【黒ウィズ】双翼のロストエデン3 Story1
2017/11/17 |
目次
story2 リザ・リュディ・現在
中途半端に引き出された収納欄から肌着が舌を出していた。
ベッドの上に衣類や道具が散乱しているが、使い終わったものを投げ捨てているわけではなかった。
必要なものをとりあえずそこに置いているのだ。
彼女日く。
手元でくるくると回転させて、丸めたシャツをリザはベッドの上に投げ捨てた。
いや、置いた。
一方を差した指で、さらに自分の足元を差す。ここではなく、向こう? という身振りである。
と、怪人めいた大男は大きな体を慇懃に折りたたむように、身振りで示して見せた。
と、ルシエラがムールスに同意する。リザは宙を仰ぎ見て、自分の顎に触れる。
ふたりの誤解を解こうと、リザは大きく2、3度手を振る。
リザの説明に得心のいったふたりは、思わず同じように声を上げた。
一部始終を見ていたアルドベリクが3人に対して、言う。
そんなところへ、またひとり。通りかかったリュディがムールスの顔を見つけて、尋ねる。
それを逃せば、もう機会はないかもしれない。
いつでも旅に出られるように、準備しておけ。
言われて、リザとリュディのふたりはほぼ同時に携えている短剣を見やる。
その剣はアルドベリクがふたりに与えたものだった。
飾りの部分にあしらわれた輝石は、ふたりが故郷から魔界にやってきた時に持って来たもの。
薄らと光るその光は、常に〈歪み〉の向こうにある彼らの故郷を指し示していた。
リザは弾むように、窓の方へ駆けていく。
充分な距離まで近づくと、そのまま開いた窓の向こうに飛び込んだ。
ここは城の上階ではあったが、そんなことはお構い無しである。
見送るアルドベリクもやれやれといった程度である。何も心配はしていなかった。
言葉ではそういうが、そんなことが出来るとはアルドベリクも思っていなかった。
本当の意味は暗くなる前に帰ってこいといったところであった。
指示通り、リュディも同じ窓に向かう。
アルドベリクの言葉を背中に受けつつ、リュディも虚空へと飛び込んだ。
やっぱりアレさんですね。
story2-2
耳の後ろで風切り音が聞こえる。
正確には、彼女が空気を切り裂く音が、自分に遅れて聞こえてくるのだ。
始終どんよりとした雲も、温った風の匂いも、普通の人なら嫌になるかもしれない。
だが、リザにとっては幼い頃から育った環境である。愛する場所だった。
「あそこか。」
体を大きく開き、風をいっぱいに浴びる。
風を取り込み、強力な推進力を生みだしていた彼女のネックレスには、すでに魔力は込められていない。
ただの自由落下である。彼女はすうっと目を閉じて、風だけを感じることに集中した。
この瞬間がリザのもっとも愛する瞬間である。
何もかもから解き放たれたような気になれた。と、言ってもこのままでは地面と激突するしかない。
気流の変化を感じて、再び瞼を上げる。
「よ。」
くるりと前方に回転し、再び魔力をネックレスに込めた。
かつて推進力となっていた力は今度は重力に反発する。
その力は、リザと地面の間に柔らかいクッションのように滑り込む。
彼女の足先が地面と垂直になる頃には、全ての運動エネルギーは相殺され、その足先はゆっくりと地面に触れた。
「アアー、気持ちよかった。」
と言って、体を伸ばしているうちに、遅れてリュディがやってくる。
「到着っと。」
リザのように、奔放な軌道ではない。直線的というよりはむしろ律儀、と表現するべきだった。
止まるべき所で止まり、飛ぶべき所で飛ぶ。そして止まるのは大抵リザの隣だった。
「目的の場所はこの先、行きましょ。」
リュディが到着した途端、歩き出す。どんな時もリザが先を歩き、リュディはその後について行った。
物心ついた時からすでにそうだったので、ふたりの中ではまったく自然なことだった。
「実はね、ちょっとした催しを考えているの。」
振り返りもせずに語りかけるのも、いつものことである。
「どんなもの?」
そして、彼女の背中に語りかけるのも、いつものことである。
「私たちと、アルドベリクとルシエラ、みんなで楽しむようなもの。あとムールスも。」
「楽しそう。俺にも何かさせてよ。」
「いや。」
「なんで?」
「感情論よ。」
「余計に、なんで!」
「まあ、いいじゃない。これは私かやりたいことなのよ。リュディには何の仕事もないわ。
黙って楽しみにしてなさい。」
「リザ、変なこと聞いていい?」
「変なことは聞かないで。」
構わずリュディは続ける。いつも通りのやり取りである。
「リザは……割り切れてる? その……。」
その先を言うまでもなく、リザが言葉を継いだ。
「もちろん。」
「……君らしいね。」
「もちろん。割り切れてないわよ。」
振り返り、リザはリュディを見返していた。そんな時のリザは真剣である。
「俺もだよ。」
「単純に別れたくないのもあるけど、ここに友達だっている。それを全部捨てて、どこかへ行くなんて……。
普通のことじゃないわ。」
「そう。もう帰ることに、意味を感じないんだよね。」
「その意味のないことをどうしてやらなきゃいけないの?
自分を納得させる理由がないのよ。……今のところ。」
「理由がひとつだけあるかもね。……ふたりがそれを望んでいるからだ。」
「そうなのよ。私が一番モヤモヤするのは、あのふたりが、私たちが帰ることを正しいと信じていることなのよ。
なにそれ? 厄介払いなわけ?」
「そんなことは考えてないよ。」
「知ってる。だからモヤモヤしてるの。」
「旅に出てみれば、わかるのかもしれない。それか、何か目的か出来るかも?」
「そうね。でも、行けなかったら、どうなるのかな? 私たちが旅に行けなかったら、あのふたりはどうすると思う?」
「……。」
「昔みたいに、また一緒に暮らせるかも。どうリュディ?」
リュディは頭の中を整理するようにうつむいた。しばらく考えてから、首を左右に振った。
わからない。言葉もなく、リザにそう伝えた。
リュディは頭を上げる。リザは不機嫌そうに眉根をひそめていた。
「リザ。」
「わかってる。リュディ、良かったわね。あなたの仕事ができたわよ。」
リザの背後では不気味な魔物たちが大口を開けている。
魔族の硬い肉に食べ飽きた魔物たちが、見つけたご馳走に早くありつきたくて仕方がないようだった。
「その仕事、俺に拒否権ってあるの?」
「もちろんないわ。」
「だと思った。」
story2-3
「さあ来い、バケモノ。」
咆哮とともに、四方から魔物が飛びかかる。
頭上を魔物たちで埋め尽くされていても、リュディは平然としていた。
リュディが握る剣を翻すと、頭上の魔物たちが宙で止まる。
「残念。」
待ち構えるリュディと魔物の時間が止まったようであった。
理由はひとつ。リュディの周囲に生み出された風の層が魔物の侵入を阻んでいた。
腹を見せてのたうつ化け物に向けて、リュディは黒刃を振るう。
「そして、さようなら。」
普通なら届かない距離である。だが、リュディの剣の切つ先は光を帯びて一段伸びた。
魔力の刃が魔物たちを焼き切った。
「リュディ、こっちにまだいるみたいよ。」
「それくらい自分で片付けてほしいな。」
残った魔物が数体。リザとの距離をじりじりと詰めていた。
「まあ、リュディ、とんだクソ野郎様ね。いいわ、自分でやるわよ。」
背中に背負う両刃の剣を下ろすと、リザは飛び上がり、宙返りを打つ。
その動きに反応し、魔物は彼女が落ちてくるところに、残盧な一撃を加えようと予備動作に入る。
「はああああ!」
だが、リザは身体ごと刃を旋回させる。その動きで、落ちてくるはずのリザの体はもう一度宙を舞った。
予測不能の軌道を描く間、リザは両刃の剣を再び回転させる。
今度は、正確に魔物を斬り裂くように、刃の旋風が通り抜ける。
冷酷な回転でもう1度舞い上がったリザは、魔物の後方へと着地する。
「リュディ、10点減点よ。」
言葉と同時に、魔物の体がずるりと落ちた。
「10点は多すぎないかい?」
「ダメ。許嫁ポイント10点減点。持ち点が0になったら、婚約は解消します。」」
「前からちょくちょく減点喰らっているけど、一体いま何点なの?」
「それは秘密よ。わかっちゃったら、つまんないじゃない。」
「まるでゲーム感覚だね。」
突然、聞こえた悲鳴にふたりの背筋が冷える。
自分たちが退治した時にはなかった魔物の恐怖がその悲鳴にはあった。
声が聞こえた方をふたりは鋭く睨みつける。薄暗い闇から出てきたのは――
巨大な鎧で覆われた男であった。その手には押しつぶされた魔物が握られている。
男は、ふたりの視線から、自分に向けられる敵愾心(てきがいしん)を察する。
俺はそんなことはしない。強い者しか相手にしない。
例えば……アルドベリクなどと戦うのは充分な理由があるな。
ふたりは黙って腰に携えている短剣を体の影に隠した。
魔界有数の地位だ。それはとても有意義な戦いではないか?
突き出されるベリカントの拳は魔物の血で濡れていた。リザは平静を保ちつつ答える。
お前たちはこの辺りに暮らしているのか?もしそうだとしたらアルドベリクについて噂を聞いてないか?
あいつは何か弱みを持っていないのか? どんな些細な噂でもいい、聞かせてくれ。
ところで……。
ずいっとベリカントが前に出て、ふたりの耳元に近づく。こく様な言葉がふたりの耳元に漂う。
周囲の闇からぬっと人影が現れた。
答えるまでもなく、リュディの光の剣は鮮やかな軌跡を描き、ベリカントを薙ぎ払う。
鎧は奥深くまで裂かれた……がそこから流れるのは血ではなく、砂であった。
リュディの腹部にベリカントの巨大な拳がめり込む。
呼吸が止まり、頭から血の気が一気に目の前が真っ暗になった。
助けるために前に出ようとするが、リザの体の自由も一味によって奪われていた。
背後から押さえられ、動くのは無意味な手足だけだった。
抑えつけられながらも、リザの視線は目の前の魔族の奥を見据えていた。
そこには、奇妙な穴があった。空気が揺らぎ、魔力も断絶していた。
それは〈歪み〉だった。
リザのネックレスが光り、空気の塊が倒れ込んでいたリュディの体を吹き飛ばす。
壊れた人形のように手足をバタつかせて、リュディの体は歪みの中に吸い込まれていった。
story3 苦い日々
3歩進んだかと思えば、きびすを返して3歩戻る。巨体が行っては戻る度にガッガッと石を打つ音が響く。
もう冷めてしまったスープには、脂肪の膜が張っていた。
最後に驚いたような靴音を響かせて、ムールスは主の方を振り向いた。
明らかに苛立ちの混じった声だった。
不安を感じているのが自分だけではないことを知りムールスはいつものごとく、沈黙と従順さを示した。
重苦しい空気が食事の席に覆いかぶさる。
重たいヴェールを跳ね除けるような明るい口調であった。
反射的に、ムールスは主の顔を窺う。彫像のような頬の曲線は保たれたままだったが、彼にとって沈黙は肯定を意味していた。
にこりと笑うルシエラに見送られて、ムールスが部屋の扉に近づくと、ひとりでに扉が動き始めた。
扉の向こうには、女が立っていた。
ポンッとムールスを突き放し、ティキーはアルドベリクに近づく。
取り出したアクセサリーを彼の前でちらつかせる。
アルドベリクは黙っていた。その視線は鋭い。
走った戦慄に、最も敏感に反応したのはムールスだった。黙っておれん、とばかりにティキーに詰め寄る。
アルドベリクは右手を軽く払い、怒り狂うムールスに下がるように指示する。
首元まで伸びていたムールスの太い指は震えながら、引きさがった。
簡潔にそれだけ答え、相手の言葉を促した。その明解さが、ティキーを緊張させた。
一歩間違えば、殺されるということをはっきりと理解した。いや、してしまった。
言い捨て、アルドベリクは立ち上がった。
何一つ、命が脅かされるような出来事は起こっていなかった。
が、ティキーは覆われた瞼の奥がチリチリと燃え上がるようだった。
肩に誰かの指が振れる。そっと、優しく。
生半可な気持ちで挑める相手ではない。ティキーは唇を噛んだ。
story2-2
案内された場所にいたのは、不気味な鎧をまとった男であった。
その脇には仲間らしき者が立っている。しかし、肝心のリザとリュディの姿は見当たらなかった。
ムールスさん、仕方がないので、その女の人の首をへし折っちゃって下さい。
ムールスの手がティキーの首を掴むかという瞬間、強烈な砂塵が巻き起こった。
気がつけば、目の前からティキーはいなくなり、鐙の男の後ろにいた。
この場に見えないとはいえ、俺たちがお前の大事な家族を保護しているのは嘘ではない。
わかりやすいだろう? 魔族らしいやり方だ。
互いに得物を手に取る。アルドベリクは剣を、ベリカントは巨大な斧である。
大きな息をひとつ吐くと、ベリカントの斧が砂埃と共に、水平に薙ぎ払われる。
その殺傷範囲にアルドベリクを巻き込まんとした。
アルドベリクもその水平軌道を、垂直に剣を打ちおろし、地面へと叩きつける。
叩きつけられた斧を持ち上げようとするベリカントと、抑えつけるアルドベリク。
互いの体の距離は重なり合うほど近い。それでもこの措抗を制しているのは、アルドベリクであった。
相手の呼吸を見計らい、押さえる力を抜くと、肩透かしを食ったようにベリカントの体勢が崩れる。
その瞬間、アルドベリクの刃はピタリとベリカントの首元に寄り添っていた。
首元に走る冷たい刃の感触を楽しむように、ベリカントが笑った。
彼の仲間も同じようにニヤニヤと笑っていた。
や れ よ。
アルドベリクは剣を引き抜くように、ベリカントの首を斬り裂いた。
顔を覆っていた兜は、ベリカントの背後に落ち、まるで地面から首が生えたかのように、真っ直ぐに止まった。
しかし、手ごたえはなかった。流れているのも血ではなかった。
崩れ、こぼれ落ちていく砂の中から、人の顔らしきものが現れた。
その輪郭は見慣れた、もう何年も毎日眺めていたものであった。
その顔へ手を伸ばそうとした瞬間、リザを抱くベリカントの体が起き上がり、その手から逃れた。
背後の兜を拾い、元の場所に戻す。再びあの邪悪な声が響き渡った。
思わずアルドベリクの剣を握る手に、力が入る。
ベリカントはそれを見透かし、さあ来いといわんばかりに前へ出た。
一歩、一歩と前に出るが、アルドベリクの剣が持ち上がることはない。
強烈な拳がアルドベリクのこめかみを打ち付ける。
崩れ落ちたアルドベリクの髪をひっつかみ、ベリカントは噛みつくように告げる。
今度はかち上げるようにアルドベリクの胸に拳を叩き込む。
ベリカントが見据えるのは、ルシエラであった。
ルシエラめがけて、ずかずかと歩み寄るベリカント。
それを止めようと、ムールスが前に出る。
言い捨てて、後ろにいるルシエラの前に、ベリカントが立った。
今からアルドベリクを苦しめるために、君に死んでもらおうと思うんだが、構わないかい?
ベリカントが斧を大きく振りかぶる。殺意の塊が頭上に高々と掲げられた。
ベリカントは後ろに振り返り、掲げたはずの自分の両手が地面に落ちていることに気づく。
さらにその先には、こちらを睨みつける少年の姿。
不思議がっていると、仲間たちが必死に何かを伝えようとするのが目に入った。
その身振りは、上を指し示していた。
見上げると、自分の頭上に〈歪み〉が出来ていた。そこから。
黒い布のようなものが落ちてきた。
ゆらゆらと落ちる布が眼前にきた時、ベリカントはそれが布ではなく、人であることを理解した。
それと同時に、目の前が真っ白に、爆発した。
巨体が吹き飛ばされ、代わりに、その場に立っていたのは、黒ずくめの魔法使いだった。
でも間に合った。と君はほっと安堵の息を漏らす。
リュディが追いかけようとするが、猛烈な砂塵の中にベリカントとその仲間たちは消えてゆく。
君もウィズの意見に賛成だった。
詳しい事情はわからないが、今は追撃に出られるほどの余裕はないと思った。
傷ついたアルドベリクを見て、君はそう思った。
双翼のロストエデン3 Story1