【黒ウィズ】黄昏メアレス3 Story5
目次
登場人物
story
君の人形が魔法を使えるのは、〈ロストメア〉から得た魔力を利用しているから――つまり〈絡園〉を経由する必要がないからだ。
でも、〈ロストメア〉は違う。彼らは門を通り、現実に出ることで、その願望を具現化する。
さっきの説明に当てはめるなら、魔法が近い。
願いの融け合う森のなかで、彼らは叫ぶ。行かねばならない。ここで終われはしない。そうでなければ誰がこの夢を叶えるのかと――
「捨てられた夢だけが、その呪縛を抜け出せる。忘れてなるものか。忘れさせてなるものかって。そう叫んで……〈ロストメア〉になる。」
リフィルは、ハッと目を見開いた。
魔法の条件。意志と、それを伝えるのに必要な手段。
〈ロストメア〉がそれらを兼ね備えているのなら――
〈ロストメア〉とは、つまるところ……〝自我を持つ魔法〟なのだ。
そうなるともう、〈夢の蝶〉とは一線を画す存在だ。
願い主が生きていようが死んでいようが、門を通り、現実に出られれば、夢を叶えられる。そんな怪物になってしまう。
これはディルクルムも想定せざる事態だった。だから彼は、最初の〈ロストメア〉を――自分が死んだことで生まれた〈ロードメア〉を封じた。
しかし、〈ロストメア〉はその後も生まれ続けた、これを止めるすべは見つからなかったし、〈園人〉には他にやるべきことがあった。
だからディルクルムは、現実の世界に働きかけて、狭間の地に通じる穴の存在を教えた。
現実の人間たちが、〈ロストメア〉に対処してくれるようにね。
ネブロは静かにうなずいた。
眉をひそめて言ってから、リフィルは、はたと気づく。
〈オルタメア〉が門に干渉し、そこから〈絡園〉の力を引き出した。その影響で、異界の煩悩が魔力で実体化してしまったんだ。
〝穴〟を固定するために築かれた門が、〝異なる空間に通じる〟力を得てしまった。これはまったくもって非常にまずい。
言いながら、ネブロは複数の魔法陣に触れた。触れられた魔法陣が光りながら回転し、何かの魔力の流れを形作る。
放っておけば、いずれ門は破壊されるだろう。だから私は、君をここに導いた。〈絡園〉について知ってもらうためにね。
そこまで言ったところで、ネブロは足を止めた。互いに魂となって会話しているからだろうか、ハッと息を呑むような動揺が伝わってくる。
ネブロは、ゆっくりとかぶりを振った。穏やかな表情が崩れ、辛さを押し殺すような苦渋が垣間見えた。
思いを振り切るように、ネブロは歩みを再開した。
魂だけとなった男の背中から、激しい感情の渦が陽炎のように立ち昇るのを、、リフィルは見た。
悔恨のような、罪悪感のような――いずれにしてもそれは、とても悲しい色をしていた。
***
ぷつりと、糸の切れたような感覚があって、アーレスは思わず目を見開いた。
〈メアレス〉らと共に森を訪れた〈ロストメア〉アストルムの秘儀を以て〈オプスクルム〉化し、足止めのために放ったのだが――
追いかけねばならない。今動ける〈園人〉は、自分とネブロだけなのだ。他の〈園人〉はみな大事な作業に注力している。
移動を再開しながら、アーレスは胸中で歯噛みする。
数か月前、何者かが門を通じて〈絡園〉の魔力に干渉したことが観測された。
ゆえにアーレスは〈オプスクルム〉の秘儀の使用許可を得て、それを門のある都市――〈ロクス・ソルス〉へと派遣した。
ことここに至っては、門は必須の存在ではない。〝逆に利用される〟前に破壊しておく方が安全だった。
何者かの手引きがあったとしか思えない。心当たりは、ネブロしかない。
それが、アーレスにはわからない。
「魔法を、教えてくれ……。
魔法を!私に教えてくれッ!頼むッ!」
その境遇は、アーレスとも相通じるところがある、
アーレスは貧しい家の出だった。工場で奴隷のように働かされ、搾取され、ただ朽ちる日を待つだけの身だった。
そんなとき、古の魔道書を拾った。
すがる思いで、そこに香かれた儀式を試みた。肉体を捨て、魂だけの存在となる儀式を。
果たして、その魂は〈絡園〉に至り、〈園人〉として迎えられた。
そしてアーレスは悟った。世の無情は、肉体に依存するくだらない欲望がもたらすものだと。
魂だけとなった〈園人〉たちの高潔な精神こそ、人が到達すべき高みなのだと。
そうでなければ〈園人〉にはなれない。現世への執着、未練を捨てたからこそ、新たなる高みへ至れるのだから。
story 合流
案内役の〈かけら〉がいなくなり、どうしたものかと考えていると、向こうから人の近づく気配がした。
身構えながら待つ君たちの前に現れたのは、リフィルとリピュア、そして見知らぬ男性だった。
その名を聞いて、君は〈ロードメア〉を振り向く。
ぐったりとしたままの〈ロードメア〉は、それでもネブロに強い視線を向けていた。
ネブロは痛ましげに首を振った。
〈ロードメア〉は、押し黙った。ぎりぎりと歯をこすり合わせる音が、君の耳にこびりついた。
〈園人〉が守り続けているもの――〈夢の繭〉を。
story の望み
先頭を歩きながら、ネブロは言った。
〈レベルメア〉が〈園人〉に敗れるとしたら、おそらくそれが、最もありうる……。
力なく言って、〈ロードメア〉は歯噛みする。
自分を助けようとしてくれた〈レベルメア〉を自分の〈オプスクルム〉が手にかけたのだ。男の顔は、深い苦悩と後悔に満ちていた。
ルリアゲハに背負われた〈ピースメア〉を見やり、リフィルは吐き捨てた。
意志や心をないがしろにするのは、彼女の最も嫌うやり口だと君は知っている。
しかもそれが、自身の祖先の仕業なのだ。抑え込もうとしながらも、その心が煮えたぎっているのが、手に取るように感じられた。
それが、〈夢の繭〉だ。簡単に言えば膨大な魔力の塊だな。今も、この〈絡園〉の奥で成長を続けている。
魔法の規模や威力は、魔力の量に依存する。〈ロストメア〉が現実に出たとき、魔力量次第で叶う夢の規模が変わるように。
それを使えば、それこそ世界を作り替えるような魔法だって不可能じゃないでしょうね。
ディルクルムは、いったいどんな魔法を使おうとしているの?
君とリフィルは、同時にハッと気づいた。
リフィルがかけられた魔法――そんなものは、ひとつしかない。
ネブロはうなずく。
story
〈絡園〉の奥深くに、それはあった。
山とみまごうほどに巨大な、魔力の繭。ありとあらゆる光を詰め込んだような、壮麗にして幽玄な輝きを放っている。
どれだけの魔力が凝縮されているのか――想像するだけで気が遠くなりそうだった。
突如、〈ロードメア〉が、苦鳴を上げた。がくりと膝をつき、強く頭を押さえる。
ディルクルムは生前から〈夢の繭〉の研究を行っていた。だから〈ロードメア〉のなかにも、それに関する知識と記憶がある。
ディルクルムが彼を封印したのは、そのためだ。殺さなかったのは――
ネブロは静かに、上を見上げた。
声が降る。君たちは、揃って上を見上げた。
〈夢の繭〉の上から、長衣をまとった男が、ゆっくりと降下してくる。
その顔立ちは〈ロードメア〉に酷似している。だが、一目見て受ける印象は、まるで違った。
天である。
泰然と空に座し、厳然と地を眺め、人の手の届かぬ高みから、人の手で成せぬことを成す。
そんな天そのものを映したような、神色自若たる瞳の持ち主だった。
そのためならば、我が死によって生まれた〈見果てぬ夢〉とて、利用するに如くはない。
天啓めいた言葉が、厳かに宙を渡る。響く声音には、異様なまでの重みがあった。数百年に渡って培い、貫いてきた決意の重みが。
それを覆せるだけの覚悟があるのか――そう問いかけるように張り詰める空気のなか、〈ロードメア〉が苦しげに声を上げた。
人はみな、それぞれ異なる夢をぶつけ合う――誰かが夢を叶えれば、誰かの夢が潰される。その果てに待つのは、混沌たる悪夢でしかない。
だから、共通の夢が必要なのだ。
誰もが今ある夢を捨て、世の平和を夢見たなら。その夢を叶えるために、持てる力を尽くしたなら、それは決して絵空事とはなるまい。
何より尊く、何より美しい平和という夢を、みなで願い、みなで叶える。そうすれば、誰もが誰もを尊び、誰もを愛する世が訪れる。
そうなるように、私が導く。かつておまえを夢見たように。
穏やかに言って、彼は、そっと手を伸ばす。我が子に触れようとするような優しさで。
天と地と。見下ろす者と見上げる者と。同じ相貌を持つふたりの視線が、かけ離れ過ぎた色合いで交わる。
それを、華奢な身体が遮った。
リフィル。アストルムの魔法を継ぐ少女。烈々たる戦意をたたえた瞳で、射抜くように自らの祖先を睨みつける。
ディルクルムもまた、少女を見つめ返した。天の眼が、見定めるように細められる。
意志も願いも関係なく、夢見ることを押しつける、己の夢を通すためなら、他の夢さえも利用する。
その傲慢が――その暴力が!反吐が出るほど気に食わない!
叫ぶ。ためこんできたすべてを解き放つように。
魔力の風が、リフィルの周囲に渦を巻く。少女の発する激しい怒りに呼応して、その服を、髪を、鮮やかにはためかせる。
よりよき夢を――世を安寧ならしめるという至高の夢を願わねば、この泥沼の悪夢から抜け出すことはできぬ!
烈しい風が吹き抜ける。少女の叫びそのものが、その怒りを嵐に変える呪文であるかのように。
そんな男の語る幻想(ゆめ)など、反吐にも劣る!
ルリアゲハが。ミリィが。コピシュが。リピュアが。ともに決然たる面持ちで、少女の横に並ぶ。
君もまた、彼女らの戦列に並んだ。これまでずっと、そうしてきたように。
傲慢な夢を語る者へ、己の意地を通すために。
咆呼とともに、リフィルは魔力の糸を引く。
***
渦を巻く雷が、回転しながら飛来する。君たちはそれをかわし、即座に反撃を見舞った。
銃撃。剣撃。杭撃。雷撃。魂だけとなった身で放つ攻撃を、ディルクルムは避けようともしなかった。
そんな必要もないのだ。彼の身体は、輝きを放っている。あの、黄昏の輝きを――
リフィルは諦めなかった。かつて門から力を汲み上げた魔法で、〈絡園〉の魔力を奪い取る。
リフィルの魔法陣から、黄昏の輝きが流れ込む。膨大な力が湧き上がるのを感じるや、君たちは怒涛の攻めに出た。
黄昏色の輝線を引く弾丸が、立て続けにディルクルムの身体へと喰らいつく。
身をひるがえしたところへ、杭打機の一撃。咄嵯に組み上げられた魔力の防壁と激突し、見事に破砕してのける。
数多の剣が、雨のごとく降り注ぐ。ディルクルムは滑るような足取りでかわすが、突き立つ刃がその退路を塞いでいく。
君とリピュアはタイミングを合わせ、同時に魔法を放った。
黄昏色の雷撃が、竜のごとく猛った。逃げ場を失ったディルクルムヘと直進し、唸りを上げて喰らいつく。
瞬間、雷撃それ自体が、ガラスのような音を立てて砕けた。
君も感じた。リフィルから供給されている黄昏の力が、直撃の直前で失われたのを。
まさか、と君は振り返る。
リフィルの全身に、糸が巻きついていた。彼女自身の指先から伸びる魔力の糸が、その身を、喉首を捉え、締めあげている。
黄金の暴雷が扇状に広がり、君たちを撃ちすえた。
魂そのものを焼き焦がされる激痛――君たちは、そろって魔法陣の上に転がされる。
ディルクルムは、悠然と指先を宙に躍らせ、リフィルに言った。
リフィルの魂に、さらにきつく糸が食い込み、少女の喉から苦鳴をこぼさせる。
それを聞いて、君は反射的に起き上がりかける。すべてをばらばらにされるような苦痛が襲うのも構わず、リフィルを助けようと――
目の前に、ぴしゃりと一条の雷が落ちた。
君は目線だけを動かし、ネブロを見た。
彼は、まったくの無表情で君たちを見下ろしている。
淡々と、ネブロは言う。
だから、そのすべを見つけてもらわねばならない。
ネブロが腕を振った。瞬時、その指が複雑な印を結ぶのが見えた。
呼応して、いくつかの魔法が同時に起動する。
ひとつ――君たちの足元に魔法陣が生まれ。
ふたつ――リフィルを縛る糸が、ふつりと断たれ。
みっつ――雷撃の雨がディルクルムに降り注いだ。
君たちの足元に浮かんだ魔法陣が、ぼうっと淡い光を放ち始めた。
ネブロは君たちに背を向け、ディルクルムの前に立ちふさがる。
雷の雨が四散する。ばちばちと爆ぜる雷花の奥から、ディルクルムが歩み出てくる。
男の瞳をじっと見つめて、彼は問う。
ネブロは告げる。穏やかに。
私はそれが悔しくてね。本当に叶わない夢だったのか――本当は叶える手段があったんじゃないか、そう思って、気づいたらここまで来ていた。
ディルクルムの放った雷が、ネブロの眼前で弾かれ、散った。
無数の魔法陣が、ネブロの周囲に展開している。〈絡園〉のあちこちから魔力が流れ込んで、鉄壁の防御陣を成している。
ネブロは振り向き、リフィルに微笑む。
目をぱちくりとさせるリピュアを見て、本当にうれしそうに、彼は笑った。
魔法陣の光があふれる。ここへ来たときと同じ光が、君たちの魂を、そっと包み込む。
ディルクルムの魔法を防ぎ続ける男の背中が、光の奥にかすんで消えた。
story NE
リフィルたちの魂が、〈絡園〉から消えていく。
即席の魔法でなせることではない。あらかじめこの場所に、それ専用の魔法陣を用意していなくてはできない芸当だった。
その上〈絡園〉の魔法陣に妙な流れが生じている、この場に流れ込み、ネブロの魔法を助けるよう、精密に調整されたものだった。
気の迷いなどではない。おそらくはずっと前から、計画を練っていた。
だからこそ――目の前に立つ男の魂は、驚くほどに揺るぎない。
挑発的とも取れる物言いだったが、ディルクルムの心に怒りは芽生えなかった。
ただ、悲しかった。ネブロに裏切られたことが、ではなく。彼と戦わねばならないことが。
だから、こうして付け入る隙があった。だけど――
ネブロの指が動き、印を結ぶ。
辛さに心を蝕まれながら、ディルクルムもまた印を結ぶ。
どちらも無数の魔印を宙に浮かべ、どちらも同じ呪文を詠唱した。
暴雷の槍雨が真つ向から激突し、万華鏡めいた魔力の火花を散らす。
蛇のようにのたくる太い雷条が、宙でぶつかり、絡み合い、互いに巻きつき合うようにして砕け散る。
網のように展開する光の糸を、鎖条の雷が食い破り、引きちぎる。
今やネブロも黄昏の光をまとっている。〈絡園〉への直接干渉。願いをそのまま力に換える秘奥――
破城槌めいた巨大な雷撃が激突する。めくるめく紫電の破片が弾け、〈絡園〉そのものをどよもした。
ディルクルムは吼えた。
雷撃を押し返されながら、ネブロは笑う。
莫大な力が、ネブロの雷に流れ込む。それは狂おしいほどに渦を巻き、ディルクルムの雷を喰らい始めた。
だがなあ――それでも大事な夢なんだ!
そのちっぽけな夢が、どこまで通用するか――やってみるのも面白かろう!
ネブロの夢。ネブロの願い。それが〈絡園〉の魔力と呼応し、結合し、すさまじいまでの力を男に与えていた。
ディルクルムは悟る。ネブロの願いが、それによってもたらされる力が、己の想像以上のものであったことを。
加減する余裕が、もはやないことを。
やるせない叫びを上げながら、伸ばした〈秘儀糸〉で新たな魔法陣を形成する。
〈天理嚮導(レグナートル・アストリー)〉!
アストルムの秘儀。魔道の秘奥。魔法そのものを喰らい尽くす魔法が、ネブロの雷に干渉し、崩壊へと導いた。
魔法陣の上に倒れ伏した男の魂を悲しげに見下ろし、ディルクルムはささやく。
それを、〈園人〉の夢のために使ってくれれば――
悲嘆のつぶやきを受けて、半ば溶けかけた魂が笑った。
「くそくらえ、だ。」
それが、終わりを告げる呪文だったかのように。
男の魂は、微塵と砕けた。
どんな魔法でも、どうしようもないほど――千々に砕けて、散り咲いた。
黄昏の森に、蝶が舞う。
音もなく、影もなく。小刻みに羽をはばたかせ、陽光を受けて鮮やかにきらめく。
蝶は、膝を着き、うつむいた少女の前まで来て、くるくるとその場を回った。
少女がうつむいたまま手を伸ばすと、蝶は指先に乗り、さあっと光に溶けていく。
リフィル――と、君は少女の名を呼んだ。
仲間たちに見守られながら、少女は、ゆっくりと顔を上げた。
なめらかな頬を、あふれる涙で濡らしながら。
震える声で、リフィルは言った。
ただ意地だけを、瞳に抱いて。