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【黒ウィズ】イスカ・ニルヴァ

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作成者: にゃん
最終更新者: にゃん










大聖堂が聳え立つ聖なる山。

葺り注ぐ陽射しが、虹のように重なりあって、山道を照らしている。

若い母親がひとり、息を切らせながら、麓に向かってひた走っていた。

腕の中には、生まれたばかりの赤ん坊がいる。強い子だ。泣きもせず、じっと母親に抱かれていた。


「こっちだ……。待っていたぞ。」

傷を負った義手の男が、木陰から姿を現した。

「その娘が、例の血を引く娘なのだな?」

生まれて間もない娘を抱いた母親は、しかとうなずく。

「見た目は、どうみても普通の子じゃな。この愛らしい娘に審判獣の血が流れているとは、到底信じられぬが……。

ともあれ約束だ。この子は、インフェルナでしかと育てよう。」


一本の矢が、母親の肩を貫いた。悲鳴。鮮血が、赤ん坊の顔に飛び散る。


「あそこにいたぞ!」

聖堂が放った追っ手だ。

母親は、赤ん坊を託した戦士イーロスに向かって、先に逃げろと告げる。


「そなたも共に来い。奴らに捕まれば、命はないぞ。」

母は、答えない。ただ、娘に向かって愛情のこもった優しい目を向けるだけだった。

最愛の娘イスカは、無垢な笑顔を見せて、それに答える。

未練を吹っ切ると、母は追っ手の前に飛び出し、己の身体を差し出した。

みずから捨て石となり、娘が逃げる時間を稼ぐつもりだ。


「戒律を破り悪と審判された者どもめ! ここまでだ! 観念しろ!」

傷を負った今の身体では、母は救い出せない。ゆえに非情な決断を下すしかない。

聖職者たちの目が、母親に逸れた隙に、イーロスは赤子を抱いて麓へ駆け出した。

背後から聞こえる、イスカの母の無残な叫び声は、イーロスの良心を責め立てた。

「すまぬ……。すまぬ……。いまのワシの力では、預かった赤子を逃すことしかできぬ……。」

母親の悲鳴は、やがて小さくなり、そして消え失せた。


「この赤ん坊こそ、天より授かった我らの希望。

必ずやこの子をインフェルナを率いる戦士に育てあげてみせよう。」


母と引き雌されたというのにイスカは、声一つあげることなく、爛々と光る目で、空を見つめていた。




 ***




空が暗いのは、インフェルナの民の嘆きが、天に集まっているからだと誰かが言った。


「多くの彷徨える魂に、安らぎが訪れますように。」


「祈りか……。」

「死んだ人の魂が、まだここに残っているような気がしたの。」

イスカは、クロッシュの戦支度に気がつく。

「出撃だ……。」

聖職者たちの奴隷狩りが、この先の村で起きているとの情報が入った。

「見過ごせん……。」

「彼らは、私たちインフェルナ人を〈悪〉と断罪し、聖域から追い出しただけでは、足りないというの?

どうして私たちは、インフェルナなの? 聖域で暮らす人たちと、なにが違うの?」

「違うところなんてないよ。

聖堂がそう決めただけなの。あたしたちは〈悪〉だって。ただ、それだけ。」

「人に……善も悪もない。

ただ、理不尽な現実がある……。」

「理不尽な運命に立ち向かわなければ、この先も、聖堂の間違った支配はつづく……ってクロッシュ兄は言ってるみたい。」

「俺たちは……戦う。」

イスカは、人と争うことを好まない性格だった。

だが、インフェルナという過酷な状況に置かれた人々と暮らし、その一員として生きていくうちに。

己の生きている世界が抱える〈歪み〉に気づいてしまった。

「イスカの血……。

特別な力だ……。」

「お前は、インフェルナの誰も持っていない特別な力を持っている、って言ってるわ。」

「決めろ……。」

「それを使うかどうかは、イスカ次第。イスカが決めたらいい……だって。」


「……。」

「イスカが戦わなくても、あたしたちはイスカの分も、聖堂と戦う。だって、インフェルナの戦士だもん。」

「いえ、もう心は決まってるわ。私も戦う。もう、みんなに守られるだけは嫌なの。一緒に連れていって。

「覚悟はあるのか……?

「戦場は危険なところだ。殺されるかもしれない……逆にお前が人を殺すこともあるだろう。その覚悟はできているのか? だってさ。

「出来てるわ……。虐げられたインフェルナの人々を解放するために、私が、みんなの希望になる。

「イスカが、一緒に戦ってくれるなら、心強いよ。よかったね、クロッシュ兄?

「ふっ……。

「イスカと共に戦えて嬉しいってさ。

「改めてよろしくね。メルテール、そしてクロッシュ兄さん。


イスカは空を見上げた。

母との別れの際も、こうして母の顔を仰いでいたように記憶している。

「お母さんとお父さんから受け継いだ、この身体に流れる特別な血。いままでは、怖がることしかできなかったけど。

でもいまは違う。

……眠れるもうひとりの私よ。我が心内で醒覚へと至れ――

我が名は、審判獣アバルドロス――

欺隔に覆われた聖堂の使徒よ。あなたたちの間違った裁きは、私が覆してみせる。

我が力は、不条理にも〈悪〉の熔印を押されし、ものどもの怒りと知れ。」


人の血を持ちながら、半審判獣という特別な存在となった少女イスカの戦いは、これよりはじまる。

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