【黒ウィズ】黄昏メアレス4 Story2
目次
story
〈メアレス〉行きつけの定食屋――〈巡る幸い〉亭。そこに、見慣れた面々が集まっている。
ただひとり、コピシュを除いて。
都市に現れた怪物。あれを費として発動させたんだろう。
〝夜の領域〟を作る――そんな大規模な秘術をなすには、当然、術者ひとりではまかなえないほどの〝願う力〟が要る。
あの〝夜〟が来ると同時に、コピシュを始め、都市の多くの人間が倒れた。
彼らは昏々と眠り続け、目覚める気配がない。今は、眠らなかった人々が総出で、眠る人々の捜索と救助を行っている。
彼らはなぜ眠り続けるのか。眠る人間とそうでない人間の違いは何か。それは――
夢を持つ者だけを眠らせる、夜の秘術。それによって、人々の夢を――〝願う力〟を〈絡園〉に吸い上げようとしている。
沈黙を保っていたゼラードが口を開いた。冷えて固まった鋼の刃を思わせる、重く鋭い声だった。
コピシュは〈メアレス〉ではない。夢を持ちながら、無我の境地に至ることで、〈ロストメア〉と渡り合ってきた。
そのために敵の秘術に囚われ――他の人々と同じように、目覚めることもなく、〝願う力〟を奪われ続けているのか。
人の願いと、〈絡園〉の関係。そして〈園人〉の目的を、君は思い出す。
人の願いは〈絡園〉に至り、魔力を得て、〈夢の蝶〉となる。
〈夢の蝶〉は現実へと飛び、願い主に魔力を持ち帰って、夢を叶えるための力とする。
それが、あるべきサイクルだった。
しかし今、〈夢の蝶〉は願い主の元へは戻れない。〝願いの融け合う森〟に阻まれてしまうからだ。
〈園人〉は、森で融け合った蝶を回収し、〈夢の繭〉――巨大な魔力の塊を作っている。
数百年分の願いと魔力――その膨大な力を使って、全世界の人間に魔法をかけ、〝世界を平和にする夢〟を植えつける。
それが、〈園人〉の目的だ。
「誰もが今ある夢を捨て、世の平和を夢見たなら。その夢を叶えるために、持てる力を尽くしたなら。それは決して絵空事とはなるまい。」
そして今、彼らがこうも強引な手段で、さらなる〝願い〟を集めている理由は――
必要な犠牲――とすら彼らは思っていないだろう。元より、今抱いている夢を捨てさせて、〝世界を平和にする夢〟を植えつけるつもりなのだから。
無論、快く協力してもらえたわけではない。意識を取り戻した〈ピースメア〉が説得してくれたおかげだ。
いらいらと、ゼラードが口を挟んだ。
立ち上がり、乱暴に上着をはおるゼラードに、レッジが制止の声を投げる。
こちらに背を向け、戸口に向かい、ゼラードは一言で切って捨てた。
そして、大股で〈巡る幸い〉亭を出て行った。
空気が、断ち切られたように静まり返る。足音や扉を閉める音のすべてに、煮えたぎるような怒りがこもっていた。
仏頂面で言って、レッジも立ち上がった。
ルリアゲハが、はあ、と嘆息した。
story
寒々とした夜の空気に、ラギトの声が響く。
隣を歩くミリィは、目をぱちくりとさせた。
ラギトもミリィも、〈メアレス〉としての稼ぎのいくらかを孤児院に寄付している。
また、ハロウィンなどの催しの際には、お菓子などの土産を持参し、ちょくちょく顔を出していた。
その孤児院の子供たちがいなくなったのなら、ミリィにとっても他人事ではない。
丿人の夢を利用するような連中だ。子供だからといって情けをかけるとは思えん。
感情を抑えるように、ラギトは目を細めた。
それでも、にじみ出るものがあった。静かに固めた内なる戦意――その波紋が、表情や佇まいに凄味となって表れる。
ミリィは思わず、そんなラギトを見つめた。気づいたラギトが、不思議そうに見返してくる。
ラギトさん、なんかちょっと雰囲気変わりましたね。
だとしたら――俺も、少しはガキじゃなくなったのかもな。
***
路地に並んだガス灯が、星明かりに対抗するように、まばゆい光を放ち、暗く沈んだ町並みを照らし出す。
本来、この時間に点くべき灯りではない。ガス会社が緊急対応を行った成果だ。
都市とは、そういう場所だ。夢を見る者、夢を持たぬ者――ひとりひとり、誰かの努力が噛み合うことで成り立っている。
レッジがそれに気づいたのは、最近のことだ。
前を行く背中に声を投げたが、ゼラードは振り返りもしなかった。
残念だが、奴らにつながる要素がなければ辿るのは難しい。手がかりがあればいいんだが――
ゼラードは腰に佩いた剣の鞘を叩いた。
魔匠剣〈ラトロー〉。魔力を乗せて魔力を斬る剣だ。
あきれた声に割り込まれ、ふたりは言い争いを止めた。
ガス灯の光を逃れたわずかな暗がりから、ゆるりとアフリトが歩み出る。
レッジが鼻白む一方で、ゼラードが不機嫌そうにアフリトを睨んだ。
ゼラードは、げんなりと唇をひん曲げた。どうもアフリトが相手だと、怒ろうにも調子が狂うらしい。
……いや。そうか!
ゼラードはハッと目を見開くや、突然、くるりときびすを返して駆け出した。
アフリトは瓢々(ひょうひょう)と笑い、煙管の煙をくゆらせた。
ところで、〈魔輪匠〉。手伝ってほしいことがだがね――
story
リフィルは集中を解き、目を開いた。
〈巡る幸い〉亭を出て、手近な家の屋根に上がり、〈秘儀糸〉の反応を探ったところだった。
一度、自宅に戻り、装いを変えている。君が初めてこの都市に来たとき、彼女が着ていた衣装だ。
「アストルムのリフィルの正装なのよ。要所に魔法の発動を補助する魔匠があるの。
敵が〈園人〉なら、こちらも万全の準備で迎え撃つ必要がある。だからよ。」
ということらしい。
ルリアゲハが、隣の屋根に鋭い視線を向ける。すでに、手が銃把にかかっていた。
冷たい屋根を、音もなく踏む者があった。
〈園人〉――アーレス。その凍てついた双眸が、偽りの夜に炳々たる光を放つ。
Lおまえたちに、聞いておきたかった。
彼は言う。強く踏みつけられ、もはや融けることもなくなった雪のような、どこまでも固く冷たい声で。
Lディルクルムの理想を知って、なぜ、それを拒む。
リフィルは、力強く言い放った。どれほど踏み固められた雪だろうと、邪魔をするなら砕いて進む、その意志に満ちた声で。
Lだが、それで世界は平和になる。
肩をすくめるルリアゲハに、アーレスは、つと鋭い視線を向けた。
Lすべての人間が今ある夢を捨て、平和を願えば――おまえの妹が死を望むこともなくなる。
L妹を生かすため、妹の夢を潰す。おまえはそう決めたのだろう。それは、俺たちと同じやり方だ。
リフィルが叫ぶのと同時に、君はカードを構え、魔法を放っていた。爆炎が、アーレスの全身を呑み込む。
L……カードを媒介とする異界の魔法か。威力も汎用性も、やはり侮れない相手だ。
Lシードゥス。後は任せる。
D請け負った。
アーレスがきぴすを返すのと入れ替わるように、新たな人影が屋根の上に現れる。
降り積もる年月の重みを想像させる、白い髪。ひとつひとつが鋭い刃を思わせる、無数の皺。
老いている。だが、その老いが――培ってきた経験と重ねてきた感情のすぺてが、ぞっとするほどの鬼気を織りなしている。
D〈見果てぬ夢〉――〈ロストメア〉。〈夢見ざる者〉――〈メアレス〉。そして、異界より現れた魔道士……。
我らの理想を阻むなら、等しくこの場で死ぬがいい。
宣言と共に、その身が変わる。
夢の残骸――〈オプスクルム〉へと。
***
D世は、混沌に満ちている。
何ひとつ、通じなかった。
リフィルの魔法、君の魔法、リピュアの魔法、ルリアゲハの銃弾、〈ロードメア〉の拳。
そのすべてが、何も。
相手は避けるそぶりもない。ただ近づいてくる。どんな攻撃を受けても、たじろぎすらせず。
Dだからこそ、正さねばならんのだ。未来に生まれる子らのため――今ここで血を流し、革命せねばならんのだ。
不気味だった。異様だった。その能力も。語る言葉も。放たれる鬼気も――すべてが、おぞましいほどに異質だった。
ディルクルムと同じだ、と君は感じた。
天の高みから、こちらを見下ろす者たち。ただ一方的に、ただ圧倒的に、理想と夢想を振りかざす、理不尽なる暴虐。
〈ロストメア〉には、どこか、〝わかってほしい〟という切実さがあった。
彼らにはそれがない。〝そうするべきだ〟という揺るぎない理想の鎧で、ただただこちらを押し潰そうとしてくる。
天より降(くだ)る雷が、地を這う虫を焼くように。
D我らは、〈園人〉。
シードゥスが、初めて構えた。
その間も、君たちは魔法を放ち続けるが――そのいずれもが、ひとかけらすら通じない。
D浅ましき世に真の革命をもたらすもの!
来る。
疾走。踏み込み。閃く刃。
まさに絶技という他なかった。剣が振り下ろされてから、ようやくそうと気づくほどだった。
それでも、君が生きているのは。
目の前に、広い背中があるからだった。
ゼラード。いつの間に割り込んだのか。振り下ろされた刃を己の剣で受け止めている。絶対の自負を感じさせる構えで。
D貴様――
ふたりが離れる。構え合う刃が、星の光を照り返す。
達人の域に至った剣士たちの対峙は、どこか一対の星座を思わせた。
***
ゼラードの剣が走る。これもまた、もはや君にはどう振るったのかさえわからないほどの絶剣だった。
シードゥスは後退し、防御に専念する。その身体から魔力が噴き出し、怪物の形を取った。
〈ロストメア〉の能力。〈悪夢のかけら〉の生成。〈オプスクルム〉を肉体とする彼らにも、それが可能なのだろう。
魔性の剣を手にした〈悪夢のかけら〉たちが、ゼラードの左右を通り過ぎ、君たちの方へと飛んでくる。
君は〈かけら〉を迎え撃つべく、カードを構えた。
何合か撃ち合ったところで、互いの動きが止まった。
しばしばそういうことがある。同格の剣士。簡単には決着のつかぬ相手。互いに攻めあぐね、わずかな間隙が生じる。
父は、剣にすべてを捧げた男だった。
己の腕を磨き、新たな技を編み出すことばかりに耽溺し、それ以外に興味を示すことはなかった。
血のつながりがあったかどうかも疑わしい。後年、己の技術を遺すため、適当な捨て子を拾って育てたと言われた方が納得できる。
そんな父に育てられたセラードにとって、剣は物心ついたときからの相棒であり、己の半身にも等しい存在だった。
剣を極めんと夢見た父との違いは、そこだった。剣の技を磨くのは、まったく当たり前のことであって、夢というべきものではなかった。
初めて夢と呼べたのは、愛する妻と愛しい我が子、彼女らともっともっと幸せに生きていきたいという願いだけだった。
だが。
その夢のために剣を捨てることはできなかった。剣は自分とは不可分の存在で、剣のない自分など想像しようもなかった。
「結局は、剣か!剣に頼るか!夢すら持てない剣のままか!!」
大事な夢を抱きながら、なぜ、そのために剣を捨てる覚悟を持てなかったのか。捨てた夢は、そう言いたかったのだろう。
(無理なもんは、無理なんだよ)
今では、そう割り切っている。古傷は痛むが、〝古傷〟と呼べるだけのものにはなった。
コピシュと共に生き、〈メアレス〉として戦う。夢ではなくとも、それなりに満足のいく日々が、そう思わせてくれたような気がする。
牽制代わりに、ゼラードは軽く声を放った。
剣士にとって、魔道士はやり辛い相手だ。
だが、シードゥスは魔法を使う剣士である。魔法で魔法を防ぎながら戦えば、魔道士を一方的に斬り伏せることができる。
だからリフィルや魔法使いを狙ってくる。そう考えて、取って返した。
D武力を誇るつもりはない。
D誰かが手を汚さねば、革命は起こせない。
貴様こそ――大義なき剣になんの意味がある。
ゼラードは鼻で笑った。
剣士の夢――ゼラードの父が見た夢。その能力を借りているだけで、こいつは結局、剣士を理解していない。そうわかったからだ。
叫び、その証のように剣を撃ち込んだ。
***
剣を手にした〈悪夢のかけら〉たちにも、一切の攻撃が通用しなかった。
攻撃が通じない以上、回避に専念するしかない。
〈かけら〉の技量は大したものではないが、追いつめられていることに違いはなかった。
ルリアゲハが銃をホルスターに戻し、腰に佩いた刀を抜き撃った。
ちょうど剣を振り上げた〈かけら〉へと、鮮やかな斬閃が走り――その身をまっぷたつにしてのける。
なるほど、と君もうなずいた。そうでなかったら、シードゥスがゼラードの攻撃を防御する必要がない。
刀に反応したのか、〈かけら〉たちはー斉にルリアゲハに群がった。
たちまち剣花が乱れ咲く。ルリアゲハは攻撃をしのぐのが精いっぱいで、とても反撃に移る余裕がなさそうだ。
うなずいて、君がカードを取り出そうとしたとき。
幾筋かの銀光が、夜陰に美しい華を咲かせた。
触れるものすべてを切り裂く銀華――その花弁に触れた〈かけら〉たちが、ざっくりと裂かれ、消滅していく。
その銀華の中心に、二刀を手にした少女が立っていた。
目を見張るリフィルに、少女は、ニヤリと笑う。
story
D(この男は、いったいなんだ?)
撃ち合いながら――シードゥスの胸には、焦りと疑問が湧き上がっていた。
シードゥスの〈オプスクルム〉は、何の因果か相手と同じ流派の剣士が見た〈夢〉だ。使う技も同じなら、その技量もほぽ互角。
なら、理想と信念に裏打ちされた自分が、夢を持たない〈メアレス〉などに負けるはずがない。
なのに、勝てない。どうしても、相手に一手が届かない。それが疑問でならなかった。
シードゥスは移民の末裔である。
故郷を追われ、流れた果てに居ついた街で、市民権も得られず重い労働を課せられる、奴隷同然の日々を送っていた。
だから、腐敗した王権の打倒を志す市民議会に同調し、革命の戦士として立ち上がった。同胞の未来を守るために。
激闘の末、革命は成った。しかし、新たに打ち立てられた政権が、功労者である移民たちを顧みることはなかった。
最初から、使い潰すつもりだったのだ。先頭に立って戦い、力を失った移民たちを待っていたのは、以前と変わらぬ搾取だった。
移民の英雄と呼ばれたシードゥスもまた、戦いの中で癒えない傷を負い、無念を噛み締めたまま死に果てるしかなかった。
(あらゆる人種が、同じように生き、同じように笑い合える世界。俺がほしいのは、それだけだ)
そのためなら、どれほど手を汚すこともいとわない。
世界の汚れをこの手で拭けば、子らに白い未来を残せるのだから。
その誓い、その理想、その覚悟をディルクルムに買われ、魔法を修め、100年以上をかけて、平和のために〈夢の繭〉を練り上げてきた。
それはどのものを背負いながら――なぜ、目の前の〈メアレス〉に剣が届かないのか。
いや。そんなことはあってはならぬのだ。
D空裂く刃の刃鳴りあれ!
シードゥスは高らかに呪文を唱え、魔法の刃をその手にあらわした。
剣状に束ねられた雷撃が、ゼラードの剣と噛み合う。
魔匠剣の刀身にピシリと鋭いヒビが入り、あっけなく砕け散った。
柄だけになった剣を捨てたところへ、雷撃の刃が猛追してくる。
歯噛みするゼラードの耳に、聞き慣れた音が届いた。
鋼の刃の飛ぶ音が。
言われるまでもなかった。伸ばした両手が、飛来した剣の柄をつかむ。指に馴染みきった感触が、カッと心を燃やした。
ブロードソートで迎え撃つ。娘の魔力を帯びた刃が、雷の刃を真つ向から弾き返した。
咄嵯に後退するシードゥスを目で追いながら、ゼラードは動揺を抑え、振り向かぬまま声を上げた。
自らも剣を手に、コピシュが隣に並ぶ。
幼いはずの横顔が、ハッとするほど大人びていた。決意、戦意、闘志、意地。戦士に必要なすべてが、まぎれもなくそこにあるのを感じた。
D何をしにきた。ここは子供の来るべき場所ではない!
斬るも斬られるも、己の腕と運次第。子供かどうかなんて、剣の前には関係ありません!
D哀れな――戦いに染め上げられているのか!
シードゥスは燃え上がるような覇気を放った。揺るぎなき理想の鎧に閉じ込められていた、純然たる義憤と悲哀――そのすべてを。
ゼラートは、ふと、妻の言葉を思い出した。
「あの子にまで剣を教えて……っ!あなたは、あの子まで……あの子まで、剣しか知らない怪物にする気なの!?」
彼女がなぜ、あれほど拒絶を示したのか。自分の何が悪かったのか。あのときは、まるでわからなかった。
今は――わかる。なんとなくだが。自分の生き方が普通ではないということも。それを娘に背負わせた業の重さも。
いろんな〈メアレス〉たちと出会い、いろんな〈夢〉と刃を交えて。ようやく、わかってきた。
コピシュは笑った。磨き上げられた剣が、日の光を照り返すようにまぷしく、晴れやかに。
わたし――お父さんみたいになりたい。自分の技を、どこまでも磨いて――剣の境地を、もっと知りたい!
D子供が、自ら戦いを望むなど――
剣を合わせて、なんとなくわかった。
戦いたくて戦ってきたわけではない。戦いを嫌いながら、それでも戦うしかなかった。そんな悲しみにまみれた剣だった。
だから、きっとわからないだろう。
剣を振るって生き、いつか剣のもとに死ぬ。それを自らの運命として受け入れきった、剣士というものの生き方は。
もう迷いはない。ためらいも。
娘は娘の意志で道を選んだ。自分と同じ、剣士の道を。
己の剣を――目指し、越えていくべきものを、見せてやることだけだ。
おまえの力が必要だ。一緒に戦ってくれるか。
ゼラードはニヤリと笑い、シードゥスに切っ先を向けた。
***
澄んでいる。何もかもが研ぎ澄まされている。疑いようもなく明然と、何をすべきかがわかる。
〝剣の境地〟。己がただ一振りの剣となる、透徹した感覚。夢の中にいるようで、徹底的に現実でもある。
ゆく。
〝伏せ野槌〟を〝荒競り〟でいなし、〝虚ろ火〟からの〝転星〟で崩して〝薔薇切り〟を撃つ。敵の〝畦岩〟は〝霧追〟で破り〝鬼骸〟に繋ぐ。
Dくっ、ぬ、む、むう……!
もはや、技を技として使っているわけではない。こう来るから、こうする。その一連の動きに、修めた技が自然と組み込まれている。
無数の技を血肉として成る、嵐めく刃。技の精度は互角でも、技という形に囚われている者に、太刀打ちできるはずもない。
理想も思想も理念も誓いも善悪も哲学も信念も覚悟も過去も意味も価値も理由も流儀もなく。
ただ純然と、剣のゆくべきところへ剣を撃つ。
娘の剣。最適なタイミングで来たものをつかむ。
苦しまぎれに繰り出される魔法を構わず切り裂き、次なる剣撃へ連ねる。
Dなんと――なんという――
斬れる。
悟ったときには斬っていた。
技ですらない。地味で無造作で、ごく自然なー閃。そうすれば斬れる、と脳で理解するよりも早く、当たり前のこととして無自覚に斬っていた。
そこで、止まった。何もかも。それ以上、なすべきことはもはやなかった。
音の失せた世界に、膝を突く音が響いた。世界が音というものの存在を思い出し、あわてて取ってつけたような唐突さで。
Dなぜ――
異形の相貌が揺らぎ、老いた顔が現れる。目に、子供のような純粋な驚きがあった。
D俺は……なぜ、敗れた――?
Dなぜ、おまえは――それだけの強さを持ちながら、世のために使わない……?
Dなぜ――なぜ、勝てぬ。おまえのような、何も背負わぬ者に……何もない者などに……。
人間、いろいろあるんだよ。理想だ大義だ、そういうもんがなけりゃ〝何もない〟とかよ。おまえ、他人様なめすぎだろ。
D……く。
かすれゆく声が、ふと笑いの色を帯びた。
Dそうか。俺は、人を、なめすぎていたか……。
D……くく……
束の間、ふたりは笑みを交わした。
理由はどうあれ、命を懸けて剣を交えた。そのふたりにしかわからない、笑わずにはいられぬ可笑しさがあった。
さざ波のような笑いの中で、シードゥスは消えた。
何も残ることはなかった。その存在すら、見果てぬ夢だったかのように。
リフィルたちの会話をよそに、ゼラードは手にした剣をコピシュに返した。
笑顔でうなずくコピシュから、ゆらり、と薄い影のようなものが剥がれ落ちた。
それは徐々に輪郭をなし、色づき、黒々とした闇の中に靴音を響かせる。
構えようとするゼラードを、コピシュが制した。それがなんであるかはわかっているようだった。
笑う。楽しそうに――嬉しそうに。
リフィルは、撫然と彼女の名を呼んだ。
あなたがつけてくれたんでしょう?素敵な名前をありがとう――リフィル。
淡く微笑む〈夢〉の瞳が、闇夜に朧と揺らめいた。