【黒ウィズ】天上岬【バックストーリー集・前編】
バックストーリー集・前編
プロローグ
手つかずの自然が溢れる楽園、天上岬――
そのどこからでも見ることができる巨木――それが皆から愛されるシンボルツリー、“とこしえの樹”です。
天高くそびえ立つ樹は、人々の心の拠り所になり、天上岬の人々をずっと優しく見守ってきました。
その愛すべき“とこしえの樹”が、今まさに【生まれ変わり】の時を迎えたのです。
しかし人々はこれから訪れる不穏な空気にまだ気付いていませんでした。
なぜなら、【生まれ変わり】は、幾千年に一度訪れることなので、誰もどういう事態が起こるのか知らなかったのです。
いつものように花畑へ香料を摘み取りにきたファムとフェルチの仲良し姉妹は、この日、初めてその異変に気づきました。
「あれ、お姉さま? このレモネードリーフ、ちょっと様子が変じゃない?」
そう言ってファムが姉のフェルチに葉を差し出しました。
いつもなら若竹色に輝いているはずの葉色が、どういうわけか黄色く変色しているのです。
「ほんとね……どうしたのかしら」
改めて周囲を見回すと、ところどころ枯れた箇所があるのが分かりました。
「最近よく、魔物たちの鳴き声が聞こえてくるようになったけど……これとなにか関係があるのかなぁ?」
異変の原因はつかめないまま、数日たったある日。
二人のもとに、一人の少女がやってきました。
「あ、あの……私……調香師になりたいんです!」
アネーロと名乗った少女は、ずっとふたりに憧れていて、今日、思い切って声を掛けたのだとのこと。
「この仕事は、あなたが思っている以上に大変な仕事よ?」
「魔物にだってよく遭いますもんね」
フェルチとファムが心配そうにそう言うと、アネーロは元気よく返事をしました。
「それでもいいんです! アタシ、認めてもらえるまでずっと来ますから!」
一方そのころ、“とこしえの樹”では、異変が起きていました。
古い母樹が宿した小さな“タネ”――その行方が分からなくなってしまったのです。
“とこしえの樹”は、――生まれ変わるほんの少しの間だけ、結界の力が弱くなる――という現象が起きます。
そんな時、ちょうど間が悪いことに母樹から落ちたタネはコロコロと坂道を転がり、結界をすり抜け、魔物たちで溢れる外界で迷子になってしまったのです。
――このままでは、“とこしえの樹”は、生まれ変われません!
そしてこの出来事が、ファムとフェルチの仲良し姉妹を冒険の旅へと向かわせることになるとは……
この時のふたりには知る由もありませんでした。
うーーん、困った! すごく困った。
こんなに困ったのは初めてかもしれないというくらい困った。
「ねえファム、お茶でも飲まない?」
「……いりません」
「や、焼きたてのカラメルリーフ入りタルトもつけちゃうぞ〜♪」
「気分じゃありません」
「――あー、そう? じゃ、じゃあお姉ちゃんが全部食べちゃうぞ〜?」
言いながら、私は特別大きく作ったタルトをテーブルに置いて、フォークを手にファムの様子を伺う。
……うん、動く気配なし。あの元気でお菓子大好きなファムが、さっぱり元気をなくして、お菓子に目もくれないなんて。
――そして、私のことを見てもくれないなんて。
……困った。すごく困ったなぁ。
「ちょっと出かけてくるから、留守番よろしくね、ファム」
「……いってらっしゃい」
元気の無い声に送り出されながら、私は工房のドアを閉じる。少し重苦しい空気から開放されて、私はホッとため息をついた。
あれから2日、ファムはずっとパジャマのまま寝転がって窓の外を見つめている。
きっと、あの時夜と一緒に消えてしまった、エテルネのことを想いながら。
私は歩きながら、天上岬のどこからでも見える"とこしえの樹"を、改めてじっと眺めた。
2日前の”夜”、朝日に溶けて居なくなってしまったエテルネは、一本の小さな花枝にその姿を変えた。
それによって”とこしえの樹”を存続させるという私達「みんな」の目的は果たされたけれど、「私とファム」の長年の夢は、ついに果たせないものになってしまった。
――"とこしえの樹"の花で香水を作る。そのためには、花に姿を変えたエテルネを摘み取らなければならない。
そんなこと、私達にはできなかった。
きっと香水が作れないくらいじゃ、あの子も私もへこたれたりしない。
でも、あの子はきっと、エテルネを失ってしまったのが苦しくて、悲しくて、どうしようもなくなってしまってるんだと思う。
私はそんなファムを見ているのが、一番苦しくて、悲しくて。
そしてもっと悲しいのは……私じゃ、あの子に何もしてあげられないという事実だった。
「ねえ、エテルネ。あなたは元気にしてるのかな。あなたのお母さん――ファムはちょっとだけ、元気がないみたい」
空に向かってそびえ立つ、"とこしえの樹"……ううん、エテルネに向かって、私はつぶやく。
「私もね……元気がないファムを、見るのが、つらくってさ……」
青い空と白い雲が、にじんでぼやけた。
「でもさ――私、お姉ちゃんだからさぁ……」
涙が止まらない。いままで我慢していた気持ちが、全部溢れ出てきてしまう。
「こんなところ、妹に、見せられないよね……!」
心がくしゃくしゃに潰れていく。どうしても止まらない涙が、私の頬を濡らしていく。
誰か、この気持ちを、涙を、止めて……! そう思った時だった。
「……あの、フェルチさま?」
困った。すごく困った。
こんなに困ったのは初めてかもしれないというくらい困った。
「だいだいさぁ、エテルネが! グスッ、消えて、いなぐなるならさぁ!? わだしだってね!? もっといっぱいお話じだのに! えぐ、グスッ」
「そ、そうですよね、私もいっぱい色んな事お話したかっ」
「でしょお!?」
「んっ、あ、はい」
フェルチさまは食い気味に私に強く同意してくれる。ただ目が怖いですフェルチさま!
「ぞれにざぁ!? ファムもさぁ、づらいならさぁ、私にぞれをざぁ、ぶづけてぐれればぁーーーー! ああーーーーあーー!!」
「ちょっ、フェルチさま、フェルチさま! 色々拭いてください、お顔がひどいことに!」
「あ゛ぁーーううーー、もぉぉーー、なんでもぉぉーーーー!!」
「よだれ! お鼻も!」
困った、超こまった!!
あのしっかり者のフェルチさまをこんな形でお世話することになるなんて!
「あの、フェルチさま、大丈夫ですか?」
「んん、大丈夫! ……ごめんね、グスッ、アネーロぢゃん、ごんながっこ悪いところ……ううー……!」
「い、いえ、平気ですよ。私でよければ、話くらいなら聴けますから」
「やざじいねぇアネーロぢゃん!! ありがど、グスッ……ううー! ああーー!」
なんだか、酔っ払って泣き上戸になってるお父さんを介抱してる時に似てるなぁと思いながら、私はフェルチさまをどう扱って良いやら困り果てていた。
(……でもフェルチさまがここまで取り乱すなんて、ファムさまは一体どうしているんだろう……?)
エテルネちゃんを失ったことと、"とこしえの樹"の花で香水を作れなかったことは、一体どれくらいのショックをファムさまに与えたのか……。
どれだけ想像しても、私にはその悲しさとか辛さとかは、ハッキリとはわからなかった。
(お父さんなら、こういう時どうするんだろう……)
私がファムさまたちに憧れて調香師になりたいと言った時、お父さんが言ってたっけ。
――お前は他人になれないし、他人の代わりにもなれない。自分のやりたいこと、やれることを見失うんじゃないぞ、って。
……今、私にその言葉が違う形で刺さっていた。
私はファムさまを元気づけたい。でも、私はファムさまになれないから、ファムさまの気持ちが完全にはわからない。
それにエテルネちゃんやフェルチさまにもなれないから、ファムさまを完璧な形で慰めることも出来ない。
自分の無力さが憎い。私は、ただの見習いで、知識も経験もない、どうしようもないほどにただの小娘だった。
……ただ、その時私はふと、エテルネちゃんと"とこしえの樹"の香りを思い出していた。
どこまでも優しくて、ちょっぴり甘い、不思議な香り。
――「やりたいこと、やれることを見失うんじゃないぞ」……お父さんの言葉が、私の中でハッと繋がる。
「……あの、フェルチさま」
「ぐすっ、なあに?」
「香料集めに行きませんか? ファムさまにプレゼントする香水の」
「……なんでファムに?」
真っ赤な目をして、口元に私が渡したハンカチを当てたまま、フェルチさまは首を傾げる。
あの日、ファムさまとフェルチさまは、"とこしえの樹"の花で香水を作ることを諦めてしまった。
そして、エテルネちゃんを失ったファムさまは、今ふさぎこんでいる。
それなら……
「再現するんです、"とこしえの樹"の……ううん、エテルネちゃんの香りを!」
困った。至極困った。
こんなに困ったのは初めてかもしれないというくらい困ったぞ。
「あのね、お父さんの話をよく聞いて欲しいんだけど、"とこしえの樹"の香りはね、魔法的に合成したセスキテルペンアルコールの一種でエンデロールっていう特殊な香料成分があってね、それは人工的に創ることが非常にむずかし――」
「そゆこと聞いてんじゃないの! 出来るか出来ないかを聞いてるの!」
「出来ないことはない、けどもね! その、生成するのがすごくむず……かし……」
私が言い淀んでいると、アネーロは私に向かって上目遣いでキラキラした視線を送ってくる。
「お父さんにしか頼めないの……!」
「んーー! う~~~ん!!」
その目はずるいよアネーロちゃん! 困った、超こまった!!
「ファムを、元気づけたいんです……お願いじまず、ベアード教授ぅぅああーーうーー!」
フェルチくん、急に泣き出すのびっくりするからやめて! 何があったかおじさんに説明して欲しいな!
「もおおぉーー! お父さんがグズグズするからフェルチさまがまた泣いちゃったでしょ!」
「教授はわるぐないのぉ、わだじが頼りないがらぁーー! うーー!」
「とりあえず二人共落ち着きなさい、ね!」
もおおぉ、しっちゃかめっちゃかだよ!
……十数分ののち、落ち着いたフェルチくんとアネーロから詳しい事情を聞いた私は、"とこしえの樹"の香料を再現するのが非常に難しいこと、そして仮にそれが成功したとして、完成までに最低でも2年以上かかること――つまり、再現はほぼ不可能だということを慎重に言葉を選んで伝えた。
ただし、別の希望はある、ということを付け加えて。
「……お父さん、どういうこと? 再現できないのに、希望なんてあるわけ無いじゃない!」
「落ち着きなさいアネーロ。あれから――エテルネくんが消えてから、君たちは"とこしえの樹"へ向かったかね?」
「……そういえば、行ってません。エテルネちゃんのこと、思い出すと、辛くて」
フェルチくんの言葉に、私はフムと一度頷く。そんなことだろうと思っていた。
「私はあれから何度も"とこしえの樹"へ足を運んでみた。不思議なのだが、結界が復活していないのだよ」
「……! じゃあ、樹皮や葉は、まだ手に入るんですね!」
「そういうことになる。さあ、いくぞ二人共! グズグズしているヒマは無いぞ、いつ結界が復活するかわからん」
「……はいっ!」
二人の返事を背中で聞き、いつかと同じように私は二人を連れてとこしえの樹へと歩を進める。
「ありがとうございます、教授。本当に……!」
「なに、気にすることではない。私の知識が人の役に立てば本望だよ」
私とてひとかどの植物学者だ。誰かに頼られれば、その知識をもって問題を解決する。
きっとその姿こそが、普段頼りない私が見せられる最高の背中なのだろう。
アネーロは今、私を少し誇らしげに見つめている。
……調香師という夢を見つけられて、よかったな、アネーロ。
植物の枝と同じように、いくらでも枝分かれしたその道から、お前はひとつの枝を選び、花を咲かせようとしている。
頼りない父親だが、私はそれを何よりも楽しみに、嬉しく思っているよ。
困ったなぁ、すごく。
こんなに困ったのはいつ以来だろう。
「……聞いてますか、ロゼッタ」
「はーい、聞いてまーす」
アタシ達「威薔薇種」の植物にはリーダーというか、ボスというか……まあ、そういう頭がいるわけよ。
太陽の石を持ち、眠ることなく"とこしえの樹"を守り続ける、奇しきオールドローズ『ヴェレッド』。それが私達のボス。
んで、アタシは今そのヴェレッドに超怒られてるってわけ。
「では、あなたが今叱られている理由をもう一度説明なさい」
「……えーと、なんでしたっけ。"とこしえの樹"のタネを食べようとしちゃったから?」
「いいえ、この天上岬すべての未来を潰す可能性があったからです」
「だいたい同じじゃないですかぁ、果物が先かタネが先かみたいな問題でしょ、それって」
「あなた反省してます?」
「してるって言ってるじゃないですかぁ〜、もー」
困った。超こまった。
そして何よりめんどくさい!
「あなたは曲がりなりにも”とこしえの樹”の守り人の一人なのですから、自覚をもっと……」
「はいはいはい! わかりましたわかりました!」
アタシはそう言いながら、ツタを樹の枝に伸ばし、思い切り体を引き上げてヴェレッドから逃げる。
「あっ、こら!」
ヴェレッドは声を荒げるけど、すぐに私を見失った。ずっと結界の中に引きこもってたヴェレッドと違って、この辺は私の庭なんだからさ、追いつけないのは当然よね。
そもそも、あのタネがすごくいい匂いなのがいけないのよ。
美味しそうっていうか、なんていうか……そう、まさに食べちゃいたいくらい可愛いというか。どうしようもなくそれが欲しくて、大事にしたくて、たまらなくなる。
きっと感受性の強い人間でも、ああいう気持ちになるんじゃないかな。例えば、リリー姉妹の妹の方とか……。
(それにしても、あれがまさか"とこしえの樹"のタネだったとはね)
私は空高くそびえる樹を眺めながら、あのタネの匂いを思い出していた。
甘くて、可愛くて、ドキドキするような、ステキな香り。
少しだけ人間の匂いが混ざってて、でも太陽花みたいに暖かい……そう、ちょうど今このへんに漂ってるような香り。
「……って、えっ!?」
どういうこと……? なんであの匂いがするのよ。"とこしえの樹"は少し遠いから、ここまで香りが届くはずない。
「まさか――」
私達植物は、基本的にタネを作る時、芽を出さない可能性も考えて多めにそれを作る。
もし、"とこしえの樹"も、長く生きる過程でその『進化』を選んだとしたなら。
「……可能性はあるわね」
私は急いで匂いのする方向へとツタを這わせる。今はもう、樹の代替わりは終わっているはず。
「なら、もうひとつは――」
……アタシが貰っても、いいよね?
ジャガードは困っていた。
先日、人間たちが自分たちの住処を荒らしに来た時以来の困り方だった。
「ガウゥ……!」
グランが警戒して唸り声を上げるのを、ジャガードの背中を叩いてなだめる。
いつも彼らが寝床にしている古木の虚のなかに、なんだかよくわからないモノが根を張り、入れなくなっているのだ。
何年か前に見つけた、お気に入りの場所だったのに。ジャガードはそう思いながら、そのよくわからないモノに手を伸ばしてみた。
明らかに植物である見た目を持っているにも関わらず、それは暖かく、静かに脈打っている。
困った。ジャガードはこんなものを見たことが無い。
見たことのある植物や動物であれば、それが毒や敵であることはわかる。また、仮に初めて見る何かだとしても、匂いや雰囲気でそれが何であるかをある程度判別することが出来た。
だが、それが全くわからない。
優しく、少し甘い、爽やかで心地のよくなるような香りをしているにも関わらず、寝床を完全に塞いでいるそれは、ジャガードにとっては邪魔者であると同時に安心できる『何か』だった。
触っても特に反応がないところを見ると、害があるわけではない。
困った。
これをどう扱っていいのか、ジャガードにはわからなかった。
「グル……ル……」
興奮して唸り声をあげていたグランも、今は少し落ち着いている。
きっとこの優しい香りのせいだろう。ジャガードも、自分の寝床を塞がれたことを半ば忘れていた。
「ふあぁ……」
大きなあくびが自然と出てきてしまう。グランはすっかり伏せの格好で眠ってしまっていた。
その背中に体をあずけるようにして、ジャガードも眠りにつく。
やがて香りに誘われたのか、一匹、また一匹と森の動物や蝶たちが集まってくる。
天上岬、という言葉が相応しい、美しい光景がそこに広がっていた。
困った。すごく困った。
両手いっぱいのマドレーヌを抱えたまま、ボクは途方に暮れていた。
フェルチに頼まれて、ファムを元気づけるために焼きたてのマドレーヌを持ってくるって約束してたんだけど……。
「誰も居ないのかなぁ」
工房の扉をノックしても、誰も返事をしてくれない。
持ってきたマドレーヌをそのまま持って帰るのも気が引けるし、とはいえこれを置いていくわけにもいかないしなぁ……。
と、ボクが腕組みをして悩んでいると、今一番聞きたくない声が聞こえてきた。
「おいブレド! またパンのデリバリーかぁ、ご苦労なこったな!」
「カルテロ、これはパンじゃない、マドレーヌだ。あとうるさい。……まったく、ファムの元気が無いときによくそんな元気でいられるな」
「ファムの元気がないときに、明るくしなくてどうすんだよ、クソ真面目なお前が来ても毒になるだけだって」
「なんだと?」
「やるか!?」
……とお互いに意気込んだものの、ボクとカルテロはお互いに大きなため息をついて矛を収めた。
互いの見解は違えど、ボクとカルテロの目的は同じ。
ファムの元気を取り戻したい。
ただ、それだけだった。
でも、困ったことにそのファムがどこに居るかがわからなかった。
「ファムは留守にしてんのか?」
カルテロが玄関の窓を覗きながらボクに聞く。ノックしても返事がない、ということをボクが伝えると、少し考えたあとカルテロは言った。
「もしかして、"とこしえの樹"に行ったんじゃないのか?」
「なんでさ」
「う〜ん……いやホラ、エテルネが懐かしくなったとか……ちょっと散歩したくなったとか……」
「根拠が薄いよ、カルテロはいつも適当すぎる」
「考えるよりまず足を動かせっての! ホラ行くぞ!」
「カルテロ、足を動かしてるのはラルゴだ。お前じゃない」
「そういうこと言ってんじゃねーよ! あーもー、ホント頭が固いなブレドは!」
一度消えた火花が、ボクとカルテロの間でもう一度散り始めた。
それを面倒臭がったのか、舌打ちをひとつして、カルテロはプイッとこちらに背を向ける。
「頭でっかちのブレドはそこで待ってればいいさ、オイラはファムに会いに行くぜ!」
「カルテロに任せてたらファムが今より落ち込む可能性がある。ボクも行くぞ」
言葉の後に、ボクとカルテロはお互いに目を合わせた。
こんな感じで目的がいっしょになった時、やることといえば決まっている。
「ブレド。とりあえずその大量のマドレーヌをラルゴに載せろ。話はそれからだ!」
「よし!」
ボクはラルゴの背中にある荷台にカゴごとマドレーヌを載せると、準備体操を始める。
カルテロもラルゴの様子を伺い、お互いに用意が出来たことを確認すると、
「……じゃあ!」
「……競争だッ!!」
カルテロの言葉を合図に、ボクたちはいっせいに走りだした。目的地は遠くにそびえる、"とこしえの樹"!
「ファムーー!! 待ってろよーー!!」
「まだ居るかどうか分かんないだろ! 荷物落とすなよ!」
全く……ホント困るよな、こういう考えなしの奴は!
困った。コイツぁ困ったぞ!
オイラが悪いとはいえ、コイツぁ困った事になった!
「……まったく、これだからカルテロは」
「ブレドって言ったっけ、アンタ。どうするコイツ」
「ロゼッタ、好きに痛めつけて貰って構わないよ」
ちなみに今、オイラはウネウネ動くツタにグルグル巻きにされた上で枝に吊るされている。
なんでこうなったかというと……少し前にちょっとした事故が起きたからだ。
時間は少しさかのぼる。
「くっそ、ブレドの奴、早いな……!」
"とこしえの樹"へ向かう途中、大きくブレドに引き離されたオイラは超焦っていた。
ここまで遅れちまったのは、だいたいアイツのマドレーヌのせい。この馬鹿デカい荷物が枝に引っかかってなけりゃ、今頃アイツを追い抜いてるってのに!
「急げラルゴ! あいつに負けたらまたしばらく馬鹿にされるぞ!」
「バウッ!」
そんな感じでフルスピードを出し、草むらを抜け出たところに……立ち止まっているブレドと、ロゼッタが居たわけよ。
そうなりゃどうなるかは、まぁわかるよな。オイラとラルゴはあいつらにフルスピードのタックルをぶちかましちゃって、現在に至るというわけ。
ちなみにその時にマドレーヌ入りの荷物は盛大にぶちまけた。
(ま、まぁ、悪いとは思うけど仕方ねーよな……)
ブレドに後で謝っとくか、とかオイラが考えていると、
「ちょっと、聞いてんの!?」
言いながらロゼッタがツタをギューッ! と締め付けてくる。
「ぐえっ! 中身が出るだろバカ!」
「バカはアンタよ! ああもう、私の肌に傷がついたらどう責任とってくれんの!?」
「パンも落としただろ、せっかく作ったのに!」
「いたたたたた、やめろお前ら!」
ブレドはブレドでオイラのことをトングでゴスゴスつつき始めるし!
(あーーもーー困った、超困った! どうすりゃいいんだ!)
オイラが色々と限界を迎えそうになった、その時だった。
「カルテロさん? それにブレドさんと……イヤーーーー! 魔物!」
現れたのは、アネーロ、フェルチ、ベアードの三人。
「アネーロ、ちょうど良かった、オイラを助けてくれ!」
「ヤです! 魔物コワいですもん!」
「ほほう、威薔薇種の守り人じゃないか。なかなか珍しい光景だな」
「言ってないで助けてあげて下さいベアード教授……!」
「いーや、フェルチは甘いね。カルテロはボクのパンを台無しにしたんだ、このくらい当然だよ!」
「ちょっと、アンタ達私のこと無視しないでくんない?」
「それよりオイラをさっさと下ろせよロゼッタ!!」
思い思いに皆が言いたいことを言いまくっている状況。もうどうしようも収拾がつかなくなってきたぞ!
……だが、その混乱を破ったのは、意外な人物だった。
「うるさーーーーい!! ソリッサの家の近くで、騒ぐなーーーー!!」
困ったことが起きた。とても困ったことが。
私の家は樹の上にある。俗にいう『ツリーハウス』というやつ。
いつもは静かなこの家なのだけれど、ココ最近来客が多い。
つい先日はヴェレッドという名前の"とこしえの樹"の守り人が、私の家にやって来た。
話によれば、私のひいひいお祖母様の知り合いらしく、私たちの一族が結界魔法が得意ということも知っていて、その力は"とこしえの樹"の窮地を救う使命のためにあるとかなんとか。
そういう流れで、私は"とこしえの樹"の頂上付近で、結界を張って待っていたというわけ。
……でも、よく考えれば、そんな使命だとかは、結局大人の都合。
大人が勝手に決めた使命に、子供を巻き込まないでほしい。
私はそれがイヤだった。結婚相手が決まってるとか、行く場所が決まってるとか、使命とか……。
そういうのが全部嫌になって、私は外の世界から天上岬に逃げてきた。
この美しい場所で一度眠ってしまえば、そういう使命とか過去とかがスッカリ無くなって、気持よく目覚められるかも、なんて思って、私は毎日を生きている。でも、そんな日は来ない。そんなことはじめから知ってる。
だけど、私は明日を願って眠らずにはいられない。何もかも捨てられる明日を夢見て、眠りの中に逃げている。
夜も朝もない、このあいまいな世界で。
……それなのに!
ゴチャゴチャゴチャゴチャ私の家の下で騒ぐ奴らが居る。
黙ってればそのうちどこかに行くかと思ったけど、まったく動く気配がない。
ついに私は限界に達した。
「夢くらい自由に見させなさいよ……アッタマ来た!」
私はそう叫ぶと毛布を蹴り飛ばし、ドアを勢い良く開けて下へと飛び降りた。
「うるさーーーーい!! ソリッサの家の近くで、騒ぐなーーーー!!」
……とまあ、ここまではよかった。
「……そ、ソリッサ、お前ずいぶん可愛いパジャマ着てんだな。ナイトキャップまでして」
「うぐ……」
グルグルに縛られた獣人――確かカルテロとか言ったっけ――が、私の格好を見て言う。
そう、私は自分が完全にパジャマスタイルだということを忘れていたのだ。
「あの、ソリッサ……?」
フェルチさんが私に憐れみの声をかけてくる。困った。大変困った。超恥ずかしい。
勇んで出てきたのは完全に失敗だった、ほんとにもう今日は厄日だ……と思った私が逃げ出そうとした時。
――その場に、懐かしい香りが漂ってきた。
そして同時に皆が、それに気づき、私は皆の視線を追ってハッと振り返る。
「これは、とこしえの……」
私の背後にある大きな古木。一見して大きな虚(うろ)があるとわかるその木から、その香りは漂っていた。
「なんと……」
その虚の中を見た瞬間、ベアードが感嘆の声を上げる。
森の守り神に包まれるように守られながら、それはあった。
巨大な、つぼみが。