湯葉の野菜春巻き・エピソード
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湯葉の野菜春巻きのエピソード
冷静で常に余裕を醸し出している。その裏では相手を観察することを怠らない。御侍に対しては、基本忠実だが、己が仕えるに値しないと判断すれば、その関係を強引にでも断ち切ることを望む(御侍自ら関係を切るように仕向ける)。歳を取ったことを実感してはいるものの、成長に対する意欲はまだ潰えていない。
Ⅰもうひとり
この世界に召喚されたときーー私は酷く違和感を覚えた。それは御侍様の背後にいた今にも消えそうな男のせいだった。
「初めまして、湯葉の野菜春巻き。私が君を召喚した者だ」
笑顔と共に差し伸べられた手は大きくて、思わず信頼をしたくなるオーラを醸し出していた。きっと、先ほどの違和感がなければ、私も彼に召喚されたことに僅かながらの安堵を覚えたことだろう。
(そうできなかったのは、紛れもなく御侍の背後に仕えていた男の存在があったからだ)
彼の名前は、湯葉あんかけ。彼はただ私を感情のこもらない瞳で見つめるだけで、挨拶も会釈すらもしなかった。
***
湯葉あんかけは、私を象る素材のひとつ、湯葉を使った料理から召喚された。
御侍は光耀大陸から湯葉を持ち帰った際、この素材を使った食霊を召喚したいと願い、湯葉あんかけを召喚したそうだ。
彼が湯葉あんかけを召喚する際に望んだ力は『戦闘能力』だった。しかし、そんな御侍の願いも空しく、彼は到底戦闘に長けた者ではなかった。
どちらかというと癒しの力を宿しており、それで御侍は私を召喚したようだ。
「君を召喚できてよかった。湯葉あんかけは能力自体は低くないのだが、戦闘はからきしでね。そんな彼を連れて堕神退治に行くのはどうにも都合が悪い」
だから、私を連れて出かけるのだと、言い訳がましく御侍は告げた。
「私で役立つことがありましたら、いつでもついていきましょう。なんなりとご用命を、御侍様」
私は恭しくお辞儀をしながらも、頭の片隅では、湯葉あんかけのことを考えていた。
(これは私にではなく、湯葉あんかけにかけてあげるべき言葉ではないのか?)
そんな疑問が頭をもたげ、私はひどくいたたまれない気持ちになった。
(この状況はどうにも良くない。御侍もそれに気づいているのに、それをどうすることもできないのだ……)
「おかえりなさいませ、御侍様。湯葉の野菜春巻き」
湯葉あんかけは私たちが帰宅すると、跪き、深々と頭を下げてそう告げる。
(彼は何も言わないが、本当は自分も御侍の役に立ちたいのだろう)
私はやるせない彼の表情から、そんな想いを読み取った。
御侍にそう進言してみたが、彼は湯葉あんかけが傷つくことを恐れているようだった。
彼が居たら、私ももっと大胆な戦いができる。傷つかぬように気にしながら戦うよりはもっと沢山の成果をあげられるのにーー
しかし、御侍の決め事に逆らうことはできない。せいぜい、進言することだけが、できることだった。
(御侍なりに、湯葉あんかけを大切にしている。だが、それは湯葉あんかけにとっては、自分が役立たずのように感じるのだろう)
私は、なんとかこの悪循環を断ち切る方法を探したかった。
「湯葉あんかけ。今日は良い月です。良かったら一緒に飲みませんか?」
「いえ……結構です。私はそのような習慣を持っておりません故」
それはとても冷たい物言いで、彼からの激しい拒絶を感じた。
同じ素材を元にして召喚されたというのにこの距離は、ひどく寂しいと感じた。
ーーもっと彼と仲良くなれたら。
ふたりの距離を、もっと縮められないだろうか、と私は立ち去る彼の寂し気な後ろ姿を見ながら、そう思った。
Ⅱ 無力
御侍様と堕神退治へと出かけ寺に戻ると、湯葉あんかけの姿が見えなかった。
さてどこにいるのやら、と寺院の中を巡ると、神堂にその姿を見つけた。
その表情は真剣で、果たして何を考えているのか、興味深く入り口からその様子を静かに見守った。
それからほどなくして、湯葉あんかけは立ち上がり、ゆっくりと振り返る。
「何か御用ですか」
低い声でそう呟いて、視線をゆっくり移動させ、真っすぐにこちらを見据えた。
「いえ、姿が見えなかったもので。何やってるのかと」
「何をしているように見えましたか?」
「坐禅を組んでいましたね」
「わかっているではありませんか。何故質問をしましたか?」
棘のある口調で、ピシャリと告げて、湯葉あんかけはゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。
「湯葉あんかけ」
真横に来たときにそう声を掛けるも、彼はフイと視線を逸らし、そのまま立ち去って行こうとする。
その声に数歩先に進んでから立ち止まり、小さく嘆息した。
「まだ何か?」
背を向けたまま発せられたその声は、あからさまな苛立ちを含んでいる。
(嫌われたものだな)
釣られるようにため息をついて、ゆっくりと頭を振った。
「少し、話がしたいと思いまして」
「いえ、結構です」
「そう言わずに。美味しい酒が手に入りましてね。一杯だけ付き合ってください」
それだけ言って私は歩き出す。すると、何か言いたげに息を吸った湯葉あんかけだったが、言葉の代わりに溜息をつき、大人しく私に従った。
***
おちょこに入れた酒を一口飲んで、湯葉あんかけは前髪を掻きあげた。
「相変わらず、君は強引だ」
口調が変わった。
こうして彼はすぐに抵抗を諦めてしまう。
煽るように飲むその酒は、やけ酒のように映った。
「まだ私は、貴方のことを理解できません。もう少し心を開いてもらうことはできないものでしょうか?」
「理解し合う必要など、ない」
「私と貴方は、同じ御侍から召喚された兄弟食霊だ。そのように冷たい物言いをしなくともよいかと」
「……兄弟、か。そのように寄り添える間柄であれば良かったが」
「何か私たちの間に問題が?」
その問いに答える代わりに彼は舌打ちし、おちょこをズイと差し出した。
「私は御侍様にとって不要な存在ですから」
「そのようなことは……」
「今日も御侍様は私を連れていかなかった。君を召喚してからずっとだ。これを『不要』と言わず、なんと言う?」
ジロリと睨む湯葉あんかけに、私は肩を竦めて彼のおちょこに酒を注ぐ。
「御侍様は貴方に怪我をさせたくないだけですよ」
「いくら私が戦闘向きではないとはいえ、これでも食霊です。戦う術はあります。例えば貴方を助けることだってできる」
「そうでしょうね」
「私は……いらない存在なんだ」
そしてまた湯葉あんかけがおちょこを差し出した。私はおかわりを注ごうと酒瓶を持つも、動きを止めた。
「御侍様は貴方を心配しているんです。私と一緒にいて、貴方の話をしない日はない」
「こんな役立たずを召喚してしまったんだ。さぞかし気が重いのだろうな」
「そのような捻くれたことを言うのはどうかと思うぞ」
「君に……何がわかる。御侍様に必要とされない食霊など、存在価値はない」
「湯葉あんかけ……」
私は掛ける言葉を失った。
だから、彼のおちょこにゆっくりと酒を注いだ。
「私なぞ……消えてしまえばいい」
「そのようなことは、言うべきではない」
僅かなすれ違い。
ふたりとも互いを必要としているのに。
ただ大切に想い過ぎて、距離を取ってしまっているだけ。
こういうとき、何ができるのだろうか。
それが、ひどく歯がゆくて。
(私は、無力だ)
月を見上げて、私は酒を煽るのだった。
Ⅲ 距離
湯葉あんかけという男は見事であった。
誰に対しても公平で、持前の優しさと知性で周りの者に助力していた。
その様子を見るに、私ーー湯葉の野菜春巻きは彼を尊敬し、好感を重ねていく。
(ただひとつ……もう少し、私にもその持前の『優しさ』を見せてくれたらよいのだが)
苦笑したそのとき、目の前で御侍の弟子ある男の手伝いをしていた湯葉あんかけが冷めた表情でこちらに振り返った。
「先程から、何か用か」
低い声でそう声をかけてきた湯葉あんかけに、肩を竦めて私は口端をクイと上げる。
「相変わらず、貴方は冷たいですね」
「何か君に優しくせねばならない場面だったかな」
「貴方の優しさは特別な場面でなければ発揮されないものでしょうか」
「……君が何を言いたいのか、私にはわからない」
不愉快そうに眉を上げ、湯葉あんかけは私の方へと歩いてくる。
「他の者には優しい笑顔を向けるのに、私の前ではそうしていつでも仏頂面だ。兄弟食霊として、とても悲しく思います」
「……君は、相変わらず不快な男だ」
ピタリと私の横で立ち止まり、湯葉あんかけはあからさまな不愉快顔を向けた。
「まぁ、貴方がそのような尖った態度を取るのは私にだけです。それは私が貴方にとって特別な存在である証拠だと認識していますよ」
「そうだな。確かに……君は特別な存在だ。誰よりも私を苛立たせる」
ハッキリとそう口にして、湯葉あんかけは嘆息する。そのわざとらしい態度に距離を感じ、どうしたものかと首を振った。
「湯葉あんかけ」
すると、背後から御侍の弟子が隣に立つ男に声を掛ける。
「今日はどうもありがとう。君のおかげで作業が捗った」
「いえ、私なんぞでよろしければいつでもお声かけくださいませ」
恭しく湯葉あんかけがお辞儀する。そして私を一瞥し、その場から立ち去っていった。
「……君は、湯葉あんかけを随分と気に掛けているようだ」
「まぁ、兄弟食霊ですので」
「その言葉、彼には相当に重たいようだ」
そこで、弟子の男は笑って私を見上げる。
「君は器用な男だと思っていた。が、こと湯葉あんかけにはひどく不器用に見える。もう少しうまく距離を縮めることができそうなものだが」
「なかなかどうして、あれは難しい気質の男でして」
「私からすると、とても素直な青年だが。それが、君たちの確執であろう」
そこで、男は私を茶に誘った。勿論断る道理はない。素直に彼に従った。
***
「私は君たちふたりを、とても不憫に思っている」
茶を淹れながら、唐突にそう切り出した御侍の弟子に、私は思わず素の表情で目を丸くした。
「不憫……ですか」
「この原因はすべて、師にあると考えている」
キッパリと弟子の男はそう口にする。よもや御侍様をここまではっきり糾弾するとは思わず、私はただただ驚くしかできない。
「私は師を尊敬している。だが……どうにも彼は人としては不器用なところがある」
苦々しく告げて、彼は厳かにこちらへと茶の器を差し出した。
私は恭しく頭を下げ、それを受ける。
「確かに……御侍様は湯葉あんかけを大切に思っているのに、それをうまくお伝えできていないと思っていますが」
「そうだ。まさに、そこが問題だ」
そして男は語った。
もしそのお心をしっかりと湯葉あんかけに伝えられていれば、彼は今ほど心を痛めずに済んだだろうし、私とも仲違いせず、仲良くできていたであろうと、彼は言う。
「そうであったら、良かったですが」
なかなか現実はうまくいかない。だがその上で、私も御侍様の言葉は足りないのではと思っていた。
「けれど、それをどう解決していいやら」
何度か忠言してみたが、御侍様は理解しつつもその術が見いだせないようだった。
「湯葉の野菜春巻き。私はここを出て自坊に帰ろうと思う」
「え?」
突然の言葉に、私は驚いて裏返った声をあげてしまう。
「その際、湯葉あんかけを連れていくつもりだ。彼の許可はもう得た」
「そ、それは……その」
驚いて、うまく言葉が紡げない。
普段なら、これほど狼狽した様子は見せないのに。湯葉あんかけのこととなると、私はどうにも平静を保てない。
(彼は私の弱点なのだろう)
自嘲気味に笑いつつ、私はそう遠くないうちに湯葉あんかけがここから出て行ってしまう事実に、ショックを隠せない。
(何故これほど動揺しているのだろう?)
「湯葉あんかけを私の御付きにしたのは師だ。だから、これは自然の流れだと思っている」
「そう……ですか」
この件は、御侍様と彼の間のことだ。だから、私なんぞが口を出す問題ではない。
「だが、君たちのことが心配だ。できれば私と師のように、すれ違わないでほしい」
それはもう、彼が御侍様に対して『諦めている』ということに他ならない。
御侍様は彼を特別視している。弟子の彼も師には経緯を払っているし、尊敬もしているだろう。だが、ふたりの間はもう、それでは拭えない溝ができてしまっているのだろう。
「湯葉あんかけは、師から私の御付きになるよう言われ、激しく心に傷を負っている。私はそんな彼に同情し、まるで自分を見るようでね。ここに置いていく気にはなれないのだ」
それは、切実な言葉だった。このことに異論を唱える気にはなれない。
(だが、このまま彼を見送ってしまっては、きっと私は後悔する……)
近いうちに、湯葉あんかけと腹を割って話さねばならない。
ーー彼が、ここを去る前に。
私はお茶を味わって飲んで、その覚悟を強く固めた。
Ⅳ 転機
「御侍様、大丈夫でしょうか?」
私の言葉にハッとして、御侍様が顔をあげる。書斎で書類の整理をしていた彼は、暫しの間手を止め、何やら思案していた。
「あ、あぁ……少し、考えごとをしていた」
「そうでしたか、失礼しました」
その時間、ため息が定期的に零れ、私は彼の悩みをそれとなく察してしまった。
先日彼の弟子から自坊に帰る話を聞いた。
御侍様はそのことに心を痛めているようだ。
(そして、それは私も同じ)
弟子の御付きとして、湯葉あんかけが共にこの寺を去るからだ。
「お止めにならないのでしょうか?」
私は身を乗り出して、そう申し出た。
「な、何を……」
狼狽した様子で、御侍様は私にまっすぐな眼差しを向ける。
「不躾に失礼します。先日、ご本人から話をされまして」
そう断りを淹れてから、私は御侍様にあの弟子の話をした。
「それほどお心を痛めているなら、そのお気持ちをしっかりお伝えになったほうがよいのでは」
「……本人が決めたこと。他人が口出すべきことではない」
「言葉にしなければ、伝わらないこともあります」
「それは……」
「彼がここからいなくなっても、本当によろしいのでしょうか?」
その言葉に、御侍様は体の動きをピタリと止める。この態度で、彼がこの件について、決して『良い』とは思っていないことがわかった。
(そして、それはやはり私も同じ)
湯葉あんかけとこのまま疎遠になってしまうことを私はひどく辛いと感じている。
私は彼の『代わり』として召喚された。そして湯葉あんかけは、そんな私に劣等感を抱いている。
「これも、失礼ながら。湯葉あんかけは御侍様に不要の者と思われていると心を痛めているようです」
「私は、彼を不要な者などと思っていない」
「食霊にとって、御侍に必要とされないことは何よりも辛いこと。どうか一言、彼にそのお気持ちをお伝えいただけないでしょうか」
これは、私では成し得ないこと。
御侍様が自ら言葉にしないと、湯葉あんかけの心には響かない。
「……考えておく」
「ありがとうございます」
私は深々と頭を下げる。すると、彼はスゥと息を飲み込んで、私を見て言った。
「きっと私は臆病なのだ。相手が傷つくことよりも、自分が傷つくことを恐れている」
「そうして内省できることは、御侍様の素晴らしいところかと思います」
「情けない。私は己の感情に向き合うのはひどく苦手だ」
そう自嘲して、御侍様は再びペンを動かし始める。
そんな御侍様を見て、私も今一度湯葉あんかけと向き合ってみようと思った。
***
そうして私は湯葉あんかけと共に、月を見上げながら酒を飲んでいる。
「こうして君と酒を飲むのもこれで最後か」
いつも通りの淡々とした物言いで、彼は私の用意した地酒を口にした。
「それに相応しい酒でしょう。手に入れるのに、それなりの苦労を要しました」
すると、湯葉あんかけは珍しく急ピッチで酒を飲み進める。
そんな彼が心配になるも、彼は柔らかな笑みを浮かべて肩を落とした。
「御侍様からお言葉を頂いた。私を大切に思っていると、ただ私は強くないので、怪我を見るのが忍びなかったそうだ。だから、君が召喚された……」
「そうです、御侍様はよくその話をしていました」
「君が言うことを信じなかった訳じゃない。だが、直接言ってもらえると、やはり嬉しいものだな」
このように彼が感情を吐露することはそうそうない。それが、湯葉あんかけの心情がどれほど喜びに満ちているかを語っているかのように思えた。
「だったら、ここに残ったらどうだ?食霊は御侍様の傍にいたほうがいい」
「いや。私は行くよ。これを、転機だと考えることにする」
キッパリと湯葉あんかけは告げる。
「君に礼を言うのは少々癪に障るが、ここは素直になっておこうーーありがとう」
「どうしました、突然」
「君の働きかけがあったことは御侍様から聞いた。それに対して少々の苛立ちがない訳ではないが……それでも、御侍様からの言葉は嬉しいものだな」
そして湯葉あんかけは酒瓶を取り、私にその飲み口を差し出した。
「今日は飲もう。私はずっと君に辛く当たっていたことを申し訳なく思っている。君のせいではないとわかっていても、それでも私はどうしても君を受け入れることはできなかったのだ」
「それは、仕方のないことです」
自分が彼と同じ立場であったなら、やはり素直になれなかった気がする。
だから、湯葉あんかけのことを責める気にはなれない。
「君がもうすぐここから出ていく。それまで君と友情を築きたい」
「既に君との間には友情はあったと認識している。たとえ離れても、この友情は途切れることはない。これからも衝突することはあるだろうが、こうして腹を割って話し合える仲になれたら、と願っている」
***
そうして、御侍様の弟子の御付きとして、湯葉あんかけはこの寺を去った。
「いつかまた会おう」と再会の約束をし、私は彼を見送った。
今すべきことは御侍様のお傍でお役に立つことだ。だが、いつかその役目を終えたならーーそのときこそ、彼と再会すべきときだ。
その「いつか」を心待ちにしながら、私は御侍様のお傍で、食霊にとっては短い時間を過ごすのだった。
Ⅴ湯葉の野菜春巻き
湯葉の野菜春巻きは、桜の島のとある宗派の開祖となった僧に召喚された。
光耀大陸と縁の深かった僧から、様々な知識と情緒を学び、豊かな日々を送っていた。
ただひとつ、彼の前に召喚された兄弟食霊である湯葉あんかけとの関係に、御侍と共に悩まされた。
最初こそ彼は御侍に対し、不信感を抱いたものの、自然とそうした感情は薄れていく。
不器用な僧であったが、人格者であり、慈しみの心を知っていた。
湯葉の野菜春巻きは御侍の弟子と湯葉あんかけが寺を去ってから何十年もの月日を、敬愛する御侍が亡くなるその瞬間まで寄り添っていた。
***
「湯葉の野菜春巻き、いるか」
痩せ細った手を伸ばし、しわがれた声で御侍が湯葉の野菜春巻きに声をかけた。
湯葉の野菜春巻きはそんなことを思い出しつつ、恭しく会釈してからその場にしゃがんで笑顔を浮かべた。
「ここにおりますよ、御侍様」
そうして手を取ると、弱々しい力で御侍は湯葉の野菜春巻きの手を握り返した。
「私の命はもう僅かであろう。だからだろうか、穏やかな気持ちでいると同時に、心残りもある。けれど、それでもう良いと思っているのだ」
そこで、御侍様は軽やかに笑う。
「だが、こうして目を閉じるとここから去っていた者のことを思い出す……皆、元気にやっているだろうか。皆、幸せでいるだろうか。私は、それだけが気がかりだ」
「さて。いろんな者がいましたからね、どうでしょうか」
そこで息を吸って湯葉の野菜春巻きは厳かに答える。
「けれど御侍様のことは皆慕っておりましたよ。最初はそうではなかった者も、ここを去るときはみな御侍様に感謝しておりました」
「どうかな。そうであったら良いが。結局、あやつは私の後継ぎにはなってくれなかったな」
御侍の一番可愛がっていた弟子は、御侍様が後継ぎにと望まれたが、ついぞここには戻らなかった。
彼についていった湯葉あんかけも同様で、湯葉の野菜春巻きは、彼がここを去った日から、連絡すら取り合っておらず、疎遠となっていた。
「湯葉あんかけは元気にやっているかな。まだあやつの傍にいるのだろうが……」
湯葉の野菜春巻きと違い、御侍はたまに湯葉あんかけと手紙のやり取りをしていた。彼らは最初こそボタンの掛け違えがあったが、最後には良い形に落ち着けたようだ。
湯葉の野菜春巻きにとって、ふたりはずっと心配の種だった。彼らがうまくいかなくなった原因のひとつは、間違いなく己だったからだ。
だからこそ、彼らがたどたどしいながらも交流を続けている事実に、湯葉の野菜春巻きは喜びを覚えざるを得ない。
それでも、湯葉の野菜春巻きは時折思い出すのだ、湯葉あんかけのことを。
彼とは結局分かり合うことができなかったと思っていた。湯葉あんかけの存在は、湯葉の野菜春巻きの中で、御侍様と同じくらいに特別な存在となっていた。
「御侍様。私は御侍様を見送りましたら、この寺を出ようと思っています」
「ふむ、それはお前の好きにしたらよい。けれどどこに行くのだ?お前はずっとここにいた。他の場所で不便な想いをしなければよいが……」
そんな優しい御侍の言葉に、熱い愛情を感じた湯葉の野菜春巻きは、心が満たされて思わず笑顔になった。
「ええ。湯葉あんかけに会いに行こうかと。もうずいぶん会ってはおりませんが、彼は私の前に貴方から召喚された食霊で、私にとっては特別な存在なのです」
「そうか、あれとのことで、お前には随分心労をかけた。どう謝ったら良いか」
「いいえ、私に謝ることはございません。貴方は湯葉あんかけに笑顔を与えました。それ以上の何が必要でしょう」
「そう言ってもらえると、随分と心が楽になるな」
ハハハ、と御侍は軽やかに笑い、つい、と湯葉の野菜春巻きに視線を向ける。
「お前たちが仲良くやってくれれば、私も嬉しい。湯葉あんかけに、よろしく伝えてほしい。私はお前たちの幸せをずっと祈っているよ」
***
それからほどなくして御侍は亡くなった。御侍は懸念していたことが落ち着いたこともあり、とても晴れやかな死に顔であった。
そうして湯葉あんかけのいるだろう寺へ出向いた湯葉の野菜春巻きであったが、そこにもう彼はいなかった。
聞けば、料理御侍ギルドで働いているという。それならば、すぐに居場所はわかりそうであった。
その寺で湯葉の野菜春巻きは、厚揚げ豆腐、あずき寒天という食霊と出会った。
彼らは湯葉あんかけと懇意にしていたようだ。
湯葉あんかけの元に行くと告げると、何故か厚揚げ豆腐と戦うことになり、その結果、ふたりで旅立つこととなった。
御侍から愛されて育ったことがよくわかる厚揚げ豆腐に、くすぐったいものを感じながら、湯葉の野菜春巻きは彼と共に行動する。
そんな中、あずき寒天と定期的に連絡を取り合うようになった。
あずき寒天は見た目こそ子どものようであったが、厚揚げ豆腐と湯葉あんかけの姉のような存在だった。
(私には、若干辛辣な気もしますが)
そんなことを思って、湯葉の野菜春巻きは笑う。あずき寒天にとって、湯葉の野菜春巻きは悪友ーー気をはらずに接することのできる、毒づくことのできる相手になっていた。
(彼女にとって、私は守らねばならない存在ではないですからね)
少し残念に思いつつも、そこに湯葉あんかけの僅かな残り香を感じて嬉しく思った。
「なぁ、いつ湯葉あんかけに会いにいくんだよ?」
湯葉あんかけの居場所はすぐにわかった。
だが、若干の躊躇と、湯葉あんかけが忙しくしていたため、なかなか会いには行けなかった。
「そうですね、近いうちに」
そう頷いて、湯葉の野菜春巻きは筆を取った。
書き出しは、こうだ。
『湯葉あんかけへーー元気にしているか?』
さて、彼から返事は来るだろうか。
初めて恋文を贈る少女のように甘酸っぱい気持ちになっている自分に、湯葉の野菜春巻きは思わず笑ってしまった。
「さぁ、今日も依頼が入りました。行きますよ、厚揚げ豆腐」
「おう!俺がいればどんな案件もすぐに解決するぜ!」
それから暫し後、彼らは久方ぶりの再開を果たす。
……だが、それはまた別の話。
来たるその日まで、湯葉の野菜春巻きと厚揚げ豆腐は、交流を重ねて仲を深めていくのであった。
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122020年09月18日 17:39 ID:tbv5brxv5話(4/12)
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