【黒ウィズ】Birth of New Order 2 Story1
story
瘴気は、大気を淀ませ、水を腐らせた。その結果。
インフェルナの大地に咲く作物が、すべて枯れ果てようとしていた。
乾いた土の上に横たわる黒い影。それは、猫だ。黒猫だった。
外套で頭まで覆った人間もいた。人と猫は、互いに手を取り合うように仲良く倒れている。
妹たちから水筒を受け取り、干物になりつつある行き倒れの黒猫と旅人に水を掛けた。
ウィズとメルテールの視線が重なる。雨など降っていない。空はカラカラに晴れ渡っている。
そうみたいだね、とうなずく君の言葉に力はなかった。
テントの中には簡素な机があった。ランタンが照らす地図には、この大陸の地形が記されている。
空気の悪さは君も感じていた。瘴気は、人や植物の命を現在進行形で蝕んでいる。
瘴気で汚染されていない場所。それは、サンクチュアと呼ばれる聖域だけだ。
これは生きるための戦いだとメルテールは、断言する。
妹たちが、スケッチを開いて示した。それは、山をひとつ飲み込むほどの巨大な建造物だった。
イスカの顔つきが、以前よりも大人びていた。
君たちが、この異界を離れている間に、頭首として色々な葛藤を、乗り越えてきたのだろう。
戦いの心得を教えた生徒を放っておくのは無責任にゃ。無茶しないように、見守っててあげたいにゃ。
支えてあげたいというウィズの願いを、君は了承した。
以前君は、リュオンの下で、サンクチュア側の助っ人として戦った。
それでもインフェルナの兵たちは、君が反乱軍に参加するのを歓迎してくれた。
味方してくれる手練れを排除するほど、インフェルナは、戦力に恵まれていない。
それに聖職者たちのやり方に疑問を覚えた聖堂兵たちが、すでに何人も反乱軍に加わっている。
クロッシュも、そのひとりだった。
こうして再会できたのも運命です。今度こそ、ウィズ先生のすべてを教えてください。
サンクチュアと戦争になる。おそらく執行騎士が出てくるだろう。
君の背筋にぞくっとしたものが走った。リュオンには、世話になった。仲間として、ともに背中を預け合った。
彼の強さは知っている。できれば、敵にしたくない相手だ。
story
インフェルナ軍は、サンクチュアヘ侵攻を開始した。
武装した兵士が進軍し、そのあとをインフェルナの民がつづいた。
サンクチュアとインフェルナ。ふたつの勢力を隔てる溝は深い。
聖域に暮らす人々は、インフェルナ人を人間扱いしていない。
悪の熔印を持ち、煉獄に堕とされた落伍者として差別している。
イスカの養父イーロスが命を賭けて敵の聖皇を斬り棄てた。
そして、大審判獣エンテレケイアの封印は解き放たれ、大聖堂と聖都は、灰燼と化した。
聖都を焼け出されたサンクチュアの民は、見下していたはずの反乱軍に助けを求めた。
すべての民を平等に助けたイスカを救世主と呼ぶものもいた。
イスカの純粋な信念は、多くの者に笑われた。それでも曲げずに来た。
結果、たくさんの命を救った事実だけが残った。
女は、マスク代わりの口を覆う布を外して告げる。
どうやらインフェルナの民と元サンクチュアの民が、食料の配分で揉めているらしい。
争いは日常茶飯事だった。インフェルナの民の憎しみは、激しい。
いくらイスカが、聖堂と煉獄の融和を訴えても、深い感情の溝は簡単には埋まらない。
私たちの力を相手に認めさせて、手を結ぶ方法を探るのが、この戦いの目的よ。
自分の信念をみんなに訴える。
だが、イスカの言葉を、くだらないと吐き棄てるものたちがいる。
怨みは、深々と根を張っていた。元々、聖域からインフェルナ人を追い出したのは、サンクチュアの方である。
いくらイスカが言おうと、インフェルナ人の憎悪が消え去るものではない。
君は、理解した。お互いの溝はイスカが思っているほど、簡単に埋まるものではないことを。
その言葉は、誰の耳にも届かなかった。
後方で起きたもめ事は、イスカの公平な裁きによってー応収束したものの、頭首に対する不満は積りはじめていた。
む。待つにゃ。
君は、イスカの前に飛び出してカードを引き抜いた。
サンクチュア軍の先遣隊と遭遇した。たいした数ではない。きっとインフェルナ軍を偵察に来たのだろう。
敵兵はまだ気づいていない。こちらの居場所を本隊に報告されるよりも先に叩くに限る。
強い憎しみと戦う理由を抱えているのは、インフェルナの方だ。
その中にあってイスカは、人が平等に扱われる世の中の到来を願っている。
この異界では、希有な存在だった。
それゆえに君は、イスカの理想の実現に手を貸してあげたいと思った。
***
相変わらずイスカは、純粋だった。
博愛主義と言えばいいのか。誰とでも話せば仲良くなれると信じている。
その純粋さは、はっきり言って羨ましかった。
向かって来るサンクチュアの聖堂兵を叩きのめす。
イスカの手前、命までは奪わない。それでも、二度と立ち上がれない程度に痛めつけておく。
権力を手にして豹変する人間は多いが、イスカはそうじゃなかった。
イスカは、どこまでもイスカだった。
水も植物も少ない過酷な土地で暮らしながらも、ー片たりとも心を濁らせることなくここまできた。
羨ましかった。そして、とてもまぶしかった。
ずっと影の中で生きてきたメルテールとは、対照的だ。
本来なら相容れないふたり。混ざり合うことのないふたり。
でもなぜだか、ー緒にいると居心地がいい。
右手の奥に土煙があがった。交戦中の部隊よりも、さらに大規模な隊が進軍してくる。
あたしたちは新手を潰すよ。ついてきて。
身の丈以上もある巨大なハンマーを、片手で軽々と担いで駆ける。
援軍の先頭は騎馬部隊だった。騎兵は馬の腹を蹴り、襲歩でメルテールに襲い掛かる。
砂塵を巻き上げ迫る騎馬部隊。敵を前にしても、メルテールは小揺るぎもしない。
思念獣タイタナスのハンマーを握りしめ、君の方を振り返った。
あ、命まで奪う必要はないよ。イスカが悲しんじゃうからね。
ハンマーを振り下ろす。
地面が割れた。土煙が視界を覆う暗幕となった。
敵は動揺している。ここを狙えと、メルテールに言われているのだと思った。
君は、魔法を放った。馬のいななきが轟く。敵が次々に倒れていく。
メルテールと君とで、新手の大部隊をほとんど片付けてしまった。
しばらくして、大方の戦いが終わった。メルテールは、終始イスカの視界から外れたところで戦った。
そして、本隊に敵を近づけなかった。それが自分の役割とばかりに率先して敵を叩いた。
いつもこうしていた。イスカの見えないところでメルテールは己を危険に晒し、手を汚してきた。
養父イーロスを失ったイスカをこれ以上悲しませたくない。
それが、メルテールの戦う理由だった。
story
クロッシュの剣が、サンクチュアの兵を斬った。
人ひとりを両断できる切れ昧を持つ大剣。それは、思念獣フェンリナルが宿る剣であった。
血飛沫が散華する視界。偵察の兵はすべて斬った。
しかし、インフェルナの兵にも多少の犠牲が出た。
甘さを棄てろ。サンクチュアとの戦はこんなものではない。とクロッシュの目は訴えている。
これまで、クロッシュは復讐を果たそうとして果たせなかった。そして5年も無為に過ごした。
復讐の機会はたびたびあった。だが、サンクチュアは強大すぎた。
この地上に6つの聖域がある。それを管理する聖堂がある。それを守護する執行騎士までいる。
対して、反乱軍と侮蔑されるインフェルナ軍は、指導者に恵まれず、まとまりを欠いていた。
数多の敵兵を倒して進むだろう。そのたびにイスカは、返り血に塗れる。思い描く平和が遠のいていく。
それも覚悟の上だ。いちいち、うしろを振り返ったりはしない。
W反乱軍の頭首様が、どこに向かおうとしているのか、教えてくれませんかね?
人の声がする。気配も感じる。だが姿が見えない。
さすが師匠だ。見破るのは早かった。
岩陰から、いたずらがバレた子どものような顔をした少年が飛び出してきた。
もしかして寝返ったんでしょ?顔に似合わず、悪いことしますね。リュオン団長に言いつけちゃいますよ?
そういうシリスこそ、どうしてここに、と君は訊ねた。
サンクチュアの服装を隠す気もない。事情を知らない兵士たちが、敵襲かと騒いでいる。
君を指し示す。
敵であるはずのシリスが、親しげにイスカと話している理由は、すぐにわかった。
無駄な戦は避けるか、ぶつかるかは、お任せしますよ。
執行騎士の身分でありながら、イスカに情報を漏らしている。
スパイという奴だ。悪い奴なのはどっちだよ、と君は呟く。
すべての用件が終わったあと、イスカは何気なく訊ねた。
吐き棄てた。それでも、シリスの表情は、どことなく晴れ晴れとしていた。
かつてシリスの心を破壊したものがいた。しかし、その襖はなくなった。正直に生きることにしたのだろう。
***
森は深閑として冷たく、生命の温もりは乏しい。
身体を拘束する鎖を引き摺りながら、この秘境めいた森を彷徨っていた。
舗装された道はなく、人の足で進むには厳しい難険な斜面がいくつもある。
足を取られ、何度も大地に突っ伏した。
それでも、リュオンは進む。
罪を背負った執行騎士の環罪は、無数の審判獣が眠るこの森に足を踏み入れること。
そして生きて帰ること。
十中八九、死に至る流刑であった。
懐に隠れていたマグエルが顔を出す。
先に進めば、この森で眠る審判獣が目を覚ます可能性が高まる。
その時、人間であるリュオンが、無事でいられる保証はない。
拘束された不自由な身体で、リュオンは奥へと進む。
命を惜しいとは思わなかった。大審判獣エンテレケイアを止めるために、死ぬつもりだった。
それが、こうして生きている。すべてイスカのお陰だ。
審判獣の覚醒は、人類の滅亡を呼び込む。だが、彼らを抑えていたのは、大審判獣エンテレケイアである。
ところが大教主の陰謀で、封印されていたエンテレケイアは解き放たれた。
それと同時に、この森の審判獣が目を覚ましたとしても、おかしくはない。
その審判獣とおぼしき存在は、前触れもなく空から飛来した。
珍しく人の言葉を話す審判獣だった。よりによってこういう変わり種と出会うとは、己の不運を呪う。
目的はなんだ。裁きか?それとも介入か?
問いの意味は明快だった。リュオンは、拘束された鎖を示す。
私が求めるのはただひとつ。力を示すこと。貴公が、使える人間ならば赦そう。
手を振ると同時に、リュオンの両手を拘束していた鎖がはじけ飛んだ。
森の向こうから黒い影が迫ってくる。奴らと戦うことを求めているのだ。
胸の奥。心臓に繋がる鎖を引く。
背負ってきた傑剣が、生命が通ったかのように動きはじめる。
***
十字の刃には、磔剣という名がある。
しかし、剣というには、使い手のことをまったく考慮していない造りだった。
磔剣を操るには、鎖で振り回すしかない。ー歩使い手が誤れば、敵もろともみずからを傷付けてしまう。
使い手を選ぶ執行器具だが、リュオンの熟達した技量は、厄介な得物を完璧に使いこなしていた。
磔剣の餌食になったのは、2体の弱い審判獣だった。
彼らが興奮して貴公を襲った意味がわかるかね?
審判獣は磔剣により切り裂かれ、血の代わりに赤くきらめく粒子をまき散らしている。
癖のように手で顎の辺りを触る。その仕草こそ人間のようだ。
エンテレケイアが目覚めると、なにが起きると言われていたかね?
最終審判。人類にとっての終わりが来る。
人間よ。私と共に来ぬか?貴公が契約しているネメシスとなら、ギガント・マキアを戦いぬける。
大審判獣エンテレケイアが目覚めた。だが、太古の審判獣は寿命で朽ち果てた。
この森の審判獣を制御するものは、どこにもいない。
審判獣同士の争いが起きれば、人間はそれに巻き込まれ、地上から消え去るだろう。
審判獣は、声を出して笑った。
この森を出たいならば出るがいい。ギガント・マキアが迫っていることは、人間たちにもやがて伝わる。
生きるために本性を剥き出しにする醜き人間どもの姿を確かめてくるがいい。
知性を持ち、人間と対等に話す奇妙な審判獣。
審判獣にも色々いるのだ。そこの小さい奴のようにな。
マグエルの胴に巻き付いている輪に触れる。
なにも起こらない。きょとんとしていると。
審判獣の尾が視界に入る。鋭利な先端が付いた尾。どこかで見た覚えがあった。
イスカという娘を知っている。尾がそっくりだと、リュオンは言った。
審判獣は、その話に興味を示した。
story
人々が寝静まった夜。密かに幕舎を抜け出したイスカは、ひとり湖の畔に佇んでいた。
毎晩、ここを訪れるのが日課になっていた。
ここでリュオンと顔を合わせ、会話を重ねた。それも遠い、遥か昔の出来事。
もうー度、会って話したい。その願いは、いつも叶わない。
願いが高じたあげく、幻想を見てしまったのではないかと感じた。
リュオンは、奇麗な水で傷を洗っていた。この湖はまだ瘴気に汚染されていないようだ。
幻想でもよかった。イスカは、慌てて駆け寄った。
高揚した気持ちを抑えられない。この再会は、天からの贈り物だとイスカは思った。
羽織っていた外套の端を引きちぎる。
水に浸した布きれで、リュオンの傷を優しく労った。
インフェルナの民を守るために、先にこちらから戦争を仕掛けざるを得なかったわ。
戦争の火種になっているのは私。怒ってるわよね?
リュオンは戦争の事を知らなかった。だからといって、嬉しい気持ちなど湧き起こるはずもない。
会話が途切れた。イスカは、黙々と傷の手当てを終わらせた。
心では、平和を望んでいる。
だが、目の前の命を救うために、イスカの願いとは別の方向に突き進んでいる。
サンクチュアの聖堂兵にも家族がいるだろう。それを知りながら、戦争を仕掛け殺している。
何を言っても、所詮は言い訳だ。でも、本心だけは、リュオンに知っていて欲しかった。
口数は少なかった。罪人として扱われていることが、リュオンに暗い影を落としていた。
イスカは、ずっと話したかったことを語りはじめる。描いていた未来を。平和が訪れた世界を。
リュオンとー緒なら、無茶な夢じゃないと思うの。
途方もない夢。子ども染みた妄想のごとき夢だ。
だがイスカは、信じていた。いつか夢が叶うことを。
夢など語れる立場にない。
その言葉だけで十分だった。立場は違うが根底では心は同じ。
それが確認できただけで、涙が出るほど嬉しかった。