行・保憲に学び、天文博士となる。天皇や貢族から厚く信頼された晴明は、多くの逸話と共に、伝説的な陰陽師として語り継がれている。 | |
【二天道楽居士】宮本武蔵 | 戦国末期から江戸初期に活躍した剣豪。二天一流の開祖であり、生涯60回を越える決闘に挑み、その全てに勝利した。中でも佐々木小次郎との「巌流島の決闘」は有名。剣を通してタケシと語り合い、その行く末に大きな期待を抱く。 | |
【江東の名花】小喬 | 周瑜の妻で大喬の妹。「月も光を消してしまい、花も恥じらってしまう」と詠われるほどの絶世の美女で、大喬と合わせて二喬と呼ばれた。孫策が臨終の際「周瑜にわが弟の孫権によく仕えるように伝えておくれ」と遺言される。 | |
【武田二十四将】山県昌景 | 武田家最強の猛将。四名臣の一人に数えられ、信玄にも最も重用された将とも言われる。北条氏康との合戦では奇襲を成功させ、武田軍勝利に最も貢献した。軍装を赤一色に統一した天下最強の「赤備え」を率い、諸大名に畏れられた。 | |
【殺鼠の貞婦】張春華 | 司馬懿の正室。司馬懿の失態を女官に目撃され、曹操に事が露見することを恐れた張春華は、女官を殺した。この件以降司馬懿は張春華を警戒し、重なる昇進もあって疎遠になる。博識だが時に過激な行動を起こす張春華を司馬懿は恐れていた。 | |
【万夫不当の豪傑】張飛 | 字は翼徳。黄巾の乱で劉備や関羽と共に挙兵する。人並み外れた勇猛さと怪力を持ち、一人で1万の兵力に相当すると称された。長坂の戦いではしんがりを務め、曹操軍の前で仁王立ちで恫喝。あまりの気迫に誰も近付けなかったという。 | |
【関八州の覇者】徳川家康 | 戦国時代の三河の大名。幼少期は織田家・今川家の人質として過ごす。のちに今川家から独立すると織田信長の盟友となり、信長包囲網に立ち向かった。医学の知識に長け、長命を保った。信長・秀吉の死後、関ヶ原の戦いを制し天下人となる。 | |
【整理整頓】新庄局 | 安芸国の領主・熊谷信直の娘で吉川元春の妻。政略結婚ではあったが夫婦仲が良く、元春は新庄局以外の女性を傍に置かなかった。勝気な性格で元春の姉・五龍局とは折り合いが悪く、毛利元就や小早川隆景にたしなめられている。 | |
【南朝の総大将】新田義貞 | 鎌倉末期・南北朝時代の武将。鎌倉幕府を攻撃して滅亡に追い込んだとされる。後醍醐天皇による建武新政樹立の立役者の一人となったが、新政樹立後、同じく倒幕の貢献者の一人である足利尊氏と対立。後醍醐天皇により官軍総大将に任命され対抗した。 | |
【朝家の守護】源頼光 | 藤原道長や頼通に仕えた、平安時代の武将。酒呑童子や土蜘蛛などを退治した武勇伝で知られる。酒呑童子の首を斬ったとされる刀は「童子切」と呼ばれるようになり、現在では日本の国宝に指定されている。源頼政らを輩出した摂津源氏の祖。 | |
【誇り高き才媛】王異 | 趙昂の妻。思慮深く聡明な女性。三国志の中で唯一戦闘に参加した女性として有名で、冀城の戦いでは弓籠手を身に着けて応戦した。その際に士気を高める為、自分の装飾品や高価な衣類を兵士に分け与えて鼓舞したという。 | |
【熱田神宮の姫君】由良御前 | 源義朝の正室で、源頼朝の母。ほかに2人の子を儲ける。熱田神宮の大宮司・藤原季範の娘で、熱田神宮の伝承から由良姫と呼ばれた。院近臣の父を持つ由良のお蔭で、義朝は順に昇進を重ねて下野守に就任する。翌年、右馬助も兼任した。 | |
【東国無双の女傑】甲斐姫 | 忍城の城主、成田氏長の娘。武芸に秀でた女性で、周囲の者は彼女が男子に生まれなかったことを惜しんだ。1590年の小田原征伐では、石田三成が大軍で忍城に攻めたが、落とせなかった。甲斐姫も多くの敵を討ち取ったといわれる。 | |
【上杉の宰相】直江兼続 | 前田慶次と運命を共にする終生の友であり、上杉家にその人ありと天下に名を知られた。自分の配下に欲しがった秀吉は景勝から兼続を奪い取ろうと幾度も画策した。石田三成と親交が深く、後の関ヶ原の戦いの契機となった直江状を徳川家康に送りつけたことでも有名。 | |
【大坂城五人衆】真田幸村 | 信濃・上野の戦国大名。関ヶ原の戦いで敗れ、九度山にて隠棲していたところ、豊臣氏から召集を受け大阪の陣へ参戦。冬の陣では出城を築き徳川勢を撃退、夏の陣では劣勢の中、家康本陣を目掛けて突撃。重臣らを蹂躙する活躍を見せ、家康をあと一歩まで追い詰めた。 | |
【南蛮の女王】祝融 | 孟獲の妻。夫・孟獲が諸葛亮に敗戦を繰り返す様に憤り、自ら出陣して蜀軍と対峙した。諸葛亮の策によって蜀に捕えられたが、人質交換という形で自軍に戻る。何度も交戦を繰り返すうちに、諸葛亮に心服した孟獲と共に蜀に降伏した。 | |
【白杆兵】秦良玉 | 石砡宣撫・馬千乗の妻。教養と武勇に優れた女性で、反乱制圧のために何度も出陣した。夫が無実の罪に問われ獄死すると、夫に代わって兵を統括する。1630年、崇禎帝よりこれまでの功績を賞賛され、その後も多くの賊軍を退治した。 | |
【尾張の風雲児】織田信長 | 尾張の戦国大名。一族争いを制して尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を破って有力大名となる。天下布武間近で明智光秀の謀反により、本能寺で生涯を閉じた。シンゴの遠い先祖であり、今でも彼の事を密やかに見守り叱咤激励している。 | |
【乱世の魔王】織田信長 | 尾張の戦国大名。一族争いを制して尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を破って有力大名となる。天下布武間近で明智光秀の謀反により、本能寺で生涯を閉じた。シンゴの遠い先祖であり、今でも彼の事を密やかに見守り叱咤激励している。 | |
【大うつけの花見】織田信長 | 織田政権を確立した天下人。晩年の信長は茶の湯に傾倒しており、高価な茶器を収集するとともに有力大名や商人を招いての茶会を度々主催していた。公的な記録は残っていないが、花見好きな秀吉を配下に抱えていたこともあり、花見を行っていた可能性は高い。夢幻の狭間にて、シンゴと再会した。 | |
【浅井三姉妹】茶々 | 浅井長政とお市の方の間に生まれた、浅井三姉妹の長姉。豊臣秀吉の側室となり、世継ぎとなる秀頼を産んだ。秀吉の死後、茶々は豊臣家の実権を握る。江戸に幕府を開いた徳川家康と対立し、大阪城を拠点に徳川軍を迎え撃った。 | |
【御堂関白】藤原道長 | 平安時代の政治家。藤原兼家の5男で目立たない存在だったが、相次ぐ兄らの病死や甥の不祥事による自滅により、道長が藤原家の頂点に立った。摂関政治を行ったことで藤原氏の全盛期を築き、満月を自分と見立てた和歌を詠んでいる。 | |
【天下の臥龍】諸葛亮 | 字は孔明。高名な人物鑑定家の水鏡に師事。学問を修め「臥龍」の号を賜る。その才は大師匠である子魚も高く評価した。有り余る才故に、目標を持たない自身の未来まで悟ってしまい隠棲していたが「三顧の礼」を経て、大いなる夢を抱く劉備と出会う。そして龍は天を泳ぎ始めた。 | |
【天下の大軍師】諸葛亮 | 字は孔明。三顧の礼を受けて劉備に仕えた。「天下三分の計」を唱え、劉備が益州を制して蜀を立てると、その丞相となる。劉備亡き後も、政治・軍事両面で蜀を支える。漢王朝の復興を目指して北伐を実施、魏の司馬懿と攻防を繰り広げた。 | |
【黄金の天下人】豊臣秀吉 | 織田信長の重臣の一人。低い身分でありながら、信長のもとで数々の戦功を挙げて出世していった。明智光秀の謀反で信長が倒れるといち早く主君の仇討ちを果たし、天下人への道を駆け上がる。その生涯は「戦国一の出世頭」と評されている。 | |
【閉月美人】貂蝉 | 後漢末期の司徒・王允の養女。中国四大美女の一人で、物思いに耽る姿の美しさから、月が恥じて雲に隠れてしまったと言われる。董卓の暴政に危惧の念を抱いた王允が、呂布に董卓の誅殺させるために貂蝉を使って「美女連環の計」を成した。 | |
【長坂の勇将】趙雲 | 字は子龍。元は公孫瓚の配下で、のちに劉備の配下となる。劉備が成都に入場後、功を挙げて順調に昇進し、五虎大将軍の一人になる。長坂の戦いでは、大勢の曹操軍の中を単騎で駆け抜け、劉備の子・阿斗を守り抜いたという話が有名である。 | |
【征夷大将軍】足利尊氏 | 室町幕府の初代征夷大将軍。元は鎌倉幕府の武将で、反幕府の兵を挙げた後醍醐天皇と戦っていた。しかし、1333年に天皇方へ鞍替え。倒幕に大きな功を挙げた。南北朝時代に入ると、尊氏は北朝から征夷大将軍に任命された。 | |
【美髯公】関羽 | 字は雲長。黄巾の乱に際し、劉備や張飛と共に挙兵した。200年、劉備が曹操に敗北し関羽は曹操の捕虜となるが、劉備への恩義を重んじて曹操の配下になることを拒んだ。劉備が益州を平定後は荊州の守備を務める。 | |
【救世済民】本願寺顕如 | ||
【三蔵法師】玄奘 | ||
【ヨーロッパの父】カール大帝 | ||
【太公望】呂尚 | ||
【蒼き狼】チンギス・ハン | ||
【最後のファラオ】カエサリオン | ||
【厩戸王】聖徳太子 | ||
【大王アレキサンダー】アレクサンドロス3世 | ||
【乱世の奸雄】曹操 | ||
【狂気の愛】カリグラ | ||
【武の化身】呂布 |
★4(SR)
画像 | キャラ名 | プロフィール |
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【暴君の母】アグリッピナ | 第3代ロ一マ皇帝力リグラの妹。母が流罪の末死亡し、自身も兄・力リグラの暗殺を企てたとして流罪になるなど、苦難の前半生を送る。2度の結婚を経て、第4代皇帝・クラウディウスと結婚。息子であるネロを帝位に就ける野望を達成した。 | |
【乱世の遊興者】朝倉義景 | 越前の戦国大名。前半生は善政を敷き、統治する越前を栄えさせた。嫡男の没後、側室に小少将を迎える。彼女を溺愛したために、政務が疎かになったともいわれる。主人公たちとの出会いを「必然」と言い、妨害してきた彼の目的とは。 | |
【皇帝の母】アティア | 本名はアティア・バルバ・力エソ二ア。ロ一マ初代皇帝オク夕ヴィアヌスの母として知られる。母はユリウス氏族力エサル家の出身で、アティアはガイウス・ユリウス・力エサルの姪。カ工サルが暗殺され、その後継者に息子オク夕ヴィアヌスが指名されると、息子に力エサルの後継者となる事を辞退するように説得した。 | |
【小さな女射撃手】アニー・オークレイ | アメリカの射撃手。幼い頃から射撃の腕に優れていた。アメリカ各地や諸外国で射撃ショーに出演し、空中のコインやトランプを撃ち抜くなどの腕前を披露。一座のスターとして活躍した。子供扱いするシンゴに容赦なく発泡したお転婆な性格。 | |
【ゲルマンの英雄】アルミニウス | ゲルマン民族の武将。自部族はロ一マの支配下だったが、アルミ二ウスはゲルマン民族の諸部族に呼ぴかけローマと敵対。卜イ卜ブルク森の戦いでロ一マ軍に完勝した。ロ一マ軍が再侵攻してきた際には苦戦しながらも撃退し、独立を保った。 | |
【徳川と決する者】石田三成 | 豊臣秀吉に仕ぇた武将。五奉行のひとり。特に内政手腕に優れ、秀吉から深く信頼された。秀吉亡きあと、権カを伸ばす徳川家康を警戒。家康が会津ヘ兵を向けた隙を衝いて挙兵した。8万に及ぶ兵カを集めるが、関ヶ原の戦いで家康に敗れる。 | |
【女王の精霊】ウィリアム・セシル | 15世紀イングランドの政治家。女王工リザベス1世の即位から仕え、40年間女王を補佐した忠臣。27歳で政界へ入り、議員や秘書官を務めたのちに国王秘書長官に就く。政務に誠実で、エリザベスが「名宰相」と自慢したという。 | |
【処女王】エリザベス1世 | イングランド・アイルランドの女王。1588年、スペイン無敵艦隊がイングランドに侵攻。エリザベスは、上陸に備える兵を鼓舞する演説を行った。この海戦での勝利もあり、エリザベス統治下のイングランドは安定した時代であった。 | |
【ローマの美徳】オクタウィア | 初代ロ一マ皇帝オク夕ヴィアヌスの姉。最初の夫と死別した後、マルクス・アント二ウスと再婚した。しかしアント二ウスは遠征先でクレオパトラに出会い、オク夕ウィアを離縁する。その後は前夫やアント二ウスとの間に生まれた子を育てた。 | |
【大奥の夏花】お夏の方 | 江戸幕府3代目将軍・家光の側室。家光の正室・鷹司孝子付の女中で、大奥の雑務を担当する「後末」という役職に就いていたが、「御湯殿」と呼ばれる役職も任されたことから家光の目に留まり、側室になった。家光死後は順性院と名乗る。 | |
【世界三大美女】小野小町 | 平安時代の歌人。歌詠みに秀で、特に恋歌を得意とした。古今和歌集には20首近くが収められており、その半分以上が恋歌である。小町を想う男性が彼女の邸宅に百晩通い詰めた「百夜通い」などから、彼女が絶世の美女だったと伝わる。 | |
【伊達三傑】片倉小十郎 | 伊達政宗に仕えた武将。姉が政宗の乳母であった縁で政宗の近侍となる。人取橋の戦いで奮戦して窮地の政宗を救うなど、文武兼備の忠臣として主君を支えた。片倉家の治める白石城は江戸幕府の一国一城制の例外として明治時代まで存続した。 | |
【祖国の父】キケロ | 共和政ロ一マの政治家。弁論に長け、有力者を相手取っての裁判に勝利して名声を得た。力工サルとは政敵であり、力工サルが暗殺された際には暗殺者たちを支持している。しかし翌年、キケロもアント二ウスによって暗殺された。 | |
【毛利三本の矢】吉川元春 | 毛利元就の二男で、吉川家の養子となる。同様に小早川家の養子となった弟・隆景と共に、「毛利の両川」として本家を支えた。厳島の戦いで陶晴賢の大軍を破るなど、各地の合戦で活躍し、毛利家の勢カ拡大に貢献した。 | |
【慈愛の聖女】京極マリア | 浅井長政の姉。京極高吉に嫁ぎ、1581年、夫と共に洗礼を受ける。戦国大名の京極家は没落していたが、関ケ原の戦いで息子たちが高い戦功を挙げ、復興。晩年のマリアは、布教活動を行いながら息子たちの領国で暮らした。 | |
【悲劇の姫】クラウディア・オクタウィア | 第4代ロ一マ皇帝クラウディウスの娘。父の後妻・アグリッピナの子であるネロと結婚した。54年、クラウディウスが亡くなり、夫・ネロが第5代皇帝となった。クラウディアは貞淑な妻として夫に尽くした。 | |
【野心秘めし富豪】クラッスス | 共和政ローマの政治家。スパル夕クスの反乱が発生すると、クラッススは財力で部隊を編成。スパル夕クスとの決戦に勝利した。ポンペイウスとの仲は険悪であったが、力エサルの仲介により、三頭政治を結んだ。 | |
【日輪の影】黒田官兵衛 | 竹中半兵衛と並んで「両兵衛」と称される、豊臣秀吉の軍師。数々の献策で秀吉を天下人に導くと共に、合戦での武功も多く挙げ、九州・豊前に領地を得る。中央で関ヶ原の戦いが発生すると、官兵衛は兵を集め、九州の諸勢カを次々に破った。 | |
【希望の守護者】見性院 | 武田信玄の次女で、武田家臣・穴山梅雪の正室。信玄の死後、徳川方に入り平穏に暮らしていたが、1582年に起きた土民一揆で夫を亡くす。息子も早世し、家康に保護された見性院は2代将軍・秀忠の子でのちの保科正之の養育を任された。 | |
【武田二十四将】高坂昌信 | 武田家臣。信玄・勝頼の2代に仕えた武田四名臣のー人。16歳で信玄に奉公し、順調に出世を重ねて越後上杉に対する最前線・海津城代に就く。状況を冷静に分析するその才智から軍のしんがりを務めることが多く「逃げ弾正」と呼ばれた。 | |
【一乗谷の妖星】小少将 | 朝倉義景の側室。嫡男を亡くした義景の悲嘆を和らげるため、家臣らの勧めで側室となった。義景に溺愛され、朝倉家の政務にも影響を及ぼす。歴史を修復する者の存在を知っているかのように振る舞っているが、その真意は不明のままである。 | |
【毛利三本の矢】小早川隆景 | 毛利元就の三男で、小早川家の養子となる。兄・吉川元春と共に「毛利の両川」と呼ばれ、毛利家にとって無くてはならない存在だった。隆景は秀吉から厚く信頼され、四国や九州に所領を与えられた。徳川家康らと並び五大老にも任命される。 | |
【浅井三姉妹】江 | 浅井長政とお市の方の聞に生まれた、浅井三姉妹の末妹。二度の婚姻を経て、1595年、のちに2代将軍となる徳川秀忠の妻となった。秀忠は側室を持たず、江との間に7人の子をなした。その第5子が、3代将軍・徳川家光である。 | |
【毛利家の烈女】五龍姫 | 毛利元就の娘。弟には吉川元春や小早川隆景がいる。毛利家と勢力を争っていた宍戸家に嫁ぎ、両家の楔となった。以後、宍戸家は毛利一門として重用され、活躍することとなる。多少厳しく身内に説教してしまう節がある。 | |
【巌流】佐々木小次郎 | 安土桃山時代から江戸時代初期の剣客。「物干し竿」と呼ばれる三尺余りの野太刀を愛用した。富田勢源の教えを受け武者修行の後に小倉藩の剣術師範となり、剣技「燕返し」を編み出す。関門海峡の舟島で宮本武蔵と決闘を行うも、敗北した。 | |
【神の子】静御前 | 源義経の愛妾。義経が兄・頼朝に追われた際、静は吉野で捕えられた。鶴岡八幡宮で白拍子の舞を命じられた静が、離れ離れになった義経を想う歌を唄う場面は、吾妻鏡でも讃えられている名場面である。 | |
【鬼柴田】柴田勝家 | 鬼柴田、かかれ柴田などの異名を持つ猛将。信長の忠実な家臣として働く。北陸方面の攻略を任され、一向一挨や上杉謙信と戦った。本能寺の変で信長が倒れると、勝家は羽柴秀吉と対立。賎ケ岳の戦いで決戦を迎える。 | |
【雄牛の突撃】シャカ・ズールー | ズールー王国の初代国王。南部アフリ力の一部族だったズールー族の首長であり父・センザンガコナの死後、他国の支援を受けてズールー王国を建国し、国王に即位し た。軍制改革に力を注ぎ、他部族の制圧を行って勢力を拡大した。 | |
【暗殺の天使】シャルロット・コルデー | フランス革命時代の暗殺者。修道院で育ったが、革命政府により修道院が閉鎖された。恐怖政治を推進する革命指導者・ジャン=ポール・マラーのもとを訪れ、ナイフでマラーの心臓を刺して暗殺する。その美貌から「暗殺の天使」と呼ばれた。 | |
【木を植えた男】ジョニー・アップルシード | アメリ力合衆国初期の開拓者。本名はジョン・チャップマン。多くの開拓地に出かけ、リンゴの種を蒔いて苗木を育てる傍らスウェーデンポルグの宗教思想を広めた。親しみやすい人柄や厚い信仰心から、西部開拓期の伝説的人物として名高い。 | |
【導きの天女】水心 | 長宗我部元親の正室。幕臣・石谷家の出身。嫡子・信親をはじめ、盛親や津野親忠など多くの子に恵まれた。水心の異父兄が明智光秀の重臣である縁から、織田信長が信親の鳥帽子親を務めている。 | |
【無官大夫】平敦盛 | 平安時代末期の武将で、平清盛の弟・経盛の子。17歳で一ノ谷の戦いに参戦。平氏側が劣勢になり船で撤退する際、一足遅れて騎乗で船を追いかける敦盛を、源氏の熊谷直実が呼び止めて討ち取った。織田信長が好んだ歌「敦盛」の元である。 | |
【武門の王】平清盛 | 平安時代末期の武将。武士でありながら太政大臣にまで出世し、絶大な権力を誇った。「平家にあらずんば人にあらず」と言われ、平氏の全盛期を築いた。あまりに強大な権勢を誇ったことから、やがて後白河法皇と対立し、源平合戦が始まる。 | |
【二位尼】平時子 | 平清盛の妻。平氏政権によって重要な地位を担う女性だった。清盛亡きあと源氏の勢力が強まり、時子は宗盛らと共に都から西国へと落ちる。壇ノ浦の戦いで平氏が大敗すると、時子は孫の安徳天皇を胸に抱き、海中に身を投じた。 | |
【武田二十四将】武田信繁 | 武田家臣。武田信玄の弟で、武田二十四将の1人。聡明で人望が厚く、武田軍の副将として貢献した。軍事・政治両面で功績を多く残し、信玄が制定した甲斐国の法律「甲州法度次第」の基礎を作ったといわれている。 | |
【今孔明】竹中半兵衛 | 羽柴秀吉に仕え、黒田官兵衛と共に「両兵衛」と称される、伝説的な軍師。もとは斎藤家に仕えていたが、主君の乱行を見かね、僅か17人で居城を攻め落とした。間もなく城を斎藤家に返還して隠棲生活を送っていたが、秀吉が家臣に迎える。 | |
【三銃士の友】ダルタニャン | フランスの軍人。銃士隊で活躍し、リール総督にまで出世した。配下の従士であったサンドラスによる記録をもとに、ダルタニャンを主人公とする物語が著された。ダルタニャンと、その友人“三銃士”の活躍が描かれている。 | |
【駿河御前】築山殿 | 今川義元の姪で、徳川家康の正室。嫡男・信康など1男1女を産む。信康は織田信長の長女・五徳姫と結婚するが、五徳姫の不妊により跡継ぎの存在を心配した築山殿が、数人の女性を信康の側室にさせたので五徳姫の不興を買ってしまう。 | |
【カエサルの盟友】ティトゥス・ラビエヌス | 共和政ロ一マの軍人。力エサルから厚く信頼され、ガリア戦争でロ一マ軍を勝利に導いた。しかし、力工サルと元老院が対立すると、ラビエヌスは単騎で力工サルの元を去る。その後はポンぺイウスのもとで力エサルと戦った。 | |
【天下人の右腕】豊臣秀長 | 豊臣秀吉の弟。温厚な性格で諸大名にも慕われ、兄からの信頼も厚かった。四国攻めでは総大将として長宗我部元親を破り、その功で百万石を超える大大名になっている。豊臣政権にとって無くてはならない存在だった。 | |
【日没の天下人】豊臣秀頼 | 豊臣秀吉の子。母は側室の茶々で、妻は徳川秀忠の娘・千姫。お市の方の血を引く茶々が生んだ嫡子に秀吉は喜び、既に後継者と定めていた秀次を自刃させて秀頼を後継者にした。しかしその後の関ヶ原の戦い以降、豊臣の地位は一気に変化する。 | |
【鉄壁の守将】成田長親 | 戦国時代の武将。1590年、小田原征伐の際に小田原籠城に参戦した主君に代わり、忍城を防衛した。石田三成率いる2万3千の兵に対して、長親は500騎で局面に立つ。長親を慕う民たちも参戦し、合計3千の兵で忍城を守り抜いた。 | |
【甲斐の仙女】南松院 | 武田信虎の娘(武田信玄の姉)。信虎が甲斐を再統一する中、政略結婚として、甲斐の有力な豪族である穴山信友に嫁いだ。穴山梅雪の母。仏教に深く帰依していたため、没後に梅雪は高僧を甲斐に招き寺を建立した。 | |
【豪腕の勇婦】板額御前 | 鎌倉時代初期の女武将。越氏と呼ばれる越後国の豪族だったが、源平合戦を経て平家方に組していた越氏は没落する。その後、鎌倉幕府を打倒するために挙兵した兄に従軍して奮闘した。百発百中の弓の腕前で、幕府軍を大いに苦しめる。 | |
【中国最古の女将軍】婦好 | 紀元前13世紀頃の人で、段王・武丁の妻。自らも兵を率いて戦場に赴いた.中国史上、最初の女性指揮官とされる。武丁と婦好により、段の勢力は拡大された。なお、現在確認できる最古の漢字は、武丁の時代に記録された甲骨文字である。 | |
【最悪の暴君】ヘリオガバルス | ロ一マ帝国第23代皇帝。放縦と奢侈に興じ、きわめて退廃的な倒錯的で常軌を逸した性生活に耽溺した。また、宗教面でも従来の慣習や制度を全て無視して極端な政策を行った。様々な行動から、ロ一マ史上最悪の君主と して記憶される。 | |
【山賊女王】ベル・スター | アメリ力西部開拓時代の女性。裕福な農園の娘として生まれ、文武両道で多芸に通じていた。ベル・スターは生涯で3度結婚しており、2度目の結婚の時は馬泥棒として懲役が下ったが、夫婦共々模範囚として過ごしたので刑期が短縮された。 | |
【槍の又左】前田利家 | 戦国時代に活躍した武将で、豊臣政権五大老の一人。槍の又左の異名を持つ。小姓として織田信長に仕えた。のちに紫田勝家の下で各地を転戦し、名を上げて大名となる。賤ヶ岳の戦いの後、秀吉に仕え五大老に任じられた。加賀百万石の祖。 | |
【ランバル公妃】マリー・ルイーズ | フランス王妃であるマリー・アントワネットの女官長。慎ましやかな性格で、アントワネットの寵愛を受けながらもその好意を利用することなく献身的に仕えた。フランス革命の際も王妃のためにフランスへ帰国し、最後まで寄り添った。 | |
【怪力無双の荒法師】武蔵坊弁慶 | 比叡山を追放された荒法師。千本の太刀を奪うことを目指すが、あと1本というところで源義経に敗れ、彼の家来になる。義経の忠臣として功を挙げ、源頼朝と義経が対立した際は義経を守るために矢が降り注ぐなか戦い、立ったまま息絶えた。 | |
【雑賀鉄砲衆】無二 | 雑賀衆の中でも、特に鉄砲の腕に優れた人物の一人。狙いを一度も外さなかったことから、「無二」の異名で称されたと言われるが、本名や人物像は謎に包まれている。雑賀孫市のもと、蛍や下針ら他の鉄砲の名手と共に活躍した。 | |
【女房三十六歌仙】紫式部 | 女房三十六歌仙の一人で、平安時代の女流作家。和歌や漢文などの才に秀で、中宮・彰子の女房兼家庭教師を務めた。長編小説「源氏物語」の作家であり、ほかに彰子の出産の諸事を記した「紫式部日記」も執筆している。 | |
【首謀者】由井正雪 | 江戸時代前期の軍学者。楠木正成の子孫を称する楠木正虎の子・正辰より南木流を継承し、神田に軍学塾「張孔堂」を開く。1651年、3代将軍・家光の死をきっかけに浪人と組み幕府転覆を目論むが、決起寸前に計画を密告されて頓挫した。 | |
【英雄の娘】ユリア | カエサルの娘。既婚者であったが、三頭政治の実現を目指す力エサルが、2 0歳以上も年の離れたポンペイゥスにユリアを嫁がせた。しかし、夫婦仲は大変良かったと伝わる。ユリアは人を惹きつける魅力を持ち、ローマ市民からも愛された。 | |
【伝説の錬金術師】ヨハン・ファウスト | 16世紀ドイツの占星術師、錬金術師。ファウス卜博士とも呼ばれる。錬金術の実験中に無惨な死を遂げたことから、様々な伝説が生まれた。魔術に精通していたといわれ、悪魔・メフィス卜フェレスと契約したという話が有名である。 | |
【ポリニャック公爵夫人】ヨランド・ド・ポラストロン | マリー・アントワネットの取り巻きの1人。機転が利く賢い女性で、マリー・アントワネットに近付いて彼女の寵愛を手に入れた夫人は、その立場を利用して権勢を欲しいままにした。没落しかけていた身から巧みに宮殿に返り咲いた。 | |
【インドのジャンヌ・ダルク】ラクシュミー・バーイー | インド、ジャーンシ王国の王妃。夫の病没後、後継者不在を理由にジャーンシ王国はイギリス領に併合される。1857年にインドの大反乱が勃発すると、兵士を率いて徹底的にイギリスに抗戦した。「インドのジャンヌ・ダルク」と称される。 | |
【心火の皇后】リキニア・エウドクシア | ウァレンティ二アヌス3世の皇后。夫がぺ卜口二ウス・マクシムスに殺されると、エウドクシアは彼と結婚させられた。夫の殺害者と結婚させられたエウドクシアはヴァンダル族の王ガイセリックに協力を求めた。ガイセリックは素早くローマを急襲し、ぺトロ二ウスは討たれた。 | |
【紅の戦姫】梁紅玉 | 「万人敵」と称された中国の宋の軍人・韓世忠の妻。中国史の中で泰良玉と並び、人気がある女将軍。元は妓女だったが韓世忠を見初めて嫁ぎ、夫と共に金軍と戦った。黄天蕩の戦いでは太鼓を打ち鳴らして指揮を執り、金軍を翻弄する。 | |
【伝説の弓使い】ロビン・フッド | 中世イングランドの義賊。シャーウツドの森に住む弓の名手で、大男のリトルジョン、聖職者のタック坊主ら仲間たちと共に、領主に抵抗したという。吟遊詩人たちによって物語となり、大衆に広まっていった。 | |
【ドラキュラ公】ヴラド・ツェペシュ | 現在のル一マ二ア南部、ワラキア公国の君主。オスマン帝国の侵攻を受けるが、ヴラドは焦土作戦を展開して撃退する。敵兵や自国の民を多数串刺し刑に処したことから、串刺し公と呼ぱれた。ドラキュラ公のモデルのひとりでもある。 | |
【希代の快男児】前田慶次 | 本名、前田慶次郎利益。日本史上最も絢爛たる安土桃山の動乱期を疾駆した、戦国一の快男児。身の丈六尺五寸(197cm)を越える大柄な武士で凄まじい“いくさ人”ぶりであった。自由をひたすら愛し命を賭した遊びを楽しんだ当代きっての傾奇者。 | |
【頼光四天王】坂田金時 | 童話のモデルとなっており、金太郎の名で広く知られている人物。金太郎は、彼の幼名であるといわれる。幼少期にクマと相撲を取っていたなど、腕っぷしの強さを象徴する伝承が多い人物である。 | |
【日の本一の兵】真田幸村 | 智謀の将、真田昌幸の次男でまたの名を信繁。後に徳川家康に"日の本一の兵"と恐れられたが、人質として豊臣秀吉に預けられていた。慶次の愛馬松風に惚れる。その一途でまっすぐな性格は慶次にも好まれ、秀吉拝領の名馬を初陣の祝いで譲られた。 | |
【終極の軍師】郭嘉 | 字は奉孝。荀彧に推挙され曹操に仕える。若い頃から将来を見通す洞察力に優れ、呂布攻めや袁紹との戦いで的確な献策をし、魏の勝利に大きく貢献した。三十八歳の時に病に倒れそのまま病死。有能な郭嘉の死に曹操は深く悲しんだ。 |
★3(R)
画像 | キャラ名 | プロフィール |
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【姫神継承者】壱与 | 卑弥呼の跡を継いだ女王。卑弥呼の死後、一旦は男性の王が立てられたが、邪馬台国は内乱状態に。そこで再び女王が立てられることとなり、弱冠13歳の壱与に白羽の矢が立った。女王を得た邪馬台国は壱与の賢明な指揮により治まった。 | |
【悋気の皇妃】ウィビア・サビナ | 第14代ローマ皇帝ハドリアヌスの妻。ハドリアヌスとは17歳の頃に結婚。子はなかったが生涯夫を支え続けて、「アウグス夕」の称号を与えられ128年の貨幣に刻まれる。死後、帝によって神格化された。 | |
【民の英雄】ガイウス・マリウス | 共和政ロ一マの軍人。平民の出身であり、兵士としてロ一マ軍に加わった。多くの戦功を挙げて昇進を重ね、護民官となる。マリウスは門閥派と対立し、民衆からの人気を得た。紀元前108年には執政官に当選し、大胆な軍制改革を行う。 | |
【雑賀鉄砲衆】小雀 | 雑賀衆の一人で、空を飛ぶ小雀を撃ち落とすほどの鉄砲の名手。雑賀衆には、小雀のほか、蛍や鶴首、発中などといった異名で呼ばれる撃ち手がいたことが記録されている。彼らの鉄砲の腕前は、あの織田信長をも大いに苦しめた。 | |
【不惜身命】真田幸村 | 信濃・上野の戦国大名、真田昌幸の子。大坂夏の陣では徳川家康の本陣に突入する活躍を見せ、「真田日本一の兵」と讃えられた。本名は真田信繁であるが、江戸時代の軍記物語や講談に「真田幸村」の名で登場して以来、その名が定着した。 | |
【革命の大天使】サンジュスト | フランス革命時代の革命家。両性的な美貌と冷厳な革命活動から「革命の大天使」と呼ばれた。25歳で国民公会議員に選出され、ジャコバン派に属す。多くの演説を行いながら、同僚のロペスピエールと共に行政改革を進めた。 | |
【女房三十六歌仙】清少納言 | 女房三十六歌仙の一人で、平安時代の女流歌人。随筆「枕草子」を著した作家でもある。中宮・定子に仕え、才媛ぶりを発揮した。同じく一条天皇の中宮・彰子に仕えた紫式部が清少納言を敵視し、彼女を酷評する文章を残している。 | |
【少年王】ツタンカーメン | 古代工ジプ卜第18王朝のファラオ。父・アメンホテプ4世が改革事業の途中で亡くなったため、改革を白紙に戻そうとした神官たちによって齢10歳で王位に就いた。己が傀儡だと知りつつ、虚弱な体ながら民のために懸命に心を砕いた。 | |
【ゲルマニクス】ドルースス | ロ一マ帝国の軍人。母の再婚相手・オク夕ヴィアヌスの配下として、兄・ティべリウスらと共に活躍した。ゲルマン人との戦いで多大な功績を挙げ、ゲルマ二クスの称号を受けた。称号の「ゲルマ二クス」は、彼の子の名前として受け継がれる。 | |
【武田二十四将】内藤昌豊 | 武田家臣。信玄・勝頼の2代に仕えた武田四名臣の1人。父・工藤虎豊が先代の信虎に誅殺されたため武田家から出奔していたが、信玄が当主の座に就いた際に呼び戻され、侍大将に任命される。川中島の戦いでは奇策を用いて不戦勝を成した。 | |
【源氏の三与一】那須与一 | 源義経軍の武将。弓の名手であり、屋島の戦いでの名場面「扇の的」が平家物語に描かれている。本格的な合戦が始まる前、平氏方から竿の上に旭日の扇を立てた小舟が漕ぎ出された。与一はこれを見事に射落とし、源氏の士気を高めたという。 | |
【奥州の躍動乙女】猫御前 | 伊達政宗の側室。伊達一門である飯坂家の出身。1591年、政宗の第一子となる秀宗を産む。秀宗が豊臣秀吉への人質となり、猫御前も京都で暮らした。猫御前とは愛称で、ネズミを追いかける姿が愛らしく思った政宗がそう名付けたという。 | |
【北政所】ねね | 豊臣秀吉の正室。身分が低い頃の秀吉と恋愛結婚したといわれる。秀吉の浮気癖を信長に訴えたことがあり、 信長がねねをなだめた書状がある。実子は無かったが、加藤清正や福島正則ら秀吉の縁者を養育した。北政所と呼ばれ、政務も担った。 | |
【恋する忍】初芽 | 安土桃山時代の女性。徳川家康が石田三成に送り込んだ女忍者とされている。三成の側室として潜り込むことに成功したが、三成の真っ直ぐな人柄に惚れ込んでしまい、家康を裏切って本当の側室のような存在になったという。 | |
【武田二十四将】馬場信春 | 武田家臣。信虎・震源・勝頼の3代に仕えた武田四名臣の1人。軍事面で残した多くの功績から初代家老衆に取り立てられ、武田氏譜代の名門・馬場氏を継ぐことを許された。享年まで戦場で負傷したことがなく「不死身の鬼美濃」と呼ばれた。 | |
【風魔頭領】風魔小太郎 | 相模の忍者 ・風魔衆の5代目頭領。軍記物語にょれば、身長2m以上の大男だったという。風魔衆は北条家に仕える忍者集団で、合戦で敵軍を攪乱するなど暗躍した。彼らの影での働きもあり、北条家は五代に渡って関東に大きな勢力を誇った。 | |
【物語を紡ぐ妻】マティルダ・オブ・フランダース | イングランド王ウィリアム1世の妃。ノルマンディー公の7代目だった夫・ウィリアム1世が、イングランドに侵攻して王となった。この侵攻を記念した刺繍画「バイユーのタペストリー」は、マティルダが発案者とも言われている。 | |
【上総曹司】源義朝 | 平安時代末期の武将。源頼朝・義経の父。衰退していた源氏を立て直し、棟梁となった。保元の乱では後白河天皇側につき、崇徳上皇側についた父・為義や兄弟たちと敵対する。後白河方が勝利したのちに父の助命嘆願をしたが、却下された。 | |
【麗しの奥州美姫】愛姫 | 伊達政宗の正室。結婚後しぱらくは子が無かったが、2 7歳で五郎八姫を産むと、世継ぎとなる忠宗など3男1女をなした。実家・田村家は豊臣秀吉により改易されていたが、愛姫の孫にあたる伊達宗良が田村姓を名乗り、再興を果たした。 | |
【恋の焦熱地獄】八百屋お七 | 江戸に住む八百屋の娘。1682年の暮れに発生した大火で、お七は避難先の寺の寺小姓と恋仲になる。自宅に戻ったあとも彼のことが忘れられず、もう一度寺で避難生活を送りたいと考えたお七は、ついに自宅に放火してしまい、捕らわれた。 | |
【祖国の母】リヴィア | 初代ロ一マ皇帝オク夕ヴィアヌスの妻。オク夕ヴィアヌスは、終生リヴィアを深く愛したとされる。オク夕ヴィアヌスの没後は、リヴィアと前夫の子であるティベリウスが2代皇帝となり、リヴィアは皇帝の母として強い影讐力を持った。 | |
【徒歩王】ロロ | ノルマン人の部族の長で、初代ノルマンディー公。バル卜海やフランス北部などで海賊行為を働いていたが、西フランク王国のシャルル3世と条約を結び、フランス北西部沿岸に土地を得る。そしてノルマンディ一公に封ぜられた。 |
★2(HN)
画像 | キャラ名 | プロフィール |
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【赤穂浪士】大石内蔵助 | 赤穂藩の筆頭家老。普段は温厚で目立たず、「昼行燈」とあだ名されていた。しかし、主家取り潰しに際して高い能力を発揮し、赤穂藩の混乱を回避。取り潰しから1年半後、旧 ・浅野家臣をまとめ上げ、主君の仇である吉良上野介を討った。 | |
【文王】姫昌 | 殷王朝末期の周の王。周王朝の創始者・武王と姫旦の父で、一般的には「文王」の名で浸透している。善政を執りながら呂尚などの有能な人材を集め、渭水盆地を平定して周王朝の基礎を築いた。のちに儒家から理想の君主として崇められる。 | |
【葵を支えし名君】保科正之 | 2代将軍・徳川秀忠の子。保科正光に養育され、その後継者となった。実兄である3代将軍・徳川家光に重用され、江戸市街の防火政策などで功を挙げる。また、会津藩の初代藩主としても善政を敷き、江戸初期の三名君と賞された。 |
★1(N)
データがありません
武器
☆5(SSR)
画像 | 武器名 | プロフィール |
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雑賀八咫烏 | 徹底して実践的な造りの火縄銃。戦国時代最強の傭兵集団「雑賀衆」を率いる雑賀孫一が手がけたとされる。台尻を大きくして握りやすくし筒と銃口の直径を等しくすることで、より正確に照準を合わせることができる。 | |
三尖両刃刀 | 先端が三又に分かれている刃を持つ薙刀。封神演技の中で、二郎真君が愛用していたことから、別名「二郎刀」とも呼ばれる。 | |
天魔波旬 | ||
吾輩の棍棒 | 愛らしい吾輩の顔があしらわれた、かっこいい棍棒なのである! | |
吾輩の剣 | 愛らしい吾輩の顔があしらわれた、かっこいい剣なのである! | |
吾輩の薙刀 | 愛らしい吾輩の顔があしらわれた、かっこいい薙刀なのである! | |
吾輩の砲 | 愛らしい吾輩の顔があしらわれた、かっこいい砲なのである! | |
吾輩の槍 | 愛らしい吾輩の顔があしらわれた、かっこいい槍なのである! | |
吾輩の弓 | 愛らしい吾輩の顔があしらわれた、かっこいい弓なのである! | |
アルタン・ウルク | ||
八幡弓 | ||
天羽々斬 | ||
朱槍 | ||
倚天の剣 | ||
方天画戟 |
☆4(SR)
画像 | 武器名 | プロフィール |
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鴉軍顕正 | 李克用が戦で用いた愴。彼が率いた軍は黒い衣装で統一されていたことから「鴉軍」と呼ばれ、その名を聞いただけで敵は恐れおののいたと言われる。この槍で李克用は鴉軍の正義を高らかに示し、味方を鼓舞した。 | |
浅井一文字 | 浅井長政の愛刀。お市の方の輿入れの際に、織田信長から贈呈された。長政の死後、娘の荼々に伝わるが大阪城の落城後に紛失。その後、末娘の江の夫、徳川秀忠の下ヘと伝わるが、秀忠はこの刀を前田利常に贈ったとされる。 | |
浮世刀 | 化政文化を代表する浮世絵師である葛飾北斎が筆の合間に振るっていた刀。銘はなく、筆を振るうように振るわれたことから風景を意昧する浮世の名が付けられた。 | |
エオンナガタ | シュヴァリ工・デオ ンが竜騎兵の隊長として、七年戦争を戦う際に用いた剣。エオンナガ夕とはデオンの騎士と歌舞伎の女形を合わせた造語で、彼の一生がバレエとして演じられている。 | |
エル・ドラコ | 史上二番目に世界一周を成した海賊、フランシス・ドレイクの使う銃。後にイギリス海軍の中将となり、スペイン人から悪の化身と呼ばれた彼を象徴するこの銃は、彼のあだ名である「ドラコ」の名が付けられた。 | |
エローガリア | フランス最初の英雄と呼ばれたウェルキンゲトリクスが、戦場で振るったとされる薙刀。アレシアの街で力工サルに降伏する際に武器を投げ捨てる絵画が描かれているが、その際に持っていたものもこれだと言われている。 | |
お肉 | 南蛮王孟獲の持つお肉である。お肉のような武器ではなく本物のお肉である。これを武器として扱うことは食物を粗末にしているようにも見えるが、突き出た骨の先端で刺突するよう調整されているため戦闘を経ても可食部は汚れず損なわれない。いつでも美味しく頂くことができるのだ。 | |
火神圏 | 南蛮王孟獲の妻、祝融の圏。圏は中国の格闘武器であり環の外側での攻撃の他、投擲、または環の内側で敵の武器を絡め取ることもできる。祝融は火の神「祝融」の末裔とされ、火神圏の名もこれに因む。諸葛亮の南征に抗した際、祝融はこの圏を手に戦い、蜀将張嶷と馬忠を捕えた。 | |
ギフトフォーミー | プレゼントのようにきれいに装飾された剣。剣を振るのが趣味のあなたにぜひ持っていただきたい一振り。そう、自分にギフトフォーミー! | |
クリスマスラッシュ | 切っ先に星がきらめく、クリスマスツリーを模した剣。ひとたび振れば、ハッピーな気分でクリスマスを過ごせること間違いなし! | |
鯉のぼり | あの鯉のように、青空を泳ぐことができたら気持ち良いだろうなあ。 | |
白バラの剣 | 麗しいバラに、あの人への愛をのせて。 | |
シングル・ベル | 大きなベル型の棍。セイ、ジングルベール!ジングルベール! | |
女公の細剣 | 女公ジャンヌ・ダルブレの剣。プ口テス夕ントとして信仰を深め、ユグノ一戦争時にはカトリックに改宗していた夫のアン卜ワ一ヌに背き、ユグノ一側について戦った。この剣はその戦争で用いられた。 | |
女帝の弓 | 神聖ロ一マ皇帝であるカ一ル6世の娘、マリア・ テレジアの弓。彼女はこの弓を用いて夫フランツ・シュテファンと共に、オ一ス卜リア継承戦争や七年戦争を戦った。 | |
聖夜の薙刀 | 薙刀にあしらわれたクリスマスリース……。節操がない?ノンノン、和洋折衷ですよ! | |
赤虎槍 | 甲斐の虎を継ぐ武田勝頼の槍。武田信玄の意思と、戦国最強である「武田の赤備え」を継ぐ者として、柄が赤く塗られた槍を用い勢力を拡大していた信長と激しい戦いを繰り広げた。 | |
孫武の槍 | 「孫子の兵法」の孫武に関係があるとされる武器だが、真偽は不明。槍先は春秋戦国時代の銅剣であり、それを柄と接続することで現在の姿になったとされる。しかし武器としての性能は充分以上に備え、突き味は業物のそれ。元が古い銅剣であったとする言すら、偽りであるかもしれない。 | |
平の大薙刀 | 平家最強の将、平教経の薙刀。たびたびの戦においてただの一度も不覚を取ったことがない、と「平家物語」で伝えられるほどの猛将。数々の過酷な戦で平家一門が衰退してい中、教経とこの薙刀は最期まで源氏を苦しめた。 | |
鷹の羽子板 | あけましておめでとうである!空を飛ぶ鷹よりも、トラの方が強くてかっこいいのである! | |
ツリーランス | 戦う時にも、クリスマスの気分を忘れない。そんな時候を大事にするあなたにピッタリな槍です! | |
天光丸 | 源義家の愛刀。土から光が差してるところを掘ったら、この太刀が出てきたのでこのように名づけられたとされている。かの天下五剣、「童子切安綱」と同じ鉄で打たれた雌雄の御太刀として伝わる。 | |
ディクタトル | ロ一マ帝国の終身独裁官となったスッラを象徴する槍。閥族派の指導者として民衆派と数々の激しい内戦を繰り広げたスッラが振るうこの槍は、味方の兵たちに畏敬の念を抱かせ、彼を独裁官へとたらしめた。 | |
なすの羽子板 | あけましておめでとうである……。どうして我輩の頭になすが乗っているのか、理解に苦しむのだ……。 | |
ノエル・アクス | ふるうたびに、ベルの軽やかな音色が響くすてきな斧。攻撃するたびに楽しい気持ちになれるかも!リンゴン鳴らして、敵を両断! | |
“のぞき龍”景光 | 楠木正成の愛刀。備前長船景光の作で、柄と刀身を結ぶ「はばき」 と呼ばれる部分に倶利伽羅竜(くりからりゅう)の彫りがある。磨上という加工によってこの竜の彫りの大部分が柄に隠れてしまい、頭だけが顔を出していることから「のぞき龍景光」と呼ばれた。 | |
白面金毛鎚 | 白面金毛九尾の狐が化けた姿とされている姐己の槌。数々の甘言を弄し、紂王と共に悪逆の限りを尽くした彼女は後世において悪女の代名詞となった。 | |
覇剣・酒池肉林 | 紺王が臣下の諌言を間き入れず、処刑する際に用いていた剣。日夜宴会を開くなど贅の限りを尽くした彼の行いから、後世において度が過ぎた享楽は「酒池肉林」と呼ばれるようになった。 | |
華魅刀 | おいしそうな団子が刺さったお花見に特化した刀。この団子は、甘味通として知られる織田信長も思わず笑顔になる味だったとか……。 | |
パーティーライフル | パーティーの始まりを告げるのは、このライフル!さあ、開幕を告げてレッツパーティー! | |
富士の羽子板 | あけましておめでとうである!富士より高いトラなのだ! | |
不撓不屈 | 足利直冬の薙刀。室町幕府将軍、足利尊氏の血を引くが実子として認知されず、戦功を立てても評価されないことから、尊氏ヘの思いが憎悪へと変わっていく。そういった境遇にありながら戦い続ける姿から、彼の薙刀に「不撓不屈」という名が付けられた。 | |
フラメルの錬金弓 | ぺレネレが使う、妖しさ溢れる弓。夫である二コラ・フラメルが彼女のために錬金術で精製した。その弓から放たれた矢に射抜かれた傷跡は、決して癒えることはない。 | |
マグヌスコンスル | スッラからマグヌス(偉大な)と称されたポンペイウスの剣。マグヌスコンスルとは偉大なる執政官の意味を持つ。ヒスパニア遠征、剣闘士の反乱を戦い抜き執政官となった彼の剣を、民は彼自身の象徴として称した。 | |
メイデンブラッド | その名の如く、真紅の剣。持ち主であったエルジェーベトは少女の血を求め、この剣で多くの命を奪った。それ故に、刀身は少女たちの血で染まったといわれている。 | |
楊無敵の槍 | 楊無敵と号されるほどの猛将である、楊業の槍。遼の屈強な騎馬軍団に宋の軍団が打ち負かされる中、楊家軍のみは何度も遼軍を撃退し民衆を守り抜いた。 | |
ラッピングアロー | ||
ラブトゥーユー | 「愛の一突き……受け取って!」乙女の愛と勇気のこもった槍。愛には痛みも伴うのです。 | |
レスパーダ | 剣闘士の指導者として知られるスパル夕クスの剣。レスパ一ダとはイ夕リア語の「レ(王)」と「スパーダ(剣)」を合わせた造語で、「王の剣」を意味する。スパル夕クス専用のグラディウス。 | |
訳聖の弓 | ||
六韜・三略 | ||
童子切安綱 | ||
ジュワユーズ | ||
謀神の漆弓 | ||
覇鎚・羅生門 | ||
真打・泥足毘沙門天 | ||
パラソルライフル | 雨の日も、お気にいりの傘があればゴキゲン☆銃弾の雨を降らせてね! |
☆3(R)
画像 | 武器名 | プロフィール |
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アインハイト | ゲ ルマン諸部族の統率者としてロ一マと戦ったアルミ二ウスの剣。アインハイトとはドイツ語で「ー致団結」の意味であり、彼はこの剣で仲問を守り、時に鼓舞した。 | |
アルクス | 古代ロ一マの射手闘士が使っていた弓。弓幹には木をベ一スに動物の皮、骨、金属が使用され、弦は麻のような強靭な繊維を併せて製造した。矢も用途に応じて鏃に毒を仕込んだり、火を付けたりして使用していた。 | |
岩融 | 平安時代の刀工「三条宗近」が作ったとされる。武蔵坊弁麓が愛用し、あらゅる武芸者達に勝ち続けた伝説的な武器である。彼の大きな体に合わせて長大な作りになっている。 | |
大鉞 | まさかりの中でも一回り大きく、両手で取り扱うことを前提としている。樹木を叩き斬る道具として作られたまさかりよりも、城門や砦の破壊など戦闘面での用途を重要視された。 | |
カジィクル・ベイ | ル一マ二アの南部、ワラキアと呼ばれる公国を治めていたヴラド3世の薙刀。力ジィクル・ベイとは卜ルコ語で「串刺し公」の意昧であり、自国の貢族や民も数多く串刺しにして処刑した彼を体現した言葉である。薙ぐよりも突くことに重きを置いた武器。 | |
唐様太刀 | 中国風に装飾を施した華麗な飾り太刀。中国風に飾っていることから唐様の名が付いた。主に神事など儀式を執り行う際に使用され、聖徳太子が帯刀していた刀も唐様太刀といわれている | |
菊池槍 | 南北朝時代の蒙族、菊池武光が竹の先に小刀を付けた武器を作ったのが発端となって生まれた槍。菊池武光はこの槍を使用して千人の兵で三千の兵を破った。その事から「菊池千本愴」と称され、日本の戦で槍が使われる魁となった。 | |
クレセントアクス | 巨大な三日月状の刃が付いた戦闘用の斧。その形状から「三日月型の斧(クレセントアクス)」と名前が付いた。長い刃渡りに対して柄はそれほど長くないので、小回りが利く。 | |
グロウシード | 西部開拓期の伝説的人物として知られるジョ二一・アップルシードの弓。彼は銃を持つ代わりにこの弓を携えて各地を渡り歩き、行く先々でリンゴの種を植え人々を笑顔にしたとされる。 | |
好の戦棒 | 中国史における最初の女性軍事家である婦好が持つ棒。武丁に愛された彼女は、周辺国家や部族との戦闘の際に兵を率いて付き従い、この棒を用いて多大な戦果を挙げた。 | |
篭手切正宗 | 越前朝倉家に伝わる刀。第3代当主の朝倉氏景が、京都東寺の合戦で敵大将の篭手を切り落としたことから「篭手切貞宗」と称された。朝倉の没後に銘が改められ、「篭手切正宗」として享保名物帳に所載された。 | |
重藤弓 | 木材と竹をにかわで固定して弓幹に藤を巻き付けた弓。この巻き付け方を重藤という。弓全体が漆黒に塗装されており、当時は高級な弓として扱われていた。狙いを定めやすくするために握りの上に2本の赤い筋が入っている。 | |
シャーウッド・ボウ | 吟遊詩人たちによって語り継がれるロビン・フッドの弓。彼が仲間とともに暮らしたとされる「シャ一ウッドの森」の木から作られた。柔らかいしなりから放たれる矢は勢いがよく、彼の弓の腕を世に知らしめるきっかけとなった。 | |
諸行無常 | 平清盛の薙刀。平安時代の合戦は一騎打ちが主流で、太刀よりも長さのある薙刀が流行った。清盛はこの薙刀で保元の乱、平治の乱にて多大な戦果を挙げ、後に平氏が栄華を極める礎となった。 | |
ズールーの戦棍 | 1部族であったズール一族を大陸の大半を総ベる勢力にまでまとめあげたシャ力の棍。シャ力はこの棍を用いて他の部族を躁躊し、生存者を吸収して勢カを伸ばした。 | |
種子島 | 火縄銃の形態の一つで、前装式で滑腔銃身のマスケッ卜銃。1543年に種子島に伝来したことから「種子島」と呼ばれた。遠距離の敵を高確率で仕留めることに適している。 | |
薙鎌 | 長柄の鎌のー種。武器を絡め取ったり馬上の武士を引っかけて落とすために開発された為、先端が熊手のように直角に曲がっている。流派によっては長柄鎌、八重鎌とも呼ばれていた。 | |
ハスタ | 古代ロ一マで広く使われていた槍。木の葉のような形状の穂先が特徴。全長2mあるにもかかわらず軽量なので、投擲として使用することもできる。ロ一マ軍の主力戦カとして重宝された。 | |
バレット・クイーン | 山賊女王と呼ばれたベル・ス夕一が愛用していた銃。彼女は馬に跨って荒野を駆けながら、この銃を用いて暴れまわった。彼女の波乱に満ちた人生を共にした銃で、彼女が呼ばれた名前から「クイーン」の名を冠する。 | |
ファルカタ | 斬るだけでなく刺突にも優れた非常に強力な剣。イベリア半島からローマに伝わったため、スぺイン剣とも呼ばれる。剣の質の高さに注目したハン二バルやスキピオはファル力夕を軍に導入し、勝利を刻んだ。 | |
マヌカルニカの槍 | インドのジャンヌダルクと称されたラクシュミー・バーイーの槍。マヌ力ル二力とは彼女の幼名で、彼女は幼いころから父親にょって馬術の手ほどきや武器扱いなど、いろいろな教育を受けた。 | |
名宰相の戦斧 | エリザベス1世から「名宰相」と認められていた政治家の斧。彼はこの斧を用いて武勲を上げ、イングランドの最高勲章であるガー夕一勲章を授かった。 | |
メフィストフェレス | 悪魔と契約したとされる錬金術師、ヨハン・ファウス卜の銃。自ら錬金術によって精製した銃に、彼は契約した悪魔の名を付けた。悪魔の名を冠するこの銃から放たれる弾丸は、狙った相手を必ず撃ち抜くという。 | |
ランス | ヨ一ロッパで騎兵に使われた槍。金属で出来た円錐形の柄に尖った穂先を付け、柄の根本はバンプレー卜と呼ばれる傘状の鍔が拳を保護している。馬に乗った状態で突き刺すことを想定しているため長く重い。 | |
レガトゥス | ユリウス・力エサルの盟友として知られる軍人、ラビ工ヌスの槍。レガトゥスとは総督代理の意味で、彼はカエサルの代理としてガリア戦争で兵を指揮し、この槍で味方を鼓舞し、敵を雄々しく貫いた。 |
☆2(HN)
画像 | 武器名 | プロフィール |
---|---|---|
アイアンソード | 鉄で製造された簡素な諸刃剣。誰でも簡単に扱うことが出来る代物で、新人兵士から熟練兵士まで技量を問わず多くの兵が使用した。素材も比較的手に入れやすいので製造しやすい。 | |
梓弓 | 梓の木で作られた弓。魔除けに鳴らす弓としても使われ、甲斐国や信濃国から都に献上された。使用者は主に神職で中でも、梓巫女と呼ばれる祈祷師が有名である。梓巫女は厄落としや口寄せ、占いを行う際に梓弓を使用した。 | |
クロスボウ | 板ばねの力で射出する機械式の洋弓。台座方向に対して垂直に弓部分が取り付けられていることからクロスボウと呼ばれる。修練を要する口ングボウと異なり、弓術の心得がない者でも簡単に扱える。 | |
棍棒 | 原始的な殴打用の武器。打撃部分を太く膨らませることで命中率を上げている。棍棒は古人が手にした木の棒や骨が発祥であるとされ、様々な形や名前で時代や地域を限らず普及した。 | |
コンボジットボウ | 複数の素材を組み合わせることで射程距離を伸ばし矢速を向上させた複合弓。弾カのある素材と芯になる硬い素材を組み合わせることにより、弓術に必要な強度と弾カを高めた。 | |
サイズ | 死神の象徴ともされる巨大な鎌。草を刈るための晨具だったが大きな刃を持つ鎌は農民が使い慣れているということもあり、農民軍の武器としても使用された。水平方向へ振り回すことで周囲に大きな斬撃を与える。 | |
ショートスピア | 棒の先端に尖った穂先を取り付けたシンプルな武器。有史以前の狩猟時代から存在し、刺突以外に投擲としても使われた。戦場でも集団戦、騎上戦、遠距離戦などあらゆる局面で梗用できる。 | |
直槍 | 素槍とも害く、一般的な槍。槍身に枝刃のなぃものを直槍、枝刃のある形のものを鎌槍という。 | |
手鉾 | 屈曲したS字の刀身を持つ薙刀の一種。あまり湾曲していない片刃諸刃の夕ィプもある。前者は携帯しやすい小ぶりの武器として、後者は金蛭巻きを補強した蛭巻き手鉾にして使用していた。 | |
馬上筒 | 馬上用に銃身を短くした火繩銃。火縄銃は馬上で弾丸を装填するのが難しく、また重い銃を持ちながら馬を走らせることができなかった。そういった経緯から馬上筒が誕生し、銃身を短くすることによって両方の弱点を克服した。 | |
メイス | 頭に複数の突起をつけて破壊カを強めた棒。頭部の形状は様々で、鉄球や放射状に出縁と呼ばれる鉄片を並ベたものがある。古代では骨や石、木を組み合わせた単純な武器として広く使用した。 | |
脇差 | 本差が使えないときに使う予備の短い刀。小刀とも呼ばれ、江戸時代の武士は本差と脇差を併せて腰に差すことが定められていた。脇差のみならば武士以外の身分の者でも持つことができる。 |
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