【黒ウィズ】黄昏メアレス4 Story6
目次
story
〈ロストメア〉が大通りを走り出す。
尋常ならざる巨体の疾走に、都市はたちまち悲鳴を上げた。
石畳が割れ、身体の擦れた家壁が砕ける。ガラス窓が震えてむせび、家に隠れる人々の恐怖の絶叫が唱和する。
〈メアレス〉たちは大通りの左右の屋根に跳び上がり、〈ロストメア〉と並走を始めた。
銃が、矢が、剣が、怪物の巨体に殺到する。
止まらない。止まるはずもない。〈ロストメア〉は〈メアレス〉たちに目もくれず、一心不乱に駆け続ける。
いる。あの〈ロストメア〉の、中心近くに。
脈動するカードが、それを教えてくれる。〝彼女と共に戦う魔法使い〟を呼ぶ魔法が。
君はうなずき、屋根を走りながらカードを構える。魔力の濁流に押し流されたおかげか、消耗した力は多少回復していた。
〈ロードメア〉が屋根の上に降り立った。
ありがとう、と君は礼を言う。あの濁流の中、無事に戻れたのは、彼の〝導き〟のおかげだ。
〈夢〉は、苦々しい面持ちでうなずいた。
そして、その〈夢〉は――
***
重くのしかかるまぶたを押しのけるように、リフィルはどうにか目を開く。
一片の光とてない暗闇が、周囲に広がるすべてだった。
動こうとするが、動けない。何かが身体に食い込み、縛り上げている。
つぶやき、リフィルは前方に視線を向けた。
闇のなかに、うっすらとした笑みが浮かぶ。
〝魔道再興の夢〟――〈ミスティックメア〉。彼女の、からかうように挑戦的で、自信と余裕と親しみに満ちた笑みが。
あなたの人形を媒介に、顕現させたの。〈夢の繭〉の、〈ロストメア〉をね。
自分が死んだら、〈夢の繭〉が自分の夢の――〝世界を平和にする夢〟の〈ロストメア〉になるよう、術を施していたのよ。
ディルクルムの最善の狙いは、〈夢の繭〉の魔力を使い、世界中の人間に〝世界を平和にする夢〟を植えつけること。
もしそれができなかった場合は――〈夢の繭〉をその夢の〈ロストメア〉に変え、強引に現実を目指させる。
確かにそれでも〝世界平和〟は成る。引き換えに何が起こるかわからない以上、できれば避けたい策ではあっただろうが――
ディルクルムを倒す直前……〝夢を植えつける〟ことで……。
あのとき。〈ミスティックメア〉の秘儀糸が、ディルクルムの魂に巻きつき、わずかにその動きを止めた。
同時に彼女は、魔法を使っていたのだ。
かつてリフィルにも使った、〝夢を植えつける魔法〟を。
際どかったわ。私も必死だったの。ディルクルムを勝たせるわけにもいかなかったしね。
〝森〟の話は……やはり嘘か。
見たでしょう? あの〈絡園〉を。〝夢を叶える夢〟――それこそ、魔道の目指すべき極致なのよ!
叶わぬ夢のない世界――願いが魔法となる世界!それこそ真なる魔道再興!そうでしょう――リフィル!
あれほどの魔力を持つ〈ロストメア〉が門を通れば、現実それ自体が〈絡園〉になるでしょうね!
人種国籍生い立ち能力、一切合切無関係!夢の強さがすべてを決める!誰もが魔法を使う世界!
それこそが真の平等!そうではなくて?ねえ?リフィル!
〈ミスティックメア〉は笑いながら、そっと白い指先でリフィルの顎に触れた。
だからね――リフィル。
ささやく。優しく。愛おしいほどの喜びを込めて。
***
それゆけ、あたしの全財産!!
ユバル社から急遽買い取った魔匠具一式が、起動呪文を受けて一斉に飛ぶ。
爆薬入りの筒弾が雨あられと降り注ぎ、〈ロストメア〉に着弾、爆発――その巨体を激しく揺るがした。
ファルシオン!レイピア!エストック!カットラス!イルウーン!バスタード!――クレイモア!
さらにコピシュが、背負う剣を次々に射出し、爆炎に悶える〈ロストメア〉の肉体を削ぎ落としていく。
そうして動きが止まったところへ、ミリィは屋根の上から跳びかかった。
パイルバンカーの後部が火を噴き、加速。〈ロストメア〉に突っ込んで杭を射出――杭の魔力を解放し、周辺を爆散せしめる。
〈ロストメア〉が叫び、身を振った。あまりの激しさに、ミリィはたやすく振り落とされる。
空中に、コピシュの飛ばした剣が滑り込む。
ミリィは何本かの剣を踏んで、どうにか屋根の上へと戻った。
〈ロストメア〉の足は止まっていた。痛みに唸り、撃たれた頭を振っている。
そこに、都市中から集まった〈メアレス〉たちが、雄叫びを上げながら跳びかかっていく。
様々な武器、様々な技が殺到する。〈夢〉の絶叫など、〈夢見ざる者〉たちは意にも介さない。
〈ロストメア〉が強引に進行を再開した。群がっていた〈メアレス〉たちが、周囲の屋根へと後退する。
屋根を走りながら、ルリアゲハは目をむいた。
走り出す〈ロストメア〉。その道の先に、彼女はひとり、立っていた。
唇を結び、まっすぐ見つめる。迫りくる〈悪夢〉を。微塵も臆することなく。
〈ロストメア〉は止まらない。こんな小さな存在など見えていないし、見えていても止まる理由があるはずもない。
圧倒的な巨体が、石畳を踏み割りながら迫る。
激突の寸前、リピュアは願うように両手を広げ、魔力を解放した。
止まった。
あれほどの巨体が。あれほどの〈悪夢〉が。小さな妖精の願いひとつで、ぴたりと動きを止めていた。
が。
動く。わずかに。巨大な〈悪夢〉が微細に震え、唸るような声をもらす。
リピュアの魔力が、しぼんでいく。常識を超えた妖精の魔法でも、それが限度だった。
じわりと、〈ロストメア〉が進む。足を踏み出し、リピュアの目の前の石畳を粉砕する。
飛んでくる石つぶてに撃たれながら、それでもリピュアは魔法を止めない。
轟音が走る。
〈ロストメア〉の足が、すべてを砕いた音だった。
後ろ(・・)にあった石畳すべてを。
ぱちくりとするリピュアの肩に、長い指が触れる。
見上げるリピュアにニヤリと笑いを返し、アフリトは前を見据えた。
〈ロストメア〉が唸る。警戒しているのだ。自分を一撃し、後退させた存在を。
自分にも匹敵する全長を誇る、煙の巨人を。
我が本体――全ての夢を喰らう者、フムト・アラトよ!
***
リフィルは言った。暗闇のなか。縛られたまま。
顔を上げる。
面白がる〈ミスティックメア〉の瞳を見つめ、力を込めて唇を開く。
私にとって、最もしっくりくる生き方。私の魔法の、あるべき姿。それは――
闇に、雷光が閃いた。
けたたましい雷鳴が静寂を破砕し、獰猛なる雷撃が〈夢〉へと走る。
背後からの一撃を、咄嗟に展開した魔法陣で受け切りながら――
〈ミスティックメア〉が、君を見た。
助けるまでもなかったみたいだけどにゃ。
その言葉に、〈ミスティックメア〉がリフィルの方を振り返ったとき。
すべてを失った指先に、青白い光が灯っていた。
story
〈ロストメア〉が、咆哮を上げた。
門の前の広場である。
煙の巨人に勢いを殺され、〈メアレス〉たちに肉体を削がれながらも、そこまで辿り着いた〈夢〉が、足を止めて身悶えていた。
震えて呻く頭部から、天をも焦がす稲妻がほとばしる。
君とリフィルは、その稲妻を追うように〈ロストメア〉の頭部から飛び出し、広場へと降り立った。
〈ロードメア〉が、唇の端にわずかな笑みをたたえて君たちを迎える。
彼の視線は、君の手にするカードに向いている。
リフィルを助け、共に戦ってほしい、――そんな願いから生まれた魔法に、〈ロードメア〉の導きを合わせ、敵の内部に突入したのだ。
噛み締めるようにうなずいてから、リフィルは、キッと顔を上げた。
〈ロストメア〉が傷ついた頭部を振り乱し、憤怒もあらわに、こちらを睨(ね)めつけている。
リフィルは確かめるようにその名を呼んだ。
細い指が、複雑な印を結ぶ。指先から光り輝く糸が伸び、周囲に無数の魔法陣を形成する。
見慣れた魔法。見慣れた光景だった。
あの人形がないことを除けば。
彼女が自ら織りなした魔法陣。その1つ1つに込められた魔力が、迅雷の槍となってほとばしった。
千々の雷火が空を裂き、巨大〈ロストメア〉を容赦なく撃ちすえる。
悲鳴を上げて、〈ロストメア〉がよろけた。雷火に撃たれた皮膚が霧散し、魔力となって散っていく。
楽しくて楽しくてたまらない。嬉しくて嬉しくて仕方がない。そんな笑い声が、高らかに響き渡った。
現れる。〈ミスティックメア〉。巨大〈ロストメア〉の内側から、じわりとにじみ出るようにして。
ルリアゲハたちが、広場に集まってくる。あの〈ロストメア〉との戦いで傷つきながらも、誰もが目の奥の灯火を失っていなかった。
彼らにうなずいてみせてから、リフィルは凛と〈ミスティックメア〉を見上げた。
〈夢〉が問う。子供のようにわくわくと、期待に満ちた声色で。
あれだけ魔法を見せられて、コツのひとつも盗めなくては、〈黄昏〉の名が廃る!
夢があろうがなかろうが意地を抱えて生きていく。甘い夢想に唾を吐き、泥まみれの現実と戦う!
私の魔法は、そのためにある!
秘儀糸が、鮮やかな光を放つ。すべてを染め抜く黄昏のなかにあってなお、まざまざと咲き誇る力強い光を。
***
君の魔法を受けたところへ、リフィルの魔法の追い打ちを受け、〈ミスティックメア〉は石畳の上に墜落した。
倒れ伏すまいとしながら、彼女は笑う。
〈夢〉が笑いながら吼えた瞬間、君たちの足元に、カッと光が広がった。
魔法陣――広場全体を呑み込むほどの!
魔法陣のあちこちから闇色の雷が立ち昇った。
獲物を定めた猟犬のごとく、一斉にリフィルヘと喰らいつく。
おいたが過ぎたわね――リフィルッ!!
雪崩撃つ雷の群れが、黒く、暗く、リフィルを塗り潰した。
世界がそこだけ壊死したように、リフィルのいる空間が、暗黒に包まれる。
だが。
その闇を破り、現れる光があった。
夜闇を燃やす朝焼けにも似て。
リフィルを包む、3つの光。
リピュアの魔法と――君の放った、ふたつの魔法。
命尽きていようと、魂が砕けていようと関係ない。
誰かが誰かであった証。その想いの軌跡を呼び覚まし、解き放つのが、君の魔法だ。
リフィルを助け、守り抜くのに――きっと、これ以上の魔法はない。
リフィルの指が糸を繰る。この黄昏を切り裂くように。
〈ミスティックメア〉もまた〈秘儀糸〉を操り、魔法陣を弓のように組み上げた。
荒ぶる雷が渦を巻き、束となって直進する。
〈ミスティックメア〉の術とぶつかって、知るかとばかりに打ち砕く。
リフィルの生き様、そのままに。
暴雷は〈ミスティックメア〉を呑み込んで、渦巻く魔力を撒き散らし、天も震えよと吼え猛った。
黄昏に、激しくきらめく華が咲く。
雷華の奥で、小さな身体がくずおれた。
広場に展開していた魔法陣が光を失い、暴れ回っていた〈ロストメア〉の動きが止まる。
〈夢〉は笑った。それが自分の、最後の意地とばかりに、笑ってみせた。
力なく上げられた瞳が、君を見る。
でも――良かったのかもしれないわね。
あなたがいなければ――リフィルが、自分だけの魔法を使うこともなかったでしょうから。
あなたのおかげで、新たな魔道士が生まれた。それなら、魔道が途絶えることはない――
〈夢〉の視線が、リフィルに移る。
挑むようでもあり、慈しむようでもある。彼女なりの誇りに満ちた瞳が、凛ときらめく少女の瞳を映し出す。
自分を何で満たすかは、自分で決める。
あなたの勝ちで――私の勝ちよ。
フフ――アハハハハハハ……!!
勝ち誇るような笑いを残し、〈夢〉は消えた。
終わりゆく黄昏の、その果てへと。
story
仏頂面で言ってから、リフィルは巨大〈ロストメア〉に目を向ける。
その言葉は、〈ロストメア〉の奥にある、アストルムの人形に向けたものなのだろう。
〈秘儀糸〉が、〈ロストメア〉に絡みつく。
〈ミスティックメア〉の支配が消えたからだろうか。〈夢〉は、抵抗もせず、それを受け入れた。何もかもがほどけるように、巨体が崩れる。
〈夢〉を織りなしていた魔力が、光り輝く無数の蝶となって、ざあっと門にはばたいていく。
懸命にはばたく蝶たちを見つめ、〈ロードメア〉は目を細めた。
ふと、1匹の蝶に触れた。それは跳ねるように〈ロードメア〉の眼前を舞い、また門へ向かって飛んでいく。
〈夢〉の唇に、優しい笑みが浮かんでいた。
彼が手を貸してくれたのは、この光景を見るためだったのかもしれない。
これが夢と〈絡園〉の、本来のあり方なのね。
いつかあの森がなくなる日がくるといいね、と君は言った。
気づけば、身体が淡い光に包まれている。〝あの子〟の魔法が効果を失いつつあった。
それが自分の魔法で、〝あの子〟の魔法だから、と君は笑った。
まさか、と君は肩をすくめた。
光が強くなっていく。黄昏の光景が歪み、融けるように消えていく。
いずれ会うやら会わぬやら――
今は、さらばと言っておこうか。魔法使いと、黒猫のウィズよ。
story
倒した〈ロストメア〉の魔力を解き放てば、蝶となって願い主のもとへ帰るはずだ。
きっと〝現実に通じる道、を開くことが、〈絡園〉――〝夢を叶える夢〟の能力のひとつなんでしょうね。
他人事の口調で言うリフィルを、レッジがじろりと睨む。
リフィルとレッジが交渉を始めるのをよそに、コピシュは、こっそりアフリトに尋ねた。
もっとも、これからどうするつもりなのかは、本体に訊かねばわからんがねえ。
黄昏メアレス -END-