【黒ウィズ】メインストーリー 第11章 Story
メインストーリー 第11章
異端の街クルイサ
2018年1月26日
そこは街と呼ぶには複雑過ぎた。だが、ゴミ溜めと呼ぶには機能的過ぎた。
あれが街か、と君は呟いた。
眼下に広がるのは、山に挟まれた土地に、あるだけのものを詰め込んだような街だった。
辛うじて、山から水源があり、生活することは可能だろうが、普通に考えれば、こんなところに街を作ることはない。
作らなければいけない理由があるから作ったのだろう。
w名前は以前から知っていたけど、私も来るのは初めてにゃ。
ルベリに聞いた通りだね、と君は相槌を打つ。
wここにはギルドもないから、中央本部の影響も受けないにゃ。
言い換えれば、ギルドの助力は得られないということにゃ。充分気をつけるにゃ。
君がこの街に来たのは、中央本部のルベリの依頼のためである。
先日の、アナスタシアたちとの戦いで崩壊した中央本部と魔道士ギルドを復興するために、君は四聖賢のひとりを探している。
ウィズ、アナスタシア、クォ――に続く最後の四聖賢。
どういう人物なのか、とここに来るまでに何度かウィズに尋ねた。
wうーん……言葉で説明するのはちょっと難しいにゃ。
が、そのたびに、ウィズも困ったように首をひねるぱかりだった。
これまでの面々から考えると、一筋縄で行くような人物ではない、と考えざるを得ない。
それにしても……。
四聖賢って自由な人が多いね、と君はウィズに言う。
wにゃは……それは認めるにゃ。
ウィズが苦笑いする。
ルベリが四聖賢を目の敵にしているのも、少し理解できる。と君は思った。
それでも、ウィズを含め、四聖賢の面々は重要な人物である。
世界を救うことも、壊すこともできる。
残るひとりはどんな人物なのか。
wさあ、もうー息にゃ。
それを知るためにも、まずはその人物の情報を得なければいけない。
君は改めて、眼前に広がる街を見る。街とは思えない景観だが、名前はあった。
w〈クルイサ〉の街に向かうにゃ。
連絡係と落ち合う場所は覚えているにゃ?
君はメモを見ながら、小さく頷く。
まずは先行して調査を始めていた中央本部の連絡係から、これまでの調査の引継ぎをしなければいけない。
クルイサの街での最も重要な目的が、それである。
それにしても、と君は顔をあげ、街を見上げる。
wどうしたにゃ?
街の外で見た印象と、中で見る印象は少しだけ違った。
外で見た時は、何の法則もなく、ただあるものを積み上げただけのように思えた街も――
中に入り、同じ空気を吸うと、人の暮らしを強く感じた。
確かに美しさとは無縁で、建物の壁や柱はすべて煤けている。
だがそれ以上に、よくもまあ、廃材や何に使うかわからないもので、街を作り上げたな、と圧倒された。
wにゃは。驚いたかにゃ?
先を歩いていたウィズは君の心中を察してか、うれしそうに笑う。
wノクトニアポリスの美しさとは違うけど、この街はこの街ですごいにゃ。
何がなんでもここで生きるという意思を感じるにゃ。
君が感じたのも同じことだった。ノクトニアポリスが人の営みの極みなら、ここは人の営みの強さを感じた。
必死さ。したたかさ。強さ。
wこの街は流れ者たちが集まって作った街にゃ。色々な出自を持った人たちがここに辿り着き暮らすにゃ。
最初は小さな集落だったはずにゃ。それが徐々に大きくなり、奇妙な見た目とは言え、大きな街になったにゃ。
君は、ウィズの言葉に付け加える。その割には、地図に載ってないね、と。
君から目を外し、ウィズは前に広がる雑然とした街を見据えた。
wそれがこの街の問題にゃ。……違うにゃ。この世界の問題かもしれないにゃ。
山から吹き下ろす風が君の前を通り過ぎる。
街の奥あるいは路地からだろうか。すえた臭いが鼻先をかすめる。
ここは街でもあるがゴミ溜めのようでもある。そういう場所だ。
つまり、ゴミもある。
wもうひとつ、この街の問題があるにゃ。たくましい人々が作った街だけど――
ウィズがゆっくりと君の後ろに回る。
wちょっとたくまし過ぎるにゃ。
明らかに悪意を持った男たちが君を取り囲んでいる。
wキミ、出来れば穏便に済ますにゃ。……無理なら静かに片付けるにゃ。
ウィズが安全な場所に移動したのを確かめ、君は男たちの前に進み出る。
やれやれ、と君は独りごとを呟いた。
おい。お前、見ない顔だな。どこから来た?
君が、男の顔の前に掌を差し出すと、男は思わず黙った。
どうせ襲いかかってくるなら、雰囲気作りはやめよう。お互い時間の無駄だ。
君の言葉に、男たちの腰がー段落ちた。
よし……。わかった。
ちょっと痛えが、きっちりここの掟を覚えろよ!
君が最後のひとりの眼前で魔力を込めたカードをひと振りする。
魔力を帯びた風が鼓膜から侵入し、男の目玉が羽虫のようにぐるぐるとまわる。
あ、あ、あ、あれ~はれ~…………。
ついには白目をむいて、膝から崩れ落ちる。
君は倒れ掛かる男を抱き止め、ゆっくり地面に寝かせてやる。
w簡単だったにゃ?
君は、まあね、と返し、こちらに歩いてくるウィズを待った。
w私の弟子だから当然にゃ。でも少し待ち合わせに遅れたかもしれないにゃ。
ウィズの言う通りだと思い、君は先を急いだ。
肉が焼ける匂い。何かを煮る匂い。
知っている料理の匂いと知らない料理の匂いが混在し、進むごとに入れ替わった。
暮らしている人の数だけの匂いが混在していた。どれくらいの人が住んでいるのかはわからないくらいだった。
wもうすぐ食事の時間にゃ。こういうところだとすぐにお腹が空いてくるにゃ。
それには君も同感である。
外はまだ日は高かったが、その光が届かないくらい密閉された空間だった。
暗く、静かである。料理の音、世間話の声、子供が遊ぶ声。よくわからない音。それらがまばらに聞こえてくる。
建物の複雑な多層構造が光を遮っているのだ。だが、元から入り組んでいたわけではない。
廃材を使って、無計画に建て増したせいで、奥に行けば行くほど、陰気で冷たい場所になってしまったのだ。
鼠でも出そうだね、とウィズに声をかけた。
wその時は、私が師匠の底力を見せてあげるにゃ。
頼りにしているよ、と軽口をやり合いながら、さらに奥に進んだ。
ようやく見つけた目当ての扉の前に立った君は、拳を作り、合図を送るように軽く叩いた。
押せばいいのか、引けばいいのかわからない作りの扉の向こうから、返事はなかった。
wどうなっているにゃ?
わからない、と答え、再び扉を叩いた。
だが、聞こえるのは、遠くで子供が遊ぶ声だけだった。
君は、押せばいいのか、引けばいいのかわからない扉を、とりあえず押してみた。
錆びついた鉄がこすれる音を立てて、扉がゆっくり開いた。
w気をつけるにゃ。
ウィズの声はすでに緊張をはらんでいる。君も同様に緊張していた。
扉が開いた瞬間に血の匂いが押し寄せてきたのだ。すぐに何かが起こったことを察した。
あまりよくない出来事が。
あたりを見回し、一室にそっと忍び込み、後ろ手で扉を閉める。
部屋を一瞥した所、特に異常はなかった。外で漂う生活の匂いがそのままこの部屋にも持ち込まれている。
先を行くウィズが左に曲がり、死角となっている部屋の一隅を覗きに行く。
w道理で返事がないはずにゃ。
後を歩く君もウィズに追いつき、その言葉の意味を理解する。
男が倒れていた。泥のように重たい質感の血に塗れて。
w割符を探すにゃ。
簡潔なウィズの指示に従い、男の懐を探る。
もう冷たくなった体から、彼が生きていたのはずいぶん前だったことがわかる。
これだけ人の気配が多い所で、殺されたのに誰も気づかなかったのだろうか。
男の目は開かれたままである。声をあげる間もなく、殺されたのだろうか。
君は指先に触れた小さな布袋を取り上げる。中を検めると、割符があった。
出発前に、ルベリから渡された自分の割符を取り出し、男の割符と合わせる。
君のため息を聞き、ウィズも理解する。
wもうここには用がないにゃ。妙な疑いを持たれる前に離れるにゃ。
コツコツと扉を叩く音が聞こえた。誰かがやってきたようだ。
マッチモさん。この前お願いした薬、もう届いたかしら……?
物音を立てないように、ゆっくり足を運ぶ。
窓から逃げようと、君は部屋にある唯一の窓をそっと開いた。
窓の向こうは壁だった。無計画な建て増しがどうやら仇となったようである。
そのツケを支払うのが自分なのは、少し納得が行かなかった。
マッチモさん?……いらっしゃるの?
錆びた鉄がこすれる音がした。差し込む弱々しい光が床に広がってゆく。
足音。
え?あなた、だれ?
すぐにその女性も気づいた。君の足元にマッチモさんがいることに。
悲鳴が多重構造を持つ建物に響き渡る。
人の気配が、波のように押し寄せてくるのがわかった。
wどこに連れていかれるにゃ?
わからない、と君は答える。
悲鳴を聞いて、住民はやってきたが、彼らに手荒な真似はされなかった。事情を説明すると――
ついてこい。
とー言告げて、君をどこかへ連行し始めた。もちろん逃げないように、数人の男に囲まれてはいるが。
幾度か右に左にと曲がり、建物を進み、いまは上階へ向かう階段を昇っている。
階段を昇り切ると、この建物の中で、唯ーではなかろうか、というほど外光が差し込む場所に辿り着く。
ひとつの扉に続く、その狭く短い道がまるで別世界のように感じられるほど、眩かった。
この先にお前の処分を決める人がいる。
何者?と君が尋ねると、男は何の感情も見せずに答えた。
〈黒猫〉だ。
男は扉を横に引いて、開けた。そこだけ、扉の構造が違った。
なぜか君はそのことが印象に残った。
開いた扉の隙間に水が流れるようにウィズが滑り込んだ。
猫の姿であることを生かして、斥候役を買って出てくれているのだ。最近は自然とそうすることが多い。
いきなり猫に襲いかかる者も少ない。猫にしかない特権だ。
早く入れ。
ウィズがー度優しい声で鳴いた。異常はないという合図だ。
君も中に入る。男は同行せず、君の後ろでぴしゃりと扉が閉まった。
粗野な質感の素材で作られたというのは同じだが、入り込む光や行き届いた手入れが、その部屋が特別であることを教える。
調度品や装飾がどこか他と違うようにも感じる。別の国のような、まるで違う文化。
整然として、素朴。飾らない空間を愛でるような……そんな世界観がある。
ウィズも同じことを考えているのか。花が生けられた花瓶にちょっかいを出している。
wにゃ!にゃ!にゃ!
花の生け方が珍しいことよりも、君はウィズが花瓶を倒さないか、ということにハラハラする。
すると、部屋の奥から誰かが現れた。
y初めまして黒猫の魔法使いさん。
女性だった。窓から差し込む光が作った道を彼女は歩いて来る。
yあたしがここの〈黒猫〉。アヤナ。
ここに連れてこられた経緯を考えれば、彼女がここを仕切っているのだろう。
その風格は充分にあった。
y楽にしなさい。そこの黒猫みたいにね。
師匠の方を見ると、まだ花瓶の花で遊んでいた。どうやらいつものように、「芝居」をしているようだ。
ウィズは出来る限り正体を明かさないように振る舞う。初対面の人物ならなおさらだ。
ウィズがあの〈四聖賢のウィズ〉であることを知る者は少ない。
yいつまでも猫被っていても意味ないわよ。四聖賢の、ウィズ。あ、花瓶は倒さないでよ。部屋は綺麗にしておきたいの。
ウィズは花瓶にかけた前足をそっと地面に置き猫らしく首だけもうー人の〈黒猫〉に向けた。
君もアヤナを見ていた。
y何か不思議かい?ここは異端の街クルイサだよ。何もない街で価値があるのは、情報だけよ。
死んだ男はマッチモだろ。魔道士ギルド、中央本部の間者――
あいつが誰かに会ったら、あたしに連絡するように言っていたのよ。もしくは死んだら。
どっちもいっぺんに起きるとは……思っていなかったけどね。
wどこまで知っているにゃ。
くるりと体を翻し、アヤナに正対する。
yあらまあ、猫が喋ったわね。
特に驚いた様子もなくアヤナが言った。そんなことは百も承知だと教えているのだろう、と君は思う。
yどこまでも知っているわよ。あんたたちのことも、あんたたちの目的も……四聖賢の居場所も。
君は思わずローブの首元を正した。「四聖賢の居場所」という言葉に反応してしまったのだ。
y知らないのは、あんたたちがどこまで知っているか、マッチモに何を聞いたか、だ。
でも、もうわかった。
アヤナはようやく椅子に腰かける。
yあ、本当に楽にしてよ。これからたっぷり働いてもらうんだから。
楽しそうに〈黒猫〉は笑っていた。
y知らないんだよね?四聖賢の、居場所。
底知れない女性だ、と君は思った。いままで会った人物とは違っている。
ふと、君はまたローブの首元をいじっていることに気づく。
すぐにやめたが、彼女はじっと君の様子を見ていた。
その眼は、夜に見る猫の眼のように、君の奥底を見据えているようだった。
yこの街は流れ者が集まる街さ。だから自然と情報も集まる。
中央本部のお坊ちゃんが、ここで情報を得ようとしたことは、正しい判断だと思うわよ。
でも、マッチモは死んでしまった。……そしてあいつが探っていたものと同じ情報を、あたしは持っている。
それがどういう意味かわかるだろ?
従えという意味ですか?と君は返した。
アヤナは椅子に深く座りなおしてから、首を横に振った。
従う必要は無い。働いてくれればいい。そうすればお前たちの欲しい物をあげるわ。
ここでは、情報は売り物なんだ。
この何もない街に、世界中からお偉いさんの使いがひっきりなしにやって来る。
なぜだと思う?金よりも大事な情報があるからよ。
w情報を集める力なら、世界中にある魔道士ギルドも負けていないにゃ。お前に従う必要はないにゃ。
yええ、そうね。でもあたしたちはギルドより、その道に長けている。
だって内緒話は表じゃしないでしょ?
裏路地、酒場、そんなひっそりとした場所で話す。
あたしたちはそこの住人よ。
君はこの街に来てから感じていたことに思い当たる。
ここの住人は他の街にはない、この街の住人だという自負がある。結束力と言ってもいい。
それがいま目の前にいる女性の言葉に集約されている気がした。
ギルドじゃ四聖賢の情報を集めるのは無理よ。何年かかるか。
でも、あたしのために働いてくれたら、あんたたちが欲しい情報をあげるわよ。
どうする?彼女は最後まで言わなかったが、君たちに選択肢を投げかけていた。
君の心はすでに決まっていた。念のためウィズを窺う。
ウィズも視線に気づき、自分の考えを君に伝える。
w仕事を引き受けるにゃ。目的は決まっているけど、手段は決まっていないにゃ。
yいいじゃないか。ノって来たねえ、黒猫さん。
w皮肉はいいから用件を言うにゃ。
yじゃ、素直に言わせてもらいましょうか。
最近、この街で失踪事件が頻繁に起こっているのよ。それを調査してほしい。
w犯人を捕まえればいいにゃ?
アヤナは首を横に振った。
y犯人はわかっていない。人か、あるいは魔物かもしれない。もしかすると神隠しかもね。
wなんにゃ。自慢の情報収集能力はどうしたにゃ。
yそれでもわからないから、あんたたちに依頼している。考えればわかるでしょ。四聖賢のウィズさん。
wにゃふ!
いまにもアヤナに飛びかからんとするウィズを抱きかかえ、なだめながら君は仕事の詳細を尋ねる。
y詳しくはこの資料に。どんな奴が、いつ、どんな場所で失踪したか。詳しく書いてある。
アヤナが机の引き出しから紙束を取り出し、君に寄越した。
y厄介なのは、あまり法則性がないことよ。被害者たちに関係性はない。まったくの無差別。
困ったことにあたしの部下までいる。
君は渡された資料にざっと目を通す。
yまずは場所を調べたらどうかしら?まだ街を回っていないでしょ?
なかなか、いい場所だよ。住めば都。まさにそんな街だよ。
おや?いい物を持っているじゃない。
君が道中で拾った青い石を見て、アヤナが言った。
wこれはー体なんにゃ?
yそれはこの街でしか掘り出されない特別な石よ。街の人間は特別な取引にはこの石を使うわ。
その石を持って来たら、他の街じゃ売っていないような珍しい物と交換してあげるわよ。
wにゃにゃ!キミ、いいことを聞いたにゃ。
いっぱい見つけて、いろんな物と交換してもらうにゃ。
ウィズの言葉に、君は頷き返した。
路地裏、表通り、広場、空き地。
そこに法則性はなく、人気のない所もあれば人通りの多い所もある。
w魔法の痕跡はないにゃ?ここは比較的最近事件が起こったところにゃ。
君は精霊の力で周囲を探ってみる。
淡い光が周囲に波紋のように広がっていく。何か痕跡があれば、そこに光の粒子が付着し、はっきりと示してくれるはすだ。
だが、反応はなかった。
魔法じゃないね。と君が言うと、ウィズは真剣な調子のまま答えた。
少なくともクエス=アリアスの魔法ではないにゃ。
ウィズの妙な言い回しが気になり、君は聞き返す。
何か別の意味があるかどうかを。
この街なら別の異界の魔法体系を使う人物がいてもおかしくないにゃ。
どういう意味か分からなかったので、君は詳しい説明を求めた。
ふと思い返すと、この街に来たばかりの時、ウィズが「この街の問題」と言いかけたことがあった。
荒くれ者に襲われたせいで、それを聞きそびれていた。
この街は流れ者の街にゃ。でも、この言葉おかしいと思わないかにゃ?
君は「流れ者の街」と小さく呟き、言葉と意味を吟味する。
何度か呟き、耳に届く音に遅れて、ようやくその言葉の矛盾に気がついた。
流れ者なのに、なぜ街に住むのか。
wそうにゃ。彼らが流れ者と呼ばれるのは、彼らが異界から流れてきたから、そう言われているにゃ。
それがこの街の問題にゃ。……違うにゃ。この世界の問題かもしれないにゃ。
世界の問題……そういうことか、と君は納得した。
アレクみたいに高い能力を持っていて、魔道士ギルドに加わる者。上手くクエス=アリアスに順応する者。
そういう人たちとは違う普通の人、上手く順応できなかった人々がこの街を作っているにゃ。
事故のようにクエス=アリアスに来てしまい、寄る辺もなく生きていた人が、噂を聞いてここにゃって来るにゃ。
その人たちの孤独や不安は、クエス=アリアスや魔道士ギルドでもどうすることもできないにゃ。
そうか。と君は街を囲む山々を見上げる。
外界から見えないように、この街を作り上げた理由がようやくわかった気がした。
ここは「ゴミ溜めのよう」ではない。
クエス=アリアスという世界が生み出す、解決不能の澱が溜まる場所なのだ。
「のよう」ではなく、「ゴミ溜め」なのだ。
この街に感じる逞しさやしたたかさ、そして結束力は、この世界で生きるための必死さだったのだ。
w行くにゃ。まだまだ回る所はいっぱいあるにゃ。
先を急ぐウィズを追う。
この街の人はすごいね。君はふと、そんなことをウィズに言ってみた。
wそうにゃ。ここの人たちはすごいにゃ。
何日かを現場巡りに費やし、君とウィズはようやく全ての場所を調べることができた。
事件の謎に近づくことはできなかったが、この街をほぽ隅々まで歩いたことで、少しだけ街のことを知れた気分になった。
wなかなか興味深い街にゃ。
ウィズがそういうのも無理はない。
朝の顔、昼の顔、夜の顔。その時々による落差がこの街は特に大きい。
朝は市場がもっとも活気づく。
朝早くからの仕事を終えた者、これから仕事を始める者が――
それぞれ遅めの、あるいは早めの朝食を摂るためにごった返している。
昼は一日の中でも最も落ち着いている。
皆、仕事(何の仕事かはわからない)の為に、街を出ているか、家に簸っているかしているせいで、一日の中で最も静かである。
夜はさらに雰囲気が一変する。
酒場に明かりが灯り、出来損ないの音楽と騒ぎ声が内部を満たした。
一見賑やかだが、一歩でも道を外れ、路地に出るとすぐにわかる。
夜の暗闇の中には危険な気配が潜んでおり、その息吹が耳に届き、背筋に触れるようである。
w活気があり、危険もある。こんな街なら何が起きてもおかしくないにゃ。
この事件も、人がやったと言われても納得できるし、魔物がやった可能性も捨てきれないにゃ。
出来れば魔物相手の方がいいね、と君は本音を漏らす。
w確かに人はやりにくいにゃ。
背後に気配を感じた。だが、敵ではない。怯えた靴音だった。
あのぉ……黒猫の魔法使いというのはあなたですか?
怯えるような口調の男に、とりわけ優しく返答してやった。
失踪事件を調べているんですよね?その……俺の知り合いが事件を目撃したんで、あなたに話したいって……。
君が是非聞かせてほしい、と男に伝えると、彼は不安げに君を案内し始めた。
こっちです…………。
四方にそびえる壁は不揃いだが、高く高く伸びており、中庭というには閉鎖されていた。
もしここで敵の襲撃にあえば逃げられないな。と思っていると、君を案内した男が走り出した。
wふう……こんなことだと思ったにゃ。
去りゆく男の背中を見送りながらウィズが呟いた。尻尾は諦めたように左右に揺れていた。
代わりに、荒くれ者たちが前後左右から現れる。見上げると居住区の廊下にもいる。
四方八方敵だらけだった。
ヘヘヘ……。また会っちまったな。
wどこかで見た顔にゃ……。
今度は…………。
言いかけた男の言葉が途切れた。君が「話すな」とサインを送っていることに気づいたのだ。
君は唇に添えていた人差し指を離し、男に言った。
雰囲気作りは時間の無駄だよ、と。
て、てめええ……!あ!?
君の指がくいくいと動いたのを見て、周囲の男たちは激発するように、こちらに押し寄せた。
た、頼む!助けてくれ!俺が悪かった!
男は君の前にひざまずき、まるで命乞いのようにそう言った。
君は周囲を示し、男に説明する。死屍累々と倒れているが、誰ー人殺していない、と。
それでも男は命乞いのように叫び続けた。
お願いですぅ!何でもします!何でもやらせていただきます。だからお願いです!
あんまり取り乱しているので、こちらの説明も受け付けそうにない。
だから……と君が聞きわけの無い子供に言い聞かせるように、少しきつめの口調で詰め寄る。
ああはあああは……殺されるうう!死ぬうう、もうだめだあ。あは、あは、あはあはああああ!
君はウィズの方を見て、首を傾げる。
w落ち着かせてあげるにゃ。
そうだね、と返し、君は男の顔の前で魔法の光を破裂させた。
y間違いなく「犬」の仕業よ。
アヤナに事情を説明すると、彼女はこともなげに相手の正体を君に教えてくれた。
w犬ってなんのことにゃ?
yあだ名よ、あだ名。相手はあなたたちのことを知って、襲ってきたんでしょ?
君は首肯する。
yあたしが、あなたたちを使っていることは、街中に知れ渡っている。普通は手を出さないわ。それでも襲ってくるのは――
よっぽどのウスノロか。犬、〈白犬〉よ。あいつは老いぼれのウスノロでもあるけどね。
w〈白犬〉って何者にゃ?
yあたしもこの街の全てを握っているわけじゃないわ。半分だけ。もう半分は〈白犬〉が支配しているのよ。
名は確認された?
君は最初に気弱そうな男が自分のことを知っていたことを告げた。
yなら、間違いないわね。念のため、あたしの方で確かめておくわ。
大方、あんたにやられた男が〈白犬〉に泣きついたってところじゃないかしら。
アヤナが机の上に置かれた呼び鈴をー度叩くと、部下の男が入室してくる。
y調べてほしいことがあるわ。最近〈白犬〉に泣きついた奴を洗って。
W承知しました。
指示を受け、出て行く男にアヤナが再び声をかける。
yちょっと待って。あなた、今日は母親の誕生日じゃない?それに明日は娘の誕生日ね。
あなたはいいわ。別の人にやらせて。
Wは、はあ…………。
yあなたは家に帰るのよ。今日と明日は。それと7日後の自分の誕生日もね。母親には後で何か届けさせるわ。
男が何度も深々と頭を下げてから退出していく。アヤナは君が目を丸くしているのに気づいた。
yどうしたの?ぼーっとしてないで、自分の仕事をしてほしいわ。
yええ、あの人はみんなの誕生日を覚えているわよ。
君は事件の調査の合間に、時折、アヤナのことを街の人に尋ねた。
それだけじゃなくって、お祝いごとは何でも覚えていて、街の人たちに贈り物をくれるわ。
いい人なんですね、と君が言うと、女性は自分のことのように喜んだ。
そうなのよ!いい人なのよ!
君は、アヤナが元いた異界の風習だったのではないか、と言った。
わからないわ……。
女性は思い出したように、君に忠告した。
あ、あなた。そういう事は本人に言っちゃダメよ。
なぜだかわからなかったので、その理由を尋ねる。
この街では、元いた世界を本人に尋ねるのは厳禁よ。それで殺された人だっているんだから。
みんな、その相手が信頼に足ると判断した時だけ話すのよ。
私だって旦那に自分の話をする時は、本当にドキドキしたんだから。
そこまで言うと女性は再び笑顔に戻る。
でも、勝手に噂話するのは自由よ。みんな、あの人の過去が気になって仕方ないのよ。
やれ元の世界に子供がいたとか。やれ人を殺したとか。お姫様だったんじゃないかとか。
ま、色んな噂だけが独り歩きしている状態だけどねー。あ、あとね…………。
噂するのと直接聞くのはどう違うのだろう、と思いながら、なおも推論を言い続ける女性の話に付き合わされた。
結局、その日はそれ以上の調査は出来なかった。
その朝は霧が出ていた。
w山に囲まれているから、こういう霧の日も多いのかもしれないにゃ。
朝露で濡れた顔を前足で拭いながら、ウィズは窓の外の光景に注釈した。
調査の間、間借りしている部屋は、居住区の中程度の高さにある。
ちょうど、霧が視界を上も下も覆うような位置である。街の朝の光景が薄らとだけ見えた。
君は思った。いま調べている事件も、こんな風に霧が覆ったように先行きが見えない。
正直言って、行き詰っていた。こんな時は――
朝食をいっぱい食べて、元気いっぱいに今日の仕事を始めるにゃ。
君が窓の向こうを眺める時間の長さに、ウィズは気を利かせてくれたようだ。
いや、ただ自分がお腹が空いていたということも、ないわけではないだろうが。
だが、ウィズの言葉で君は思い出した。
猛烈に腹が減っていることを。
朝の霧を屋台の湯気に模様替えして、君とウィズは朝市で朝食を食べていた。
肉と野菜を煮込んだ透明なスープは、朝の起き抜けの体にふさわしい優しさで君の体を温めてくれた。
自分の食事の合間に、ウィズのために頼んだ串焼きの鶏肉を切り分ける。
まだ充分に冷めていないにもかかわらず、かぶりつこうとする腹ペコのウィズを、ナイフでけん制していると声をかけられた。
yこんなところで、朝食かい?
アヤナは初めから決まっていたように、君の前の席に座った。
樽に板を張り付けただけの簡素な卓の上に、肘を置き、ゆったりと君を見つめる。
たぶん、君がここにいることは知っていたのだろう。偶然会ったわけではないのは明らかだった。
y赤い料理はやめておきなさいよ。
アヤナは君が食べているものをー瞥し、言う。
君も並ぶ屋台の中に、明らかに辛そうな香辛料たっぷりの赤い料理がいくつかあるのは気づいていた。
ただ、そういった料理はウィズが苦手なので敬遠し、まだ口にはしていない。何か理由でもあるのかと気になった。
y食べられないものを食べるために、大量の香辛料を使っているのよ。あんたたちには合わないわよ。
その一言で色々なことが伝わってくる。
yでもあれがこの街の一番古い料理。好きで食べる人もいるわ。食べたかったら私に言いなさい。
ちゃんとしたところに連れて行ってあげる。屋台で食べるのだけはやめなさい。
わかった、と君は返した。ところで用件は何か、とこちらから尋ねた。
これだけのために、君の所にくるわけがない。
yあんたを襲った奴らと〈白犬〉のことを調べていたら、妙なことがわかった。
〈白犬〉はあいつらを定期的に使っていたみたいだね。
w何のためにゃ?
yそこがわからないから、あんたたちに調べてほしいのよ。
アヤナが懐から紙の束を卓の上に置いた。見ると、いろいろな場所が書かれているようだった。
それも事細かに時間の指定まである。
w何の場所にゃ?
あんたたちを襲った奴らが、今日、どこで、何をしているかが書かれているわ。いまから回れば全員回れるんじゃないかしら。
回って何をすればいいの?と君は尋ねる。
答えはだいたい予想できたが、仕事の内容ははっきりさせておかなければいけない。
とっ捕まえて締め上げる。
予想通りの答えが端的に返ってきたので、君はー言、了解、とだけ言った。
w魔法使いを何だと思っているにゃ…………。
呆れたようにウィズが言う。君も心の中で同意しながら、匙を口に運んだ。
yあんたたちは正義の味方よ。世界を救ったことだってあるものねえ。
卓に置かれた肘の上で、掌がくるりと翻る。手の甲が、顎の下に添えられた。
君に向けられた眼だけが、まったく動かない。ずっと君を見つめている。
y依頼人がそう思ってないだけよ。……がんばりなさい。
うわああああ!なんで!なんで!お前また来るんだよ!
俺は何もしてないよお!何もしてませんよお!お願いですからあ帰って下さいいい……殺さないでええ……。
君とウィズはアヤナに渡された覚書にあった場所を回った。
君の顔を見て、逃げ出す者、抵抗する者、泣いて命乞いする者。
死にたくない死にたくない死にたくない。許して許して許して許して、許して下さい!
その反応は様々だったが、適正に対処し、それぞれから情報を手に入れた。
はっはっはっはっは……。うっ、吐きそう…………。
それを繋ぎ合わせると、ぼんやりとしていた全体像が見えてきた。
うっ、うっ、ヒック、ヒック、ハっ…………もうダメ、吐く…………。
にゃー……。この人はかわいそうだから、そっとしておいてあげるにゃ。
そうだね、と相槌を打つ。充分に情報は集まった。もうアヤナに報告しても大丈夫だろう。
ごめんなさあい……ごめんなさあい。もう二度と悪いことはしませんから……。
yつまり、あいつらは私の部下を狙っていたってこと?
wそうにゃ。あの連中が指示されたのは、アヤナの部下を連れ去ることにゃ。
アヤナは失踪者の名簿を取り出し、ひもとく。パラパラと目を通して、納得したように名簿を閉じた。
理解したわ。あいつは、あたしの売り物に手を出そうとしてたのね。
被害者の中に、あたしの運び屋が何人か含まれている。他にも大勢いたから、盲点になっていたのよ。
他の人たちは、本命を隠すための目くらましね。本命はあたしが使う運び屋よ。
w偶然含まれていたってことはないにゃ?それにわざわざ拉致しなくても、商品だけ奪えばいいにゃ。
y偶然にしては出来過ぎているわ。あたしも2回までなら偶然で済ますわよ。でも、これは3回起きている。何らかの必然よ。
それと、あたしの売り物は、拉致しないと手に入れられないわ。あたしの売り物は情報。
売り物は運び屋の頭の中にしかない。捕まえて、吐かせるしか方法はないわね。
wどうするにゃ?
yもちろん、やり返す。運び屋の情報を流して、〈白犬〉をおびき出す。
君は懸念点をアヤナに告げる。これまでの調査であっちも警戒しているはずだ、と。
yわかっているわ。けど、エサが上等だったら、どんな犬でも誕を垂らすものよ。
上等なエサ?と君は聞き返す。
yあたしの過去よ。
で、お前はそれだけを伝えに、俺の所に来やがったのか?
顎から伸びる立派な白髪髭に唾が飛んだ。
目の前の白い毛むくじゃらの壁が揺れる様に、男は怯えている。
そのチンケな魔法使いが俺のことを探っていた。そんなつまらねえことを教える為に、お前はゲロまみれのまま、ここに来たのか?
は、はい。急いだ方がいいと思って……。
白髪髭が天を仰いだ。
よくやった!素晴らしい!なんて香しいゲロの匂いなんだ!水バケツのひとつでもかぶって来ようとも思わなかったなんて!
再び白髪髭は男の前で揺れ動く壁となる。今度はもっと近くで。
このアホタレ!ゲロまみれのまま、そんな下らん報告をしに来られて喜ぶヤツがいるとでも思ったのか!?
いるとしたら、いま俺の目の前にいる奴ただひとりだ!このアホタレ!
す、すいません。イスゴイザさん、その、お、俺は……。
お、俺は……なんだ?お前はアホタレだ!とっとと!出て行け!
男の襟首を、丸太のように太い腕がぐいと持ち上げ、力任せに出口に投げつける。
男は石ころのように、後ろ向きで転がっていきながら、扉を吹き飛ばし、突き当りの壁にぶち当たる。
のびてしまった男の顔に、とてとてと歩いて来た野良犬が「ちょいとごめんよ」とばかりに失敬した。
丸太の腕を持つ男イスゴイザは、投げた拍子でこびりついた吐しや物を手で払うと、傍の椅子に腰かけ、杯をあおった。
卓に空の杯が叩きつけられ、酒場にいる全員が戦慄する。
イスゴイザ以外は皆、直立不動で、ピンと立つ様は針子が使う針の如くである。
おい、何かいい話はないのか。
ひとり、進み出る手下の男がいる。「いい話」を告げる声は少し震えていた。
〈黒猫〉の運び屋が明朝カムシーナヘ発つそうです。
アホタレ。俺たちのことがばれたのは、昨日の今日だぞ。向こうも用心しているだろう。
それが……〈黒猫〉の方も、王族に請われて、急を要しているらしく、護衛を用意している暇もないとかです。
ほほう。何の情報だ?
〈黒猫〉の過去に関する情報だとか……。
なある……それはほっとけねえな。俺も行く、用意しろ。
イスゴイザさんもですか?
前みたいに、お前たちがヘマして運び屋を殺しちまう前に、その情報だけは絶対に手に入れるんだ!
わかったか!このアホタレ!で、その運び屋の特徴は!
は、はい。黒猫を連れたあの魔法使いに運ばせるそうです。
聞いた瞬間に、酒で血走ったイスゴイザの眼が据わる。
吐き出される言葉が犬の唸りのように低く響いた。
……腕のいい奴を集めろ。ありったけだ。