一品鍋・憶絵物語
自由な森・一
大雨は人と同じ。どちらもこの山と水を懐かしく思っている。
◆主人公【女性】の場合◆
(逆の場合の差分は募集中)
一品鍋
「……。
そんなに気になるのなら、入ってきて自分で確かめたらどうだ?」
若
「あっ、気づいてたんだ!
もう遅いよ、郭さんはまだ寝ないの?」
一品鍋
「眠気がないから、少し絵を描いていた。
若の方こそ、こんな時間にまだ外をぶらついているとは、明日起きれなくなるぞ。」
若
「さっき訓練が終わったところだよ……」
一品鍋
「だから顔が赤いのか。ならば、ここで少し休憩していくといい。」
部屋に入ると、机の白い画仙紙には滑らかな墨の描線で、濃淡ある山水画が描かれていた。
若
「この絵……徽州(きしょう)の風景を描いてるの?」
一品鍋
「そうだ。」
若
「うまいね!この前、徽州に来たときは踏青社の旅行だったね。」
一品鍋
「覚えていたのか?急に子供の面倒を任され、春の野遊びに連れてけと言うものだから……。幸い順調に終わったが。」
若
「戦陣が崩れた上に雨にも濡れて、どう見ても順調じゃなかったみたい……」
一品鍋
「異なる天候で見る山林は、いつもと違う美しさがある。それに、若も期待していたあの料理を食べられて……」
若
「あの料理って?」
一品鍋
「いや、私が作った料理を、あなたが食べられた、という話だ。
それより、あなたはお腹が満たされたら、すぐに木登りをしたな。」
若
「そうだったね!あの木の上には、鶯の雛がいたから!」
一品鍋
「木の上で眺める、雨上がりの徽州の風景は、雨で清められた山林の爽やかな匂いに包まれていた。」
一品鍋は目を閉じ、口元に微かな笑みを浮かべた。
まるであの思い出の山林にいるかのようだ。
若
「郭さんは……徽州の風景を見たくなったの?」
一品鍋
「……そうだな、暇な時に足を運ぶ程度だが。
もし、あの鶯が気になるのなら、一緒に見に行っても構わない。」
一品鍋は口元に手を当て、顔を赤くした。
何かを隠すかのように筆を手に取り、すました顔で絵を描き続けた。
若
「いいね、久しぶりに見に行きたいよ!」
一品鍋
「……。」
若
「……。」
一品鍋
「あのとき、雨を恋しいと思ったのを悟られたか。今日も大雨で出迎えられたな。」
若
「そうなの?ならあの『一品鍋』の味も、もっと思い出すべきだったね。」
一品鍋
「……。
コホン、この雨、止む様子はないな。
幸い目的地はそう遠くない。私の上着を頭に被って、このまま走って行こうか。」
自由な森・二
黄昏の灯りの下、ゆらゆらと立ち上る炊事の煙と思い。
◆主人公【女性】の場合◆
(逆の場合の差分は募集中)
二人は小さな小屋に駆け込む。
一品鍋は、私が被ってびしょ濡れになった上着を取って、傍に置いた。
一品鍋
「この奥に温泉がある。入っていくといい。屋根がついているので、雨に濡れることはない。
雨で冷えた体を温めてくるといい。着替えはあとで、私がもってくる。」
若
「郭さんは?」
一品鍋は雨でずぶ濡れになっており、眼鏡も濡れ、前髪も顔に張り付いている。
一品鍋
「問題ない。若より体は丈夫だからな。」
群生する葦に囲まれた、温かい温泉。
滑らかな岩で囲まれた湯舟からはゆらゆらと湯気があがり、見ているだけで身も心も温まりそうだ。
若
「こんなところに、小屋と温泉ができてたなんて。
さっき外にあった木は、以前私が上がった木かな?
一品鍋はたまに戻ってるっみたいだけど、まさか……」
一品鍋
「〇〇、着替えは外に置いておきましたよ。」
若
「郭さんは、入らないの?」
一品鍋
「もう入って、着替えも済ませた。」
『深き森に訪れた 鳥によって春を知る』
裾が緑の葉っぱを掠め
鳥と獣がわが友
山々の美景を描き出し
すべてはあなたの姿を記録するために
若
「いつのまに!
そういえば、この小屋は郭さんが建てたの?」
一品鍋
「ああ。」
若
「まさか、この温泉も郭さんが?」
一品鍋
「小屋を建てたときに、温泉が湧き出ていたから、岩で囲んで屋根を付けた。」
若
「すごい……」
一品鍋
「簡単にできる。興味があるなら教えるが。」
若
「滝の下で料理名を覚えるより簡単だろうな。
あのブランコも、郭さんが?」
一品鍋
「……そうだ。」
少女は急いで用意された服に着替える。
そして、葦で作られたドアの向こうに出た。
一品鍋
「そんなに焦らなくても良(い)い。顔がまだ濡れてるぞ。」
若
「早く郭さんが作ってくれたブランコで遊んでみたくてさ~。
あれ…」
一品鍋は慌てて駆け寄って、転びそうになった少女を支え、眉をひそめた。
若
「なんか……急に力が抜けちゃって。」
一品鍋は少女の額に手を当て、息を吐いた。
一品鍋
「少し熱があるようだ。奥で休もう。」
一品鍋
「〇〇、そろそろ起きろ。」
再び目を開けると、外は既に暗くなっていた。
簡素な小屋に美味しそうな匂いが漂っている。
一品鍋
「丸一日、寝ていたぞ。しっかり食べて体力をつけるんだ。」
若
「ごめん……今は食欲がなくて……」
一品鍋
「食欲がなくても食べろ。
山で山菜を採ってきて、山菜粥を作った。本当にいらないのか?
ほら、口を開けるんだ。」
一品鍋はスプーンの上で冷ましたお粥を、私の口元まで運んでくれた。
一品鍋
「山菜と一緒に薬草も摘んできた。あとで網を作っておくから、温泉が湧き出ている箇所に、ぶら下げるんだ。
薬草入りの温泉に入れば、早く治るだろう。」
若
「うむ。」
お粥を食べて、体力が少し戻ったようだ。
温かい光の下で、普段冷たい青年もいつもより優しい。
何をしても怒らないような気がする。
若
「そういえば、もしかして今私が着ている服も……郭さんの手作り?」
一品鍋
「……。」
若
「あれ?郭さん、顔が真っ赤。
もしかして、私の風邪がうつっちゃったかな……?!」
一品鍋
「あなたはお腹が満たされたら、すぐに私をからかうんだな。
薬草用の網は、温泉の前にかけておく。あとで必ず温泉に入るように。」
自由な森・三
夏の夜の乱れ飛ぶ蛍、皓皓と照る月、やわらかな心の声。ブランコと共に、ゆらゆらと口に出た。
◆主人公【女性】の場合◆
(逆の場合の差分は募集中)
薬が入った温泉は少し苦くて、薬草ならではの香りがする。
ぽかぽかの温泉が体を優しく包み込み、心もリラックスできたような気がする。
乾きかけた髪を拭きながら小屋に戻ると、一品鍋はすでに部屋を片付けていた。
そして、出発前に手を付けていた絵の続きを描いている。
邪魔をしないほうがいいだろう。
昼間からずっと気になっていたブランコのほうへ向かった。
一品鍋
「……。
これでは治る風邪も治らないな。」
若
「――!?」
気持ちいい夜風に当たって夏のホタルに見入っていると、いつの間にか一品鍋が側に座っていた。
まだ微かな体温の残る上着を羽織らされ、耳まで赤くなった気がする。
一品鍋
「夜は風が強い。外に出るときは上着くらい羽織ったらどうだ?それだけじゃない、なぜ小屋にすぐ戻らない?」
若
「あなたが絵を描いてたから、邪魔をしたくなくて……」
一品鍋
「私があなたを邪魔だと思うのか?」
若
「昔、あなたの後ろで兎の耳みたいに指を立てるイタズラをしたら、嫌がってなかった?」
一品鍋
「昔は、そんなこともあったかもしれない。」
若
「ひとつ言っておきたい。あのときは申し訳ないことをしちゃったよ……」
一品鍋
「なぜ謝る?」
若
「せっかく帰ってきたのに、急に熱なんか出しちゃって、迷惑かけてばかりだね。郭さん、全然休めてないでしょ……」
一品鍋
「気にすることはない。好きでやっている。
あなたは空桑の若だ。たくさんの人に囲まれ、身の回りの世話をしてもらうのは当然だろう。
普段のあなたはとても忙しい。だから、顔を合わせる機会もあまりない……
こんな風に……あなたを独占できる時間なんて、尚更……
体調の変化に気付けなかった私も悪い。顔が赤いのは、体を動かしたためだろうと思い込んでしまった。」
若
「それじゃあ、風邪をこじらせて、もっと看病してもらおうかな!」
一品鍋
「何を言っている。自分の体は、もっと大事にしてくれ。
明日になっても、まだ具合が良くならなければ、すぐ空桑に連れて帰る。
屠蘇と餃子なら、しっかりと看病できるだろ。」
若
「ゴホ、ゴホ。明日には絶対治ってるから!君と一緒に山でウサギが捕れるくらいに元気になってるから!」
一品鍋
「ふん、冗談を言える体力は残っているようだな。」
一品鍋はブランコを優しく押してくれた。
後ろの大きな木がカサカサと揺れ、緑の葉が数枚散った。
若
「あなたはときどき、ここに戻ってきてるって言ってたけど、小屋やブランコを作るためなの?」
一品鍋
「そうだ。私は野宿でも構わないが……
若が来るなら、きちんとしておかなくてはいけないからな。」
若
「でも、部屋にはベッドが一つしかない……」
一品鍋
「後でもう一つ増やす予定だ。」
若
「ここは、結構気に入ったよ!」
一品鍋
「気に入ってもらえて何よりだ。
私は本来、大自然に憧れていたはずだが、世事(せじ)にとらわれてしまった。しかし、若のお陰で、自然へと戻ることができたのだ。
若が自由に飛ぶ鳥なら、私も籠にとらわれたままではいけない。
ここで小屋を建てたのは、あのとき、一緒に旅をした記念というだけではなく――
その……私たちふたりにとって、理想となる山林を作りたかったのだ。」
話が終わる前に、彼の隣に座っていた人の頭は、だんだんと下がっていった。
ついには、その肩に寄りかかって眠ってしまう。
最後の台詞まではもう届いてなかっただろう。
一品鍋は羽織らせた上着を整える。
そして、彼女の肩を支えながら、またそっとブランコを押した。
一品鍋
「小屋の周りにはグミの樹、ブランコの下には、ムラサキフジを植えよう。
来年になれば赤い実がなり、ムラサキフジもブランコと木の枝に蔓を伸ばし、花穗を垂らすだろうしな……
そのときは、またここに来よう。」
一品鍋
「……。」
一品鍋は出来上がった絵を見た。それから、ベッドで眠る若に視線を向ける。
ふと思い立ったように、彼は筆を手に取り、
画布の中で空白になっていた部分に、ブランコの奥にその人物を描き加えた。
一品鍋
「ああ、これで完成だ。」