ターダッキン・エピソード
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ターダッキンのエピソード
ターダッキンは葬儀師で、「ニルヴァーナ」という葬儀屋を経営している。彼女は笑顔でご遺体に化粧や整形を施し、嬉しそうに唄を口ずさみながら火葬したあと埋葬する。彼女にしてみると、死は新生への第一歩であるので、心から亡霊たちを祝福しているのだった。ただ、彼女は身長が高く行いも怪しく、よく黒ずくめの姿で墓場を彷徨っているのを目撃されているので、とても危険な食霊だと思われている。
Ⅰ名もない叫び
──陽は海に入らず、船は岸壁に凭れる。
彼らの魂が肉体の周りを浮いて舞い、壮大な旅へと出かけていく様子は、私には目がくらむほどの甘美である。
これはミッドガルという都市に対して、少なからず好奇心を抱く結果となった。
グルイラオは現在、このティアラ最大の都市である。その名に一体どんな魔力があるのか……たくさんの人々をここに留まらせる。たまたまこの土地に足を踏み入れた私まで、かすかな戦慄を心に芽生えさせた。
雲が晴れ、青空がだんだんと見えてきた。私はひとり埠頭に立って、心臓の奥から震えを感じている。
この都市のどこかに、どうしようもなくもがいている魂があり、それが私を引きつけたのだろう。わざわざ私は遠くからここまでやって来た。そして、私はその魂の存在を強く実感する。
それは崩壊しかけており、粘り強くこの世界に無言で留まっている。
肉体から離れることは、必ずしも死がもたらすものではない。去就すべきかどうか判断するのは、霊魂自身の選択であるということを、その魂はよく理解しているようだった。
私は町に歩いて行って、すべてのことを面白く感じられた。
「墓地がどこにあるかだって? ははぁ、あなたも亡霊祭のお祭りに来たんですね?」
道を訊ねても、通りのパン屋さんはちっとも怪しまなかった。それどころか、屋台でパンの詰め合わせられた袋を一つ選んで、私の懐に押し込んできた。
「ほら、この亡霊パンを持っていくといい。亡霊の日のお祭りに参加するパレードが、この通りを
歩いていったばかりだよ。ちょっと歩けば、すぐ彼らに追いつけるよ」
店長は優しくそう言って、私に笑顔を向けた。その言葉に、私はまばたきをする。
(──亡霊の日……? それは何?)
手にした紙袋の中にドクロ模様のパンを持って、私は先に進むことにした。
パレードの人たちが行く場所が私の目的地と一緒なら、ついていくことにした。
そうして数分もしないうちに、私はパレードの集団を見つけた。
彼らは見るからにみんな人間だったが、彼らは様々な妖怪の装いで、骸骨マスクを持っていた。あるいは祈祷師が着る黒く長いシャツを着て、墓地で歌い踊りだした。
私は自分の黒ずくめの服を見る。黒い爪も見える。なぜパン屋の店長が、私を彼らの仲間だと思ったのかがわかった。
私はこんなに人間たちと仲良くしたのは初めてだった。
それから私は大小の蝋燭が並べられた祭壇を見つけた。祭壇の前には、私の持っているパンと同じ亡霊パンも並んでいる。それらに残っているエネルギーは、すべて往生の魂に属していると感じられた。
彼ら往生者のために、祭壇を設けた親友たちは、祭壇の前で笑ったり騒いだりして、しゅくがした。
私はこれまでいろんなところを旅してきました。しかし、目の前の光景は、これまでの私が見たことのない人間の姿だった。ここの人間は往生者に対して、怖いとか悲しみとかいった感情はないのでしょうか?
「あの……初めまして」
私は顔に花の模様を描いた女の子に向かって頭を下げた。彼女は食霊のようだ。
「さっきから気づいたよ。ここで行ったり来たりしているのを見てたから……ねぇ、もしパンを祭壇に置きたいなら、あそこに置いたらいいよ。ほら、あそこが公共の祭壇だよ」
彼女は話し終わって耳を触った。恥ずかしそうにはにかんでいる。
「なぜパンを置くのですか?」
私のその質問にぱちくりと瞬きをし、少女は答えた。
「今日は亡霊の日よ。毎年、この世界を離れた魂が帰ってくる日なの。このとき、もし祭壇と亡霊のパンを手配してくれる家族がいれば、魂は家に帰る道を見つけられるの。そうして家に帰れた魂は家族と団欒するのよ。」
人間たちにこのような祭りがあるのは珍しいことである。
私は不思議な感情に身を委ねつつ、ゆっくりと口を開いて言った。
「それは残念です……」
Ⅱ命がけの魂
墓地を通り抜けると、人々の歓声やダンスといった音が次第に聞こえなくなり、かわりに苦痛を訴える悲鳴がだんだんとハッキリしてきた。
震える声を追い、幾度彼に近づいたと思えど、彼は逃げるように離れていく。
まるで警戒する獣のように、存在の危機的な境界線にあろうとも、誰ひとりとして近づくのを許さず、己の傷を舐めるのだ。
──数時間後。
私にはもう彼の魂の本来の形がよく見えなくなっていた。彼はまるで、神様がなにげなく地面をこねて作った泥人形のように見える。人の世に蹴り落された不良品のように朧な姿。
体のいたる所に骨が見えるほどの深い傷を負い、霊力が枯れ果てている彼は、一歩、また一歩と歩むたびに四肢が折れて裂けてしまいそうな様子だった。
(それでも私にはわかる。彼は食霊だ)
このような重傷を負った食霊を見るのは初めてだった。なぜ、彼の傷口は癒されないのだろうか?
「去れ! オレに近づくな!これ以上近づくと容赦はしない!」
彼は、残された力を振り絞って私に叫んだ。
私は首を横に振った。
「しーっ、静かに。近隣の住人たちはもう眠っている時間です」
私にとって、彼は単なる迷子の子どもにすぎない。道しるべを求める子ども。
私は、彼の身に何があったのかなど知りたくはない。彼を助けに来たのは、彼が自らの魂の渇望を認識しておらず、私にはその悲痛な声が聞こえる。
私は彼と多くは話そうとはせず、前へ出て彼を拘束しようとした。
しかし、私の行動に彼は激しく反抗する。
私はただ彼の攻撃を軽くさばいていく。彼の体は、私の攻撃には耐えられない。もし私が少しでもダメージを与えれば、彼の肉体は崩れてしまう。
だがどうやら、この迷える子羊は、私に勝てると思っているようだ。
がむしゃらに攻撃を続ける。私はただ、彼の力が尽きるのを待っているとも知らずに。
彼の力が尽きた瞬間が、私のターン。彼を捕縛する。
けれどもその時、思わぬハプニングが起きた。
何かが枯れの頭上をめがけて落ちてきたのだ。
それは……一足のブーツだった。
彼は呆気にとられ、私もキョトンとした表情で見つめあう形になる。
「あの……そんな目で見ないでくれますか、私じゃありません」
「ひ、卑怯者め……」
彼の傷でいっぱいの顔には、『卑怯者』という文字が書かれているようだった。私が目をそらそうとする前に、彼は思いきり地面に倒れた。
私はやっとその時、いつの間にか彼の背後に開いたドアがあることに気がついた。
(もしかして、彼女が?)
愛らしく着飾った少女がそこに立っており、驚いた表情をしている。
彼女はカラフルな靴下を履いていた。もう片方の足でドアの前にある靴置きに飛ぶと、手慣れた動きでスリッパを足元に置き、靴下を脱ぐ。
そしてスリッパを履くと私の隣までやって来て、倒れてしまった彼の頭の下敷きになっていたブーツを引っこ抜いた。
彼の頭が、ゴツンと地面に落ちる。女の子は気にせず、ブーツに付いていた土を払うと、靴置きに戻す。
そして、私の顔を覗き込んで言った。
「ターダッキン、大丈夫ですか?」
Ⅲ見知らぬ友人
アンデッドパンはスリッパでパタパタとお湯を注ぎに行き、帰って来てお茶を淹れる。
彼女——アンデッドパンは「死者のパン」と自称しているが、その本体は今日私が彼女にあげたあのパンだ。
「光耀大陸のお茶は少し苦いかもしれませんが、飲んでみます?」
(光耀大陸?そこなら私も行ったことがあるけれど)
その時は墓地に滞在し、まるで観光などはしておらず、このような東洋の茶葉は飲んだことがない。
しおれた茶葉が湯を孕み息を吹き返すように開いていく……まるで魂が混沌から目覚めていくかのよう。
私はそのまま、一口飲んでみた。
「どうですか?」
「不思議な味……」
「ふふっ……やっぱり、言い伝えは嘘だったんだ」
私が少し疑わしげに彼女を見ると、彼女は自分が口を滑らせたことに気づき、慌てて口を押さえた。
しかし、私が凝視し続けると、彼女は罰が悪そうにしながらぎこちない笑みを見せた。
「前に聞いた話なんですが……お墓の前に光耀大陸のお茶を置くと、魔女の亡霊を除霊できるって」
そこまで言って、彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当かどうか確かめてみたくて、あなたも言い伝えのように茶葉を避けるのかなぁって……すみませんでした!」
「避けなくても問題はありませんが……あまり好きではないので」
「へえ、そうなんで……えええっ? まさか、真剣に答えてくれるなんて……」
「今のは答えてはいけない質問でしたか?すみません。コミュニケーションがあまり上手ではなくて」
私は彼女の驚いた顔を見ながら、もう一度お茶を飲んでみた。不思議なことに、そんなに苦くはない気がした。
「実は、お祭りであなたを見かけました」
私は顔を上げ、彼女のほうを見た。
「グルイラオの伝説には、ターダッキンという謎めいた食霊が存在しています。彼女がいつ生まれたのか、その過去はどういうものなのか、誰も知りません。ただ、各地の墓地で目撃されているようで、とても……その、なんというか」
言い淀んで彼女は俯いてしまう。
「怖い、と言いたいのでしょう。まるで人が死を恐れるように。人間も、私に対して同じ感情を持っています」
私は目を伏せ、茶碗の中の茶葉へ息を吹きかけ、再び口に運ぶ。
「あの……なんかごめんなさい。人間は警戒心が強く、未知なものを警戒してしまうだけで、悪気はありません」
「気にしていません」
「よかった。実は、あなたの存在を知って以来、いつかあなたに会いたいと思っていました」
物言いたげな彼女の顔を見て、私は不思議に思った。
すると、アンデッドパンは深く息を吸い込む。
「だって、私は……」
しかし、彼女の言葉は部屋に突然響いた激しい物音によって遮られた。
「大変、あいつが目覚めました!」
アンデッドパンは叫んだ。
私は心の中で、そっとため息をついた。
私達が座って話し始める前、あのめちゃくちゃな彼をベッドに縛りつけて簡単な修復術をしたのに……まさかもう目覚めてしまうなんて。
「部屋を壊されちゃいます」
アンデッドパンは口元を引きつらせながらそう言った。
私は茶碗をテーブルの上に置いて、騒音の元へと向かった。しばらくすると、世界は私好みの静寂に戻る。
私はソファに戻り、また温かい茶碗を持ち上げた。アンデッドパンが、ぼんやりと私を見つめている。
「さっき、どこまで話しましたっけ?」
私は何事もなかったようにお茶を口に含んだ。
Ⅳ言えない秘密
「あなたをとある場所にお連れします。そのほうがわかりやすいと思いますので。秘密の場所です」
アンデッドパンは、私を連れてとある塔の前に来た。彼女は鍵を銅色の鍵穴に差し込み、重厚な扉を開けた。埃がほんのりと舞い上がり、彼女は思わず咳こむ。
「ここです、どうぞお入りください」
彼女は慣れた手つきで壁のスイッチを入れた。すぐに私の目の前が明るくなり、扉の向こうにある部屋の隅々まで照らし出された。
私の目の前にはなだらかな坂道があり、中央の柱を巡るように螺旋を描きながら上へと向かっている。
灯りは中央の柱にある無数の小さな格子にはめ込まれており、格子には発光する文字がちらほらあった。
「覚えて……いますか?」
アンデッドパンは、私がじっくりとその文字を見ているのに気づき、おそるおそる尋ねた。
私は何も答えなかった。
その格子の後ろからは確かに懐かしさを感じるエネルギーがあるものの、それらはそれぞれ異なるところから放たれているようで、非常に繊細で微弱だ。
ほんの僅かな時間では、そこに含まれている情報は読み取れないが、私は本能的に惹きつけられていた。
私は格子に手を伸ばし、目を閉じ、そのエネルギーたちが私に伝えたい言葉を感じ取ろうとした。
暫くして、私は再び目を開け、理解したことを口にした。
「彼らは全部……これらの格子の後ろに埋葬されています。この塔は、墓地なのですね」
「その通りです……でも、その彼らが一体誰なのか、分かりますか?」
私は首を横に振った。
「これはとても昔に残されたエネルギーで、だいぶ弱まっています。彼らの魂はもうここにはないから、ほかの情報は感じ取ることができません」
アンデッドパンは頷いた。まるで、私の答えが想定内だったかのように。その後、私を導くように、彼女は坂道を歩きはじめた。
「ついてきてくださいますか」
彼女が一体どういうつもりなのか、私には分からなかったが、ただ、ここの珍しい光景に、私が興味を覚えたのは事実だった。
彼女に付いて坂道を上ると、前方に何かがあることに気づく。
角を曲がった先で、左側の壁に私は目を奪われる。
そこには、一枚の長い長い壁画が壁に沿って上へと広がる。野生と神秘に満ちた配色は、一瞬、アンデッドパンの顔に描かれた模様のように見えた。
柱の上の格子から放たれる光が、左側の壁を綺麗に照らしている。よく見ると、壁の壁画は一つの物語を描いている。
壁画の第一部は海で、海には巨大な艦隊があり、それらの船は全て帆船。今の造船技術とはだいぶ異なり、遠い昔の型であった。
その艦隊の中で最も大きな帆船の上で、制服を着たキャプテンが望遠鏡を持ち上げて遠くを眺めていた。彼の後ろの将兵たちはとても興奮した様子で、槍を持った手を高く掲げており、どうやら出航したばかりのようである。
第二の壁画には、彼らが航海の過程が記されていた。この船団は海で多くの試練を味わったのだろう。
壁画の上には稲妻と嵐が現れ、海の色も黒に変わっている。
船員たちは巨大な海の怪物に攻撃され、魅惑的な海の妖怪にも遭遇した。天を突くような大波が船団を揺さぶり、やがて全てが落ち着くと、大船団は半分を残す程度に減っていた。
生き残った船のキャプテンは、依然として船首に立っている。
彼の指は前方を指しており、その方向に目をやると、一本の金色の海岸線が現れた。船団はいくつもの苦労を重ね、とうとう目的地に辿り着く。
第三の壁画は、船団が上陸した後の様子を描いている。
彼らは錨を下ろして岸に上がり、手に槍を持ち、陸地に向かって攻撃を始めた。
ここまで見てやっと、この壁画の船団は、とある植民地のための遠征軍であることに気が付いた。
この塔は、かつてグルイラオで起きた植民地戦争の一部を残すためにここに建てられた可能性が高い。
──それは、人間の歴史の中で消された戦争だ。
私はため息をつき、続きを見る。
第四の壁画では、船団のキャプテンがこの侵略戦争で勝利し、陸地に住む原住民は彼の前にひれ伏している。
(しかし……)
絵の中の、奇妙な点に私は気づいた。
ただひとりキャプテンだけが人々から拝礼を受けている。彼の船団と軍隊は全て姿を消し、彼の背後にあったのは王座ではなく、ひとつの巨大な墓石だった。
「これは、どういう意味ですか?彼の軍隊と仲間は、どこに?」
アンデッドパンは、首を横に振った。
「私にもわかりません」
彼女は私の目を見て、慌てて「嘘じゃないです」
と身振り手振りを交えて言った。
「本当です! これは以前、私(の御侍)の先祖が残した壁画ですが、具体的な意味は私にもよくわかっていないんです」
「じゃあ、どうしてこれを見せてくれたんですか?」
「それはすぐにわかるかと」
彼女は私の手を取って、さらに歩みを早め上へと向かった。
壁画のストーリーが流れていく中で、この壁に描かれているのはこのキャプテンの生涯だということが分かった。
彼の軍隊が何らかの理由で消えてからまもなく、海からまた新たな艦隊がやって来た。
再び、多くの兵士と移住者が新天地に到着し、この新しい領土を管理するキャプテンを助けた。
彼は兵士を率いて現地の都市を改造し、法律を新たに作り、教育事業などを始めた。
原住民は彼の指導のもと、次第に彼の文明を受け入れ、それなりに安らぎのある生活を送れるようになっていった。
しばらくして彼は結婚し、子ども、やがては孫を持つようになった。最後は彼の晩年が描かれていた。
アンデッドパンは私を連れて、最後の角を曲がった。
壁画の、終わりは近い。
ある日のこと、晩年のキャプテンは家を出て、そのまま歩いていた。彼の足跡に沿って見てみると、一瞬、私は呆気に取られた。
彼の前には、かつて上陸したときの砂浜が広がっていた。そしてこの時、白い砂浜には、壁画の中に一度も現れたことのない人物が立っていた。
──それは、私だった。
「これが、あなたを連れて来なければならなかった理由です」
「先祖が言っていました。彼の子孫がこの絵の中の食霊に出会ったら、必ず彼女をここに連れてきて、彼女に深く感謝の気持ちを示すようにと。私の御侍は、一生子供を持つことがありませんでした。ですから、彼は私に託してくださったのです」
「しかし、その具体的な理由と、この塔の由来も含めて……この壁画の背後にある話は、私にもよくわかりません」
アンデッドパンは、私の耳元でぽつりと呟いた。
私は少しばかりぼんやりしていました。
(そんなことが……)
この時、私はすでにこの塔の最上階に来ており、そこには、天窓があった。
私は天窓を通して外を眺め、足元にある馴染みこそないもののよく栄えた都市や、遠くに薄らとある海岸線を一望した。
「やっと、お戻りになられたのですね……」
「お久しぶりですね、ミッドガル。それとも『マード』と呼ぶべきでしょうか」
もうこの世界では消えてしまった──私の故郷だ。
Ⅴターダッキン
まず、綺麗に洗った鴨のお腹に鶏を詰める。さらに、綺麗に洗った七面鳥の中に先ほどの鴨を入れる。そして、具材となる野菜や香辛料を詰めて、お腹を縫ってオーブンで炙り、完成。
「ターダッキン」という入れ子の詰め料理は、このマードという国にはなくてはならない感謝祭の料理だ。
「ターダッキン」という食霊はこの暖かさと祝福に満ちた日に誕生したはずだが、残念なことに、彼女を迎えたのは歓呼にあふれたお祝いのムードではなく、がらんとした王宮であった。
目の前には長く豪華な食卓があり、ご馳走と美酒が並んでいる。ろうそくの光が揺れるなか、一人の老いた白髪の女性がテーブルの端の上座に座っていた。そしてそれ以外は、誰一人としていなかった。
しかしターダッキンは、これらをまったく意に介さなかった。
彼女にとって気になることは、誰かが理解できない方法で彼女をこの見知らぬ世界に連れてきたということである。
彼女は好奇心を持って新しい自分を見つめた。それと、見知らぬ周囲の様子も……すると突然、目の前の女性が強い命令口調で口を開いた。
「こっちへ来い、話がある」
ターダッキンが顔を上げると、その女性の手元には絶対的な王権を象徴する杖が握られている。指にはめられている指輪はとても華やかで、彼女の服はゆったりとした丈があり、頭上の王冠は爛々と輝いていた。
しかし、そのすべてが彼女の老けた顔をいっそう暗くする。
腐敗を思わせる匂いを発する肉体がそこにあり、その肉体の中に縛られた魂が苦しみを悲しく訴えていた。
ターダッキンは命じられて動いたわけでもなく、ただ己の好奇心だけで、その女性に向かってまっすぐ歩いていく。
彼女はその女性の前に立つと、身をかがめて、背の高いその身丈に影を落とし、女の目に映る光をも遮った。
「かわいそうに。貴方が私を召喚したのですか? この牢屋から抜け出すために?」
彼女が話しだすと、その女性は目を大きく見開き、体が前触れもなく震え始め、涙もない泣き顔を浮かべた。
「間違いない、間違いなくそなたは、わたくしの願いによって生まれた食霊だ!」
ターダッキンは少し戸惑って一歩後ずさりをし、首をかしげながら目の前の興奮した様子の生魂を見た。
その女性は今や、体を無理矢理支えて立ち上がり、ターダッキンの両腕を掴んでいる。体は枯れているように見えたが、意外にもびくとも動かぬほどの力をその女性は有していた。
ターダッキンはその女性のくびきから抜け出そうとしたが、体内で突然、抵抗を禁じる力が働くのを感じた。
女の笑い声はかすれていた。
「あがくな、ターダッキン。そなたは私が召喚したことで生まれたのだ。従え、そなたは決して背くことはできない」
ターダッキンは、もはや事態が制御できないところまで来ていることにようやく気づいた。
さらに恐ろしいのは、もう自分の名前や、自分がどこから来たのかを思い出せなくなっていることだった。
まるで生まれたときから、自分はターダッキンという名前だったかのように……
「ターダッキン!」
その女性は、再びその名を呼んだ。
ターダッキンは否定したかったが、その名前に対して自然に反応してしまう感覚に抗えなかった。
「なんでしょう?」
彼女は仕方なく、しばらくこの呼称を認めることにした。
その女性はどうやら気が落ち着いたのか、自らの玉座に座ると、ターダッキンに最初の指令を下した。
「わたくしを殺しなさい」
***
はるか昔、辺境戦争よりも前の、食霊と堕神がこの世に訪れてきたばかりの頃。ティアラの大陸には「マード」という国が存在していた。
マード人は勇敢かつ戦上手であり、彼らの末代の女性は特別優れていたようだ。
末代の女性は在位中、軍を率いてマード部族の長老による奴隷制度を覆し、周辺にあった小国をいくつか合併し、繁栄に満ちたマード文明を創造する。
しかし、国家政権が安定してからも、女王の野望は絶えることがなく、永遠の女王になりたいと考えるようになっていく。
女王が一体なにをしたのか誰も知らない。ただ彼女が、不死の法を求めるために引き連れた軍隊を連れて帰ってくると、方法はすでに見つけたと公言したことだけが知れ渡る。
それから人々は、二度と女王に会うことはなかった。ただ次々とおこなわれる政令の公布が女王の存命を証明し、実際にも彼女は王宮の中で生きた。
時は三百年以上も流れ、女王は確かにマードにおいて最も長寿な権力者として君臨し続けた。
民間の伝承によると、女王は神の宝を手に入れ、永遠の命を手にし、生涯を通じてマードを守り続けたという。
しかし、女王だけがすべての真実を知っている。
彼女は死神との追いかけ合いに夢中となり、何も顧みることなく、度重なる警告を無視し、死との繋がりを断ち切ることに躍起となっていた。
不死をやっと手に入れたかと思ったとき、突如として顔がやせ衰え、身近にいた人々は突然死んでいった。そうして彼女は、強く知ることになる──この世の何かを手に入れるならば、代価を払わねばならないことを。
永世の代価は、心身の絶対的な孤独だった。
不死とは、魂を拘束し、朽ち果てた肉体に永遠に閉じ込めることであり、肉体は魂の牢獄と化す。
そして、かつて狂ったように求めていたものは今や彼女が逃げようとしても逃げられない悪夢となり、永久の監獄の中に閉じ込めたのだった。
この感謝祭の日、彼女は人々を退却させ、死を願った果てにターダッキンを召喚し、自分を殺すよう命じた。
ターダッキンは死の願望に順応してきた存在であり、これこそが他の食霊との違いかもしれない。だからこそ、彼女の対話の対象はしばしば肉体ではなく魂であった。
彼女は魂に対して親近感を抱いていた。なぜこのような魂を導く能力があるかは、彼女にもわからないことではあったが。
ターダッキンは、はじめからわかっていた。この世界では、魂と肉体が噛み合わないことがある。
もし魂が自らと合わない肉体に出会った場合、その個体は自己矛盾と苦痛を感じてしまう。そのような魂は、往々にして早くに自己消滅へと至るものだ。
ターダッキンにとっては、自己消滅を選んだ人間は受け入れられるものだった。それは魂自身の選択であり、魂は新しい輪廻の中でより自由な選択の後に、より良い場所へと向かえるようになるからだ。
マードの女王は大きな墓を建て、自らの死のために複雑で美しい設計をしたが、その安眠の地に眠ることはできずにいた。
ターダッキンは彼女の肉体に閉じ込められている魂がすでに疲れ果てているのを見て、彼女を開放することを引き受けた。
そうして涅槃の火のもと、女王の魂は自由となった。
それからまもなく、彼女はアンデッドパンの御侍の先祖に会った。
女王がこの世を去った直後、グルイラオ王朝がこの神秘的な国へと戦を仕掛ける。舵取りは彼の軍隊を率いて王宮に向かったが、孤独な玉座の上には新しい墓しか視認できなかった。
この時、ターダッキンは既に王宮を離れ、あてもなく歩いていた。
戦争のためか、この土地には多くの迷える魂が彷徨っており、ターダッキンはそれらをひとつずつなだめ、往生へと送っていた。
ふらふらと歩いた果てに、彼女は砂浜に辿り着く。
その砂浜では、何かに縛られた多くの魂が悲鳴を上げている──彼女はそう直観する。そして、強く共鳴するように、彼女は思わず怒りと悲しみの涙を流していた。
彼女が涅槃の火を使い、霊魂を解放しようとしたその時、頭巾をかぶった覆面の人物が現れ、彼女を阻止しようとしてくる。
「何をするつもり!」
人間の力は、彼女にとって蟷螂の斧に等しいものだ。
ターダッキンは彼を抑え、自らの儀式を続けようとしたが、すぐに異変に気が付く。この砂浜にいるのは、彼女が最近見てきた人間の魂ではないことに。
(彼らは、なに?)
彼女はためらうことなく覆面の人物を目の前まで引っ張ってくると、すぐに真相を知ることとなった。
先のマードでの植民地戦争において、侵略者が使ったのは人間の兵士ではなく、すべて食霊による軍隊だったのだ。
これらの食霊は、キャプテンの采配に従う、絶好の殺戮兵器であった。
この侵略戦争の終焉と共に、彼の母国は彼が植民地で過度に軍事勢力を拡大するのを懸念し、戦闘に参加したすべての食霊を強制的に消滅させた。そして、母国から人間の植民軍を派遣し、植民地に駐留させる。
戦闘と消滅。これらは秘密の合意であり、当時すべての食霊の軍隊の宿命でもあった。
ところが、覆面の人物はターダッキンにもう一つの恐ろしい真実を伝えた。
──人間の力では、召喚された食霊を本当に消滅させることはできない。これらの軍隊はすべて霊体の状態で、世界のとある地下に封印される。彼らは力を完全に封印された状態で、長い年月をかけて、ゆっくりと完全に解きほぐされる日を待つしかない運命なのだ。
この砂浜で、ターダッキンが感じた悲鳴はこれらの食霊のものだったのだ。彼らのほとんどは永遠に死ねないような状態で、その魂を鎮圧され続け泣いているのだ。
「どうしてこのような真似をしたのですか?」
ターダッキンには、人間の残酷さが理解し難たかった。
「貴方たちは、どのような権利で彼らの魂をこのように扱うのですか」
「彼らはもともとこの世界に属さず、無理矢理に現在の形へと作り上げられた存在です。それでもなお、彼らを苦しめるというのですか?」
目の前の覆面の人物はターダッキンの問いを聞くや、いきなり膝をついて地面に倒れ、顔を覆って激しく慟哭した。
「彼らを連れていってくれ……連れていってください……!」
ターダッキンは彼を無視すると、再び涅槃の火を召喚した。そして多くの霊力を消耗し、多くの時間を使った結果、ついに砂浜を彷徨っていた食霊すべてを往生へと導いた。
彼女は最後の魂を導いた後に振り返ってみると、あの若い覆面の人物は白髪だらけの老人となっていた。人間の時間は、所謂食霊のそれとは違う。
彼らの命は蜉蝣の命のように短いが、かげろうのように木を揺り動かすことを好む。
その行いのうちのいくつかは悔い改めることができる。
白髪だらけの老人は彼女に深くお辞儀をし、ターダッキンもこれに頷き、転身して去って行った。
「……あれから、私は他の土地へと行きました。ここに帰ってくるのは、これが初めてです」
ターダッキンは持ち上げたカップをテーブルに置いた。
「なるほど……まさか私の御侍のご先祖様に、そんなことがあったとは。彼が残した塔は、おそらく後ろめたさから密かに建てたものなのでしょうね。彼はその砂浜の砂利を使い、兵器として戦った食霊たちのための供養塚を作りたかったのでしょう……」
アンデッドパンは、そうこぼした。
そして、口を閉ざしているターダッキンへと視線を寄越すと、再び問いかけた。
「ところで、ここを離れたあとはどこに行かれるのですか?」
「魂に導かれるまま。彼らが、私の行き先を示してくださるので。」
「えっと、今回もそれに含まれているのですか? 彼の痛みの気がついたから……?」
アンデッドパンは部屋のほうを指した。
彼女が塔の頂上から帰ってくると、部屋の中はずっと静まり返っている。
「ええ」
「では、どうして今回は往生ではなく、逆に彼を肉体に残したのですか?」
ターダッキンは首を横に振った。
「すべての苦しむ魂を送るわけではありません。彼の魂は、ただ私にそうしてほしかったのです。」
アンデッドパンは大きく頷く。
「わかったような、わからないような……でも、納得はしました」
彼女はそう言いながら部屋のほうを見ると、今度は驚きのあまり軽く飛び跳ねた。
部屋のドアが、いつの間にか静かに開いているのだ。
そして赤髪の食霊が片目を失い、髪を振り乱しながら、ドアの枠部分にしがみつく形で息を軽く吐いていた。
ターダッキンは彼からの視線を感じたかのように振り向いた。
「オレの魂がどうしたいのかだと? それを知っているのはオレだけだ」
赤髪の食霊はそういった。
アンデッドパンは勢いよく飛び上がった。
「な、なんですか!」
すると思いがけず。その食霊は不可解な笑みを浮かべた。
彼はターダッキンの前までゆらゆらと歩み寄り、手を伸ばす。
「だが、納得はできた。オレはミネストローネだ、よろしく」
人の魂の形は、どうであれ人の目に映るそれとは一致しないものだ。
鏡の中にいるのは本当の自分なのか、ときおり自分でも判断ができない。
時の輪廻はついに新しい節目へと辿り着き、物語はこれからも紡がれる。その先に待つのが涅槃であれ壊滅であれ、全ては続いていくのだ。
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