【黒ウィズ】黄昏メアレス Story3
目次
story12 閉ざされた夢の復讐
〝オフ〟の日の、穏やかな昼下がり。
リフィルが、突然、君の部屋を訪ねてきた。
いいよ、なんでも聞いて、と笑いかけると、リフィルはわずかにためらいの顔を見せ――
意を決したように、こちらをひたりと見つめ、問うてきた。
なぜそんなことを聞くのだろう、と思いながらも、君はクエス=アリアスの魔道士について語った。
魔道士ギルドを結成し、日夜、魔法の研究と実践を重ねて、さらなる高みを目指していること。
叡智の扉を開き、精霊からの問いかけに答えるため、精神修養と格物致知に努めていること。
魔法使いは人々の奉仕者たれ、の精神のもと、人々の依頼を請け、困りごとの解決に勤しんでいること……。
君の語る〝クエス=アリアスの魔道士〟像を、リフィルは、じっと黙して聞いていた。
やがて、君が語り終えたところで、彼女はひとつ、重々しく吐息し、複雑な表情のまま目を伏せた。
そんな彼女の姿に、君は思わず、これまでずっと気になっていた疑問をぶつける。
リフィルは――彼女の〈人形〉は、どうして魔法を使えるのか、と。
答えづらい質問かと思ったが、リフィルは、特に嫌がるそぶりもなく、話し始めた。
戦うための魔法、身を守る魔法、傷を癒す魔法。呪いの類や、精神に干渉する魔法までも。
でも、人々が魔力を失い、魔道が廃れ尽くした今、一門の人間でさえ、魔法を扱えなくなった……。
その未来を祖先は予知していた。だから死後、己の骸を改造させて〈人形〉型の魔道書とした。
けれど、もはや魔道再興は叶わない……だからせめて魔法があるという事実を残そうとした。
〈人形〉を操り魔法を使い続けることで、魔法の存在を〝保存〟し続ける。それが、一門の務め……。
ならば、リフィルも――
私は、〈人形〉に魔法を使わせる部品に過ぎない、ずっと、そういうものとして生きてきた。
だから――私には、自分自身の夢がない。自ら望んだ、夢なんてものは……。
別に、それで構わないのだと思っていた。
でもあなたを、本物の魔道士を見ていると――
なんの夢も持たずに生きることに……人としてなんの意味があるんだろう、って――
瞳に深い苦悩の色を乗せ、リフィルは静かに頭を振った。
快活なざわめきに満ちた雑踏が、目の前に広がっている。
いつもなら気に留めないような、当たり前の風景。
今はそれが、別のもののように見える。うかつに踏み込むことをためらわせる、うねり狂える荒波のように――
……いるかな。あいつ。こんな都市に……。
(……何を考えてるんだ?〈徹剣(エッジワース)〉え?よお……
探して……どうするんだ?また、いっしょに、なんて……できるのか?そんなこと――)
「私……もう耐えられないの……夫が、いつ死んで帰ってくるかもわからないなんて……」
剣は、人を斬る武器だ。それを手にして戦う以上、剣士にとって、死は覚悟すべき宿命なんだ。
「あの子にまで剣を教えて……っ!あなたは、あの子まで……あの子まで、剣しか知らない怪物にする気なの!」
こんな時代だ。身を守れた方がいいじゃないか。コピシュだって、あんな楽しそうに、剣を……。
「もう、耐えられない……耐えられないのよ……。」
わからない。本当にわからないんだ。教えてくれ、何がいけなかったんだ。何がそんなに君を……。
だが消えた。だから〈メアレス〉になったんだ。なのに……どうして、俺は……今さら……)
息を呑む。我知らず。そうすることしかできなかった。
小さな指の示す先――雑踏の奥から、何気ない風情で現れる、ひとりの女性。
立ち尽くすこちらの姿に気づいて――彼女もまた、その眼を驚きに見開いていた。
私……もう一度、あなたと――
灼熱。腹に。炎のような熱と衝撃が。爆ぜる。
ゼラードは、ただ茫然と見つめている。
妻の手を。紅に染まった、その指先を。
まさか――おまえ――俺の――捨てた――
瞬間。
ゼラードはカッと眼を見開き、喉も裂けよと叫びを上げた。
条件反射。コピシュが即応。飛来する曲刀と短剣、受け取る。一閃。妻の姿をした者へ。容赦なく。
異形の顕現。異形の咲笑。苛烈の刃をするりと逃れ、にたりと口を歪ませる、
父の咆呼。娘は、震えながらうなずいた。
急いで走り去るコピシュに、敵の目が向く。
それをさえぎるべく、ゼラードは立ちふさがる。
手にした剣が、異様なまでに重く、冷たい。
湧き上がる不安、恐怖、絶望、後悔――
そのすべてを噛み殺し
ゼラードは、吼えた。
剣なら負けねえっ!!
***
お父さんを……助けてぇっ……!!
***
剣を振る。これまでどおりに。培ったすべてを出し切っていく。
斬りつける。〈夢〉の絶叫。痛ましさが胸を衝く、夢を潰す痛みに身体が震える――押し殺す。
敵の反撃。異形の刃。短剣の鍔元で受け止め、曲刀で斬り返す。翻る剣光を敵の牙が噛み止めた。
刃を折られる。いつもなら代わりを頼むところ。今はない。ただ独り。それでいい。守らねば。
撃ち合うたびに、心が冴える。意識という意識が揺るぎなく研ぎ澄まされてゆく――剣のごとくに。
色すらも抜け落ちたような静寂。無我なる地平。ただ剣を振るい敵と戦うためだけの極地へと――
至る。踏み込む。娘の名すら、今は忘れた。そうでなければ守れない。剣に。剣にならねば。
前進。一閃。連なる刃。見切り、受け止め、断ち割り、前へ。
前進。一閃。交わる刃。いなし、受け切り、刺し貫き、前へ。
ならば――剣に死ねえッ!!
牙が来る。無数。そんなわけがない。よく見ろ。せいぜい22。ならば凌げる。凌げ。剣で!
斬る裂く叩く断つ割る破る流す折る壊す貫く潰す、打つ薙ぐ刻む突<蹴る弾く椴す削ぐ崩す擲つ砕く。
凌いだ果てに、なお前へ。
至近距離。妻の顔をした怪物が驚愕に震える。
これまでの人生においてまったく最高の、どんな敵をも切り伏せうる一刀を、前ヘ――
戦場に辿り着いた君たちは、見た。
恐怖の表情を顔に張りつけて凍りついた、女性型の〈ロストメア〉と――
その前に倒れ伏した、ひとりの男を。
動かない。ぴくりとも。その手に剣を握ったまま。力という力を使い果たしたかのように。
リフィルの瞳が、それを映して――
激昂の叫びが、宙を割った。
***
駆けつけた〈メアレス〉たちの攻撃が、〈ロストメア〉に殺到する。
だが――不意に〈ロストメア〉の全身が霧散し、攻撃のすべてが宙を裂くに終わった。
散じた〈ロストメア〉の身体は、再び集合――もとの姿を取り戻す。
そうだ!私にはこれがあったじゃないか!あの人に授かった力!剣など、恐れる必要もなかったのだ!!
……う!?
糸を操ろうとしたリフィルの動きが、一瞬止まる。そこへ〈ロストメア〉の猛然たる体当たりが来た。
リフィルは軽々と吹き飛ばされ、石畳の上を激しく転がった。
ぐったりと、力なく倒れ伏す少女の瞳には、しかし、絶えざる熱火が炳々と輝いている。
血を吐くような叫びに、背後の人形が応えた。滑らかに印を結び、即座に術を成す。
打たれながら練り上げていた魔法。君の足元に膨大な魔力を秘めた魔法陣が描かれる。
少女の声と、魔法陣から流れ込んでくる魔力と。ふたつの後押しを背に受けて。
君は、最大の魔法を解き放った。
〈ロストメア〉の消滅を確認し、倒れたゼラードの方を振り向くと、アフリトの姿があった。
アフリトが手早くゼラードに止血を施すなか、君とリフィルは回復の魔法をかけ続けた。
アフリトがゼラードを担ぎ上げる。そのさまを見ながら、ラギトが頭を振った。
コピシュから聞いたわ。ゼラードは不意打ちで深手を負ったと――
リフィルの言葉に、その場の誰もが息を呑んだ。
言いかけ、ミリィはハッとリフィルを見やった。
少女は、きつく拳を握っている。
精神への干渉……この術は……!!
少女の唇から、煮えたぎるような怒りの声がこぼれた、そのとき――
都市が、揺れた。
story13 黄昏mareless
都市全体に、激震が走った。
同時に、石畳の上に蜘蛛の巣めいた禍々しい形状の糸が無数に走り、魔力の輝きを放つ。
そして――その〝糸〟から、ぼこり、ぼこりと〈悪夢のかけら〉が現れ始めた。
険しい瞳で、リフィルは彼方を見やった。その先――中央の門に、〝糸〟が絡みついている。
gリフィル、魔法使い。君たちは門に向かえ。雑兵どもは、俺たちで引き受ける。
リフィルは、ちらりとコピシュを見やった。少女は父を抱えたアフリトの傍に付き添い、固く唇を結んでいる。
その姿を眼に焼きつけるようにして――リフィルは、強くうなずいた。
〈悪夢のかけら〉を他の〈メアレス〉たちに任せ、君たちは中央の門へと急ぐ。
戦場と化した街を駆け、ようやく君たちは、中央門に辿り着く。
そこに、ひとりの少女が立っていた。
膨大な魔力を、その身にたたえて。
くすくす笑う少女に、リフィルの鋭い声が飛ぶ。
少女は、うっすらと微笑んだ。
おまえは……我が一門がとうに捨て去った、〈見果てぬ夢〉の残骸なのか!!
リフィルの正答を讃えるように、少女はそっと胸に手を当てる。
あなたたちは諦めた。古の人形を操り、魔法の存在を残すことだけに目的を絞った……。
だから、私ががんばるの!この都市から現実の世界にはばたいて、世界に魔法を復活させる!
叶える夢は大きくないと……ね。
微笑みながら、〝夢〟が空へと舞い上がる。慈愛に満ちた言葉だけを残して。
あなたは何もしなくていい。私が、あなたたちの夢見た世界を叶えてあげる
〝夢〟が、ぐんぐんと空に昇っていく。門の上――魔力の集う先へと向かって。
屹然と門の上を見つめながら、リフィルは言った、瞳に、固い決意の色がきらめいている。
がんばろう、と君は言った。同じ魔法の使い手として、あの〝夢〟を放っておくわけにはいかない。
リフィルは振り向いて、意外なほど素直にうなずいてくる。
傍で聞いていたルリアゲハが、驚きの顔をした。こうも自然にお礼を言うなんて、とばかりに。
吹っ切れたような――道を閉ざす霧を意志の炎で焼き尽くしたような確固たる面差し。
その言葉を受けて、首を横に振れるはずもない。
うなずきながら――君もまた、悠然とそびえ立つ門の上へと視線を馳せた。
***
現実へと通じる巨大な門の、その上で。
〝夢〟の少女は、現れた君たちを前にして、あどけなく不思議そうに首をかしげた。
少女の言葉を無視し、リフィルは詠唱を紡ぐが――
魔法を放とうとする寸前、苦しげに顔を歪め、束ねた魔力を霧散させてしまった。
〝夢を見たくなる〟という毒を――ね。
だから魔法しか通じない〈ロストメア〉を育てた。あの〈メアレス〉を片づけたのは、ただのついで。
それにね……私、あなたにも夢を見てほしかったのよ。
夢を抱いて生きるのは、人にとって当然のこと――
夢見ることこそ人のサガ。生きていることの証。夢見ることなく生きるなんて、とてもとても悲しいこと。
素直に夢を願いなさい。私の毒を〝2度〟も受けては、もう〈夢〉を潰せないのだから。
毒を受けたのが〝1度〟までなら――まだ、戦えるはずね!
強い意志の光を瞳に宿し、リフィルが糸を操る。併せて君も隣に並び、懐からカードを取り出した。
ふたりの魔道士。ふたつの魔法。放たれた魔力を、〈ロストメア〉もまた瞬時に組み上げた術で防ぐ。
驚愕にさまよう瞳が、君の姿を映し出す。
そして――異界の魔法使いは、夢があろうとあるまいと、〈ロストメア〉と戦える!
激しく動揺する〈ロストメア〉を前に、リフィルは苛烈に糸を構える。
人の心を道具にする夢など――ここで砕くッ!!
***
烈風荒ぶ門の上――鮮やかに魔法を放ちながら、リフィルは静かな口調で問いに答える。
でも……そうであるなら――この胸にたぎる炎の説明がつかない!
どうやら――夢を持たない人間であっても、怒りを覚えはするらしい!!
電撃が走り、紫電が踊る。互いに魔法を撃ち合いながら、〈ロストメア〉が愕然たる叫びを上げる。
その心を利用したおまえへの怒りがある!それに――
〝夢を持って生きるのが当然〟なんて――そんな傲慢、反吐が出る!!
それを無視して、夢見ることを押しつける――そんな夢など、唾棄して潰す!!
気睨とともに雷撃がほとばしる。〈ロストメア〉は後退し、防御の術を練り上げた。
〈ロストメア〉の放つ魔法陣がリフィルの雷撃を防いだ――瞬間、ふたつの影が宙に踊った!
門を駆け上ってきたミリィとラギトが、少女の浮かべた魔法陣を猛然と砕き破る!
リフィルと〈人形〉が、共に素早く印を結んだ。
リフィルの眼前に形成された巨大な魔法陣から、膨大な量の雷の渦束が放たれ、夢を撃つ!
〈ロストメア〉は咄嵯に防壁魔法を展開。すさまじい量の魔力を集積、雷を受け止めた。
なおも雷の渦束を放ち続ける少女の唇から、苛烈きわまる咆呼がほとばしる。
その声に応え、君は走った。
共に戦った日々が培った、阿吽の呼吸。彼女が〝この瞬間〟を狙っていると、そう悟り、待っていたのだ。
門を蹴り、〈人形〉の肩を踏み台に跳躍――〈ロストメア〉の頭上で、カードを構える。
精霊の呼びかけに答え、〈叡智の扉〉を開放。解き放つ――異界の魔法を!
***
夜が訪れた。
あの騒乱が嘘のように、静かに寝静まる街――その一画の路地裏に、〈夢見ざる者〉たちが集っていた。
リフィルが、じっとアフリトを見つめた。
コピシュはゼラードについておる。剣しかない男が、甲斐甲斐しい娘を持ったものだ。
医者も、〝生きているのが不思議〟を通り越して、〝息があるのがおかしい〟と言っていた。
果たして再び剣士として立てるかどうか……。
その間、私がコピシュを預かる。
ルリアゲハは、艶やかに片目をつむった。
つぶやくように言って――リフィルは、星の瞬く夜空を見上げた。
空には、数多の星がきらめいている。
だが、そのすべてが夢を抱いているわけではあるまい。
人も同じだ。夢を持たないことが、すなわちきらめきのないことを意味するわけではない――
そうは思える。でも、まだ、はっきりそうだとわかっているとは言えない。
知らなければならない……そんな気がする。
〝生きる〟というのが、どういうことなのか……
私なりの……その、答えを……)