【黒ウィズ】黄昏メアレス Story4
目次
story14 虚ろにさまよう夢
その〈ロストメア〉は、人の姿でさまよっていた。
「う……ああ……。
酔いおぼれたようにふらつく足取り。道行く人にぶつかり、ののしられながら、前に進む。
「門……へ……。
門へ……行かなければ……。みんな……いっしょに……なるために……。
「――あら。
ふと。
倒れ込むようにして細い路地裏に入り込んだとき、婿然と微笑むひとりの少女に出くわした。
「人擬態級の〈ロストメア〉とは。でも、せっかく人の姿をしているのに、それじゃばればれよ。
「う……うう……。
泣き崩れそうになる〈ロストメア〉の頭を、少女は慈しむような手つきで撫でる。
「ねえ――私が手伝ってあげましょうか。ほら、教えて。あなたの夢はなに?
「私の……夢は……。
少女が、〈ロストメア〉の手を握った。すると、〈ロストメア〉の瞳が淡く輝き始める。
「三人で、いっしょに……生きて、過ごして……。どこまでも……ずっと……ただ、幸せに……。
「――なるほど。
いつしか、少女の瞳に、みっつの人影が映っていた。
目の前の女と、大柄な男と、小さな女の子とが、仲睦まじく笑い合う――そんな姿が。
「なんとまあ。あなた、〈メアレス〉の男が捨てた〈見果てぬ夢〉なのね。
微笑んで――少女は、そっと〈ロストメア〉のほっそりとした肢体を抱きしめた。
「かわいそうなこと。あなたを生み出した男は、夢見ざる存在として、私たちを狩りに来る。
「そんな……どうして……?自分で抱いた夢なのに……。
「泣いたってどうしようもないわ。そういうものなの。
だからこそ……私たちは自分で自分を叶えるしかない。そうでないと幸せになんてなれないのよ。
私が力を貸してあげる。現実に行くための力。そして……あなたを生んだ男に復讐する力を。
「わたし……現実に、なれるの……?
「もちろんよ。
だから、私とともに来なさい。夢として生まれた意義を、果たすために。
「……はい。
〈ロストメア〉は、うなずいた。
誰かに優しく抱かれることのあたたかさを、生まれて初めて感じながら――
〈見果てぬ夢〉に過ぎぬという己がさだめを、今さらながらに嘆いて、泣いた。
story15 孤高なる夢
「細工は流々……あとは仕上げをご覧じろ、というところかしらね。
人気のない路地裏で、少女はひとり、満足げにうなずいていた。
その手は糸を編んでいる。どこか禍々しい形状の糸……。
糸の群れは彼女の足元から広がり、蜘蛛の巣のごとく、この都市全体に伸びていた。
「すごいですね……。
「アストルムの〈秘儀糸〉……。この都市の霊脈に沿って咲き、土地の魔力を吸い上げてくれるわ。
「じゃあこれで、莫大な魔力があなたのものになって……。
あの〈メアレス〉たちを滅ぼして……。現実に進むことができるんですね……。
「まだ気が早いわ。あちら側には、リフィルがいる。
私と同じ古代の魔道の使い手……あの子を無力化しておくのが、最善の手というものよ。
そのために、あなたに働いてもらうことになるわ。
「それは、構わないのですが……。
どうして、゛始末、じゃなく゛無力化、なんですか?
素朴、と言っていい問いに、少女は、珍しく苦笑を浮かべた。
「……できれば、あの子を手にかけたくないのよ。
私は、アストルム家一門が抱いた魔道再興の夢の見果てぬ残骸……。
でも、それはあの子も同じことなの。
少女の瞳に、慈悲と憐情の色がのぞく。
「夢を失った一門が゛魔法を保存し続ける、ために道具として育て上げてきた子……。
アストルムー門の犠牲者という意味では、同じなのよ……私と、あの子は……。
だから、あの子にも夢を見せてあげたいの。
あなただって夢を見ていいって……広い世界にはばたいていくことができるんだって……。
そう、教えてあげたいの。私自身を現実にして、世界に魔法を復活させることで……ね。
「私には……よく、わからない感覚です。
でも、あなたがそう強く願うことなら……きっと、すばらしいことなんだろうって思います。
「ありがとう。いてくれて、あなたのような話し相手が私、うれしいわ。
(そして……あなたさえリフィルに倒されてくれれば、我が計画は成就を見る……
〈糸〉を張る前に〈メアレス〉については調べ尽くした。あの子以外に障害となる者はない。
私を叶えるときが……私の生まれた意義を果たすときが、ようやく来る……!)
黄昏に染まる空を見上げて――少女は、恍惚と吐息をもらした。
彼女は知らない。
〈メアレス〉について調べ終え、〈糸〉を張り始めた、ちょうどその時期に現れた変化のことを。
この都市を訪れた異界の魔法使いが、彼女の計略にいかなる影響をもたらすのかを――
story16 謎の魔法使い
様々な商店が立ち並ぶアーケード街。
ガラス張りの屋根の下、都市のあちこちからやってきた人々の活気あふれる喧騒が渦巻いている。
「昧、鮮度、食感、お値段!どれを取っても、うちのがダンチだ!いい肉を食いたけりゃ、ぜひ寄ってくんな!
他店に負けじと声を張り上げる肉屋の前に、ふと、艶やかな金色の長髪がひるがえった。
予期せぬ来客に、肉屋は思わず凝固する。
「あ、あんた……〈メアレス〉の……。
「〈黄昏(サンセット)〉リフィル……。
「古の魔道を使う、魔法使い……。
〈見果てぬ夢〉の化身たる怪物〈ロストメア〉と戦う、〈夢見ざる者〉――〈メアレス〉。
なかでも〈黄昏(サンセット)〉リフィルは、特に異質で異様な〈メアレス〉として知られる。
廃れ、失われきった神秘の技、〝魔法〟の使い手なるがゆえに。
存在そのものが非現実的な少女の到来。アーケード街に満ちていだ日常、の空気が、瞬時に凍てつき、霧氷のごとくなる。
「な――なんの用だ――
ごくり、と唾を呑み込む肉屋の主人を、少女は蒼い瞳でひたりと見すえ、言った。
「――豚。
「!
「豚2頭。〈巡る幸い〉亭の追加注文よ。来週の開店記念日に、豚の丸焼きをふるまう予定だから。
肉屋の目が点になる。
「えっと……んじゃ、あんたは……。
「無論――
リフィルは、凛然と言い放った。
「おつかいよ。
すたすたと街路を歩いていたリフィルは、突然、ミリィとラギトに呼び止められた。
ラギトは、都市で聞き込みをして得たという、゛新たに現れた魔法使い、の特徴を、リフィルに伝えた。
ふたりの言葉に、リフィルは眉をひそめた。
つぶやいたその瞬間、いくつもの悲鳴が重なって響いた。
まさか、と思いながら振り向くと、1台の大きな乗合馬車が塀にぶつかるようにして動きを止めたところだった。
直後――馬車側面の壁を引き裂いて、異形の怪物が姿を現す!
無数の雷条が空を貫き、馬車から出てきた〈ロストメア〉を直撃した。
完全なる不意打ち。〈ロストメア〉は全身を雷に撃たれ、あっけなく爆裂四散する。
その雷条を放った少女は、ひょこひょこと馬車に近づき、なかをのぞきこんで声をかけていた。
詠唱。呼び出された骨骸の人形が、リフィルを抱き上げて一気に跳躍。瞬時にして馬車のすぐ側に着地する。
リフィルは人形の腕から軽やかに降り立ち、こちらを向いた少女へ鋭い声を叩きつけた。
思わず固まるリフィルヘと、少女はにこやかに微笑みかける。
どっかで、食べながら話そうよ。ね?
story17 黄昏に咲く夢
〈メアレス〉行きつけの定食屋――〈巡る幸い〉亭。
貸し切りとなったその厨房で、リフィルは料理の準備を進めていた。
視線の先――ミリィ、ラギト、コピシュと同じ卓で、〈ロストメア〉の少女が、にこにこと料理を待っている。
ぐつぐつ煮込んだシチューをかき混ぜながら、リフィルは仏頂面で答える。
ほんの一瞬。結局、すぐに捨てたけど。
吐き捨てるように告げて、リフィルは盛りつけた皿を運んでいく。
とろみのあるシチューが卓に置かれた。食べやすいサイズに切られたマトンの肉が、色の濃い水面から顔を出し、アピールしている。
少女は、シチューにスプーンを突っ込んだ。煮崩れたジャガイモとやわらかくなった野菜、それにマトンをひとさじにまとめ、口に運ぶ。
言いあぐねて、リフィルはそっぽを向いた。
あくまでもにこにこと笑う〈ロストメア〉に、リフィルは撫然と問いを投げる。
〈ロストメア〉なら、〝現実〟に出るのが目的のはず。
シチューを平らげながら、彼女はあっさり言った。
黒猫の魔法使いの姿が、脳裏をよぎる。
誰かのために魔法を使い、いつしかこの都市に溶け込んでいた、異界の魔法使い。
あんな風になれたら。
みんなを助け、みんなに好かれ……そんな風に、魔法で絆を育めたなら。
確かにそんな夢を見た。自らそうと願ったのではなく。――〈夢を見る〉という毒に冒されて。
リフィルは、ハッとして少女に視線を戻した。
少女は、あくまでも穏やかに微笑んでいる。
ことり、と。空になった皿にスプーンを置いて、彼女は何もない天井を見つめた。
あまりにもまっすぐで、あまりにも純真な願い。
否定の言葉は出てこない。それは確かに、リフィルのなかに芽生えた願いだった。
たとえ、ほんの一時だけ見た夢だとしても。
***
きらめく光が、地平の彼方に沈みゆく。
いつもなら、多くの人と馬車が行き交い、無数の影を踊り狂わせる、巨大な橋。今は、物寂しく、がらんと広がっている。
〈ロストメア〉の少女は、ルリアゲハと連れだって、踊るようにその橋を渡っていく。
後方、少し離れたところを歩きながら、リフィルは少女の背中を見つめ続けていた。
隣で、ミリィがぽつりとつぶやく。
橋の中央で、〈ロストメア〉は足を止めた。
ルリアゲハが数歩下がり、5人の〈メアレス〉が並ぶ形になる。
ここまで付き合ってくれて、ありがとね。でも――
やっぱさ。私、夢だから。
夢にとっちゃさ。〝叶える〟ってことが、〝生きる〟ってことだから。
〝現実〟を目指さないわけには、いかないよ。
そう思うんだったら、なりふり構わず、門を目指せばよかったのに。
かすかに笑いを響かせて。
リフィルは、かっと眼を見開いた。
骨骸の人形が立つ。少女の背後に。揺るぎなき覚悟そのもののごとく。
光の糸を、ぐいと引き――リフィルは戦いの雄叫びを上げた。
***
負けちゃった……ね。あはは……。
少女が、どさりと膝をつく。満身創痍の肉体が、崩壊を始めていた。
最期に、いっこだけ、聞いてもらっていいかな。
夢は、ニッ、といたずらげな笑みを浮かべた。
あなたの夢じゃ、ないんだ。
ぽかんと口を開けるリフィルに、夢は、どこかしみじみと告げる。
〝なりかけ〟でふらふらしててさ。せっかくだから、取り込んでおいたけど。
びきり。壊れの音が、静かに響く。そっと目を閉じ、微笑む少女の内側から。
びきり。また響く。後戻りのできない音色が。どこか誇り高く、鮮やかに。
〝みんなを助けて……みんなに好かれたかった〟
その夢が、私。
びきり。びきり。音が連なる。旋律を奏でるように。終わりへと加速していくように。
それで、いなくなっちゃった。だから、私が生まれたんだよ。叶わなかった、〈見果てぬ夢〉が。
びきり。
びきり。
びきり。
びきり。
びきり。
びきり――びきり――びきり――びきり――
びきり。
ほとんど砕ける寸前の顔に、えくぼを刻んで、夢は言う。
問いに。
リフィルは、震えるような苦笑を返した。
はにかんだような笑顔を最後に残して。
夢は、黄昏に砕けた。
時の凍てついたような静寂が、しばし続いた。
不意にそれを破ったのは、やはり不意に現れたアフリトだった。
どこか神妙に、ラギトは言った。
でも、思いますよ。あの子が、最後、笑顔になれてよかったって。
いいですよね。きっと。そんな風に思ったって。
うなずくリフィルを、みなが見つめた。
少女は顔を上げていた。墜ちゆく夕陽に。焼けゆく空に。
自分の気持ちには、素直であった方がいい。たぶん……自分を見失わないためには。
けど――だから、こっちも素直になれたのかもね。
夜が来る。今日という日を終わらせるために。
夢を持たない〈メアレス〉にとって、日々とは、ただ繰り返すだけのものにすぎない。
だが、それでも。
ひとりの少女の素直な気持ちは、彼らの胸に、確かに何かを刻んでいった。
前に進むための何かを。