【黒ウィズ】ドルキマスⅢ Story5
目次
story13 ホラーツ提督の決断(絶級)
ほら、ここに入ってるだけ、好きに持っていきな。
貴重な食料をわけてもらって、感謝いたします。これで、部下たちを飢えさせずにすみます。
いいってことよ。本来なら、前線で戦っているあんたたちに優先的に補給物資をまわすべきなんだがねえ……。
本国との連絡路が繋がり、ようやく補給も再開されたと聞きます。もうすんだことです。
国境付近の鉄機要塞での攻防において、対ドルキマス連合軍の敗北が、大陸中に伝えられたのとタイミングを同じくして――
補給遅滞の責任を取らされた担当官が、ドルキマス王都で処刑されていた。
補給の遅滞は、担当官の怠慢が招いたものだとアルトゥール王が一方的に処刑の命令を下したと言われている。
無益な血が流されたのち、ドルキマス本国からの補給は、ようやく再開の運びとなり、少しずつ前線に補給が行き渡りはじめた。
あんたも変わったな?元帥閣下の副官だったころとは別人のようだぜ。
むしろ、これまでの私は、甘ったれた小娘にすぎませんでした。前線に立って、それを思い知りました。
いまは部下の命を預かる身です。いつまでも小娘でいては、ついてきてくれる部下たちが可哀想です。
偉い!あんた偉いよ!うちのところの小娘は、いつまでたってもお転婆娘のままなんでね。
いまの言葉、聞かせてやりたいぜ。
ほう? その小娘とは、誰のことだ?
え”っ!?中将閣下、聞いていらしたんですか?
当たり前だ! ここは私の艦だぞ!それよりも、全艦発進準備!出撃だぞ!
出撃ですか?今度は、どこと戦うんですか?
もちろんイグノビリウムだ!とにかく、さっさと出撃の準備をさせろ。
了解っと。じゃあな、ローヴィ・フロイセ大尉。
はっ、失礼します!オルゲン少佐(・・)。
王国暦545年。白い花が咲く月の13日。
イグノビリウムの残党が、旧グレッチャー連邦国南方に再度戦力を集結させているとの報告が入った。
ドルキマス空軍は、それを叩くべく次の戦の準備に取りかかっていた最中、その報は飛び込んできた。
ホラーツ提督率いるドルキマス第2艦隊が、突如、後方連絡路を遮断し、ふたたび前線への補給路を断ったとの連絡が入る。
それだけでなく、ホラーツはアルトゥール王を奉戴し、ドルキマス軍の統帥権を掌握。
ディートリヒと彼が率いる第3艦隊の《追討令》を布告した。
これは、ホラーツ提督の謀反だ。我々こそがドルキマス軍である!
だが、国王陛下を戴いているのは向こうです。アルトゥール陛下が、こちらを正規軍として認めないというのなら……こちらは賊軍です。
状況はともかく、なぜいきなりホラーツが、ディートリヒに背いた?
ディートリヒ周辺の将校たちの間に、その疑問が大きく横たわっていた。
ベルク元帥。イグノビリウムは、ひとの精神を乗っ取ると言います。そのせいでは?
理由はどうであれ、アイスラーと陛下は私を裏切った。見過ごすことはできんよ。
参りましたね……。まさか、こんなことになるとは。
イグノビリウムとの戦も、連合諸国との戦いもまだ終わっていないのに、またもや新たな敵が現れた。
部下の前で感情を見せる男ではないが、ディートリヒは、間違いなく危機的な状況に置かれていた。
常勝不敗と謳われたホラーツ提督と、無敵の元帥閣下が戦ったらどちらが勝つんでしょうね? 興味深いことではありますな。
戦争はやってみなければわからん。そして現状では、こちらが圧倒的に不利だ。
現在、ディートリヒの指揮できる艦隊は、クラリアの第3艦隊しかない。
エルンスト率いる第4艦隊は、鉄機要塞で艦隊の戦力を整えており、すぐには動けない。
そのうえに、連絡線が分断されているため、合流は不可能。
ユリウス率いる第1艦隊は、アルトゥールの要請により、ドルキマス本国に帰還させている途中だ。
そして対ドルキマス連合軍は、この機会を待っていたとばかりに艦隊を派遣し――
ホラーツの第2艦隊との合流を試みている。
もし、合流されてしまえば、それこそ手が着けられないくらいの大艦隊となる。
まずは、敵の意図を挫くことですな。合流前にどちらかを早めに潰せば、敵の戦略を頓挫させることができます。
ディートリヒたちが生き残るには、ホラーツを叩くか、合流される前に連合軍の艦隊を叩く、そのどちらかしかない。
だがそれは、難しい判断だった。第2艦隊のホラーツは、ディートリヒの手のうちを知り尽くしている。
アイスラーは、愚将ではない。勝算があるからこそ陛下を戴いてこちらに刃向かうことを決意したのであろう。
机上に置かれた地図をじっと眺める。
いつもの癖で、手袋の端を咥えながら、細かく唇を動かしていた。
ディートリヒは、すでにどの艦をどの経路で動かすかの算段をはじめていた。
ディートリヒは、奇策を弄して奇跡的な勝利を収めるだけの指揮官ではない。
むしろそれは、元帥としてのー面にすぎない。
ディートリヒがディートリヒであるゆえんは、艦隊の運営能力の卓越した才能である。
どの艦をどの速さで、どこまで動かせば、どのぐらいの時間に到着できるかを完璧に計算し――
空域の気象と、艦の性能、そして艦を操縦するものの能力――
これらすべてを把握し、精確緻密な命令を下すことにより、勝利を力づくでたぐり寄せることができた。
情報参謀、作戦参謀、戦務参謀。彼らが複数人で行うことを、ディートリヒはたったひとりで、しかも短時間のうちにやってみせる。
この大陸で、そんなことができるのは、ディートリヒを置いて他にいなかった。
連合軍の艦隊は、2日後の未明にはアイスラーの艦隊と合流するだろう。
ですから、その前に叩くべきです。2日あれば、十分です。
いや……。奴らを合流させよう。
正気ですか?
ただし、合流させる地点はこちらが選ぶ。ここヴルカン公国上空にやつらを誘い込む。
ここでアイスラーと連合軍は合流を果たし、そして散るのだ。
……元帥閣下には策がおありのようだ。その具体的な中身を我々にも、聞かせてもらえませんかね?
ディートリヒは、今日初めて笑ってみせた。その悪魔的な微笑をヴィラムは生涯忘れることはなかったという。
……というわけで。はい、黒猫ちゃんと魔法使いさん。元帥閣下からご命令よ。
ディートリヒの危機と聞いて、鉄機要塞から駆け付けたばかりの君は、休む間もなく、任務を与えられた。
新型の高性能爆弾?まさか、それを敵に投げつけろというんじゃないだろうにゃ?
そんなことをしても、一時的な攻撃で終わっちゃうわ。これから戦争になるヴルカン公国には、天然の兵器があるのよ。
作戦を聞いて、君とウィズは目を白黒させた。
なんとディートリヒとレベッカは、高威力の爆弾を地底で爆発させ、休眠している火山を起こそうとしていた。
爆破ポイントは事前に調査ずみよ。あんたたちは、この高性能爆弾を言われた場所で爆発させるだけでいいのよ。
そんな簡単に言わないで欲しい、と君は意識が遠のきそうになりながらレベッカの話を聞いていた。
味方の離反。ディートリヒはショックを受けてるんじゃないかにゃ?
***
ホラーツは、この2日間艦隊を右往左往させるばかりで、一向に攻めてこないディートリヒをじっと観察していた。
戦において常に神速を尊ぶディートリヒは、必ず第2艦隊が、《対ディートリヒ連合軍》と合流する前に叩きに来ると思っていた。
しかし、ディートリヒはいつまでも、艦隊をもたもた動かすばかりで、なにがしたいのか、まったく要領を得ない。
そして、ディートリヒが、なんの手も打たないままときはすぎ――
ホラーツと対ディートリヒ連合軍の艦隊は、易々とヴルカン公国上空で合流を果たすことができた。
ホラーツと連合軍は、勝利をすでに確信した気でいた。
だが、敵を1ヵ所に集めることこそが、ディートリヒの狙いだった。
この爆発は、何事かのう?
第2艦隊の兵は、すぐさま外を確認する。原因はわかった。
これまで休眠を続けていたヴルカン公国領内にある火山が、突然、噴火をはじめたのだ。
吹き上げられた巨大岩石が、ホラーツ旗艦のマストに直撃する。
予想しなかった事態に見舞われた兵たちは、たちまち恐慌をきたした。
山頂から次々にマグマが吹き上がり、上空にいるホラーツたちの艦に襲いかかっていた。
対ディートリヒ連合軍の艦隊は、戦うどころではなかった。我先にこの空域から逃げ出そうと艦を動かす。
だが、ある艦は、味方と衝突し、ある艦は、吹き上げられた重たい岩の直撃を受けて墜落した。
これを狙っておったのか……。休眠している火山を目覚めさせようなど、私のような凡人には思いつかんよ。
しかしな……。私がディートリヒ元帥に反旗を翻したのも、すべてはアルトゥールさまのため。
我が身、すでに老いてはいるか、ハイリヒベルク家のために、生涯を捧げると決めておる。
相打ちになってでも、アルトゥールさまの敵をここで排除してやるわい!
ホラーツは、じつは貴族の出身でなはい。
彼の祖先は、ハイリヒベルク王家に代々仕える使用人の家系にすぎなかった。
父親の仕事柄、王家の屋敷へたびたび出入りしていたホラーツは、先王グスタフに実の弟のようにかわいがってもらった。
使用人の悴にすぎなかった私を、士官学校に入学させてくれたのもグスタフさまであった。
いま艦隊司令官という身に余る立場でいられるのも、すべてグスタフさまと、ハイリヒベルク家のお陰であるのう。
しかし、グスタフは老いるにつれて、おかしくなっていった。
やたらと権力の座に執着するようになり、身の回りの者たちへの猜疑心を深めていった。
さらには、家臣たちのみならず、自分の息子たちにまで疑いの目を向けはじめた。
自分の王座を脅かす可能性のあるものは、実の息子といえど、容赦なく排除しようとなされたのだ。
そして、先王グスタフの狂気が、顕在化する事件が起きる。
隣国ヴューステ国から迎えた側室が、母国と結んでドルキマス国に反乱を起こそうとしているという噂が流れた。
グスタフは、躊躇うことなく、その側室ともども、まだ幼かった第2王子を殺害したのだ。
さらに王は、第3王子を産んだばかりの、もうひとりの側室にも疑いの目を向ける。
第3王子を母とともに王城から追い出しただけでは飽き足らず、追っ手を差し向けて、その命を奪おうとした。
王位という無形の栄冠が、グスタフを狂わせたとしか思えない。
私は、グスタフ王の密命を受けた。第3王子とその母の命を奪えという命令よ。さすがにその命には従えずに躊躇したわ。
第3王子のご母堂はお優しい方であられた。たとえグスタフさまの命に背くことになっても、生かして差し上げたかった。
ホラーツが密命を遂行することを躊躇っている間に、母親も身の危険を感じたのだろう。
まだ赤ん坊だった第3王子を抱いたまま姿をくらませたのである。
ホラーツは、ふたりを探したが、容易には見つけられず……。
のちに母子ともども、ドルキマス国の最下層で死んだという噂を耳にしたため、捜索を諦めた。
私は、そのことをずっと後悔していたのじゃ。私の迷いが……私の弱さが、第3王子とご母堂を殺したも同然じゃと。
悔いは、ずっとあった。だから、アルトゥールさまだけは、なんとしても守りたいのじゃ。
それが、私なんぞをここまで引き上げてくださった、ハイリヒベルク家への精一杯の恩返しよ。
王位簒奪を狙う、奸賊ディートリヒ・ベルク。あのものに真にそういう狙いがあるのかは知らぬ。
だが、アルトゥール陛下をお守りするためだ。奴を地獄に引きずり込み、ハイリヒベルク家への最後のご奉公といたそう。
ホラーツは噴火活動が活発な空域から、第2艦隊を離脱させた。
そして自身は、浮沈戦艦と呼ばれた第2艦隊旗艦《ヒュムネ・シャル》にてディートリヒの本隊を急襲する。
その艦には、山ひとつを楽々吹き飛ばすだけの空中機雷が詰め込まれていた。
***
戦の相手はイグノビリウムだったのに、いつの間にか人間同士で戦っている。
そのことに君は、釈然としない気持ちを抱いていたが――
早期にこの戦争を終結させるためだとディートリヒに諭されて、君はしかたなく戦いに参加することにした。
キミひとりじゃたいへんだと思ったから協力してくれるようお願いしたら、意外と簡単に引き受けてくれたにゃ。
いやいや、ジークが首を縦に振らなきゃ、こんな危険な戦いに首を突っ込まなかったっての!
彼ら空賊のリーダーであるジークは、任務よりも君に興味があるようだった。
クレーエ族ではないのになぜお前は魔法を使えるのか、それを聞くのを忘れていた。
鋭い目つきで睨まれると思わず背筋が伸びる。ディートリヒとは、違う威圧感を感じさせる男だと君は思った。
それは、話せば長いからまた今度にゃ。
君の操縦する魔道艇にディートリヒからの通信がある。
”これより、アイスラーの艦に乗り込む。黒猫と魔法使い、一緒に来い”
いまから攻め込むんじゃなくて、乗り込むのかにゃ?相変わらず、ディートリヒはやることが極端にゃ。
でもやるとなったら、引かないのがディートリヒだからね。
止めても無駄だろうし、せめて側にいて守ってあげようと君は少し大人ぶったことを言う。
キミは、心が広いにゃ。この前、ディートリヒを叩いた人とは思えないにゃ。
***
第2艦隊旗艦《ヒュムネ・シャル》に、1隻の小型艇が接舷した。
第7中隊。敵艦に乗り込め。今度の敵は人間だ。イグノビリウムではない。
向こうは、戸惑いも躊躇もする。それゆえ、イグノビリウムよりも与し易い。遠慮せずに立ち塞がるものを斬り伏せろ。
突撃中隊の兵たちが小銃を構え、哨喊しながら、ホラーツの旗艦内に攻め込んだのも、攻め込まれた側もどちらもドルキマス兵だった。
ローヴィは、ホラーツの兵を銃剣で突き刺しながら、兵の戦闘に立って、指揮官としてのあるべき姿を見せつける。
敵のドルキマス兵は、血を吹き出しながら倒れ込む。
うぐっ……。
一方口ーヴィも二の腕に銃弾を受ける。即座に周囲の兵たちに軽傷であることを伝える。
この間まで味方だったものたちとの戦いだ。
(ここで私が倒れれば、兵たちの士気がくじける。総崩れとなる恐れもある。こんなかすり傷なんかで倒れていられない)
戦えと言われれば、戦うのが兵の仕事だ。ましてや突撃部隊の戦場は狭い艦内。
躊躇していては、こちらがやられる。
(A小隊の損耗が激しい。C小隊と交代させるべきだろうか?だが、交代の隙を作るのはまずいな)
ホラーツの艦隊所属の突撃部隊とローヴィ率いる第3艦隊所属の突撃隊との戦闘は、30分ほどの大混戦を経てようやく収拾した。
終わった……のか?
腕の傷の痛みすら忘れ、夢中で戦っていたローヴィは、ふと冷静になって艦内を眺めた。
艦の床に倒れているのは、どちらもドルキマスの軍服を着た兵たちである。
(なにをしているのだ私たちは?なんのために、多くのドルキマスの兵が、命を失わなければならなかったのだ?)
足音が聞こえる。接舷した艦から金髪の男が、ホラーツの旗艦に乗り込んでくる。
(……元帥閣下)
ご苦労。
ディートリヒが目の前をとおりすぎていく。ローヴィのほうを一瞥すらせず、艦橋に向かっていく。
ふとディートリヒは足を止めて、ローヴィたち突撃隊を一瞥する。
どの兵も、全身に返り血を受け、傷を負っていないものはいなかった。
勇敢な戦いぶりだったな。《グラオザーム・リッター》の名にふさわしい。どこの部隊だ?
はっ……。第3艦隊第8突撃艦所属、第7突撃中隊であります。
そこでディートリヒは、はじめてローヴィの姿を認めた。
おかげでアイスラーと話ができる。諸君らのドルキマスに対する忠誠と犠牲、決して無駄にはせん。
こんな馬鹿げた戦いは、早々に終わらせるべきだな……。そうは思わんかね?
……は。
一言も個人的な言葉をローヴィにかけることなく、ディートリヒは、ホラーツの待つ艦橋へ向かった。
去って行くディートリヒの背中を、ローヴィは無言で見つめていた。
艦橋にいる司令部要員は、なにが起ったのか事態の把握に努めようとしたが、ホラーツは、泰然自若としたまま動じない。
艦内の兵士たちは、誰もが動揺したまま、ホラーツの命令があるのを待っていた。
ホラーツ・アイスラー。貴官のやりたかった戦とは、この程度のものだったのかね?
これは、元帥閣下。私の艦にようこそお越しくださいました。
答えろ。ドルキマスの多くの将兵を巻き込んだ戦が、このような結末に至ったことをどう考えている?
ディートリヒが、このように感情を露わにするのはめったにないことだった。
私は無用な乱を起こしたのではありません。
アルトゥール陛下とハイリヒベルク家を権力の簒奪者からお守りするために決起したのです。
ハイリヒベルク家は、貴官ほどの提督が命を投げ出してまで守る価値のあるものかね?
私は、旧体制にしがみつく時代遅れの男です。共和主義者なんぞに理解されようとも思いませんな。
私が、いつ政治的主張を口にした?どうやら、貴官は重大な誤解をしているようだ。
共和主義者に国を滅ぼされるのは、見たくないものだ。
私を殺したいなら、どうぞ勝手になされ。だが、こちらもタダで死ぬつもりは、ありませんな。
ホラーツが取り出して構えたのは、古い回転式拳銃。
銃身には、ハイリヒベルク家の紋章が彫り込まれていた。
ハイリヒベルク家に対して乱を起こされた元帥閣下には、私のような男など、化石ように見えているのやもしれませんな。
ですが、私がいくら老いさらばえようと、私のなかにあるハイリヒベルク家への忠誠心と、受けた恩義は色あせることはない。
狙いを定めて撃鉄を起こす。ディートリヒの心臓を十分狙える位置にホラーツは立っている。
ハイリヒベルク家か……。それを憎む私は、たしかに貴官の敵であるな。
アイスラー、私は政治家ではない。戦場で生き、戦場でしか死ねぬ軍人よ。共和主義など私にはどうでもいいことだ。
ならば、なぜ先王に対して乱を起こしたのですかな?なぜグスタフ陛下を弑逆なされた?
ホラーツは、先王グスタフ殺害の主犯が誰なのか、アルトゥールの“代弁者”なるものから、聞き及んでいる様子であった。
国権簒奪の意思があるからこそ、暴挙に至ったのではないのですかな?
私は権力なぞ求めん。しかし、あの男(・・・)を撃つ理由があった。あれは、純粋な復讐(・・)だった。
アイスラー、貴様にならわかるはずだ。あの男に復讐する理由を抱く男が、この地上に存在していることを。
ディートリヒは、右眼に嵌めていた眼帯を外す。
瞳には、ハイリヒベルク家の血を引く者にのみ現れる独特の光紋が浮かび上がっていた。
ディートリヒが年を経るにしたがって、このハイリヒベルク家の証しは、他人が確認できるほど明らかになった。
その印はまさにディートリヒの身体に流れる血の呪縛。逃れ得ないハイリヒベルク家の血統であることの証し。
ホラーツは、穴が空くほど強くディートリヒの右眼を見つめていたがー―
まさか……?
事態を理解したのち、拳銃を持つ手を震えさせた。
老捨な提督は、遠い昔の記憶と現実の狭間で、驚愕と真理に打ちのめされようとしていた。
まさか、あなたは第3王子、テオドリクさま!?
……そうだ。
ディートリヒは、ふたたび眼帯を嵌める。
い……生きていらっしゃったとは。てっきり、ご母堂ともども、お亡くなりになられたものだと……。
ドルキマスの掃き溜めのような場所で正体を隠し、惨めに生きつづけていたのだ。あの男の目から逃れるためにな。
そうでしたか……。
ホラーツの右手が力なく垂れ下がる。そして、その手から自然と拳銃がこぼれ落ちた。
なぜ、あなたが乱を起こしたのか。そして、アルトゥール陛下が、なぜあなたを庇っておられたのか、すべて合点がいきましたわい。
濁っていたのは、私の目のようです。やれやれ、年はとりたくないものですな。
そう言うなり、ホラーツは落とした拳銃を拾い上げ、自分の頭を打ち抜こうとした。
引き金を引く直前、君が飛び出した。ホラーツの拳銃が弾き飛ばされる。
弾丸は、ホラーツの頭部を逸れてなにもない場所を打ち抜く。
死ぬ前にするべきことがあるはずにゃ!
この惨めな老いぼれにまだ生きろというのですかな?
貴官には、これからも第2艦隊を預けておく。ドルキマスの軍人ならば、戦場で死んで見せろ。
この老骨に、まだ鞭を打てと申されるか?
一度背いてからの恭順。生き恥をさらせと告げられているようなものだ。
だが、相手は第3王子テオドリク。
生きろというのならば、恥も痛みも願みず、残り少ない人生すべてを捧げても構わないとホラーツは決意する。
(一度私は死んだ……。そのつもりで過去、お守りできなかった罪を、いまから償わせていただくとするかのう
それが、お優しかったご母堂への私からのお詫びでもある……
それにしても、あのお優しそうなご母堂さまから、閣下のような鬼才が生まれるとは。人とは、不思議なものよのう)
***
ヴルカン公国上空の戦いで、なんとか生き延びた連合軍の艦は、もはや軍とは言えぬほどのありさまだった。
所属していた艦艇は、這々の体でそれぞれの国に逃げ帰っていた。
ホラーツめ、もう少しやると思ったがな……。しょせんは老いぼれ。この程度が限界だろう。
ゲルトルーデどの……。お話しを聞いてください。
やあ、フェルゼンの皇女さま。ちょうど良かった。いまあなたを呼びに行かせようとしていたところでした。
私も、あなたとお話しかしたかったのです。
この大陸から、イグノビリウムの脅威が去ったわけでもないのに、なぜいたずらにドルキマス軍と争うのですか?
ほう?皇女のなかでは、イグノビリウムは、人類の脅威という認識なのですね?
当然です。彼らによって大勢の人々が犠牲になり、我が国は滅ぼされかけました。
私の認識は、少々ちがいますなあ。イグノビリウムとは、太古の時代、いまよりもはるかに高度な文明を築いていた我々の先人です。
敵対するのではなく、彼らの高度な魔法文明から学び……吸収することで、我々人類はさらなる進化を遂げることができると思うのです。
このようにね……。
その姿……。あなたは、すでに奴らに取り込まれていたのですか!?
逆ですよ。クレーエ族の魔法技術を用いて、眠っていた古代魔法文明を吸収し、活用しているのです。
メヒティルト皇女。いまの私の姿こそ、人類が進化すべき本当の姿だとは思いませんか?
それは、狂気に満ちた姿だった。
そして、そんな自分を人類進化の結果だと断言するゲルトルーデは、間違いなく狂っていた。
メヒティルトは逃げる間もなく、進化したゲルトルーデの魔手に捉えられる。
いや!離して……離してください!
私を認めないとは……残念です。この大陸に初めて君臨する、統一王の妃にしてあげようと思ったのに。
しかし、この娘さえいればフェルゼン王国は思いのまま。そして障害となるドルキマス軍は、もはや軍として機能していない。
この大陸に、私を遮るものはいない。ハエのように空を飛び回っている奴らに魔法文明が負けるはずがないのだ。
ガライド連合王国再興の旗は私が掲げる。旧時代の文明人どもを根絶やしにするのだ。
story14 元帥の奏上
フェルゼン王国上空戦で沈んだイグノビリウムの巨大戦艦。
人々は、いつしかそれを《リーゼ・ウン・ボルト(禍々しき巨災)》と名付けていた。
そのイグノビリウム侵略の象徴でもある《リーゼ・ウン・ボルト》の主機にとつぜん何者かが火をくべた。
フェルゼン王国に、古代魔法文明期に建造された巨大戦艦の影が、再び覆い被さる。
つかの間の平和を噛みしめていたフェルゼン国民に再び絶望と悲観が襲い掛かり、収拾のつかない混乱をもたらすのであった……。
ひでえことしやがるぜ……。
みんな気をつけて!巨大戦艦に搭載されていた戦艦が、出撃してくるよ!
どうするでゲビス!?ここには、フェルゼン王国軍もドルキマス軍もいないでゲビス!
み~んな、あのおっきな戦艦にビビッて逃げちゃったんだねー。
……主砲装填用意。主機点火急げ。
戦うつもりかよ!?周りに味方は、誰もいないんだぜ!?
フェルゼン王国の国民たちは誰も頼れるものがいなく、希望を失っている。
緑もゆかりもない国だが、弱っている奴らがいる。ならば助けに向かうのが、空賊というものだ。
でもよ……。
ナディちゃんは賛成!空賊が欲しがるのは、お金でも名誉でもないもの!
空賊がー番欲しがるもの、それは《義》でゲビス!
普段偉ぶってる軍人どもが役に立たないのなら、俺たちがやるしかないだろう。
お前ら、本気でたった1隻でやるつもりかよ?あのでけぇのと比べたら、蟻と像。いや、それ以上の差だぜ!?
それでも、ジークの決断は揺るがない。むしろ、こういう逆境でこそ燃える男だったとカルステンは思い出す。
お……おもしれえ!……お、俺も空賊の一味だ。こうなったら腹あくくろうじゃねぇか!
ナハト・クレーエ号が、飛び立つ。
たった1羽の黒い鴉は、死の気配と絶望に染まったフェルゼン王国の空を飛翔する。
それは、気高き鴉(ナハト・クレーエ)が大陸の歴史書に初めてその存在を記された瞬間だった。
ナハト・クレーエ号は、戦闘に特化した艦ではない。
艦砲は主砲が一門あるだけで、他の武装はなにも搭載されていない。
だが、その代わり、積み込まれた推進機関は、この時代の技術水準をはるかに超える性能を有していた。
この時代の戦艦の速度は15シュトゥルムが標準とされており、それより早い駆逐艦でも20シュトゥルムがせいぜいだった。
小型の高退選咄監ですら、25シュトゥルムが最大戦速の時代。
ジークが所持するナハト・クレーエ号は、40シュトゥルムの速度で移動することができた。
なんだ。敵を見つけたというから、あのディートリヒが攻めてきたのかと思ったのに……。
視界に映るのは、黒いちっぽけな小型艇。イグノビリウムの艦艇すら吸収したゲルトルーデ軍にとっては、取るに足らない存在だった。
逃げ遅れた民間の艦船だろう。捨て置け。我々が倒すべき相手はドルキマス軍だ。
ディートリヒよ、私がもう少し早く古代魔法文明を吸収できていれば――
ガライド連合王国は、貴様に敗北することはなかったのだ!それをいまから証明してみせる!
おい、相棒!向こうの戦艦の艦橋にいたやつの姿見たか?
……見た。……ついに、見つけた。
クレーエ族を一方的に弾圧し、奴隷のように連行していったガライド連合王国。
それを主導していたのは、ガライド連合軍。
そして、その軍を主導し、クレーエ族に苦難を味合わせていた男の顔をジークは、忘れたことがなかった。
あいつは、俺の家族を殺し、同胞を殺めた奴だ。
おかしら……。
ずっと探し続けてきた仇であり、クレーエ族が歴史から消えてしまった元凶でもある。
ガライド連合王国の跡地は、これまで何度も探索した。
それでも、あの男を探し出すことが、できなかったのに……。
……悪いが。……しばらく、付き合ってもらうぞ?
しょうがないわねえ。でも、ジークには世話になってるから。復讐したいってんなら、付き合ってあげなくもないやねぇ。
復讐なんて無意味でゲビス!でも、お頭の命令ならば、従うでゲビス。まったく、手のかかるお頭を持ったでゲビス!
他の仲間たちも、仕方ないなという顔をしている。
……仲間とはいいものだ。
漆黒の魔道艇は、速度をあげて《リーゼ・ウン・ボルト》に接近する。
敵は、イグノビリウム戦艦を発艦させて、ナハト・クレーエを撃墜するべく攻撃を仕掛けてくる。
たった1隻では戦況の好転など見込めない圧倒的な絶望。
それでも、フェルゼン王国の民は、ナハト・クレーエに望みを託すしかなかった。
ドルキマス軍が分裂し、まとまりを失ったいま、この大陸上でゲルトルーデに対抗できる戦力は存在しないのだ。
ドルキマス城の玉座の間へとつづく、長い階段をディートリヒは無言でのぼっていく。
いつもここは、物音ひとつ立てない整然と起立した警備兵たちに守られており、下界と隔絶されたような静寂に包まれている。
ここに来るとディートリヒは、なぜか死んだものたちのことを思い出す。
ガライド連合王国との戦いで、ディートリヒは生まれてはじめて、自分が指揮する軍の敗北を悟った。
元より彼我の戦力差は、数倍もある。
容易に勝てる相手ではないことは、予想していたが……。
続々と沈められていくドルキマスの戦艦を見つめながら、ディートリヒは戦場からの撤退を覚悟する。
元帥閣下、状況の見極めは、まだ早計であります。
いまからでも遅くありません。突撃のご命令を。必ずや、ガライド連合の艦隊に《荒鷲の爪》を突き立ててご覧にいれます。
そう言い残してブルーノ率いる第3艦隊は、勇猛果敢な突撃を行い――
圧倒的な数のガライド連合王国の艦隊を退け、ドルキマス軍の壊滅を防いだ。
第3艦隊は半数以上の艦艇を失い、提督のブルーノも敵の砲撃による爆風で重傷を負い、数日後に死亡した。
だが、その代償は、決して小さくなかった。犠牲になったのはブルーノだけではない。
多くのドルキマスの将兵の犠牲の元にいまのドルキマス国がある。
玉座の前へとつづく長い階段一段一段に彼らの魂が乗り移っている……そんな気がした。
ゲルトルーデが、イグノビリウムと連合軍の戦力を結集させ、あの巨大戦艦までも蘇らせた……。
そしてあの歴史あるフェルゼン王国がゲルトルーデ軍によって、一夜にして壊滅に至ったしたとの報告は、ドルキマスにも伝わっていた。
私は……どうしたらいいのだ?あのような痴れ者の甘言に乗せられて、許されざる行いに手を染めてしまった。
……。
フェルゼンと我が国の盟約が成立しておれば、ひょっとしてフェルゼン王国は、壊滅せずにすんだかもしれないのだ。
私のせいだ。すべて……。私が……あの男の言葉に乗せられてしまったばかりに……。
元帥号を頂戴したものとして、陛下に具申したき議がある。他のものは、席を外していただこう。
その声は、アルトゥールが、いま一番聞きたくないものの声であった。
元帥……許してくれ。私が間違っていた。私が愚がだったのだ……。
ディートリヒが玉座の間に足を踏み入れた瞬間、アルトゥール王は、玉座から転げ落ちんばかりに狼狽したと伝えられている。
ディートリヒの尋常ならざる怒気を感じたユリウスや警護の兵たちは、緊張した面持ちでゆくえを見守っていた。
陛下、ふたりでお話ししたいことがございます。なにとぞ、お人払いを。
アルトゥールは、狼狽えたまま明確な返事をしない。
できぬというのなら、このままお話しいたします。
陛下、どうかいますぐ戦艦《ヒンメル・ノルト・リヒト(天より注ぐ極光)》にご乗艦ください。
アルトゥール陛下を軍艦にお乗せして、どこにお連れするつもりだ?
空軍元帥として申し上げます。先の第2艦隊の離反は、ドルキマス将兵の心を千々に引き裂きました。
本来ならば、バラバラになった将兵の心をまとめ統率するのが、元帥号を与えられた私のお役目なれど――
このディートリヒ・ベルク。非才の身ゆえ、四分五裂した将兵をまとめるのに、いささか苦慮しております。
これでは、イグノビリウムとの決戦におよぶ前に、勝敗は決まったようなもの。
この事態を収束させ、軍をひとつにまとめるには、陛下にご親征いただくよりほかなしと愚考いたしました。
私に戦場に出ろというのか?
こ……こんな私でも、いまさら、ドルキマスの役に立てることがあるというのか?
戦場までお越しくだされば、全身全霊をもって、勝利へ繋がる虹の橋を渡らせて差し上げます。
そして陛下のお身体は、ドルキマス国より元帥号を賜ったディートリヒ・ベルクが、責任を持ってお守りいたします。
先王グスタフの時代、戦は数多くあったが、グスタフみずから戦場に出向くことは一度もなかった。
猜疑心の強い先王グスタフは、近衛艦隊の将兵すら信用しなかったのである。
ディ……ディートリヒ、お前は……こんな私でも、まだ王として認めてくれるというのか?そうなのだな?
この時、ディートリヒはアルトゥールの耳元に口を近づけて何事かをささやいたと言われている。
すぐさま、側近たちに引き離されたため、アルトゥールには、一切害はなかったそうだが……。
(アルトゥール、貴君はまことに愚かな王だ。だが驚きはせんよ。
なにしろ、あの疑り深いグスタフが、唯一手をくださなかった王子なのだからな。
お前はまだ利用価値がある。その間、私はお前に手を下すことはないだろう。
せいぜい立派な王として振る舞いたまえよ。そして私を失望させるようなことは、二度とするな。いいな?)
ディートリヒとの会談を終えたアルトゥールは、軍艦に乗艦し、戦場に出ることを決意した。
だが、玉座から立ち上がった時の彼の表情は、緊張と不安のためか、死人のように青白く変色していたといわれている。