パッタイ・エピソード
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パッタイのエピソード
賢く機敏で果敢な女性。積極的な性格のおかげで、残酷なビジネス競争の中で頭角を現した。生まれにより彼女は仏教徒である。危機に直面しても心を乱す事なく、独自の目線で切り抜けられる。力に屈せず、強権を恐れない彼女は、まさしく鉄の女だ。
Ⅰ.異常
「ねぇねぇ、見た?今日新聞に載ってた大ニュース!」
「あの香料の事?聞いたよ、怖い……」
メイドたちの立ち話が耳に入ってきた。私の新たな一日はまた彼女たちの声から始まった。
ちょうどいい陽射しが、部屋を明るくした。でも私の心の焦りを拭う事は出来なかった。
普段通りリビングの仏像に礼拝し、気もそぞろに豪華な廊下を歩いた。
納得出来るかどうかはさておき、私の生活は確かに変わった。
のんびりとしているけれどつまらない今に比べて、私はやっぱり御侍様と一緒にお店を切り盛りする忙しない日々の方が好き。でもいつになったらあの頃に戻れるのかしら?
今でも、御侍様が急に私と一緒に働きたくないと言い出した理由がわからない。
「これからはもう店の事は心配しなくてもいい」と言われ、私は「はい、わかりました」と返事をした。
彼が隠れて何かおかしな動きをしている事は知っていた。心配だったけれど、問いただす事はしなかった。事が済んだらきっと、私に説明してくれると信じていたから。
しかし数か月過ぎても、彼は何も教えてくれなかった。
この疑問は異物のように胸の奥でつっかえ、心配で気になるけれど、どうすればいいかわからなかった。
私は思わずため息をつき、歩みを止めた。顔を上げると、目の前にはまた書斎があった。
最近よく書斎に来ていたから、それで無意識の内にここに辿りついてしまったのでしょう。でも中の本は全て読みきってしまったから、この部屋にはもう私の時間を潰せる物はない。
「やはり他の所に行こう」そう考えていたら、ドアの隙間からおかしな物が見えた。
いつも何も置かれていない机の上に、乱雑にいくつか書類が置かれていた。
確か執事が、昨夜御侍様が帰っていたと話していた。きっと仕事関係の書類でしょう。
もう長い間御侍様のビジネスに触れてこなかったから、今の進捗や、どうやって急激に巨額の財産を稼げたのかについて知らなかった。
少し見るだけなら、大丈夫でしょう?
好奇心に負けて、私はこっそりと書斎に入り、書類を一つ手に取り読み始めた。
品名が空欄になっている、書き忘れた?――待って!?一、二、三、四、五……一体何桁あるの?御侍様はいつからこんなに大きな取引をするようになったの?
その納品書をじっくり確認するため、思わずそれに顔を近づけていた時――
コンコン。
ドアを叩く音がした。
緊張したせいか動悸が止まらなかった。私はすぐに見積書を机に戻し、ドアの方を見た。
そこには執事が立っていた。
「パッタイお嬢様?」
「……何か用事かしら?」
「旦那様が、今晩の宴会にお嬢様も同席するようにと仰ってました」
Ⅱ.夜宴
宴会のホールは目を奪わんばかりに絢爛と輝いていた。足元の分厚い絨毯は柔らかく、まるで雲の上を歩いているようだった。
悠揚な音楽は静かに流れ、グラスを交わす音で幾分の喧騒が彩られた。
このような場所は、久しく来ていなかった。御侍様のビジネスが軌道に乗り始めた頃、私はよく厚かましく一緒について行っていた。
御侍様はいつも言っていた。
「ビジネスは人脈が一番大事だ」
人脈を広げるため、当時の私達は安物の礼服を身に纏い、他人に後ろ指を指されても嘲笑われても、笑顔を崩さず出来る限り全ての来客と酒を交わした。少しでも印象を残すためだ。
今はそんな事は必要ない。私達の衣装は華麗で豪華だ、当時私達を馬鹿にしていた人達が私達に献杯するようになった。
「あぁ、貴方がシルヴァさんですか。お名前はかねがね伺っております」
「どうも」
御侍様は目を細め、話しかけてきた人と乾杯した。
「こちらのお嬢さんは?」
「私の食霊です」
「彼女が食霊ですか!おぉ、これは珍しい……」
「食霊」という言葉を聞いて、見知らぬ男は興味が湧いたのか、話しぶりに熱がこもるように見えた。彼は私の事を、精巧な美術品として見ていた。
こんな経験は今まで数えきれない程あってきたが、このような視線は相変わらず不快だった。冷静に、そして笑顔で。御侍様の客人の前で失態を見せてはいけない。
心の不快感を抑え、静かに微笑んだ。
「本当に珍しい物ですよ!高かったでしょう?」
彼は私から視線を移し、自分のあごを撫でながら御侍様に向かって笑いかけた。
「……」
この言い方……
御侍様の方を見た。彼の顔に動揺はなかった。
ただ笑って、また相手と雑談を始めた。
私の心は空っぽになった。
彼が初めて私を物だと黙認したのだ。
明るい光に照らされた御侍様の横顔を見た。彼の目には熱が一切こもっておらず冷めきっていた。まるで見知らぬ人を見ているようだった。
彼はこんな姿をしていたかしら?
私の記憶の中では、彼はこんな風に冷たく笑う人ではなかった。そして他人に私をバカにする事を許すような人でもなかった。私達の関係は友人で、仲間で……
いつからこうなってしまったのだろう?
どうしてこうなってしまったの?
私は長い間彼を見ていなかった。
御侍様……あなたは誰?
「シルヴァさん、宜しければ外でお話出来ませんか?」
「光栄です」
御侍様の動きで、意識が戻った。彼らのあとをついて行こうとした時、止められた。
「君は来なくていい」
Ⅲ.信頼
数年前まで、私の御侍様はただの普通の小売商だった。
彼は真面目に鉱石関係の商売をしていたが、ぎりぎり生活出来る程度の少ない収入しか得ていなかった。
私を召喚した時、彼は驚きながらも喜び、目からは光が溢れていた。古いけれど塵一つ被っていない仏像に向かって何回も拝んでいた。
最初、彼は私の事を天から授かった宝として大事に守っていた。だけど長い時間を経て、私達は徐々に友人になっていった。
彼は少しずつ私と対等な関係で話せるようになってきて、私に商売上の悩みを話して、相談するようになった。
彼の悩みを少しでも軽くするため、私は真剣にビジネスについて学んだ。徐々に自分なりのやり方を会得し、彼の事業を手伝えるようにまでなった。
こうすれば彼の役立つ右腕になれるでしょう?
私は彼に安心して自分の夢を追えるようになって欲しかった。だからいつも彼に「後処理は私に任せて、貴方はやりたい事をやって!」と言い聞かせてきた。
そして彼も私の励ましの元、どんどん大胆になっていった。
私は彼と共に努力出来る事、彼に認められる事が何よりも嬉しかった。彼のためなら自分の時間を犠牲に彼の仕事を手伝い、彼がどんな困難にぶち当たっても手助けが出来るようになりたかった――
だけどある日、この生活は突如終わりを告げた。彼は私から距離を取り、ビジネスから私を遠ざけた。
まさにその時、彼は急に上層部の連中と関わりを持つようになった。
その後の事は、私は知らない。
私は彼が新たに購入した邸宅の中に放置され、まるで家具、まるで花瓶だった。
私は彼が自主的に私に全てを話してくれる日まで耐えられると思っていた……だけどもう疲れた。
私は、御侍様が「有能」はたまた「お金持ち」である事を象徴するための物。私はただのお飾りで、それ以外に価値はないみたいだった。
彼は私の努力をもう必要としていない、もう二度と優しい笑顔で私を見ない。まるで私がやってきた事は何の意味もなかったかのように。
私はその場から離れず、彼が人ごみを避け、開けたバルコニーに向かうのを見ていた。両手で思わず礼服の裾を握り締めていた。
私はとても、とても落ち込んでいた。もしかしたら悲しみや怒り、その他の感情も混ざっているかもしれない。私はずっと、私達は対等な仲間であると思っていたのに、彼は何度も何度も私を押しのけた。まるで私はその位置にいるべきではないと言っているかのように。
こんな日々がずっと続いていくの?
私は永遠に花瓶として、誰かによって自分の価値を決められなければならないの?
礼服を着て身動きがまともにとれない、ただの象徴としての存在、それが私?
これは「私」と呼べるの?
「……」
話をした方がいい。
ホールの中央に立ち、私はそう思った。
時間を探して、彼に自分の想いをはっきり伝えなければ。こんな日々は辛すぎる、耐えられない。もう何か月も待った、これ以上は待てない。全てをきちんと話せば、彼はきっと理解してくれる、そして私も彼の役に立てるはず。
だって、私達は友人で、仲間で、家族だ。私達は長い日々を共に過ごしてきた。築いてきた感情はこんな容易く変わる訳がない。
きっとそう。
Ⅳ.契約
「全員手を挙げろ、勝手に動くな!」
邸宅の門が強行突破され、軍人のような人達が十数名押し寄せてきた。リーダー格の人は突然銃を構えた。
メイド達は叫んだが、一発の銃声の後全ての声は止んだ。
彼の目付きは鋭く、銃口からは煙が立っていた。
「次は外さないぞ!」
彼は部屋に入り、一人ずつ表情を観察していた。最後に視線を私に定めた。
「食霊はお前だろ?」
「えっ?!」
私は驚いた。
「何があったの……貴方達は誰?」
「パッタイ!」
その時ようやく軍人の後方に手錠で拘束された御侍様が見えた。
宴会が終わった後、御侍様は執事に私を送らせた。彼は彼とずっと話をしていた男性と同じ車に乗ってその場を離れ、気付けば数日が経っていた。私はずっと彼と話す機会を探していたが、まさかこんな形で私の前に現れるとは思わなかった。
「奴らを止めろ!」
彼は髪が乱れて薄汚れていた。全身血だらけのまま狼狽した様子で私に向かって叫んだ。
私はつばを飲み込み、彼の目も当てられない姿から目が離せなかった。
彼が怪我をしている、私は彼を守らなければ。
どうして軍人が彼を捕らえているのかはわからない。だけど彼は説明してくれるはず、きっと。
私が歯を食いしばって霊力を貯めると、私の身の回りの数珠が浮き上がった。
私の次の動きを待たず、軍人らは私を包囲し、黒い銃口が全方位から私を指した。
銃弾は私に大した殺傷力を与えられないので、怖くはなかった。だけど彼らの会話の方が、私を動揺させた。
「食霊、すぐに抵抗を止めろ!隠蔽罪として同罪処理するぞ!」
「隠蔽罪!?」
「シルヴァを『違法香料を密輸した事により東パラータに社会的混乱を引き起こし、大量の民衆を死傷させた』罪状で逮捕した」
「香料……密輸……?」
彼があの商人らと秘密裏に商売していた事、あの桁外れな納品書、そして突如もたらされた富……
疑問と推測が頭の中にどんどん膨れていく。
「チッ、知らなかったのか」
「……」
違う、違う違う違う違う……
御侍様はこんな事をするような人じゃない!
違う。違う!
「シルヴァ!まだ黙っているつもりか?」
「あの納品書はどこだ、言え!」
御侍様は答えず、ただ私を睨みつけた。
「どうしたパッタイ?早くやれ!」
「御侍様?誤解よね?!」
密輸?違法香料?
彼はそんな事しない、私は彼をよく知っている。分かっている!
私は御侍様の目を真っすぐ見て、彼の口から確認しようとした。彼が全ては誤解だと言ってくれれば、私は安心できる。この軍人らを倒して逃げてから、今回の件を解決する方法を一緒に探してあげる。
でも私は彼の表情から怒り以外の感情を読み取れなかった……これは黙認しているという事?
「誤解……だよね?」
私は全身が冷たくなり、声が震えた。銃弾が私に傷をつくるよりも、この事実の方が私を傷つけた。
「やれ!殺せ!」
思考は完全に停止した。恐怖が私を支配した。
彼の言葉は操り人形を操っている糸のように、私の体は制御出来ずに勝手に動き始めた。この時、私は初めて本当の意味での「契約」の怖さを身を持って知った。
怖い。
私は何をしている?どこへ行こうとしている?
分からない。指の一本すら自分の意志で動かす事が出来なかった。ただ糸に操られ機械的に舞う事しか出来ない。命も、意思もなにもないかのように。
今この身に起きている全てによって「私」という存在が否定されていく。
怖い。大声で叫びたいのに、喉から一言も発する事が出来ない。飛び散る血液の色も、飛び交う銃声の音も、私は見えないし、聴こえない。ただ御侍様の声だけが脳内に響いた。
殺せ。
奴らを殺せ!
――次の瞬間、身体の力が唐突に抜かれた。目の前の世界が揺れ、私は冷たい床に落ちた。
朦朧とした意識の中、何かが解けた気がした。だけど私にはもうそれ以上考える気力はなかった……
「グリーンカレーさん、シルヴァの罪は密輸だけでした。生かして尋問するべきだったのでは?しかも納品書もまだ――」
「あの男が死ななければ、彼女は君たち全員を殺していた。銃なんかで食霊を抑えられると考えていないだろうな?」
「し、しかし……」
「聖王の方には僕が説明する。君達は……」
「彼女を連れて帰れ」
Ⅴ.パッタイ
どうしてかパッタイの精神は抜け出せない世界に陥っていた。彼女は何か形のない力によって、どんどん深く、そして暗い場所に引っ張られていった。
漆黒の深淵の中、彼女は懐かしい場所に戻っていた……
彼女はいつかの御侍が見せた、人の良さそうな笑顔を見ていた……あの時のボロボロな家を見ていた……その時の苦しくも楽しい毎日を思い出していた――
画面は急に止まり、彼女を冷たい家に連れて行った。
そこにいる御侍からかつての笑顔はなくなり、そこにいる人は単純ではなかった……
光の下の虚栄……宴会中の人間の偽りの笑顔……仮面の裏の嫉妬の目付き……
鮮血……裏切り……御侍が堕落していった光景が脳裏から消えない、彼が言っていた言葉は聞こえない……
記憶は無数の人間の鮮血で染まっていった……
御侍の目にあったかつての輝いていた光はとっくの昔に消え失せていた……
彼女の思いやり、譲歩、信頼そして好意は、「人間」によって踏みにじられた……
やっと思い出した、これらは……記憶のカケラだ……
彼女はもうそれらを見たくはなかった……
この時、彼女は、やっと自分が何者なのかと完全に理解したのだ……
そうだ、彼女は人間とは違う命、彼女は食霊だ……
食霊は人間と対等の身分で付き合えない運命だ。
「――うっ!」
夢から醒め……パッタイは意識が途切れる前の最後の場面を思い出していた。
彼女はベッドから起き上がろうとした。身体の傷は全て丁寧に手当てされ、失った霊力も大半は戻っていた。
昏睡してから何が起きたのか?ここはどこなのか?
彼女が周囲を観察している時、見知らぬ人影がドアに近づいてきていた。青緑の長い髪をした彼は、顔に仮面をつけていた。どうしてか、パッタイは彼に謎の親しみやすさを感じていた。
「怖がるな、ここは安全だ」
グリーンカレーは数歩離れた距離から言った。
「僕は食霊だ」
「……」
パッタイは少し安心した。
彼女はグリーンカレーに色んな事を話した。
昔信頼していた事、そして御侍の裏切り……
彼は終始黙って聞いていた。
パッタイは自分の気持ちを発散出来る場をみつけたかのように、全ての気持ちをグリーンカレーにぶつけていた。その行動が失礼だと気付いた時、彼女は理性を取り戻した。そして彼はようやく口を開いた。
「まだ人間の言いなりになるつもりか?」
言いなり?
それにはまだ命がある。自分は前までただの花瓶に過ぎなかった。本当に笑えるわね。
ここまで考えたパッタイは、遂にしばらく見せていなかった笑顔を見せた。
「いいえ」
夢はもう醒めた、そうでしょう?
「私は、道具じゃない」
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