【黒ウィズ】テスタメント編(ザ・ゴールデン2016)
ザ・ゴールデン2016 テスタメント編 |
2016/04/28 |
目次
story1 叡智の大天使
これは、ミカエラやイザークが生まれる以前の天界の物語。
玉座に座るは、若き聖王――イアデル。
そして、その傍らに侍り、イアデルに知恵を授け――
時には血気に逸る若き王をなだめ、その覇業を支え続けている大天使がいる。
名は、テスタメント・ヘイル。
「この世は、あらゆる矛盾に満ちている。善人が、必ずしも善行を積むわけではない。
同じく、悪が必ずしも世界を混沌に導くとは限らぬ。」
「…………。」
テスタメントは、玉座の傍らで黙したまま、王の言葉に耳を傾けていた。
イアデルは玉座に座って、まだ日が浅い。
だが既に臣下からは、非情に峻厳な王だと噂され、恐れられていた。
「善と悪との戦いは、どちらが勝利する?善が勝つのが必然であろう?
聖なる者と愚かな者との戦いも同じことだ。」
イアデルは、曇りのない目でじっとテスタメントの目を見つめている。
「我が王におかれましては、このたびの戦況、いささかならず、ご懸念がおありで?」
まるで、幼い子どものような、曇りのない輝きであった。
テスタメントは、この王のあらゆるものを見通すこの洞察眼を畏怖した。
「大天使テスタメント。俺は、貴様の智慧と聡明さを買っておる。
軍のことだけではなく、世界のあらゆる儀典、礼法、祭事、政(まつりごと)……。
全てに通じ、あらゆることに目配りできる調和の取れた思考……。その頭脳を、俺は好いている。」
「我が王の身に余るお言葉。恐懼(きょうく)の念に堪えません。」
「それゆえ、そなたに反乱を起こした魔族の鎮圧を委ねたのだ。」
「はっ。」
天界と魔界が属する〈神界〉は。これまでは、なんとか調和が取れており、異界同士の大きな衝突はないように見えた。
しかし、全面的な戦争にまでは至らないまでも、局地的な衝突はたびたび起きていた。
現在、聖王イアデルの頭を悩ませているのは――
一部の跳ね返りの魔族たちが、天界と魔界の境界に兵を送り込み、領域を侵犯しようとしていることだった。
「ぬるい……っ。此度の反乱軍への対策は、全てにおいて、ぬるいと言わざるを得ん。
あまり俺を煩わせるな。貴様以外に、いったい誰に天界の軍勢を任せろというのだ?」
テスタメントは頭の中で言葉を探した。
だが、どれもイアデルの期待に添えるような言葉ではない。
ましてや、聖王に反論するなどもっての外。
「我が王の仰せのとおり、すぐさま采配を練り直します。」
「ならよい。……下がれ。」
「我が王の煩い、すぐさま取り除いてみせましょう。」
イアデルは、返事をしなかった。
今はもう、別のことに思考を奪われている。
こういう時は、軽々しく言葉をかけるべきではない。
テスタメントは、黙って玉座の間を辞した。
「やはり王は、ご憂慮あそばされましたか……。」
天使軍の副軍団長マクシエル・ウーゴ。
まだ若い大天使だが、軍勢を掌握する術に長けている、なかなかの男だ。
穏健な天使が多いこの天界において、将来有望な指揮官である、とテスタメントは評していた。
反乱鎮圧ごときに兵を失いたくない。兵の消耗を少なくするには、これしかないと思ったのだが……。
我が王には、積極さに欠けるように見えたのであろう。
テスタメントは、戦略図を広げようとした。
すると、従卒の若い天使兵たちが、一斉に集まってきて、テスタメントが広げた地図を支えた。
(この者たちを死なすことになるのか……)
心の中でテスタメントは呟く。
「戦局が停滞してきております。聖王のご懸念は、やはりその一点に尽きるのではありませんかな?」
それは、重々承知していた。
だが、兵が足りない。
神界には、長い期間、調和が保たれていた。
その間、大きな戦もなく、平穏な日々が続いた。
それ故、兵は必要とされず、最低限まで削減されていた。
(当初は、こちらの団結力で魔界の反乱軍を圧倒できていたが……)
魔族たちもしぶとく、勝敗の決め手がないまま、反乱軍との戦を長引かせてしまった。
(最初は、少数の魔族が起こした小さな反乱にすぎなかった。しかし、反乱に荷担するものが、あとを絶たぬ。
今や反乱軍の勢いに押されて、こちらの兵の損耗が増すばかりだ)
その現状を、イアデルも知らないわけではないだろう。
しかし、このような危機だからこそ、イアデルは最も信頼を置くテスタメントに全軍の指揮を委ねたのだ。
(我が王のご信頼に応えるのは、今しかあるまい)
元は、地上に暮らす身であったテスタメントを大天使にまで引き上げてくれたのは、イアデルなのだから。
「テスタメント様? なにをお考えですか?」
「いや……。策を考えておったのよ。」
「実は、私に秘策があるのですが、献策させていただいてもよろしいてすかな?」
マクシエルは、才能ある若者だとテスタメントも認めている。
だが、才あるだけに、その腹の底は知れぬ。
「いや、もう策は決まった。」
「ほう?いったいどのような?」
「……我が王のご期待に添うには、これしかあるまい。」
そう言った直後――
哀れむような目で、テスタメントは周りに侍る若い天使兵たちを見つめた。
天界歴に記す――。
水が落ちる年の翼が伸びる月。
反乱軍と天界軍との間で、衝突があった。
勝敗敗は、大天使テスタメントの指揮により、天界軍の大勝利に終わった。
そして、反乱を起こした20万の魔族を捕虜にする大戦果をあげた。
だが、天界軍の犠牲も大きく、1万を越える天使兵が、歴代聖王の膝元に召された。
「我が優秀な懐刀よ。よくぞ、勝利へと導いてくれた。」
「全て聖王のご威光にあらせられまする。」
「謙遜するな。そなたを重用した我が目に狂いはなかった。」
「聖王の洞察の鋭さ……。感嘆の他、ありません。
そのご威光を持って、一気に反乱を鎮圧いたしましょう!」
本来なら、すぐに口を挟むところだが、今日のテスタメントは口数が少ない。
テスタメント聖王の間に来てからも、ずっと晴れない顔をしていた。
(今回の勝利を得るために、万を超える天使兵が犠牲になった。
私が立てた強引な作戦ゆえに……。本来犠牲にならなくていい者を犠牲にしてしまった。
死んだ者たちには、償っても償いきれぬ)
「天使と魔族が、争い合わなくなる日も近いであろう。
この不毛な戦を1日も早く終わらせるのだ。」
(だが、これでよいのだ。我が王に勝利を授けるため――
今後も、聖王の代わりに私が泥を被る。その覚悟は、とっくに出来ている。今更、迷うことなど、なにもない)
story2 決断と逡巡
テスタメントは、今でもたびたび思い返す。
この天界より邁か下界にある、故郷の風の香りを……。
故郷を離れて数え切れないほどの年月が経ったが、1日たりとも忘れたことはなかった。
私は、天界ではない……地上の生まれだ。
だから元の私は、天使でも魔族でもなかった。ただ書を好む、小さな部族の一員に過ぎなかった。
私の仲間たちは皆、自然を愛し、天より与えられた恵みに感謝し――
知識を愛し、同胞愛に満ちた温厚な者たちだった。
私は彼らと共に、森羅万象、あらゆる事柄を学び、その知識を後世の者へと託す。
……それだけの存在でよかった。
それがなぜ今、天界の大天使という身分にあるのか。
ひとえに、イアデルの存在があってこそだ。
「天界に生まれたわけでもない、ただの人であるこの私を召し抱えると仰るので?」
「そうだ。」
まだ先代王がご健在であられた時代。
イアデルは、若き天界の王子であった。
「しかし、王子がよくても、他の天使たちが黙っておりますまい?」
「この戦を終わらせるには、生まれや種族に拘っている場合ではない。
貴様の智慧は、天界の誰よりも優れておると聞く。俺に力を貸せ。」
イアデルは、魅力的な人物だった。
聡明で、時代の流れの先を見通せる頭があった。
そしてなによりも、賢人を愛した。
「……わかりました。」
神界の均衡を崩さず、保ち続ける。
そして真の平和を手に入れたいと願うイアデル。テスタメントも同じ気持ちだった。
「イアデル様。今日からあなた様が私の主です。
私が、これまでに得た知識……。どうか、存分にお使いください。」
テスタメントの指揮によって、天界軍は大戦果を挙げた。
その一方、勝利のために犠牲になった若き天使兵たちの嘆きは、誰にも届かない。虚しく天に響くのみ。
「此度のご采配お見事でございました。テスタメント様の名声は、これ以上ないほど高まっております。
さすが、聖王より直々に召し出された賢者だと、皆、諸手をあげて褒め称えております。」
「人の評価など、月日が経ては色樋せるだけだ。そのようなもの、私には無用。」
「その腰の低さも、人気の秘密でしょうか?」
「茶化すでない。」
聖王の居ない玉座。
テスタメントは、今後の方策に頭を悩ませていた。
なによりもまず先に決断すべきことは、反乱を起こした20万を超える魔族たちの処遇である。
「我が王は、なんと仰せであるか?」
「既に勝敗は決した。両界に調和をもたらすには、これ以上の憎しみを生み出す必要はない、と仰せです。」
イアデルの聡明さは、そのバランスの取れた思考に現れている。
決して蛮勇を誇る王ではない。
テスタメントも、イアデルのそういった一面を愛していた。
「では、議論の余地はないな。すぐに捕虜を解放すればよい。」
「ですが、よろしいのですか?解放された反乱兵どもは、再び我々に牙を向けますよ?
そのせいで、また我が軍に被害が出たとしたら?」
「……なにが言いたい?」
「聖王は、慈悲深いお方です。感情に流され、非情な決断を下せないこともある……。
天界のことを考え、聖王に代わって手を汚すことができる者こそ、誠の忠臣ではないでしょうか?」
「若造の分際で、私に臣下のあり方を説こうというのか?」
「め、滅相もございません!お気を悪くなされたのでしたら、お許しを。」
マクシエルの過剰な狼狽を見て、テスタメントは、すぐに怒気を和らげた。
そして複雑な表情でじっと机の上に視線を落とした。
(反乱軍20万といえば、我が天界軍とほぼ同数。
兵の団結力は、こちらが勝っているとはいえ、見過ごせない数だ。
マクシエルの言うことにも一理ある。再び、若い天使兵に犠牲を強いるくらいならば……。)
天界歴に記す――。
水が落ちる年の風が止まる月。
天界は、先の戦で捕虜にした反乱兵20万を処刑した。
流れ出た魔族の血は、天界一面を滴らしても足らず。
地上に赤い雨となって零れ落ちた。
赤い雨は、3日3晩降り続き、地上の作物を全て枯らした。
story3 イアデルの聖断
テスタメントの命令により、捕虜の処刑が行われたとの報告を受けたイアデルは――
驚いたような表情を見せた。
そのような苛烈な命令をテスタメントが下したことを意外に思ったようだった。
しかし、すぐに厳格な聖王の顔に戻り――
「……わかった。」
短く、そう呟いた。
「捕虜処刑の報を聞いた魔界の民は、大いに嘆き、そして混乱しているとのこと。
兵たちには、先の勝利に騏ることなく、次の戦に備えよと申しつけてあります。
聖王よ。今こそ、戦乱を終わらせる時かと。」
マクシエルの言葉をイアデルは、ほとんど上の空で聞いていた。
「テスタメントはどうした?」
「は……。テスタメント様は自らの判断で、屋敷にて謹慎しておられます。
何でも、今回の戦争で犠牲になった者たちを弔うのだと……。」
「そうか。奴らしい律儀さよな。」
イアデルは、ロ元を歪めて笑う。
「だが、俺の許し無く屋敷に閉じこもるとは。そのようなこと、以前の奴では、ありえなかった。
人は変わるものよ……。」
イアデルは寂しげに呟く。
このようなイアデルは、これまで誰も見たことがない。
居並ぶ他の天使たちは、誰も口を挟めなかった。
「テスタメント様は、このままの勢いで他の反乱兵どもを蹴散らすべしと……そう申されておりました。」
集まった他の大天使たちは、「先の戦いの傷も癒えていないのに……」と不安を口にする。
「勝つには勝ったが、天界側の被害も大きい。
それは、テスタメント殿が一番分かっているはずなのに……なぜ?」
「なぜ、テスタメントはそう急ぐ?それとも、勝算があるのか?」
「聖王の懸念はごもっとも。テスタメント様もそれを見越して、次の戦は策を用いると申しております。」
「策だと?」
「はっ……。」
マクシエルは、イアデルの指輪に視線を注ぐ。
「先王から受け継ぎし、永劫回帰の指輪。魔族どもに二度と天界の領土を犯させないようにするには、これを使うしかありません――
と、テスタメント様が……。」
「この指輪を使うと?」
イアデルは、一切の感情を込めずに呟いた。
その表情からは、誰も聖王の本心を察することができなかった。
玉座の間から、天界の大天使たちが辞していく。
その中にマクシエルが混ざっていた。
大天使のひとりが、マクシエルを呼び止める。
「テスタメント殿は、本当にあのようなことを進言なさるおつもりか? あの慎重なテスタメント殿が……」
その大天使は、怪厨そうな顔をしていた。
「私は、テスタメント様のお言葉をそのままお伝えしただけですので………。
これを機会に、反乱の芽を全て摘み取っておきたいとお考えなのでしょう。
故にテスタメント様は、聖王に代わって、進んで手を汚す覚悟のようです。その忠誠心に、私は感服いたしました。」
呼び止めた大天使は、それ以上なにも言えなくなった。
この天界で、軍勢を指揮する能力。聖王の信頼。忠誠心……。
どれをとっても、テスタメントに並び立つ者がいないのは確かだった。
「だが……。」
大天使は、去り際に呟いた。
「永劫回帰の指輪は、天界における王位継承の証。
指輪に秘めた力は強大だが、それをいつ使うか決めることができるのは聖王だけ……
此度の献策、不快に思われなければよいが……」
「捕虜を全て処罰したこと……我が王は、なんと申された?」
「聖王は、ことの他お喜びでした。よくやった、これで犠牲になった兵たちも報われるだろう――
テスタメントは、いつも我が意を汲んで動いてくれる、と……。」
マクシエルの言葉を聞いて、テスタメントは首を傾げる。
「我が王が、臣下の前でそのように感情を露わになさるとは思えんが……。」
「きっと、聖王も忸怩(じくじ)たる思いがあったのでしょう。居並ぶ古参の臣下たちも、聖王と共にお喜びでした。
我が王も、まだお若い。我々に打ち明けられない思いを溜め込まれておられるのかもしれぬ。
――ですが、喜ばれていたのは、そこまでです。
なぜテスタメントは、今すぐ軍勢を動かし、残りの反乱軍どもを根絶やしにせんのだとお怒りになられました。
テスタメント様が無断で謹慎なされたことも、聖王は快く思われなかったようです。」
(だが、前の戦で受けた被害も残っている。犠牲になった者たちの遺族への佗びが終わらないうちに次の戦など………)
迷うテスタメントの思考を見通したかのように、マクシエルは言葉を続ける。
「テスタメント様は、永劫回帰の指輪をご存知ですか?」
「もちろんだ。あの指輪には、世界が一つ消滅してしまうほどの力が秘められている。」
故に、永劫回帰の指輪は聖王以外が触れることは許されない。
「他の反乱軍どもをおびき寄せて、あの指輪で殲滅できれば、こちらの被害はなく、容易に勝利をつかむことができます。」
「しかし、そのようなこと我が王が、許すわけがあるまい。」
「いえ、聖王もきっとそれを望んでおられます。これ以上、戦を長引かせるのは、聖王の意ではありますまい。
しかし、やはり聖王も迷っておられるご様子……。」
「さもありなん。指輪の力を解放すれば、地上にも被害が及ぶであろうからな。」
「故に、誰かが憎まれ役を引き受けなければいけないのではありませんか?」
(確かに永劫回帰の指輪を使えば、反乱の芽を摘むどころか、魔界全土を支配することもできる……
だがしかし……。あの指輪を使用すれば、魔界だけでなく、天界……そして我が故郷にも被害が及ぶ!
我が王は、焦っておられるのだ……。勝利の美酒は、我が王から正常な思考を奪ってしまった。
私が、お諌めせねば。永劫回帰の指輪の使用は、身体を張ってでもお止めせねば)
「我が王に申し上げたきことがある故、拝謁を賜りたい。マクシエル、その旨、侍従共に伝えてくれぬか?」
「かしこまりました。私が、話をつけて参りますのでしばらくお待ちを。」
深々と頭を下げて、王城内に戻っていくマクシエル。
テスタメントは、妙な胸騒ぎを覚えながら、去って行くマクシエルを見送っていた。
テスタメントは、長い時間待たされたあと、ようやくイアデルに謁見することを許された。
玉座の間は、静まり返っていた。
「我が王におかれましては……。」
うやうやしく傅(かしづ)き、型どおりの挨拶を済ませようとするテスタメントをイアデルは制した。
「挨拶はいい……。用件を申せ。俺に意見があるそうだな?」
いつも以上に、イアデルの言葉は短い。
聖王の真意が見えずにテスタメントは、思わず動揺してしまった。
「はっ。我が王が現在お持ちになっておられる、永劫回帰の指輪についてです。
その指輪、一旦私にお預けくださいませぬか?」
イアデルは、相変わらず表情を変えなかった。
「永劫回帰の指輪は、天界の王が持つ物だと知った上で申しておるのか?」
「当然、存じております。その上で――。」
「もうよい。」
「は?」
「やはり、マクシエルの申した通りであったか。」
慌ただしい足音が聞こえてきた。
何事だと、テスタメントが振り返ると――。
城の衛兵たちが、続々と玉座の間に入ってくるではないか。
「無礼な! 聖王との謁見を邪魔するつもりか!?」
「反逆者テスタメントを捕らえよ!」
「なんだと!? マクシエル!? 貴様、なにを言っておる!?」
「……お許しを。〈我が王〉のご意向です。」
「なぜだ……!? なぜ、私が捕らわれる!? 我が王よ!?」
「……。」
イアデルは、なにも言わない。
黙然と玉座に座したまま、テスタメントを見つめていた。
「――我が王よ! お答えください! なぜですか!?
――聖王よ!」
天界の牢獄。
大天使の資格を剥奪されたテスタメントは、冷たい水が滴る洞穴に押し込められた。
「これはなにかの間違いだ。聖王が……私を見捨てるはずがない。
私は聖王に仕えるために、故郷を捨てることを決意した……。
それは一重に、イアデル様が私を必要としてくれたからだ。
私の智慧は、きっとまだ天界に必要なはず……。
もう一度、我が王にお会いしたい。そして、なにが原因でこうなったのか事実を究明するのだ。
もし、私を陥れようと計った者がいるとしたら……。許してはおけん。」
テスタメントは、後者であることを祈った。
誰かが堕した天使を笑いに来たのか……。はたまた聖王からの使いだろうか?
「テスタメント様……現在、地上の民が飢餓に苦しんでいるのはご存知でしょうか?」
その者は、挨拶もなく告げる。
「むろん知っている。それが、なんだというのだ?」
地上の飢饉(ききん)。
全ては、捕虜を処刑したことにより降り続いた赤い雨のせいだった。
作物は枯れ果て、地上のあらゆる生命は、自然の実りを失った。
捕虜の処刑を命じたのは、確かにテスタメントだが、それは王の気持ちを汲んでのこと。
「魔界の連中が、地上の人間たちを取り込んで、兵力を補充しているのはご存知ですか?」
もちろん、テスタメントは知っている。
「飢饉に苦しむ地上の人間たちは、進んで魔界に身を落としていることご存知ですか?」
立て続けの問い。テスタメントは、露骨に苛立ちを表情に宿す。
「皮肉なことに、今では魔界の方が、地上よりも暮らしやすいようです。
ですから、やむなく魔界に身を落とす人問たちが、後を絶たないとのこと……。」
地上の人間たちは、本来天界の天使たちが庇護するもののはず。
それが、魔族たちに庇護されているとは、本末転倒。
「私は、その責を負わされたというのか?」
マクシエルは答えず、事務的に言葉を続ける。
「地上のとある部族もまた。飢えに耐えかねて、魔界に身を堕としたそうです。」
マクシエルの表情に、これまでテスタメントが見たことがないほどの憎しみの影が宿る。
「やはり、人間は愚かだ。そして醜い……。自分が生き残るためならば、魔族にすら平気で魂を売る。
――これは、私の言葉ではありません。我が王のお言葉です。」
「何が言いたいのだ!?」
突然、テスタメントの足下にいくつもの黒い物体が転がってきた。
暗がりでよくわからなかったが、目を凝らして見ると、それは亡骸だった。
「まさか……まさか……!? ああっ!? なんてことを……」
狼狽しながらも、テスタメントは、足元に転がされた骸を抱いた。
骸の顔。そのどれもに見覚えがあった。
「我が王の命令で、私はーつの部族を滅ぼしました。放っておけば魔界に墜ちて行くような奴らです。厄介の芽は、今のうちに摘んでおくに限る。」
「この者たちは……私と同郷だと知っての仕打ちか!?
勘違いなされるな。王のご命令です。むしろ、私はテスタメント様をかばったのです。
我が王は、同じ部族である貴方様も、同様に処罰なさろうとしました。魔界に通じた者は、処罰される定めです。」
「なんということだ……。そのようなこと、あるわけがない!」
言葉が出てこなかった。
必ず真実を見通してきたイアデルの慧眼が、今回に限っては曇ってしまっている。
それが、テスタメントにとって、なによりも辛かった。
「命はとりません。ただし、天界からは追放いたします。それが我が王のご決断です。」
天界歴に記す――。
水が落ちる年の地上が芽吹く月。
天界の王イアデルは、大天使テスタメントを天界から追放した。
罪状は以下のとおり。
ひとつ、聖王の許可を得ず、反乱兵20万を虐殺したこと。
ひとつ、聖王を裏切り、魔界と通じたこと。
ひとつ、聖王が持つべき禁忌の指輪をねだり、私有しようとしたこと。
――以後、天界の歴史書にテスタメントの名前が出ることはなくなった。
テスタメント追放後、天界の軍を掌握したのは、マクシエル・ウーゴであると、天界の歴史書には記録されている。
それから、長い年月が経った。
天界から落とされた大天使のことなど、誰もが忘れ去ってしまった頃……。
魔界のとある僻地に、一人の旅の男が訪れた。
「ん? なんだこの石像?」
魔界で修行の旅を続けていたクィントゥスは、奇妙な石の塊を見つけた。
その石像は、大きな人のような形をしていた。
彼なりの好奇心と、正義感という名の余計なお節介が、いかんなく発揮され――
テスタメントは、数百年ぶりに封印から解き放たれた。
「反逆者……。私に押された刻印はあまりにも重い。」
「大丈夫かよ、おっさん!?」
「ここで、死に果てる方がいいだろう。私はもう生きる気力がない。
だが、マクシエル!私を陥れたあの奸臣だけは、許しておけん!
あの男を討つ!
そして反逆者として私を追放し、私の故郷を消した天界の者たちも、全て根絶やしにする!
そうでもしないとこの身に流れる怒りは、抑えられぬ!」
テスタメントは、翼を広げた。
漆黒に染まった二枚の翼が、風を捉えると――。
テスタメントは、どこかに飛び立っていった。
「行っちまった……。せめて、礼ぐらい言えってんだ!」
テスタメントが飛び立ったのは、薄暗い魔界の空。
天界は、ここよりも逢か遠くにある。
果たしてテスタメントが、天界に辿り着けたのか……。
それは、どの歴史書にも記されていない。