【黒ウィズ】黄昏メアレス Story5
story
優雅なる都市を、異形の影が駆け抜ける。
〈ロストメア〉――いつか誰かが抱いて捨てた、〈見果てぬ夢〉の、その化身。
大通りを疾走するその姿に、人々はあわてて道を開け、逃げ出していく。
そんななか、屋根を駆け抜け、異形の化生を追う影ふたつ。
逃がすなッ、ルリアゲハッ!
合点承知の助ってね!
ていうか、あの子は!?いっしょじゃないの!
先発した!今は〝狩場〟で待ってる!
つまり、あたしたちって、獲物を〝狩場〟に追い込む猟犬!?聞いてないんだけど!I
説明を聞く前に飛び出すから!
〈ロストメア〉が大通りから橋に出ようとする。
瞬間、ふたりは同時に屋根を蹴った。
リフィルを抱いた骨骸の人形が、街路に並ぶガス灯のひとつに着地しながら、片手で印を結ぶ。
刻め雷陣、果てどなく!
橋の手前に小さな魔法陣の群れが浮かび上がるや、そこから鎖状の雷条が放たれ、異形に殺到した。
妖しの動きで雷鎖をかわす〈ロストメア〉――そこにルリアゲハが落下していく。
あいにくそっちは通行止めよ!
〈墜ち星〉の名のままに、降り落ちながら銃撃。〈ロストメア〉はあわてて身をひるがえす。
細い路地へと逃げ込む〈ロストメア〉。リフィルたちは地面に降り立ち、後を追う。
路地のなかほどまで進んだあたりで、〈ロストメア〉がぎょっとしたように足を止めた。
行く先に、ひとりの少女が佇んでいる。
小さな背に、無数の剣を負った少女が。
決然と。
…………。
行く手を遮られた〈ロストメア〉は、怒りに任せて牙を剥き、少女へと躍りかかる。
対して少女は、冷たい瞳で呼ばわった。
敵を断つべき剣の名を。
ブロードソード――カットラス!
片手剣と曲刀が背中の鞘から滑り落ちた――と見えた刹那、ふたつの銀弧が閃いていた。
距離。呼吸。技量。すべてにおいて申し分ない、流麗きわまる瞬刻の抜き打ちが、迫る〈ロストメア〉を真っ向から斬り伏せる。
悲鳴を上げて、後ろに下がる〈ロストメア〉。少女は、すっと細い手を上げ、冷徹に唇を開く。
――クレイモア!
路地に隠されていた7本の両手剣が即応――異形の後退した先、まさにその足元から、怒涛の勢いで跳ね上がり、串刺しにした。
7つの刃で刺し貫かれた〈ロストメア〉が、直後、びくりと動きを止めた。
眼前――右手に細剣を抜き放った少女が、その切っ先を異形に差し向け、すう、と双眸を細めていた。
――レイピア。
小さなてのひらから放たれた魔力が、細剣を矢のごとく走らせ、〈ロストメア〉を貫く。
なすすべもなく全身に刃を埋め込まれた〈ロストメア〉は、ぐずぐずと溶け消えていく……。
……コピシュ。
ルリアゲハとともに追いついたリフィルが、静かに少女の名を呼んだ。
勝ちました。
冷たく凍える瞳で答え、少女は軽く腕を振る。
今まさに異形の怪物を討ち果たした剣の群れが、金属のこすれる音を奏で、背の鞘へ戻っていく。
最後に、ぱちり、と細剣が納まったところで――
リフィルを見上げ、少女は言った。
次の獲物を、探しましょう――〈黄昏(サンセット)〉。
氷原に荒ぶ、吹雪のような声だった。
story
その夜――〈メアレス〉御用達の定食屋で、ラギトたちに遭遇した。
どもっす!大活躍って聞きましたよ、お三方!
ふたりが敵を誘導し、ひとりが待ち伏せをして、確実に仕留める……まさに群れの狩りだな。
〈剣庫(アーセナル)〉に代わるあざなが必要かもしれんな、コピシュ。
……なんでもいいです。名前で敵を倒せるわけじゃないですし。
コピシュは、淡々と答えた。ミリィたち3人が、思わず顔を見合わせる。
食事を注文したところで、アフリトが口を開いた。
それで……コピシュよ。これからどのように生きるか、答えは見えたかね?
〈ロストメア〉を倒して、お金を稼ぎます。それができれば、なんでもいいです。
わたしには、剣を執って、それしかありませんから。戦うことだけしか――
それはゼラードの生き方だ。おまえさんのものではない。
……同じです。
膝の上に置かれた少女の手に、ぐっ、と強く力が込められるのを、リフィルは見た。
お父さんには、剣しかなかった……。だから、わたし、お母さんじゃなくて、お父さんについていったんです。
剣しかない。それでもいいって思ったんです。お父さんは、それでいいって。
だから……それでいいって思えたわたしも、きっと、お父さんと同じなんです。
同じじゃないと……だめなんです……。
そう言って、コピシュは強く唇を引き結んだ。
その、こわばった小さな肩を――ガラスのように鋭く、そして壊れやすそうな肩を――リフィルは、何も言えずに見つめていた。
…………。
食事をしただけでおねむとはな。どれだけ気を張っていたものやら。
アフリト翁が一服盛ったとかじゃないですよね。
安心しろ。俺だ。
なんだそれならえええええ!?
正確には、心身をリラックスさせる香を焚いた。最近、ちょっと凝っていてな。
あ、なんかいいにおいすると思ったらそれか……。意外な趣味してんですね……。
……助かったわ、〈夢魔装(ダイトメア)〉。眠れていないってことはわかっていたんだけど。
こんなものは姑息療法だ。きっとすぐ、また自分を追い込むだろう。
本人にその自覚はないでしょうけど……この子、いつも至近距離で決着をつけたがるのよね。
あたしたちが戦う後ろから、剣を飛ばして援護してくれるだけでもいいんだけど……。
……きっと剣の間合いじゃないとだめなんですよ。
少女の寝顔を見つめ、ミリィが気づかわしげに言った。
守られながら戦うんじゃ……、戦ってるって感じ、しないんじゃないかな……。
命を懸けて、敵と戦う。そうしなければ……その覚悟を持てなければ、自分を許せんのだろう。
ラギトは、まっすぐにリフィルを見た。
そんな風に感じるのは、背負ったものが重すぎるからだ――〈黄昏(サンセット)〉。
誰かに身を挺して助けられると、その命の重みが、自分の背中に乗ったように感じる。
重みの分だけ責が増す。戦士は特に。救われた価値を果たさねばと、背負った重みに囚われる。
潰れることなく、前に進むためには……周囲の人間の助けがあるに越したことはない。
リフィルは嘆息し、素直にうなずいた。
……ありがとう。わかってるつもり……ではいるんだけど。
いずれにせよ、答えを出すのは彼女だ。そして彼女は戦いでしか答えを出せない人間だ。
彼女の戦いを見守れ。そして、絶対に死なせるな、そうすれば答えが見つかる。君自身の答えも。
(……彼女の答え。私自身の答え)
リフィルはそっと己の胸元を押さえた。
(戦うことでしか生きることを実感できない。それは、私も同じなのかもしれない――)
story
――黄昏。門を目指す〈ロストメア〉が、巨大な橋を渡りゆく。
リフィルの魔法とルリアゲハの銃撃が放たれるが、そのことごとくが敵に届く直前で橋に墜ちた。
あの〈ロストメア〉の能力!?まったく、どういう夢から生まれたっていうの!
〝とにかく生き延びたい〟という意志を感じる。それで、意志なき弾や魔法が曲げられている!
それ、どうやって倒すわけ!?
意志を乗せた攻撃を叩き込めばいい!
広々とした橋の中央で、コピシュが〈ロストメア〉を待ち受けていた。
その手には、すでに二振りの刃が握られている。
なーるーー近接攻撃!
迫り来る〈ロストメア〉。コピシュは小さな腕に重すぎる剣を魔力で支え、真っ向から相対する。
――はぁぁぁあああぁああぁあッ!!
「悪いな……コピシュ。迷惑かけどおしでよ……。」
「そんなことないです。わたしが無事なのは、お父さんが守ってくれたおかげなんですから……。
お金は、わたしがちゃんと稼ぎます。お父さんは、ゆっくり養生してください。ね?」
「別に、戦わなくったっていいんだ……。おまえなら、何やったって稼げる……。」
「こっちの方が、実入りがいいですから。だいじょうぶ、心配しないでください。」
(やってみせる……お父さんの教えてくれた、この剣で――
絶対に……お父さんを……元気に……!!)
鈎爪に、コピシュは自ら飛び込んだ。
爪の斬撃に二刀を合わせて、やわらかく受け流し、ほんの一瞬こじ開けた間隙へ電撃的に滑り込む。
やぁぁああぁあああーーーーッ!!
裂帛の気合とともに、両の刃で刺し貫く――
7寸前、〈ロストメア〉が咆呼した。
〝生きて〟……〝帰る〟……。
――!
そう、聞こえた。
〝戦争なんかで死にたくない〟……〝銃弾の雨をかいくぐってでも〟……〝生きて、故郷へ〟……!
それは、〝夢〟だった。
いつか――どこかで――誰かが抱いて捨て去った、ひどく儚い〈見果てぬ夢〉の残骸だった。
それが今、自分の目の前にある。それを今、潰そうとしている。
〝夢〟を……こんな大事なものを……。わたしは今――潰そうとしている……!!
う……!!
貫けたはずのタイミングで、コピシュは後退した。
よろけ、ふらつき、逃げるようにただ後ろヘ――
挟み込むように、鈎爪が走る。
喉元。首へ。少女の身体は動かない。凍りついたように息を呑み、立ち尽くして――
コピシュッ!!
風が参じた。
人形に抱かれたリフィルが両者の間に滑り込み、コピシュをかっさらいながら吹き抜けていた。
人形はすぐさま体勢を立て直し、大きく後退する。
距離を開け、リフィルはコピシュを下ろした。
リフィルさん――わたし――
夢見る者に、〈見果てぬ夢〉は潰せない。
輝ける光の糸を、ぐいと引き寄せ――
リフィルは、凛然と〈ロストメア〉を見据えた。
〈ロストメア〉――おまえは私に潰されろッ!!
story
ルリアゲハッ!
こういうことでしょ!?
雷撃と銃弾が、前後から〈ロストメア〉を挟み撃った。
〈ロストメア〉が咆陣――雷撃は天に昇り、銃弾は地に墜ちる。
振り回される豪腕をかわし、ルリアゲハは舌打ちする。
まったく!後衛の天敵みたいな〈夢〉だこと!
わたしが……!
座り込んでいたコピシュが立ち上がりかけたが、
無用ッ!
リフィルの一喝で、びくりと動きを止めた。
今のあなたに〈夢〉の相手は叶わない。こちらも守る余裕はない!
わ――わたし……。
コピシュは、剣を握ったままの両手を、ぎゅっと握った。
その手の甲に、ぽたりと熱いしずくが落ちる。
夢なんて……なくていいのに……!どうしてわたし……こんなときに……そんなの……!!
夢を見て悪いことがあるか!
〈ロストメア〉の鈎爪を避け、リフィルは吼えた。
人が夢を持って生きるのは、当然のことじゃない――だけど、自然なことではある!
立て続けの雷条を射る。すべてあらぬ方へと逸らされたものの、敵の動きに遅滞を強いた。
ゼラードが言っていたように、みんな、〝そうなろう〟として〈メアレス〉になったわけじゃない――
夢破れ、あるいは失い、あるいは捨て去り、あるいは抱けず――ただ〝そうなってしまった〟!
そうならずに済むなら……まだ夢を見られるのなら!それを追いかけた方がいいに決まってる!
銃撃。逸れて地を撃つ、直後に雷鳴。怪物が身をひるがえしてかわす――〝初めての回避〟。
夢見ることを失うしかない人間だっている。そうであっても生きてはいる!
だけど、好んで〈メアレス〉に堕ちることはない!あなたはまだ、何も失っていないんだから!!
わずかずつ間隔をずらしながらの雷条の連射。異形は回避に専念するしかなく、苛立ちにうめく。
その間に、リフィルを抱いた人形が跳躍――雷をかわした〈ロストメア〉の目の前へ降り落ちた。
夢の骸を踏み潰すのは、失いきった者の役目でいい――
ぎょっとなる異形の眼前で、リフィルは糸を繰る。
八十葉をなして、天霧らせ――地より逆撃つ雷雲樹!!
〈ロストメア〉の足元に生じた魔法陣。そこから、大樹の立つがごとく、膨大な量の雷がほとばしり、〈ロストメア〉を襲った。
絶叫。咆呼。だが、なんの意味もない。逸れた雷条が別の雷条に触れて跳ね返り、結果、異形を焼き焦がす。
乱反射する雷雲の結界に閉ざされ、焼かれ、凄まじいまでの絶痛絶苦に悶え狂い――
ようやく雷が消えたとき、ぐったりと煙をもらす怪物の口に、そっと銃口が差し込まれた。
はい、とどめ。
逸らしようのない口内で銃火が詐裂。
〈ロストメア〉は、一度びくりと震え――やがて、力なく崩壊を始めた。
その果てざまを確認し、リフィルはコピシュのもとへと歩み寄る。
コピシュ――
わたしっ……!
わたしがあの〈夢〉を見つけなかったら……!そうしなかったら、お父さんも無事だったのに!
わたしも期待したから……お母さんとお父さんとまた3人で暮らせたらって、思ってしまったから!
だからあんなことになったのに!夢さえ……夢さえ見ようとしなければよかったのに……!
なのに……わたし!夢を、見るなんて……!見てしまうなんて……こんなっ……!!
うつむいたまま震え続ける少女の身体を、リフィルは、そっと――ぎゅっと――抱きしめる。
夢見ることは、罪じゃない。
あなたは夢を見ていいのよ――コピシュ。もっと、いろんな夢を……。
私たちの代わりに。
その言葉を呑み込んだ胸に、熱い雨が降り注ぐのを感じながら――
リフィルは緩やかに目を閉じた。
story
病院の一室――寝台に横たわったゼラードは、小さくも重々しい吐息をもらした。
……そうか。あいつ、夢を見たのか……。
あなたを治したいという夢をね。
寝台の傍ら――腕と足を組んだ状態で椅子に座ったリフィルが、そっけなく告げる。
見るなら、もうちょいマシな夢もあるのにな……。
あなたの傷が癒えれば、いずれ新しい夢を見る。あの子は、夢を知らなかっただけなんだから。
だといいがな……。そのへん、俺がもっとしっかりしてりゃ、良かったんだが……。
あなたに剣以外の期待はしていない。
ヘーへー。知ってますよっと……。
リフィルは、肩をすくめて立ち上がった。
あの子には、うちの店を紹介しておくわ。飲み込みがいいから、すぐ働けるはず。
悪いな……。くそ、俺もとっとと治して――
ぎろり、と視線が鋭さを帯びた。
寝てろ。
……へい。
…………。
ずしりと重く圧しかかる剣の群れを背負いながら、コピシュはひとり、路地裏を歩いている。
人の気配とてない、路地裏の奥深く。少女はそこで足を止め、静かに声を上げた。
いらっしゃいますか――アフリト翁。
まあ、おらぬこともない。
うっすらと微笑むアフリトが、路地裏の陰から、ゆらりと姿を現した。
いかなる用向きかね、〈剣庫(アーセナル)〉。
いや……今となっては、〝ただの〟コピシュか。
ご存じなんですね。わたしが……〈メアレス〉ではなくなったこと……。
風の伝にな。だが、そうでありながら、わしを呼んだということは――
コピシュは、ひた、とまっすぐに男を見つめた。
〈メアレス〉でないと、〈ロストメア〉とは戦えませんか。
あの黒猫の魔法使いさんみたいに……夢を持ちながら、〈ロストメア〉と戦うすべはありませんか。
……なぜ、そうも戦うことにこだわる?
現実的な理由です。子供のわたしじゃ、そうでもしないと、お父さんの治療費を稼ぎ続けられませんから。
それだけではないという目だ。
…………。
斬り込むような指摘に、コピシュは一瞬うつむいて――
すぐに、毅然と顔を上げ、言った。
わたし……剣でなくちゃいけないんです。
そうでないと……わたし……お父さんの子だって、胸を張って言えないんです!
そんなことはない――コピシュ。おまえさんは、あいつの自慢の子だよ。
コピシュは、ふるふると首を横に振った。
ずっと……胸の奥にこびりついているんです。
わたしを逃がすため、敵に立ち向かっていったお父さんの姿が……その剣が……ずっと――
その剣を継げるだけの自分じゃないと、お父さんに助けられるだけの価値があっただなんて言えない……!!
丿わたしは……お父さんみたいな剣士になりたい!ならなきや、生きてる意味がないっ!!
――それも、夢だな。
アフリトは、微笑ましげに言った。
胸に燈る、あたたかくも尊い炎だ。夢以外の何物でもない。
父を癒す。父のような剣士になる。おまえさんのふたつの夢は、〈ロストメア〉を倒せねば叶ええぬ。
はい……ですから、その方法を――
そんなものはない。
ぴしゃりと告げて。
アフリトは、ゆっくりと目をすがめた。
だが――再び〈メアレス〉として立つことは、できる。
え……?
茫然と目を見開くコピシュの眼前で――
煙が、舞った。
ごうごうと――嵐めく轟音を立てながら、集い、猛り、男の掌の上で呵々と荒れ狂う。
ぞっと総毛立つほどの戦慄を覚えながら、コピシュは反射的に身構えた。
これ……魔力……!
どうせ果たせぬ夢ならば、抱いたところで仕方あるまい。
とてつもない量の魔力をたたえたまま――
今一度、〈メアレス〉として立て――〈剣庫(アーセナル)〉。その刃を阻む夢は……。
アフリトは、穏やかに微笑んだ。
このわしが、喰らい尽くそう。
***
コピシュッ!!
魔力のうねりを察知し、路地裏に飛び込んだリフィルは、ハッと目を見開いて立ち尽くした。
…………。
吐息も荒く、コピシュが膝を突いている。背中の剣はことごとく抜かれきり、地面に散乱していた。
そして――少女の前で絶大な魔力をたたえているのは、誰あろう、アフリトその人であった。
アフリト翁……!?これはなんの戯言だ!
ただの儀式さ、〈黄昏(サンセット)〉。彼女の夢を喰らうだけのな……。
しかし存外に抵抗をする。〈ロストメア〉と戦えなければ、どのみち果たせぬ夢なのだがね。
…………。
両手に剣を携えたまま、コピシュはアフリトを見上げる。双眸に、赫々たる闘志が燃えていた。
リフィルはアフリトの前に立ちふさがり、即座に人形を召喚して身構える。
(人の身では御しえるはずのないほどの魔力……。夢を喰らうという力……この男、何者だ!?
いいや――何者であれ、コピシュの夢を奪おうとするなら……!)
出し惜しみなし、初手から最大の魔法を繰り出すぺく、輝ける糸を引いたところで――
その脇を、小さな疾風が駆け抜けた。
コピシュ……ッ!?
…………ッ。
決然たる前進に、アフリトが微笑む。
ようやく、夢を捨てる気になったかね。
煙が竜のごとくうねり、四方から少女を狙った。実体なき牙が喰らうは、心に秘めたる夢なのか。
少女は構わず、前へゆく。
――はあッ!!
星めく剣華が閃いた。
瞬時、四方に咲いた剣光の華。喰らいつく4頭の煙竜のことごとくが、ただ一息にて両断されていた。
なんと!?
(四境夜降……!隙なく連なる剣撃で四方の敵を玉響に断つ、ゼラードの剣技……!)
ただ速いのではない。流れるような重心の制御、技巧の極みがあって初めて可能となる絶技。
(足りない腕力を魔力で補って……あまつさえ、剣にも魔力を刷いて煙を断った!)
だが、技や力で〈ロストメア〉と戦えるものか!
アフリトが路地裏を埋め尽くすほどの竜を放った。避けようも切り抜けようもない牙が少女を襲う。
コピシュは真っ向からそのあぎとに飛び込み――
そのまま、抜けた。
――!?夢を喰らえぬだと……!?よもや――まさかッ!
無念無想!おまえさん――これは――夢をも忘れる無我の刃かッ!
ぁぁああぁああああああッ!
銀の剣弧が、空を断つ。
訪れたのは、風すら息を呑むような静寂。
双の刃を男の喉元に突きつけた状態で、コピシュは動きを止めていた。
…………。
磨き抜かれた秋水の刃のごとく、一片の澱みとてなく澄み切った眼差しが、ひたと男に突き刺さる。
瞳と剣と――いずれ劣らぬ氷の刃を前にして、アフリトは、あきれたような笑みを浮かべた。
己をただ刃となさしめて斬る〝剣の境地〟――
戦場において夢すら忘れて剣に浸るか。確かに、これなら〈ロストメア〉の叫びも意味がない。
夢を喰ろうて〈メアレス〉に戻そうなど……どうやら、いらぬ世話をやきかけたようだ。
アフリト翁――あなたは……。
切っ先を前に、アフリトは笑う。
無論、人ではない。わしなるものは、ある存在の影に過ぎぬ。
かつて――妖精たちの住む世界で、ある妖精が、すべての夢を喰らうべく、魔道に堕ちた……。
願い果たせず、他の妖精や――異界より現れた黒猫の魔法使いに破れ、散ってしまったがな。
あの魔法使い、そんなところにも――?
だが妖精は消えなんだ。力を求めて異界を渡り、夢と現実の狭間なる都市に辿り着いた。
〈見果てぬ夢〉……〈ロストメア〉が現れるこの都市は、格好のえさ場だった、ってことですか?
然様。とはいえ力を癒すのに力を使っては、効率が悪い。
ゆえに、その妖精――〈全ての夢を喰らう者〉フムト・アラトは、わしという分身を生んだのだ。
〈メアレス〉を集め、導く者としてな。
〈メアレス〉に〈ロストメア〉を倒させて……。そのおこぼれに預かろうということ?
平たく言えば、そうなる。ま、共生と言えば共生よな――
アフリトがそう言ったところで、コピシュの膝が、がくりと崩れた。
コピシュ!
リフィルはあわてて駆け寄り、荒い息を吐く少女の身体を抱き起こす。
幼き身に魔力を重ね、無理やり剣の境地に達したのだ。消耗も激しかろう。
苦笑し、アフリトはきびすを返した。
その背に、リフィルは声を投げる。
アフリト翁……あなた、どうしてコピシュの夢を喰らおうとしたの?
〈メアレス〉の数を減らしたくなかったから?それとも――
それに……致命傷を受けたはずのゼラードが生きながらえたのも、ひょっとしてあなたが――
言うたはずだぞ、〈黄昏(サンセット)〉。
首だけを振り向かせ、男は笑った。
言葉には、秘めてこその価値もある……とな。
その身体は、煙となって薄れ――すぐに、どこへともなく消えてしまった。
まさか、煙そのものとは……神出鬼没も道理か。
首を振り、リフィルは視線を落とした。
コピシュが、うっすらと目を開けて見上げている。
……コピシュ。
わたし……戦います。
激しい消耗に震える声で、少女は言った。
いっしょに……戦わせてください……。わたし……まだ、強くならなきゃ……。
リフィルは、しばし沈黙し――
やがて、小さく嘆息した。
アフリト翁の言っていたとおり、〈剣庫(アーセナル)〉に代わる名前が必要ね。
軽く指を動かすと、応じて人形が滑り寄り、ひょいとコピシュの身体を抱き上げた。
とにかく、まずは病院よ。父親の隣のベッドに放り込んでやるから、覚悟しなさい。
あ、でも、剣が……。
コピシュの背負っていた剣はすべて、路地裏に散らばってしまっている。
私が拾っておくわ。
え?でも、じゃあどうやって、わたしを――
リフィルは、極めて複雑に糸を操った。
すると、骨の人形が力強く跳躍――コピシュの悲鳴を響かせながら、屋根を疾走し始める。
病院の位置は〝仕込んで〟ある。リフィルが傍にいなくても、自動的に辿り着けるはずだ。
さて……。
剣の転がる路地裏を見下ろして――
リフィルは、む、と眉をひそめた。
軽く請け負ってしまったけど……。
けっこう骨よね……この作業……。
――その後。
少女を抱きかかえた骨の骸の出現に、病院は大混乱に陥ったのだが。
リフィルの知ったことではなかった。
story
ゼラードくん。そろそろ貸した金を返してくれんかね。
だから、もうちょっと待ってくれって。もうちょっと。もちょっとだからさ。
〝もうちょっと〟とは、具体的にどのくらいかね?
そりゃ、おまえ……〝もう少し〟より、ちょっと短いくらいだよ。
君は、道端でそんな話をしているゼラードとアフリトを見かけた。
ゼラード、お金を返せないくらい困ってるにゃ?コピシュが泣くにゃ。
いや、別に、困ってるってわけじゃねえんだ。ただ……。
ゼラードはそっぽを向いて、頬をかく。
食ってく分にはいいけどよ。学校に行かせてやれるぽどじゃねえからさ……。
せめて、勉強用の本くらいはと思ってよ……。
それで、本代をわしにせびったわけだ。
〝せびる、はねえだろ。〈ロストメア〉さえ倒せりや払えるんだ。なんだ、ほら、出世払いってやつ。
〈メアレス〉にゃ出世もクソもないがね。で、いつ返してくれるのかね。
だーっ、だからもうちょっと待ってくれって!
だいたいおまえ、返した金、何に使うんだよ!おまえが買い物してるとこ見たことねえぞ!
何に使うかは問題ではない。おまえさんのような男は、こうしてつついておかんと、すぐ忘れるだろう。
少し立て替えようか、と君は言った。前にゼラードの戦いに割り込んでしまった詫びに。
アフリトに出してもらっている生活費の一部を、ゼラードの負担の軽減に回す形になる。
いや、まあ、あれは……気にしてねえよ。おまえらも、そんな気にすんなって。
それでも気になってしまうのだろう。黒猫の魔法使い殿はな。
どこか意味深に、アフリトは笑った。
――相変わらず、な。
何かつぶやいたようだったが、その内容は、君には聞こえなかった。
心配せんでも、踏み倒すような男ではない。剣士の名折れになるからな。
ま、まあな。そりゃな。うん。
先延ばしにはするがな。
……まあな。そりゃな。うん……。
というわけで、おふたりさん。この話の続きは酒場でしてくる。今日はここらで失礼するよ。
事情が事情にゃ。なるべくお手やわらかににゃ。
わしほど柔和な男は世におらんよ。
にやりと笑い、アフリトはゼラードと連れ立って、酒場の方へ向かっていった。
……前から思ってたけど、やっぱり、変わった人にゃ。アフリト翁は。
そうだね、と君はうなずいた。
なんであんなしゃべり方なのかが、いちばん謎にゃ。
……そうだね、と君はうなずいた。
……黒猫の魔法使い、か。まさかこの都市でも会うことになろうとは。
これも、縁というやつかねえ――
せいぜい、敵に回したくはないものだ。