【黒ウィズ】Birth of New Order 前日譚
Birth Of New Order (バースオブニューオーダー)
story
大地で暮らす人間たちには、ふたつの人種がいる。
保護された安全な聖域の中で暮らす人々と、聖域の外で暮らす人々のふたつである。
聖域で暮らす資格を持つもの――それは、審判獣に。〈善〉と審判されたものたちである。
「この大地の支配者である審判獣を祀った聖堂と聖域を守る志を持った、優秀な騎士候補生たちよ。
これまでの厳しい試験、よくぞ乗り越えた。
いよいよこれから、最後の試験を君たちに課す。
審判獣が下した判決を執行する――執行騎士に認められるかどうかは、この試験の結果次第だ。」
居並ぶ騎士候補。
聖域で暮らす若者の中から選抜された、聖域を守る覚悟を持って集った者たち。
その中にひとりの若者がいた。他の候補生の陰に隠れるような位置で、力を抜いて立っている。
だが、目つきだけは、どの候補生よりも鋭かった。
「リュオン。君が最後だ。試験場の中に入るがいい。」
「ああ……。」
リュオンが騎士を目指したのは、聖都にいる聖職者たちが偉そうにしているのが許せなかったからだ。
それだけの軽い気持ちで、騎士を目指すことにしたリュオンだったが、その道のりは想像以上に厳しかった。
厳しい訓練を共に乗り越えた候補生の仲間たちは、同じだけの汗と涙を流した同志。
天涯孤独のリュオンにとって、いまや彼らこそ、家族同然の存在だった。
大聖堂の最深部に足を踏み入れる。ここへ来るのは、はじめてだった。
ここは聖職者の中でも、高位にある者しか入れない。神聖な空間だと聞いている。
「……ひとりずつ、試験を受けるんじゃないのか?」
リュオンを含めた10人の候補生たち全員が、揃っていた。
「これより君たちには、最後の試験を受けてもらう。試験といっても、やるべきことは簡単だ。」
どこからか、大教主の声が降ってきた。
「この奥にある審判の間にたどり着き、審判獣と契約すること。それで試験は終わりだ。
ただし、審判獣は1体しかいない。つまり、試験を通過できるのも、ひとりだけとなる。」
候補生たちは、顔を見合わせる。
試験に受かるのが、ひとりだけならぱ、残りの9人は、どうなるのだろうかと誰もが思った。
「奥へとつづく扉は、最後のひとりになるまで開くことはない。
ここまでたどり着いた君たちだ。あとは、言わずともわかるな?」
「……なるほど。」
「聖堂を守護する執行騎士に求められるのは、強靭な精神力と鋼の肉体を持つ者だ。
共に汗を流した仲間を躊躇わずに殺せる心の強さを示したものだけに審判獣ネメシスは、微笑むだろう。
それでは、諸君の健闘を祈る。」
………なにが心の強さだ。悪趣味な方法で、忠誠心を試しているだけではないか。
大教主が求める執行騎士とは、自分の言葉に従う従順な者のこと。
この状況をにやついた顔で眺めている大教主を想像し、リュオンは吐き出しそうになった。
その間に、他の候補生たちが、この中で一番剣技が劣っている者に斬りかかっていた。
血が飛び散り、まず最初のひとりが試験に敗れて絶命した。
「お……お前が悪いんだからな!?」
それが開幕の合図だった。
残る9人の候補生は、仲間だった者たちに剣を向けはじめた。
………………。
…………。
……。
「どうやら、君に決まったようだね?おめでとう。」
「……ああ。」
リュオンは、9つの死体に囲まれている。
表情は虚ろ。視線は、死んだばかりの仲間の亡骸を見下ろしていた。
「君はこれから、聖堂の守護者となる。早く奥へ行き、審判獣と契約を交わしたまえ。」
「その前に……あんたも、仲間たちのところに行ってもらう。」
血塗れの剣を振り上げる。大教主マルテュスの首元に。剣を突き立てようと踏み出した。
しかし、剣先は届かない。彼の部下が、一斉にリュオンを取り押さえていた。
「離せ……。」
「私に剣を向けるということは、私を悪だと断罪したいわけだな?
それは、重大な戒律違反だ。我々人間に、善と悪を判断する権利はない。
善か悪かを決めるのは、我々、人間ではなく――審判獣だ。
審判獣が、私を悪だと判断した時だけ、その刃を私に向けて良い。これが、我々の戒律だ。
私に剣を向けた事に関しては、そのうち天より沙汰が下るだろう。
さあ。早く、審判獣ネメシスの元へ向かい、契約を済ませるがいい。これより、お前は聖域が誇る執行騎士だ。」
死んだ仲間の亡骸が眼に映る。微笑を浮かべる大教主の表情との対比が、憎悪を掻き立てた。
リュオンの目に灯った暗い炎は、憎しみの怨嵯となり、心の内側で燃えはじめる。
(いつか天が沙汰を下す――そのとおりだ。いつかお前の頭上に、鉄槌が振り下ろされる。
俺は、それを見届けるまで死ぬことはないだろう)
story
大聖堂が聳え立つ聖なる山。
降り注ぐ陽射しが、虹のように重なりあって、山道を照らしている。
若い母親がひとり、息を切らせながら、麓に向かってひた走っていた。
腕の中には、生まれたばかりの赤ん坊がいる。強い子だ。泣きもせず、じっと母親に抱かれていた。
「こっちだ……。待っていたぞ。」
傷を負った義手の男が、木陰から姿を現した。
「その娘が、例の血を引く娘なのだな?」
生まれて間もない娘を抱いた母親は、しかとうなずく。
「見た目は、どうみても普通の子じゃな。この愛らしい娘に審判獣の血が流れているとは、到底信じられぬが……。
ともあれ約束だ。この子は、インフェルナでしかと育てよう。」
一本の矢が、母親の肩を貫いた。悲鳴。鮮血が、赤ん坊の顔に飛び散る。
「あそこにいたぞ!」
聖堂が放った追っ手だ。
母親は、赤ん坊を託した戦士イーロスに向かって、先に逃げろと告げる。
「そなたも共に来い。奴らに捕まれば、命はないぞ。」
母は、答えない。ただ、娘に向かって愛情のこもった優しい目を向けるだけだった。
最愛の娘イスカは、無垢な笑顔を見せて、それに答える。
未練を吹つ切ると、母は追っ手の前に飛び出し、己の身体を差し出した。
みずから捨て石となり、娘が逃げる時間を稼ぐつもりだ。
「戒律を破り悪と審判された者どもめ!ここまでだ!観念しろ!」
傷を負った今の身体では、母は救い出せない。ゆえに非情な決断を下すしかない。
聖職者たちの目が、母親に逸れた隙に、イーロスは赤子を抱いて麓へ駆け出した。
背後から聞こえる、イスカの母の無残な叫び声は、イーロスの良心を責め立てた。
「すまぬ……。すまぬ……。いまのワシの力では、預かった赤子を逃すことしかできぬ……。」
母親の悲鳴は、やがて小さくなり、そして消え失せた。
「この赤ん坊こそ、天より授かった我らの希望。
必ずやこの子をインフェルナを率いる戦士に育てあげてみせよう。」
母と引き離されたというのにイスカは、声一つあげることなく、爛々と光る目で、空を見つめていた。
***
空が暗いのは、インフェルナの民の嘆きが、天に集まっているからだと誰かが言った。
「多くの彷徨える魂に、安らぎが訪れますように。」
「祈りか……。」
「死んだ人の魂が、まだここに残つているような気がしたの。」
イスカは、クロッシュの戦支度に気がつく。
「出撃だ……。」
聖職者たちの奴隷狩りが、この先の村で起きているとの情報が入った。
「見過ごせん……。」
「彼らは、私たちインフェルナ人を〈悪〉と断罪し、聖域から追い出しただけでは、足りないというの?
どうして私たちは、インフェルナなの?聖域で暮らす人たちと、なにが違うの?
「違うところなんてないよ。
聖堂がそう決めただけなの。あたしたちは〈悪〉だって。ただ、それだけ。
「人に……善も悪もない。
ただ、理不尽な現実がある……。」
「理不尽な運命に立ち向かわなければ、この先も、聖堂の間違った支配はつづく……ってクロッシュ兄は言ってるみたい。」
「俺たちは……戦う。」
イスカは、人と争うことを好まない性格だった。
だが、インフェルナという過酷な状況に置かれた人々と暮らし、その一員として生きていくうちに。
己の生きている世界が抱える〈歪み〉に気づいてしまった。
「イスカの血……。
特別な力だ……。」
「お前は、インフェルナの誰も持っていない、特別な力を持っている、って言ってるわ。」
「決めろ……。」
「それを使うかどうかは、イスカ次第。イスカが決めたらいい……だって。」
「……。」
「イスカが戦わなくても、あたしたちはイスカの分も、聖堂と戦う。だって、インフェルナの戦士だもん。」
「いえ、もう心は決まってるわ。私も戦う。もう、みんなに守られるだけは嫌なの。一緒に連れていって。」
「覚悟はあるのか……?」
「戦場は危険なところだ。殺されるかもしれない……逆にお前が人を殺すこともあるだろう。その覚悟はできているのか?だってさ。」
「出来てるわ……。虐げられたインフェルナの人々を解放するために、私が、みんなの希望になる。」
「イスカが、一緒に戦ってくれるなら、心強いよ。よかったね、クロッシュ兄?」
「ふっ……。」
「イスカと共に戦えて嬉しいってさ。」
「改めてよろしくね。メルテール、そしてクロッシュ兄さん。」
イスカは空を見上げた。
母との別れの際も、こうして母の顔を仰いでいたように記憶している。
「お母さんとお父さんから受け継いだ、この身体に流れる特別な血。いままでは、怖がることしかできなかったけど。
でもいまは違う。……眠れるもうひとりの私よ。我が心内で醒覚へと至れ――
我が名は、審判獣アバルドロス――
欺瞞に覆われた聖堂の使徒よ。あなたたちの間違った裁きは、私が覆してみせる。
我が力は、不条理にも〈悪〉の熔印を押されし、ものどもの怒りと知れ。」
半身が異形なものへと変化した。それは、イスカに宿る審判獣の血によるもの。
人の血を持ちながら、半審判獣という特別な存在となった少女イスカの戦いは、これよりはじまる。