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【黒ウィズ】Birth of New Order Story4

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作成者: にゃん
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目次


Story13 〈番外〉団長の悩み

Story14 永久の旅路

Story15 暗幕の向こう

Story16 ラーシャの覚悟

Story17 希望の少女




story13 〈番外〉団長の悩み



 最近、リュオンは悩んでいた。難しい顔をしながら、ため息をつくことが多かった。

相談に乗るぜ?なにが悩みなんだ?

 リュオンは、深いため息と共に悩みを吐き出す。実は、部下の扱いに困っていると――

わかるぜ。おいらも人間だったころに部下がいた。上に立つ奴の気苦労は、わかってやれるつもりだ。

 リュオンは、ぽつぽつ話し始めた。

最近、シリスのこと、ラーシャのこと、そして新しく戦力として組み込んだ魔法使いの事などを……。

魔法使いのことは、大丈夫だ。あいつは、そんなに裏表の激しい奴じゃない。

ちゃんと手をかけてやれば、期待に応じてくれる奴だ。ラーシャとも付き合いは長いから、心配はしていない。

問題は……シリスだな?

 リュオンは、こくっとうなずく。

そして不安そうにため息を吐いて、マグエルのお腹のポケットに手を突っ込んだ。

あうっ!もう……急に手を入れるなよ~。

向こうは警戒しているようだ。どうにかして、心を開かせたい。

 中に入っていたビスケットをつまみ出してほおばる。

お前は努力してると思うぜ。でも、まだ一押し足りないんだろうな。

どうしたらいいと思う?

実は、シリスに関しては、おいらにいい考えがあるんだ。耳を貸せ。

え?リュオン団長が、僕を呼んでるんですか?

ええ。シリスを連れてきてくれって頼まれたの。

急に呼び出しなんて……。なんだか、変な感じだなあ。用事があるなら、聖堂で話しかけてくれればいいのに。

部屋に来て欲しいって言ってたわ。

どうしても来いってさ。

リュオン団長の私室に?ほんとうですか?

(まさか僕が裏で、大教主様の命令を受けているのが、バレたんじゃないだろうな?

誰も見てないところで、僕をこっそり粛清するつもりなんじゃ……

きっとそうだ。いきなり私室に呼び出すなんて、どう考えてもおかしいし……。くそっ、なんでこうなった……)

いますぐ、リュオン団長の部屋に行きましょう。魔法使いさんも待ってるわ。

 ラーシャは、シリスを逃がさないように、腕をしっかりとつかんだ。

(魔法使いさんがいる?もしかして、僕の始末をやらせるつもりか!?

たしかに僕は、魔法に対する知識がない。戦いを挑まれたら、勝敗が読めない。くそっ、そこまで計算しているのか!)

 なんとか逃げようとしたが、ラーシャの束縛から逃れられず、とうとうリュオンの部屋まで連れてこられてしまった。

リュオン、シリスを連れてきたわよ。

さ、シリス。入れよ。

(くっ、僕の命もここまでか……)

シリス。誕生日――

おめでとう!

おめでとう……。

 君も拍手して、シリスを祝う。

……え?

聖堂の記録を見たんだ。お前今日、誕生日だそうだな。

た……誕生日?

内緒で準備してたの。びっくりさせようと思って。

……ケーキを用意した。魔法使いと、一緒に作ったんだ。

 君は、シリスのために用意したケーキを持って部屋に入る。

でかっ!?五段重ね!?結婚式かよ!?

魔法使いが、想像以上に頑張ってくれたんだぜ。

 手を抜くと牢に戻されてしまう可能性があったので、君も必死だった。

シリスは、ほっとしたのと驚いたのとで表情が固まったままだった。

お、この様子じゃ、成功だったみたいだな。じゃあ、みんなでケーキ食おうぜ!

(あんな豪華なケーキを作るなんて。リュオン団長のことが、ますますわからなくなった……)

どっきり誕生会は成功したが、残念ながらシリスの警戒を解くにはいたらなかった。

むしろ、別の疑問を芽生えさせてしまったのであった。



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story



森は暗い。夜行性の鳥が、木の枝にまたがり、鳴き声を響かせあっている。

空は分厚い雲が覆っていた。星の数が少ないことにリュオンは不安を感じた。

ここは、あの蠍型の審判獣と戦った森である。

奴がこの森に戻ってきていないかを、任務の合間に時々確かめに来ていた。

ん?

 胸に忍ばせた殼衣――前の戦いで傑剣で切り取った。敷型の審判獣の一部が、蠢いていた。

持ち主のところに戻ろうとしているのか、それとも単なる偶然か。

リュオンは、森の奥へ進む。そこにあったのは、目にしたことのない光景だった。

冷たい。

 透明な水を手ですくう。冷たさに驚きながらも、その水を口に運ぶ。

光る虫が飛び交い、泉の水面を宝石のように輝かせている。イスカは、この景色が好きだった。

落ち込んだことや、辛いことがあったときは、いつもインフェルナの野営を離れ、ここにきた。

審判獣を止められなかった。私の声……届かなかったなんて。

人間と審判獣が共存して暮らす大地……。こんなんじゃ、夢のまた夢よ……。

ねえ、お母さん。私じゃ無理なのかな?

 心がくじけたときは、死んだ母親が、子守歌代わりに聞かせてくれた唄を思い出す。

イスカは、誰も居ない湖に向かって口ずさむ。

生まれてすぐに生き別れた母との思い出はほとんど残っていないが、この唄だけは、かろうじて覚えていた。

この唄は……。

 忘れ去られた英雄たちへの鎮魂歌だ。

大聖堂の聖楽士しか、知らないような古い唄を、一体誰が唄っているのだろう。

湖のほとりに佇むイスカの姿に気づく。

あの娘が、唄っているのか……?

 聖堂の服ではなく、マントに身を包んでいる。おそらくインフェルナの人間だろう。

ここは聖域ではないのだから、インフェルナ人がいてもおかしくない。

彼女ひとりだ。仲間は居ない。

いくら〈悪〉を裁く執行騎士とはいえ、罪なき娘を斬り捨てるほどの冷血漢ではない。

リュオンは、しばらくイスカの唄に耳を傾けていた。

……誰?

邪魔をするつもりはなかった。珍しい唄が耳に入ったから、誰が唄っているのか気になっただけだ。

 リュオンを見たイスカは、その服装と顔立ちに見覚えがあった。イスカに警戒心が芽生える。

聖域の人が、こんなところにいるなんて珍しいわね。もしかして、インフェルナ人を狩って奴隷にするつもり?

そんなことはしない。俺はただ、唄を聴いていただけだ。

 本当に唄を聴いていただけだろうか?相手は、聖域の騎士だ。警戒心は、簡単に解けない。

勝手に聴かないでよ……。

じゃあ、勝手に唄うな。

それなら、唄を聴いたお礼をください。

J実は私、聖域の人とお話ししてみたかったの。よかったら中のこと、聞かせてくれません?

娘、お前は聖域の生活に興味があるのか?

娘ではありません。私には、イスカという名前があります。

イスカか……。変な名前だ。俺は、リュオン。覚えなくてもいい。また会えるとは限らんからな。

そんなこと、わからないわ。朝食べたものと同じものが、夕飯に出ることなんて、よくあるもの。

それは、お前の生活が貧しいからだ。

んなっ!?それは、その……そうかも……。

でも、食料も資源も……審判獣だって、聖域で暮らすあなたたちが独占している。

だから、だって、私たちは、いつまでも恵まれないん義父さんが言ってたわ。

それは間違いない。この大地は、生まれてくる人間すべてを養えるほど豊かではないからな。

人間は、審判獣の怒りを買わないように、限られた土地で細々と暮らすしかないんだ。

はい、それー。うしろ向きなのは、ダメよ。審判獣にだって心はあるはずだもん。

彼らの怒りを買いたくないのなら、話をしてお互いの理解を深めないと。

 それを聞いてリュオンは、おかしくなってきた。審判獣と話をする……なんてバカことを考える娘だ。

唄に釣られて来ただけだが、とんでもない娘と遭遇したようだ。

審判獣に人間の言葉が通じると思うか?俺たちは、犬や猫とですら会話ができないのに……。おとぎ話は、ほどほどにしておけ。

私あります。お話ししたこと、何回もあります。ついでに、猫ちゃんとも毎日お話ししてます。

そうか。よかったな。

 抑揚のない片言の返事は、完全にイスカをバカにしていた。

だって私は――

 と、そこまで言いかけてイスカは、自分の正体を他人に明かさないように固く口止めされていることを思い出す。

イスカー?どこー?

 遠くからイスカを呼ぶ声が聞こえる。どうやら、迎えが来たようだ。

聖域の入ってやっぱり、意地悪な人ばかりなのね。今夜は、それがわかってよかったです!

 精一杯の強がりを吐き出す。

迎えが来てるぞ。とっとと帰れ。

言われなくても帰るわよ。ん、ベー。

 振り返って立ち去ろうとした。しかし、走り出したとたん木の根に足を取られて。イスカは派手に転んだ。

平気か?

なにが……?べ、別に転んでませんし!

 イスカは顔を真っ赤にしたまま、服に付いた土を払うと、足早に走り去った。

リュオンは、その背中を見つめながら懐の中でなにかが蠢いているのを感じる。

蠍型の審判獣と戦った時に切り捨てた殻衣の一部……。

まさか……。



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story





第4の聖堂は、リュオン騎士団長率いる執行騎士たちの活躍で救われたとの報告を受けておる。

審判獣ティアマギスは活動を停止し、反乱軍は、尻尾を巻いて逃げ去った。すべて、諸君らの活躍のお陰だ。

静謐この上ない大聖堂の広間。

居並ぶ高位の聖職者たちの前で、リュオンは冷たい氷塊のような気配のまま、じっと傅いていた。

……。

諸君らの活躍は、聖皇様もお喜びになられている。だが、反乱の芽は、いまだ潰えたわけではない。

今後も、聖堂と聖皇様のために、力を尽くしてくれることを願っている。

そのことについて、一言よろしいでしょうか?

構わん。発言を許可しよう。

執行騎士サザはすでになく、先の戦いで第4聖堂も瓦解し、あの場所は、戦略的価値を失いました。

反乱軍が、この聖都〈サンクチュア〉を目指そうと思えば、それを遮る要害は、なにもございません。

わかっている。聖皇様の身に大事が起こるようなことがあれば、騒ぎは、ティアマギスの比ではない。

聖典にあるとおり、この大地は、7日のうちに滅びるだろう。

そのためにも、早く新しい執行騎士を選ばねばと思っているのだが、ほらこのとおりだ。

 無数の若い騎士候補生の死体が、聖堂内部に投げ込まれた。

彼らは、執行騎士に選ばれるための最終試験で、脱落した若者たちだった。リュオンは、感情を殺して彼らを見つめていた。

当分は、君たちに頼るしかない。ご苦労なことだが、どうか聖堂の民と聖皇様のためにも、ここは頑張って貰いたい。

 リュオンは、大教主に対する100を超える反論、苦言、謹言、罵倒、。その他すべてを飲み込んだ。

大教主の権限は絶大であり、この場においては、聖皇の代理人と言っても。差し支えない立場にある。

リュオンは口を閉ざしたまま、その場を辞するしかなかった。


 他の聖職者たちも去ったのち、ひとり残った大教主の前にシリスが現れた。

……御用でしょうか?

審判獣と同調を進めたらしいな?

はい。ティアマギスを止めるためには、必要なことだと判断しました。

 大教主を目の前にしたシリスの態度は、いつも以上に表情が硬く、言葉数も少なかった。

シリスの父と兄は、過去聖堂のやり方に背いて処刑された裏切り者だった。

その処刑の命を下したのは、他でもないこの大教主であった。

ゆえに彼を前にすると、あの処刑場での恐怖が、シリスの中で蘇ってしまい、普段通りではいられなくなる。

ふふふっ。そう固くなるな。お前を責めているのではない。

 肩に触れた。息子をあやすような優しい手つきだった。それだけで、シリスのざわめく心は。落ち着きを取り戻した。

教えてくれ……。リュオンたちは、あと何度、己の審判獣と同調できると思う?

奴らが使い物にならなくなったら、また替わりを見つけねばならん。そのためにも、知っておきたいのだよ。

わ……わかりません。ですが、できてあと数回。もし、ティアマギス級の審判獣が相手なら、1回が限度の可能性もあります。

いまは、リュオン団長よりも、ラーシャさんの状態が深刻です。先の戦いで2度、同調を行っていますから。

 大教主は、なぜか笑顔になった。

そうか。第4聖堂と同じ危機が、再び起きないように、祈るしかないな。

は……はい。

 シリスは、父と兄を殺されたトラウマに、ずっと苛まれつづけていた。

それに気づいた大教主は、シリスを己に忠実な手駒とすべく、聖堂の戒律には逆らわないよう、精神的な調整(・・)をほどこした。

その上で大教主は、リュオンたちの監視役としてシリスを利用していた。

リュオンめ……こちらのやり方に不満げな様子であった。もし奴が反乱軍と通じ、聖堂を裏切ることがあれば、わかっているな?

はい……。そのような兆候があった場合、大教主様にすぐにご報告します。万が一の場合、戒律に従い、僕がリュオン団長を殺します。

ふふっ。敬虔な信徒であり騎士でもあるシリス。お前は私にとって息子同然の存在だ。これからも、期待しているぞ。

 去って行く大教主。シリスは頭を下げて彼の姿が消えるまで見送った。

(……何が息子だ。僕のことなんて、虫けら程度にしか思っていない癖に。

いまはリュオン団長の監視役として役に立つから僕を生かしているだけで、その役割を失ったら僕もどうなるか。

他の多くの間者たちと同じように僕も用済みになったら、使い捨てられてしまう。その前に、あいつをなんとかしなきゃ……

でも、どうしたらいい?戒律に背けない執行騎士の立場では、聖職者には手が出せない。僕には、どうすることもできないのか……?)

 過去何度も頭の中で想像した。大教主を殺す瞬間を。

しかし、戒律に忠実であれという執行騎士の原則が、シリスの心を縛りつけていた。

シリスは、聖堂の戒律という鎖で全身を固縛されているも同然。

それを破壊する反骨心は、大教主の洗脳によって、すでにへし折られていた。


 足音が近づいてくる。リュオンが来てくれる時間だと君は思った。

任務以外は、ずっと牢にいる君が暇だろうと、リュオンはいつも決まった時間に、本を持って訪れる。

彼が読んでくれるのは、この聖域の民なら、みんな知っている聖典の一説――。過去審判獣と戦った英雄たちの話だった。

話を聞かせてくれた代わりに、君はこれまでの旅で経験したことを、リュオンに聞かせてあげた。

来い、魔法使い。任務だ……。

 いつになく、重苦しい表情だった。

断れる立場にない君は、リュオンに命じられるまま牢から出た。

君を連れて聖堂を出るまでの間、リュオンは、一言も喋らなかった。


 ***


 大聖堂〈サンクチュア〉へとつづく街道。

この道は、聖域で暮らす資格を得るために聖都へ向かう旅人が、日頃から頻繁に行き交っている。

だが、今日に限っては、荒野の乾いた土の香りに、死の匂いが混ざっていた。

その異形(・・)は、自分がなぜここにいるのか、なんのためにいるのかも知らない。

あるひとつの衝動に突き動かされるだけの無我な獣。

殺して……。誰か……私を殺して……。

 異形の願いはただひとつ。それは、死による救済。

赤く透き通った液体が、異形の頭部から流れ出した。それは、人でいう涙だろうか?

景色を血の色に染める赤い夕日は、なにも答えず。ただ、世界を赤々と照らしている。


もう、これだけしかないのね。

 執行器具とラーシャの手を繋ぐ鎖は、第4聖堂での戦いを経て、以前よりもかなり短くなっていた。

それだけ、審判獣ハーデスとの同調が、進んだ証しである。

鎖がなくなり、執行器具と私が完全同調した時、私という存在は、この世から消えてなくなる。

サザは、こういう時、どうしたらいいのか教えてくれなかったわ。彼が生きていたら、なんと言ったかしら?

 ラーシャは、銀色の指輪を取り出す。それはサザが、生前ラーシャに渡したものである。

どういうつもりで指輪など渡したのか、いまでもラーシャにはわからない。

人を混乱させたまま、理由を告げることなくサザは死んでしまった。憎らしかったが、とても彼らしいとも言える。

私と共に生きたい……そう言いたかったの?

 執行騎士が、そんな人並みの幸せをつかめるはずないのに。

指輪は指輪。ただの物質だ。持っていても、サザが蘇るわけでもない。

それでも、その指輪を見るとサザとの思い出が蘇って胸が切なくなる。

……あなたの代わりに戦いつづける。それが私の進む道。あなたもそれを願っている……。そうよね?

 街道を行き交う聖職者や信徒たちが、全力で駆け戻ってきた。

彼らの蒼白な顔。背後の土煙を見て、なにが起きたのかを理解した。

リュオンが懸念した大聖堂へとつづく街道は、反乱軍の進軍を遮る要害は、ひとつもない。

インフェルナ軍が押し寄せるのは、時間の問題だった。

私がここを守るわ。あなたたちは、退避して。

zしかし、ラーシャ様。おひとりでは……。

無茶は覚悟の上よ。あなたは、聖都に駆け戻り急を告げてくれる?

zは、はい……。必ず、執行騎士の方々をお連れいたします。どうか、それまでご無事で!

サザ……あなたの代わりにインフェルナの兵をひとり残らず、斬ってご覧に入れるわ。あなたは、そこで見てて。

 土煙を上げながら、軍勢が大挙して押し寄せる。

ひとり、街道を守るラーシャは、まるで濁流に呑まれる直前の木葉のように儚くみえた。


 老戦士イーロスは、インフェルナ軍を率いる戦士である。

聖堂の支配を憎み、虐げられるインフェルナの状況に怒りを感じ、それを力に変えて戦ってきた。

大聖堂を陥落させねば、我らの勝利とはならぬ。なんとしても、大聖堂への道を切り開くのだ。

 イーロスの右腕は、義手だった。

片腕を失った理由については、親しい人間にも教えていなかった。

大聖堂へ至るこの道のり……。あまりにも懐かしいわい。まさか、この地に帰ってこれるとはな。

ここまでインフェルナ軍が進めたのも、イスカのお陰よ。あの子は、まさに天がワシらを救うために与えた子だ……。

 かつてイーロスは、聖堂を守る執行騎士だった。リュオンたちが生まれる、遥か以前の時代の話だ。

しかし、聖堂のやり方に疑問を抱き、執行騎士であることを辞め、インフェルナ軍に加わった。

右腕は、執行騎士を辞める代償として置いてきた。

元気そうね。インフェルナの老いぼれ戦士。でも、ここは、大聖堂へと至る道よ。武装した兵が、侵入していい場所じゃないの。

執行騎士ラーシャ……。その身を審判獣に挿げてまで聖職者たちを守るつもりか?やめておけ、奴らはお前を利用しているのだぞ。

私は執行騎士よ。その役目から逃れたいと思ったことは、一度もないわ。

 鎖で繋がれた首狩りの鎌が、軽い金属音を立てた。

聖堂が、審判獣を制御するために福音という物質を精製していることをお前は知っているな?

 福音のことは聞いている。ただそれを扱うのは、聖職者たちだけであった。

福音の元となっているのは、連れ去られたインフェルナ人の魂だ。

動物のように狩られ、そして殺され、その魂を審判獣に挿げられる……。

それによって、かろうじて聖域は、審判獣の怒りを買わずに存続できているのだ。

 それがイーロスが、執行騎士時代につかんだ真実。

そして聖職者たちのために戦うことを辞めた理由でもある。

……口が上手ね。剣よりも、舌の扱いの方がお得意かしら?あなた、そんな人だったかしら?

 ラーシャの命を受けた首狩りの鎌は、鎖という動脈から流れ込む意思を受け取り、動く――

老戦士の皺首を狩ろうと、くろがねの刃は、鎧の隙間を狙って、切っ先を突き立てようとする。

我々インフェルナを甘く見ないことだ。晶血片の採掘方法が確立され、我々は、思念獣を思いのままに利用する技法を得た。

我が熟達した剣技。お主のような小娘には、受け止められまい。ここまでだ。観念せい。

あなたこそ、老衰で果てる前に本物の審判獣を拝んでから逝きなさい。

なぜだ?なぜ、そこまでして聖堂のために戦う?

理屈なんてどうでもいいのよ。私はただ死んだ仲間が守ろうとしたものを守りたいだけ――

 サザが命を賭けて守ろうとた聖域の民。そして、彼の意思を受け継ぐ若き執行騎士――

リュオン、シリス。魔法使いさん……。あなたたちのことは、私が守ってあげるわ。

 相対するのは、かつて聖堂を守り、いまはインフェルナを率いるうちのひとり。

この男を倒せば、インフェルナ軍の攻勢が鈍ることは必至。執行騎士としての面子と命を賭ける理由は、十分ある。

(サザ、あなたも最期は、こんな晴れやかな気分だったのかしら?)

 ラーシャはようやく見つけた気がした。

執行騎士という立場を超えてでも、守るべきものを。つかむべき信念を。騎士でありつづける意味を。

そして、サザは、かつてそれを“正義”と呼んでいたことを、ラーシャは知らない。

審判獣ハーデス。汝、契約に従い、これが最後の同調よ。我に力を与えたまえ――



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story



 大地はインフェルナ兵の死体で埋めつくされていた。

無数の骸は、すべて聖都〈サンクチュア〉に頭を向けたまま倒れている。

そろそろか……。他の執行騎士をおびき出せなんだのは残念だが、内通者を忍ばせるための陽動としては役に立ったはず。

本番は星蝕の夜じゃ。ここで命は落とすまいぞ。


 血だまりと骸に囲まれた審判獣ハーデス。赤黒い血にまみれた鎌をぶら下げ、その異形な様を天地の狭間に晒している。

老戦士イーロスと戦い、インフェルナ軍をたったひとりで退け――。執行騎士としてのあり方を示した。

しかし、道連れにして、共に果てるつもりだったイーロスは巧みに難を逃れ、戦場を離脱した。

戦いが終わり、ラーシャは気づく。

どこにもないの……。大切だった思い出が……。

 戦には勝利したというのに、ラーシャの心中は、絶望に満ちていた。

3度目の同調――そのお陰で、イーロスの思念獣が宿る武器など敵ではなかった。

だが、ラーシャの心は、同調のつど、審判獣ハーデスに蝕まれていた。

気が付いたときには、すでに記憶が、私の中から抜け落ちていた。

輝かしかった過去の思い出が……。あの人との温かい記憶が……。

 いくら記憶の糸をたぐっても、サザと過ごした騎士候補生時代のことは、思い出せない。

サザと過ごした修行の期間。あれは私の宝物だった。

それだけじゃない。あの人に救ってもらった最終試験での出来事も、そのあとのことも……。

 断片的な記憶しか残っていない。消えた部分は、審判獣ハーデスに持って行かれたのだ。

私の大切なものを返して……。それが無理なら、殺して。あの人との記憶を失った私なんて、空っぽ同然よ……。

 赤く透き通った液体が、異形の頭部から流れ出した。それは、審判獣ハーデスの涙だった。


まさか、リュオン団長。ラーシャさんを助けに行くつもりですか?

まさか、彼女は、とはなんだ?俺たちにとって必要な戦力だ。

助けたい気持ちはわかります。でも、記憶と人格を審判獣に食われたラーシャさんは、もう別の存在です。

あの審判獣が、聖域を攻撃する前に、僕たちで討伐するべきです。それが、執行騎士の使命なんですから……。

そりゃあ、僕だってラーシヤさんをここで失いたくないですよ。だけど……もう、無理なんです。

無理かどうかは、まだわからない。そこをどけ。

 リュオンは、磔剣を審判獣ハーデスに向かって投擲する。

攻撃を受けて、審判獣ハーデスは咆吼をあげながら、外敵に向かって威嚇する。

そこにラーシャだった頃の面影はない。心まで、審判獣と同調してしまったのかと君たちは、絶望的な気持ちになる。

俺の言葉が問こえるか?

(……殺して。私を……どうか、サザのところに送って……)

 審判獣ハーデスの鎌が動いた。しなる鎖が、湾曲した刃に勢いを与える。

俺は、〈善〉の刻印を持つ聖堂の騎士。審判獣に断罪される対象ではない。鎮まれ!

 孤高なる悲鳴。ハーデスが雄叫びをあげ、大気が震動した。

俺は、まだるっこしいのは嫌いだ。話を聞かないなら、力尽くで鎮めてみせる!

 ハーデスの頭部に光が凝集していく。君は、とっさに危ないと叫んで、リュオンを助けに向かう。

光が放たれる直前、君は機転を利かせて、リュオンに向けて魔法を放った。

リュオンが吹っ飛ぶ。

強引な方法だが、あの光の直撃を喰らうよりは、傷は浅かったはず。

ぐっ……。魔法使い。懸命な判断だ……。だが、お前は手を出すな。

サザが死に、道を示してくれるものは、お前(ラーシャ)だけになった。もし、いなくなったら、俺は道を見失うだろう。

 両腕の鎌は、リュオンの首を狩りとるために動きはじめる。やはり、いまのラーシャに言葉は届かない……。

刹那のひと振りが、リュオンの首筋目がけて振り下ろされる。

リュオンは、それを避けない。ラーシャに己の言葉が届くはずだと。殺されるまで信じ抜くつもりらしい。

君は魔法を放ち、審判獣ハーデスの動きを止める。その間にシリスが、リュオンを助け出した。

もうやめてください。それとも、自殺願望でもあるんですか?いやだなあ、そんな人の部下だなんて……。

あの中には、まだラーシャの気配が残っている。

……諦めましょう。ラーシャさんは、もう戻ってきません。

みずから審判獣になることで、ラーシャさんは、見事に執行騎士としての役目を果たしたんです。その決意を尊重してあげましょうよ。

……俺は諦めない。ラーシャまで死なせてなるものか。

いい加減にしろよな!あんたまで死んじまったら、執行騎士は、俺ひとりになるだろうが!

なにが大事なことなのか、分別つけられない団長じゃないだろ!?

 いつも感情を表に出さないシリスが、めずらしく激昂している。感情的だが、言ってることは正しい。

俺ひとりに残りの厄介ごと全部押しつけて、自分は、のうのうとあの世で楽して生きようだなんて……そんなの認めないからな!

 シリスの言葉に打ちのめされたように、がくっと、リュオンの肩から力が抜けた。

……無理なのか?またしても俺は、仲間を失うのか?

そんなの、あんたが一番わかっているはずだろ。言わせんなよ……。

 リュオンは、感情を断ち切るように目を閉じる。涙こそ流していないが、君の目には、泣いているように見えた。

すまない……サザ。やはり、俺にはあんたの代わりは務まらなかった。

 背後に感じたもうひとつ別の気配によって、リュオンの表情が変化した。

審判獣の悲鳴が、問こえてきた……。救いを求めているように、私には聞こえたの。

 蠍型の尻尾を持つ審判獣の少女。以前戦った、リュオンたちの宿敵。

なぜ、ここにいる――?

淀んだ空が、赤い夕日を覆い隠そうとしている。まだ夜は来ないで欲しいと、君は願った。


 ***


前門の虎、後門の狼ですか。厄介な状況になりましたね。

 シリスたちは、すぐさま戦闘態勢を取った。リュオンも憎い仇を目の前にして、顔つきが変わっていた。

奴ひとりか?インフェルナ軍と離れて行動しているわけではあるまい。魔法使い、周囲への警戒を怠るな。

孤独に嘆く審判獣よ。あなたの哀しみを私にわけてください。ひとりで苦しむ必要はありません。

私は、あなたと哀しみを分かち合いたい。心を通わせたいの。

 蠍型の審判獣は、リュオンたちの脇をとおりすぎ、審判獣ハーデスに近づいていく。

やっぱりあの蠍型の審判獣は、人の言葉を喋ってる。こんな審判獣は初めてだ。なんなんだ、こいつは。

 蠍型の審判獣は、ハーデスに呼びかけをつづける。

(声……。誰なの?声が聞こえる……。私の言葉……聞こえるの?)

 最初は抵抗を見せていたハーデスだったが、徐々に殺気を封じ込めていく。

……あなたは、人間に殺して欲しいの?なぜ?どうして?好きだった人との記憶を失ったから?

 人間にとっては畏怖の対象。

だが、同じ審判獣であるあの少女にとって審判獣とは、心を通わせる相手のようだ。

イスカの言葉……それも、なにげない素朴な言葉が、審判獣に通じていた。

君は願った。もう一度、ラーシャが元の姿を取り戻してくれることを。

そのためならば、今だけは、審判獣の少女を応援したかった。

審判獣同士が会話するなんて……。こんな光景、初めて見ました。

 審判獣にも心というものが、あるのかもしれない。そう思わせてくれた。

君たちは下手に手出しすることもできず、審判獣同士が話し合う神話じみた景色を、ただ、遠くから眺めるしかなかった。

あ……。話が終わったようですよ?

 審判獣の少女が離れた。その直後、ハーデスが光を放つ。

光がやみ、その中から現れたのは、ラーシャだった。元の姿に戻ったのだとわかり、君たちは駆け寄る。


悪い夢をずっとみていたみたい……。もしかして、これもまだ夢の中なのかしら。

違う。これは現実だ。まずは、人に戻れたことを喜べ。

リュオン。それにシリス、魔法使いさん……。

 3人の仲間のことは、いまだに覚えていた。

しかし、ラーシャの心には穴が開いていた。自分の半身ともいえるあの男との記憶が、抜け落ちている。

私……嫌なの。あの人のことを忘れたまま生きていくのが……。だから、死にたかった。誰かに殺して欲しかった。

サザのことを忘れたのなら、俺が、一から教えてやる。あいつが、俺たちになにを教え、なにを残してくれたのかを。

ありがとう……。あの人は、まだあなたたちの中で生きているのね。

まさか、死んでいるとでも思ったか?

私の中には、もうわずかな記憶しかないわ。死んでるも同然よ。

 ラーシャは笑って首を振った。一筋の涙が、静かにこぼれ落ちた。

あなたたちがいなくなれば、あの人を思い出せる人は、もういなくなるのね。

リュオン、シリス。あなたたちは生きて。私より先に死なないで……。絶対に。

 俯いた顔に影がかかる。空っぽになった記憶は、もう戻ることはない。

ラーシャは、死んだ男への惜別の涙を流す。それは、彼女の中で、サザ・ヤニタが二度死んだ瞬間だった。

 気がつくと蠍型の審判獣は、どこにもいなくなっていた。

僕にはわからないな……。あいつは僕らの敵だったんですよね?

 リュオンは、赤い空を見つめる。陽が沈もうとしている。陽が沈んだのち、月が夜を支配するだろう。

もし、太陽を失えば、この先もずっと夜がつづくことになる。

夜……。リュオンは、湖畔で出会った少女イスカのことを思い出していた。





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