【黒ウィズ】黄昏メアレス3 Story3
目次
登場人物
story10 永久の黄昏
いつしか、森は黄昏に染まっていた。
時間が経過したわけではないと、君は直感する。
ここはきっと、常に黄昏なのだ。昼が終わって夜が来る、その直前――夢に沈む前の、まどろみの世界。
幻想的な美しさをたたえた森が、今は、獲物を丸呑みにしようとする穿猛な怪物にしか見えなかった。
あっ。大丈夫だった?
歩いていると、〈ピースメア〉に遭遇した。
いったいどうなってるにゃ?
わからない。いきなり強い魔力を感じて、気がついたら、あなたたちがいなくなっていたの。
君が、自分の身に起こった出来事を語ると、〈ピースメア〉は、ぎゅっと眉をひそめた。
この森は危ないと言ったけど――そんなことは初めてよ。
リフィルたちも、無事だといいけど……。
story
リフィル!
呼び声に、リフィルはハッと目を見開いた。
声は、わんわんと脳裏に反響した。頭のなかで鐘が打ち鳴らされたようだった。ずきりとした痛みが、こめかみに走る。
一瞬のことだった。痛みはすぐに消えた。しかし、それで充分だった。
(やはり――精神干渉を受けている!)
どうしても拭い去ることのできない違和感。それを取つかかりに、記憶をたぐる。
自分が、何をするために、どこへ来たのか。心の奥に埋もれかけた答えを引きずり出す。
「この森は、願いの融け合う森なの。
出口を見つけられず、さまよううちに、他の願いと融け合って、自分がどんな夢だったのかさえ忘れてしまう。」
数多の人の、意志や願いが集う場所。それらが融け合い、混ざり合った世界。
黄昏――誰そ彼。昼と夜、夢と現実の遅遁。誰が誰だかわからなくなっていく――
(そうか。ここは、〝夢のなか〟そのものか!)
違和感の正体に、ようやく気づいた。
世の人々の、無数の願い。そのなかには、〝あの人がこうあってくれれば〟というものもあるだろう。
この領域に足を踏み入れた者は、〝誰かが思い描いた夢のなかの自分〟となり、無意識に、その設定を演じさせられてしまう。
まるで、夜に見る夢のなかで、時に自分が、本来とは異なる自分となっていて、しかもそれを不思議に思わないように。
(それだけじゃない)
意識を凝らし、リフィルは悟る。
見えざる魔力の糸が絡みついているのに気づいた、それはリフィルのなかから何かを引きずり出そうと、不気味にうごめいている。
糸が何を探しているのか、推測するのは簡単だった。
(私の夢を探している)
〝誰かの夢における自分〟がいない者に対しては、〝その人の見た夢〟を引きずり出して、夢のなかに融け込ませるつもりだろう。
だが、リフィルに夢はない。見させられた夢はあったが、自分の意志で見た夢はない。
だから、この〝夢の融け合う場所〟において、違和感が消えきらなかったのだ。
(だけど、ルリアゲハは――)
リフィルは静かに吐息して、ルリアゲハに向き直った。
ルリアゲハ。それはあなたの妹が見ている夢よ。
story11 互いが互いを思う果て
ルリアゲハは、茫然と目を見開いた。
夢――?あの子の……?
まだ、でも、叶ってはいない。叶うことを望んでいる。
君主の座を、ルリアゲハに渡すことを。そのために、自らの命を断って、後顧の憂いをなくすことを。
夢見て――きっと、そのために生きている。
どうする、ルリアゲハ!
叩きつけるように、リフィルは叫んだ。
あなたの妹は――あなたに夢を返すため、死ぬことを夢見ている!
だったら、あなたはどうする!ルリアゲハ!
ッ……
ルリアゲハの表情が歪んだ。
驚愕。悲哀。恐怖。憤怒――さまざまな感情が、細いかんばせを駆け巡る。
そのすべてを噛み砕くようにして、ルリアゲハもまた、叫びで応えた。
そんなの――放っておけるわけないじゃない!
妹の夢を、また潰してでもか!
かつて。ルリアゲハは妹の夢と戦った。ルリアゲハの夢を託されたことで捨てられた、〝姉を支える〟という夢を、その手で討った。
よく似た姉妹。よく似たふたりだ。
どちらも相手の未来を想い、自分を犠牲にしてしまう。
互いが互いを思う果て、互いが互いの傷となる――
それでも……。
その苦痛。その苦渋を覚えているのだろう。彼女の頬を、つうっと涙が伝った。夜空に墜ちる、星のように。
あたしは――あの子に死んでほしくない!
1発の銃声。鉛の音色が、すべての音をかき消した。
細い手に握られた銃が、黄昏の空に硝煙を吐き出している。
彼女にとっての、〝現在、の象徴。かつての自分とは違うという証が。
震える声の代わりに、びりびりと空を震わせていた。
うつむいたルリアゲハの荒い吐息が、徐々に落ち着いていくのを、リフィルは待った。
やがて、ルリアゲハは顔を上げた。
濡れた面に、揺るぎない戦意と怒りを刷いて。
……ありがとう、リフィル。文字通り、目が覚めたわ。
情けない。こんな手に引っかかるなんて。
この場所だからよ。夢の融け合う場所。それでも、都合のいい幻影を見せられるだけなら、おかしいと気づけたかもしれないけど――
近しい人の見る夢。そのむき出しの本音に触れた衝撃が、判断を鈍らせてしまう。
リフィルは後ろを振り向いた。宙に浮かんで成り行きを見守っていたリピュアが、ホッとした様子で降りてくる。
それとも、あなた意外と騙されやすい性格なのかしら。〝幸せになれる壷〟とか買ったことない?
さすがにそこまで清純派じゃなくてよ!
ルリアゲハの文句を受け流しながら、リフィルは、己の手に視線を落とす。
魔力の糸は、とうに失せていた。通じぬ、とわかって引き抜かれたのか。
都市から追ってきた糸とは気配が違う。もっと冷たく、もっと酷薄な気が乗っていた。
(誰かが糸を引いている)
それも、ただの糸ではなく。
(アストルムの、〈秘儀糸〉を)
story12 涙を振りきり、悲哀を超えて
じゃ、ミリィさん。わたし、そろそろ行きますね。
うん。今度、コピシュに似合う服、送るからね!
ありがとうございます。楽しみにしてます!
まっかせて!誰も考えたことのない、新境地オブ新境地を切り拓いて――
……!
吐き気にも似た熱が、喉の奥から込み上げた。
喉に詰まった氷を溶かし、脳と目頭をカッと焼き焦がしていく。
〝そう〟ではない、という怒りだった。〝そう〟であってはならないはずだ、と。
思い出せ。
自分は何を約束した?
なくした夢に、何を誓った?
――違うッ!
ミリィは吼えた。コピシュが目を丸くするのも構わず、喉を焼きながら込み上げる熱を叫びに換えた。
あたしは……だめだった。叶えられなかった。だから違う。これは……違う!
ミリィさん……?
心配そうに見つめてくるコピシュを、ミリィは、じっと見つめ返す。
そして、おもむろに杭打機を担ぎ、構えた。
何かがおかしい。それはわかる。でも、何がおかしいのかわからない。どうすれば、おかしさから抜け出せるのかも。
だから、直感に従うことにした。
剣を抜いて。コピシュ。
えっ――
抜いて!
戸惑うコピシュヘ踏み込み、最適な間合を見計らって杭打機を繰り出す。
コピシュは、すばやく後退し、これをかわした。
身体が咄嵯に動いた結果だ。幼い顔には、〝信じられない〟という驚きが浮かんでいる。
どうしたんですか、ミリィさん!
悪いけど!あたし、これしか思いつかない!
一振りの剣とて持たない少女に、ミリィは苛烈な叫びを叩きつける。
剣を、抜きなさい!コピシュっ!!
***
てあぁあぁああぁあーっ!!
気勢とともに間合いを測り、〝だいたいこんなとこだろう〟という位置から杭打機の一撃を叩き込む。
転がるようにして避けたコピシュが、必死に声を上げた。
やめてください、ミリィさん!いったいどうしちゃったんです!
剣を抜けって!言ってんでしょ!
踏み込みざま身体を回し、首筋を刈り取るような回し蹴りを放った。
細い両腕でブロックしたコピシュが、たたらを踏んで後ずさる。
剣は――剣は捨てたんです!お母さんが、持つなっていうから――
お父さんみたいな剣士になりたいんでしょ!?
相手の後退に合わせ、猛然と体当たりを決めた。
コピシュの小さな身体は勢いを殺しきれず、石畳に転倒――激しい騒音をまき散らした。
その夢のために、がんばってきたんでしょ!?
人に言われて諦めて、大事な夢を捨て去った。その痛みは今もミリィのなかにある。
捨てた〈夢〉と誓いを交わした。次に夢を見たなら、きっと叶えると。
数ヶ月が過ぎた。自分は何も変わらない。他の夢など、見つかってすらいない。見つけなきゃと思っても。まだ。何も。
(あたしはきっと、うらやましいんだ。夢を見つけて、そのためにがんばっているコピシュが)
だからこそ、簡単に捨ててほしくなかった。せっかく抱いた、大事な夢を。
あんな痛みを、昧わってほしくなかった。
剣を――抜きなさい!
振り上げた杭打機を、転んだままのコピシュに振り下ろす。
〈裂剣〉(ティアライザー)!
コピシュが、カッとその目を見開いた。
ブロードソード、カットラス!9
烈叫と、澄んだ音とが、同時に響く。
何もないはずの虚空――少女の背からひとりでに滑り出てきた二振りの剣が、小さな手で精妙に操られ、杭打機を弾いた音。
瞬間、ミリィはぞっとするものを感じて即座に後退していた。
眼前の空間が、銀の輝線に分かたれる。
跳ね起きたコピシュの鋭い剣閃。剣を手にした少女の相貌は、迷いなき闘志に染め上げられている。
無念無想。剣の境地に踏み入った証だった。
それを確認して、ミリィは静かに杭打機を下げた。
〝敵〟が構えを解いたのに合わせ、コピシュの顔から、すうっと闘志が抜け、あどけない驚きの色だけが残った。
あれ……わたし――
ごめんね、コピシュ。これしか思いつかなくって。
コピシュは、戸惑いの顔で周囲を見回した。
そして、すぐにうつむき、重い嘆息を吐き出す。
……そうか。あれ、お母さんの夢だったんですね。
お母さんの夢のなかには……もう、お父さんはいないんだ……。
つぶやく少女が何に気づいたのか、ミリィには正直、よくわかっていなかった。
本当に、直感に従っただけなのだ。コピシュの動きが剣を背負っているときのそれと同じだったから、何かが変だと感じて、攻めた。
今は、その背に剣の鞘が見える。彼女の夢の象徴――父のような剣士になるための剣たちが。
前。向いてこ。コピシュ。
少女の肩を叩き、ミリィは言った。彼女に――そして、自分自身に。
じゃなきゃ、夢なんて見えっこないよ。
story13 対峙
あ、魔法使いさん!おーい!
快活な声に振り向くと、こちらに向かって歩いてくるリフィルたちが見えた。
そっちも無事みたいね、魔法使い。
いろいろあったけど、こっちもだいじょぶっす!
まさか、人の夢に呑まれるとは思ってなかったわ。
ミリィさんがいてくれなかったら、本当に危ないところでした。
それぞれ、どうにか危機を脱したらしい。みな緊張の面持ちを見せているが、合流できて安堵した様子でもある。
ごめんね。こんなことになるとは思ってなかった。
あなたのせいじゃない。これは明らかに、人為的な攻撃よ。
それも、〈ロストメア〉の能力じゃない。まぎれもなく、アストルムの魔法……。
どこかで見ている。何者かが。私たちを、この森の奥に進ませないために――
なら、どうする?という君の問いに、リフィルは勇ましく答えた。
隠れているなら、引きずり出すまでよ!
繋げ――〈秘儀糸〉(ドゥクトゥルス)!
リフィルが叫ぶと、〈ピースメア〉の胸元に魔法陣が生じた。
えっ――?
重ねて言うわ。あなたのせいじゃない。あなたに潜み、あなたを利用した何者かのせいよ。
魔法陣から、幾筋もの光の糸が伸びて、リフィルの細い指先に絡みつく。
リフィルは厳しい表情で、その糸を、ぐいと引く。
姿を見せろ――卑怯者!
〈ピースメア〉の胸に咲いた魔法陣から、糸に引かれて何かが現れる。
男だ。
冷徹そのものの瞳をした若い男が、文字通り顔を出していた。
引きずり出す、とリフィルは言ったが、男は従者の手を取って馬車を降りる貴族のような鷹揚さで、悠然と森の空気に身をさらした。
こちらが〈秘儀糸〉を引き戻す前に、己の〈秘儀糸〉を結びつけていたか。
〈ピースメア〉から抜け出た男は、音もなく森の地面に立った。
ただの〈メアレス〉ではありえぬことだ。おまえが、アストルムの〝代替物〟か。
おまえは――
俺は、アーレス。〈園人〉のアーレス。
男が名乗った瞬間、君たちは散開し、即座に彼を包囲する布陣を取った。
同時に全員、各々の武器を構えている。〈ピースメア〉は君が後ろにかばった。
夢に溺れぬとはな。これが〈メアレス〉というわけか。
四方を囲まれた窮地にありながら、アーレスは悠然たる態度を崩さない。
いや。悠然というより、超然というべきか。目の前の危機を現実と認識していないかのような、異様に浮世離れした、いびつな佇まいだった。
森に留まるのなら、手出しをする気はなかった。
だが、先に進むつもりなら、命を奪わざるをえない。
これはこれは、上等なジョークね。あれだけ人をこけにしたのが、慈悲のつもりだったなんて。
さすがにムカッと来てますよ!
落とし前、つけさせてもらいます!
そうだそうだー!
リフィルの足元に浮かんだ魔法陣から、骨骸の人形が、ぞっと引き出される。
指先から伸ばした魔力の糸を人形に繋ぎ、リフィルは凛然と相手を見据えた。
聞かせてもらうぞ――〈絡園〉と〈園人〉についてを!
アーレスが、初めて不愉快そうに眉を動かした。
疑似魔法ごときで、真の魔法と渡り合えると思うな!
サッと躍った指先が印を結ぶと、そこに魔力の光が収束する。
繋げ――〈秘儀糸〉!
細い糸へと変じた光が、宙に無数の魔法陣を形作った。
***
修羅なる下天の暴雷よ、千々の槍以て降り荒べ!
リフィルとアーレス。両者の放つ雷撃が空中で激突し、爆ぜ散った。
はッ!
直後、ルリアゲハのファニングが詐裂。6発の銃弾が立て続けに放たれ、次々とアーレスの胸元に着弾した。
アーレスは衝撃によろけることもなく、指で印を結んで次の魔法を練る。
馳せ来れ、咆陣遥けき地雷!
太い雷条が飛んでくるのを転がってかわし、ルリアゲハは歯噛みした。
どうやら銃は効かないみたいね!
だったらぁっ!
ミリィとコピシュが左右から躍りかかる。
だが、息を合わせた杭打機と双剣の挟撃は、すうっとアーレスの身体をすり抜けてしまった。
のわぁっ、ととっ、えっ、なにこれ!?
実体がない!?
八十葉をなして、天霧らせ――地より逆撃つ雷雲樹!
ミリィたちは即座に後退した。そうしなければ足元から樹状に広がる雷撃で焼き尽くされていただろう。
刻め雷陣、果てどなく!
空裂く刃の刃鳴りあれ!
アーレスは束ねた雷を剣のごとく振るい、まとわりつく雷撃を斬り払う。
おちゃらかおちゃらか、おちゃらかほい!
そこに君とリピュアの魔法が飛んだ。雷の剣で迎撃したアーレスは、魔力の余波を浴びて顔を歪める。
なんだ、今のは!?
アストルムの魔法でないことは確かよ!
君たちはすばやく目配せし合い、ほとんど同時に魔法の詠唱に入った。
目覚めよ神雷!空の静寂打ち砕き、あえかな夢を千切り裂け!
三方から放たれた巨大な雷が、森の空気を焦がしながらアーレスヘと迫った。
くっ――
顔を歪めた〈園人〉に、みっつの雷撃が詐裂する、この世の終わりかと思わされるような轟音が、すべての音を焼き尽くし――
かぁっ!!
一瞬で、かき消された。
アーレスの身体から、すさまじい魔力があふれる。
黄昏色に輝く魔力――それが、君たちの魔法をまとめて撃ち払ったのだ。
あれは、門の……!
君も気づいた。質の違う魔力。〈オルタメア〉が門から引き出したそれと、まるで同じ、あまりにも圧倒的な力。
俺の油断を認めよう……!
金色の烈気を立ち昇らせながら、アーレスは冷厳そのものの眼差しでこちらを眸睨する。
おまえたちは、〈園人〉としての全力で葬る!
まずい、と君は歯噛みした。あの力は、黄昏時においては無敵に近い。同じ力がなければ対抗しようがない!
そのとき、一筋の糸がするりと伸びて、アーレスの身体に巻きついた。
〈秘儀糸〉!?誰が――
直後、糸から激しい魔力が放たれ、どっとこちらに押し寄せてきた。
強力な魔法を放った後だけに、反応が遅れた。君は魔力に呑み込まれ、何かに引っ張られるような感覚に襲われる。
認識できたのは、そこまでだった。
君は深い闇のなかに引きずり込まれ、意識という意識を瞬時に喰い尽くされた。