【黒ウィズ】黄昏メアレス3 Story2
目次
登場人物
story6 ありえざる再会
都市……どうして……?
コピシュは茫然と、黄昏の街並みを見つめた。
都市を出て2週間ほど旅を続け、不思議な森に入った――そのはずなのに、いつのまにか慣れ親しんだ石畳を踏んでいる。
踏んでいる――にしては、感覚が頼りない。
ふわふわとした、けだるい浮遊感に包まれている、深くあたたかな海に浸かったような――
あれ……?みなさんは――
振り返る。誰もいない。道行く人は確かにいるが、そこにいたはずの人は誰ひとりとしていなくなっている。
そんな……わたし、確かにいっしょに……。
誰と?
思い出せるはずの記憶が、するりとこぼれる。
自分は何をしていたのだったか。
何のため、誰と、どこに行っていたのか。
コピシュ。
……!
あまりのことに、心臓が跳ねた。
まさかという思いに頭を殴られながら、コピシュは愕然と振り返る。
そして見た。ここにいるはずのない人。声をかけてくるはずのない人を。
お母さん――なんで、ここに……。
殺伐とした記憶が脳裏をかすめる。
母。この都市にいるはずがない。でも現れた。
かつても同じことがあった――〈ロストメア〉。父の気持ちを利用し、傷つけた悪夢――
反射的に剣を取ろうとする手が、ぎゅっと握りしめられる。
びくりとする。目の前。いつの間にか母がいた。泣いている――喜びと愛しさの涙で。
会いたかったわ。コピシュ。ああ――こんなに大きくなって。
ほろほろと。母は本当にうれしそうに涙を流す。
それを見て、コピシュはようやく思い出した。
(そうだった。お母さん、手紙をくれたんだ。都市に来るって。もう一度、会って話そうって――)
なぜそんな大事なことを忘れていたのだろう。不思議がるコピシュを、母は物も言わずに抱きしめた。
懐かしい感触。心の底から安堵が湧き上がる。ぬくもりに埋もれる顔に、じわりと涙がにじむのを止められない。
ややあって、母が身を離した。目元の涙をそっと拭いながら、穏やかな微笑みを向けてくる。
ごめんなさいね。久しぶりだったから。
あ、いえ――その……うれしかったです。
ありがとう。あなたがそう言ってくれてよかった。
ああ。本当に、なんて懐かしい。幼い頃から大好きだった母の微笑み。コピシュもまた、はにかむように笑顔を返す。
それじゃあ、行きましょうか、コピシュ。
握った手を引かれ、コピシュは戸惑った。行く。どこへ?いや。それよりも。
あの、でも、お父さんが――
ゼラードのことなら、心配しなくていいわ。
手紙に書いたでしょ?あの人が、やっと、あなたを手放すと言ってくれたって。
えっ……。
さあ、コピシュ。
変わらぬ笑みで、母は言う。
新しいお父さんが、あなたに会うのを楽しみにしているわ。
story7 すれ違う願い
城……よね。ここ。どう見ても……。
まちがいない。自分は今、混乱している。
その自覚があったから、ルリアゲハは、あえて声に出して、そうつぶやいた。
あの都市には――と言うより、夢と現実の狭間の地にはあるはずのない、独特な造りの城のなか。
そこに自分は立っている。いつの間にか。
1歩を踏み出すと、靴越しに木の感触が伝わって、思わず足を止めてしまった。
やだ。土足じゃない。
反射的に脱ごうとして、思いとどまる。今は、状況がわからない。とりあえずそれを確かめてから――
(……あれ?あたし、そもそも……どこで、何やってたんだっけ?)
姫さま!
突如として背後から声をかけられ、ルリアゲハは反射的に刀の柄を握りながら振り向いた。
そこにいたのは、家臣のマワリだった。ルリアゲハとは歳も近く、昔からさんざん振り回してきたのを覚えている。
片膝をつき、頭を下げたマワリは、感激に堪えないという様子で、滂沱と床に涙を落とした。
長らく、お待ちしておりました。姫さまが、お戻りになる日を……
戻るって――ちょ、ちょっと待って。
まずい、という思いが脳を叩いた。故郷に戻るわけにはいかないのだ。自分が戻れば、国がふたつに割れかねない。
違うのよ。なんでここにいるのか、あたしにもよくわからないんだけど。あたしには、国に戻るつもりなんて――
事情をご存じで、お戻りになったわけではないのですか?
事情?待って。まさか、あの子に何かあったの?
問うと、マワリは一瞬、唇を結んだ。
しかし、武士の衿持から顔を上げ、はっきりとルリアゲハの目を見つめて答える。
あの方は、自害されたのです。
……?
脳が、その言葉を受けつけなかった。
ぽかんと口を開けたルリアゲハの前で、マワリは強く拳を握りしめ、吼えるように語る。
他国の付け入る隙が生まれぬよう、国の土台を整えられて――その上で、自害されたのです!
あなたが……ルリアゲハさまが、真に君主となられるように!
くらりと。
ルリアゲハは、よろめいた。目の前が暗い。首を絞められたように。したたるようなうめき声だけがこぼれる。
ま――待って。嘘でしょ。ちょっと。そんな、だって、あたし、何も聞いてない――
震えるルリアゲハの前にかしずいたまま、マワリが血を吐くような叫びを上げる。
ご遺志を……お継ぎください、ルリアゲハさま!この国の主として、国を、民を、お守りください!
…………っ。
何も言えず、ルリアゲハはただ首を振った。
声が出ない。出しようもなかった。
何もかもを否定したいという気持ちが、細い喉を絞め続けていた。
story8 心は揺れて
くらくらする。ふらふらする。ここはどこだ。何をしている?
く……。
考えることを放棄したいという強い衝動をこらえ、リフィルは黄昏の街並みを歩く。
ざわめきは遠く、粘るように空気が重い。石畳の地面は不確かで、視界はおぼろに濁っている。
いったい、どうなっている……?
ありえない。自分たちは森のなかを進んでいた。その先にどうしてこの都市がある?幻覚か、あるいは精神に干渉されているのか――
考えようとすればするほど、気が重くなる。
楽になりたい、と脳が叫んでいるのを感じる。何も考えず、風景に溶け込んでしまいたい――
……意地でも、そうしてやるものか……。
頭を振る。
とにかく仲間を見つけなければ。いっしょに来たはずの仲間。どこかに――
誰かであるはずなのに誰ともつかない人々が、空を流れる雲のようにすれ違う。
その向こうに、見知った影を見つけた。誰だったか。一瞬を要してから、リフィルはその名を呼んだ。
ルリアゲハ!
街角に佇んでいた女が、つと顔を上げた。
ああ……リフィル。久しぶりね。
え……?
あたし、なんでこの都市に戻って来たんだっけ――ああ、そっか。忘れ物を取りに来たのね。
待って、ルリアゲハ。何が何だか――
そうよね。ごめんなさい、何も言わずにいきなりいなくなったりして。
実はね。妹から連絡があったのよ。戻ってきてほしいって。
沈む夕日に背を向けて、女は微笑した。そのまま焼けた空に溶けてしまいそうなほど儚げな立ち姿だった。
それでね。行ってみたら……妹は、もう亡くなってたの。自害だって。
あの子――最初からそうするつもりだったのよ。
なにもかも全部、お膳立てをしておいて……死んで、あたしを呼び戻すつもりだった。
あたしに、夢を返すために。
ルリアゲハ――
ルリアゲハは、かすかに顔をうつむかせた。帽子のつばが、その表情を覆い隠す。ただ影だけで染めていく。
あたし、ずっと、夢のために生きてきたのよ。国と民を守りたい、って。
二度と抱くことのない夢だと思ってた。でも、どんなに願ったかしれない。取り戻せたらって。なのに……。
何もうれしくない。こんな形で返されたって……あの子の代わりに取り戻せたって、なんにもうれしくなんてないのよ!
叫びが。空を、痛々しく震わせる。
銃が、弾丸を吐き出すように。喉の奥に押し込められていた悲鳴がほとばしり、黄昏を焦がした。
もしも心に血が流れていたら、きっと今の叫びは赤い色をしていた。
……。
鉛のような吐息をこぼしてから、ルリアゲハは、繕うように微笑みを戻した。
ここに来たのは、けじめのためよ。
あたしはもう〈メアレス〉じゃない。だから最後に見ておきたかったの。第二の故郷の街並みをね。
遠い。女の笑顔が。その名とともに。どこか遠くへ、よどむように、かすれていく――
楽しかったわ――リフィル。
違う。そう叫ぼうとした。声は出ない。
激しい焦慮に駆られながら、リフィルは首を振る。
違う。
でも、何が?
んっと……あたし、なんで都市にいるんだっけ?
ミリィは、街角で途方に暮れていた。
あれ?都市にいるのは当たり前か……え、でもそうだっけ?なんかぜんぜん別んとこ行ってたような……。
首をひねりながら、都市を歩く。
どうにも落ち着かない。大事なことを忘れているような焦りがある。でも、その正体がわからない。
んあー、むずむずするぅ!
ミリィさん?どうかしたんですか?
あ、コピシュ。
とことこと、少女が寄ってくる。その顔を見ると、なんだかすごくホッとした。
いやぁ……なんだかね、変な気がして。
あ。その服、好みに合わなかったですか?
あああいやいやいやぜんぜんぜんぜんぜんぜん!変なのは服じゃなくてあたしで、あれ?あたしかな?あたしっていうか……世界?
はあ。
よくわからない、という顔で首をかしげてから、コピシュは思い出したように居住まいを正した。
そうだ、ミリィさん。ごあいさつをさせていただこうと思ってて――
ん?ごあいさつ?
コピシュは、深々と頭を下げた。
そこでミリィは、初めて気づいた。コピシュの背には、あるべきものが――数多の剣が、一振りたりともないことに。
これまで、どうもお世話になりました。
ミリィは思わず息を呑んだ。喉に氷の塊を放り込まれたような心地だった。
お世話って……あれ?コピシュ、もしかしてどっか行っちゃうの?
はい。お母さんと一緒に、都市を出ることになったんです。
あーなるほどはいはい母さんえええええ!?えええそれ、えええ、んじゃ、セラードさんは?
お父さんは、行ってこいって。俺のことは気にするな、って。
寂しそうに、コピシュは微笑む。
実はお父さんも、男手で育て続けるのをずっと悩んでいたらしくして。
お母さんが再婚して、わたしを引き取りたいって言ったら、その方がいいだろうって……。
お、おお、おおおお……そすかー……セラードさんがねえ……はあー……。
いつまでも変わらない関係などない。見慣れた人が突然いなくなるのも、別に珍しい話ではない。
そのくらいわかっているはずなのに――なぜだろう。氷を呑み込んだような感覚が消えない。
(いやいや、ここは年上として、バンッと明るく送り出してあげるべきっしょ!)
ミリィは、強いて笑顔を浮かべ直した。
驚いたけど、当人同士がそれでいいなら、それがいちばん!……だよね?
ありがとうございます、ミリィさん。わたしもそう思います。
礼儀正しい微笑みを返してから、コピシュは、ふと首をかしげる。
ミリィさんは、まだこの都市で暮らすんですか?
え?うん。今んとこ、これしか食ってく自信ないし、しばらくのところは――
もう〈メアレス〉じゃないのに?
……え?
喉の氷が、ぎしりと軋む。広がる冷気が、血という血を凍てつかせる。
コピシュは、固まるミリィを不思議そうに見つめた。
だって、ミリィさん、この前、叶えましたよね?ファッションデザイナーになるって夢。だから、そろそろ都市を出るのかなって――
ミリィは動かない。答えられない。
喉から這い上がった冷気が、桜色の唇を固く凍りつかせていた。
story9 どんなに信じたくても
にゃはは、よくやってくれたね。おかげで人間に戻れたよ。
キミのおかげだね。さすが私の弟子ってとこかな?
これからは、師匠としてもっとビシバシ鍛えてあげるからね!
君は。
そっと肩の上に手を伸ばす。
そこには何も見えない。だけど、ぬくもりを感じる。いつものように。
君はカードに魔力を込めて、魔法を放った。
目の前のウィズが――ただの幻影でしかないものが、吹き散らされて消えていく。
……ろくでもないものを、見せられたにゃ。
肩の上。ウィズが吐息する気配を感じた。
視線を向けると、つややかな黒い毛並みが揺れた。
つまらない手にゃ。
あきれたように、ウィズは言う。
こちらの願望を反映しようとしたんだろうけど、あまりに都合が良すぎて、逆に笑えてくるくらいにゃ。
彼女が何を見たのか、聞く気はなかった。小さな身体に秘められた静かな怒りを、君は無言のまま感じ取っていた。
行くにゃ。リフィルたちが心配にゃ。
うなずいて、君は歩き出した。