【黒ウィズ】呪影の少女 Story
2016/05/23 |
目次
夜ごと見る夢に、美しい影がひとつ。
色はわからない。輪郭もない。ただゆらゆらと揺れ続けている。
考えてみれば……それが影であるかすら怪しいものだが、ともかくそれは影のようなものに見えた。
「…………。
決まってこの夢だ。
ぼくは、この夢ばかりを見る。
あれは美しい影だ。ぼくにはない、美しい影だ。
でも影には触れない。届かない。ぼくの手は影を掴むことができない。
困ったな……ぼくは何を置いても、あの影がほしい。あの美しい影を、ぼくのものにしたい。」
それを見るたび、もはや失われて久しい半身が“疼く”。
ほしい、何を差し置いてもほしい。
まるでそう話りかけるように、半身が轟いている。
だけど無理だ。シエオラはかぶりを振る。
「国を思うなら、そんなことはできない。」
この小国は、ただひとりの主上で成り立っているといっても過言ではない。
国民でも領地でも、あるいは武力でもなく、主たる者ただひとり。
民は神のごとく崇め、敵国の王ですら、その姿を見て傅くという。
ここが様々な敵に飲み込まれず、ただひとつの国家として在り続けられるのは、主上がいるからにほかならない。
「……どうしようか。」
この少女、シエオラこそが、主上である。
「…………。」
国は、シエオラがいるから成立している。
民は、シエオラがいるから国にいる。
敵は、シエオラがいるから攻め入れない。
それを思えば、おいそれと外に出ようなどとは考えないものだ。
しかし……。
「逃げるか。」
シエオラは、そんなことを気にしなかった。
主上は、一国民ごときが理解できる程度の器ではなかった。
「荷物をまとめよう。……見つからないうちに。」
「外界の俗物に触れることは、御身の為になりません。」
不意に聞こえてきたのは、騎士の声。
国が抱えるふたつの武力のひとつである。
「……あ。」
「人ならざる異形の侵攻により、国より外は既に混沌の様相を呈しております。
御身を危険に晒すことは、たとえ主上の命と言えど出来ません。」
「……また堅苦しいことを。」
「なんと言われようとなりません。よもやお忘れになったわけではありますまい。……あの惨劇を。」
「忘れていないからぼくは外に出たいんだ。この顔と、この体と、この心を奪った魔女から、ぼくは全てを取り戻したい。」
ある醜悪な魔女に、シエオラは大切な半身と、大切な心を半分奪われてしまった。
半身が淀む醜い少女は、だから取り戻したい。美しく至高と呼ばれた己が身を。
そのためには、ここに留まっているわけにはいかないのだ。
「わかってほしい。君たちの主は何も民を蔑ろにしたり、国への愛を失ったわけではない。
この身では、愛すべき民に示しがつかない。
セルマ……ぼくは霜降りゴブリンとか、ゴーレムの舟盛りを食べたい気持ちも少なからずあるけど、目的は忘れない。
だから邪魔してくれるな。……行ってくる。」
「脂がたっぷり乗ったゴブリンなどグロテスクの極みです。なりません。
だいたい何ですか、食用のゴブリンとは。御身が、口にするものではありません。
「……ちっ。
仕方ない。ぼくはリシアのところに行く。セルマ、ついてきて。」
「大変よいお考えかと。」
リシア・アルデイルは、シエオラの言葉を最後まで聞いたあとで、鷹揚に頷いた。
「ほら。」
「待て、リシア。何を考えている? 我らが主上を危険に晒すなどと。貴様、それでも主たる者を守る騎士か?」
リシアは小さく肩を煉め、嘆息する。
騎士のひとり、リシアはシエオラの教育係も務める。
だが教育とは名ばかりで、彼女はシエオラの全てを肯定してしまう。
だだ甘であった。
「主上を護り、主上の敵を討ち果たす。己が責を、よもや忘れたとは言うまいな?」
「主上より賜った力が騎士の証。セルマ、あなたこそ、それを忘れたわけではありませんね?
主上が隣国を潰せと仰るのなら、私は塵芥も残さない。」
主上が民を殺せと仰るのなら、無慈悲に刃を走らせましょう。
だから主上が行くと仰るのであれば、我々が付き従うのは至極当然のこと。
さあ、行きましょう、主上。私めが、御身の守護を果たしてみせます。」
「待て。こっちへ来い、貴様。主上、今しばらくご猶予を。」
「うん。」
2対の騎士は、シエオラから離れた。
目が届いていなくとも、決して意識を逸らしていないことは、遠くのシエオラも気づいていることだろう。
「リシア。貴様、主上とふたりきりになれる、いい機会だと思っているのではあるまいな?
思っているわ。あなたを出し抜いて、主上に近づこうとさえ思っているわ。
でもそれが何? あの御方にこの身を捧げ、あの御方のため殉ずることの何がいけないの?」
「待て。私は貴様が主上のため命を賭すことにかけては、何も言っていない。」
軍を持たぬこの小国において、このふたりの騎士こそが武力であった。
万の軍勢を持つ数多の敵国を退けたのは、彼女たちだ。
だがこのふたりは、致命的に相性が悪かった。
「よいか。同盟を結んでいた遠国のルクス=テルラが滅び、我が国も既に“他人事”ではない状況だ。
領土も狭く、資源もないのに、存在し続ける此処を疎ましく思う敵国は無数に存在している。
加えて……かの帝国が侵攻を続けている。我らと我が民たちにとって至高となる主上を、この情勢の中、外に――」
「あの御方の意向は国の意志。否定することこそが不敬と知りなさい。襲い来るものなどこの力で容易に取り除けるわ。」
「……む。」
セルマが眉を寄せ、リシアを牌睨(へいげい)する。
不敬と言われ、黙っていられるわけがなかった。
「……ねえ、いつまで待たせるつもりなの? ぼくそろそろ出ちゃうけど。」
「お待ちください、主上。今、御身がおられない状況に陥ると、国は必ず攻め入られます。」
「国を思う気持ちはぼくも同じだ。君たちが無駄話に花を咲かせている間、ひとつ手を打っておいた。」
「さすが主上。これで後顧の憂いなく、国を出られるというものです。」
「うん。
それでね、君たち、いつもの出してもらえる?」
「はっ。」
「御意。」
ふたりの騎士が剣を持ち、小さく言葉を紡いだ。
互いを対となる色が包み込み、やがて現れたのは――
魔物と見紛うほどの“モノ”だった。
にらみつけて勢いを示すこと。
story2 主上たる者
影は、日ごとに少しずつ近づいてくる。
はじめは遠くに揺らぐ程度のものだったが、気づいた頃には息が吹きかかる距離にまで、迫ってきていた。
それはシエオラにとって不気味なものだったが、不気味であるとか、恐怖であるとか、ネガティブな感情は殆ど奪われてしまっていた。
「もうずっと眠れない日々が続いている。
今まで夢に見るだけだった影も、眠らないぼくの前に現れては消える。
このままじゃ、ぼくはいずれその影に飲まれて、ぼくという自我を失ってしまう。
一刻もはやく、ぼくは心と身体を取り戻さなければいけない。それが国と、民を守ることに繋がるのだから。」
『それでな、あたしな、言ってやったんだよ。ちょけてんじゃねェぞ、ぶっ飛ばされたくなきゃ有り金全部置いてけ――ってな。』
『え、ちょっと待って。何言ってるかわからない。私何言ってるかわからなかったわ。』
『だからな、このクソボケが頭のてっぺんから足の先までこの手で潰されたくなきゃ金持って来い――ってな具合よ。』
『え、うそすごいわ。さっきと言葉が違うことだけわかったわ。私、そこだけわかっちゃったわ。
『…………。』
『…………。』
『『あはははははーー!』』
「……。主上、ひとつ提案があるのですが。」
「なに? 言ってみて。」
「此奴らを引っ込めるわけにはいきませんか。」
『なんてことを!』
『ひどい言われようだ! 人権侵害だ!』
「元気があってよろしいではありませんか。ねえ、主上?」
「うるさいけどね。」
国を出て山を越えても、ふたつの声は止むことがない。
祝祭のウヴェルテューレ。夜宴のスケルツォ。
守護し、殲滅する者としてこの国に祀られていた神体である。
その2対を動くものとして力を与えたのがシエオラであり、セルマとリシアに下賜したのもまた彼女であった。
「これでは以前の暴力装置としてのほうが、まだやりやすかった。今ではよく喋る木偶だ。」
そして魔女に襲われたシエオラは、その身、その心を剥がれる前に祀られたふたつの神体に、己が感情を植えつけた。
魔女が取り出した断頭台に括りつけられ、首を落とされるものだと考えたことを、シエオラは思い出した。
今ならそんなことはない。恐怖感は全部魔女が持っていってしまった。
神体に宿った感情は、その時の残滓である。
ウヴェルテューレはシエオラの「慈愛」を。スケルツォは、シエオラの「憎悪」を。それぞれ身に宿している。
「主上によって捧げられた力を、木偶とまで言い捨てるとは、あなたは分を弁えるべきです。」
「面白いけどなかなか鬱陶しいよね。」
シエオラの特殊な能力は、他者や物に強大な力を与える。
セルマやリシアが騎士として国を守護できるのも、シエオラによるところが大きい。
神体を宿した彼女たちは、万の軍勢を滅ぼし、いくつもの敵国を討ち倒してきた。
「主上、ご再考を。」
「うーん。でも君が迷惑がってるの見るの楽しいし。」
「なっ――! しゅ、主上!」
「ぼくはね、楽しいと思えること、面白いと思えることがあると、ぼくであることを実感するんだ。
だから、ぼくは喜楽を与えてくれる君たちが好きだし、傍に置いているんだ。」
『まったくもって不可解だ。シエオラおまえは不可解だ。敵をぶっ殺しや勝手に最高の快感がくるってのに。』
「貴様ッ、何たる無礼を!」
口が軽く陽気なスケルツォは、しかしセルマの怒りにおどけた調子で返す。
『だってそうだろ? あたしとこいつはそのために生まれたんだ。主の憎むべき敵をぶっ殺すためにさ。』
「ふむ。……面白いことを言うな。だけどあまりぼくをいじめてくれるな。そういうのにはすぐに気付けないんだ。」
「……主上。あちらに村が。」
「ちょうどいい。少し休ませてもらおう。」
セルマが苦々しい思いを露わに下唇を噛む。
幸い此処は農業が盛んで、他国に作物を売ることで糊口を凌いでいるようです。
かの帝国に潰されだ縁起の悪い”場所など、誰しも触れたくないのは容易に想像できる。
農業が盛んだとはいえ、庇膝下に置くことで、いたずらに領土を広げることは出来ない。
シエオラは一切表情を変えることなく、けれど思案げに空を仰ぎ見た。
もう幾年も騎士として傍に仕えるふたりだが、魔女に襲われて以降のシエオラの心中を察することは出来ずにいた。
友好国であるとはいえ、あれは他国です。
帝国の侵攻を前に、敏感になっている今、そのような行動は慎むべきだろう。
友好的な関係にあるとはいっても、それが崩れるきっかけを作ってしまえば、いずれ争いにまで発展するかもしれない。
美味しいものを食べて美味しいと感じて、それをまた食してみたいと思うことの何か悪か。
相も変わらず淡々と口にして、シエオラはほうっと息を吐いた。
あとは、セルマとリシアに任せるよ。
story3 不気味に轟く
幾度となく襲い来る魔物の中には、人の血を啜り凶暴化する者もいた。
だが騎士たちにとっては、血を畷って手に入れた力など、程度の知れるものであった。
帝国が如何な軍力を持っていようと、シエオラという主上により賜ったものは、それを遥かに凌駕する。
少なくとも、セルマとリシアはそう考えていた。
優しさと慈しみとちょっとキュートな心をもって、ウヴェルテューレと呼ばれた神体が手を広げる。
数百の魔物が、瞬く間に倒れ伏し、あたりは静寂に包まれていく。
村を過ぎてまた少し歩いたところには、魔物が多く存在していた。
帝国に侵略されたあとだろうが、街はその面影をなくし、人の気配もない。
暴力的な蹂躙の痕だけは、しかと残っている。
まして民を残して――いや、これは言いますまい。
必要なものがあるなら、私どもが手に入れて参りましたのに。
半貌の少女は、顎に手を当てて逡巡する。
近くに魔女の気配があることはわかってる。きっとまだ近い距離にいるんだ。あのときの、あの魔女が。
ぼくは魔女を憎むことは出来ないけれど、必要なものだから絶対に取り返したいんだ。
苦しい思いをしているはずなのに、でも苦しいとさえ思えないなんて、運がいいのか悪いのか。
シエオラは、もうないはずの半貌で騎士を見つめる。
そこには、不気味な黒い影が、待ちわびるように曇いていた。
魔物を倒して進んだ先、牧人の歌声が聞こえてきた。
突然訪れたのどかさは、牧歌的を遥かに通り越して不気味ですらあった。
セルマとリシアは、対面にある人の営みを見て、猜疑心にでもかられたように眉をひそめた。
主上であるシエオラに嘘をつくわけがないし、彼女たちがないと言えば、ないのだろう。
だが在るのだ。不自然極まりない形であれ、しっかりと目の前に存在しているのだ。
先日の村よりも一回りも二回りも小さいけど、でも確かに人がいるじゃないか。ほら、牛人間。
シエオラがぽつりと呟く。
シエオラの戯れ言をさらりと流して、セルマが魔物へ向かって駆け出した。
雷鳴が響き、暗雲が皆の影を覆い尽くした。
story 巨大な断頭台
影は、その全てを覆われ、形を維持できずにいた。
ジリジリと這い寄るように近づく音だけが、シエオラにはわかった。
とても不愉快ではあったけれど、だからといって何か出来るわけでもない。
もう一度影が見えれば、今度こそ手に掴んでみたいとは思う。
ぼくにとって、この影は本当に美しいものだし、やはり手に入れたいと思うものだ。
セルマやリシアなら、あるいは不気味と言うかもしれないけれど、ぼくは気持ち悪いと思うことさえないのだから。
魔物を打ち倒して入った家屋には、生活感がなかった。
外見だけを真似て作った、置物のようだった。
あの日、我が国、そして御身に襲いかかった魔女が手にしていたものと同じ……。
あの魔女に。貸したものを返してもらわなければ。
どれほど多くの血をすすれば、これほどまでに巨大な断頭台が黒く染まるのか。
醜悪な魔女は、何を求めてこんなものを作り、そして何をしようとしていたのか。
シエオラの頭の中には、いくつもの疑問があった。
美しい影に近づいている実感と、ようやく魔女から半身を取り戻せるのだという、そんな歓喜に彼女の体が打ち震えていた。
セルマは憤りを隠そうとしない。
自らの主であるものを襲ったことを、そして主の最も重要な体と心を奪ったことを、未だ――決して忘れてはいない。
音もなく気配もなく国に侵入し、主上の前にまで近づいた魔女。
駆けつけたセルマが怒りをおさえ、力強く斬り伏せたが殺すには至らなかった。
ぼくは手の感覚がないことも、心に大きな空洞があることも、こう見えて実は結構気にしているんだ
。
見ての通り、気にしているとは言うけれど、顔には出なくて困ってて。
押しても引いても、このふたりが揺らぐことはない。
信頼の証であるといえば聞こえはいいが……。
……弱ったな。ぼくの心が戻ると思うと、嬉しくて仕方がないよ。
美しいと思っていた影だが、それはあの日、魔女に半身を奪われてから現れるようになった。
それは今日になって、人に近い輪郭を持った。
考えてみれば……これが影であるというのなら、美醜を問えるものではないはずだった。
決まって現れる影。それをぼくは美しいと思う。
……そう思いたいだけなのかもしれない。
街が燃えていた。
轟々と音をたてて、崩れ落ちる建造物がある。
火の海という言葉では生ぬるい、まるで地獄絵図のようでもあった。
魔女もまた、御身を待っていたのでありましょう。
ぼくがくるとわかったから、こんなお出迎えをしてくれたのさ。
赤子も大人も老人も、みんなみんな焼き尽くさんとする炎が、一際強く燃え上がった。
もうどこにも行かせない。あれはぼくのものだ。ぼくだけの……。
少女――シエオラの瞳が静かに揺れる。
怨念や、魔物が火を囲んでいた。
奇声を上げて、踊り狂っているものまでいる。
街を全て使って、お祭り気分にでも浸っているのだろう。
シエオラたちは、長く歩いてきた。
ようやく辿り着いた場所は、夜宴であり祝祭であった。
そのために来たんだ。だから返してほしい。
だけど、ひとつだけ交換条件があるんだ、美しさの主よ。
――おまえの醜く歪んだ顔を見せておくれ。
魔女はローブの中に手を入れ、ずるりと何かを引き出した。
ごそりと落ちたのは、美しくも気高いものではなく、どこかグロテスクなもの――影であった。
夜ごと見る夢にいて、そして現実を侵食してきた影とは違い、美しさも儚さもない、劣悪なもの。
ここの魔物も、向こうの魔物も、果ては帝国兵も、おまえの顔と心と、そこに宿った力を使って作り上げたもんだってことさ、わかるかえ?
醜くて反吐が出て苛立ちや嫌悪感が募るだろう? 穢れてんのさ。私に触れて、もう何もかも。でも約束だ。ちゃんと返してあげる。
失望と絶望と恐怖と不快感と、そんなののどまんなかさ。
どうするんだお嬢さん。私に使われて気持ち悪くなったそいつを、再び自らの中に取り込むのか?
答えておくれお嬢さん。そいつを、おまえは、どうするんだい?
悲鳴にも似た痛ましい声で、魔女が問う。
探し求めていた自分の半身と心が、グロテスクで品のないものになったことを、お前はどう思うんだ? と。
楽しかった。ああ……とっても楽しかった。あとはおまえの、おまえの悲鳴と歪んだ顔を見られれば……。
必要ないわけがあるか。おまえに必要なんだ。必要だからこそおまえはここに来たんだ。
シエオラは小さくかぶりを振った。
必要だから来たことに違いはないが、それは醜悪なものではなく、美しさを湛えた影だ。
“こんなもの、シエオラが求めていたものではない”
残念だよ、醜悪な魔女。君はひとつ、忘れている。
サプライズでぼくをあっと言わせたいのなら、霜降りゴブリンのひとつでも連れて来てくれ。
そういうことも出来る。醜悪な魔女というだけはあり、その術式までとても汚かったけれど。
そういうこと。じゃあ、ばいばい。君はここで終わりだ。
シエオラが胸元で小さく魔女に手を振る。
それが合図となり、セルマとリシアが前へ出た。
魔女が消えた途端に、街の炎も静かに鎮火していった。
一陣の風が、シエオラの頬をなで上げる。
それは……あの断頭台が物語っていた。
だとしたら、あれが別の誰かの影だった可能性もある。
シエオラは薄く微笑んで言った。
そうしてシエオラが、セルマとリシアに背を向ける。
その少し先。ほのかに見える影がひとつ。
それは美しくも儚げで、考えてみれば……それが影であるかすら怪しいものだが、ともかくそれは影のようなものに見えた。
ぼくの体と心が半分ずつ奪われた日からあの影がずっとまとわりついている。
あれは美しい影だ。ぼくにはない、美しい影だ。
その少し先。ほのかに見える影がひとつ。それを見るたびに、失われた半身が“疼く”。
だから次も、折を見て旅に出よう。
いずれあの影をぼくのものにするために。