車海老・エピソード
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車海老のエピソード
龍宮城の城主が最も信頼している護衛。孤高で頑固、城主が招待した者以外を決して龍宮城には入れない。甘えびの護衛として仕事をこなしているが、甘えびによると彼は融通が利かないようだ。
Ⅰ.主上
刀を振るうと地面に血痕が残った。刀を鞘に収め、海面に浮かぶ死屍累々を見つめた。
……最近、どうも怪物が増えているような気がする。
「ご苦労だった」
「主上の助けになれば、その上ない光栄でございます!」
目の前の男を見る。彼は笑顔こそ少ないが、その代わり威厳と気高き王者の威風をもっている。何者にでも平等に、優しく接する。
武者としてこのような主上を持てることは、何たる幸運だろうか。
しかし彼は目の前で徐々に消えてなくなる死骸を見ながら、憂鬱そうにしていた。
「主上、もしかしてなにか心配事でもあるのですか?」
「……車海老。我らもいずれ、そいつらと同じ有様になるのだろうか……」
「……主上は何を仰いたいんですか?」
「……何でもない。今日はご苦労だった…………そう言えば、貝柱の小童はどこに行った?」
……またあの小僧のことか。
主上が何故あの小僧をいつも気にしているのかわからない。生意気で、身勝手で、更に我儘と来た。普段何を考えているのかまったくわからない。
主上の前にいる時だけは、明るく無邪気に振る舞っている。
よりによって主上はこのクソガキの本性をまったく気にしていない様子だ。
「貝柱はまだ子どもだ、遊び足りていないのだろう、好きにさせておけ」
「しかし、主上――」
「彼が何か大きなことをしでかさない限り、彼がどう遊ぼうと我らに影響はないであろう」
……主上のその考えを見抜いているからか、主上の前ではいつも良い子のフリをしていた。
「車海老、貝柱を探せ。近頃怪物が増えている、彼一人だけでは手に負えないかもしれん」
「……承知いたしました」
腑に落ちないが、主上の指示はきちんと果たさなければならない。
ただまさか某と貝柱のクソガキが共に主上のいる場所に戻った時、あんな光景が広がっているとは思わなかった……
Ⅱ.命令
血まみれになっているクソガキを血だまりから引きずって怪物の群れから離れる時ですら、こいつの口は止まらない。
「うわっこの野郎!!!!せめて先に血を洗わせてくれ!!!このまま兄様に会える訳ねぇだろ!!!」
……汚れた姿のままでは主上のお目にかかれないとわかっているのなら、最初から狂ったように怪物の群れに入らなければ良いのではないか。
このクソガキを見ていると、いつもため息が止まらない。
「ため息をつくな!兄様の傍に貴様のような鉄仮面野郎がいるなんて、こっちがため息をつきたいくらいだ!」
ほら見ろ、相変わらず身勝手な奴だ。
一発殴りたくなる。
「フンッ」と彼は嘲笑った後、手に染み付いた血を某の袖に付けた。
自分の額に浮かんだ青筋がピクついていることに気付き、大口で息を吸った。このクソガキを刀の鞘でぶん殴ろうとしている気持を抑えろ。
本当にどうしようもないクソガキだ。
主上に拾われた頃は、ボロボロで誰彼構わずに噛み付いていた。今や殴りたくなる程身勝手になり、良い子をするフリまで覚えやがった。
主上も時々自分の教育の仕方が間違っていたのか疑う位には、何故かこいつの性格が悪化していた。
しかし某から見ると、これこそがこいつの本性だと思った。
彼が一方的に某と口喧嘩をしている間、気が付くと海辺に戻っていた。
主上は海を眺めるのが好きだ。いつもならそう遠くない水平線を眺め、海辺で静かに某たちの帰りを待っていたが、今日はそうではなかった。
主上は砂浜の上に倒れていた。
不気味な紋様は主上の胸から顔へと広がっていた。
その紋様はまるで職人が丹念に描いた絵巻物のように美しく、妖しげな色彩を帯びていた。
クソガキが率先して主上の傍に駆け寄り、砂浜に倒れていた主上を支え、彼の身体を起こした。
主上の前に立つ時はいつも愛らしい笑顔を浮かべていた貝柱だったが、この時ばかりはその顔は歪み、両目も薄っすらと赤くなっていて、表情も険しくなっていた。
「何故だ……」
「……」
「車海老!!!!!一体どういう事なんだ!!!!!!!!!!」
彼らの傍に近づいた。手に力が入っていたのか、握り締めた刀の鞘からギシギシと悲鳴のような音が聞こえてきた。
唾を飲み込み、主上の顔に広がる紋様を見ていると、息苦しくなってきた。
「近頃主上は……黄泉の毒にますます侵蝕されている」
妙に冷静に答えた自分の声を聞きながら、軋む鞘の音で心は乱れたままだった。
幸い、某の異変に気付ける方は、今は意識が朦朧としている。某を見る余裕すらない。
「主上を連れて、龍宮城に戻ろう」
龍宮城の中、氷の反射で水がゆらゆらと輝いていた。貝柱は氷で出来た寝台の傍に座り、緊張した面持ちで主上を見つめていた。
「ゴホッ……」
寝台から聞こえてくる小さな声を拾って、某たちは立ち上がった。
「主上!」
「兄様!」
主上がゆっくりと寝台から起き上がると、青い紋様もゆっくりと消えていった。
「兄様!どういうことですか?!」
「……貝柱、話がある」
いつもの平和な雰囲気から一転、貝柱に声を掛ける主上は見たこともない真剣な顔をしていた。
「では、某は失礼します……」
「車海老もここに居てくれ」
某は頷き、半歩下がった。
「余は間もなく黄泉の毒に完全に侵蝕されてしまう。それは一か月後かもしれない、或いは三日後かもしれない」
主上の言葉は弱弱しかったが、威厳があった。
「貝柱、今後余はもう其方を制御することは出来ない、このまま好き勝手してはならないぞ。其方を龍宮城の次期城主に任命する、龍宮城の周りにいる人間、妖怪たちを守れ。そして其方自身のこともだ。黄泉の入口は頼んだ」
「……」
クソガキの表情から穏やかさが消えていった。彼は主上を見上げながら、表情には彼元来もつ凶暴さが滲み出ていた。
「聞こえたか、貝柱」
「断る!!!!!!!!!」
彼が、主上にこんな顔をしたのは初めてだった。
彼はいつもこういう表情を隠してきた。
例え主上が彼が猫を被っていることを知っていても、こういう表情を主上の前では一度もしてなかった。
彼は身を翻し、氷で出来た宮殿から離れた。
「怒らせてしまったな」
「……そうですね」
「車海老、次の命令は、其方へのものだ」
「……はい」
「余が黄泉の毒に侵食され続けていたら、完全に侵蝕される前に、余を殺せ。こうすることで余の亡骸を"千引石"の代わりに出来、桜の島を守れる。ただし、余の身体が完全に侵食されてしまえば亡骸は使えなくなる。すまない……余が出来るのはここまでだ、残りの怪物は……其方と貝柱に任せた」
「……」
「其方を信じている、そして貝柱のこともだ。二人ならきっと成し遂げられるだろう」
主上の表情は険しかった、優しさの欠片もない。
無慈悲にさえ見えた。
淡々としたその態度は、まるで殺させようとしているのは彼ではないみたいだった。
「これは命令だ、反論は許さぬ」
Ⅲ .違背
その日から貝柱のクソガキの行方がわからなくなった。
主上でさえ貝柱の行方がわからない。
だが主上は何事もないように、前とは変わらない生活を過していた。
主上の胸から広がっていく紋様も、徐々に彼の身体に蔓延していった。
ある日、その不気味は紋様はついに彼の頬を覆い始めた。気付けば主上の鎧も本来の赤色から不気味な青に染まり始めた。
主上の身体からは不気味な青黒い気配が漂っていた。この気配は自分たちが屠り続けた黄泉からの怪物が漂っているそれと同じだった。
主上の両目は赤くなり、自分を抑えきれないように某を睨んだ。まるでこの某の身体には、彼が理性を失うように誘う餌があるかのようだ。
或いは……某こそが主上を誘惑し続けている餌か。
「車海老……早く……余はもう……持たないかもしれぬ……」
主上の口から溢れ出る声は掠れていた、最早怪物の咆哮に近い。
刀の柄を握る手が、初めて震えた。
某は本当に……主上の命令通り……主上を殺さなければならないのか……
「どけ」
突然誰かに押された、姿を消していたあのクソガキが久しぶりに現れたのだ。
「貴殿は……」
「つべこべ言うな、助けたいなら手伝え!」
彼の身体は傷だらけで、霊力が絶え間なく漏れ出していた。かつての甘ったれた子どもはどこかに消え、代わりに粛然とした凄みを帯びていた。
――まるで地獄から這い出て来た悪鬼のようだった。
クソガキの手には精巧な小さな箱があった。
その箱は彼からこぼれた霊力をどんどん飲み込んでいる。
某たちは「妖怪」だ、普通の傷では命を落とすことはできないが、霊力を大量に流出するとこの世から消えてしまう。
「何を見ているんだ!怖くなったのかよ?!」
彼に叱責されながら、某は某を見ていたあの日の主上の目を思い出した。
手がまた震え始めたことに気づく。
武者として、主上の命令を忠実にこなすべきだ。
しかしそうすれば、某はこの手で彼を殺し、某が最も尊敬する主上が消えていくのを見なければならなくなる。
……某の主上を生かしたい。
貝柱が持ってきた玉手箱に手を添えると、その箱は狂ったように某と貝柱の霊力を吸い上げた。その霊力は氷壁となり、主上を包み込んでいく。
死んでしまうのではないかと思う程の霊力が失われた時、玉手箱は霊力を吸い上げるのを止めた。 そして主上の方を見ると、彼は巨大な冰棺の中に包み込まれていた。彼の身体を飲み込んでいた紋様も氷に閉ざされそれ以上広がることなく、青黒い気配さえも止まった。
「……やったのか……成功した……」
Ⅳ.玉手箱
貝柱からの説明によると、その小さな箱は玉手箱という。
大昔から桜の島に存在する神器だそうだ。
玉手箱は時間を貯蔵することが出来る。
伝承によると、ある旅人が海亀を助けた時、その海亀はその旅人を海底の仙境に連れて行ったそうだ。その仙境で遊んでいた旅人が故郷に帰ろうとした前、仙境の主がこの玉手箱をくれたという。
旅人が故郷に戻った時、彼は気付いた。仙境での一日は地上の一年に相当するということを。地上では長い年月が過ぎており、旅人の故郷はすでに廃墟になっていたのだ。
……そして……旅人は玉手箱を開いた……
「何故!!!何故だ!!玉手箱は時間を逆転することが出来ると聞いた?!なぜ私にそれが出来ない!」
「……」
「どうして彼の時間を封印することは出来ても、逆転させることは出来ないんだ!!!じゃないと玉手箱を見つけてもしょうがないじゃないか!」
「……貝柱……」
「どうしたらいい……どうすれば……」
「貝柱、いい加減落ち着け!!!」
魔が差した表情をしている貝柱を見て、拳を握りしめた。
しかし突然、貝柱は顔を上げた。
「神女だ!神女だけが全ての時間を取り出せる!」
彼の目に映る狂気を見ればわかった。その神女とやらがそれを望んでいないとしても、彼は彼女に全てを押し付けるだろうと。例えこれによって「神女」は命を落とすかもしれなくてもだ。
彼はきっとこう考えているのだろう、しかし……
どんなに卑劣になっても、彼の主上を救いたい気持ちは変わらない。
本来、某は彼の行いを止めるべき立場にある、だけどどうしても声が出ない。
某は主上の命令に背いて、主上が自らの身体でもたらそうとした桜の島の安寧を放棄したのだ。
こんな事をしてしまっても、某に後悔は一切なかった。
主上のためなら、代償は惜しまない。
「出来る限り早く神女を見つける、代償は惜しまない」
海底に注がれた波の光が少年の頬に映った。
某がいつもガキ扱いしていたこいつを初めて正面から見つめた。
彼の目の底にある揺るぎない意思と狂気に驚いたが、某たちは同じ目標を持っていることで、妙な安心感を覚えた。
それからの日々は大変の続きだった。
桜の島はそれ程大きい場所ではない。
しかし、玉手箱の力と見合う「神女」を見つけることは容易なことではなかった。
凶悪な怪物たちの襲撃を阻止しながら、果てしない人探しの旅を続けた…… 龍宮城に帰ると、何事にも好奇心を持ち、外で遊ぶのが好きだったクソガキが、氷の宮殿の中でじっと座っているのに気付く。
彼の霊力はほとんど抜かれており、黄泉の侵蝕に対抗し、自分の存在を維持する力だけしかもう残っていない。
「何か手掛かりは見つけたか?」
「まだだ」
……人を探すことくらい、雑作ない。
必ず成し遂げなければならないんだ。
Ⅴ.車海老
「今日から、彼は貴方の護衛で、貴方は龍宮城の姫になる。私は世界中の最も高価な物を貴方に与えてあげる」
車海老は貝柱が最上級の笑顔で目の前の女の子に向かって微笑んでいるのを眺めた。
優しいけれど、どこか温度のない笑顔だった。
質素な服を着ているその女の子は、おずおずと自分の裾を引っ張って、貝柱を見ていた。
車海老は目の前で怯えている女の子を見て、何故か貝柱が龍宮城に拾われた時の景色が蘇った。
怪物に食われそうになっていたクソガキを間一髪でタラバガニが怪物の群れから助け出したのだ。傷まみれだったが、態度は凶暴そのものだった。
しかしタラバガニに対してだけ、このようなおずおずとした、可哀想な顔をしていた。
タラバガニは成熟した君主であり、目の前の子どもが考えることを簡単に見抜いていたが、気にすることはなかった。
――これは能力のある子どもだから、その内守り手となれることだろう。
車海老が甘えびをぼんやりと見ている間、貝柱が腕をぶつけてきた。
「……こ、こんにちは」
甘い声、大人しい顔立ち、おずおずとした表情。
昔の貝柱とは違って、本物の良い子みたいだ。
残念ながら……
――彼女は遅かれ早かれ、自分には耐えられない「時間」に耐え続け、最後は怪物となってしまう。
自分がその役割を担えるなら、車海老や貝柱は決して自分の命を惜しんだりはしないし、目の前の女の子に希望を持ったりもしない。
その純粋な女の子は意図的に甘やかされて、気付けばワガママなお姫様になった。
彼女がまた勝手に龍宮城から逃げ出した際、車海老はいつものように彼女の後をつけてそっと警護をしていた。
足に怪我を負った甘えびを龍宮城へ連れ戻すと、彼女は貝柱に会った後、自分部屋へ巨大な寝台でうずくまった。車海老はまた刀の鞘を握りしめた。
知らず知らずのうちに、彼は氷で覆われた宮殿の最奥に来ていた。
かつては外に出て遊ぶのが大好きだった貝柱は、タラバガニが堕化した後、この小さな場所から一歩も出ることはなかった。
彼は玉手箱でタラバガニを封じると同時に、彼自身も封印したのだ。
「何をしに来た?」
車海老は酒瓶を持ち上げた。
かつてはいつもお酒が飲みたいと騒いでいた少年は、目の前のお酒を見て首を横に振った。
「飲まない、酔うと霊力が制御出来なくなる、玉手箱が暴走する」
「……」
車海老は一人で酒瓶を開け、次から次へと飲んだ。
互いに相手を気に入らない二人が、同じ部屋の中、黙ったまま長い時間を過ごした。
酒瓶の中にはお酒が一滴すら残っていない程に。
車海老は立ちあがってさ去ろうとしたが、氷棺を見つめた
ままボーっとしている少年の方を振り返った。
「……貴殿は本当にこれで良かったのか」
「……ふふ、我らの護衛は主上の命令に背いたことを後悔でもしているのか?」
からかっている口調に僅かに寒気が帯びていた、車海老は背中を向けた少年の表情すら想像出来ていた。
背筋が凍える程の怖い表情をしているのだろう。
「貴殿が死んでも、主上を救う」
「そうなると良いね」
宮殿の最奥を離れ、甘えびがいた貝殻の寝殿へと戻る。寝台にうずくまったまま既に眠っている女の子を見つめた。前は他人を守るためだけに振るった刀を見て、車海老は長いため息をついた。
「……全ては、主上のために必要な犠牲だ。後悔など、するものか」
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