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【黒ウィズ】Birth of New Order Story5

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作成者: にゃん
最終更新者: にゃん



目次


Story18 疑念

Story19 星が蝕まれる

Story20 触れてはいけない鍵


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story



 虫の鳴き声と温かい夜風が、湖の周りを包み込んでいる。

光りながら飛び回る、小さな虫をイスカは目で追いかけていた。

……やっぱり来た。

今夜は、唄わないのか?

 胸の内に隠している警戒心をイスカに悟られないよう、慎重に言葉を選ぶ。

私の唄、聞きたかった?でも、唄わない。あなたのこと嫌いだし。

 子どもっぽく、ぷいっと顔を逸らす。思わずリュオンは、苦笑を漏らした。

虫が、好きなのか?

虫さんを見るの好きなの……。ほら、このお尻光虫(おしりひかりむし)なんて、普段は地味な虫さんなのに、夜になるとこんなに奇麗な光を放つのよ。

それは、尾光虫という虫だ。勝手に変な名前をつけるな。

じゃあ、この虫さんの名前はなんていうの?ほら、ギリギリって鳴くこの虫さん。ギリギリ虫って名前っぽくない?

それは……ギリギリ虫であってる。

嘘、私、いま適当につけたのに当たるなんて。才能ある?

ない。たまたま当たっただけだ。調子に乗るな。

厳しいなー。でも意外だった。聖域には、虫さんなんて、いないと思ってた。

なぜそう思う?

聖域の中は汚い虫さんも、病人も、弱者も、支配者もいない楽園だと聞かされて育ったから。

だから、お前たちインフェルナは、聖域に暮らす者たちを憎むのか?

憎んでないよ。いや、よくわからないかも。聖域の人とこうして話す機会も、なかったし……。

あなただけよ、インフェルナの私に話しかけてくれる聖域の人は。

 別の理由があるのだが……。リュオンは、あえて口にしない。

虫さんとも会話できれば、お互いに通じ合うことができるのに……。そしたら人に踏み潰されなくてすむのにね。

 イスカは、手に乗った小さな虫を優しい手つきで草の上に放す。

この少女が、サザを殺したあの審判獣の正体だとは、とうてい思えない。

だが、切り取った蠍型の審判獣の殼衣は、明らかな反応を見せていた。



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story



 リュオンは、サザが眠る墓石の前に立っている。イスカという少女は、おそらくサザの仇だ。

だが、迷っていた。あの子を討つべきかどうかを……。

――9人の候補生を斬って執行騎士になったお前が、いまさらお人好しのフリをするのか?

もうひとりのリュオンの声がした。

……そうだ。なにを躊躇っている?サザが殺された時の悔しさ、悲しさ、口惜しさを忘れたのか?

 けたたましく鳴る半鐘。松明を掲げた無数の兵たちが、進軍していくのが見えた。

あの先は、大聖堂へと向かう進路だ。

リュオンは空を見た。星の光が弱く、夜空全体が。重く沈むような気配を感じた。

(そうか、星蝕(せいしょく)の夜。今夜は月も星もすべて間に覆われる審判獣の力が、唯一弱まる日だ。この夜を最初から狙っていたのか)

 闇を駆けるリュオン。上空では、星々がゆっくりとその輝きを失おうとしていた。


あれ~?イスカどこ行ったか知らない?

知らないにゃ。私が寝てる間にどこかに行ってしまったようにゃ。

 そこへ現れたのは、インフェルナ軍の頭首マルテュスと。それを支える老戦士イーロス。

インフェルナ軍の精鋭であるおふたりに、お願いがあります。

イスカは守る……。

いいえ。今回の出撃に、イスカは連れて行きません。星蝕が起きる夜は、彼女の力もまた弱まりますので。

ルテール、クロッシュ。思念獣が宿る武器を所持する戦士は、ワシと共に来い。

命令ならば従う……。

今夜、我らの仲間が聖都〈サンクチュア〉に火を放つ。その混乱の隙間を突いて、大聖堂内に侵入する算段じゃ。

大聖堂って、そんな簡単に入れるものなの?

当然、警備は厳重です。ですが我々の仲間が、すでに〈サンクチュア〉の内部に潜入しており、事がはじまるのを待っております。

 間諜を忍ばせているなど、メルテールたちには、初耳である。

聖都〈サンクチュア〉は、インフェルナの人間にとって、近づくこともできない、まさに聖域だった。

密かに準備しておったのだ。聖都内に火を放つのも、彼らがやってくれる手はずよ。

今夜は星蝕の夜……。

この特別な日に、すべてを決するつもりなのかって、クロッシュ兄は訊いてるよ。

大聖堂にいる聖皇を打倒することが、あなたの目的だったのでは?

戦うことに不満はない……。

懸念があるとすれば、やけに準備が良い。良すぎることぐらいだ……だってさ。

向こうに忍ばせているスパイは何人いるにゃ?彼らとどうやって連絡を取っているにゃ?

 命を賭けて戦う以上、懸念点は払拭しておきたい。ウィズの言葉は、その場にいるみんなの代弁。

スパイとは、間諜のことですかな?忍ばせている間諜は、そうですね……100人程度と言っておきましょうか。

連絡手段は内緒です。この軍にも、敵の間諜が忍んでいないとも限りませんからね。

(上手くはぐらかされた気がするにゃ)

 納得できる説明ではなかったが、それでも出撃の時間は迫ってくる。

兵たちはどうなるの?あたしたちがいなかったら、執行騎士にゃられちゃうんじゃない?

ご心配なく。星蝕の夜では、奴ら執行騎士たちも審判獣の力を使えません。

ですが、それだけでは不安ですので、ちゃんと他の手も打ってあります。

(聖都に行けば、キミに会えるはずにゃ。ここは大人しく従ったほうが、私にとっても得策かもしれないにゃ。

でもこの作戦、なんだかすごく嫌な予感がするにゃ。付いていきたいけど……イスカのことも心配にゃ)

 不安を払拭できないウィズは、頭首たちとは別の手段で聖都に潜入する方法を講じることにした。


 リュオンは、シリスや君と合流する。すでにインフェルナ軍が動いていることは、聖堂も察知していた。

さっそくリュオンは、戦いに向かう。行き先は、当然、インフェルナ軍の侵攻を止めるための戦域である。

ラーシャは、休ませた方がいい。今回は、おいらたちだけでやろうぜ。

 君は、親指を突き立ててやる気を示す。一方でシリスから漂う暗い気配が気になっていた。

……リュオン団長。大教主様がお呼びです。一度、聖都にお戻りください。

 その口調は、らしくないほど重苦しい。なにか重要な案件でもあるのだろうか。

インフェルナ軍が、聖都目がけて侵攻している最中だ。奴らを止めるのが、なによりも優先すべきことだと思うが?

ですが、星蝕の夜は、我々執行騎士の力も弱まります。果たして、聖都を守り切れるかどうか……。

勝てる勝てないは、問題ではない。俺の両肩には、死んだ9人の候補生たちとサザの魂が乗っている。

俺の意思だけが、このリュオン・テラムを動かしているのではない。いまや俺の行動を決定づけているのは彼らだ。

シリス、お前は怖じ気づいているようだ。そんな奴を戦場に連れては行けん。後方でラーシャを守っていろ。

シリス、いいんだぜ。怖気づいたのなら、そうだと素直に言ってくれてもな。おいらとお前の仲じゃねえか。

誰が……。

魔法使い、共にこい。この先に、一度に多くの軍は通行できない険路がある。

そこを突破される前に、こちらが先に占領するんだな?燃えてきたぜ!

 君とリュオンとマグエルだけの戦場。おまけにリュオンは、審判獣の力が弱まっている。

とても痺れる状況だね、と言った君の表情は、完全に引きつっていた。

なんだその覇気のない顔は。気力を振り絞れ。じゃないと死ぬぞ?


 星はすべて闇の緞帳に覆い隠され、一条の光すら奪われた星蝕の夜。

この世界から、あらゆる光が消滅したかのような暗黒を背負い、インフェルナ兵は、聖都〈サンクチュア〉へ押し寄せる。

zこれは、奪われた楽園を取り戻すための聖なる戦いぞ!命を惜しむな、突き進め!

 たどり着いた険路で、インフェルナ軍を待ち受けるのは、ふたつの影だった。

z――なに!?

剣を持つのは、久しぶりだ。

来い、インフェルナの兵ども。俺は聖域の盾。俺を倒さねば、聖都にはたどり着けぬぞ。

魔法使い。お前は、魔法を派手にぶっ放すだけでいい。奴らの中には、民間人も混ざっている。

 その言葉で、君はリュオンの狙いがわかった。虚仮威しだろうが、はったりだと言われようが――

とにか<、魔法というものを見たことのない奴らの戦意を挫くような、どでかい花火を打ち上げろというわけだ。

君が魔法を放っている間、リュオンは剣を振るって、インフェルナ軍の猛者たちを切り捨てて行く。

剣は得意だと宣言したとおり、その剣さばきに迷いはなく、磔剣を扱っている。時よりも、戦場を身軽に動き回っている。

なぜそこまで聖堂のために尽くすのかと君はリュオンに訊ねた。

聖堂など、どうなろうが知ったことではない。聖職者たちなど、すべて滅んでしまえと常に思ってきた。

だが俺は、共に育った仲間を斬って執行騎士になる道を選んだ。その日から決意した。突き進むだけだと……あと戻りはしないとな。

 言うは容易いが、実行するとなると鉄のような意思が必要になる。

挫けそうになるたぴに、仲間が俺を支えてくれた。かってはサザが、いまはラーシャ、シリス、そしてお前が……。

おいおい!おいらのことを忘れんなよな!?

ふっ、そうだったな……。

 リュオンの剣は、斬るごとに冴え渡っていく。

インフェルナの強者たちをことごとく斬り伏せ、この場から、一兵たりとも聖堂に向かわせない盾となり、敵を防ぐ。

zあんな奴がいるなんて、誰だよ執行騎士の力が、聞いてねえぞ。弱まっているって言ったのは?

 君の魔法とリュオンの剣に恐れをなしたインフェルナ軍は、戦い慣れしていない民間人から先に逃走をはじめる。

それに触発された臆病者や、嫌々この戦にしたがっていたものも、続々と逃げはじめた。

やがて逃走の波は、全軍に伝播し、あっという間に戦線は瓦解した。

7無残に斬り捨てられた兵の死体だけが、乾いた大地に横たわっていた。

彼らを顧みる戦友は、ひとりもいない。


 ***


 君とリュオンは、たったふたりで、押し寄せたインフェルナ軍を撃退した。

すげーぜお前ら。魔法使いも、よくリュオンの無茶につきあってくれたぜ。

 このぐらいなんてことないよ、と君は答える。

調子に乗るな。思念獣を宿した戦士が、軍勢の中にいなかった。奴らを探すぞ。

お見事です。リュオン団長。

遅刻だ。獲物は、おいらたちで片付けてしまったぜ。

それは構いません。では、次は僕の相手をしてください。

 暗闇に立つシリスの表情は、はっきりと読み取れない。しかし、発せられる殺気は、まぎれもなく本物だった。

シリスも執行器具は扱えないはずだぜ。じゃあ、剣でリュオンとやろうというのか?おもしれーなー。

 シリスと剣で戦えるのが、心底楽しみだと言うようにリュオンは、唇の端をつり上げて微笑する。

残念ながら、僕に剣の心得はありません。それにいつも言ってるでしょ?僕は、力仕事が嫌いだって。

 懐に手を入れる。取り出したのは、液体の入った瓶だった。

うっ……ぐっ……。これは……。

レヴァイアタンから事前に抽出しておいた毒液です。安心してください。一時的に身体が麻痺して動けなくなるだけです。

連れてこいとの、あのお方からのご命令ですので。

 君とリュオンは、膝をついて倒れ込む。指先から痺れ始め徐々に自由が効かなくなる。

やがて、頭も働かなくなり、意識が遠のいていった……。


 目を覚ましたのは、真っ白な聖堂の内部。審判を象徴する像が、中央に泰然と佇んでいる。

聖皇よ。聖堂の支配者として君臨し、すでに半世紀。玉座の座り心地はどうだ?

 えづくような血の匂い。床に横たわる黒い影は、すべて聖職者たちの亡骸だった。

床に広がる血だまりの上で、見知らぬ老人が、武装した男たちに追い詰められていた。

古きは去り、新しきが生まれる。これも、時代の流れですよ。聖皇ベテルギウス――

 見知らぬ老人――名前は聖皇ベテルギウス。この大聖堂を統括し、聖域全てを支配する存在。

そして、大審判獣〈エンテレケイア〉の契約者でもある。

めったに人前に出ることはなく、大聖堂の最奥で、聖職者たちに守られていたはずの聖皇が――ど

インフェルナ軍の老戦士イーロスに剣を向けられている。

君は身体を起こそうとするが、まだ薬の効果が残っているらしく、手足が命令を聞いてくれない。

20年前の言葉どおり、お主の首をもらいうける。覚悟いたせ、聖皇ベテルギウス!

 イーロスの剣が煌めいたかと思うや、聖皇と呼ぱれた老人の首は、あっけなく斬り落とされ、床に転がった。

終わったか……。聖堂に支配されてきた大地に、ようやく、新しき時代が訪れるな……。

……まさしく。

 これ以上の暴虐は許せない。君と同じく、リュオンも痺れる身体をなんとかして起こそうとしている。

……大教主。なぜ、あなたはその男を止めなかった?いや、そもそもあんたは大教主なのか?

私は、この聖堂の大教主だ。間違いない。

同時に、インフェルナ軍を率いる頭首マルテュス・ラアトでもあるがね!

そういうことか。シリス、お前は知っていたのか?

 リュオンは、ゆっくりと立ち上がった。まだ身体の力は戻っていない。薬の効き目は、まだ残っている。

僕が知るわけないじゃないですか。

でも、知っていたからといってどうなるんです?どうせ、彼は戒律に守られています。どうすることもできません。

 リュオンは、怒るでもなく、嘆くでもなく、悲しげに、シリスを見つめるだけだった。

しょ、しょうがないじゃないですか!僕の父と兄は、処刑された……。僕は、同じ目に遭いたくない……。

……死んだふたりの分も賢く生きる。それの、なにが悪いんですか?僕だって……本当は……。

くくくっ。さすが我が騎士シリス。時間をかけて調整したかいがあった。

 やっとのことで立ち上がったリュオンは、マルテュスに向かっていく。足取りは、まだおぽつかない。

行く手を塞ぐように、イーロスが立ちはだかる。

審判獣の加護もなく、剣も取り上げられたいまのリュオンに戦う術などないはずだった。

イーロスは、ー刀の下に斬り捨てることはしなかった。剣の峰で殴打して昏倒させる。それだけで、十分だと判断したのだろう。

若き聖堂の騎士よ。ワシの話を聞くがよい。

この世界は、聖堂という大樹が支配してきた。しかし、この大樹は、とっくに腐り果てておる。

それに気づいたのが20年前。それまでのワシは、いまのお前のように使命に情熱を燃やす執行騎士であった。

 義手の右腕を見せる。失った右腕は、執行騎士を辞めるときに捨てた。

腐っている大樹は、さっさと切り倒し、新しい種を蒔かねばならん。世界とは、そうやって造り替えられ、つづいてゆくものだ。

新しき時代を迎えねば、人類に未来がないことになぜ気づかん?

 先ほどよりも、さらに強く剣の峰で、リュオンを打った。薬で朦朧としたままのリュオンは、無様に倒れ込む他なかった。

哀れな若者だ。おのが使命に酔いしれ、時の趨勢を見抜く目を養って来なかったとは……。

俺は……執行騎士だ。多くの仲間を殺してこの地位に就いた。

 立ち上がるリュオン。肉体は傷ついて満身創痍。だが、その眼光は、より鋭い。

リュオンの胸に、消えていたはずの鎖が現れる。

まさか、執行騎士の力が戻っているのか?君は、外の様子をうかがった。

時代がどう変わろうが、俺には関係ない。この身が朽ちるまで、聖堂の盾と剣でありつづける。

考えることを放棄して、己の立場を貫くというわけか。それもよかろう。

だが、盾を扱う者が倒れれば、お前も共に果てるだけだ。それがわからんのか。

だが、それゆえに強い。純粋な剣と盾に、迷える羊ごときが勝てると思うか?

 鎖を引き、そして君の方を向く。

魔法使い。空の様子はどうだ?まだ闇に包まれているか?

 夜空は、まだ真っ暗で、星ひとつ見えない絶望の空だった。

だが――君は見た。間が少しずつ移動し、星の輝きが、ふたたび地上を照らさんとしているのを。

星蝕が終わった――?

 直後、血潮のように熱き衝動が流れた。リュオンの心臓と執行器具を繋ぐ鎖が脈動する。

眠っていた審判獣ネメシスが、執行器具の中で覚醒した。

その身は盾。その嘩りは、その手は剣。審理を告げる光明。

汝、契約に従い、罪人を処断する力を我にもたらせ――


 ***


イスカ、今夜は、どうしてここにいるにゃ?外に出ちゃだめと言われてるはずにゃ。

なんだか嫌な空なの。暗くって、感情が渦巻いてて……胸の奥がチクチクしてくるの。

義父さんの身に、なにかが起きる……嫌な予感がするの!だから、ウィズちゃん。行かせて!義父さんを助けたいの!

待つにゃ!

親愛なる父、審判獣アバルドロス――私の身体に流れる血潮よ、滾れ。世に正しき摂理をもたらす力、いま目覚めよ!

 助走を付けて、いつも審判獣の殻衣を纏う時と同じく、地面を蹴って飛びあがる――

――あうっ!

 空に飛び上がることはなかった。いつもの姿そのままに、無様に地上に倒れ伏す。

審判獣の力が弱まっている星蝕の夜。イスカの力もまた封じられていた。

平気にゃ?

いたたた……すりむいちゃった。星蝕の夜って、不便すぎるよ。

いまのイスカは、なんの力も持たない普通の女の子にゃ。星が出るまで、迂間な行動は控えた方がいいにゃ。

胸騒ぎが収まらないの。きっと義父さんの身になにかあったのよ。星蝕よ、早く終わって……お願い。


 リュオンの放つ傑剣が、イーロスの肉体を切り裂く。

それが、審判獣ネメシスの執行器具……。それを意のままに操るとは、並の執行騎士ではないようだな。

 力の差は歴然。リュオンの攻撃を受けて、イーロスの肉体には、無数の傷がついている。

しかし、劣勢であっても、イーロスは、勝敗を諦めてはいない。

老戦士イーロスが義手でつかむは、審判獣カマシュトーリが、思念化して宿った剣。

聖堂の支配を終わらせたいイーロスと聖堂に深い怨みを抱いたまま地上に堕悪したカマシュトーリ。

聖堂を憎むという1点において、両者の意思は通じ合っていた。

思念獣を発見するまで、己ら聖堂の執行騎士にきり我らインフェルナは、抗じることすら、叶わなんだ。

 懐から取り出した赤い石を割る。赤い粒子が飛び散り、イーロスの剣に“福音“が吸い込まれていく。

若き執行騎士よ。もう一手ご指南いただこう。これでも、インフェルナ軍を率いる戦士。老いたとはいえ、お主のような若造程度――

もういい!

 聖堂の中に大教主――マルテュスとシリスの姿がない。

マルテュスを逃すために、イーロスは、進んで捨て石になった。それがわからないリュオンではない。

あの男は、お前のなんだ?命を捨ててまで守らなければいけない存在なのか?

彷徨える我々インフェルナに、答えを示してくれた男だ。奴がいなければ、ワシらはここまで来ることは叶わなかった。

そして、ワシはもうお役御免だ。ワシの役目は、聖堂の支配を終わらせること。破壊こそが我が役目。

聖皇を斬ったことでそれは成った。男として生まれ、本懐を遂げて死ねることに勝る喜びはないわ!

この後、どのような世を作るのかは、若い奴らに任せる。マルテュスが……いやイスカが、インフェルナを引っ張ってくれるだろう。

あんたが、期待する若い奴らとやらが、聖皇が死んだあとも、生きていられるとは限らんがな。

 イーロスは、背中から貢かれて血反吐を吐き出した。老体を穿ったのは、旋回し、戻ってきた磔剣だった。

聖皇を斬るということは、どういうことか忘れたのか?まさか、知らなかったとは言わせない。

ふふふっ。知っておるわ。エンテレケイアの覚醒が、はじまるのだ。覚醒、それすなわち終末のはじまり……。

だが、マルテュスとワシは約束した。奴が、代わりに聖皇となり、エンテレケイアと契約し、覚醒を抑えると。――ぐはっ!

 鮮血を吐き出し、イーロスは倒れ込む。生命力が尽きかけている。

君は、遠くの方から凄まじい勢いで、なにかが接近してくるのを感じた。

すぐさま、リュオンに急を告げるも、そのなにかは、猛烈な勢いで聖堂の壁を突き破り、君たちの目の前に降り立った。

うわっ……っ、す、凄い衝撃にゃ。

義父さん!

イスカ……か?なぜここに来た?営舎で待っていろと言ったはずだ……。

胸騒ぎがして飛んできたの。義父さんの身になにかあったんじゃないかと思って……。

相変わらず優しい娘だ……。だが、ワシなどに構わず、ここを離れろ。お前には、すべきことがある。

もう喋らないで。傷の手当てが出来るところに連れていってあげる……。

ワシはもう、役目を終えた。老いさらぱえたこの剣を振るう先はもうない。

私まだ、義父さんになにもお返し出来てない……。育ててくれた恩も返せていないのに。

その言葉だけで十分よ……。娘の腕で、死んでいける。そんな幸福があろうか。

イスカ……お前のお陰でワシは宿願を果たせた。だが、お前は、もっと多くの人の希望になる娘だ。

ワシの事はもう忘れなさい。そして、これからは己の力で宿命と戦い、未来を勝ちとってくれ……。

そしてイスカ、どうか幸福をつかんでくれ。お前の幸福、それだけがワシの願い……。

 最期の言葉を終えたとぱかりに、イーロスは大量の血を吐いて。ぐったりと崩れ落ちる。

義父さん!しっかり……。大丈夫、私がここから連れだしてあげるから。

イスカ……彼はもう……。

 老戦士は、娘の腕の中で満足そうに事切れていた。

満たされた生であった、納得いく死であったと、その死に顔が物語っている。

それでもイスカは、イーロスはまだ助かると信じ、外に運びだそうとする。

イスカの前に立ち塞がる影が、ひとつあった。

イーロスを殺したのは、この男だとイスカは直感的に悟る。

あなたが、義父を殺したのね?

 騎士の制服に身を包んだ男。イスカは、これまで何度もその服を目にしていた。

聖皇殺しは大逆の罪。ゆえに審判を経ずに刑を執行した。

 マスクを外す。降り注ぐ星明かりに照らされて浮かび上がる、リュオンの素顔。

湖畔で巡り会い。わずかな時を共に過ごしたふたり。

交わした言葉、通じ合った気持ちは、いまもまだ鮮明な記憶として残っている。

リュオン……あなただったのね。

 なにも言わずにリュオンは立っている。返事がないのが、すべての答え。

イスカは、すべてを悟る。森での遭遇。湖畔での出来事。そして再会。……すべて繋がっていく。

はじめから、リュオンという男は、イスカの正体に気づいていたのだ。

悲しかった。苦しかった。はじめて理解し合える聖域の人に。巡り会えたと胸躍らせたのに。

すべて幻だった。イスカが勝手に思い描いた。都合のいい幻想だったのだとわかったとき――

受け継いだ審判獣の血が、この男を〈悪〉だと判断した。

リュオンの命。奪わなければいけない。義父の無念を晴らさなければいけない。

なぜなら、イスカもまた戦士だからだ。

義父イーロスから受け継いだ戦士としての誇りや覚悟。それらは、優しい少女の骨髄まで浸透している。

あなたと、出会わなければ良かった。




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