【黒ウィズ】黄昏メアレス Story5
story
優雅なる都市を、異形の影が駆け抜ける。
〈ロストメア〉――いつか誰かが抱いて捨てた、〈見果てぬ夢〉の、その化身。
大通りを疾走するその姿に、人々はあわてて道を開け、逃げ出していく。
そんななか、屋根を駆け抜け、異形の化生を追う影ふたつ。
ていうか、あの子は!?いっしょじゃないの!
〈ロストメア〉が大通りから橋に出ようとする。
瞬間、ふたりは同時に屋根を蹴った。
リフィルを抱いた骨骸の人形が、街路に並ぶガス灯のひとつに着地しながら、片手で印を結ぶ。
橋の手前に小さな魔法陣の群れが浮かび上がるや、そこから鎖状の雷条が放たれ、異形に殺到した。
妖しの動きで雷鎖をかわす〈ロストメア〉――そこにルリアゲハが落下していく。
〈墜ち星〉の名のままに、降り落ちながら銃撃。〈ロストメア〉はあわてて身をひるがえす。
細い路地へと逃げ込む〈ロストメア〉。リフィルたちは地面に降り立ち、後を追う。
路地のなかほどまで進んだあたりで、〈ロストメア〉がぎょっとしたように足を止めた。
行く先に、ひとりの少女が佇んでいる。
小さな背に、無数の剣を負った少女が。
決然と。
行く手を遮られた〈ロストメア〉は、怒りに任せて牙を剥き、少女へと躍りかかる。
対して少女は、冷たい瞳で呼ばわった。
敵を断つべき剣の名を。
片手剣と曲刀が背中の鞘から滑り落ちた――と見えた刹那、ふたつの銀弧が閃いていた。
距離。呼吸。技量。すべてにおいて申し分ない、流麗きわまる瞬刻の抜き打ちが、迫る〈ロストメア〉を真っ向から斬り伏せる。
悲鳴を上げて、後ろに下がる〈ロストメア〉。少女は、すっと細い手を上げ、冷徹に唇を開く。
路地に隠されていた7本の両手剣が即応――異形の後退した先、まさにその足元から、怒涛の勢いで跳ね上がり、串刺しにした。
7つの刃で刺し貫かれた〈ロストメア〉が、直後、びくりと動きを止めた。
眼前――右手に細剣を抜き放った少女が、その切っ先を異形に差し向け、すう、と双眸を細めていた。
小さなてのひらから放たれた魔力が、細剣を矢のごとく走らせ、〈ロストメア〉を貫く。
なすすべもなく全身に刃を埋め込まれた〈ロストメア〉は、ぐずぐずと溶け消えていく……。
ルリアゲハとともに追いついたリフィルが、静かに少女の名を呼んだ。
冷たく凍える瞳で答え、少女は軽く腕を振る。
今まさに異形の怪物を討ち果たした剣の群れが、金属のこすれる音を奏で、背の鞘へ戻っていく。
最後に、ぱちり、と細剣が納まったところで――
リフィルを見上げ、少女は言った。
氷原に荒ぶ、吹雪のような声だった。
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その夜――〈メアレス〉御用達の定食屋で、ラギトたちに遭遇した。
コピシュは、淡々と答えた。ミリィたち3人が、思わず顔を見合わせる。
食事を注文したところで、アフリトが口を開いた。
わたしには、剣を執って、それしかありませんから。戦うことだけしか――
膝の上に置かれた少女の手に、ぐっ、と強く力が込められるのを、リフィルは見た。
剣しかない。それでもいいって思ったんです。お父さんは、それでいいって。
だから……それでいいって思えたわたしも、きっと、お父さんと同じなんです。
同じじゃないと……だめなんです……。
そう言って、コピシュは強く唇を引き結んだ。
その、こわばった小さな肩を――ガラスのように鋭く、そして壊れやすそうな肩を――リフィルは、何も言えずに見つめていた。
あたしたちが戦う後ろから、剣を飛ばして援護してくれるだけでもいいんだけど……。
少女の寝顔を見つめ、ミリィが気づかわしげに言った。
ラギトは、まっすぐにリフィルを見た。
誰かに身を挺して助けられると、その命の重みが、自分の背中に乗ったように感じる。
重みの分だけ責が増す。戦士は特に。救われた価値を果たさねばと、背負った重みに囚われる。
潰れることなく、前に進むためには……周囲の人間の助けがあるに越したことはない。
リフィルは嘆息し、素直にうなずいた。
彼女の戦いを見守れ。そして、絶対に死なせるな、そうすれば答えが見つかる。君自身の答えも。
リフィルはそっと己の胸元を押さえた。
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――黄昏。門を目指す〈ロストメア〉が、巨大な橋を渡りゆく。
リフィルの魔法とルリアゲハの銃撃が放たれるが、そのことごとくが敵に届く直前で橋に墜ちた。
広々とした橋の中央で、コピシュが〈ロストメア〉を待ち受けていた。
その手には、すでに二振りの刃が握られている。
迫り来る〈ロストメア〉。コピシュは小さな腕に重すぎる剣を魔力で支え、真っ向から相対する。
「悪いな……コピシュ。迷惑かけどおしでよ……。」
「そんなことないです。わたしが無事なのは、お父さんが守ってくれたおかげなんですから……。
お金は、わたしがちゃんと稼ぎます。お父さんは、ゆっくり養生してください。ね?」
「別に、戦わなくったっていいんだ……。おまえなら、何やったって稼げる……。」
「こっちの方が、実入りがいいですから。だいじょうぶ、心配しないでください。」
(やってみせる……お父さんの教えてくれた、この剣で――
絶対に……お父さんを……元気に……!!)
鈎爪に、コピシュは自ら飛び込んだ。
爪の斬撃に二刀を合わせて、やわらかく受け流し、ほんの一瞬こじ開けた間隙へ電撃的に滑り込む。
裂帛の気合とともに、両の刃で刺し貫く――
7寸前、〈ロストメア〉が咆呼した。
そう、聞こえた。
それは、〝夢〟だった。
いつか――どこかで――誰かが抱いて捨て去った、ひどく儚い〈見果てぬ夢〉の残骸だった。
それが今、自分の目の前にある。それを今、潰そうとしている。
〝夢〟を……こんな大事なものを……。わたしは今――潰そうとしている……!!
貫けたはずのタイミングで、コピシュは後退した。
よろけ、ふらつき、逃げるようにただ後ろヘ――
挟み込むように、鈎爪が走る。
喉元。首へ。少女の身体は動かない。凍りついたように息を呑み、立ち尽くして――
風が参じた。
人形に抱かれたリフィルが両者の間に滑り込み、コピシュをかっさらいながら吹き抜けていた。
人形はすぐさま体勢を立て直し、大きく後退する。
距離を開け、リフィルはコピシュを下ろした。
輝ける光の糸を、ぐいと引き寄せ――
リフィルは、凛然と〈ロストメア〉を見据えた。
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雷撃と銃弾が、前後から〈ロストメア〉を挟み撃った。
〈ロストメア〉が咆陣――雷撃は天に昇り、銃弾は地に墜ちる。
振り回される豪腕をかわし、ルリアゲハは舌打ちする。
わたしが……!
座り込んでいたコピシュが立ち上がりかけたが、
リフィルの一喝で、びくりと動きを止めた。
コピシュは、剣を握ったままの両手を、ぎゅっと握った。
その手の甲に、ぽたりと熱いしずくが落ちる。
〈ロストメア〉の鈎爪を避け、リフィルは吼えた。
立て続けの雷条を射る。すべてあらぬ方へと逸らされたものの、敵の動きに遅滞を強いた。
夢破れ、あるいは失い、あるいは捨て去り、あるいは抱けず――ただ〝そうなってしまった〟!
そうならずに済むなら……まだ夢を見られるのなら!それを追いかけた方がいいに決まってる!
銃撃。逸れて地を撃つ、直後に雷鳴。怪物が身をひるがえしてかわす――〝初めての回避〟。
だけど、好んで〈メアレス〉に堕ちることはない!あなたはまだ、何も失っていないんだから!!
わずかずつ間隔をずらしながらの雷条の連射。異形は回避に専念するしかなく、苛立ちにうめく。
その間に、リフィルを抱いた人形が跳躍――雷をかわした〈ロストメア〉の目の前へ降り落ちた。
ぎょっとなる異形の眼前で、リフィルは糸を繰る。
〈ロストメア〉の足元に生じた魔法陣。そこから、大樹の立つがごとく、膨大な量の雷がほとばしり、〈ロストメア〉を襲った。
絶叫。咆呼。だが、なんの意味もない。逸れた雷条が別の雷条に触れて跳ね返り、結果、異形を焼き焦がす。
乱反射する雷雲の結界に閉ざされ、焼かれ、凄まじいまでの絶痛絶苦に悶え狂い――
ようやく雷が消えたとき、ぐったりと煙をもらす怪物の口に、そっと銃口が差し込まれた。
逸らしようのない口内で銃火が詐裂。
〈ロストメア〉は、一度びくりと震え――やがて、力なく崩壊を始めた。
その果てざまを確認し、リフィルはコピシュのもとへと歩み寄る。
わたしがあの〈夢〉を見つけなかったら……!そうしなかったら、お父さんも無事だったのに!
わたしも期待したから……お母さんとお父さんとまた3人で暮らせたらって、思ってしまったから!
だからあんなことになったのに!夢さえ……夢さえ見ようとしなければよかったのに……!
なのに……わたし!夢を、見るなんて……!見てしまうなんて……こんなっ……!!
うつむいたまま震え続ける少女の身体を、リフィルは、そっと――ぎゅっと――抱きしめる。
あなたは夢を見ていいのよ――コピシュ。もっと、いろんな夢を……。
私たちの代わりに。
その言葉を呑み込んだ胸に、熱い雨が降り注ぐのを感じながら――
リフィルは緩やかに目を閉じた。
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病院の一室――寝台に横たわったゼラードは、小さくも重々しい吐息をもらした。
寝台の傍ら――腕と足を組んだ状態で椅子に座ったリフィルが、そっけなく告げる。
リフィルは、肩をすくめて立ち上がった。
ぎろり、と視線が鋭さを帯びた。
ずしりと重く圧しかかる剣の群れを背負いながら、コピシュはひとり、路地裏を歩いている。
人の気配とてない、路地裏の奥深く。少女はそこで足を止め、静かに声を上げた。
うっすらと微笑むアフリトが、路地裏の陰から、ゆらりと姿を現した。
いや……今となっては、〝ただの〟コピシュか。
コピシュは、ひた、とまっすぐに男を見つめた。
あの黒猫の魔法使いさんみたいに……夢を持ちながら、〈ロストメア〉と戦うすべはありませんか。
斬り込むような指摘に、コピシュは一瞬うつむいて――
すぐに、毅然と顔を上げ、言った。
そうでないと……わたし……お父さんの子だって、胸を張って言えないんです!
コピシュは、ふるふると首を横に振った。
わたしを逃がすため、敵に立ち向かっていったお父さんの姿が……その剣が……ずっと――
その剣を継げるだけの自分じゃないと、お父さんに助けられるだけの価値があっただなんて言えない……!!
丿わたしは……お父さんみたいな剣士になりたい!ならなきや、生きてる意味がないっ!!
アフリトは、微笑ましげに言った。
父を癒す。父のような剣士になる。おまえさんのふたつの夢は、〈ロストメア〉を倒せねば叶ええぬ。
ぴしゃりと告げて。
アフリトは、ゆっくりと目をすがめた。
茫然と目を見開くコピシュの眼前で――
煙が、舞った。
ごうごうと――嵐めく轟音を立てながら、集い、猛り、男の掌の上で呵々と荒れ狂う。
ぞっと総毛立つほどの戦慄を覚えながら、コピシュは反射的に身構えた。
とてつもない量の魔力をたたえたまま――
アフリトは、穏やかに微笑んだ。
***
魔力のうねりを察知し、路地裏に飛び込んだリフィルは、ハッと目を見開いて立ち尽くした。
吐息も荒く、コピシュが膝を突いている。背中の剣はことごとく抜かれきり、地面に散乱していた。
そして――少女の前で絶大な魔力をたたえているのは、誰あろう、アフリトその人であった。
しかし存外に抵抗をする。〈ロストメア〉と戦えなければ、どのみち果たせぬ夢なのだがね。
両手に剣を携えたまま、コピシュはアフリトを見上げる。双眸に、赫々たる闘志が燃えていた。
リフィルはアフリトの前に立ちふさがり、即座に人形を召喚して身構える。
いいや――何者であれ、コピシュの夢を奪おうとするなら……!)
出し惜しみなし、初手から最大の魔法を繰り出すぺく、輝ける糸を引いたところで――
その脇を、小さな疾風が駆け抜けた。
決然たる前進に、アフリトが微笑む。
煙が竜のごとくうねり、四方から少女を狙った。実体なき牙が喰らうは、心に秘めたる夢なのか。
少女は構わず、前へゆく。
星めく剣華が閃いた。
瞬時、四方に咲いた剣光の華。喰らいつく4頭の煙竜のことごとくが、ただ一息にて両断されていた。
ただ速いのではない。流れるような重心の制御、技巧の極みがあって初めて可能となる絶技。
アフリトが路地裏を埋め尽くすほどの竜を放った。避けようも切り抜けようもない牙が少女を襲う。
コピシュは真っ向からそのあぎとに飛び込み――
そのまま、抜けた。
無念無想!おまえさん――これは――夢をも忘れる無我の刃かッ!
銀の剣弧が、空を断つ。
訪れたのは、風すら息を呑むような静寂。
双の刃を男の喉元に突きつけた状態で、コピシュは動きを止めていた。
磨き抜かれた秋水の刃のごとく、一片の澱みとてなく澄み切った眼差しが、ひたと男に突き刺さる。
瞳と剣と――いずれ劣らぬ氷の刃を前にして、アフリトは、あきれたような笑みを浮かべた。
戦場において夢すら忘れて剣に浸るか。確かに、これなら〈ロストメア〉の叫びも意味がない。
夢を喰ろうて〈メアレス〉に戻そうなど……どうやら、いらぬ世話をやきかけたようだ。
切っ先を前に、アフリトは笑う。
かつて――妖精たちの住む世界で、ある妖精が、すべての夢を喰らうべく、魔道に堕ちた……。
願い果たせず、他の妖精や――異界より現れた黒猫の魔法使いに破れ、散ってしまったがな。
ゆえに、その妖精――〈全ての夢を喰らう者〉フムト・アラトは、わしという分身を生んだのだ。
〈メアレス〉を集め、導く者としてな。
アフリトがそう言ったところで、コピシュの膝が、がくりと崩れた。
リフィルはあわてて駆け寄り、荒い息を吐く少女の身体を抱き起こす。
苦笑し、アフリトはきびすを返した。
その背に、リフィルは声を投げる。
〈メアレス〉の数を減らしたくなかったから?それとも――
それに……致命傷を受けたはずのゼラードが生きながらえたのも、ひょっとしてあなたが――
首だけを振り向かせ、男は笑った。
その身体は、煙となって薄れ――すぐに、どこへともなく消えてしまった。
首を振り、リフィルは視線を落とした。
コピシュが、うっすらと目を開けて見上げている。
激しい消耗に震える声で、少女は言った。
リフィルは、しばし沈黙し――
やがて、小さく嘆息した。
軽く指を動かすと、応じて人形が滑り寄り、ひょいとコピシュの身体を抱き上げた。
コピシュの背負っていた剣はすべて、路地裏に散らばってしまっている。
リフィルは、極めて複雑に糸を操った。
すると、骨の人形が力強く跳躍――コピシュの悲鳴を響かせながら、屋根を疾走し始める。
病院の位置は〝仕込んで〟ある。リフィルが傍にいなくても、自動的に辿り着けるはずだ。
剣の転がる路地裏を見下ろして――
リフィルは、む、と眉をひそめた。
けっこう骨よね……この作業……。
――その後。
少女を抱きかかえた骨の骸の出現に、病院は大混乱に陥ったのだが。
リフィルの知ったことではなかった。
story
君は、道端でそんな話をしているゼラードとアフリトを見かけた。
ゼラードはそっぽを向いて、頬をかく。
せめて、勉強用の本くらいはと思ってよ……。
だいたいおまえ、返した金、何に使うんだよ!おまえが買い物してるとこ見たことねえぞ!
少し立て替えようか、と君は言った。前にゼラードの戦いに割り込んでしまった詫びに。
アフリトに出してもらっている生活費の一部を、ゼラードの負担の軽減に回す形になる。
どこか意味深に、アフリトは笑った。
何かつぶやいたようだったが、その内容は、君には聞こえなかった。
にやりと笑い、アフリトはゼラードと連れ立って、酒場の方へ向かっていった。
そうだね、と君はうなずいた。
……そうだね、と君はうなずいた。
これも、縁というやつかねえ――
せいぜい、敵に回したくはないものだ。