【黒ウィズ】アルドベリク&ルリエラ編(GW2020)Story
2020/04/30
目次
登場人物
story1 暗闇に泣く少女
リュディはバルコニーの柵の向こうにある景色を見つめて、言った。
背後にある手すりを掴む手を離し、足に力を入れる。そして飛んだ。
空中に投げ出された体は重力に従い、ー度は下降する。
声に応じて胸の輝石が青く輝くと、体は重力に逆らい、ふわりと木の葉のように浮かび上がった。
輝石の力に制御されたまま、リュディは足から万全の着地をする。
と、リュディの頭を撫でながら、アルドベリクは上階を見上げた。
同じようにバルコニーの柵の前に立つリザ。
ルシエラが小さな背中に手を添える。
階下を覗くと、アルドベリクがいる。ルシエラの言う通り、きっと受け止めてくれる。
1階から2階の高さはそれほど高くはない。
しかし、リザの手は手すりを固く握りしめ、前に飛び立とうとはしなかった。
と呟いたのを終わりの合図にして、ルシエラは翼を広げる。
いまはこれで十分ですよ。
リザの体を掴んで、階下へとふわりと降下していく。翼は優雅に宙を泳いでいる。
ムールスがアルドベリクに言った。
***
何かがあの子を臆病にさせている。それが成長を阻んでいるんだ。
会話の隙間に、かすかにリザの悲鳴が糸のように細く滑り込んできた。
ルシエラが部屋を出ていく。
アルドベリクは、意外そうな顔をしてムールスを見返す。
***
ルシエラが扉を開けると、差し込んだ光が暗闇の中でじっとしているリザを照らした。
ややあって、リザは答えた。
ルシエラが部屋に明かりをともすと、さらにリザの姿が鮮明になる。
それは夢ではなく、彼女の身に本当に起こった出来事である。
体を変異させる怪物に住む世界を追われ、彼女たちは魔界にたどり着いた。
夢だというリザの言葉をルシエラは否定しなかった。
言いながら、ベッドの端に腰を下ろした。
ここにいない私なんて、私じゃないです。全部、ただの夢です。
貴方の怖い夢も、全部ただの夢です。怖い夢から覚めた時も、貴方はここにいます。
そうじゃなかったことがありますか?
ルシエラはリザにミルクが入ったカップを握らせる。
体がリザの隣に滑り込み、翼は器用に折りたたまれて、ベッドの中に納まった。
飲み終わったカップを受け取り、テーブルに置いた。
リザは人間ですから、両目を閉じてください。さあ、安心して眠ってください。
目が覚めたら、私たちはここにいますよ。
***
身を屈めて、進んでいくリュディを見送り、アルドベリクはムールスに尋ねる。
ムールスがキッチンにやってくると、オーブンの前に座り、手をかざしていた。
「おや?リュディ様。どうされましたか?」
「手が冷たいんだ。だから温めようと思って。」
「それならそうしていれば、すぐに温かくなりますよ。
新発売された燃料用の小悪魔が入っています。そいつらはよく燃えますからね。
燃やされる時の叫び声も以前のものより小さい。よく燃える分、うるさいのでは使えませんからね。」
「そうなんだ。」
「狩りはどうでしたか?大物は仕留められましたか?」
「うん。仕留めたのはアルさんだけど、僕も手伝った。ナイフで首を切ったよ。
血がいっぱい出ていた。」
「……かわいそうですが、その分、美味しく食べてあげましょう。せめてね。」
リュディは何も答えずに、オーブンに手をかざしていた。
ふと気になり、ムールスは少年を見た。
「リュディ様。失礼ですが、いつからそこに?」
「帰ってきてから、ずっとだよ。」
ムールスはリュディのそばに歩み寄り、小さな手のひらをかばうように、握った。
その手は長時間、火にさらされたせいで熱かった。とても冷たいとは言えず、火傷していてもおかしくなかった。
「リュディ様、もうそのへんで結構ですよ。充分、温まっているでしょう。」
「そうかな。まだ冷たい気がしたけど。」
つがえた矢から手を離す。瞬時に矢は鹿の背骨に吸い込まれる。
アルドベリクにはわずかに鹿が跳ねたのがわかった。急所を外れたことも。
逃げる鹿の歩調は駆け足から徐々に弱まって、いまはほとんど歩いている状態だった。
やがて歩けなくなり、体を重荷のように横たえた。
鼻から血を吹き出し横たわる鹿を見下ろし、アルドベリクはナイフをリュディに差し出す。
リュディがナイフを受け取ると、言った。
鹿の目はリュディの持つ刃の光を見つめていた。ー段と白く輝く切っ先が救いをもたらすと知っているようだった。
キャンプに戻ってからずっと、リュディは焚火に手をかざしていた。
血が回って、匂いが出るし、肉も固い。その下処理にも時間がかかる。まるでいいことがありません。
と言いながら鍋の中に秘伝の調味料を加えて、味見をする。
ムールスがそれぞれの皿によそうのを見ることもなく、リュディは火に手をかざしていた。
鹿の血がついた手、とか。
思わずリュディは顔を上げた。
お前のその手は何を感じているんだ。教えてくれ。
魔族は、殺すのに馴れている。経験上教えられることもある。
リュディが黙って頷く。
手についた血が、温かい血が、段々冷たくなって、その冷たさがずっと続くんだ……。
温めてるのに、ずっと冷たいんだ……。
火にかざす手は徐々に燃え盛る薪に届きそうな距離まで近づいていた。
制するように、アルドベリクの手が小さい手を掴んだ。
驚いたようにリュディが見る。
少年は首を横に振った。
炎の揺らめきが互いの顔に影を踊らせ、煥の弾ける音が時間を刻んだ。
時間はゆっくりと流れている。アルドベリクが不意に笑う。
リュディはきょとんとして、ムールスの顔をうかがった。
あの子たちにはもう取り戻せない生活というものがある。
そんな話をしている部屋に通されたのはクルス・ドラクである。
アルドベリクはまたかという顔を片手で覆い、クルスに要件を促した。
実は気球のツアーを企画しているのです。もうすぐ連休が始まりますよね?
それに合わせて、ツアーを打ち出すつもりです。ちょうどゴドー卿の領地に良い景勝地があるので、そこで開催させて頂きたいのです。
気球も同じです。幸せなんですよ。気球が与えてくれる時間が。空を舞う優雅な時間ですよ。
なかなか得難い経験です。それに――。
歩けるからと言って馬車に乗らない者はいません。でしょう?
クルスさん。その気球、私たちを乗せてくれませんか?とてもいいことを思いついたんです。
足早に部屋を出るルシエラを見送り、クルスが言う。
story
ですが、魔族に生まれたとしても、ピクニックくらいは行きたいですからねえ。
毎日、野山でピクニック出来たら、どんなに楽しいでしょうか。
アルドベリクたちは気球の試乗のため、クルスに案内された場所にやってきていた。
丸く膨らんだ球皮の下には、燃え続ける炎が設置されていた。
それによって、球皮の部分に熱せられた空気がたまり、上昇していくという仕掛けのようである。
あと、ちゃんと返してくださいね。
アルドベリク、ルシエラ、リザ、リュディと乗り込む。
アルドベリクが炎の台座に魔力を加えると、音をたてて火柱が上がった。
同時に気球は上昇していく、ゆらりゆらりと。だがしかし、しっかりと上昇していく。
とリュディとリザがムールスに向けて手を振り返す。
いざ見てみたら、思っていたのとちょっと違ったってことです。
新たな体験は新たな発見を生み出す。それは特に子どもの特権であり、リザとリュディもそれは変わらない。
その様子はごく普通の子供と変わらない。ひびの入った彼と彼女の心はまだ強く無邪気さによって包まれている。
その無邪気さがなくなった時、残るのはひびの入った心。そしてそれはやがて砕ける。
守る術を見つけられなかったら。
ルシエラの視線とアルドベリクの視線が交わる。秘密裏の合図が行き来して、互いに頷きあう。
ルシエラの体がバスケットから空中に滑り出る。窮屈そうに折りたたまれた白い翼が広がり2、3度羽ばたいた。
舞い散る羽とともに誘う手がアルドベリクヘ伸びてくる。
その手を取って、アルドベリクの体もバスケットから出る。
きょとんとする子どもたちに手を差し伸べる。
バスケットの縁によじ登り、リュディの胸の石が光る。風が彼の声に応じて集まってくる。
そしてリュディは空へ飛び込んだ。風が彼の体をベッドのように受け止める。
リュディは泳ぐようにアルドベリクヘと向かい、その手を取った。
お前のその手はただ殺すためだけにあるんじゃない。もっと違う使い方がある。
リュディは自分の手を見る。
ふたりの小さな手が互いを求め合うように伸びる。そして躊躇。
戸惑い。と少しの勇気の無さ。
バスケットを上りながら呟く。
まるで呪文のように呟く。
高さや煽るような強風にめまいを感じる。目をぐっとつぶって、もうー度開くと、めまいは消えた。
少女は体を空に預ける。輝石が光り、風か彼女を受け止める。
そして差し出された少年の手を掴んだ。その手は自分を生に繋ぎとめる。
少年の手は思いのほか、固く自分の手を握りしめた。固く、とても温かった。
少女の言葉に思わず戸惑った。礼を言うのは、感謝すべきなのは、自分じゃないのか?
そんなことが頭をよぎる。
俯き、気恥ずかしそうにリュディが言った。
4人の元から気球だけが離れていく。風に流され自分の行き場所を知っているように悠然と。
ひとりで乗り越えられないことは必ずある。だから、その手を離すな。ふたりで進んでいくんだ。
***
一理あると思いませんか?