緋桜百物語・ストーリー
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緋桜百物語
あらすじ
伝説によると、遥か昔、
桜の島の人間は理性のない『怪物』に脅かされていた。
人間は立ち向かう術を持っていなかったため、
強い力を持った『妖怪』に守って貰おうと、
一日を昼夜に分け、『妖怪』を夜の主とした。
いつしか、血のように真っ赤に染まった夜に、
『妖怪』たちは長い街道を通り、
桜の木の下に集まるようになった……
そして、人間はその不吉な夜を『紅夜(こうや)』と呼び、
『妖怪』たちが集まって街道を通る情景を
『百鬼夜行』と呼ぶようになった……
目次 (緋桜百物語・ストーリー)
- 緋桜百物語
- あらすじ
- メインクエスト
- 祟月
- 1.紅葉
- 2.ボス
- 3.安寧
- 4.強盗
- 煉獄
- 5.荒廃
- 6.「怪物」
- 7.食糧
- 8.答えがない
- 計画
- 9.極楽
- 10.夜行
- 11.野望
- 12.賭け
- 商人
- 13.出くわした商人
- 14.か弱い商人
- 15.隠れた商人
- 16.優れた商人
- 神社
- 17.神に跪く
- 18.狐
- 19.約束
- 20.目的
- 稲荷
- 21.鳥居
- 22.意義
- 23.神様
- 24.認める
- 海神
- 25.「妖怪」
- 26.祭礼
- 27僥倖
- 28.庇護
- 蛇影
- 29.孤島
- 30.案内人
- 31.本当の「海神」
- 32.貸し借り無し
- 賭け
- 33.紅夜の約束
- 34.玉手箱
- 35.賭けが始まる
- 36.追従
- 夜宴
- 37.酒宴
- 38.欺く
- 39.堕神
- 40.緋桜物語
- エピソード-サブクエスト
- 祟月
- 怪談・百鬼夜行
- 日常
- 考え
- 嘘ついたら針千本飲ます
- 怪談・針女
- 守護
- 見かけたら殴る
- 偏見
- 月兎
- 鬼女
- 歌舞伎町
- 怪談・人魚
- 怖くない怖くない
- 花魁
- 推薦
- 鳥籠
- 怪談・面皮
- 姫
- 再建
- 一般商人土間さん
- 託す
- 稲荷神社
- 恨み
- 般若
- 目標
- 怪談・九尾
- 枷鎖
- 結界
- 変わり果てた
- 自白
- 首領
- 巫女
- 八岐島
- 八岐村
- 海に祭る
- 怪談・肝食い
- 死の地
- 生贄
- 怪談・案内人
- 水の鬼
- 宿願
- 壺
- 蜃海楼
- 緋桜
- 龍宮
- 指名手配
- 面倒事
- 奪還
- 不老不死の仙薬
- 百鬼夜行譜
- 伝説
- 妖怪・青行燈
- 月と太陽
- ヤキモチ
メインクエスト
祟月
鹿威が石の面で軽く叩くと、そよ風とともに吹く風のベルが、もっとものんびりとした午後のはずだった
1.紅葉
鹿威しが石に打ち付けられ、「カラン」とした音を響かせた。白い髪の青年は茶を淹れるため湯呑みを温めていた。茶托の横には三色団子が数本置かれていた。
そこには平和で静かな景色が広がっていた。そよ風に吹かれ、軒下に吊るされた風鈴が鳴った。陽ざしが軒の遮りがあって、斜めに膝に降り注いだ。風鈴の音色、暖かい陽射し、青年は目を細めて湯呑みを持ってのんびりとした午後を楽しんでいた。
はずだった……
ダダダダッ……
忙しない足音を聞いた瞬間、月見団子はため息をつきながら湯呑みを下ろした。そして、致し方なく振り返った。
やはり――
職人:月見さん――大変です!ボスがまた喧嘩してます!
どうしようもない気持ちと頭の痛みを抑えて、月見団子は最大限優しい顔を子分の方に向けた。
月見団子:……彼は毎日喧嘩しているでしょう、日に二、三度喧嘩する事もありますし、そんなに慌ててどうしたんですか。
職人:違うんです――今回は、紅葉山に乗り込んで行ったんですよ!
月見団子:紅葉?!何故急に紅葉山へ?!
職人:好像是红叶山的几个小弟出现的时候就满身是伤,没过多久就咽了气,老大嚷嚷着「连小弟都保护不好做什么老大!!」就冲过去了。
(オレ達が紅葉山に現れた時、皆怪我をしていました。一息つく間もなくボスが「皆を守れないボスなんて!」と怒鳴りました。)
月見団子:……彼に何度も言ったはずです、我々の今の勢力では紅葉山には太刀打ちできないと!
月見団子は慌てて紅葉山に向かった。しかし出掛けてすぐ、遠くない所に見慣れた赤い人影を見付けた。その人影は救世主が現れたと言わんばかりに、跳ねながら彼に向かって手を振っていた。
明太子:月見――月見――早く助けてくれ!
明太子の苛立つ表情に気付いた月見団子は、一先ず疑問を置いて、足早に明太子の元へと向かった。
近づくなり、月見団子は濃い血生臭さに気付いた。彼は無意識に明太子の体を確認したが、幸いにも体に傷は一つもなかった。
安下心来的月见团子看向明太子身后,身后的小弟们手中抬着个临时搭建的简易担架,而担架上躺着的,正是让他一直都忌惮的「红叶」。
(月見団子はひとまず安心してから明太子の後ろを見た。後ろの子分の手には簡易的な担架があり、その上には彼がいつも忌避していた「紅葉」が乗せられていた。)
明太子:月見!何見てんだ!早くこいつを助けろ!
月見団子:わかりました、まず彼女を崇月に運びましょう。
2.ボス
明太子:離せ――!オレを離せ!おいっ――首根っこを掴むな!
ドンッ――
明太子:いってぇ――
鈍い音と共に、小さな赤い人影は部屋の外に投げ出された。明太子は自分のお尻をさすりながらゆっくりと立ち上がった。しかし、彼は珍しく自分を放り出した者と争う事はなかった。なんだか後ろめたい様子を見せていた。
――先程、月見団子がすぐに気付いたから良かったものの、明太子が手伝おうとしてやろうとした動きは「紅葉」を傷つけていたかもしれない。
月見団子:ボス、そんなに手伝いをしたいのなら、見回りをして来たらいかがでしょうか?最近色々と騒ぎが起きているらしいので。
明太子:わかったよ……行けば良いんだろ……おいっナイフ投げんな!今すぐ行ってくるから!
月見団子の額に青筋が浮かんでいるのを見て、明太子はぶつぶつと文句を言いながらも、大人しくその場を離れる事にした。
明太子:あいつ……まだオレのことを舐めやがって!今度こそこてんぱんにしてやる!二度と口出しできないようになっ!ッチ!
月見団子:ボス、帰り際ついでに「極楽」に寄って、大吟醸特製のお酒を貰って来てください。
背後から月見団子の声が聞こえて来て、明太子は驚いて一つ身震いした。振り返って月見団子の真っ黒な顔色を見て、即座に足を速めた。
明太子:あっ、ああ!わ、わかった!
月見団子:きちんとボスとして、私はもし何かちゃんとリーダー相応しいことをするなら、この月見は当然そんなことをしない。もし旦那が異論を持つなら、これから私は手を出さない。
明太子:いいいいやっ、オレは使えないヤツらのことを言ってたんだ!そうだ!あいつらのことを言ってたんだ!
月見団子:ほお?そうですか?
明太子:もももちろんだ!じゃあ、行ってくる!
また余計なことを言わないよう、明太子は慌てて崇月から出ていった。
職人:ボス!お疲れ様です!流石ですよ!あの「紅葉」を倒すなんて!ついでに紅葉山も我々のモンにしましょうハハハハハ!
明太子:どけどけ、ゴマすりはいいから!見回りに行くぞ!最近どっかで騒ぎが起きてるらしいな?
職人:最近ですか?崇月の周りは特にないんですが、近くの縄張りは結構荒れてるらしいです。時々俺らの縄張りに逃げて来た奴らが物を盗んだり、暴れてるらしいです。
明太子:おっ?そんなこと起きてんのか?
職人:そうです。ボスの英明な判断で仲間たちを配置しなければ、被害を被る店が出てきたやもしれませんな!
明太子:フンッ、わかってんじゃねぇか。オレの縄張りを荒らすなんざ良い度胸してんじゃねぇか!ヤツらはオレ様の強さを知らないんだなっ!行くぞ!
3.安寧
崇月の縄張りは広くはないが、狭くもない。縄張りにいる人たちも皆友好的で、「みかじめ料」を集めている明太子たちに対しても不満は持っていなかった。
隣人:あぁ!明太子来たのか!いつもありがとう!
明太子:フンッ!オレに感謝しても……
隣人:来月のみかじめ料は払わなければならないんでしょう?わかってるよ、後でみかんを送っておくよ!
明太子:フンッ、わかってんなら良い!
村人:あっ!明太子来た!――お母さん――明太子兄さん来たよ――
隣人:あら、明太子じゃない!この前は本当にありがとう!もし君がいなかったら、どうなっていた事やら!
明太子:お前!なんで起きてんだ!また倒れたら来月のみかじめ料出せなくなるだろっ!
隣人:はいはい、安心して。来月渡す提灯5個はもう出来てるよ、後で持って行くよ。牛乳と果物をくれたお陰で、こんなに早く治ったのよ!
明太子:……フンッ、送ったのはオレじゃねぇ!
道行く人は皆穏やかで、笑みを浮かべていた。時々足を止めて、他の住民と立ち話をする人もいるし。更には偉そうに振舞いながら「縄張り」を見回っている明太子をからかう人すらいる。
職人:ボス、みかじめ料安すぎませんか?しかも貰った物をすぐに別の貧乏人にあげたりして、こんなのみかじめ料になってませんよ……
子分の愚痴を聞いて、明太子はイライラしながら子分を睨みつけた。彼に睨みつけられて、子分は慌てて自分の口を塞いで俯いた。
明太子:お前に何がわかる!月見が決めたことにはなんか意味があんだよ!
職人:そうですそうですね!俺は何もわかってなかったです!申し訳ございません。
明太子の真意を理解していないお世辞のような謝罪を聞いて、明太子はため息をついた。彼も子分たちの疑問を理解出来るが……
豚骨ラーメン:止まれっ!
鋭い声を聞いた明太子は無意識に振り返った。銭袋を抱えたいくつかの人影が彼らの方に向かって走って来るのが見えた。ぶつかった拍子に、その人影らは明太子を羽交い絞めにした。
???:来るなっ!さもないとこのチビを殺す!
明太子:チ……ビ……だと?
職人:おおおおおおっお前ら……
豚骨ラーメン:……早う手ば離した方が身んためだ、ソイツが誰なんかわかっとーとか?
???:うるせぇ!こんなチビ知らねぇよ!来んな!お前ら、早く金を出せ!
明太子:……チビ……二回言ったな?
???:なんだぁ?お前はチビだろ?!
明太子:あああああ!殺してやる!
4.強盗
明太子:クソが!お前!よくも二回言ったな!許さねぇ!
職人:ボッ――ボス――もうやめた方が――それ以上やったら本当に死にますって!豚骨姉さん――助けてください!
豚骨ラーメン:誰ば助ければ良かばい?明太子と一緒にくらしぇばよかか、それとも強盗ば逃がしぇばよかか?
職人:もちろんこの二人を引き離すほうですよ?!
明太子:ふぅーーふぅーー
混乱の後、少しだけ冷静さを取り戻した明太子はボコボコにされた強盗の目の前にしゃがんだ。自分の刀の柄で強盗の頬を叩く様子は、まるで不良のようだった。
うな丼:落ち着くでござる!息を吐いて――吸って――
豚骨ラーメン:???
うな丼:そう……その調子でござる……そのまま……手を放しますぞ?
先程まで暴走していた明太子はゆっくりと落ち着きを取り戻し、うな丼は恐る恐る彼の両手を放した。
明太子:おいっ――お前五体満足じゃねぇか!なんで強盗なんてしてんだ!
隣にいた明太子の子分、豚骨ラーメン、残りの強盗を捕まえに行ってたうな丼たちは不良のような明太子を見て、思わず小さな声で話し始めた。
豚骨ラーメン:軍師しぇんきっと外でボスがこげん事しとーなんて知らんちゃろう……
職人:はい、月見さんがいない時だけこんな事して発散してるんです。さもないと月見さんに吊るされて反省させられる……ボスならボスらしくあるべきだと……
二人の会話を聞いていたうな丼は思わず身震いを一つした。彼は頭を横に振り、自分の記憶にある悲惨な過去を振り払おうとしていた。
明太子:おいっ――聞いてんのか!
???:ううううっ餓死しそうになってなかったらやってなかったうううううっ……
明太子:餓死?食いモン買えばいいだろ?
???:ううう、村人全員死んだ、食べ物なんてない……
明太子:全員死んだのか?
???:ううう、あの化け物共のせいだ!あの化け物共に俺たちの家族は食われた!誰も悪者になんてなりたくなかった――
明太子:(この話どっかで聞いたような……まあ良い……)
明太子:お前らの縄張りの「ボス」は?
???:……
明太子:なんかあったのか?
???:い……いや……
明太子はどうしてその人が視線を逸らすのかわからなかった。しかし、隣にいるうな丼と豚骨ラーメンはよく知っていた。
全ての縄張りの「ボス」が全員明太子のように、ほぼ無償で人間を守りたがる訳ではない。そして、他の縄張りにいる人間は全員がここに居る人みたいに優しくもない。彼らは強い力を持つ「妖怪」を恐れていた、かつてそれらに傷つけられた経験のある人もいるだろう。
明太子の外見は少年のままだが、この土地で長く生活してきた彼が、うな丼の動きに含まれている意味がわからないはずはなかった。
うな丼:ここの平和に慣れたお主は忘れたかもしれぬが。崇月以外の縄張りにどんな地獄が広がっていることか……人間にとっても、拙者たちにとっても……
煉獄
天地を超えた柵線、明太子の目に映った光景は……
5.荒廃
うな丼の言葉はずっと明太子の脳裏に響いていた。明太子は子分たちに強盗らを崇月まで連れて行かせ、月見団子に処理を頼んだ。自分はと言うと、指先を噛みながら、知らず知らずの内に崇月の縄張りから出ていた。
簡易的な柵を使って分断した向かい側の縄張りは、明太子の記憶にあった栄えた姿は見る影もなかった。目の前には荒地が広がり、雑草が蔓延り、至る所に人間が生活していた痕跡が残っていた。
明太子:ま、まさか……こんな短期間で……
彼の記憶では、かつてここにも食霊が一人いるはずだった。彼のような強い戦闘力は持ち合わせていないが、他者を治療する事には長けていた。
無害そうな食霊を見て、明太子は強引にその食霊の縄張りを奪おうとはしなかった。ただ彼と、彼が縄張りにいる人間を守れば縄張りを奪わないという契約を結んだ。
とても優しいヤツだった……彼の前では、明太子ですら大きな声での話し事を憚った。
明太子は唇をギュッと噛み、かつて会ったあの食霊がいた神社の方へと急いだ。あの時は慌てて離れたため、その食霊の名前すら明太子は知らなかった。
しかし彼が到着した時、あの小さな神社は既に荒れ果てていた。かつての鮮やかな赤い柱は、くすんで漆が剥がれ落ち中の木が見えるようになっていた。
明太子:(……あいつ一体どこに行ったんだ)
明太子はあちこち探し回ったが、この荒地には生き物の気配は何もなかった。
明太子:(これは……ひょっとして……)
地面にある赤茶色の跡を見て、明太子は眉をひそめた。
桜の島は美しい場所だ、至る所に綺麗な桜の木が生えている。これらの桜は風に煽られ桜の島中に舞い散り、この土地にロマンチックな桜色を広げた。しかしここの桜の赤は……あまりにも鮮やか過ぎている……
明太子:(仕方ねぇ、まず旧知に聞いてみるか)
6.「怪物」
ここの酷さのせいで明太子のテンションが落ちた。今、眉をひそめて何も言わない模様は普段と比べて全然違った。
明太子の外見は少年らしい、考え方も少年のように活発的、素直なもの。でも不老不死の食霊として、或いは桜の島の人類が思った「妖怪」として、彼は色々なことを経験した。
明太子はこの付近の唯一の堕神の巣窟に来た。巨大な岩穴から微妙なさびの匂いが出た。明太子は思わず自分の鼻を押さえた。
嗅覚が鋭すぎるせいで、自分は逆に粘稠な血液に落ちたみたい。違和感と痛みが体に満ちる。
明太子は眉間に力を入れて強く岩壁を蹴ると、小さな石がポロポロと落ちてきた、しかし岩穴からは何も反応は返ってこない。
明太子:……ッチ!
明太子は額に青筋を浮かべて、口元をひきつらせた。彼は一定の距離後ずさり、岩穴に向かって助走を始め、岩穴の手前に辿り着いた瞬間跳ね上がろうと――
暴食:待て待て待て――!
明太子:フンッ、やっと出てきやがったか。
暴食:これ以上隠れてたら、俺の家が壊される所だっただろ!
明太子:言え!あの人間たちとあいつはどこ行った!
暴食:は?誰の事だ?
明太子:そこの町に住んでた人間たちだ!
暴食:もう食ったわ!
明太子:お前――オレは人間を食うなって言っただろ!
暴食:あんたが言ってたのは、あんたの縄張りの人間の事だろ、あいつらはあんたの縄張りの人間じゃねぇ。あいつらは鶏や家鴨を食うし、牛や羊も食う、どうしてオレがあいつらを食っちゃダメなんだ?フンッ。
明太子:お前!それは違うだろ!
暴食:何が違うんだ!あいつらは動物より強いから動物を食らう、俺はあいつらより強いからあいつらを食らう。どうして俺があいつらを食っちゃいけないんだ?
明太子は目の前で威張っている「怪物」を見て血相を変えたが、そいつの屁理屈に対して反論できないでいた。
ここは元より弱肉強食の世界、桜の島に最初の堕神が現れた時から、人間は恐怖の中自分たちは堕神を倒す力がないと気付いた。その頃、全ての命が踏みにじられていた。
苦しい抗争の中、虚空から初めて召喚し誕生したのが、堕神を倒せる「食霊」であった。
堕神には「食霊」を倒す力はなかったため、一時は桜の島の全ての人間を滅ぼさんとしていた堕神の姿は跡形もなく消えていた。
しかし敵が消えた後、あまりにも大きな力を持つ「食霊」は人間の「貴族」が自分の地位を固めるための障害となった。彼らは人間の仲間「食霊」から、人間に危害を加え災いをもたらす「妖怪」となり、駆逐しなければならない存在となった。
その時になって、「食霊」たちは初めて気付いた、人間からしたら、彼らはあの「怪物」らとなんら変わりはないと。
明太子は手を握っては開き、歯を食いしばりながら、何かを思い出した。顔を上げて、だらだらと自分の手足を揺らしている「怪物」の方を見た。
明太子:……あ……あいつは?
7.食糧
明太子:……あ……あいつは?
暴食:あいつ?どいつだ?
暴食が頭を傾げて真剣に考えている様子を見て、明太子の心の内には既に答えはあったが、期待する気持ちも拭えなかった。
もしかしたら……怪我したから身を潜めているだけかもしれない……
もしかしたら……一時的に離れているだけかもしれない……
もしかしたら…………自分が考えているより状況は良いかもしれない。
明太子の表情に気付いた暴食は、楽しそうに口角を上げて彼を見ていた。更に底意地の悪そうな笑顔を浮かべた。
暴食:あんたが言ってるのは……あの、あいつらを治療出来るチビだろ?
明太子は少しだけ目を輝かせて、顔を上げて目の前の堕神を見た。
桜の島の食霊達はかつての悲惨な経験と、堕神との幾度の接触から、堕神に対して妙な共感が生まれている。堕神は必ず殲滅しなければならない敵ではなくなっていた。
全ての堕神が暴虐な訳ではない、全員が人間を傷つけている訳でもない。彼らも食霊と同じく、桜の島で生活している命であった。
彼らの堕神に対する気持ちは、最初の「殺さなければならない」から今の、一定のラインを超えなければ、「共存できない相手ではない」と思うようになっていた。しかも……食霊も堕神も人間から嫌われている存在だった……
双方が相対する際決して手を抜く事は無いが、かつてのように「敵を殲滅させたい」というような気持ちにはならない。
明太子:そうだ、どこにいるんだ?怪我してるのか?
暴食:あいつは――
明太子の微かな期待の眼差しの中、暴食の笑顔は少しずつ大きくなっていった、彼女は手足を器用にあやつり、ゆっくりと身体を空中へと浮かべ、地面に立つ明太子を俯瞰した。
暴食:あいつがいなければ、俺はあんたと戦う勇気はなかったかもなー
暴食の霊力が膨張していくのを見て明太子は目を見開いた、突然霊力が大幅に上がった事で彼も相手の言葉の意味を理解した。
明太子:お前ーー!
暴食:来てくれないなら、俺から行くよーやっぱり、食霊の霊力が一番美味しいよー
8.答えがない
暴食が綺麗な光の粒と化しゆっくりと空気中に消えていくのを見て、食霊が消えていくのを見た事のある明太子はこの情景を前にして何も言えなくなっていた。
唯一彼に与えた答えは、あいつは既に死んでいた事。彼が欲しかった答えは永遠にみつからない。
このような現実に面して、彼の胸元には怒りがわき上がっていた、だけど誰にこの怒りをぶつけたら良いかわからない。これは堕神、人間、そして食霊のせいでもある……
彼は肩を落として、俯いたままゆっくりと崇月の方角に向かって歩いていった。
しかししばらくした頃、そばの影に潜んでいた視線に気付いて足を止めた。
明太子:出てこい。
鯖の一夜干し:……
明太子:こそこそと付いてきて、なんか用か。
鯖の一夜干し:主が貴方に会いたいと。
明太子:主?
鯖の一夜干し:極楽。
鯖の一夜干しは明太子の返事を待たず影の中に戻って行った。明太子が追いかけた時、地面には水面に出来るような波紋しか残らなかった。
明太子:(……大吟醸の奴オレを探してどうするんだ、いつも月見団子にしか用がないだろ?)
突然の訪問者によって明太子は先程までの気持ちを暫し忘れる事が出来た、彼は深く息を吸って自分の頬を叩いた。
明太子:よしっ!天下一のこの明太子様がこんな些細な事でくよくよしてちゃダメだ!オレがいる限り!これからはもっと良くなる!
計画
月見団子の目に揺れたのか、それとも明太子の心に決意をしたのか、彼は笑った。
9.極楽
多くの人間は知らないが、「妖怪」の中で、「極楽」の店主は結構な有名人であった。
桜の島の貴族たちによって「妖怪」と定義されて以来、食霊の大多数は人間の少ないところに隠居するようになった。残りの食霊も人間のフリをして生活していた。しかし、純米大吟醸のように人間と親しくしている少数派も存在している。
明太子が極楽に到着した時、まだ空が明るいため、極楽の広間にはまだ人はあまりいなかった。店員数人が空っぽの広間を掃除しているだけだった。
明太子は広間に飾ってある露骨な絵画を見て、思わず顔を赤らめていた。彼は鼻先を触って視線を逸らし、先程伝言を伝えに来た鯖の一夜干しの姿を探した。
彼が振り返った瞬間、無言で彼の後ろに立っていた鯖の一夜干しに驚いた。
明太子:うわっ――なんで後ろに立ってんだ!
鯖の一夜干し:こちらへ。
鯖の一夜干しは寡黙だ、彼は明太子の反応を気にする事なく、真っ直ぐに極楽の奥へと向かった。本来明太子の行く手を阻もうとしていた人たちも彼が先頭を歩いているのを見て道を譲った。
明太子は鯖の一夜干しの後ろについて極楽の奥へと向かった。今まで月見団子の代わりにお酒を取る時にしか来た事がなかった、しかしいつも入口で待っていたためちゃんと入ったのは初めてだった。
昼の極楽は想像していたような淫糜な感じではなかった、明るい陽射しが空から中を照らし、綺麗に掃除された店内はスッキリとしていた。明太子は興味津々に辺りを見回していたが、壁に掛けられている露骨な絵画以外、普通の店と何ら変わりはなかった。
明太子:ぐえっ――
あちこちを見ていた明太子は目の前の背中にぶつかった、彼は鼻をさすりながら立ち止まった鯖の一夜干しを見た。鯖の一夜干しは彼にぶつかられた事に対して何か反応を見せる事はなく、ただ冷たく彼を一瞥し、人差し指を自分の口元に置いた。
鯖の一夜干し:シーッ――
明太子:??
鯖の一夜干しは明太子を軽く手招き、引き戸に耳をつけた。横で困惑している明太子も彼の真似をして耳を扉につけた。
月見団子:今「百鬼夜行」はどこまで進んでいるんです?
純米大吟醸:ぬしがいれば、「崇月」は問題ないでありんす。いなり寿司の奴も口では面倒と言っているが、良い酒があれば誘いに乗るだろう。問題は「紅葉」と「八岐」だ。
月見団子:紅葉はどうにか出来るかもしれません。最も手強いのは、「八岐」かと。詳しく話そうにも、「蜃海楼」がいる限り、八岐島に上陸する事も出来ません。
純米大吟醸:これはか弱い飲み屋の店主風情がこなせる事ではないでありんすー
明太子:何をするつもりだ?オレの手伝いは必要か!
10.夜行
突然引き戸を開けられた二人は、明太子の姿を見てまったく異なる反応を見せた。月見団子は驚いた表情を見せたが、それはすぐに消えた、それは純米大吟醸以外に気付かれる事はなかった。
月見団子の顔に一瞬驚きの表情があった事に気付いた純米大吟醸は、目を細めて、手の中の扇子で上がった口角を隠した。
純米大吟醸にとって、その他の面倒事よりも、いつも顔色一つ変えない男がこのような驚きの表情を見せていた事の方が重要だった。彼の表情から機嫌が良い事が伺える。
純米大吟醸:あらーウサギもこのような表情を見せる事がありんすねー
既に落ち着きを取り戻した月見団子は清々しい笑顔の青年を見て、思わずため息をついた。二人に無視された明太子は両手を腰にさして、不満そうな表情を浮かべていた。
明太子:おいっ、質問に答えろ!何をするつもりだ?出来ないのならこの天下一の明太子様に助けを求めれば良い!
月見団子:……大吟醸、貴方って人は……
純米大吟醸:こんなに面白い計画、ずっとぬしのボスに黙っていたらおもしろうありんせんでありんしょ~
明太子:おいっ!聞いてんのか!一体何をするつもりだ!どんな面倒事があったんだ!あっそうだ、月見なんでこんな所にいるんだ!「紅葉」は?
明太子:じゃあ大吟醸と何を話してたんだ?「百鬼夜行」ってなんだ?
月見団子:……話が長くなります。
純米大吟醸:ではあ二人でちゃんと話したらどうで?明太子にお酒を持ってきてやろう……あぁ違うな、冷たい飲み物でも。
明太子:オレも酒飲む!
月見団子:お酒は身長に影響を及ぼすらしいですよ。
明太子:……じゃあ、やっぱ冷たい飲み物で。
純米大吟醸が和室から出ていくと、明太子の表情は先程の物から変わり、胡坐をかいて月見団子の向かいに座った。月見団子は珍しく真剣な明太子を見て、お酒を注ぐ手が止まった、お酒は下のお盆に垂れ広がっていった。
月見団子:……
明太子:月見、何か俺に言いたい事はないか?
11.野望
明太子:月見、何か俺に言いたい事はないか?
月見団子は自分の長い袖口を持ち上げ、布巾でお盆に広がったお酒を拭った。まるで何もなかったかのように、彼の指先で杯の縁をなぞった。
月見団子:……
明太子:知ってるだろ、お前が言う事は、全部信じるって。
月見団子:……私は改めて人間と食霊の間の関係を築きたいと思っているだけです。
明太子:人間と食霊の関係?
月見団子:ああ。
明太子:どうやって?
月見団子:……どうしてそうしたいのかは聞かないんですか?
明太子:言っただろ、お前は俺が一番信頼しているヤツだって、お前が言った事は全て信じてやるって。これはボスとしての器量だ、お前を信頼しているなら当然だろう。で、オレらはどうしたら良いんだ?
月見団子:断るのかと思いました。貴方は桜の島全てを欲しているではないですか、人間は貴方にとって最大の障害になりますよ。
明太子:そうだ、オレが欲しいのは桜の島全部だ、もちろん桜の島にいる人間も含まれてる。
月見団子:……貴方って人は……凄い野心ですね……
明太子:これぐらいの野心がなくて、天下一と名乗れる訳がないだろ?言え、どうしたら良いんだ?
月見団子:ボス……崇月の外は既に見ましたよね。
明太子:……はい。
記憶の中にある荒廃した土地と自分が救えたはずの仲間を思い出して、明太子は拳を握り締めた。
月見団子:あの食霊は、彼が守っていた村民たちによって殺されました。
明太子:でたらめ言うな!暴食のヤツだろ!
机をバンッと叩いて立ち上がった明太子は、月見団子の冷静で微かな悲しみが含まれた視線を見て、察してしまった。彼はこれ以上目の前の男に向かって吠える力はなかった。
明太子はより多くの人を守りたかった。崇月の人々によって彼に間違った認識を植え付けられた、彼は人間が彼らのような「妖怪」に対する嫌悪と恐怖を忘れていた。
月見団子の助けによって、崇月の発展はあまりにも順調すぎて、明太子は少し調子に乗っていた。
彼は自分の気持ちを抑えて再び座った、抑えていた気持ちによって体は微かに震えていた。
明太子:一体どういう事だ?
月見団子:この頃、ボスは崇月の中で仕事をこなし、外に出ていなかったため、ある事を忘れています。
明太子:どう言う事でしょうか?
月見団子:人間の本性です、それは貴方の想像よりも遥かに貪欲です。一人の食霊が、全ての人間を守る事は出来ません。全ての食霊が人間を守ろうと思えた時に、やっと人間は安心して暮らせます。
明太子:……
月見団子:ボス、あの食霊を見つけられなかったですよね……
明太子:どこに行ったか知ってるのか?!
月見団子:はい、あの食霊は、彼を頼りにしていた人間たちによって迫害されました。
村人:食霊様!我々は本当にこの土地が必要なんです!
村人:お願いです、我々を救ってください!あの怪物の手からあの土地を奪い返さなければ、冬に餓死してしまいます!もし応じてくださらなかったら、ここで死にます!
弱った人影がゆっくりと神社の中から出てきた、彼は自分に救いを求めに来てひたすら土下座して額に傷を付けていく人々を見て、既に重傷を負っていた自分の身体を顧みず、岩穴の方へと向かった。
暴食:あらー弱ってるみたいね、俺に食べられに来たのかな?
12.賭け
あまりに生々しい現実を突きつけられた明太子は更に強く拳を握り締めた。崇月の人々によって、彼は全ての人間が彼らと同じく優しいと感じていた。
月見団子:しかし全ての食霊が貴方のように、かつて私たちを裏切った人間を守りたいとは思っていません。そして人間も、全員が対価なく平和を得られると思っている訳ではない。
明太子:……どうしたら良いんだ?
月見団子:人間と食霊に知らしめるのです、我々が欲している全てを得るためには代償が必要であると。
明太子:なんだ?
月見団子:私が町でしている事と同じです。ほんの少しの対価であっても、人間に彼らが享受している平和な生活は無条件に得られる物ではないと知らしめる事が出来ます。
月見団子:同じく、このような対価がある事によって、人間を守りたくない食霊たちに、彼らが嫌悪、無視している人間たちに最低限の庇護をさせる事が出来る。
明太子:……どんな対価だ?
純米大吟醸:あちきらが彼らの手から求めるのは、彼らにとって何の使い道もない「夜」だけでありんす。
明太子:……夜?
純米大吟醸:そうでありんす。あちきらは改めて彼らの前で、あちきらの存在を示し、あちきらの力を見せつける。あちきらは人間と桜の島を共有し、桜の島の夜の主であると。
月見団子:影の中に隠れる必要はなくなります、人間のフリをして身分を隠さなくてもよくなります。私たちは正々堂々と彼らに私たちの正体を明かし、例えその正体が「妖怪」であったとしても。これで二度と人間は正義を盾に力を持たない同胞を傷つける事はないでしょう。
明太子:……
純米大吟醸:どうでありんすか、良い考えであろう?
明太子:だけど、あいつらは簡単に夜をくれるのか?
純米大吟醸:これは桜の島の皆の協力が必要になってくる。
明太子:オレは何ができる?
純米大吟醸:参加者が多過ぎて、桜の島が将来他人の手に落ちる事については心配していないのか?
明太子:これぐらいの度量がないなら、早く桜の島から離れて無人の小島とかで王を名乗った方が良い。しかも、お前ら二人の頭脳なら、そこら辺はもうちゃんと考えてるんだろ?
明太子は純米大吟醸が持ってきた飲み物を一気に飲み干し、袖で口元の雫を拭った。再び自信満々な笑顔を浮かべ、両目は明かりがついていない和室で明るい光を輝かせた。
月見団子:……その通りです。夜に、私たちは潔く負けを認めるような「賭博」を開催する。
純米大吟醸:月見ー言った通りでしょう、ぬしのボスはきっと――あちきたちの計画に同意してくれるってー
月見団子は自分の肩に巻き付いて煙管で胸をつついてくる純米大吟醸を剥がし、からかってくる純米大吟醸を睨んだあと、振り返って軽く息を整えた。
月見団子:貴方が、暴食によってあの食霊が食べられた事を聞いて……人間への見方を変えるのではと考えていた……もう少し事が進んでから話そうと思いました……
明太子:オレは過去の出来事で自分の見方を否定するようなヤツじゃねぇ。月見、お前はオレを見くびりすぎた!お前らが言っていた「九尾」と「八岐」はオレに任せろ!
商人
店の外で明太子が出会ったのは「柔弱」なビジネスマンだった。
13.出くわした商人
極楽を出た明太子は、酒瓶を持ったまま後頭部を掻いた。
興奮のあまり全てを承諾したは良いが、彼は「九尾」と「八岐」の二つの勢力についてあまりよく知らなかった。
かつて稲荷神社があった場所にある「九尾」、その首領は噂によると稲荷神の化身であるそう。彼の傍らには二人の神の使いがいると言う。
稲荷神社、噂によると神代神器を奉り、守る大神社であったそう。人間の神権が没落していくにつれ、繁栄していた神社は過去のような賑やかさはなくなり、そこには妙な噂しか残らなかった。
そして「八岐」は更に情報がない、明太子は島があるその方向すらわかっていなかった。
明太子:(チッ……オレ様どうして勢い余って……せめて二人にどこにあるのかだけでも聞いておくべきだった……)
ドンッ――
明太子:いった!
俯いていた明太子と通行人がぶつかった、彼はそのぶつかった通行人に見覚えがあった。
土瓶蒸し:いたたた……
明太子:うぅ……大丈夫か?
地面に倒れた青年は商人のような恰好をしていた、彼の雰囲気に気付いて明太子は頭を傾げた。
これは人間ではない。
土瓶蒸し:あぁ、これは「月ウサギ」のボスではないですか。こんにちは、土瓶蒸しと申します、これは初めましてですよね?
男の笑顔は媚びもせず、冷たくもない、ちょうどいい塩梅だったため、明太子は警戒を解いた。
明太子:月見のこと知ってるのか?
14.か弱い商人
明太子:月見のこと知ってるのか?
馴れ馴れしい態度で明太子は少し困惑していたが。極楽に行った時に何度か見かけた事はあった、彼の月見に対する呼び方はまるで旧友のように近しい。
土瓶蒸し:はい、酒友達でしょうか。ボスはどこに向かわれてるんです?
明太子:用事があるんだ、お前は?急いでたようだったけど。
土瓶蒸し:大吟醸がやろうとしていた事に進展があったので、良い知らせを届けようと思いまして。
明太子:あ?どんな事だ?
土瓶蒸し:あっ……これは軽率でした。
土瓶蒸しは自分が口を滑らせた事に気付き、明太子の疑惑の視線から逃れようと顔を背けた。
明太子:……まあ良い、言いたくないなら問い詰めたりしない。でも昼間にこんな所に来てどうするんだ?昼間から酒を飲むのか?
土瓶蒸し:それも少し違います、極楽でほとぼりが冷めるのを待とうと思いまして。
明太子:ほとぼり?
土瓶蒸し:はい、大吟醸たちの今回の計画は、多くの人を動かしています。私のようなか弱い商売人は、彼らの発散対象になってまして……
明太子:……か弱い……商売人?
土瓶蒸し:比喩、比喩ですよ。あの人たちの前では、私は「人」として話さないと事は進みません。
明太子:……あいつら、どうして今になっても……
土瓶蒸し:ボスはあの時代を経験してないので、わからないかもしれません。ただ私たちのような経験した「妖怪」だけは、人間の傍で生活する事の危険性を知っています。
15.隠れた商人
土瓶蒸し:ボスはあの時代を経験していないので、わからないかもしれません。ただ私たちのような経験した「妖怪」だけは、人間の傍で生活する事の危険性を知っています。
低い声によって、土瓶蒸しと明太子の間の雰囲気が重くなり、土瓶蒸しはふと正気に戻り、頭をゆすり、いつもの笑顔に戻った。
土瓶蒸し:まあまあ、つまらない話はやめましょう、ボスが持っているのそれはなんですか?
明太子:あぁ!「九尾」に渡すお酒だ、しかし「九尾」の山はとっくに封じられたんじゃ?
土瓶蒸し:……これは……大吟醸の隠し玉、一度も私に飲ませてくれていない!
明太子は土瓶蒸しの興味津々の姿を見て、無意識にお酒を自分の背中に隠した。
土瓶蒸し:あら、ボス、なんですその表情は、お酒を取ったりしませんよ……「九尾」を探しに行くんです?何か願い事でもあるんですか?
明太子:願い事?
土瓶蒸し:うん?願い事をしに行くのではないのなら、何しに「九尾」に行くのですか?
明太子:うっ……ちょっと用事が……
土瓶蒸しは明太子が持っているお酒を再度見て、なるほどと言った表情を見せた。突然、遠くから騒がしい音がした。
???:おいっ!あんただ!賢そうな商人のような恰好をした奴を見なかったか!
村人:い、いえ!
???:お前は!
村人:こ、来ないで!さっきあっちに行きました!
???:!おっ!こんな所に来てたのか!
背後から届いた声によって土瓶蒸しは身体が固まった、急いで明太子の後ろに隠れた。
明太子:……お前……倒せない訳じゃないだろ……
土瓶蒸し:いや、自分の身分を明かせないので、ボス宜しくお願いします!
16.優れた商人
???:ま、また来るからな!覚えてろよ!
明太子:……何回聞いたかわかんねぇよそれ、違う捨て台詞はないのか?
逃げながら叫ぶ悪党を見て、明太子は気にする事なく耳を掻いた、振り返って土瓶蒸しの手からお酒を受け取った。
明太子:行ったぞ、次はもう助けてやれないからな。まだやる事がある。
土瓶蒸し:大丈夫です、すぐに極楽に行きますので。極楽の魚は余裕で相手出来ますよ。
明太子:……自分で対処出来る癖に。
土瓶蒸し:いえ、もし私が強いと、あの計画に異議がある人は隠れて出てこないでしょう。しかも、あの人たちを前に、私は商人として片づけたいんです、これは商人としての楽しみでもあります。
明太子:……お前はどうして人間みたいに回りくどいのが好きなんだ。
土瓶蒸し:戦いばかりでつまらないでしょう、人とやりあうのも楽しいもんですよ。
明太子:……
土瓶蒸し:とにもかくにも、ボスありがとうございましたー
明太子:わかった、オレがいなくてもお前は大丈夫だったろ。
土瓶蒸し:いえいえ、お礼はしなければなりません。
明太子:お礼?
土瓶蒸し:優秀な商人は、お客様がその時一番必要な物をわからなければなりません。
明太子:……オレが必要な物は?
土瓶蒸し:今回は特別サービスですよ、ボスにある情報を贈りましょう。
明太子:……情報?
土瓶蒸し:シーッ――古来から云われている通り、神を求める者、精一でないと神に会う事は出来ない。故に、もしボスが惑わされそうになってしまっても、決して他の物のせいで心から求めている物見失ってはいけませんよー
神社
「神さまじゃないなら、何んだ?」
17.神に跪く
噂によると、山間にこのような稲荷神社がある。
一歩ずつしっかりと山を登り、千もの階段を上る。稲荷神に会いたい気持ちがあって、十分に敬虔であれば、濃霧の中で方向を見失う事は無い。
再び濃霧から出た時、目に映るのは赤い鳥居。鳥居を通った瞬間、神域へとたどり着く。
純潔の巫女は貴方の悩みを聞き、優しい神は貴方の願いを聞き届けるでしょう。
これは美しいだけの伝説ではない。
豊饒、豊作、幸福。これらの単語は、この時代の人間にとっては、達成できない妄想に過ぎない。
まさに妄想であるがために、より一層憧れが増す。
明太子は山を登りながら神に向かって両膝をついて拝礼している少年を見て、思わず眉をひそめた。
少年の膝は拝礼によってすりむいてしまっていた、背中に彼よりも小さな女の子を背負っていた。女の子は眉間に皺を寄せていて、高熱からか顔が異常に赤くなっていた。
明太子:おいっ――どうして医者に連れて行かない!
明太子の叫び声によって少年は顔を上げた、しかし少年は明太子の問いには答えず、ただひたすら拝礼を続けて山を登り続けた。
明太子:……お前!
明太子は足を止めて少年の方へと向かった、彼は少年の背後にいた女の子の額に手を伸ばした。やはり、額の温度は手を焼く程になっていた。早く医者に連れて行かなければ、女の子の命が危ない。
ここまで考えて、明太子は拝礼を続けている少年を引き留めた。
明太子:お前!どういう事だ!早く医者に行けって言ってるだろ!
村人:……あんたみたいなお坊ちゃんに何がわかる!全員死んだ!どこに医者なんているんだ!いても、あいつら貴族しか診ないだろ!俺たちみたいな人に金なんてない!放せ!
明太子:お前――!だとしても神を拝みに来てどうすんだ!
村人:神を拝まないで?誰を拝むんだ?
少年の目の底に映る絶望によって明太子は半歩後ずさった。
ここ最近、明太子はずっと崇月の周りにいる堕神を退治しに回っていた。見ていたのは崇月の中にいて守られている人間たち、その平和な景色に彼は自惚れていた、これは崇月でしか見れない虚像でしかなかった。彼が本当に欲している桜の島とはかけ離れていた。
だらんと置いた手をゆっくりと握り締め、明太子は少年の背に乗っている女の子を抱えて、山の上へと登った。
村人:あんた!止まれ!妹を放せ!止まれ!
18.狐
少年は明太子を追いかけて走っていた、二人の少年は鳥居の前に立ち止まり、明太子は女の子を抱えながらいなり寿司の名前を大声で叫んだ。
村人:あ、あんたそんな稲荷様の名前を簡単に呼ぶんじゃない!
明太子:いなり寿司――早く出てこないとお前の鳥居と神社を潰してやる!
村人:ああああんた!神罰が下るぞ!
明太子:神罰?
村人:何も知らずに来たのか……あぁ、本当に来られた!俺たち本当に稲荷神社に来られた!
明太子:……そんな感動する事か?
村人:毎日どれだけの人が山を登りに来てるか知ってるか?ただ稲荷様に会いたい一心で!稲荷神社の鳥居を見れた人も数人しかいないと言われてる。俺も何回か来たけど、初めてここまでたどり着けた……
明太子:……そんなに信じてるのか。
村人:これ以外に何か別の方法があれば、ここに来ると思うか?
少年が俯いて落ち込んでいるのを見て、明太子は目をぱちくりして、手を伸ばして少年の肩を力強く叩いた。
明太子:安心しろ!いつの日か!オレは桜の島の主になる!全ての人に不安のない平和な日常を送らせる!
村人:……あ?
明太子:当面一番大事なのは、まずいなり寿司の奴を見つけて、お前の妹の病気を治してもらう事だ。
村人:……あ?
明太子:オレに任せろ、もし出て来なかったら、オレは月見と大吟醸に持たされたお酒を叩き割ってやる!
村人:あ????
19.約束
少年が状況を理解できないという視線を送る中、明太子は酒瓶を持ち上げ、大吟醸が言っていた言葉を思い出していた――
明太子は行動力が強い、彼が月見団子と純米大吟醸の代わりに計画に参加して欲しい人たちを説得すると決めた時、すぐさま飛び出しそうになっていた明太子を大吟醸は止めた。
純米大吟醸:ほら、持って行きんなんし。
明太子:うん?これは……
純米大吟醸:これは「極楽」で最高の酒、九尾は約束してくれた事がある。もしこのお酒を渡す事があれば、一つ要求に応えてくれると。
明太子:えっ……じゃあどうして自分で行かないんだ?
純米大吟醸:桜の島で既に一席を持つ崇月が出向く事で、この件を他の者に認めさせる事が出来る。そして、ぬしが崇月の首領だ。ぬしが行く事で、二つの勢力が盟約を結んだ事になる、ただの仲間同士の約束ではなく。
明太子:……お前たちの話は難しすぎる、頭を使う事は全部月見に任せる、オレを悪いようにはしないって信じてる。
月見団子:……
純米大吟醸:おー月見、ボスからこんなに信頼されて、ぬしらの関係性は実に羨ましいー
からかってくる純米大吟醸を押しのけて、月見団子は目頭を揉んでから、明太子の肩に手を置いた。
月見団子:貴方が出たら、私と大吟醸は彼のつてで皇室と条件を講じます。ただし、桜の島の大多数の食霊が協力してくださらないと、私たちの計画は失敗します。
月見団子:今、もし崇月、九尾、八岐、紅葉などの大規模勢力の首領が首を縦に振れば、この計画の成功率は格段に上がるでしょう。首領に会いに行く人が一定の地位を持っていないと私たちの誠意を示す事が出来ない。私たちが行っても一筋縄には行かないでしょう。なので、全ては貴方に任せます、ボス。
明太子:あぁ!安心しろ、全部オレに任せろ!
明太子は頭を振って、手の中の酒瓶を高く掲げた。
明太子:おいっ――いなり寿司!出てこないと本当に叩き割るぞ!これはお前が楽しみにしていたお酒だぞ!
油揚げ:誰だ!神域で稲荷様の名を直接呼ぶ者は!
明太子:ふぅ――やっと出てきた。いや……オレが聞いてたいなり寿司はこんな奴じゃなかった、お前は誰だ?!早くいなり寿司を呼んで人を助けろ!
油揚げ:フンッ、稲荷様の名を直接口にする者に稲荷様に会う資格はねぇ!
明太子:……お前!
油揚げ:オレ様がどうかしたか?フンッ!
明太子:いいや!お前と話してる暇はない。早くいなり寿司に出てきてもらって人を助けさせろ!この子ども高熱が出ているし、山風にもあたってしまってる。
油揚げ:フンッ、たかだか人間のガキじゃねぇか、稲荷様がヤツを治療してくださるならそれはヤツの幸せだ、だがヤツに会いたくねぇって言うんなら、病死してもオレたちには関係ない!
明太子:お前!見てくれるのか、それとも見てくれないのか!
油揚げ:見ない!帰れ!
明太子:……この野郎!止まれ!
20.目的
明太子の拳が少年の頬に当たる直前、背後から突然声が聞こえて来た。
いなり寿司:やめなさい。
明太子:?!
明太子が反応する前に、油揚げは彼の手から逃れ、いなり寿司の背後に逃げて行き、明太子に向かってあっかんべえをした。
ただ油揚げが威張り終わる前に、いなり寿司は身体をひねって拳で彼の頬を叩いた。
いなり寿司:何度も言ったでしょう、衝動的になるなと。
油揚げ:……うっ、しかしヤツは稲荷様の名を直接呼んでいた!
いなり寿司:前に言った事を忘れたのかい?
油揚げ:うっ――
いなり寿司を前にして間違った事をした子どものようになった油揚げを、明太子は怪訝そうにその光景を見ていたら、言いたかった言葉も全部呑み込んでしまった。
油揚げへの説教を終えたいなり寿司は、振り返って明太子に向かって一礼をした。
いなり寿司:ごめんなさいね、この子は人間に迫害された事があって、人間への敵意が強いんだ。では、「崇月」の首領である明太子様がわざわざいらしたのは、どういったご用件で?
明太子:……オレの事を知ってたのか?
いなり寿司:人間についてはよくわからないけど、桜の島の勢力の中で崇月の名は小さくはないよ。崇月が出来上がる前、君があちこちで暴れまわっていた事も聞いた事がある。ただ今日、崇月の首領がやってきたのは、まさかウワサのように私に挑戦しに来たのかい?
色んな人と勝負しまくった事は事実ではあるが、他人の口から聞くと言い表せないような恥ずかしさがあったのか、明太子は自分の鼻先を触ってから一つ咳ばらいをした。彼は気を取り直して、持っていたお酒を渡した。
明太子:い、いや……もう昔みたいにあちこちで喧嘩売ったりしてない……ほら、持ってけ。
いなり寿司:お?これは大吟醸からの?
明太子:かしこまりました。
いなり寿司:このお酒があれば、確かにある程度の要求に応えてあげても良いでしょう。その要求は?
明太子:……
いなり寿司:その女の子を助けて欲しいの?このお酒と引き換えなら、特例でその人間を助けてやらない事もない。
いなり寿司:或いは、このお酒をここに持ってきたのは、他の目的があるのか?
稲荷
清冽な酒液がキツネの瞳を映し、桜の波が桜を包み、穏やかな顔に神の威厳があった。
21.鳥居
いなり寿司:或いは、このお酒をここに持ってきたのは、他の目的があるのか?
いなり寿司は優しそうな笑顔を浮かべているが、その笑顔はかえって明太子を沈黙させた。
彼がお酒を持って来た時に少年に出会ったのは偶然だった、もし彼が居なければその少年は妹を連れて稲荷神社に辿り着く事すらかなわなかっただろう。
いなり寿司の言葉から、自分の目的かその女の子を助けるか、その二択から一つ選ばなければならない。
明太子:……この神社を作った目的は人間を助けるためじゃないのか?
油揚げ:違う!人間たちが稲荷様を強制的にここに居させたんだ!
明太子:……
いなり寿司:油豆腐!
油揚げ:……ごめんなさい、喋り過ぎました。
いなり寿司:見た所、明太子様は要求を決められないようですね、ひとまず神社に上がって行ってはどうでしょう?
油揚げ:稲荷様!
いなり寿司:問題ない、彼は大吟醸と月見の友人だ。
油揚げ:フンッ……
明太子はいなり寿司についてゆっくりと鳥居をくぐった、油揚げは怒っているのかまた明太子にむかって変顔をした。
噂によると、鳥居をくぐると神社がある別世界にたどりつくとされる。明太子が鳥居をくぐった後、山林の葉が揺れる音や軽やかな鳥の声は全て鳥居の外に遮断された。
明太子はあたりの天気が急に変わった事に驚いた。まだ長い山道が続いていると思っていたら既に果てまでたどり着いていて、もう一歩跨ぐと既に神社の前だった。
二人の後ろにいた少年は自分の妹をしっかりと抱えながら目を見開いていた、目の前の全てに驚いて一言も話せなくなっていた。彼がボーっとしていると、油揚げは嫌そうに彼の前まで歩いて行った。
油揚げ:おいっ、人間。歩け、ボーッとすんな!
村人:あ、あっ!はいっ!
明太子は油揚げが置いた小さな座卓の前に座り、悠々自適に酒を開けて注いでいる既に青年の姿に変わっているいなり寿司を見ていた。少年は自分の妹を連れて、油揚げの案内のもと遠くない場所の小さな座卓の横に座った。
明太子:……
いなり寿司:どうしたんだい?何かおかしいのか?
明太子:(そんなあからさまな感じ出てたか?!)
いなり寿司:出てたよ、まあ私の前でそんな表情を出してくるのは君が一人目じゃない。私が男なのか女なのか気になるのかい?
明太子:うん……
いなり寿司:教えないー
明太子:…………
いなり寿司:ふふっ、ミステリアスな感じを保つのも、他人から尊敬と興味を持ってもらう条件でもあるよ。
22.意義
いなり寿司の優しい態度で元々警戒していた明太子も少しだけ気が楽になった、彼は横目で妹を抱えてどうして良いかわからない少年を一目見た。
明太子:(もしかしたら、彼は助けてくれるかもしれない……)
明太子:うっ……あの……
いなり寿司:うん?
明太子:この子どもは……
いなり寿司:本当にこれが君が私に求めている要求なのかい?
いなり寿司の笑っているのか笑っていないのか分からない表情を見て、明太子は思わず杯を握り締めた。彼は眉間に皺を寄せて、どう相手を説得すれば良いかわからないでいた。
いなり寿司:もしそれが本当に君がそのお酒を使って叶えたい願いなら、私は叶えてあげよう。ただ、大吟醸がこの酒を君にあげたのは、何の意味もないこの目的を達成させるためではないでしょう?
明太子:彼女を救う事は意味のない事じゃない!
いなり寿司:そう、なら教えて欲しい。彼女を救う事で、私たち「妖怪」や人間にとって、どんな意味があるのか?
明太子:彼女は彼女の兄にとっては重要だ!
明太子はいなり寿司の返事を得る事は出来なかった、ただいなり寿司の目が吟味しているようには見えた。しばらくして、いなり寿司は口を開いた。
いなり寿司:重要?
明太子:そう!とても重要だ!
いなり寿司:私の元に来て祈る人は全員そう言う。人間の将軍もいれば、一国の公主もいる、彼らは誰も彼女よりも重要だろう。
明太子:……
いなり寿司:もし君がその酒と引き換えに彼女を救って欲しいなら、私は拒否しない。しかし、彼女は本当に君がここに来た目的よりも重要なのかい?
いなり寿司:それとも、君が心の中で願って追いかけてる全ては、子どもがままごとをしている時に言ってるような白昼夢に過ぎないのかい?
23.神様
いなり寿司:それとも、君が心の中で願って追いかけている全ては、子どもがままごとをしている時に言ってるような白昼夢に過ぎないのかい?
明太子が口を開いて反論する前に、いなり寿司は彼の目の前に一杯のお酒を差し出した。澄み切ったお酒は杯の中で揺れて、舞い散る桜の花びらによって波紋が広がった。
いなり寿司:崇月の事は聞いた事がある。私は人間に対して良い感情は持っていないが、まさか君がそこまで人間のために何かをしているとは思いもしなかった。
明太子はいなり寿司の突然の賞賛に驚き、顔を上げて目の前で優しく微笑む男を見た。明太子が口を開く前に、いなり寿司は手を上げて自分の杯と彼の杯を打ち付けた。
いなり寿司:しかし、たった一つの縄張りの人間と食霊を救っただけで、君が求めている物がそう簡単に手に入ると勘違いしたのかい?
澄み切ったお酒は杯に沿って少しずつ唇の間を通り、透明な液体が彼の口元に沿って流れ、いなり寿司は手を上げて口元のお酒を拭い、再び杯を置いた時、元々優しかった目元に神の怒りのような威厳を帯びていた。
いなり寿司:それとも、私たちが自分たちの持っている信条を放棄し、君の憶測を聞き入れ、人間がかつてしてきた事を全て忘れると思っているのかい?
突然変わった雰囲気によって背後の桜の花が巻き上がり、いなり寿司の長髪は彼の霊力と共に広がった。明太子は驚いて後ろに飛んで下がった。刀を握り驚くほどの勢いを爆発させたいなり寿司を警戒していた。
いなり寿司:もし何かを犠牲にする覚悟もないのなら、君はどうやって君を信じている人に応えようとしているのだ?
いなり寿司は彼の霊力によって宙に浮いた、背後で舞う長いしっぽと花びらが入り混じる姿によって、明太子はふと稲荷神の噂を思い出した。
――神は本来無心で無情である。
明太子は手の中の太刀を強く握りしめた、身体の傍には魚卵が舞っている。透明ではなかった魚卵は少しずつ赤くそして明るくなっていき、中で泳ぐ魚の影が浮かび上がってきた。
明太子の怒りっぽい性格とは違い、彼の霊力が広がると神社全体が静けさに包まれたかのようになった。まるで海の中で獲物の動きをじっと待っている狩人のように平静で、少しの波も起こさない。明太子が足に少しだけ力を入れるだけで、彼が踏んでいた土地に浅い跡が残る。
緊迫した状況が破れ、明太子は一気にいなり寿司に向かって突進していった――
いなり寿司がこの少し短気な小さな首領が自分に向かって太刀を振るおうとしていると思っていた時、明太子は突然彼を避けて、いつの間にかいなり寿司の背後までやってきた少年の方に向かって刀を振り落とした。
少年の体は、巨大な黒い影に覆われていた。
24.認める
太刀を軽く振ると、明太子は地面に一筋の血痕を作った。彼は自分の妹を強く抱きしめて顔面蒼白になっている少年を見て、目には失望が広がっていた。
少年は半歩下がり、唇は震えていた、明太子は何も話していなかったが、彼は怖がって何歩も下がり地面に座り込んだ。
村人:違う、俺じゃない……あ、あいつが言ってきたんだ……あいつをこの神社に連れて来られたら妹を治してくれるって……
横になっているいなり寿司は少しだけ頭を傾げ、無表情の明太子を見ていた。彼は扇子を閉じ唇にあてて、少しだけ口角を上げた。
いなり寿司:いつから気付いていたんだい?
明太子:お前の神社に入った瞬間気付いた。
いなり寿司:そう、なのにこの酒で彼女を救うかどうかを悩んでいたの?
明太子:これとそれは別の話で……うっ……
いなり寿司は頭を抱えて困り果てている明太子を見て思わず声を出して笑ってしまった。
いなり寿司:どうしたんだい?決まったかい?
明太子:……あああああ!お前が彼女を治したらオレの要求を聞いてくれないんだろ!このお酒は大吟醸たちが要求に応えて欲しいためにオレに託してくれたのに勝手に使っちゃダメ、だけど……だけど……あああああ――
さっきまでの勢いがなくなった明太子は地面に座り込んで自分の髪を必死に掻いていた、綺麗に整っていた髪がぐちゃぐちゃになった。
明太子:あああああめんどくさい!
いなり寿司:ぷはっ――
背後からの笑い声によって、明太子は振り返ってこの難題を提示したいなり寿司の方を見た。彼の目に浮かんだ悲しみや悔しさの感情によって、いなり寿司は更に笑いが止まらなくなった。
明太子:……何を笑ってるんだ?
いなり寿司は最初に会った時の端正で物静かな姿から打って変わり、明太子の傍まで歩いてしゃがんで、指で軽く明太子の額をつついた。
明太子:うっ?!
いなり寿司:どうして私にもう一つ要求をしないんだ?
明太子:うっ……オレは桜の島の主になりたい、こうする事で全員が無意味の闘争をやめて、弱い者苛めする事もなくなる。だけどオレが欲しいのはお前たちに心の底からオレのやり方を認めてもらう事、従ってくれる事。強制されて欲しくない。
明太子:しかも……オレはあいつらみたいな奴になりたくない、絶対に他人がやりたくない事を無理やりやらせたりはしない。いつかお前たちがオレみたいに、心からあの人間たちを守りたい日が来る事を願っている。
いなり寿司は明太子の澄み切った両目を見て少し固まった、すると、彼は桜の花よりも美しい笑みを口元で広げて見せた。
いなり寿司:君を勘違いしていたようだね。君は覚悟がない訳ではない、ただまだ幼すぎただけ……
明太子:うぅ?
明太子は訳がわからずにいなり寿司が立ち上がるのを見ていた。いなり寿司は扇子を広げて優しい笑顔を浮かべている口角を隠し、狐のような両目だけが扇子から出ている。
いなり寿司:君が私を「救ってくれた」報酬として、特別にもう一つだけ要求に応えよう。
明太子:本当に?!
いなり寿司:はい、本当に。
明太子:やったー!
いなり寿司:しかし……
明太子:ただ?
いなり寿司:明太子の坊ちゃん、覚えておいてください。今後面する全ての選択が、今回のように全てが満足いくとは限らない。
いなり寿司:いなり寿司は坊ちゃんが求めている事が叶う日を楽しみにしています。坊ちゃん、此度の私が特例を下した事を後悔させないでください。
海神
一人の少女を捧げたら、海神は福祉を降るだろうか。
25.「妖怪」
いなり寿司はそれ以上多くは語らず、二人の子どもを連れて神社の中に戻った。油揚げに連れられて下山した時、明太子はやっと気が付いた。
明太子:お、おいっ!あれ!「百鬼夜行」は――
油揚げ:フンッ、稲荷様はちゃんと行くよ。
明太子:おう!遅刻しちゃダメだぜ!
油揚げ:フンッ!
明太子が最後の階段を下りたあと、自分の腕を伸ばして、固まっていた身体を伸ばした。
明太子:ふぅ――次が、最後だ。
彼は自分の頬を叩いて長く息を吐いた。先程いなり寿司が言っていた言葉を思い出し、任務を半分達成した喜びは少し減ってしまっていた。
彼はわかっていない訳ではない、もし今回いなり寿司が気まぐれを起こさなければ、事はこんなにうまく解決できなかったと。
彼も自覚はあった、彼は首領としてまだまだあどけなすぎると。
明太子:ふぅ――何考えてんだ!オレは天下一の明太子様だ!オレが出来ない事は誰ができるんだ!
まるで自分を鼓舞するかのように、明太子は腰に手をあて山の麓にある大きな石の椅子の上で叫んだ。通行人はわけもわからず彼を眺めていた。彼はその視線に気付いて、恥ずかしそうに唇を舐めながらいそいそと椅子から下りた。
明太子:ふぅ――次は八岐島、だけど……八岐島はどこにあんだ……
地面に転がって暴れている様子が通行人を和ませたのか、それとも彼の幼い様子に笑顔になったからか、自ら明太子に声を掛ける人が出てきた。
村人:ぼく、八岐村に行きたいのか?何をしに行くんだい?そこは軽い気持ちで行って良い場所じゃないぞ、危険だ。
明太子:いや、オレは八岐島に行く!
村人:八岐島がどこにあるかはわからないけど、海神村って呼ばれている場所なら知ってる。そこはかつて八岐村と呼ばれていた。
明太子:八岐村?
村人:だけど行ってはいけないよ、怖いから。
明太子:どうしてだ?
村人:あの村は生きてる人間を捕まえて生贄にして祭りをやるそうだ。人が足りなかったら道行く人を捕まえるらしい、ぼくのような子どもが一番危険だよ。
明太子:生きた人間?!
村人:そうだ、「海神」に食べられないように、何日か毎に海に生贄を差し出さなければならない……
明太子:その村はどこにあるんだ!
村人:えっ?
明太子:その村はどこにあるんだって?!
村人:ひ……東の海の近くに、あそこの海は怖いよ、時々島よりも大きい大蛇の影が見えるんだ。それを聞いてどうする?
明太子:オレはその「海神」に会いに行ってみる!大蛇の影?面白いじゃん!
通行人の怪訝そうな視線のもと、明太子の傍に浮いている魚卵は彼の興奮に伴い服の裾から出てきてしまった。元々親切だった通行人もその情景に驚き地面に座り込んでしまった。
村人:よう、妖怪だー!
明太子は先程まで親切に質問に答えてくれた通行人が恐怖で地面に座り込んだ姿を見て、拳を握り締めた。そして次の瞬間、優しかった通行人は地面の石を掴んで彼に向かって投げつけ始めた。
村人:全部お前たち「妖怪」のせいだ!お前たち「妖怪」がいなければ!あの「怪物」たちが来る訳がないだろ!
明太子:オレたちじゃない……
村人:く、来るなっ!
明太子:……
村人:来ないで!
26.祭礼
海辺にある豊かではない村落、「海神」の存在によってこの貧困な村落の生活は更に苦しくなっていた。
明太子は荒れ果てた土地の上を歩き、建物の残骸の裏に隠れているやせ細った青年を見て思わず眉間に皺を寄せた。
明太子:(……一体どうなってんだ。)
生気が一切感じられない村落から微かなすすり泣く声が聞こえて来た、か細い声には恨みの感情が乗っており、村落全体を居心地の悪い雰囲気にさせていた。
明太子はゆっくりと声のする方へと向かった、声がはっきりしていくにつれ、遠くない場所に地面に座り込んで泣いている少女を見つけた。
村人:ううっ――
綺麗な服を着ている少女は、この村落とはあまりにもそぐわなかった。髪の毛も簪でまとめられているが、凄惨な泣き声が続く。
明太子:……おいっ、どうした?いじめられてるのか?
村人:ううっ……
明太子:……おいっ!なんで泣いてるんだ!誰かにいじめられたのか?!
村人:うっ?!
悲しみに浸っていた少女は、明太子の声が大きくなって初めてその存在に気付いた、彼女は驚いて少しだけ後ずさった。
村人:あ……あなたは誰……
明太子:……うっ……話すと長くなる、どうして泣いてるんだ?誰かにいじめられたのか?オレが殴ってきてやる!
村人:いや……もうすぐ死ぬの……
明太子:えっ?!なんで!びょ、病気なのか?
村人:う……ううう……あいつら……あいつらは私を「海神」に献上するんだ……
明太子:海神に献上?!
村人:私……私は死にたくない……
明太子:(うっ……やっぱりその「海神」に会いに行ってみないと。)
少女を見ていた明太子の目は突然閃いて、彼は自分の犬歯を見せるように大きく口を開いて笑いながら、少女の前にしゃがんだ。
明太子:おいっ、お前、ちゃんと説明してくれ。あの「海神」はどういう事だ?ちゃんと説明してくれたら、オレ様が明日お前の代わりにその「海神」に会いに行ってやる。
27僥倖
明太子:じゃあ、「海神」に一定期間毎に供え物を送らないと、海神が上陸して人を食べるのか?
村人:……はい。時々供え物を持って行っても、海神は上陸してきます。ただ供え物を持って行くと、平和な時間が得られるのも確かです……
明太子:じゃあどうしてここを離れないんだ?
村人:……わ、私たちの家がここにあるから……
少女のもごもごと言っている様子を見て、明太子の心の中には既に答えが出ていた。
苦痛な生活はしたくない、だけど献上されるのは自分じゃないし、運よく免れるのではないかと思ってしまう。
沈黙の後、明太子はため息をついた。まだ彼が話し始める前に、色んな武器を持った人たちが少女の方に向かってきた。
少女は無意識に明太子の背後に隠れた。
目の前の人の身長は高くはない、子どものような見た目をしているが、何故か彼女は安心感を覚えた。
村人:誰だ!早く彼女を渡せ!
明太子:お前らこそ誰だ?どんな資格があって彼女を生贄にするんだ?!
村人:これは皆でくじを引いて決めた事だ!黙れ!早く人を出せ!
28.庇護
明太子:フンッ、その程度でオレ様に勝とうだなんて、まだまだだな!
村人:あ……あんたは何がしたいんだ?!
明太子:オレ?オレはただお前らが「海神」様って呼んでる奴に会いたいだけだ。
村人:「海神」はあんたが会いたいからって会える訳じゃねぇ?!
明太子:簡単だ、お前らは生贄を持ってくんだろ?
村人:そうだ……だ、だけど!あんたを連れていったら、絶対海神様を怒らせてしまう!
明太子:じゃあ連れてってくれんの?くれねぇの?
明太子が尊大な笑顔を浮かべて、手をバキバキと鳴らしていくのをみて、痣だらけの村人たちは後ずさった。
村人:しかし……
明太子:あぁ?!
村人:貴方様の言う通りにする、貴方様の言う通りにします……
明太子:安心しろ!今日海神に会ってくるから、そしたらもうお前らに生贄を求めてこねぇよ!
村人:しかし……もし海神を殺してしまったら、魚が勝手に岸に上がって来なくなります。
明太子:あぁ?!
村人:いえ……なんでもありません。
蛇影
青年は踵を返した。黒い蛇の影だった。
29.孤島
微かに赤い泡が潮水に乗って上下していた、夜の中辺りは真っ暗になっていた。砂浜には残骸が落ちていて、残骸の上には海辺に出現するはずがない黒い鳥が腐肉を啄んでいた。
小さな人影が神輿の上に座っており、夜の内にゆっくりと海辺の小島に連れていかれた。彼は俯いていて、大きな帽子によって顔が隠れて、姿がわからなくなっていた。
波打つ音に連れ、空はいっそう暗くなっていき、海上には手を伸ばしたら指が見えない程の濃霧が広がっていた。遠くない海面にゆっくりと蛇の形をした影が浮かんできた。
明太子:(ここが……八岐島か?!)
打ち上がってくる波から吐き気を催す気持ち悪い匂いが漂ってきた、まるで鉄錆のようなにおい、それは眩暈を引き起こすほどに濃厚だった。
波が高くなるにつれ、小島周りは海水で覆われるように、村人たちが明太子を島に送った時のルートは全て海底に沈んだ。この大きくない小島は少しずつ孤島になっていった、神輿に乗っていた明太子の両足も赤い海水の中に沈んで行った。
明太子は膝の上に置いた両手をきつく握った。この生臭い海水によって彼は焦っていたが、まだその時じゃないって事を彼は知っていた。
突然、海上に微かに人影が現れた。その影は何かの上に乗っていたが、それは船に見えるようで見えない。
人影がゆっくりと近づくにつれ、明太子はその影が座っているのは船だが、漁師が海に出る時に乗っているような船ではなく海苔で折られた巨大な紙船である事に気付いた。
薄い海苔の筈なのに、人一人の重さに耐えられ、安定した様子で濃霧の中小島に向かって進んでいた。
明太子:(彼が海神なのか?)
考えている内に、その人は小島に辿り着いた。
海苔:今回は間に合ったようですね。
明太子を見たその人は、ホッとしたように長く息を吐いた。
30.案内人
濃霧の中、一つの影が明太子に近づいて来ていた。
明太子:(彼らが海神なのか?間に合ったってどういう事だ?)
その人影は濃霧の中手探りで神輿に向かって歩いて来た、神輿の縁に触れた時、彼はゆっくりと息を吐いた。
海苔:今回は間に合った。
明太子:……
海苔:僕とここから離れましょう。
明太子:どこに?
海苔:本当の八岐島へ。
明太子:(本当の八岐島?)
まるで自分の話の信憑性を強めるかのように、海苔は手を上げて先程まで遠くにあった筈だけど今はほぼ目の前まで迫ってきた蛇型の巨大な影を指さした。
明太子:(さっきまでここにはなかった!)
海苔:早くしてください、危険です。
海苔は神輿に座っていた少年を軽く引っ張り上げ、自分が乗ってきた紙船に向かって歩いた。しかし力で引っ張られて、足が止められた。
明太子:お前が海神なのか?
突然背後から大きな力で引っ張られた海苔は足を止めた、彼は振り返って人間よりも遥かに力が強い明太子を見た。
海苔:……まず船に乗ってください、あとで説明します。
明太子:こんなに急いで船に連れて行こうとして、どこに行くつもりだ?
31.本当の「海神」
明太子:こんなに急いで船に連れて行こうとして、どこに行くつもりだ?
明太子は腰に隠した武器を抜き出し、先程まで隠していた魚卵も飛び始めた。
魚卵の温度のせいか、魚卵がある場所の霧は少しだけ晴れていた、明太子もようやく目の前の少年の姿をはっきりと見る事が出来た。
鬼の角を生やした少年、表情は冷静で感情が読めない。彼の周りには海苔で折られた小動物が浮いていた。普通の折り紙と違い、彼らは活き活きと動いていてまるで命が宿っているかのよう。
明太子:お前も……食霊なのか?
海苔:……
明太子:(食霊がどうして人間を生贄にしてるんだ?!)
明太子が眉をひそめて答えを考えていた時、突然、目の前の秀麗な少年は強く自分を彼の元に引っ張って行った。構えていなかった明太子は突然大きな力で引っ張られ躓いてしまった。
明太子:?!
明太子が問いただす前に、強い風が彼が先程まで立っていた場所を煽った、小島の砂が巻き上がって目を眩ませる。
海苔:気を付けて。
明太子:堕神?!なんでここにこんなに堕神がいるんだ?!
波の中からひっきりなしに堕神が這い出て二人の目の前に現れ、小船への道を塞いだ。海風によって彼らの体に付着した生臭い匂いが漂ってきた。
それは海の生臭さではなかった。
人間の血肉から来る生臭さだった。
海苔:あいつらこそ、村人たちの献上を受けている本当の「海神」です。
32.貸し借り無し
明太子は海苔を押しのけ、海苔に向かって放たれた一撃を代わりに食らった、しかし目の前の堕神は減る様子はなかった。
海苔の周りに浮いている小動物は攻撃されるにつれて少しずつ減っていった、堕神の攻撃を受けていた彼も傷を負っていた。
明太子の明るく光っている魚卵は海苔の周りを飛び回っていた、堕神に襲われる度に、橙色の魚卵は襲い掛かってくる手足を爆発させた。
魚卵の協力がない明太子は、自分の戦闘も苦しくなっていった。彼が刀を振る度に堕神が切られ空気中に消えていく。
しかしそれでも、目の前の堕神は少しも勢いが減らず、更に海底から湧き出ていた。
明太子:(これは流石に多過ぎる……)
額から出た汗が頬をつたって落ちていく。明太子は歯を食いしばって、地面で昏倒している海苔を高く持ち上げ小船の方に向かって投げた。
幼さを帯びた叫び声はまるで捕らわれの幼い獣のようだった。明太子の目の前には数えきれない程の堕神がいたが、彼は少しも絶望した表情を見せなかった、両目には火花がちらついていた。
少年は戦えば戦うほど勇ましくなっていき、身体についた傷も増え続けていた。しかし目の前の絶境によって彼は弱音を吐く事はなかった、ただ意識は少しずつぼやけるようになった。彼は頭を振って意識をはっきりさせようとしたが、目の前の堕神は少しずつ近づいてきていた。
ドンッ――
突然の爆発音によって、明太子は眩暈から意識をなんとか取り戻した。冷淡な表情の青年が触手を操って宙に浮き、他の触手は地面にあった大きな石を巻き上げて堕神の方に投げつけた。
巨大な爆発音によって明太子の遠のいていきそうになっていた意識が戻り、彼は歯を食いしばってその青年に合わせて攻撃を続けた。
やっと、空が明るくなり、陽ざしが雲間から差し込んできた時、堕神たちはその明るさに耐え切れないかのように、海の中に戻って行った。一匹目、二匹目……より多くの堕神が消え去っていくにつれ、小島はようやく昼の平和を取り戻した。
明太子:おいっ!お前は誰だ!
タコわさび:……
明太子:お前が本当の海神だろ!堕神の餌になるしかないって知ってて、どうしてあの人たちに海に生贄を送るよう指図したんだ!
タコわさび:どうして止めなければならない?
明太子:……お、お前は食霊だろ!
タコわさび:いや、人間らは俺たちを、「妖怪」と呼ぶ。
明太子:……
青年は昏倒している海苔を連れて離れて行こうとしたが、ふと足を止めた。振り返った彼の顔は眠そうにしていて、つまらなそうだった。
タコわさび:「紅夜」には行く。
明太子:なんだ?
明太子が反応する前に、タコわさびは昏睡した海苔を連れてゆっくりと海に入って行った。彼の巨大な触手によって体が支えられ、赤い海水に触れる事はなかった。彼が少しずつ遠くに向かっていくにつれ、彼が消した霧はまた集まってきた……
賭け
空が真っ赤に染まれば、賭博が始まる。
33.紅夜の約束
数か月後
紅夜の賭場
極楽の花街の近くに大きな桜の木がある、その樹冠は小さな島程の大きさがあった。散ってしまう普通の桜の木とは違い、それは一年中枯れる事なく、常に数えきれない程の桜が咲く。
かつては一部の貴族たちが好んで花見をしていた場所であった。しかし今は「百鬼」が毎度集う打ち上げの場所。
紅夜では、全ての「妖怪」の力が最も強くなる日。そして「賭場」が開く日。
十分な力があって「賭場」の入場券を得ている首領たちは、自分の領地、宝物、更には命を賭して、「妖怪」間の方法で、いかなるイカサマもせず、回りくどいやり方も取らず、力だけで真っ向勝負を行う。
狐日が持ち上げていた神輿はゆっくりと下され、高さのある赤い下駄が地面にカンカンと音を鳴らしていた。あくびをしているだらけている様子の男が悠々と飛んできている、彼の影は火に照らされ蛇のようなぐねぐねとした姿を現していた。夏の花火のような艶やかな少女は輝く笑顔を浮かべて、長い髪が彼女の体を支えながら前に進んでいた……
雲丹:ここに来るひとどんどん増えてないかしら?
月見団子:夜行に参加して下さる人が増えれば増えるほど、私たちの計画が成功した証となります。
雲丹:しかし月見兄さん、まさか本当に成功させるなんて。夜は本当の意味でアタシたちの物になったわ!
月見団子:ふふっ、極楽が皇室と繋いで下さったからです。そして、ボスが最初に参加する者たちの説得に成功してくださったおかげです。そうでないと、こんな簡単に成功させる事はできませんでした。
雲丹:しかしアナタたちがいなければ、夜を手に入れても、領地を奪い合うために共倒れになってしまうだけだわ。こんな「賭場」を開設するなんて思いもしないわ。
月見団子:私たちのような弱者にしかない智慧ですから。
純米大吟醸:あら、これはこれは崇月の皆様ではないですか。どうです?今月も賭場に参加されるの?
明太子:もちろんだ!オレ様はいずれ桜の島全部を統治する男だからな!
タコわさび:……
明太子:くそタコ!なんだその目は!
タコわさび:……うるさい。
明太子:なんだと?!
純米大吟醸:お二人さん、まず座らないかい?これから新しく加わる仲間たちが揃ってからでないと、今日の「賭場」は始まらないでありんす。
大吟醸の声によって二人のにらみ合いが止まった。タコわさびは明太子の睨みを大して気にせず、彼の横を通り過ぎて自分の席の方へと向かった。
明太子:フンッ!……そうだ、大吟醸、新しい仲間って?
純米大吟醸:ああ、言い忘れていた。竜宮城は既に「百鬼」に参加する事に同意した、彼らの城主は今日の「賭場」に参加しに来る。
34.玉手箱
紅夜が紅夜と呼ばれている所以は、こんな夜は食霊たちの霊力が強くなる以外に、桜の島の全ての桜が血が滲んだような赤色になるからだ。
このような異様な光景を普通の人間は憚り怪談として言い伝えている。
提灯を持ってやってきた豪貴な少年はゆっくりと座った。高貴であどけないその様子は「紅夜」の常連たちは興味津々に見ていた。
色んなひとがこの場に来ているが、他のひとについて知っているからか、余計にこの打たれ弱そうな見た目の少年に興味が湧いた。
純米大吟醸:もういいか、全員揃ったのなら、すぐに今晩の「賭場」を始めようか?
いなり寿司:賭場を始める前に、まずこの竜宮城のお仲間は、どんな「掛け金」を使ってこの賭場に入る資格を得たのか教えてくれないかしら?
皆の視線は彼の身に注がれた。新しく入った仲間はゆっくりと葡萄を剥き、舌先で垂れている汁を舐めたあと、手ぬぐいで両手を綺麗に拭いた。そして、背後の護衛の手から宝箱を受け取った。
貝柱:私の龍宮城は海の奥底にある。領地も、金銀財宝もない、あるのはこの小さな「玉手箱」のみ。
開けられた宝箱の中にあった小さな玉手箱は、普通の小さな箱にしか見えなかった。しかしその場にいたひとたちは皆驚きの表情を浮かべていた。
いなり寿司:……玉手箱。
雲丹:こ、こんな物本当に存在するんだ!
中華海草:……先輩、玉手箱ってなんですか?
海苔:伝説によると、時間を吸い取れる神器だそうです。
笑顔を浮かべた少年はざわついている現場を気にする事なく、柔らかな笑みを浮かべたまま宝箱を抱えてそっと閉じた。ただこの時、彼の笑顔には今までの印象からかけはなれた妖しい気配を帯びていた。
貝柱:まさしく。この掛け金で満足させる事は出来ただろうか?
35.賭けが始まる
「玉手箱」への驚きはすぐに過ぎ去った。大吟醸の中断により、皆元の議題へと話を戻した。
桜の花びらが風に乗って空を舞っていた、寒気が増す事でより一層満開になっていく。血色の桜は桜の島を淡い赤色に染めた。
紙灯篭の中の赤いろうそくの火はそよ風に吹かれて揺れていた。地面に映し出されたのは若い男女の姿ではなく、歪んで人の形をなしていない鬼の影。
すぐに、空から最後の光が消え、まったく光のない真っ暗闇の中、妖しく光る目が開いていく。
全てのひとの目には必ず勝とうとする気持ち、または濃厚な戦意が浮かんでいた。
何と言っても、彼らは「百鬼」更には「紅夜賭場」に参加する事も同意している。夜を勝ち取る以外、この賭場を通して欲しい物を手に入れるのが彼らの目的。
「妖魔」として、心の思うままに行動するのは当たり前の事。欲しいなら、求めるしかない。
暗闇の中、魅力的な聞き心地の良い声だけが響いた。大吟醸は手に鬼灯篭を持っていた。その小さな灯篭の中で揺れるろうそくの火だけが、この暗闇の中で最も明るい灯りだった。それは全てのひとの視線を大吟醸の体に集約させた。
純米大吟醸:新しい仲間にも知り合った事だし、人間のような社交辞令もなしだ。紅夜がやってきた、では、私たちの「賭場」を始めよう……
大吟醸は灯篭の中のろうそくの火をフッと消した、巨大な桜の木の下は最もひっそりとした暗闇となった。
36.追従
混戦の後、残ったのはお面が破れてない明太子とタコわさびの二人だけ。
雲丹:……またこの二人か、つまんない。
油揚げ:もう何回目だよ!いつもこの二人!おいっ!オマエら口裏合わせたろ!
中華海草:あ、あの、八岐様そんな事してない……
雲丹:海草、相手しなくていいわ。あの二人どうしてかいつもお互いを最後まで残してる。
貝柱:毎回?
雲丹:そうよ!毎回!もう見飽きたわ。
純米大吟醸:あちきは面白いと思う。
雲丹:大吟醸!どの面下げて!あの小魚にアタシを闇討ちさせるなんて!
純米大吟醸:これは計略でありんす。
「賭場」に参加した全ての「妖怪」が賭場を通して何か実体のある物を得られる訳ではない。むしろ多くの「妖怪」が望んでいるのは一戦の楽しみに過ぎない。
長い歳月の中、孤独な夜と蠢く力によって、彼らの体はこのような思い切って力を発揮できる戦闘を望んでいた。
ほどほどで手を止めているが、賭場の混戦は戦闘というより、身体を動かしていると言った方が適切かもしれない。
毎度本当の意味での「賭け事」を行えるのは、混戦の中最後まで生き残った二人だけ。
この真の「賭け事」で勝った方は、全ての「掛け金」の所有権を得られる。所有出来る時間は掛け金の提供者によって決められる。もちろん、次で優勝する事で、掛けた物を取り戻す事も出来る。
月見団子はあごを支えながら、潔く負けを認めているタコわさびにむかって叫んでいる自分のボスを見て、どうしようもない顔で頭を横に振った。
雲丹:月見?どうした?
月見団子:いえ。ただ私たちのボスは本当に諦めが悪いなと感慨していました。
雲丹:そうね、彼がそうじゃなかったら、アタシたちも彼のあとをついていかなかったでしょ?
月見団子:そうですね……彼がこういうひとではなかったら、私たちは彼のあとをついていかなかったですね……
夜宴
百妖齐宴,夜色易主。
37.酒宴
賭場はいつもすぐに決着がつく。
もしかしたらこの不老不死の「妖怪」たちにとって、このような賭場で、何かを得るよりも、これを通して楽しみを得る方が大事なのかもしれない。
賭場が終わると、打ち上げで盛り上がる時間がやってくる。
初めて「紅夜賭場」に参加した時、中華海草はこう言っていた。
中華海草:皆さんは賭場の掛け金より、賭場の後共にお酒を飲んで花見をしている時間の方がもっと大切に思っているように感じます。
タコわさびはいつも通り負けを認め、彼の名義下にあった八岐村の処理を全て明太子に任せ、そして彼が守るべき村人たちも明太子の手下に任せた。
このような結果になって、明太子は心中複雑だった。
彼は確かにタコわさびを打ち破って、彼を自分の傘下に置きたかった。こうする事で、誰も眼中にない奴をコテンパンに出来ると思っていたから。
しかしタコわさびは自分の身を掛け金の中に入れた事は一度もなかった。そして負けを認めた後、いつも彼が見向きもしない八岐村の村人たちを明太子たちに任せタダ働きをさせていた。
タコわさび:俺の負けだ。
明太子:また棄権するだと?!オレをタダ働きしてくれる労働力として見てるのか?!
タコわさび:あっ、バレたか。
明太子:コノヤロー!月見団子放せ!オレを放せ!タコわさびもっぺん言ってみろ?!
定期的に行われるそのやりとりについて、他の「妖怪」たちはもう見慣れていて気にせずお酒を飲み続けていた。中華海草は皆に頼まれて忙しなく良い匂いを漂わせている鹿肉を焼き始めていた。
貝柱:……いつもこうなのか?
いなり寿司:ふふっ、面白いでしょう?体を動かせるし、賑やかな光景も見れるし、更に八岐の良いお酒が飲める。
雲丹:大丈夫よ、何回か来たら慣れるわははははっ!さあ、食べよう、海草が焼いた肉は美味しいわ!
貝柱:…………
いなり寿司が持って来たお酒と雲丹が押し付けてきた鹿肉を持って、貝柱はまだ自分の短い四肢を振り回してタコわさびに殴りかかろうとしている明太子を一目見てから、鹿肉を口に入れた。
貝柱:はい、これからは少し楽しくなりそうだ。姉さん方ありがとう。
いなり寿司:姉さんではないよ、次は間違えないで、貝柱ちゃん。
貝柱:……?
38.欺く
妖しげな青い炎が燃えている中、皆は手の中の杯をお互い打ち付け、澄んだ酒は杯の中から少しずつ減っていった。
酒が入り、いつも敵対している者たちも今だけは肩を組んでつまらない日々の生活の愚痴を言い合っていた。
この時、もし周りで飛び回っている妖しい青い炎や炎に映し出された鬼のような影がなければ、わいわい騒いでいる者たちは普通の人間のようにしか見えない。
騒ぎ声の中、いつもは注目の的になる大吟醸はゆっくりと立ち上がり、静かにお酒を飲んでいる月見団子の傍に近づいた。彼は笑いながら手の中のお酒を揺らして言った。
純米大吟醸:一緒に飲むかい?
空には白く光っている月はない。血色の桜も徐々に色褪せ元の絢爛な桜色に戻り、彼の杯の中に落ちた。
月見団子:私たちは既に何個見つけたのですか?
純米大吟醸:四つ。
月見団子:……早いですね。
純米大吟醸:そうだな。早い。もしかして情に流されたのか?
月見団子:何を言っているんですか?
純米大吟醸:まあ良い、ぬしはいつも慎重になりすぎだ。
月見団子:心の中の目的のために、慎重になりすぎて何が悪いんですか?
純米大吟醸:ぬしという奴は怖いな。よくぬしのボスを騙せるな?
月見団子は振り返って、指先で大吟醸の唇をそっと覆った。
月見団子:私は今まで彼を騙した事はないです。
純米大吟醸:ふふっ、そうでありんす。ぬしは……彼を騙した事はない……
39.堕神
酒を交わした後、美酒がもたらした芳醇な香りは巨大な桜の木の下に漂い、空は淡い赤色が滲み出していた。
食霊たちは人間のように睡眠を必要としていない、たった一晩の宴会は彼らにとってただの遊びでしかなかった。
涼しい風によって酒気が散らされ、霊力が身体の中で循環し、お酒によって赤くなっていた顔は全て元通りになっていた。
彼らは遠くない街道の方を見ていた。
人間にとってまだ深夜と言う時間帯、街道には誰もいなかった。
彼らは先程までの宴会で見せたような笑顔を収めた。
紅夜、食霊たちの霊力が漲るほか、堕神にも同じ現象が起こる。
そして堕神にとって、霊力に満ちている食霊たちは彼らの最高の餌だ。
純米大吟醸:やっと来た、今回はもう来ないのかと思っていた。
タコわさび:ぐぅーーZzzzz――
明太子:おいっ!お前寝るなよ!
いなり寿司:たっぷり食べたし、たっぷり飲んだし、身体を動かさないと。
雲丹:貝殻ちゃん?怖い?
貝柱:先輩たちがいるなら、怖い事はない。
明太子:じゃあ――「怪物」たち!お前らが強いのか、それともオレ様が強いのか、実力を見せてみろ!
40.緋桜物語
伝説によると、遠い遠い昔では。
桜の島には突然、人間を餌としている怪物が現れた。それらに理性はなく、交流する事はできない、そして大きな力を持っていた。
人間は彼らの力に抵抗する事は出来ない。
長い抵抗の中、人間は気付いた、このような怪物は、ある奇妙な存在なら倒す事が出来ると。
その存在は、「妖怪」と呼ばれた。彼らは強い力を持ち、「怪物」を倒す事が出来た。しかし彼らの強い力は、人間をも傷つける事が出来た。
「妖怪」に人間を守らせるため。
人間たちは時間を二つに分けた、彼らを夜の主とした。
そして「妖怪」たちは長い街道を通り、桜の木の下に集まったその夜は、空はいつも血のように真っ赤に染まった。
その不吉な夜は、「紅夜」と呼ばれた。
そして「妖怪」たちが集まって街道を通る情景は、人間によって「百鬼夜行」と名付けられた。
村人:じゃあ、明太子兄ちゃん、百鬼夜行の妖怪たちは良い妖怪?それとも悪い妖怪?
明太子:うっ……お前はどう思うんだ?
村人:うん……良い妖怪!
明太子:どうしてだ?あいつらは人間の夜を奪ったんだぞ?
村人:だけど人間を守ってくれてる!守ってくれてるから、お礼をしなきゃ!
明太子:そうか……
村人:そうだよ!お母さんは言ってた、妖怪たちが怪物たちを呼び寄せたんだって。だけど妖怪がいなかったら、みんな怪物に食べられてたよ!だから彼らは良い妖怪で、きっと僕たちを守ってくれる!怪物を全部やっつけてくれる!夜は、僕たちの友情の贈り物だ!
明太子:……
村人:明太子兄ちゃんはどう思う?
明太子:うん……良い妖怪かな。
村人:うん!
母親に連れられて行く後ろ姿を見ながら、明太子はボーっとしていた。突然肩を叩かれて、意識が戻された。
雲丹:ねぇ、何を見てたの?
明太子:いや、何も……
雲丹:何も?何もないのにそんなボーっとして。
明太子:うっ……お礼で……対価じゃないのか……ははっ。
雲丹:なんだ?
明太子:ははははっ!良く言った!オレ様がきっと桜の島を統治してやる!そして全員をお前が言っていた良い妖怪にしてやる!
雲丹:えっ?
明太子:見回りに行くぞ!
雲丹:おいっ――どうしたの!ちょっと待って!
エピソード-サブクエスト
祟月
怪談・百鬼夜行
幾重にも重なったろうそくの火が、薄暗い和室の中で揺らめいていた。衣擦れの音と共に人影が座った。
彼らの足元の影はろうそくの火に照らされ歪んで変形した、まるで鬼の影が大きな口を開いて彼らの頭をくわえようとしているかのように見えた。
しかし誰かが足元の影を見ると、全ては元通りになった。
綺麗な女の声が響き渡る、一本の繊細な手が暗い部屋から伸び、人を招いた。
『さあ、さあ、貴方が語りたい物語を聞かせて。』
部屋に入った男性はびくびくしていた、暗い部屋の中を見て唾を飲み込んだ。
村人:私は、本当に……
『貴方の物語が彼岸の中の真実なら、ここで貴方の求める虚妄を見つける事が出来るだろう。』
女の声は落ち着いていた、平然としたそれは夏の夜に一縷の涼しさをもたらした。
男性の息が荒くなった、涼しい中、彼の額には何故か微かに汗が浮かんできていた。
村人:私……私……
『それとも、他の人に順番を譲る?』
村人:いえ!私が!私が!私が先に、私が先に……
部屋の中の女はそれ以上声を発する事は無かったが、男性は彼女が笑っているように感じた、微かな期待を込めた笑みを。彼の喉仏は上下に動き、舌先で乾いた唇を濁した。
村人:私……私はかつて紅夜で、あの……あの貴族たちに外出を禁止された、空が赤くなる夜……見たんです……
『見たのか?』
村人:……私は見ました……『百鬼夜行』を!
日常
かつての名前は既に忘れられている、今は祟月と名を冠している町では、小さくない邸宅があった。
それはこの町を仕切る派閥の拠点であると皆知っていた。本来普通の人が煙たがるような場所から、いつも騒がしい声が響いてくる。
明太子:オレが取ったんならオレのだ!
雲丹:クソ、待て!
明太子:待つ訳ねぇだろ!この世は弱肉強食なんだってことを知れ!
騒がしい二人は小さくない和室の中でぐるぐると回っていた。和室の中央に座り、筆で何かを書いている月見団子は二人の声がまるで聞こえないようだった。
次の瞬間、元々月見団子の周りを走っていた明太子は、突然月見団子の背中を踏んで前に跳んで、追ってくる雲丹を避けた。
端正に書かれた文字は明太子に踏まれた事によって、くっきりと墨点がついてしまった。先程まで騒いでいた二人はそれを見て固まった。
雲丹:……えっと、えっと、団子は譲ってあげる!今日あたしが見回り当番だから!先に帰るね!
引き戸に沿ってそろそろと出口までたどり着いた雲丹は素早く部屋から飛び出して行った。まだ月見団子の近くにいる明太子は仕方なく振り返った。
明太子:月見……聞いてくれ……
月見団子:ボス、何度も言いましたよね、ボスはボスらしくあるべきですと。
明太子:……あの、オレ……オレ……
月見団子:暇を持て余しているようですね。それなら、以前お渡しした書物をもう一度真剣に書き写して、身を修める事の重要性を感じてみましょう。
明太子:イヤだーー!
祟月の邸宅の外。
パン――パン――
愛らしい少女の姿をした少年は手を合わせ、邸宅に向かってお祈りをしていた。
雲丹:明太子、兄弟のために自らを犠牲にした事、絶対忘れないわ!
考え
明太子:今日から!ここがオレたちの祟月の縄張りだ!月見!ほとんどお前のおかげだ!
明太子の見た目こそボロボロだったが、以前のように町は荒れていないためか、満足そうに頷いていた。
月見団子:私たちの計画が順調に進んだのは、全てボスの力のおかげです。
明太子:お前、いつもそんなくどくど……いいや、誰か来い!町にいる人たちに全員に伝えて来い。これからこの町は、この明太子様が守ってやるってな!
月見団子:ボス、少々お待ちを。
明太子:なんだ?
月見団子:それは宜しくないかと。
明太子:嗯?有什么不妥的,既然这条街道归我了,那这条街道上的所有人都是我的小弟,不就该由我来罩着吗?
(何故?ここはオレたちの縄張りだから、町にいる人たちはオレが守るべきだろう?)
月見団子:その通りですが、こんなに簡単に人間を守ってはいけないです。
明太子:……なんでだ?まさかお前も人間がやってきたことを根に持ってんのか?大事を為す奴がそんな……
月見団子:過去を気にしている訳ではありません、未来のためです。
明太子:……
明太子の疑問に満ちた目を見て、月見団子は軽く彼の肩を叩いた。
月見団子:人間は既に持っている全てを大切にしたりはしません、もし簡単に全てが手に入ってしまったら……
明太子:……彼らは忘れる、これらは彼らが得るべきものじゃないって。
月見団子は明太子の握り締めている拳に気付いていた。明太子はバカではない、彼の率直さは甘さから来ている物でもない。彼は軽く頷き、明太子の言葉に同意した。
明太子:ふぅ……じゃあどうすりゃ良いんだ?他の貴族、『妖怪』たちみたいに、何か貢いで貰うのか?そしたら……オレたちが……この町を手に入れて何の意味があるんだ……
月見団子:何かを献上して貰わなければいけませんが、恩を簡単に忘れないようにある程度負担を減らす方法を取る事は出来ますよ。
明太子:それって……
月見団子:そうです、彼らが出せる範囲内、行き過ぎない程度に徴収すると良いでしょう。そうする事でお互いの関係性をより強固になります。
明太子:月見、お前が居てくれて良かった!すぐに人を呼んでやってもらう!
月見団子:えっ――待ってください……はぁ……
子分を連れて走って行く明太子の姿を見ながら、月見団子は彼を掴もうとした手を引っ込め、軽くため息をついた。俯いた彼が再び目を開けた時、彼の眉間には皺が寄っていて、顔にはいつものような優しい笑顔はなかった。
月見団子:(……彼らのために色々考え過ぎていないでしょうか……)
嘘ついたら針千本飲ます
祟月の裏庭。こそこそしている二つの人影は壁際でしゃがみ、声を抑えながら慎重に何かを話していた。
職人:ボスボス、雲丹兄……姉さんは男ですか、それとも女ですか?あんたら妖怪に性別ってあるんすか?
明太子:なんて口聞いてんだ!あんたら妖怪に性別があるかどうかってなんだ!オレ様は男か女か見てみろよ!
職人:ごめんなさい、ごめんなさい……殴らないでください……
明太子:フンッ!
職人:じゃあ……ボスたちには性別はありますか?雲丹姉さんあんなに綺麗なのに……もっ……もし男なら、これから俺が男を好きになったらどうするんすか……
仿佛察觉到明太子鄙夷的视线小弟缩了缩脖子,颇有些委屈地嘀嘀咕咕起来。
(明太子の軽蔑した視線に気付いた職人は首をすくめてぼやいた。)
職人:俺はただ……気になって……
明太子:うっ……オレたちの性別は基本的に自分たちで決めてる、雲丹は……うっ……
職人:も……もし雲丹姉さんが女の子なら!俺は彼女に告白します!
明太子:……
職人:ボス、それはどういう意味の視線ですか、誰でも美しいものは好きじゃないっすか!雲丹姉さんあんなに男嫌いなのは、きっと前に誰かに傷つけられたからだ!俺はそんな彼女の事を大事にしてもう二度とそんな目に遭わせない……えっ……ボスなんで走ってるんすか……
雲丹:アタシに告白したい人がいるらしいね?
雲丹の足元から伸びた影が少しずつ青年のを覆っていく。雲丹の顔には綺麗だが怖い笑顔が浮かんでいた。
雲丹:アタシで妄想をするなんて?良い度胸してるじゃない‥…
職人:おおお俺……
雲丹:言ったわね、アタシを大事にして絶対に見捨てないってー嘘ついたら針千本飲ますからねー
職人:あーーーーー!
怪談・針女
ろうそくの火が揺らめいている。震えている男は静かで人のいない部屋で呼吸を荒くしていた。
村人:ふぅーーふぅーー
笑い声が聞こえた、まるで耳元で囁かれたかのようだった。この優しい声は男を余計に緊張させ、顔が真っ白になっていた。柔らかいが、毒蛇のように冷たい手が軽く彼の頬に触れていたから。
村人:俺、俺には物語が……ある……
その手は彼の言葉に応えたのか、暗闇の中に引っ込んでいき、彼の物語を待っていた。男は自分の呼吸を落ち着かせるよう努力していたが、その声はまだ震えていた。
村人:……う、噂によると、浮気性の男を成敗している妖怪がいると……彼女は俺たちに、俺たちによって『針女』と呼ばれていた。
木の下駄が地面にぶつかり、軽快な音が響いた。
荒い呼吸音の後、忙しない足音が聞こえて来た。男は自分の全力を振り絞ってがらんとした街を走っていた。
或いは……逃げ惑っていた……
男は転んで地面に倒れた、慌ただしく逃げたが背後で飛んでいる髪から逃れる事は出来なかった。生糸のように細く柔らかい髪はこの時少しずつ集まり、硬い棘になった。
村人:俺が、悪い!俺が間違っていた!俺は……お前を愛してる!本当に愛してる!ただ……その様子に慣れていないだけで!
雲丹:シシッー嘘つきは、針千本を飲まなきゃいけないよー
男は急に何かを思い出した。自分に向かって迫ってくる少女を見た。人間は恐怖の中咄嗟に何かを思いつくものだ。
村人:木の扉、そうだ!木の扉!
男が這いつくばりながら木の扉の後ろに隠れた後、夜色の下、異常に鮮やかな人影はその光景を見て、地団駄を踏んだ。鋭い髪は男の周りを制したが、男がいる位置だけを外した。
恐怖の静寂の後、空は徐々に明るくなっていった。木の扉の後ろに隠れて、頭を抱え込んでいた男はやっと顔を上げた。
良かった……彼女がいなくなってくれて……
村人:こ……これが俺が遭遇した針女だ……俺の命に賭けて誓う……これは本当だと!絶対に!彼女の髪!彼女の五官!明らかに悪鬼だ!彼女は絶対そうだ!
他人を言い伏せようとして早口で話す男は、その光景を思い出したのか、しつかりと自分の腕を抱いた。
村人:あの時……髪は俺の傍を掠った……
『だから、伝説に従って、木の扉の後ろに隠れて難を逃れたと?』
村人:そ、そうだ!これは絶対に真実なんだ!
女の笑い声が再び聞こえて来た。突然、冷たい空気が流れてきて、まるで耳元で誰かが息を吹いているようだった。そしてその空気は、男の前に置いてあるろうそくを吹き消した。
『この物語、受け取った。』
守護
明太子にとって、これは大分昔の話になる。
あの時の彼は、偶然のきっかけで、祟月の近くになる小さな村にやって来た。
人口百人にも満たない小さな村。全員が農業を生業にし、やせ細った土地は食べるための食料を育てるだけで精いっぱいだった。
明太子はたまたま通りかかった時、村人たちのために祈っている食霊に出会った。
明太子:おいっーーお前がここの首領か!
???:……余は……
明太子:ぐずぐずすんな!どうなんだ!首領なら、オレと勝負しろ!もしオレが勝ったら!今後オレに仕えろ!
職人:ボス!昨日月見さんも言ってたじゃないですか、俺たちでは守り切れないので、今はまだ縄張りを拡げるべきではないと。
明太子:……うっ……
???:貴方が噂の明太子様ですね。
明太子:えっ、オレのこと知ってるのか?
???:はい。あちこちで戦いを挑んでいる小皇帝様がいると。
明太子:な……何言ってんだ。
???:この土地の所有権を譲る事は出来ます、しかし……自分でこの土地を守りたいです……
明太子:えっ?!
???:ダ……ダメでしょうか……私は……ここを離れたくありません……
明太子:……変な奴。
見かけたら殴る
明太子:おいっーーこの野郎!出て来い!
巨大な岩穴は明太子に蹴られた事で埃が舞っていた。そして岩穴の中に隠れているこの穴の主は、穴の外にいる二人に向かって叫んだ。
暴食:俺をバカにしてんのか?!お前ら二人がそこにいるのに!勝てる訳ないだろ!
明太子:フンッ、オレ様には勝てないって自覚はあんだな!
暴食:田んぼにあったスイカを盗んで食べただけだろ!わざわざ巣まで来る必要あんのか!
明太子:オレたちがいなかったら、スイカどころじゃなかっただろ?!
暴食:テ、テキトーな事言うな!
目が泳いでいる暴食を見て、明太子はまた強く岩穴を蹴った。
暴食:えええっ!なんなんだよ!また手出しやがって!俺たちは同じだろ!あの人間たちは俺たちの事が嫌い、お前らの事も嫌っている、なのにあいつらを守ってるなんて。フンッ……笑える……
明太子:お前!
暴食:なんだ?何か間違った事を言ったか?お前たちは人間の見た目をしてるだけ、もし自分の力を表に出したら、あいつらは俺たちを駆逐しているようにお前たちも駆逐するだろうな。あっ違うな……あいつらはもう駆逐してたもんな、お前らは妖怪だもんな、はははははは!
明太子:……
暴食:なんだ?痛い所をつかれたのか?
明太子:オレを駆逐するかどうかはどうだっていい、ただあいつらはオレの民になるんだ!だから、オレに勝てないなら、大人しくしてろ!勝手な事をしたら、オレ様がお前の触手を全部お前の口の中に突っ込んでやる!この触手オバケ!
暴食:……おおお前!そんな言い方ないだろ?!俺……こんな美女を前にして?!
明太子:お前が?!美女?!どこの美女にそんな触手生えてるんだよ?!この触手オバケ!一匹見かけたら一匹倒してやる!有言実行!
タコわさび:(ハックションッ!)
暴食:お前!
明太子:なんだお前って、オレ様は明太子だ!こいつも!この土地も!手を出したら!オレ様が許さねぇから!
暴食:フンッ!
偏見
村人(女):出てけ!
村人(男):妖怪は全部出てけ!
明太子:……
村人(女):お前らみたいな妖怪がいなかったら!あの怪物たちも危害を加えてこなかった!
村人(男):出てけ!
職人:えっ!なんだ?!ボスがいなければ!お前らはとっくに怪物にやられてた!
村人(女):そいつが来なければ!怪物も来なかった!
村人(男):そうだ!そいつも怪物だ!
村人(少年):怪物!
職人:お前らなんなんだ!
明太子:何してんだ!
職人:……ボス、あいつら……
明太子:……それでもダメだ。
職人:だけど!
明太子:なんだ?!オレの言う事が聞けないのか?!
職人:……チッ。
村人(女):ほら見ろ!後ろめたくなってる!出てけ!
村人(男):出て……け!な……何見てんだ!
騒いでいた村人たちは明太子の強い視線にあてられ、半歩後ずさった。地面に横たわってまだ完全に分解が終わっていない堕神の死体のせいか、それとも明太子が先程まで見せていた強い実力のせいか、もう誰も騒がなくなった。
明太子は拳を握り締めて、深く息を吐いた。そして最後に怖がっているが目には嫌悪の感情が満ちている村人たちを見た。
明太子:行くぞ。
職人:放っておくんですか?!
明太子:行くぞ!いつか、二度とそんな目でオレらのことを見ないようにしてやる。
職人:はい!
月兎
これは、あまり知られていない物語。
むかしむかし。
空には丸い、太陽のような物があった。
彼女は太陽みたいに柔らかな温度、明るい光をもたらす事は出来ないが。
彼女は太陽よりも優しい。陽ざしのない夜に現れて、自分の優しい光で人を怖がらせる暗闇を照らした。
どこから来たかわからない『妖怪』たちは、彼女の存在を懐かしんでいた。彼女が再び彼らの世界に戻り、優しい銀色の光に抱かれる事を望んだ。
しかし……ある日から……彼女はいなくなった。
彼女は宝物みたく、誰かに隠された。『妖怪』の誰も彼女を見つける事は出来なかった。
そして、彼女に抱かれている中で花見をしてお酒を飲むのを好んだ『妖怪』たちも、徐々に彼女の存在を忘れていった……
しかし……小さなウサギだけは、いつも顔を上げ、あの柔らかな銀色の輝きを見ていた。
それにはかぐや姫の泣き声が聞こえていた。
それはかぐや姫の存在を思い出していた。
それは再びその明月を胸に抱きたいと思っていた。もう一度彼女の優しい光の元で、静かにお茶を飲めたら良いと思っていた。
鬼女
噂によると、紅葉に満ちた山があるという。
かつて、その山には木々が生い茂っていて、山全体が活き活きとしていたという。
しかしある日、葉っぱが一夜の内に全て枯れ果ててしまった、山全体が無間地獄に引きずり込まれたようになっていた。
あちこちには逃げ遅れた動物の死体があり、全ての木々は焼かれて枯れていた。
また皆がその山を惜しんでいた時。そよ風によって、焼き焦げた木々は突然新たな枝と葉を伸ばし始めた。ただ全ての葉っぱは血のような赤になっていた。
山に女神がやって来たそう。彼女が木々を全て復活させ、人間に技術を伝えたという。
ある噂では、山に鬼女がやってきたと言われている。勝手に山に入っていくと、彼女の紅葉に呑まれ、彼女の養分にされてしまうという。
月見団子:ボス、何を見てるんですか?
明太子:あっ、なんでもない、突然赤くなった山だけど……堕神がいるんじゃないかなって。
月見団子:突然赤くなった山?紅葉山ですか?
明太子:えっ、知ってるのか?
月見団子:少しだけ。その人に、軽々しくちょっかいをかけないでくださいね。
明太子:……
月見団子:それはどういう表情ですか?
明太子:……そう言われたら、余計興味が出てきた。
うずうずしている明太子の言葉を聞いて、月見団子は険しい視線を送った。まだ興奮している明太子は月見団子の冷たい視線に気付いて、一つ身震いした。
明太子:わかった!わかったって!祟月はまだ発展途上だから、敵を増やしすぎてはいけないって。
月見団子:わかっているなら良いです。
歌舞伎町
怪談・人魚
ろうそくの影が揺れている、和室にいた人々は白い顔で髪を掴まれて奥の間に連れて行かれた女を見ていた。
すぐに、畳には赤色が映し出された、しかし次の瞬間その赤色は消えてなくなった、まるで錯覚かのように。
その後すぐ、彼らは他の人の怖がっている表情を見た。
――それは彼らの錯覚ではなかった。
また柔らかな女の声がした、彼らは自分の歯がガタガタと音をしている気さえした。一人の女の子が背後の人に押されて躓きそうになった。彼女は驚いて後ろを見たが、しかし彼女は既にろうそくで囲んだ円の中央にいた。
次の物語を語ってくれるのは、貴方?
少女:私……私……
柔らかく滑らかな手が少女の頬を撫でた。少女のこめかみから汗がしたたり、彼女は緊張した様子で自分の親指同士をこすり合わせていた。
さあ、さあ、貴方が語りたい物語を聞かせて。
少女:私……私の実家は、桜の島の海辺にあります。漁を生業にしている小さな村です……
桜の島は海に浮かぶ大きな島、多くの平民は漁を生業にしていた。彼らが頼りにしている海は、あちこちに人を脅かす致命的な脅威が蔓延っていた。
少女:あの時、嵐が酷かったのですけど……貧しかったので、だから、危険を冒してでも、海に出て漁をしなければなりませんでした……
あの日は雨風がとても強い日だった、少女の父と仲間たちは、次の月の税を支払うために、大きな危険を冒してまで海に出なければならなかった。
少女:海辺に着いた頃、私はあの人を見ました……いえ……あの「妖怪」を。
少女は海辺に立っていた。父の小船の区別がつかなかったが、焦った気持ちで海の方を見ていた。小さなランプを持って、父のために帰り道を示そうとしていた。突然、彼女は遠くない所に人影がある事に気付いた。
それは少年だった、大きな波を見ていた少年は人間が自然と抱くべき畏怖がないように見えた、冷静で異常だった。
少女:……そんなに海に近づかない方が良いよ、危ないから。
鯖の一夜干し:……
少年仿佛并没有注意到她的话,他平静无波的视线注视着陷入狂暴中的大海,下一刻,他纵身跃入了海中。
少女:えっ!
少女:その後、私の父の船隊の船員は、一人しか返ってきませんでした。彼が目覚めた時は海辺にいました。彼らは私に、私が見たのは、人魚だと告げました。
少女:人魚が大きな波を引き寄せ、人間を海の中に引きずり込んで食料にしていたんです!彼らは人間の見た目をしていて、海の中を自由に歩き回る事が出来る……人間を海の中に入るよう誘う事もあると。私の母は、あの日、彼と会話を続けていたら、もしかしたら私も海の底に沈んでいたかもしれないと言っていました。
海辺の……人魚か。
少女:本当です!本当です!私以外にも、何人か見かけた事があるそうです!彼は他の人間よりも濃い色の皮膚をしていて、波が一番強い時に海の中に入ることが出来ると……
少女は必死で補足していた、彼女は自分が補足した細部によって和室の奥にいる女に自分を信じてもらおうとした。
緊張しなくていい、信じてあげよう。
女の笑い声と共に、少女は自分の目の前のろうそくの火が見えない何者かによって吹き消された事に気付く。そして彼女の目の前には、両手で持ちきれない程の金の延べ棒が落ちていた。彼女の目は驚き、そして興奮も帯びていた。
これが貴方の願い。あり余る富、冒険する必要のない余生。
怖くない怖くない
極楽
室内
純米大吟醸は気怠そうに赤い欄干の上に寄り掛かり、両手をだらんとさせ揺らしていた。
鯖の一夜干し:大吟醸。
純米大吟醸:来たのかー
鯖の一夜干し:突然呼び出して、何か急用でしょうか?
純米大吟醸:あとで月兎の奴が来るよー
鯖の一夜干し:……
鯖の一夜干しの強張った表情に気付いた純米大吟醸は軽く声を出して笑った。
純米大吟醸:そんなに彼の事が嫌いなのか?
鯖の一夜干し:…………
純米大吟醸:あちきが守ってあげるから、怖くない怖くない
純米大吟醸は鯖の一夜干しの何か言いたいたげだけど何も言えない表情を見て、顔を腕の中に埋めて、肩を揺らす程に笑った。鯖の一夜干しは仕方なく手を伸ばし、腕までずれ落ちた服を直した。
純米大吟醸:そうだ、ぬしを呼んだのは頼みたい事があったから。月兎の首領の明太子殿下を探してきてくれないかー
純米大吟醸:そうだ
鯖の一夜干し:……どうしてですか?
純米大吟醸:そいつの驚いた表情を見たくないか?
鯖の一夜干し:……?
純米大吟醸:覚えておいて。連れてきたら、あちきの話を最後まで聴かせる事。
花魁
村人:おや、嬉しそうにして。なんかあったのか!
村人:へへっ、運が良かったんだ!
村人:うん?運が良かった?
村人:教えてやるよ!何日前かにな、妖怪に捕まる危険を冒してな!夜中に極楽に行って来たんだ!
村人:金持ってるな、極楽に行く金があったとは!
村人:そりゃあ、ずっと貯めて来たお金でも、広間で一杯しか飲めなかった!
村人:運が良かったって話は?
村人:何日か前に行った時は、ウワサを広められたら良いなとしか思っていなかったけど。まさか運良く極楽の店主、つまりその店の花魁が客人を出迎えている所に出くわしたんだ。
村人:出迎え?
村人:そうだ、出迎えられた人も見た事がある。前までここで商売してた商人だ。はぁ、金持ちは良いな、こんだけ長い事お金貯めても、酒を一本飲めるだけ。その人は、店主に出迎えられてたからな!
村人:その店主ってどんな顔してんだ?
村人:それは……
村人:どうなんだ?
村人:あ……俺は言葉を知らないからな。なんて言ったら良いんやら、とにかく綺麗だ!
村人:はぁ、俺もお金があって、たまたま見かけられたらな、一目だけでも良いから。
推薦
純米大吟醸:そう……彼らに自ら進んで夜を差し出してもらおうとしているのか?
月見団子:それがどうかしましたか?それとも昼の方がよかったですか?
純米大吟醸:昼間は暑いし明るいし貰ってどうする。ただ、軽々しく言ってるけど、人間は喜んで夜の所有権をあちきたちに渡してくれるのか?
月見団子:そんなに簡単なら、わざわざ貴方と協力したりしませんよ。
純米大吟醸:その言い方だと、方法があるのか?
月見団子:気付いていないとは言わせませんよ?
純米大吟醸:フッ、だからここ最近、土瓶蒸しがいる時にあちきの所に来ていたのか。
月見団子:あの貴族たちはまともに相手してくれませんよ。もしきちんとした紹介がないと、その後の動きもうまくいきません。
純米大吟醸:彼が助けてくれると思っているのか?
月見団子:貴方がいるじゃないですか?
純米大吟醸:あいつは見た目よりも賢い。十分な利益がなければ、手出しはしない、説得できるのか?
月見団子:貴方がいれば、彼はきっと同意してくれるでしょう。
純米大吟醸:フンッ、褒め言葉として受け取っておく。
鳥籠
鯖の一夜干し:……ここにもいない……
鯖の一夜干し:大吟醸を知らないか?
店員:あっ、店長様ですか、あれ、先程までここに居ました……
鯖の一夜干し:(……こんな時にどこに行ってるんだ……)
鯖の一夜干しがあちこちで純米大吟醸を探していた時、突然屋根の方から笑い声が聞こえて来た。その聞き覚えのある声で鯖の一夜干しは肩の力が抜けた。彼は身軽に屋根の上まで跳んだ。
純米大吟醸は鯖の一夜干しの影で覆われた、彼は俯いて屋根に寝っ転がって日向ぼっこをしている大吟醸を見た。
鯖の一夜干し:どうして一人で上がって来たんですか、せめて店員に傘を差してもらってください。わかっている筈です……うわっ!
突然マフラーを引っ張られて、鯖の一夜干しは純米大吟醸の傍に倒れ込んだ。
鯖の一夜干し:ああああ、貴方は何をしているんですか!
純米大吟醸:今の太陽はあちきを傷つける事はない、ぬしもわかっているだろう。
いたずらを成功させた純米大吟醸は楽しそうに笑っていた。彼は頭を傾げ、袖を捲った。眩しいほどに白い肌には何の跡もついていなかった。
鯖の一夜干し:……しかし……
純米大吟醸:安心して、あちきたちがこの枷鎖を破るまで、この偽物の光はあちきに傷を付ける事は出来ない。
鯖の一夜干し:……大吟醸、ではもし……成功したら……貴方はもしかして……うっ?!
鯖の一夜干しはデコピンをされた額を押さえながら、目を見開いて少し沈んだ表情をしている純米大吟醸を見た。
純米大吟醸:陽ざしに焼かれるとしても、隠れるかどうかはあちきが選ぶ事だ。極楽の花魁はこんな小さな鳥籠にいるべきじゃない。
怪談・面皮
広く豪華な和室の中央には、重々しく複雑な十二単を身に纏っている少女が座っていた。少女は端正な姿勢、淑やかな雰囲気を纏っていた。人形のように綺麗な顔には表情は一切なかった。
彼女は高貴な姫であり、神社最後の巫女である。
天災や人災によって絶えず苦しみを味わって来た人々を一縷の慰め労いを与えるためか、彼らはこのような巫女を持った。
彼女の姿は、神社に来てから変わる事は無かった。彼女には常人にはない神力があり、人を脅かす怪物をも撃退できる。
ある人は、彼女は、彼らの願いを聞き届けた神から遣わされた神女だと言った。
そして、ある人は、彼女は人の殻を被って降臨した神だと言った。
村人:ひっ……わ、私はその姫の……いえ、巫女の従者です。
和室の奥から微かな寒気を帯びた声が聞こえてきた、その声は興味が湧いているようだった。
お?
村人:姫……姫はあの夜から変わってしまわれた!
村人:そう……彼女はあの夜から……人が変わりました。
従者は祠堂の外で跪いて、祈祷を始める姫を待っていた。
待っているというより、いつでもすぐ姫の世話が出来るよう待機、更には……逃げないように監視するためであった。
彼ら全員知っていた、彼らの姫には、恋人がいると。しかしもうすぐ巫女になってその一生を神に捧げる姫は、彼女の恋人と生涯を共にする事は出来ない。
スーッ
引き戸が開いて、おせちはゆっくりと祠堂から出てきた。従者たちは全員それを見てホッとした。
村人:姫様。
おせち:そうだな、帰ろう。
少し顎を上げている姫は高貴な雰囲気が出ていて、わがままな一面が少し減ったように思えた。従者たちは彼女の変化に少し戸惑ってはいたが、誰も彼女が服の下で拳を握り締めている事に気付かなかった。
姫を寝殿までお送りした従者たちは全員下がったが、姫に最も近い近侍は彼女の変化に気付いていた。
村人:……姫様?
おせち:あ、あっ?なんじゃ?
村人:夕餉(ゆうげ)は……
おせち:あぁ、減っていない、持っていけ。
村人:しかし、今日一日何も召し上がられていないようですし。
おせち:ならその菓子だけ残しておけ。
村人:かしこまりました。
そして次の日、寝殿の片づけをしていた近侍は、昨日残した菓子が減っていない事に気付く。
それから彼女は姫の事を観察するようになった。姫は二度と彼女が愛していた男の話をしなくなった、以前好きではなかった菓子をよく食べるようになった、以前よりも端正で温和になって、たまに前とはまったく違う笑顔を見せる事も……
それだけ?
村人:いえ!いえ……それに、彼女はあの後老化する様子は一切なかった……更には、悩み事がある時、何日も食事を取らない事もありました。そして、その後、彼女の傍にいた多くの従者は、全員いなくなりました!いなくなったんです!
村人:彼女……彼女はきっと人ではない!彼女……彼女はきっと妖怪です!姫を食べて!姫の代わりになったんです!
従者の声は震えていた、彼女は自分の腕をしっかりと抱き締めた。
彼女は貴方によくしていなかったのか?どうしてそんなに怯えている?
村人:私に良くし過ぎています!か、彼女は以前までそれほど優しい人ではなかった!考えて見てください!姫ですら気付かない間に入れ替わる事があるのなら、私たちは……私たち……私たちみたいな人は、彼女に食べられたとしても誰にも気づかれないのでは……
村人:私はここから出たいです!出たいです!百語館なら出来ますよね!きっと出来ます!本当の怪談を語れば願いを叶えてくれるんですよね!これは本当の話です!本当に本当です!私は……妖怪に食べられたくない……わ……いやだ……いやだ……
ふふっ、それなら、貴方の願いを叶えましょうー後悔しないでねー
姫
村人:巫女様、あの商人が来ました。
おせち:部屋で待つよう伝えよ。
村人:かしこまりました。
おせちは逸る気持ちを抑え、普段通りのお淑やかな姿勢を保ったまま、いつもより、足早に歩いた。
彼女は和室に入った。従者によって部屋に通されていた土瓶蒸しは、彼女がやってくるのを見て、慌てて立ち上がって挨拶をした。
おせち:下がれ、その者と話す事がある。
村人:しかし……
おせち:なんだ?
村人:かしこまりました。
従者を追い払って、背後の引き戸が閉まるのを合図に、おせちは冷たい表情を消し、少しだけ笑顔を浮かべて土瓶蒸しに近づいた。
おせち:今日はまたどんな面白い事を聞かせてくれるのじゃ?それとも面白い物でも持ってきてくれたのか?
土瓶蒸し:姫様、今日は面白い話ではなく相談をしに参りました。
おせち:お?相談とはな。しかし……商売の事は、何も力にはなれんぞ。
土瓶蒸し:この事は、姫様にしか手伝えません。この事は、姫様の臣民だけでなく、食霊にも関わる事ですので。
再建
村人:えっ!歌舞伎町が再建されてる!
村人:え?再建ってどういう意味だ?
村人:知らないのか?この歌舞伎町は大きな火事で真っ平になったんだ、花魁も中で亡くなったって!
村人:えっ?!
村人:あの時、京都でどんな罰当たりな事があったかわからないが、神様を怒らせて、天罰で火事になった。まずは歌舞伎町、その次は姫の邸宅。
村人:姫の邸宅も焼けたのか?
村人:そうだ、姫の邸宅の火事がどれだけ怪しいもんか知らないだろ。姫とその夫の二人が自分から燃えたようになってたらしい!あの二人と一枚の絵巻だけ!他は何も燃えてなかった!
村人:絵巻?
村人:これは火消しの友達から聞いたんだけど、その絵巻は王家の昔の巫女が残したもんらしい。その姫は綺麗だからって家まで持って帰ったみたいで、神への不敬とみなされたからか、あんな目に……あいや……
この通行人たちの会話は他の道行く人の邪魔にはならなかった。土瓶蒸しが出資して歌舞伎町を再建している中、静かに前の花魁の店よりも高い建物が出来上がっていく。
その建物は――「極楽」と名付けられた。
一般商人土間さん
純米大吟醸:おいっ――鯖出て来いー
純米大吟醸:はぁ、鯖の奴、ぬしを見るといつもあちきの影の中に隠れる。月見、正直に言って彼に何かしたんじゃないのか?
お酒を楽しんでいた月見団子は急にそう声を掛けられ、戸惑いながら純米大吟醸の方を見た。
月見団子:彼に何か出来ると思いますか?もし私が何かしたのなら、言ってくだされば、きちんと謝ります。
純米大吟醸:おい、鯖、聞こえたか、出て来い、このクソウサギにあやまらせるから。
鯖の一夜干し:……結構。
影の中から嫌そうな声が聞こえて来た。純米大吟醸は万年無表情な鯖の一夜干しが今どんな顔をしているか想像できていた、引き続き鯖の一夜干しにちょっかいを掛けようとした時、店員の声が聞こえて来た。
村人:店主様、土間様がいらっしゃいました。
純米大吟醸:はぁ……連れてきて。
村人:かしこまりました。
しばらくして、足音が近づいて来た。引き戸が開かれて、土瓶蒸しが二人の前に現れた。
月見団子:土間?
土瓶蒸し:あら、軍師様もいらしてたんですか?
月見団子:なんです、人間みたいな名前を付けたりして。
土瓶蒸し:食霊は「食霊」だった昔と違って、今や「妖怪」ですからね。商売を続けたければ、人間の名前があったほうが便利ですから。
月見団子:そうですね、昔とはもう違う……
純米大吟醸:おいおい、あちきがここの主人だ。二人とも、傍若無人すぎやしないか!
土瓶蒸し:大吟醸はヤキモチを焼いてるのか?
純米大吟醸:フンッ、そんな事する訳がないー
月見団子:ふふっ、旧友に久しぶりに会ったので少し盛り上がってしまった。さあ、飲みましょう。今日は良い酒を飲んで、全て「土間さん」につけましょう、お詫びとして。
純米大吟醸:では遠慮なく。
土瓶蒸し:ちょっと、お二人さん?協力して私のようなか弱い商人を騙くらかそうとしてるんじゃ!
純米大吟醸:ダメか?
土瓶蒸し:……そんな可哀そうな目で私を見ないでくださいよ、飲めば良いでしょう、飲めば。
託す
???:ゴホッ、ゴホゴホッ……
村人:殿下!殿下大丈夫ですか、薬を用意します!
???:問題ない……ゴホッ……ただ……ゴホゴホッ……持病だ、治らない……薬を無駄にするな……
村人:殿下、何を仰ってるんですか!明太子様は貴方様のために蓬莱の仙薬を探しに行ってます!もし見つかれば、きっと治りますよ!
???:ゴホゴホッ、すまん……心配かけさせて……
明太子:おいっ――病弱――ただいま!ほら何を持って帰ったと思う!
村人:あぁ、明太子様、やっと帰って来てくださいましたか!早く殿下を見てみてください……
明太子:病弱大丈夫か!お、オレは東海で人魚の涙を見つけたぞ!は、早く試してみろ!
???:ゴホッ……大丈夫だ……明太子……これからは、もう、ゴホゴホッ……私のために薬を探しに行かなくても……私の病は、もう、治らない……
明太子:バカ野郎!何言ってんだ!オレ様が必ずお前を治せる薬を探し出す!
???:ゴホゴホッ、代わりに、貴方は……ゴホゴホッ……私の代わりに……ゴホゴホッ……この桜の島を守って……
明太子:……何言ってんだ!東海の方に蛟竜もいるらしい、すぐにその角を探してくる。その角を削って粉にすれば、万病に効くらしい!
???:ゴホゴホッ……明太子……
長旅から帰ってきたばかり、また慌てて去って行った明太子を見て、病床に伏して弱っている青年は目を閉じて、ぶつぶつと話しながら明太子が離れていった方向へ向かって手を伸ばした。
???:明太子……臣民たちの信頼と敬いを私が無にした……だから……私の代わりに全部守ってくれ……ゴホッ……ゴホゴホッ……
村人:殿下、誰も貴方様を責めていません、きちんと横になって休んでください!……誰か!まずい!殿下がまた吐血した!
稲荷神社
恨み
数日前。
油揚げ:うわ……稲荷様、もう何回目ですかね。まだ登ってますよ!もう中に入れましょうか?これ以上時間掛けたら、病気が悪化するかもしれません。
いなり寿司は辛そうに山を登っている少年を見ていたが、その顔には言い知れない冷たさがあった。彼はゆっくりと目を閉じて、長く息を吐いた。
いなり寿司:その子どもの心の中には、憎しみがある。
油揚げ:えっ?だけどそいつは何回も来てますよ?
いなり寿司:彼は「妖怪」を憎んでる。今は敬虔に山に登りたいと思っているけれど、彼の目の中の憎しみは前よりも強くなっている。彼は他に方法がなければ、こんな場所には絶対来ない。
油揚げ:……憎らしい人間め!今すぐ稲荷山から追い出してきます!
いなり寿司:人間はいつだってそうじゃない。行こう。
油揚げ:あ、あいつは?
いなり寿司:私たちを傷つけられはしない。あと何日か徘徊していれば、勝手に帰るだろう。好きにさせておけ。
油揚げ:フンッ、今回はおおめに見てやるよ。
般若
般若:カタッ――カタッ――
ひっそりとした山奥で響く怪しげな音はより一層怖い物に聞こえる。少年は背中に背負った妹を固定している紐をギュッと締めて、警戒しながら周囲を見ていた。
般若:カタッ――カタッ――
村人:誰?!誰だ!
般若:カタッ――カタッ――
村人:うわっ!怪物!く、来るな!
般若:妹……カタッ……を……カタッ――助け、たくは、ないか……
壊れた機械のように首をひねっている人形の顔に何の表情もなかった。それの関節を確認した少年は、目の前のひとが人間ではないと確信した。
村人:な……何を……言ってるんだ……
般若:妹を、助ける……カタッ……ボクに……カタッ……方法ある……
村人:……お前……本当に妹を助ける方法を知ってるのか?
般若:カタッ――「妖怪」……カタッ――敵。
村人:他の人に聞いた、全員……ここの妖怪しか彼女を救えないって言ってた……
般若:カタッ……ボクを連れて……カタッ……鳥居に入れば……カタッ……ボクが……妹を……カタッ……助けてあげる……
村人:……と、鳥居をくぐれば良いのか?
般若:カタッ……入れば……カタッ……
村人:だけど……もう何日も迷って……
般若:カタッ……やって……カタッ……くれるなら……方法が……カタッ……ある……
村人:……わかった!やる!妹を助けられるなら!なんでもやる!
目標
明太子:うぅ……稲荷神山……稲荷神山……うっ……誰か稲荷神山の場所知らないか!あああ出掛ける時に聞くのを忘れた!今帰って聞きに行くのは流石にカッコ悪い!
酒瓶を抱いたまま、明太子は慌てふためいて道端の石ころを蹴った。赤い短髪は掻きまわされて鳥の巣みたいになっていた。
老人:おや、坊や、稲荷神山に行きたいのかい?
明太子:あっ……ばあちゃん。そうだ、稲荷神山は聞いたことないか?
老人:あら、稲荷神山は知ってるさ!稲荷神様はすごいよ!
明太子:えっ……そんなに有名なのか!
老人:そうだよ!前にお隣さんの子どもが事故に遭った時、稲荷様にお願いして治してもらったのさ!お隣さんはあの時稲荷山で土下座して何回も何回も血が出るぐらい頭を地面に打ち付けていた。皆もうやめろって言ったんだけど、まさか本当にお願い出来るとは!
明太子:……
老人:坊や、何か悩み事があるのかい、だから稲荷山を探してるのか?
明太子:えっ……まあ……そんなところだ……
老人:来な、ほらあそこ!あの霧が濃い山!見えたか!あそこだよ……
明太子:あっ!ばあちゃん、ありがとう!
老人:どうってことないよ。でも坊や、覚えておいて……稲荷神様にお願いする時は、敬虔にね……
明太子:うん!わかった!行ってくる!
老人:あぁ!気を付けてな!
老人:……カタッ……カタッ……目標を……稲荷山に……誘導……した……カタッ……
怪談・九尾
ろうそくの火はだいぶ消えているが、和室には蝋は一滴も落ちていなかった。白いろうそくは冷たい夜風に吹かれて揺れていた。
和室の入口に立っている人々は委縮して前に出ようとしない。
彼らは目の前で他の人たちが和室の中に連れて行かれているところを見たが、入ってからの物音は何も聞こえない。
それと同時に、彼らは目の前で巨額の富を得た貧乏人、美貌を得た女性、そして足と他の全ての病を治せる仙薬を得た老人を見ていた。
唾を飲む音が耳元に響いた、静かな夜の木々が揺れる音によって彼らは背筋が冷たくなっていた。
和室の中から手が伸びて手招いていた。中央まで来て簡単なゲームをやるよう誘っているみたいに。
次は……誰だ……私たちの遊びは……まだ終わっていない……
老人:……私……私が……
一本の白いろうそくはゆっくりと彼女の面前まで浮かんでいき、彼女の頬を照らした。老人の顔に刻まれた深い溝と恨めしそうな表情を見た入口の人々は本能的に後ずさって震えていた。
老人:うちの爺さんは幼い頃から神社の神官をやっていた。彼らの神社はあの伝説の稲荷神社です。稲荷伸を祀っていて……だけど、あれは稲荷伸なんかじゃありません、ただの怪物です!
霧に包まれた稲荷山の上に、稲荷伸を祀っている神社があった。
中の巫女がどこからやって来たのかは知らない。神官曰く、彼女は稲荷伸の化身で、世間の苦しみや困難を取り除くためにやってきたそう。
しかし、神社の中で生活している者しかしらない。巫女というのは、巫女ではないと。
神官:どうしてまた下山したんですか!穢れた物に触れると体に障ります!その体は稲荷神様の神聖なるお体です!そのように踏みにじってはいけません!
いなり寿司:お酒を飲んだぐらいで、何を言っているんだい。
巫女は「神の使者」と名乗り、皆の祈願を聞いていた。
貴方たちは……どうしてそれを怪物と呼んだ?
老人:あの日、うちの爺さんはいつも通り神社に行って、二度と帰ってきませんでした。次の日私が探しに行ったところ……神社がある一帯は焦土と化していました。そして……あの怪物は、彼は……廃墟に座って神社の方を向いてせせら笑っていました。
老人:きっと彼の仕業だ……きっと彼です……彼の背後には狐のしっぽもありました!彼は稲荷神などではない!彼は国を亡ぼす妖狐です!
女が口を開く前に、その老い先短い老人は自分の言葉で興奮して震え始めた。彼女は恨めしそうにろうそくを掴んだ、火で手の平を焼かれても一切気にしていなかった。
老人:願いを叶えてくれるんですよね?殺して!彼を殺して!殺してよ!
狂った言葉を聞いて背後の若者たちは半歩後ずさった。その時彼らは目の前の老人が怖いのか、それとも奥の間にいる姿が見えない女の方がもっと怖いのか、わからなかった。
ただ、すぐに、その老人は興奮しすぎた事で倒れ込んだ。
皆の視線は奥の間に注がれた。
彼女はもっと早く死ぬ運命だったけれど、憎しみでここまで生き延びた……中々に珍しいが、ただ物語は……最後まで聞く事が出来なかった……はぁ……
女の落胆した言葉によって全員の意識が戻った。奥の間から玉のような手が伸び、一振りすると、その老人の体はかき消されたろうそくと共に暗闇の中に消えた。
枷鎖
桜の花が舞い散った廃墟で、艶やかな二人の……男が、焦土の中座っていた。彼らは唯一残った赤い屠蘇器を持っていた、花びらが澄み切ったお酒の上に舞い散り波紋を引き起こした。
純米大吟醸:綺麗に焼けたね。どうだ、あちきの極楽に来ないか、花魁の地位を譲ろうか。
いなり寿司:……
純米大吟醸:それはどういう目だ、あちきは善意で言ったんだーさあ、酒だ。
いなり寿司:今日のはどんなお酒なんだい?
純米大吟醸:あちき大吟醸が持ってくるのは、最高級の大吟醸に決まっているだろう。
いなり寿司:嘘つけ、もっと良い祭酒があるだろう。
純米大吟醸:あれはそう簡単に手に入れられる物じゃない。うちの鯖に何回も行かせて、やっと少しだけ手に入れられたんだ。
いなり寿司:はぁ……
純米大吟醸:なんでため息をついているんだ?最後の枷鎖がなくなっただろう、祝おうじゃないか?
いなり寿司:……
純米大吟醸:どうした、その人たちを救わなかった事を後悔しているのか?
いなり寿司:私がそんな一々後悔するようなひとに見える?ただ、もう少し早く気付けば、彼らとこのような結果になる事はなかったのかと……
純米大吟醸:今更言ってもしょうがないだろーさあ、飲もう。
いなり寿司:大吟醸、ありがとう。
純米大吟醸:……どうした急に。
いなり寿司:君がいなければ、私は今でもただの「稲荷」で「九尾」じゃなかった。だけどこの二つとも私は捨てきれない。
純米大吟醸:……引き続き稲荷神としてやっていくのか?
いなり寿司:この世には、神を冒涜する者がいれば、神を敬う者もいる。冒涜する者の前では「九尾」として、敬う者の前では「稲荷」としているのが自然だろう。
純米大吟醸:……苦労人だな。では「稲荷」様、わたくしめには一つ願いがあります。叶えてくださいますでしょうか?
いなり寿司:……君。まあ良い、君の言葉がなければ私は気付けなかった。こうしよう、稲荷神の名のもと、もしある日君か君の友人に面倒事が起きたら、「極楽」の最高級のお酒を持って来てくれるなら、一つだけ願いを叶えてあげよう。
純米大吟醸:「稲荷」様に感謝致しますー
いなり寿司:……そんなふざけた話し方をして、友人だからって殴らない訳ではないよ。
純米大吟醸:まあまあ、良いじゃないか!ハハハッ!さあ、飲もう!
いなり寿司:フンッ、飲もう!
結界
明太子:……敬虔な人じゃないと神社に入れないのか。うっ……オレがめちゃくちゃ真面目に山登りしたらいけるかな?
明太子は雲と煙がゆらゆらと立ち昇っている稲荷山を見ながら、あごを触って真剣に先程土瓶蒸しと付き人の老婆から得た情報を考えていた。
彼は試しに山を囲んでいる霧に触ってみた、しかしこの霧は彼の手を避けるように切れ目が生じた。
明太子:えっ?
何とも言えない感触に、彼はこれは自然に出来た霧ではないと感じた。彼は試しに掌に霊力を集めてみたところ、すぐに、霧は彼の手を避け始めた。
明太子:(……この霧は、誰かによって作られた物で、人を入れる気がないみたいだな……)
明太子は迷わず全身を霊力で包み、もったりとした霧の中に入って行った。周囲の景色は彼の周囲のほんの僅かな部分しか見えない。
明太子:……こんなの、全然敬虔な人しか入れないとかじゃねぇ。この霧を作った奴が入れたい人しか入れないじゃねぇか……
鳥居にて。
油揚げ:あっ!稲荷様。きつねうどんの奴が誰かが入って来たと言っています、彼が入れた訳じゃないと。
いなり寿司:あら?彼の結界に入れる人がいるのか。
油揚げ:あれ?!もう……もう一人いるみたいです!すぐに追い出してきます!
いなり寿司:……良いわ、何者なのか、見てみようじゃない。
変わり果てた
山道は長い、明太子は疲れる素振りは見せなかったが、退屈している様子だった。
濃霧に覆われた山道ではほとんど景色は見えない、足元の階段を見ながら歩くしかない。
あくびをした明太子は、目尻に涙を浮かばせていた。
明太子:あああ……いつになったら着くんだ。えっ……あれは?!
遠くない場所に人影が見えて、少しだけ元気が出た。その後ろ姿はなんだか見覚えがある様に思えた。
明太子:(あれ……どっかで見た事あるような気が……)
まだ幼い少年が、彼よりもいくつか年下の女の子を背負っていた。女の子は目をギュッと閉じていて、眉間に皺を寄せていた、何か悪い夢でも見ているようだった。
明太子:……いや、崇月の人がここに来る事はないし……あっ!あいつらは……
記憶の中の少年は今よりもっと小さかった、彼はいつもまだ赤ん坊だった自分の妹を抱いていた。あの時、崇月の隣にある小さな村に行った時に出会っていたんだ。
この少年はいつも優しく笑っていた食霊の傍にいた、彼の事を大層慕っていた。
あの時彼らの事を気にしていなかったが、ただまさか、再びあの村に行った時、全てが様変わりしていたとは思いもしなかった。
明太子:(……もうこんなに大きくなったのか……あれ……でも、何しに来たんだ?)
自白
俺はただの普通の孤児だ。
桜の島には、俺みたいな孤児は少なくない。
俺の唯一の願いは、妹をきちんと守る事。
かつて、俺たちはとても貧しい小さな村に住んでいた。みんな優しくて、俺たち兄妹はあの方の援助のおかげで小さな田んぼを貰った。広くはないけれど、食べるには困らなかった。
だけど……あの怪物たちが増えていくにつれ、田んぼも少なくなっていった。元々優しかったみんなも、なんだか薄情になっていった。
俺たちの生活を維持するため、あの方はいつも疲れている様子だった。
少しずつ、みんなは、怪物はあの方が連れて来たんだと言い出した。
あの怪物たちが、俺の両親を食べたんだと。
俺は彼にこれは本当かどうか聞いた事がある。
もし本当だと思った方が生きやすくなるなら、全てを本当だと思えば良いと彼は言った。彼への憎しみを糧に生き続けて、いつか復讐を成功させればいいと。
だけど、まだ俺が彼を憎むか決める前に、あの方は消えた、そして更に凶暴になった怪物たちがやって来た。それらは前よりもっと残忍になっていた。オレと妹は地下室に隠れて、それらが多くの人を食べているのをただただ見ていた。
そしてある怪物から、あの方は……それらに食べられたと聞いた。
そしてその日、オレは彼を憎む事を決めた。彼は弱いのに怪物の前で身を挺して俺たちを守ろうとした。バカみたいに全てを自分で背負い込んだ事を憎んだ。
俺は彼を憎む、彼がその憎しみを持って欲しいと望んだから。この憎しみを糧に、自分を支えて生き続ける。
俺は前みたいに、全ての希望を彼らみたいな「妖怪」に託さない。彼らも怪物を前にしたら、弱い……とても弱い。弱すぎて……食べられてしまう位に……
俺は聞いた事がある、妖怪は死なないって。彼らは元居た場所に戻って、次の召喚を待つんだと。
俺はどんな手を使ってでも生き続けて、妹も生かしていく。こうすれば、また彼に会えた時に、彼に伝える。彼への憎しみのおかげでここまでこれたって。こうすれば……また彼の笑顔が見れるようになるかな。
首領
明太子を見送ってから、いなり寿司は背後の油揚げが異様に静かであると気付いた。振り返ってようやく、いつも元気いっぱいな油揚げが頬を膨らませて悔しそうな顔をしている事に気付いた。
いなり寿司:どうしたんだい?
油揚げ:稲荷様?どうして要求に応えたんですか!
いなり寿司:応える?明太子の坊ちゃんに応えてあの子どもを治す事かい?
油揚げ:そうです……あのガキは貴方様の事を尊敬する気はないんですよ!
いなり寿司:私はただあの坊ちゃんに少し期待しているだけ。
油揚げ:えっ?そうだ!稲荷様どうして急にあの明太子のチビを坊ちゃんって呼ぶようになったんですか?
いなり寿司:初めは夢を見ている子どもだと思っていた。だけどさっきの事で、彼は身体は小さいけれど、他の部分はとても真面目だと気付いた。資質があって、坊ちゃんと呼ぶには相応しいと。
油揚げ:えっ?アホっぽいのに……
いなり寿司:彼は全然アホではないよ。逆に月兎と大吟醸の二人に期待してる。
油揚げ:えっ?あの二人がどうかしたんですか?
いなり寿司:月兎の小さな首領は、彼らが思うより大人だ。
巫女
これも同様に、遥か昔の話。
伝説によると、むかしむかし、桜の島は今よりも広く、神様は桜の島に二人の巫女を授けたという。
彼女たちは生まれながらにして強い力を持ち、桜の島が遭うであろう全ての災厄を予知する事すら出来た。
彼女たちは自分たちの力を使い、幾度となく桜の島の天災や人災を回避してきた。
最後、彼女たちは桜の島にいくつもの神器を残して、消えてしまった。
ある人は、彼女たちは全ての力を使い果たして、亡くなったと言った。
ある人は、彼女たちは桜の島の宿命を変えた事で、自分たちの身に災いを呼んでしまい、死体すら跡形もなく消えたと言った。
ある人は……
しかし、誰が何と言おうと、この二人の巫女は既に消えてなくなっている。この桜の島には、彼女たちに関する伝説しか残っていない。
そして彼女たちが残した神器は、桜の島を守っている。それらは常人が想像できない力を持っている。ある物は、過去を見る事が出来る。ある物は、時間を止める事が出来る。そしてある物は、誰にも破る事の出来ない幻像を作る事が出来る……
しかし、これらが幻の伝説なのか、それとも人を狂わす真実なのかは、貴方自身で見つけ出すしかない……
八岐島
八岐村
明太子:八岐島……たまにしか見えない?どういう意味だ?
村人:なんだ、知らないのか?あの島は海神が住まう島さ!
明太子:海神が住まう島?
村人:そうだ、伝説によるとその島はかつては普通の島だった。ただ代々海神を奉っていた人々の信仰心が足りなかったから、海神はその人たちを庇護する事をやめて、自分の住居である神域に戻ったんだ。
明太子:神域?
村人:そうだ、だから八岐島はたまにしか見えない。前に島に興味を持った貴族が船隊を出して探しに行ったが、島の影すら見つかってない。しかしその島を見れる時もある。
明太子:……近づいても見えないのか?
村人:そうだよ!海神以外にこんな事が出来る人なんていないでしょ!
明太子:(うっ……食霊の力なのか?だけど……食霊だったとしても、そんなに強い力があるのか?)
村人:そうだ、もし本当に八岐島を探したいなら、八岐村に行ってみたらどうだ?
明太子:八岐村?前に聞いたことがある、なんか特別な村なのか?
村人:八岐村は海神を信奉している人たちで形成された村だ。彼らは代々海神の近くに住んでる。
明太子:代々?
村人:そうだ、一説によると、海神が現れた日、空が光って、光の柱がサーッと雲間を抜けて、ゆっくりとあの島に降り注いだらしい。そしてそれを見た人たちは、神が降臨したと思い、あの神を信奉するようになったとか。
明太子:……
村人:しかもその神は、人々に応えてくれるそうだ!だから、代々そこに住むようになった。
海に祭る
村人:あら!久しぶりだな、どこに行ってたんだ?
村人:戻れないのかと思ったよ!
村人:何があったんだ?!
村人:海神を見たんだ!
村人:あっ?!海神?あの八岐島の!
村人:そうだよ!あの海神本当に怖かった!髪の毛が怪物みたいに動くんだ!
村人:ほぉ、どこで見たんだ?
村人:何日か前に海に出た時、霧の中で迷ったんだ。そしたら船長がなんか生き物を使って海を祀らないといけないと言い出してさ。
村人:それで?
村人:船にちょうど鶏が二匹いたんだ!俺たちが鶏を海に投げたら、さっそく人影が歩いて近づいて来たんだ!
村人:歩いて?!
村人:そうだよ!ちゃんと見えなかったけど、海面に浮いてた、そんなに動いていなかったけど、髪の毛が動いてるのを見たんだ……
村人:それで!どうやって逃げ出したんだ!
村人:それがな!その人が出てからすぐ、霧が散ったんだ!そしたら俺たちは帰り道を見付けて帰って来れたんだ。生贄を捧げたから海神が守ってくれたんだよ!
怪談・肝食い
少年はぼんやりと真っ暗な海辺で歩いていた。
もう長い事お腹いっぱい食べれていなかった。彼には弟と妹が何人もいて、彼らもお腹を空かせていた。長男として、自分の食べ物を彼らに譲っていた。
ぎゅるる――
お腹から聞こえて来た音で少年は意識が戻った、彼は凹んでいる自分のお腹を見ながら唇をかみしめた。
村人:(空いてない、空いてない、全然空いてない!)
彼は自分を説得しようとしたけれど、言えば言うほど、彼の胃は飢餓を感じていた。
目の前の景色がぼやけてきた。少年はふらふらしながら海辺で歩いていた、彼は貝殻や波によって打ち上げられた小魚を探して腹を満たそうと試みていた。
村人:ふぅ……ふぅ……
空腹によって彼は弱って一歩歩く事すら困難になっていた。彼は頭を横に振って、真っ暗な海辺を見ていた。
村人:これは……これは何……
小さな光が揺れながら少年の前に現れた。遠くから見ていると、それは灯篭に見えた。橙色の灯りによって彼は冷たく暗い夜に一縷の温かさを感じ、無意識にその灯りの方へと向かっていった。
村人:待って、待って……
その灯りは少年の呼びかけには応じず、一定の速度を保って、一歩ずつ前に進んでいた。
村人:ふぅ――ふぅ――
少年は遂にその灯りに追いついた、どこにそんな力が残っていたのか彼にもわからなかった。
そこには提灯を持っている女の子がいた、精巧でまるで人形のようだった。しかし少年は彼女を怪しんだ。
村人:(彼女の顔色……悪いな……もしかして……長い間何も食べてないのかな……)
女の子は足を止めず、ひたすらゆっくり前に向かって歩いていた。少年は息を整えて、どうしてか、その灯りを見ると、本能的に彼女に近づきたくなる。
村人:き、君もお腹が空いているの?お、俺たち一緒に食べ物を探そうよ……
???:……
女の子は足を止めた。彼女が自分の声に反応したと思った少年は、彼女の元まで歩こうとした時、波音が聞こえてきて無意識に振り返った。
暴食(強化型):ヒヒヒヒ、見せてみろ、何を見つけたかな~霊力たっぷりの夜食~ヒヒヒヒ~
村人:か、怪物だ!早く逃げろ!
少年は逃げようと振り返ったけどボーっとしている女の子に声を掛けるのを忘れなかった。しかし女の子は何の反応もない。次の瞬間、巨大な怪物が女の子の前に立った。
村人:気を付けて!
暴食(強化型):ハハハハッ!
少年は目を見開いて大きな怪物が女の子に向かって飛び掛かるのを見ていた。そして次の瞬間、それは悲鳴を上げて、女の子の前に倒れた。
暴食(強化型):アッ――
???:肝を……出せ……
村人:!!!!!
少年の角度から彼は見た、女の子の提灯の下最も濃い影の中から、徐々にやせ細って背の高い人影が出てきたのを。それは青年の薄暗くて、冷たい声だった。
少年が反応する前に、暗闇から出てきた人影は手を巨大な怪物の中に差し込んで、体内から何かを引っ張り出していた……
村人:あああああ――!
白いろうそくの火が吹き消された、顔面蒼白な少年は和室の中を見た。
村人:これが……これが俺が出会った怪物だ……
貴方の「怪談」は確かに受け取った。
死の地
明太子は寂れた村に入った時、目の前の全てに驚いていた。
彼はボロボロの村を見た事がない訳ではない。桜の島の堕神が増えていくにつれ、このような廃れ、捨てられた村は数多く見てきた。
しかし彼はここまで酷い……ゴーストタウンのような場所は見た事がなかった。
明太子:(ここの土を見る限り……長い間耕されていない……もしかして……漁だけで生計を維持しているのか?)
そんな疑問を持ったまま、明太子は海辺まで歩いた。海辺には彼が想像していたような漁船があったが、そのボロボロの漁船は、漁師たちが生計を建てるために使っている物とは思えなかった。
明太子:(畑は耕さない……漁もしない……どうやって生活してんだ?)
疑問だらけの明太子は頭を掻きながら、倒れた家の梁や瓦礫を跨いでいると、突然、隅から一本の手が伸びてきた。
明太子:うわっーー!
おばあさん:……水……水……
明太子は後頭部を掻いて、地面に倒れたやせ細った老人を見て、その人を起こして、眉間に皺を寄せた。
明太子:どうしたんだ!道端で倒れたりして!家族は!なんで誰もいないんだ!
おばあさん:……全員……死んだ……全員…死んだ……
明太子:えっ?
明太子は老人に水を飲ませた事で、老人はようやく落ち着いた。明太子は老人の前にしゃがんだ。
明太子:おいっ、田んぼも漁船もないのに、お前らはどうやって生活してんだ?
おばあさん:海神、海神が施しをくださる……
明太子:えっ?
おばあさん:海神……海神様は私たちを見捨てない……見捨てるわけがない!
明太子:……
明太子は突然興奮し始めた老人の歪んだ顔を見て本能的に半歩後ずさった。大吟醸と月見団子が出発前に彼に言った言葉を思い出した。
月見団子:あの村の人は……とっくにおかしくなってます……
生贄
極楽
月見団子:どうしたんです、最近良い酒がないみたいですが。
純米大吟醸:あちきだってそうしたくないでありんす。八岐村は随分長い間お酒を出荷してこなかったから。前に飲ませたのがおしまいの二本でありんす。はぁ……
月見団子:どうしてですか?こんなに良いお酒を急に造らなくなるなんて?
純米大吟醸:このお酒を造っている村に天災があったそうだ。
月見団子:天災?
純米大吟醸:フッ、彼らが天災と呼ぶなら、そうなんでありんしょう。
月見団子:その言い方は……
純米大吟醸:以前、あの村では毎日波に打ち上げられた魚を拾うだけで生活出来たそうだ。堕神が増えていくにつれ、魚が逃げていった。彼らは場所を変える事をせず、逆により多く海に供え物をしていた、更には生贄まで。海神が彼らの供え物に満足しなかったからこうなったと思っているそうだ。
月見団子:……
純米大吟醸:月兎、彼らの供え物は何だと思う?
月見団子:お酒……と……
純米大吟醸:正解だ。ただ残念ながら賞品はない。彼らはずっと、海からの施しは、全て彼らが生贄を捧げたから海神がそれに応えてくれたと思っている。彼らはずっと海神のしもべを名乗り、海神へ捧げるお酒しか造っていなかった。普通の人がやるべき労働もせずに、ほんと笑える。
月見団子:これは彼らが労働をサボりたいがための言い訳にすぎない。
純米大吟醸:ふふっ……流石は人間と言っても過言ではないな。普通の力しか持っていないのに、自らを騙して他人をも騙す力だけは高いな。ただ、彼らが神に捧げるために造ったお酒だけは本当に悪くない。しかし……次はいつ飲めるのやら……
怪談・案内人
暗い夜色の下、揺れているろうそくはどんどん少なくなっていった。チャンスがどんどん減っていくのを見て、素朴な恰好をした少女はビクビクしながら一歩前に出た。
村人:私が話したいのは……黄泉の案内人の……怪談です……
村人:私は……代々海神を祀っている村で生まれました……
村人:私たちは全員生まれながらにして、私たちの一生は海神のためにあると知っていました。私たちは労作する必要も、苦労する必要もなく、ただ敬虔に海神様を奉れば、生活が出来ました……
村人:しかしある日から、海神様は以前よりも、より多くの貢ぎ物を求めるようになりました。以前の貢ぎ物では半分の食料も換えられません……
村人:村長は言いました、私たちはこれ以上貢ぎ物を負担する力はないと、だから……もっと誠意をもって海神様を祀らなければならないと……
村人:……まさか……
村人:そうです……私は生贄として選ばれました……
村人:あれは私が着て来た中で……一番綺麗な服だった……
村人:あの日、私は海神様のために造った小船の上に座って、海上に浮かんでいました。その船は特殊な材料で作られていて、しばらくすると、ゆっくりと溶けていき、私は自分が沈んでいる事に気付きました。しかし村長たちは言っていました。これは海神様の元へ行くための道だと。
村人:苦痛を味わうかもしれないが……最終的に海神様の傍に戻るだろうと……
村人:私は呼吸が出来なくて苦しみました。呼吸をしたかったのですが、身に着けた綺麗な服は重くて、海水は渋くて、鼻と喉にも入り込んできました……
村人:私は……もうダメだと思いました……
村人:その時でした、私は一つの人影を見かけました、彼は船を漕いでいました……
村人:彼に海神様かどうか聞こうと思いましたが、声が出ませんでした。彼の傍には多くの……紙人形が……その紙人形によって私は海面まで戻れました。
海苔:ふぅ……今日は間に合いました……
海苔:……起きていたんですか、もう大丈夫ですよ。
村人:ゲホ、ゴホゴホッ……貴方は……ゴホッ……貴方は……ゴホッ……海神様……ですか……
海苔:海神?僕は海神ではないです……貴方はあの世界に行くべきではない、だから、帰ると良い……
村人:その後……村長が教えてくれました、あれは海神様の案内人だと……案内人に認められて初めて海神様の世界に行けると。海神様の痛みも、飢餓もない世界に……
白いろうそくの火が消え、悠々と暗い和室の中へ浮かんでいった。和室の中、弱弱しい男がそのろうそくを受け取って、はしごを上ってそれを百宝閣の上に置いた。
水の鬼
海苔:八岐様。
タコわさび:うん。何?
海苔:これは新しく造られたお酒です。味見してみてください。
タコわさび:ああ。
海苔:……あの、最近八岐村の近くに水鬼が出現しているそうです。ソレには人を海底まで引きずり込む長い髪があるそうで……
タコわさび:……
海苔:しかしこの近くには、もうそれ程多く堕神はいないはずです……僕もそのような堕神を聞いた事がありません……
タコわさび:そんな化物はいないだろうな。
海苔:八岐様、それはつまり……「妖怪」だと。
タコわさび:……
海苔:では……
タコわさび:やましい事は、いつだってあいつらの心の中にある。俺の邪魔をしないなら、どうだって良い。
海苔:……はい。
宿願
中華海草:先輩ーー?先輩はどこにいらっしゃるんですか?
海苔:あぁ、海草、僕はここです。
中華海草:先輩、何をしているんですか?
海苔:海底に葬られた魂を見送っています。
中華海草は海苔が折った精巧な折り紙を覗き込んでいた。海苔は折ったくらげ、カメや小船を一つずつゆっくりと海面に置いた。
折り紙で折られた小さな動物たちは海水に揺られ、しばらくすると沈んでいった。
中華海草:あぁ……沈んでしまいましたね。
海苔:これは魂の重さです。彼らは海底で永遠の眠りにつくでしょう……
中華海草:えっ!先輩見てください!
中華海草が指さした先には、先程の小さなくらげがあった。それは波に揺られていたが、徐々に動き始めて、少しずつ本当のくらげに近づいて行った。海面から空中まで浮かび上がり、ゆっくりと海苔の傍まで戻って行った。
中華海草:……これは……
海苔は冷静だが、それでいて残念な表情も浮かべていた。彼は親しげに指先で小さなくらげの頭を撫でた。
海苔:まだ叶えていない宿願があるのか……なら僕の傍にいると良い……
壺
中華海草:よいしょっ――
海苔:……海草……壺をこんなにいっぱい、どこから持って来たんですか?
中華海草:へへっ、前に市場があるのを見かけたので、自分で造ったお酒と引き換えに貰ってきました……
海苔:……しかし、そんなにいっぱい壺を持ってきてどうするつもりですか?
中華海草:や、八岐様が……住んでいる岩穴が大き過ぎる、いつも水滴の音がするから、うるさいと言っていました……
海苔:……しかし……そんなに多くの壺は一体何に使うんだ?
中華海草:うっ……白髪の男性が、タコならきっと好きだと言っていたので……だから……な、何か間違えましたか……今すぐもど……
海苔:……
中華海草:あっ!や、八岐様……いらしてたんですか!ぼ……僕すぐに捨ててきます!
タコわさび:問題ない。
海苔:?!
中華海草:八岐様?!
お酒の事でしか動かないタコわさびが、満足そうな物欲しそうな目で中華海草が陸地から持って帰ってきた巨大な壺を見ていた。中華海草と海苔は、人生で一番驚いた顔をしながらその光景を見た。
次の瞬間、タコわさびは二人の驚いた表情を気にもせず、その壺に潜り込んでいった。
二人が気が付く前に、反響しているタコわさびの声が二人の耳に届いた。
タコわさび:海草、良くやった。気に入った……Zzzz……Zzzzzz……
海苔:八岐様!それは漬物用の壺です!
中華海草:や、八岐様!!!!!
蜃海楼
月見団子:八岐島……は……ここでしょう……
純米大吟醸:おいっークソウサギ!こんな所まで連れてきてどういうつもりだ!
月見団子:……言ったじゃないですか、来たくなければ私一人で来ると。
純米大吟醸:フゥ……フゥ……知らん!もう歩けない!鯖!出てきて背負え!
純米大吟醸のわがままな呼びかけに応じて、彼の影は少しずつ人影を形成し、仕方ない顔をした鯖の一夜干しが大吟醸の前に現れた。
純米大吟醸:背負え、これは命令だ。
鯖の一夜干し:……はい。
横でこの光景を見ていた月見団子はからかうような笑顔を口元に浮かべていた。彼は純米大吟醸を背負いながら、いたずらされる事も耐えなければならない鯖を見た。
月見団子:こんなにわがままな主がいて面倒でしょう?私の下に来ませんか、大吟醸みたいにわがまま言わないですよ。
鯖の一夜干し:……結構。
月見団子:ふふっ、つれないですね。もう少しだけ我慢してください、もうすぐ着きますよ。
純米大吟醸:遠路はるばるやって来たけど、八岐は会ってくれるのか?
月見団子:会う会わない以前に、まず真偽を確かめませんと。
純米大吟醸:そうだな。
三人は廃棄された漁船を安値で買った。純米大吟醸は鼻を摘まみながら漁船に乗り込んだ。鯖の一夜干しは櫓を握って、大人しく漁船に座って動かない月見団子を見て、目を細めて、櫓を投げつけた。
鯖の一夜干し:漕いで。
月見団子:えっ――私はか弱い書生ですよ?
鯖の一夜干し:じゃあ降りろ。
月見団子:泳いで行けと言うんですか?
話している内に、三人の小船はギシギシと音を立てながら、噂の八岐島がある場所に辿り着いた。
純米大吟醸:……これは「妖怪」の力で成し得る事じゃない。こんなに膨大な霊力は、あちきたちですら、長く維持する事はできない。
月見団子:……では、これが伝説の蜃海楼ですか……
純米大吟醸:おめでとう、やっと、もう一つ見つけられたな。
緋桜
龍宮
噂によると、深く神秘的な海域の下には、美しい海底龍宮があるという。
龍宮の中には、数えきれない程の珍しい宝飾品がある。
かつて、一人の漁師が、子どもたちに苛められている海亀を助けた。
海亀は彼の恩を返すため、自分の故郷まで彼を招待した。
――海底にある龍宮城に。
伝説によると、龍宮城には苦痛も、悲しみも、飢餓もないという。
そこには甘美な美酒、美味しい食事、柔らかな服と布団があるという。そこには漁師が持っていない全てがあった。
しかしこの漁師が陸地に戻った時、彼が知っていた全ては、全部彼の前から消えていた。
彼がどこに行ったのか誰も知らない。
彼は自分の事を頭のおかしい人として見ている人に、自分が本当に龍宮に行っていたと伝えようとした。
再び海面にやって来た彼は、当時みたいに深い海底に入る事は出来なかった。
村人:これは私の村にいる、老いぼれがいつも言っていた事です。
村人:今でも、彼はよく船に乗って、海の上で探しています……しかし誰も彼が何を探しているのか知らない……
指名手配
兵士:どけ、どけ!
村人:えっ、どうしたんだ!
村人:あっ!官府が出した掲示だ……字……字が読めない。ほら、読んでくれねぇか?
村人:「今……調べた所……人を食べる怪物は「妖怪」が引き寄せたものだ。「妖怪」は人の形をしており、「食霊」と自称している。不老で、人ならざる力を持っている。その被害を減らすため、この掲示を出した。もし妖怪を見付けたら必ず上告するように。情報提供者には金百枚、捕獲して連行した者には、金千枚を報奨する!」
村人:なんだと!こんなに多くの人を死なせた怪物は!あの食霊たちが呼んできたのか!あいつらに助けられたと勘違いしていたのか!
村人:この野郎!もしあいつらがいなければ、俺の娘は!
村人:天子様が早くそれに気付いてくださって良かった!捕まえられたら、賞金もあるのか!
村人:フンッ、俺に見つかればな!
村人:普段良い面しやがって!官僚様たちが気付かなければ!いつまで騙されていたのやら!だからあの怪物たちはどっから湧いて来たんだと。あいつらは倒せるのに!
村人:そうだ!妖怪だ!
村人:妖怪!
興奮している人々の背後に、笠を被った白髪の男は壁の掲示を読んで、拳を握り締めた。彼は自分の笠を深くかぶり直して、去って行った。
その月、戦場で活躍していた「食霊」軍団は、人々の視界から消えた。
数々の戦功を上げ、多くの人々を助けてきた「食霊」たちも、「妖怪」とされたため、指名手配される事となった。
長い間彼らの姿は、人々に警鐘を鳴らすために極悪の怪物として壁に貼られた。
面倒事
また紅夜が来た。賭場にやってくる「妖怪」は少なくはない。ただ毎回参加する常連客もいる、明太子とタコわさびだ。二人は巨大な桜の木の下で向かい合っていた。そよ風が吹き、紅い桜の花が二人の傍に落ちた。
明太子:今日こそ!正々堂々とお前に勝ってやる!
タコわさび:……
物凄い剣幕の明太子と違って、彼の向かいにいるタコわさびは明らかに元気がなさそうだった。明太子の挑発を受けて、タコわさびは彼を良く知っている者にしかわからない呆れた顔をしていた。
明太子:来いっ!ハッ――!
明太子は太刀を高く上げてタコわさびに向かって切りつけた。タコわさびは軽く横に一歩ずれて、頭の上にある触覚の一本を怠そうに掲げた。
タコわさび:俺の負けだ。
明太子:……は?!
転びそうになっていた明太子は振り返って、驚いた顔で両目を見開いて迷わず負けを認めたタコわさびを見た。
明太子:おおおお前!どういうつもりだ!オレ様を見くびってんのか?!おいっ!待てよ!
純米大吟醸:八岐様、本気ですか?
タコわさび:本気だ。
タコわさびは明太子に目もくれず、足早に彼を待っていた中華海草の傍に座った。中華海草は困惑した視線で彼を見つめた。
海苔:……八岐様……流石にあからさま過ぎませんか?
タコわさび:……
中華海草:うぅ?
海苔:……はぁ……
タコわさび:人間は、面倒だ。あいつは好きみたいだから、任せれば良い。
明太子:クソタコーー待てーー月見放せ!
海苔は遠くない所で、月見団子と鯖の一夜干しによって席に連れ戻されても、暴れている明太子を見て、こめかみを擦った。全てを理解した中華海草は乾いた笑い声を発した。
中華海草:あはは……八岐様がここまでするなんて、良くやった方ですね。だ、だって「百鬼」に加わる条件の一つが、自分の縄張りの人間を守るでしたもんね……あはは……八岐様は、た、ただ折衷案を出しただけで……あはは……流石です、八岐様。
タコわさび:ああ。
海苔:……はぁ。どうしようもないですね。
奪還
崇月の裏庭。
月見団子は和室に入る時、縁側で真っ黒な空を見上げている明太子に気付いた。
月見団子:ボス、どうしたんですか。何を見ているんですか?
明太子:月見、お前は言っていたな。前までこの空には、大きくて……光っている物があったって。あとはキラキラと金平糖みたいに光る物がたくさんあったって……
月見団子:……はい、それは月です。月はいつも多くの星に囲まれています。それは太陽のように熱くありませんが、夜道を照らす事が出来ます。その光は、銀色で……
明太子:……話を聞いただけでも、綺麗なのがわかる。
月見団子:私が今まで見た中で、最も美しい景色です。
明太子:月が大好きなんだな?
月見団子:月見という名で誕生し、月のために生まれた故……
明太子:やっぱり大好きなんだな!
月見団子:そうですね……
明太子:じゃあ、決まりだな!
月見団子:はい?何がですか?
明太子:オレ様が桜の島を丸ごと手に入れた後!次の目標は!お前のためにその月ってモンを探し出す事だ!
月見団子:……
明太子:オレ様は何でないのかわからないし、どれだけ綺麗なのかもわからない。だけどお前はオレの一番の兄弟で、最高の軍師だ!オレが絶対にお前のために月を見つけ出してやる!安心しろ!
月見団子:…………
明太子:どんな顔だよ、感動し過ぎたのか?ハハハッ!礼はいらねぇぞ!ボスとして当然なことをしたまでだからな!オレは絶対にお前らの願いを叶えてやるから!誓うぞ!ほら指切り!
月見団子:……はい、指切りしましょう。
不老不死の仙薬
人間には叶えたい夢がたくさんある。
使い切れない金銭、絶世の容貌、天賦の才能……
その中で、最も思いをはせているのは、不老不死だ。
なら……
不老不死になれる仙薬があると、聞いた事はないか?
それを得るのは簡単ではないが、貴方が想像しているよりは困難ではない。
紅い夜に、決心を抱いて、路地に入ればいい。
そして、路地にはある筈のない十三番目の扉を軽く叩いて……
「コンコン、コンコン」
不老不死の薬を作る薬師様の心を打つ事が出来れば、ある声が聞こえてくるだろう。
「赤い薬臼、白い薬臼、不老不死の薬は得難い」
不老不死を得るのは、そう簡単な事ではない。赤い臼と白い臼の中、一つは不老不死の薬で、もう一つは死に至らしめる毒薬だ。
すぐに選択しないと、照れ屋な薬師様は自分の世界に戻ってしまう。
「赤い、赤い薬臼」
答えた後、「トクトク、トクトク」という音が聞こえてくる。
恐れる事は無い、それは薬師様が仙薬を作っている音だ。
しばらくすると、出来上がった仙薬が渡される。
少しだけ開かれた扉の後ろから、疲れているような血走った目が現れ、薬師様は貴方に話しかけるだろう。
「早く、早く飲んで、私の客よ」
逃げようとするな、せっかく治験してくれる人が現れたのに逃げたら薬師は怒る。
勇気を出して一気に仙薬を飲めばいい。
では……貴方は、自分が得られたのは、仙薬だと思うか?それとも毒薬か?
百鬼夜行譜
村人:ふぅ――ふぅ――
忙しない足音と共に、青年はよろめきながら走っていた。彼は腕に絵巻を抱いていた、それは彼が心血を注いで作った作品、彼の命よりも大事な作品。
村人:ふぅ――ふぅ――
彼の背後には何か怪物が彼を追っかけているようだった。彼は何度も何度も振り返り、自分の靴が一つ脱げた事も気にする事なく走り続けた。
村人:うっ!いっ――
道端の小さな石に躓いて彼は転んでしまった。手には血が付いていたが、それを見る余裕もなく緊張した面持ちで背後を見ていた。
暴食:ヒヒッ~走れ~走ろよ~もっと楽しもう~
暗闇からゆっくりと出てきた大きな影は人間のそれではなかった。歪んでいて、恐ろしくて、怪物でしかなかった。
村人:く、くるな……くるな……
青年は地面に座ったまま、後ずさっていく、そして徐々に近づいてくる怪物の方から目が離せなかった。
怪物が徐々に近づいてくる事よりも絶望的な事はあるだろうか?あるとすれば、怪物たちにおもちゃにされて、逃げ惑う姿を楽しまれている事ぐらいだろう。
般若:カタッ――人間――カタッ――逃げた――カタッ――
化け狸:ヒヒヒヒッ~逃げろよ~逃げてる顔ブサイクだな!でも面白い~ヒヒッ~
村人:あー!
ドンッ――
想像していた痛みは襲ってこなかった。青年は目を閉じたまま、辺りの静けさに疑問を持ちながらも、両手でギュッと自分の絵巻を抱きしめ続けた。
彼はゆっくりと目を開いた。
しかし、彼の目の前の全ては彼の理解を超えていた。
青緑色の狐火が飛び交い、暗い影が何もない空間に波紋を広げていた。明るい赤色の球体の中には小さな魚が泳いでいて、巨大な触手はうねりながら前に進み、長髪の美しい少女が艶やかに笑っていた……
まだ青年が状況を呑み込む前、突然、人を惑わす狐仙が振り返った。次の瞬間、彼女は扇子で青年の顎を上げ、目を細めながら口を開いた。聞こえて来たのは聞き心地の良い男性の声。
いなり寿司:今は百鬼夜行の時間よ、生者は家から出るべからず。
村人:うわっーー!
青年はガバっと立ち上がった、しかしその瞬間目の前には見慣れた部屋があった。
村人:も……もしかして……夢を見ていたのか……
青年は自分の机に置かれたくしゃくしゃな絵巻を見てボーっとしていた。
突然、彼は机にかじりつき、自分が命より大事だと思っていた絵を捨て、白紙に絵を描き続けた。
描き終えた一ページが机の角に落ちた、その上には荒々しく文字が書かれていた。
――『百鬼夜行譜』
伝説
雲丹:ねぇ、持っているそれって、本当の玉手箱なの?
貝柱:あぁ、そうだ。
雲丹:玉手箱はただのウワサでしかないと思っていたわ。
明太子:こんな小さい玉手箱で、本当に時間を凍結できんのか?
貝柱:これは偶然手に入れた物だ。師匠曰く、これこそが伝説の玉手箱で、時間を固定する事が出来る。
明太子:へぇ……凄そうだな、使ったことあるのか?
貝柱:まだだ……これを使うには大きな代価が必要になるから、軽々しく使うなと言われた。
雲丹:それはそうだ、簡単に時間を凍結出来るとしたら、龍宮城が桜の島の主になってたでしょう!
貝柱:そうだ、だからこれはずっと龍宮城の宝物庫に仕舞っていた。大吟醸たちに「百鬼」に誘われてから思い出したんだ。
明太子:そう言えば、桜の島の伝説は多くないか……神器だったり、月だったり……
貝柱:まあ……その方が面白くないか。
明太子:そうだな!お前気が合うな!来い!酒飲もうぜ!
貝柱:えっ――だけど、師匠が子どもはお酒を飲んではいけないって。
明太子:誰が子どもだって?!
妖怪・青行燈
最後のろうそくが吹き消された。小さな和室の襖が凄い勢いで閉まり、部屋にいた人たちは全員和室に来る前の元の位置に戻された。
はぁ……新しい物語はこれだけか、はぁ……
女の傍にいる男は、はしごの上に立って、吹き消されたろうそくを一つずつ正面にある百宝閣の上に並べた。
あら……もうすぐ満杯になる……はぁ、もっと面白い物語が聞けると良いけど。
???:お嬢様、我々も既に人間の言う「怪談」になっていますよ。
そうれが何だって言うの?もっと多くの物語がないと、私の胃を満たせないわ。そうでしょう?
???:ああ。
貴方他に何か言う事ないの、その瓶より私の方が綺麗でしょう?
???:……
ふんっ、つまらない。
???:……
月と太陽
賭場が終わると、全員が好き勝手楽しむ時間が始まる。
「妖怪」にとって、夜の暗闇は大きな影響はない。
皆が騒いでいる中、明太子はいつもと違って賭場の空き地に寝転がり、ボーッと空を見上げていた。
月見団子は彼の傍に近づき、ボーッとしている明太子に気付いて、口を開いた。
月見団子:ボス?海草が鹿肉を焼いていますよ、早く来ないとなくなります。
明太子:……
月見団子:何を見ているのですか?
明太子:空。
月見団子:……今日の空に何か?月を失ってから、桜の島の天気に変化は特にないはずですが……
明太子:月見……この空を見ろ……こんなに広くて……桜の島、オレたち、あと人間を、全部包んでる……
月見団子:……はい。
明太子は空に手を伸ばして、指の間から何も変わらない空を見て、ゆっくりと拳を握った。
明太子:いつか、オレはいつか絶対この空みたいな、全ての人を包み込める王者になる。
月見団子:……
明太子:絶対になってやる。どんなに掛かっても、絶対に。だから、オレを助けてくれるか?月見。
明太子の目に映る自分を見た月見団子は、手を伸ばした。この瞬間だけは、彼は空高く懸かっている月を忘れられただろう。自分を見ている太陽を見て、軽く頷いた、それは厳かに見えた。
月見団子:勿論です、私の殿下。
ヤキモチ
いなり寿司:あら、どういう風の吹き回しだい?八岐がこんなに多くのお酒を持ってくるなんて!
タコわさび:ああ。
純米大吟醸:えええ、これを買ったのはあちきでありんす!どうしてあちきに感謝をしないんだ!
いなり寿司:この前も、更に前も、これを飲む時に私を呼んでくれなかったから。
純米大吟醸:ヤキモチをやいているのでありんすか?
いなり寿司:ダメ?私は一応君の上客よ、新しい相手が出来たからって私を忘れるなんてそんなのナシよ。
月見団子:何を楽しそうに話しているんですか?
純米大吟醸:えっ――鯖、どうして逃げるんだ?月見、ほら、あちきの鯖がまた驚いて逃げていったでありんす!
月見団子:……まだ私を警戒しているのですか。
いなり寿司:あら――?
純米大吟醸:九尾、何を見ているんだ?
いなり寿司:最近、君たちの間で私が知らない何かが起きたりしたのかい?
純米大吟醸:それはあちきらの秘密でありんす。どうした?ぬしも聞きたいのかい?
いなり寿司:そうね、とても気になるよ。八岐もそうだろう?
タコわさび:あぁ……うん……Zzzz……Zzzz……
いなり寿司:おいっ?!
タコわさび:Zzzz……Zzzzz……
いなり寿司:私を見捨てるな?!起きなさい!
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