MARELESS 夢現の蝶 Story1
2018/04/23 ~ |
story1
「はぁ……はぁ……誰か……助けッ……。」
占いは大外れだ。
エリンの脳裏に、昨日出会った占い師の得意満面な表情が思い浮かぶ。
――思いもよらない幸運が巡ってくるよ。――
目覚めると枕元にはこの世のものとは思えないほど美しい蝶がいたのだ。
確かにに、今朝起きたところまではよかった。
それどころか、散歩に出かけたら蝶がしっかりついてきた。
こんなにきれいな蝶に懐かれるなんて、まるでおとぎ話の主人公になったみたいだ――
そこまでは、本当によかった。天気がいいし、露店で買ったパンはおいしいし、魔道の勉強も進みそうな予感がした。
が、裏路地に一歩足を踏み入れたらバケモノに出くわした。
バケモノというからにはバケモノだ。ならず者荒くれ者の類ではなく、うっすらと透けた幽霊のようだった。
走りながら、エリンは後ろを振り返る。バケモノがしっかりついてきている。
こんなおぞましいバケモノに憑かれるなんて、まるで悲劇の主人公になったみたいだ――
「フリーダさん……私……。」
エリンの胸中に、様々な想いが去来する。
師匠はこんなに恐ろしい街で生活していたのか。生活を軌道に乗せるどころの話ではない。ここで死んだらこっぴどく叱られそうだ。
『だから言っただろ。お前にゃ100年早いって。ここは普通の街じゃねえんだ。
にしたって、無様なもんだねえ。魔匠師の端くれとして、もうちっと何かできなかったのかよ。』
「なんとか……しなくちゃ……!」
知恵と技術と理性によって、この状況を切り開かねばならない。
エリンは手にしていた魔匠具を構える。びっしりと呪文が刻まれた真鎗の輪を勢いよく回転させる。
すると魔匠具に込められていた魔力が輪の回転に応えるが如く、光を放ち唸りを上げ始める。
「いっけえ! 〈ホムン――」
振り向きざまに、〈ホムンクルス〉と名付けた中球体魔匠具をバケモノヘと投げつけるはずだった。
刻まれた魔匠の効果が発動して、動くもの目がけて飛んでいくはずだった。
しかしバケモノはすぐ目の前で、その腕は既にエリンの首にかかっている。
終わったと思った。
しかし――
「――はぁッ!」
鋭い声音と共に、誰かが空から降ってきた。
バケモノの頭を踏みつけて落下の衝撃をそのまま食らわせたかと思うと、空中で身体を翻して胴体を蹴り飛ばす。
バケモノは霧散するように跡形もなく消えてしまった。
「よし……っと。大丈夫?」
尻もちをついたエリンは〝誰か〟を見上げる。
「昨日の……占い師さん?」
「いやー、私の占い、あんまり当たらないんだけど当たっちゃったみたいね。
思いもよらない幸運。通りすがりの占い師に命を助けられるなんて、まーふつうはない幸運よね。」
「あなたは一体……。」
「私はしがない夢占い師のロザリア。昨日名乗らなかったっけ?」
「いえ、聞いてない……と……思います。」
「あーそっか。昨日は自信なかったから名乗らなかったんだ。私、占いに自信あるときしか名乗らないの。」
そんなやり口を誇るかのように、ロザリアは胸を張る。
「あ、今うさんくさいって思った? インチキ占い師だと思った? でも占い当たったでしょ? しかも命助けたし!」
「それは、はい、その通りです。ありがとうございました。」
よろけながら立ち上がったエリンは深々と頭を下げた。
「これからもご贔屓(ごひいき)にしちゃう? 週に5回くらいでいいから、私のところにお金を落としてくれると助かるー。」
「週に5回ですか……。」
「人も時間も信用できない、この世知辛い街〈ラスト・リゾート〉で頼れるのは、私くらいのもんよ?」
怪しい笑みを浮かべるロザリアの後方で黒い影が地を這うように朧いている。そして、影からぬっと青白い骨が現れた。
「あ……バケモノが……また出てきました!」
「あれは〈ナイトメア〉の一種の〈フェノメア〉。〈フェノメア〉は低級悪夢だから倒せるかもよ?」
エリンはぶるぶると首を横に振る。エリンから見れば、おぞましいバケモノに低級も高級もなかった。
「じゃあ、はぐれないようについてきて。」
エリンはすがりつくようにロザリアに身を寄せる。
story2
「昼間にこれだけ出るのも、なかなか珍しいね。基本的には魔道士たちが我先にって競い合うように倒すんだけど。」
ロザリアは迫りくる〈フェノメア〉をものともせずに倒していった。
「さ、さすが魔道の街〈ラスト・リゾート〉です。占い師さんが、こんなに魔力を使いこなしているなんて。」
「お、わかるんだ? この街にいるくらいだし、魔法のことくらいわかるか。」
エリンは魔匠師だが、魔道士ではない。とはいえ、魔道の勉強は散々してきた身。どの程度の〝使い手〟かは肌感覚でわかる。
ロザリアは徒手格闘で敵を倒しているようだが、その端々から魔力を感じる。
魔力を扱う才はあるが魔法の才はない場合、魔力をまとったり放ったりして戦うのだ。
「私、魔匠師のエリンといいます。魔匠技術を磨くために、この街に来ました。世界で唯一、魔法が残存するこの街に。」
――科学があれば、魔法はいらない。
そんな声が大きくなりだした時代に、エリンは生まれた。
確かに、科学技術というものは便利だ。
生まれもっての特別な才能がなくても、引き金を絞れば銃は撃てる。
秘匿とされている錬金術を知らなくても、科学知識を基に金属を製錬できる。
ものすごい力を生み出す蒸気機関なるものが研究されているという噂も耳にする。
そうは言っても、魔法がいらないなんてエリンは思わなかった。
しかし、魔法に絶対の価値がある時代は終わったのだろうと感じていた。
そんな時代の中――あれは5年前のことだ――魔道士たちが、魔法を使えなくなった。
エリンの師匠であるフリーダは魔匠師にして魔道士だったが、他の魔道士たちと同様に、魔法が使えなくなっていた。
「どうなってんだい……。難しい呪文じゃない。昨日まで毎日使ってた呪文だっていうのに。」
いらないと言われようともまだまだ存在感を放っていた魔道士たちが、一様にうろたえていたことをエリンはよく覚えている。
突如魔法が使えなくなる奇妙な現象はエリンの住む村のみで起きたわけではなく、世界中で一斉に起こったことだった。
ある者は、人々の内にある魔力が枯渇したのだと言った。
別の者は、全ての魔道の祖であり魔道の守護者たる古の魔道士が、人間を見限ったのだと言った。
魔法を封じる科学技術が発明されたと真剣な顔で言い出す者もいた。
真相は不明だが、世界から魔法が消えた。嘆きと混乱に呑まれる魔道士たちの間に、ひとつの噂が広まった。
魔法は消えていない。魔法が使える街がある。
魔道士たちは魔法が使える街を目指し、そこは〈ラスト・リゾート〉と呼ばれるようになる。魔道を信奉する者の、最後の切り札。
「〈ラスト・リゾート〉は世界中から魔道士が集まっているだけあって、噂通り不思議な街だと感じました。」
魔道士たちの諍いを何度も目撃し、肝を冷やしている。
「とはいえ、どうにかやっていけそうだと思っていました。怖いけど、これが魔道の街なのだと。
でも、今朝です。急にバケモノとか時計が見えるようになって……。」
バケモノもさることながら、街のいたるところに時計のようなものが浮かんでいるのが不気味だった。
時計らしきものが指している時刻はどれもバラバラで、針が高速で回るものや、逆回転するものもあった。
「あと、蝶とか?」
「そうです! あ、この子、まだついてきてる。」
あんなに街中を走り回ったのに、不思議な蝶はエリンの肩にとまったままでいる。
色は違うが、似たような蝶がロザリアの肩にもとまっていた。
〈ラスト・リゾート〉は不思議な街だ。しかし、昨日までの不思議と今日の不思議はまったく違う。
不思議が海であるならば、自分がいるのは昨日までの浅瀬じゃない。
もう足がつかない場所まで流されてしまった。ロザリアに捕まらなければ、溺れ死んでしまう立場だ。
「あの、厚かましいお願いなのですが……。」
「いいよ、厚かましくて。私も厚かましさには自信があるからね。」
「ロザリアさんはあのバケモノ、〈ナイトメア〉との戦いに慣れているみたいですけど………。
私には何か何やら、さっぱりで。いろいろと教えていただけないでしょうか。」
まずは、一番の脅威について知りたかった。すがる想いで尋ねると、任せなさいとばかりにロザリアが大きくうなずいてみせた。
「〈ナイトメア〉は世の理を乱す怪物。文字通り悪夢的存在。
そう、所詮は夢なの。現実に出てきたはいいものの、夢だからそのうち消えちゃう。
だから、人間から〈存在〉を奪う。夢から現になるために。
「〈存在〉……。」
エリンはその舌触りを確かめるように、〈存在〉という言葉をつぶやいてみる。
〈存在〉を奪うというのは文字通りの意味で、殺すということなのだろうか?
「〈存在〉っていうのは、人間が人間たりうる根源的なエネルギーみたいなもの。
〈存在〉を奪った夢はやがて現に。〈存在〉を奪われた現はやがて夢に。その間にいるのが〈夢現〉の存在。
夢が現になるまで、現が夢になるまでの期限を示すのが、〈命の刻限〉。この時計みたいなやつね。」
ロザリアは浮遊する時計のようなものを指さす。
「〈刻限〉が来たら、夢は完全な現になるし、現は夢と消える。つまり、時計の数だけ〈夢現〉がいるってわけ。」
時計のように見えるが、1日の時間を示しているわけではないようだ。
夢が現になるまでの時間。現が夢と消えるまでの時間。
今目の前にある〈命の刻限〉は、バケモノが現実化するまでの時間を示しているのだろうか。
あるいは,バケモノに襲われた人が消滅するまでの時間を示しているのかもしれない。
エリンが傍らの〈命の刻限〉をまじまじと見つめていると、文字盤の針が目まぐるしく回りだした。
「な、なんです……?」
「おー、ちょうどヤバいね、これ。タイミングがいいんだか悪いんだか。
現実化まであと少しの〈ナイトメア〉ね。この感じだと、低級の〈フェノメア〉かな。とはいえ、油断は禁物。
最後のひとかけらの〈存在〉を奪うために、手当たり次第に〈夢現〉を襲いだすはず。
……噂をすれば、というやつね。戦ってみる?」
ロザリアが指さす先、件の怪物が近づいてくる。
「戦うなんて……私には無理です……。」
「時間は待ってくれないよ。〈フェノメア〉も待ってくれない。私も、待たずに仕掛けるタイプだから!」
story
ロザリアは若干の責任を感じながら、〈フェノメア〉と戦っていた。
自分の占いの精度が高ければ、エリンがこの戦いに巻き込まれることもなかったかもしれない。
昨日――街でエリンを見かけたロザリアは迷わず声をかけて、すかさず占った。
身なりからしてお金を持ってそうだったからだ。
ロザリアは昼だろうが夜だろうが、目を閉じれば夢を視ることができる。
直前まで見つめていた相手にまつわる光景を幻視する――ロザリアはその力を夢占いと呼んでいた。
過去現在未来のどれが視えるかわからないのはご愛嬌。
視えたのは、亡くなったであろう近しい人を偲んで涙を流すエリンの過去。
そして、在りし日の故人との思い出。
かわいそうなので、とりあえずいいことがあると言っておいた。
出まかせ上等で、思いもよらない幸運が巡ってくると伝えて背中をぽんぽんと叩いた。
もしも。
もしもエリンがこの戦いに巻き込まれる未来が視えていたら、それを阻止すべく動けたかもしれない。
もっとも、付きっきりで彼女の世話をするわけにもいかないから、こうなるのは時間の問題だったのかもしれない。
とはいえ、なんとも寝覚めが悪いロザリアは、せめて今できることをやろうと思う。
「……現実になろうとする夢と、夢と消えかけている現。
夢と現の間をたゆたう〈夢現〉は、文字通り己の〈存在〉を賭けて戦うってわけ。」
ロザリアはまとった魔力をなじませるように身体を動かす。
正面から突っ込んでくる〈フェノメア〉に対し、ロザリアも正面から迎え撃つ。
鼻っ柱に拳を一発。〈フェノメア〉は悲鳴をあげながら吹き飛ぶ。
それでも消滅しないところを見ると、さすがは現実化寸前といったところか。
「ねえ、エリン! どうして私が戦ってるかわかる!?」
背後にいるエリンには目をくれず、問いかける。
「……正義の味方、だからですか?」
「正義の味方? そんなもんじゃないよ。バケモノに因縁つけられた時点で、私もバケモノ。まさに悪夢って感じ。
ほんとにさー、現実って世知辛いよ。みんながみんな幸せってのは夢のまた夢。勝者の陰に敗者あり、誰かの幸せ誰かの不幸、椅子の数は限られてる。」
朗々と唄うように言葉を紡ぎながら、ロザリアは〈フェノメア〉に拳を叩きこんでいく。
「そう、椅子の数は限られてる。今まで存在していなかったやつが椅子に座れば、そこから滑り落ちるやつがいる。」
存在したい者はみんな存在できる――この世界はそんなふうに優しくできていない。
「私はバケモノに椅子を奪われた。だから椅子を奪い返さなくちゃいけない。」
「それって……。」
「私は〈ナイトメア〉に〈存在〉を奪われた。夢になりかけの現ってやつ。」
なんとしても生き延びようとする。そういう意味では、人間も〈ナイトメア〉も等しく必死だ。
言葉を発しない低級悪夢〈フェノメア〉からさえ、生き抜こうとする意志が伝わってくる。
「そして……これが一番大事なことだけど、一度〈夢現〉になってしまったら、二度と現には戻れない。
私は……いえ、私たち〈夢現〉は、ヒビの入ったグラスみたいなもの。」
取られた分の水を取り返しても、満たされることはない。
「放っておけば空っぽになる。だから水を注ぎ続けなくちゃいけないってわけ!」
現実になりかけの夢を倒し続けて、〈存在〉を満たし続けなければならない。
そんな日々に、絶望した過去もある。
「ねえ、エリン! どうしてこんなことわざわざ語ってると思う?」
ロザリアは振り向かない。まっすぐ〈フェノメア〉を見据えながら、エリンに言葉をかけ続ける。
「……〈ナイトメア〉や〈命の刻限〉が見えるようになったということは、つまり……私も……。」
「そう、エリンも同じ立場なの。おそらく昨日の晩あたり……悪夢に〈存在〉を奪われたんだと思う。」
エリンは泣きそうな顔をしているだろう。もしかしたら泣いているかもしれない。
それでも、へたり込んだり喚いたりはしなかったのだから及第点だ。
「エリン、よく目に焼き付けておきなさい! これがあなたの生きる道よ! 戦い続けなければ、存在することはできない!」
力強い言葉に呼応するように、〈フェノメア〉への打撃も威力を増していく。
「でもね、そんなに悪いもんじゃない! なんとなく生きるより、よっぽどいい!」
ロザリアは全身から迸る魔力を右の拳に集め、フェノメア〉を打ち抜いた。
断末魔の叫びと共に〈フェノメア〉が消滅する。
「夢に消された者だけが、夢を消し去る者となる――その名は、〈メアレス〉!」
ロザリアは振り返ってエリンを見た。
「メア……レス……。」
見れば見るほど、この街が似合わない弱々しい少女だ。
厄介な少女と出会ってしまったのかもしれない。
しかし、とロザリアは思う。この出会いがこの先どう転ぶかは、わからない。
夢占い師にも、はっきりした未来はわからないものなのだ。
***
床には毛足の長い絨毯が敷かれていて、テーブルには目にも鮮やかなクロス――
下手をすればベッドに天蓋までついているのではないか。
そんなふうに、ロザリアはエリンの住居を思い描いていた。
しかし実際のところは、無骨で雑然とした、工房のような場所である。
「いやね、えらいこぎれいでかわいい格好してるでしょ、エリンて。絶対お金持ちだと思って。いいとこに住んでるんだろうなって思って来たんだけど魔匠師寄りの部屋なのね。」
エリンの表情は曇っている。やはり気を落としているようだ。
無理もない。戦い続けなければ消滅する存在になってしまったのだ。
先刻の戦い。ロザリアとしては、自分なりに気を利かせたつもりだった。
自分が〈夢現〉になって間もない頃、どんな未来を見せてほしかったか。
絶望することはない。戦う今を生きるのも、悪くない。そんなことを伝えたかった。
あの頃なりたい自分になってみた、というところだろうか。
……もっと違う伝え方があったかもしれない。
「まー、つらいだろうけど、切り替えていこう。」
「……そうですね。」
そうつぶやいたエリンは、小さな拳をぎゅっと握りしめ、大きくうなずいた。
「戦い続けないと消えてしまう。辛いけど、すぐに死んでしまうよりマシです。私は師匠の遺志を継ぐため、この街に来ました。魔匠技術で世界に貢献するんです。」
自分も見る目がないなとロザリアは小さく笑った。弱々しいお嬢様かと思いきや、なかなかいい根性をしているようだ。
「私の師は言いました。魔匠師として大事なのは、知恵と技術と理性だと。そして、人として大事なのは、恩を忘れないことだと。
ロザリアさん。あなたは命の恩人です。この御恩は、一生忘れません。」
「いい心がけね。この部屋も、私んちよりはだいぶ上等だし。明日荷物持ってくる。」
「……え? ロザリアさん……うちに住むんですか?」
「住むよ? 今の部屋の雨漏りと隙間風はもういやなの。」
先ほどまで力強さをたたえていたエリンの目は泳いでいる。
「今嫌だなーって思ったでしょ! わかる! 占い師だからわかる! でも住む!」