京醤肉糸・エピソード
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目次 (京醤肉糸・エピソード)
京醤肉糸のエピソード
南離印館の館長として、南離印館の誕生から見届けてきた。温和で思いやりがある、いつも笑みを浮かべている。経営に長けていて、見透かせない君子。しかしやる事為す事が自由奔放すぎて、部下たちも言動が読めずお手上げ状態。よく南離印館を抜け出して遊びに行ったり、部屋に籠って絵巻を読んだりする。
Ⅰ歳月
細い腰には銅で出来た鈴が付いていた。軽く揺れるだけで曲に合わせた素敵な旋律を奏でた。
氷像を巨大な蒲扇(がまおうぎ)であおぐと、その冷気が漂って来て酷暑の暑苦しさが吹き飛ばされた。私は口を開いて舞姫が皮を剥いた小さな緑の玉を口に含んだ。冷たい葡萄は口の中で甘酸っぱい汁を弾けさせた。
ああ......こんな真夏は、やはり舞楼にいるに限る。
「館長様~全然会いに来てくださらないじゃないですか~」
「あぁすまない、事務作業に追われていたんだ。もう少ししたら、宝玉を探して補填してあげよう。」
「館長様そのお言葉忘れないでくださいね~」
「私たちはきちんと覚えていますから~」
「あぁ、忘れないさ」
こんなに暑苦しい日に、息が詰まる書斎で墨の匂いに満ちた書類とにらめっこし続けていたら、ほんの僅かに残った生気すら暑気にあてられて摩耗してしまう。
女子たちの可愛らしい声はまるで清泉のよう、舞う姿も美しくこの下界の物とは思えない、ただ......
ダンダンダンッーー
馴染みのある忙しない足音が聞こえて来て、思わずため息をついた。女子たちの困惑した視線のもと、私は手で耳を塞いだ。
三......二......一......
「京醤肉糸!またこのような場所で油を売って!」
「松の実酒、いつも館長様と呼んでいたではないか......はあ......人の心は移り変わる物だなぁ......泉よ、葡萄をもうーつ食べさせてはくれないか?」
「あらあ、松の実酒様いらしたのですか~館長様と一緒にどうです?」
「お、お嬢さん、男女がそんなに親しくしてはいけません!かか館長!」
「用があれば館長で呼んで、無ければ京醤肉糸か、館長様は悲しい......」
「館長?!貴方達、ふ、服を着てください!か体を近づけないでください!」
女子たちははしゃぎながら階段から駆け上がって来た松の実酒を囲んだ、ただ松の実酒は風情のわからない奴だから、彼女たちの好意を理解する事が出来ない。
しかし顔を真っ赤にして硬直して動けない様子を見ているのは、実に面白い。
さえずる「小鳥」たちの「巣」の中に迷い込んだリスを引っ張り出し、顎を支えたまま、まだうろたえている松の実酒を見て、思わず笑ってしまった。
案の定、私の笑い声を聞いた松の実酒は顔を真っ赤にしていた。いつもの真面目で冷静な顔には怒りが満ちていた。
「京醤肉糸!早く私と共に帰りますよ!宗族会議はもうすぐ始まってしまいます!」
「わかったわかった、行けば良いのだろう?」
Ⅱ宗族
ミンミンミンーー
夏蝉の声は日の明るい内は止む事がない。
「朱雀様がいない今、我が南離族が四族の頭になる事は難しい!」
「私に向かって怒鳴る暇があるのなら、骨とう品をばらまき浪費しているどら息子をどうにかしろ!」
「お、お前なんて事を!」
「私が何だ?お前らのような老害がいるから南離族は四族で最も立場が弱くなってるんだ!」
ミンミンミンーー
はぁ......夏は良い季節だ、しかし虫の鳴き声だけはうるさくてかなわない......
「喧嘩はよせ、まだ行方がわかっていない朱雀神物も多い。朱雀様が降臨なされなければ私達は玉京での主導権を失う......」
「そうです、そうです、まずは神物を探さなければ」
「フンッ、毎日神物神物ばかり、こんなに長く探して神物どころか、朱雀様の毛の一本も見つかってないだろ!前回あんなに大騒ぎしていたにも関わらず、偽物だったではないか!」
ミンミンミンーー
あぁ......酸梅湯は美味いな、竹筒に入れて井戸水か冷凍庫に入れて冷やしたらもっと美味しくなるのだろうな。豆沙糕に言っておこう......
「いい加減にしろ!他の三族が虎視眈々としている時に内輪揉めしている場合か!」
「しかし朱雀様の庇護がないと我々では......」
「だからまずは神物を探さなければ!」
「館長!何か言ってください!」
「館長!」
私が顔を上げると、助けを求めている目も、悪意のある目も一斉に私の方を見た。
「......どうした?」
「館長様に決めていただかなければ!まず神物を探すべきかそれとも......」
「引き続き探せば良い」
「もし見つからなければ......次の継承式典で朱雀神君は......」
カランッーー
手の中にある茶碗が机に落とされた、その音で全ての人が静かになった。
「暑すぎて、脳みそまでもが溶けてしまったのだろうか?」
「......」
「朱雀様がお創りになった南離族は、彼がいなければ何もできない木偶の坊しかいないのか?」
「......」
「なんだ?もしや朱雀様の庇護がなければ、我々は他の部族のようにこの土地を守る事が出ないのか?」
「......仰る通りです、申し訳ございませんでした!」
「申し訳ございませんでした!」
はぁ......愚鈍な輩しかいない。いつになったら物事をわかるようになるんだ......
朱雀様の力が重要なのは勿論の事だが、自らの道は結局は自ら歩んで行かなければならない。
彼を探し出せなくとも、歩き続けなければならない。
もし朱雀様に我々子孫が彼の名声を傷つけていると知られてしまったら、出てきた時には怒り狂って全員に三昧真火を見舞いする事になるだろう。
いつまで経っても朱雀様に期待を寄せて自惚れている者共を見て、思わず首を横に振った。
「朱雀様は見つけなければならない、しかし私達がやるべき事も怠ってはならない。他に言う事はもうない、今日は早めに解散するとしよう。今日は暑い、食事をとってから帰ると良い」
私は祠堂(しどう)から出て、長くため息をついた。
「フンッ、たかが食霊が何を偉そうに。結局は御侍の命令を聞くしか能のない犬めが」
隠そうとする素振りのない声が背後から届き、それを聞いた松の実酒は拳を握り締めた。彼が眉間に皺を寄せている様を見て、思わず笑った。
「松の実酒?どうかしたか?」
「奴らは......」
「ああ、問題ない、光耀大陸に伝わる言葉を知らないのか?」
「えっ?」
「吠える犬は人を噛まない。しかも犬が吠えたからと言って、貴方は犬と張り合うのか?」
松の実酒は一瞬呆気に取られ、無意識に後ろを振り返った。しかし振り返らずとも先程声を上げていた人がどんな顔をしているのか手に取るようにわかる。
きっと醜い顔をしておろう。
はぁ......どうして自分で自分の首を絞めるような事をするのだろうか......
「はははは、行こうか~」
Ⅲ 自分の考えで人を判断する
赤い光が現れた。皆が喜ぶ前に、赤く温かな光を放っていた玉瓶は空気の中で塵となって風に乗って消えていった。
「あああああーーまた偽物だぞ!」
「あああああいつまで探さなきゃいけないんだ?!」
叫び声が止まない。
「あっ、あの、緑豆スープはいかがですか?えっ?怪我をされたのですか?」
軽く柔らかな声が扉の方から聞こえて来た。お盆を持った豆沙糕は気を付けながら部屋に入ってきて、床にうつ伏せになっているガキ共を見て目を丸くした。
「大丈夫だ、床が冷たいからうつ伏せになって涼んでいるだけだ」
私は扇子を揺らしながらお盆から緑豆スープを取って一口飲んだ。
これだ、私が好きな粒も餡もない具ナシのスープに砂糖を二欠片入れて、井戸水で冷やした緑豆スープ。
「あああーー館長一ーいつになったら朱雀神物を揃えられるんだ......」
床にうつ伏せになっている蟹醸橙は起き上がる様子がない。それを横で見ていた彫花蜜煎は彼を睨んだ。
「早く起きろ!お腹を冷やして壊しても知らないぞ!あなたのために薬を買いに行く暇なんてない!」
「ううううう悔しいんだーー館長ーー松の実酒兄さんーー」
蟹醸橙を床から引っ張り上げて、埃が付いていた彼の服の裾をはたいた。
「もう良いだろう、そんなに焦るな」
私が話し終える前に、古い木の扉はギシッと音を立てて開けられた。
満面の笑みを浮かべて入ってきた男は、私がとても「信用」している「右腕」である、印館の副館長、明四喜だ。
「あぁ、これはお邪魔でしたか?」
こやつはいつもそうだ、能力はあるが、話す時はいつも回りくどい。
その様子から、私たちが何をしているのかわかっているのは明白だった。
お世辞を一言だけ話して、袖の中から化粧箱をーつ取り出した。赤い羽根に触れられたその箱は、先程見たような赤く温かな光を帯び始めた。
「チッ、それも多分偽物だろ」
蟹醸橙がぶつくさと言った一言で明四喜の背後にいた人々の反感を買ったようだ、生意気な口を叩く者もいた。
「誰もが館長みたいに役立たずだと思ってるのか?」
「お前!」
二人がやり合う前に、明四喜はいつものように道理をわきまえているかのように彼らを止めた。
「館長様は継承式典のために精力と思慮の全てを尽くしています、そのような口を叩いて良い訳がありません!」
その厳しい態度だけ見ると確かに「頼れる」部下であった。
あぁ......そう言えば......
「そうだ!明四喜、古い地下宮殿の後貴方は言っていたな、私と共に継承式典の準備をしてくれると!玉京の方と連絡を取り合い、全ての手はずを整えてある。すぐに準備して向かうと良い!」
私の突然の提案によって不意打ちを食らったのか、明四喜の眉間に一瞬だけ皺が寄った。
「もしかして......やりたくないのか......?玉京の神官様たちと既に準備をしたのだが。」
「......館長が託したこの重任、この明四喜は必ずやご期待に沿えるよう精進いたします」
明四喜は人を引き連れて颯爽と現れ、また人を引き連れて颯爽と去って行った。
普段から明四喜を嫌っている松の実酒ですら彼の顔色が良くない事に気付いた。
「......思い通りになっているのに、どうして彼はそのような......」
「穿った見方をする人はどうやったってそういう見方しか出来ないものだ。きっと私が何かを企んでいると疑っているのだろう」
「はぁ......では......館長様には何か計画があるのですか?明四喜が企んでいる事はともかく、このような重大な事を彼に任せるというのは......」
「計画があるかどうか......当ててみると良い」
「館長様!」
「ははははは!落ち着け!こんな暑い日にそんなに腹を立てるな!」
Ⅳ 益
「此度の継承式典、南翎は無事神君を継承する事が出来ました。朱雀神君の力が消える前に、四族の問題は一先ず解決出来ました。しかし、式典の時に聖教教徒が現れた事に関しては、南離族全体に通達し大勢で追跡調査を続けています」
「自分で招いた混乱ですのに、自分で場を収めたような顔をするなんて」
「ははっ、良いではないか、私達の目的が達成するなら」
松の実酒は長い溜息をついた。
若い見た目をしているのにいつも爺臭いなと思い、思いがけず彼の頬をつねった。
「どうしてため息をついた?ため息をつくと皺になりやすい」
「......」
彼の力のない目を見て、私は自分の頬を掻いた。
「ゴホッ、私が言いたいのは、たまには肩の力を抜いたらどうだ、という事だ。いつも気を張る事はない」
「しかし......明四喜の企みは......」
「此度の継承式典、四族で最も益を得たのは、我が南離だ」
「しかし......」
松の実酒の戸惑いも理解できる、だが......
「松の実酒、水は清らか過ぎても魚は生きる事は出来ない」
「しかし彼は善人とは言えませんよ」
「彼が為す事は南離のためになるのなら、彼が何を企んでいようと関係ないだろう?」
「......」
私は松の実酒の頭をポンと叩いた。こやつはいつも落ち着いて厳しそうな表情を浮かべ、兄として師としてガキ共の面倒を見ているが、やはりまだ若い。
「肩の力を抜け、全てどうにかなる。しかも、私がいるではないか?私の手の内で南離を衰退させる事はしない。そのためにも、明四喜のような人材は南離族には必要だ」
「はい......お言葉感謝致します」
「礼はいらない、何かあればすぐ言うと良い」
「では......ここ数日の公務を......」
「あっ!人とコオロギ相撲をする約束をしていたんだった、先に失礼する!」
Ⅴ 京醤肉糸
月は明るく星はまばら、本来は月見をする良い晚だ。
いつもは雅過ぎると言っても過言ではない南離印館館長はいつもと違い、庭に小さな机を置き、酒を飲みながらおつまみをつまんでいた。
いつも穏やかな笑顔を浮かべている京醤肉糸はこの時、幾重の守衛に囲まれている庭にいた。
「知っているか!松の実酒の奴!女子たちに迫られた時!顔が真っ青になっていた!青くなった後に白く、白くなった後に赤くなってな!猿の尻みたいな色になっていた!」
「ははははっ、館長また松の実酒さんの事をそのように言って、ははっ......ッゴホッ、ゴホゴホッ......」
京醤肉糸は珍しく眉間に皺を寄せた。礼服に包まれた弱々しい青年の傍まで近づき、軽く彼の背中を撫でた。
「南翎、一先ず休んだらどうだ」
「ひと月の内、今日しか外に出られません、もう少し居させてください」
袖から出ていた手は強く握りしめられていた。京醤肉糸の笑顔は少しこわばっていた。
「館長、どうしてそんな顔をしているのですか?私は笑った顔の方が好きです」
「南翎、朱雀神君に推薦した事を恨んだ事はあるか?」
「京醤肉糸、何を言ってるのですか。どうして恨む必要があるんですか。光耀大陸の安寧を守る事こそが、私の生涯の願いです」
京醤肉糸は、幼い頃から見守ってきた青年のこの時の笑顔を見て少し固まったが、すぐにいつも通りの笑顔を浮かべた。
「ああ。さあ、こっそりと飴を持って来た。他の人に言うな、また小言を言われてしまう」
「はい、一緒に食べましょう」
庭から出た京醤肉糸は南翎から渡された飴を掌で転がした。丸っこい飴は貴重な物などではなく、街に売られている至って普通な飴だった。小さな飴には小さな彼が映し出されていた。
「このような物を食べさせるのは、彼のためにはなりません。彼の体は、普通の人が食べる物を受け付けません」
京醤肉糸は顔を上げて、暗闇に佇む人影の方を見た。
「副館長様、どうしてここへ?」
「神君様の様子を見に参りました」
「では失礼するとしよう」
しかし京醤肉糸の背後にいる明四喜は、彼が離れて行く事をよしとはしていなかったようだった。
「館長様、一つ分からない事がございます」
「なんだ?」
柱の後ろに立っている明四喜の表情は、陰によって確認する事は出来ない。しかし京醤肉糸はわかっていた、今の彼の顔にはいつものあの笑顔はないという事を。
親しみやすそうに見えて、疎外と計略に満ちたあの笑顔。
「どうしていつも笑顔を浮かべているのですか。貴方が常に笑顔でいられる程、この世には良い事が満ちているのですか?」
「なら貴方はどうしていつも笑顔なんだ?」
「......」
京醤肉糸は手を背に、空高く懸かっている明月を見た。
明四喜は彼のこんな表情を初めて見た。
「もし私ですら常に笑顔でいられないのなら、私を信じ、頼りにしている人は、一体どうやって笑顔になったらいいのだろうか?」
「......」
「私が眉間に皺を寄せていたら、私を信じている人は良い笑いものになってしまうじゃないか」
京醤肉糸は自分の袖をはたき、どうしてか今晩は少し強張っている自分の頬を揉んだ。もし松の実酒が見たら、なんだかむずむずするがとても安心出来ると感じるであろう笑顔を浮かべた。
「京醤肉糸、やはり貴方の事が嫌いです」
京醤肉糸は振り返らず手を上げて振った。背後の人に別れを告げているように見えて、口から出た言葉はいつもの軽口だった。
「問題ない、私は逆に貴方を気に入っている。何せ私の大事な副館長だからな」
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