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玉子焼き・エピソード

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玉子焼きのエピソード

厳しくて真面目な巡査。平和な日常を脅かす存在には容赦しない、躊躇なく抜刀する。流行りにあまり乗れない。話すといつも説教臭くなってしまうため、年寄りみたいと言われるが、彼女はあまり納得していない。

Ⅰ.泥棒

町の日常はいつも平和で、私はその平和が大好きだ。


今日の巡回はもうすぐ終わる。特殊な案件が起きなければ、自分の時間が出来て、とても大事な私用を処理しにいくことが出来るけれど……


「泥棒だ!誰か捕まえてくれ!」


――しかし、思い通りにはならないみたい。


街角にある菓子屋の店長が道路に倒れ込んで苦しそうにしていた。


「大丈夫ですか!?」


町の住民の安全を守ることが巡査の使命である。私はまず急いで彼を起こした。


「わしのカバン!!!玉子焼きちゃん、あのカバンには大事な物が入っているんだ!」


店長は無事だけれど、自分よりも盗まれたカバンの方を心配していた。

私はその様子に少しだけホッとして、すぐに彼にこう告げた。

「私にお任せを」

そして刀を持って、泥棒が逃げて行った方に向かって走り出した。


あの泥棒は私が追いかけてくるのを見て慌てたのか、人混みの中に突っ込んだ。それで逃げられるとでも思ったのだろうか。


(甘い!)


日々の巡回で熟知しているこの場所で、犯罪者を逃す訳がない。

近道を通って、彼の前に立ち塞がった。そして鞘に収めてある刀を抜き、切っ先を彼の顔の前に突き出す。


「動くな!」


恐怖でよろめいた泥棒は、刀に真っ向からぶつかるところだった。


(死に至る罪ではないし、傷つけてはいけない)


そう思いながら刀を逸らすと、彼は隙を見てまた逃げ出そうとした。

しかし彼が走り出そうとした矢先、突然背の高い人物が角から現れ、泥棒はその者にぶつかって転んでしまった。


「うわっ!大丈夫か?ごめんごめん、見えてなかったよ!」


現れた人物は大きな声で謝っていると、不運とも言えるあの泥棒は起き上がって逃げようとしたのも束の間、すぐに抑え付けられて動けなくなった。


「本当にごめんって、怒らないで欲しい!わざとじゃないから!」

「お、俺をはなせ!」


泥棒は逃げたくてしょうがないのに、その必死な表情は反撃しようとしているようにも見えた。そのせいか、彼が相対しているバカは勘違いをして宥めようと彼に引っ付いてどかない。


「もう許してくれよ、こんな所で喧嘩でもしたら巡査さんに叱られちゃうじゃないか!」

「ほーら!言っただろ!巡査来ちまってるよ」


カツ丼……本当にバカな子だ)


私は刀を構えて彼らに近づいた。


「その者は泥棒です、だから逃げようとしているのですよ」


そう聞いたカツ丼はやっと状況を理解し、絶望した泥棒を一撃で気絶させた。

泥棒を掴んでいた手を放すと、元気よく私に挨拶をした。


「久しぶりだな!玉子焼き!」



カツ丼は私の元同僚だ。

彼が警視庁にいた頃、検挙率は私と肩を並べる程だった。


頼りなさそうで変な奴に見えるが、いつも上手く犯人を逮捕し事件を解決させる。

いつの間にか、彼は私のライバルのような存在になっていた。

彼が辞めた後も、私は彼との勝敗を記録し続けた。



しかし、彼が日暮探偵社に入ってからは、ずっと会っていなかった。


日暮探偵社は私が管轄している地域からは少し離れている、彼は今日は何か用があってここに来たのだろうか。


いずれにしても、彼が泥棒を捕まえる手助けをしてくれたことは事実だ。

カツ丼に一勝を追加して、これでまた引き分けになった。



「お久しぶりです、カツ丼。今回はありがとうございました」

「大したことしてないよ!俺が運んでやろうか?」

「私の仕事ですから、自分で処理します」

「遠慮すんな!ほら!いつも通り、盗品をまず被害者に返しに行こうぜ!」


いつものことだ、親切な彼の申し出を私は拒否出来ない。



「カバンはこちらになります、中身を確認してください」

「ありがとうございます。今日は失くしてはいけないものを持ち歩いていたのに、まさかこんな目に遭うとは……良かった、壊れてないみたいだ」


店長はカバンを受け取り、そこから丁寧に二つの箱を取り出し、私に渡してくれた。


「ほら、玉ちゃん、どうぞ!」

「あっ!和菓子だ!良い匂い~!」


カツ丼は目を輝かせて叫んだ。

だけど、私は唖然としてしまった。


店長が手作りのお菓子を私にくれるのはいつもの事だけれど、今日はどうして二つもくれるのだろう。


思っていたことが口から出てしまった。


「これは……」

「もう時期かなと思ってね。多めに作ったんだ。それはおばあちゃんの分だよ」


あたたかい何かが、心の中に流れ込んだ。


「ありがとうございます。祖母もきっと喜びます」

「良い子ね。もう遅いから今日は早く帰りなさい」

「はい!店長さんもまた転ばないように、気を付けてくださいね」


店長が去っていくのを見送っていると、急に肩に重みを感じた。

横を見ると、カツ丼が私の肩に片手を置いて、空を見上げている。


「なあ、玉子焼き。時間が過ぎるのは早いな、おばあちゃんは今何しているかな?」


私は黙ったまま、祖母から受け継いだ刀を強く握り締めた。


「どこで何をしていたとしても、きっと昔と変わらず、誰からも尊敬されているはずです」


Ⅱ.巡回

カツ丼と私が警視庁に入ったのは、祖母が退職してから数年後のことだった。


彼女は警視庁で最強の巡査だった、その活躍ぶりは今でも伝説として語り継がれている。

彼女の刀の下では、どんな犯罪者も逃げることは出来ない。そのため、カツ丼も祖母に憧れている。


彼は私の家に来て彼女を訪ねたいと何度も言ってきたが、全て却下した。


その時、もしいつか私の方が彼よりも十点リードする日が来たとしたら、連れて行っても良いかなと思っていた。だけど、ずっと互角の勝負が続いた。


一年前の今日までは。



その日、私は巡回の当番だった。

巡回に出ようとした時、先輩たちとカツ丼が大声で話していた。

彼らは資料整理の時間が嫌で、サボっていたようだ。


「またダラダラして……どうにか仕事に専念するように言い聞かせないと」


すると、その思いを叶えてくれた人がいた。

巡回から戻ると、警視庁は昼間と打って変わって静まり返っているし、中に入ると、男たちは何故か壁際に突っ立ったまま、黙り込んでいた。


「ビシッとしなさい!くねくねしない!それでも巡査ですか!」

声の主は、箒を持って厳しく彼らに激を飛ばしている祖母だった。

「私が教えたことをもう忘れたのですか?その日の仕事はその日のうちに終わらせる。巡査は日々新たな任務があるのですよ!」

「犯罪と事故が君たちを待ってくれると思っているのですか!」


こんなにも威厳のある祖母を見たのは初めてだった。


カツ丼は私が戻ってくることに気付いたのか、彼女を宥めて欲しいと視線を送ってきた。

私はそれを見て見ぬフリをした。

ゆるい奴らには、これ位の説教は必要だと思ったから。

すると祖母も彼の仕草に気付いたようで、振り返った彼女は私を見た瞬間、私がよく知っている笑顔を見せてくれた。



「玉ちゃん、おかえり」

「おばあちゃん、どうしてここに?」

「迎えに来たんけど、ついでにこの子たちの様子を見に来たの」


祖母の一瞥で、気を抜いていた先輩たちとカツ丼は再び背を伸ばした。


「もう良いです。私は毎日君たちを監視することは出来ません。立派な巡査になるためには、自覚をもってもらわないといけませんよ!」

その言葉を聞いて、皆は素直にコクコクと頷いた。

「今日は残業するんでしょう?お弁当を持ってきたから、皆で一緒に食べましょう」

皆は歓声を上げて祖母に群がって来た。警視庁はいつもの賑わいを取り戻したのだ。


祖母は私の傍に立って、食べ物を前に飢えた獣みたいになっている男共のように言葉にしてはいないけれど、嬉しそうにしていた。


この瞬間が永遠に続いてくれたら、どんなに良いのだろう。


Ⅲ.抹茶

この瞬間が永遠に続いてくれたら、どんなに良いのだろう……


カツ丼、また玉子焼きさんを怒らせましたか?」

突然聞こえてきた子どもの声で、私は我に返った。

「社長、やっと来た!いや誤解だって……!」

声の主は抹茶だった。

彼は、カツ丼が勤めている日暮探偵社の社長。

祖母とも旧知の仲だ。

最初に会った時、彼が食霊だとはわからず、迷子の子どもだと勘違いしてしまったこともあった。

幸い、彼は優しい人だったので、私の勘違いを気にしないでくれた。

だけど、祖母はその事で随分長く私をからかったものだ。


今でも、彼に会うたび、あの時の事を思い出す。

とはいえ、何故彼までこちらに来ているのだろう。


彼の手を見ると、綺麗な磁器で出来た壺を持っていた。

「こんにちは、玉子焼きさん」

「こんにちは、抹茶さん」

抹茶さんはその壺を慎重に私に手渡してくれた。

「これは僕が作った抹茶です。貴方の御侍が好きだったと記憶していますよ。今日は彼女が旅立った日なので、感謝の気持ちを込めてこれを贈らせて頂きます」

抹茶さん、ありがとうございます」

私は心のこもった贈り物を両手で受け取った。




目の前に立つ抹茶さんは、初めて会った時と何も変わっていないけれど、祖母はもうどこにもいない。

一年も経っているけれど、私は未だにこの事実を無意識に避けている。


向き合おうとせず、祖母はまだ自分の傍にいると……だけど、今日こそ勇気を出して向き合わなければ。


玉子焼き!今日は大切な日だ。早めに帰って良いぜー俺たちの思いを君が代わりに伝えてくれよな!」

カツ丼がそう催促してきた。

私もそうしようと思っていたけれど……


「いけません。まだ今日の巡回は終わっていませんので。それに、この泥棒を警視庁まで連行する必要があります」

「もうっ!水臭いことを言うなって!俺と社長が何のためにここに来たかわかるか?警視庁にはもう声を掛けてある。残りの巡回は俺たちに任せろ!」

「あなたたち……」

「ほら、彼女がいないこの一年、私たちの町をしっかり守ったと、御侍にきちんと伝えてきてください」


抹茶のその柔らかな声は、とても心強かった。


Ⅳ.祖母

最終的に、私はカツ丼抹茶の提案を受け入れて、早めに帰路に着いた。


一年前も同じ情景を見た気がする。



あの日、警視庁を出た後、祖母は突然「散歩して町を見て回りたい」と言い出した。

普段ならば私はその提案を却下していたでしょう。


あの頃の彼女は体調が良くなかったので、疲れてしまうのではないかと心配した。


しかし、その日の彼女は久しぶりに顔色が良く、元気が溢れているように見えた。


そんな彼女を見るのが久しぶりだったから、嬉しくなった私は彼女の手を取り、ゆっくりと散歩を始めた。


夕方の空は、柔らかな紫色になり、まるで空に錦が飾られているように見えた。


下校中の子どもたちがや路地を大声で叫びながら駆け抜けていく。


偶然すれ違った知り合いと、祖母は雑談をしたりした。


「玉ちゃん、これからもずっとこのまま暮らしていこうね」


あの時の祖母の手はとてもあたたかくて、いつまでも握っていたいと思った。

そして、彼女の言葉に頷いた。



「玉ちゃん、久しぶりに手合わせをしよう。君の実力がどこまで伸びたか確かめたくてね」


家に帰ると、忙しい一日を終えた祖母は、疲れているんだろうと思っていた。まさかこんな事を言ってくるなんて。巡査ちなってから、確かになかなか彼女と稽古出来ないでいた。


私が家にいない間、彼女はたまにかつて愛用していた刀の手入れをすることもある。だけどそれよりも任務で敗れてしまった私の服を直してくれる時の方が多かった。


祖母の刀捌きは、相変わらず鋭かった。


その日の月光は、水のように肌の隅々まで冷たさを染み渡らせた。祖母の刀も月のように輝き、狭い庭を照らした。


「良いね、玉ちゃん。優秀な巡査になるわ」

「おばあちゃん、私はもうなってますよ」


刀を仕舞うと、彼女は支えようとした私の手を拒み、そのまま自分の部屋に戻っていった。


相変わらず元気そうな彼女の姿だったが、まさかこれが最後になるとは思いもしなかった。

その夜、祖母は眠るように静かにこの世を去った。


和菓子をくれた店長は、祖母は病気に侵されることなく安らかにこの世を去れた、むしろ良いことであると慰めてくれた。


だけど、私はもっと、もっと祖母と一緒にいたかった。

彼女の志を継ぐために私は巡査になったのに、彼女がいなくなった今、私はどんな道を選べばいいのだろうか。


一年後の今日、私は再びこの長い帰路を辿って家に帰った。

戸惑いながらも丸一年が経った、私は今も巡査としてこの町を守っている。


今日に至るまで、この町の全ての景色、全ての人々は私の心に深く刻み込まれている。


祖母は傍にいないけれど、懐にあそこの和菓子と抹茶は、この町を凝縮したように、ここにあるだけで穏やかな気持ちになれる。


もうわかったんだ。私が守りたいのは、この平和と穏やかさなのだと。


Ⅴ.玉子焼き

玉子焼きが生まれたばかりの頃、彼女は御侍というのは皆彼女の祖母と同じように、身一つで、一人の食霊しか傍にいないものだと思っていた。

しかし、抹茶カツ丼に出会ったことで、彼女は理解した。祖母は特別なんだと。


祖母のように、一生を町の巡査として生きられる人は少ない。


祖母自己流の剣術は強く鋭い。そのおかげで昇進及び異動の辞令もあったらしいが、祖母はそれを断った。


「おばあちゃん、どうしてあの時昇進を断ったのですか?」

「だって、この街を出なければならなくなるから」


その時、玉子焼きはその言葉を理解出来ていなかった、ただ心にそれを刻んだ。



実のところ、誰も玉子焼きに巡査になれと言ったことはない。彼女の祖母が全てを彼女に伝えたのは、彼女を愛していたから。


しかし、祖母が巡査としての習慣を崩さず、毎日にように巡回に出掛けている所を見た彼女は心配になった。


その点、祖母は非常に頑固で、玉子焼きは説得することが出来なかった。やがて自分が代わりに巡査になると言い出した。


「おばあちゃん、見ていてください。私は一番優秀な巡査になります」


玉子焼きはすぐに約束を果たした。数ヶ月後には巡査になり、気付くと町一番の巡査になった。

しかし、その途中で祖母は急逝してしまった。



戸惑いながらも、玉子焼きは本能的にこの街を離れず、巡査として活躍し続けた。

この町の人や風景画、彼女の心に静かに根付いていたのだ。


祖母の命日、彼女はやっと祖母が言ってくれた言葉全部を理解した。


祖母のためだけではない、この平和で穏やかな日々を守るため、玉子焼きはずっと、ずっと努力し続けるだろう。


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