深淵の紅少女リリィ・ベル
10/12~10/25
黒い森の紅少女リリィ・ベル
野ウサギ、アライグマ、シカ…今日の獲物は何かしら。早く仕留めたいわ。
ごめんね……ファング。本当なら、ボスである貴方は群れを引き連れて狩りをすべきなのに。
私が『ヒト』の形をしているせいで、仲間たちとうまく連携が取れないから、ファングは私とばかり狩りに出かけてる……。
どうして私はもっと完璧な『オオカミ』として生まれなかったんだろう。四足で風邪よりも早く駆け抜ける貴方たちが羨ましい。
今日も森の中は暗くて静かで……私には落ち着く場所だわ。うるさいのは嫌い。風の音や動物たちの囁きが聞こえるくらいの静寂が好きなの。
あら……何かおかしな音がしたわ。ファングも聞いたわよね?
そこにいるのは誰!おとなしく出てこないと、この銃で撃つわよ!
……人間のニオイだ。
人間……ですって?こんな森の奥深くに、いるはずが……。
……貴方、どうしてここへ?任務の帰り道、ですって?
騎士だかなんだか知らないけど、さっさと出ていったほうがいいわ。この森には、人間を歓迎しない動物たちが棲んでいるから。
リリィ、この人を森の外まで送り届けてやろう。お前が言う通り、この森は危険が多い。
どうして?人間へ親切にしてやる義理はないわ。
困っている者を助けてやらないで放って置く気か?リリィ、お前も今まで生きてきて、誰かに助けてもらったことはあるだろう?
確かに……それはあるわ。でも……!
さぁ、行こうか騎士殿。夜が来る前に森を出たほうがいいだろう。急ごうか。
っ……待ってよファング、私も行くわ……!
オレとリリィについて、聞きたいのか?……ふむ、どこから話そうか。
よそ者に話してやつ必要なんてないじゃない。しかも人間なんて……。
そう邪見にすることはないだろう、リリィ。お前だって『ヒト』の形を持つ者なのだから、いずれは……。
ファングはそればかりね。私は一生狼として暮らして、この森で死ぬわ。人間の暮らす世界なんて興味ないもの。
おい、リリィ。ああ、すまない。リリィは幼い頃からオレたちの群れの中で暮してきて、人間には馴染みがないんだ。
人間なんて嫌いよ。あいつらは私を迫害する。形が似ていても、心は全然違う。
私は今までもこれからも狼よ。ファングたちとこれからも生きていくの。
……オレはお前が幸せなら、それでいい。例え離れることになったとしても……。
またそんなことを言う!私はファングから絶対に離れたりしないわ。
あんたみたいな人間が森に入ってきたせいで、ファングがこんなことを言い出したのよ!
コラ、リリィ……八つ当たりをするな。
ふん!私よりあいつの味方ばかりして。ファングがあいつと一緒に森を出ればいいじゃない。もう知らないわ。
すまない。根はいい子なんだ。リリィは以前、近くの村人たちに奇異な目で見られたことに深く傷ついていて……。
人間にわざわざ説明なんてしてやる必要ないわ。どうせ人間の味方なんだから。
……人間は、私を気味悪がって、恐れ……嫌っている。異物だと排除して、迫害して……!
人は臆病な生き物だから、異質なものと出会うと怯えてしまう。けれど、悪い人間ばかりではないはずだ。
狼のファングに人間の何がわかるっていうの。
わかるさ。その証拠に、この人間はリリィ・ベルにも普通に接しているだろう?
ふん、この人間が変わり者なだけでしょ。
すまない……リリィには少し頑固なところがあるんだ。
……ほら、そうこう言っているうちに、森の出口が見えてきたわ。
あっ、危ない!
っ……もう!何やってるの!?お腹を空かせた魔獣があんたを狙っていたわ!
出口を見つけて安心したせいで、気が緩んでいたんだろう。そう責めることはないだろう。
あと一瞬銃を撃つのが遅れていたら、今頃あんたは魔獣のお腹の中だったかもしれないわね。
そんなことを言って……オレが助けに出る前に、一瞬で撃っていたじゃないか。
目の前で死なれたら寝覚めが悪いからよ。
フフ……そうか。
何よ、ニヤニヤしちゃって……。
いや、なんでもないさ。みんな無事で本当によかった。
え?お礼なんていいわ。別にあんたのために撃ったわけじゃないわ。魔獣は狼にとっても敵だもの。
……それに、いいやつかわるいやつか、あんたのこと……まだわかっていないし。
ふん……なんでもないわ。さっさと森を出ましょう。
深淵の紅少女リリィ・ベル
正直、人間がどういう生き物か……私にはよくわからない。だってずっと狼の世界で生きてきたから。
だからあんたは私にとって、異世界の生き物みたいなものよ。
観察すれば……少しはわかるようになるかしら?……なんでもないわ。
群れを離れて人間として生きていく自分なんて、全然想像つかない。ファングや群れの仲間と離れるなんて、考えられないわ。
……森の近くにある宿屋?……ふぅん。しばらくはそこに泊まるのね。
あんたは任務で黒い森を調査しているって、ファングが言ってたけど……一体、何を調べているの?
黒い森の魔獣や毒草について……他の森は魔獣も毒草もここまで多くないの?へぇ……。
いい機会だわ。あいつがここに滞在している間、あいつを観察してやろう。
人間という生き物が、一体どういう風なのか……。それがわかれば、私の心にある不安も消えてくれるかもしれない。
……ねぇ、いる?来てやったわ。あんたが森を調査してるって、ファングが言っていたから。
魔獣の毛と爪、それと森の奥に生えている毒草を持ってきたわ。
お礼なんていいの。あんたが森で魔獣に襲われて、死体になっていたら寝覚めが悪いってだけ。
お茶?いらないわ。私は狼よ。人間の食べ物なんていらないわ。
クッキーにケーキ?ナニソレ……?ふぅん、いい匂いね。じゃあ、ひと口だけ……。
んっ!?お、おいひぃ……!何、これ……今まで食べたことない味……。
コ、コホンッ。まぁまぁの味ね。
リリィ、どうやらあの騎士とうまくやっているようだな。よかった。
……あのまま、人間の里に戻ることができれば、リリィも幸せなはずだ。
きっとしばらくすれば忘れてしまうだろうな。オレや群れの仲間たちのことなんて……。
ファング?どうしたの、こんなところで。
リ、リリィ……いや、なんでもないんだ。
ふぅん。じゃあ早く森へ帰りましょう。そろそろ暗くなるわ。
ああ……。なんだ、さっき一瞬感じたモヤモヤは。オレは、一体……。
……あれ?今日はあいつ、いないのね。でも荷物はまだあるし……街のほうへ買い物にでも行ったのかしら。
そこにいるのは誰!?……村の人間?
私を追い出したいの?フフ、言われなくてもすぐに出ていくわ。私だって人間は大嫌いよ!
きゃあっ!?……痛っ、これは……足枷?罠を仕掛けていたの……?
人間なんて……嫌い、大嫌い!クッ……この足枷、頑丈で壊せない……!
傷が深い……痛みが全身に広がって、動けなくなっていく……。
……私は狼にも人間にもないれない。中途半端な存在なんだわ。私に居場所なんて……ない。
ああ、意識が……薄れ、て……。
リリィ……いつもなら戻ってくる時間だというのに、何があったのか……村へ様子を見に行くしかないな。
っ!君は……今日は宿屋にいるはずでは?……緊急の調査があったので森に来ていたのか。
じゃあ、リリィは……早く村に行かなくては!君も来てくれるのか?ああ、心強い。
オレの背に掴まれ。そのほうが速い。
クン……クンクン……リリィのにおい……血の、においだ……。
っ……はぁ、はぁ……人なんて、信じるんじゃなかった。
リリィ!よかった、生きていた!こんな檻に閉じ込められて、可哀想に。今出してやるからな。
ファン、グ……私……村人たちに襲われて、ここへ入れられたの。人間を信じられるかもしれないって、思っていたのに……。
リリィ……。ハッ、誰か近づいてくる。物陰に隠れて様子を見よう。武器を持っているかもしれない。
……誰?あなた……。私の傷を手当てしに来たの?フフ、狼少女に近づくなって、村の人間から言われてないの?
本当にごめんなさい……すぐに手当てするわ。村の人たちは、あなたと狼たちに怯えて……話を聞いてくれないの。
私はあなたが騎士様に会いに来ていただけだって知っているわ、だからあなたを逃がすつもり。
君は信用できそうだな。
ファング……でも、また罠かも。
信じてくれとは言えない。でも……私はあなたたちを助けたいの。
この子の目を見れば嘘をついてないことはわかる。リリィ、行こう。
……わかったわ。ファングがそう言うなら。
手当てが終わったら、オレの背に乗るんだ。森まで駆け抜けるぞ。
さようなら!どうか気をつけて……!
はぁっはぁ……はぁ……ここまで来れば追っては来ないだろう。
謝らなくてもいい。あんたは悪くないわ。
人も狼もいいやつ、悪いやつ……色々いる。
私は……あなたや……あの女の子みたいな人だったら……これからも話をしてみたいと、今は思うわ。
愛探す紅少女リリィ・ベル
今日はあまり獲物がいないわね……それに、森がザワついてる気がする。
嫌な予感がするわ。でも、一体何が…きゃあっ!?
やぁ、黒い森に棲む狼少女くん。ボクは生物学の博士をやっている者だ。
誰よ、あんた……!この網をどういかしなさいよ!
フフ、その網は特別な素材で作られているから、いくら君でも破ることはできないよ。
私の肉はまずいわよ!食べるなら鹿やうさぎを捕まえなさい!
あははっ!食材として捕まえたわけじゃないさ。……君は人間だ、街で暮らすべきなんだ。
はぁ?突然何を言い出すの……?
さぁ、行こうか。少しだけ、眠っていてくれ。ただの麻酔注射だから、怖がらなくてもいいよ。
っ……!は、なして……いや……ファン……グ……。
森から……リリィのにおいが消えた。
確か、今は狩りに出ていたはず……リリィが森の外で狩りをするなんてありえない。
まさか……クソッ!
はぁっ、はぁ……よかった、騎士殿……まだ宿屋に滞在していたんだな。
リリィが……連れ去られたんだ。においが途切れたところからタイヤの跡が続いていた。
タイヤ跡とリリィのにおいを辿って行けば、きっとリリィの元へいけるはずだ。だが、森の外の世界にオレは不慣れ……だから、一緒に来てくれないか?
ありがとう。この恩は必ず返す。さぁ、オレの背に掴まれ。急くぞ!今ならまた、においの痕跡を追いかけられる!
んっ……ここ、は……どこ?小屋……じゃない。真っ白で……何もない、部屋……?
目が覚めたかね?フフ、今日から君の人間的生活が始まるのだよ。ほら、起きて勉強を始めよう。
勉強……人間的生活……?そんなの私は望んでないわ!
それはね、君がまだ狼の世界しか知らないからだ。人間の世界を知れば、君は人間として生きたくなるはずなんだ。
武器もない……硬くて白い壁に囲まれたこんな場所じゃ……戦っても勝てない。逃げることすらできない。
ファング……森のみんな……それに。騎士のあいつも……今頃、どうしてるかしら。
ホームシックかね?フフフ、大丈夫。すぐに人間の暮らしにも慣れるさ。
知ったような口をきかないで!私の世界はあの森の中だけで十分だったのに……!
っ……もういいわ。これ以上話をしても、きっと無駄だもの。
はぁ、はぁ……においはこの建物の中へ続いている。リリィはきっと中にいるはずだ。
随分遠くまで来てしまった。リリィは心細い思いをしているはずだ……早く見つけなければ。ああ、ありがとう。すぐ見つかるだろうと信じるさ。
人間のにおいを避けながら進もう。段々とリリィのにおいが濃くなってきた。そろそろ近いぞ。
……ファ……ン、グ……?このにおい……あなたなの……?
リリィ……!ああ、こんなに弱って……痩せて……可哀想に、すぐに助け出す。
おい、君たち!その子を迎えに来たのかね?
グルルルル……これ以上リリィを酷い目にあわせるつもりなら、オレはお前に牙を剥く!
お、落ち着いてくれたまえ!ボクは君たちを待っていた!彼女はここへ来てからすっかり弱ってしまったんだ。
栄養剤を打っても綺麗なドレスを着せても美味しい食事を出しても……意味を成さなかった。だが、君たちが来た瞬間、彼女の頬は色づいた!
リリィの居場所は黒い森だ。こんな無機質な所では病気になってしまう。すぐに連れ帰らせてもらう。
悪かった……彼女のためを思ってやったことだったんだが……。
ファング……私、ずっと寂しかった……もう二度と会えないんじゃないかと思っていたわ。
ふふ、あんたまでそんな顔して……心配してくれたのね……あ、ありがとう……。
な、なによ。そこまで驚かなくていいでしょ。私だって、人間にお礼くらい言えるわ。
ハハハ、良い兆候だな。……そろそろ帰ろうか。オレたちの家……黒い森へ。
ええ。あ、その前に……このドレス脱ぎたいわ。私の服を返してちょうだい。帰りましょう!
私は人でも狼でもない半端者かもしれない、でもそれが私……リリィ・ベルなのよ。さようなら、博士。もう二度と会うことはないわ。
……ああ、懐かしい森のにおい、動物たちの声……大好きな私の家に帰ってきたのね。
ふふ、勝手に涙が出てくるわ。……何?ハンカチ?いらないわ……と言いたいところだけど、ありがとう。
私の愛は、森やファングや仲間たちの元にしかない。例え姿は人間だったとしても、心は狼そのもので……それを無理矢理変えるなんて、できないのよ。
でも、人間である自分の形も……好きになりたい。人間の体と狼の心……どちらも私の大切な一部だから。
リリィ……成長したな。
くすぐったいってば、ファング……フフフ。ありがとう、大好きよ。
私はこれからも、この森と仲間たち……私の愛を守って生き抜いていくわ。