油条・エピソード
◀ エピソードまとめへ戻る
◀ 油条へ戻る
油条のエピソード
冷血無常な刑罰官。厳粛で禁欲的、自分が知っている最も残酷な手段で刑罰を下す。例え相手にどんな事情があろうと、自らを鬼にして悪人を懲罰する。例え仲間や自分であっても、間違いを犯したら躊躇わずに罰を与える。
高麗人参を尊敬していて、実際には優しく、温和な性格をしている。
Ⅰ.忘川
「何故殺したのですか?」
「生きる資格がないからだ!あのような連中は、地獄に堕ちるべきだ!」
目の前にいる男は眉をひそめ、ゆっくりと目を開けた。透明で無色なその瞳は、まるで全てを見透かしているみたいだ。
朦朧としていると、男の隣からため息が聞こえてきた。
「とうだ、地蔵よ?」
「人間の悪念こそ諸悪の根源です。彼の行動はあくまで悪行を重ねたものに代償を払わせていただけ、過ちを犯してはいません」
「……」
「過去の苦しみにより人間不信となり、人間の悪念しか見えなくなった故に起きた惨劇です。言わば……過去に囚われた囚人に過ぎません」
会話が聞こえる。薄暗い地宮に微かに明かりはあるが彼らの姿ははっきりと見えない。
霧に包まれているかのように、いくら目を見開いても、声しか聞こえてこない。しかし、なんだかその声は懐かしいような気がした。
「確かにあの連中は自業自得だ。しかし、彼は心の中の魔物に囚われてしまったことで、やり過ぎた。だから命に代えてまで、地府まで追いかけてくる者まで現れてしまった」
「だけどヤツは無実の人たちのために仇を討ったんだ!全ての責任を一人に押し付けるのは流石に……」
「でもこのまま放っておくと彼の業は深まる一方だ!関係ない人まで巻き込む可能性だってある……」
「では、彼の過去は全て消して無常としてここに置き、正義を執行させながらゆっくりと罪を償わせましょう」
「本当か?!良かったぜ!!!お前良い奴じゃねぇか!これからはもう木偶って呼んだりしねぇよ!」
「話はこれで終わりです。そうと決めた以上、彼を忘川に任せます。吾はそろそろ陣に戻るため、後のことは任せました。忘川、頼みました」
「いいよー任せてー」
男の足音が遠ざかっていくと、身体に掛けられた圧力も随分軽くなった。
俺はよろよろと起き上がり刀を抜いて未だに顔が見えない連中に突っかかった。
だが彼らに触れることは叶わなかった。肩の激痛や喉の窒息感を意識した瞬間、自分が一人の女に持ち上げられていることに気付いた。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます、遡回司様……」
「猫耳ちゃん、何度も言っただろう、リュウセイで良いよ」
「うぅ……」
「忘川、早く連れて行け」
「はいはい」
澄んだ声が聞こえてきた、だけど俺の嫌いな軽薄そうな声でもあった。奴はゆっくりと俺に近づいてきたが、依然としてその顔は見えない。
だが彼の手だけは見えた。繊細で柔らかそうなそれは、軽々と俺を持ち上げられる力があるようには到底見えなかった。
俺が再び目を開けた時、その少年の顔はやはりはっきりと見えないままだ。しかし弧を描く口角だけは見えた。
……やはり俺が苦手な軽薄そうな者のようだ。
「顔は悪くないのに、どうしていつも怖い顔をしているのー」
朦朧とする中、目の前にある全てが夢のように見えた。一生懸命目を開けても彼の顔をちゃんと認識出来ない。唯一見えたのは俺の口元に運ばれている、怪しい匂いがする薬湯が入った赤いお椀だけだった。
その薬湯を飲まされ、意識が失う直前、俺が聞いた最後の言葉はーー
「わたしを後悔させないでよね、無・常・様」
Ⅱ.蕎麦
窒息するような息苦しさを感じ、俺は全力で目を開けようとした。
(一体……何があった?)
やっと目覚めた俺の目に入ったのは、もふもふとした尻尾だった。
(なんだ……?もふもふの……尻尾?)
胸に乗っかっている何かを力いっぱい押しのけ、起き上がって思い切り深呼吸をした。
澄んだ空気を取り込んだことでやっと落ち着いた俺は、「元凶」の方を向いた。
だがその「元凶」は慌てるどころか、我が物顔で俺の寝台に居座りながら、悠然と自分の爪を舐め始めた。
(……この毛むくじゃらな大きな猫は……確かあのちびっ子の伴生獣で……名前は……)
「……蕎麦?」
「ニャォ~」
名前を呼ばれて顔を上げたそれは、どうしてか見下すような視線を寄越して来た。
しかし意外なことに、こんな風に上から目線で睨まれても、自分は全く腹を立てることはなかった。
俺は自分の頬を掻きながらも、視線はそのもふもふとした尻尾に惹き寄せられていた。
親指と人差し指を擦り合わせ、乾いた唇を舐め、唾を飲み込んだ。
どうして自分は今、こっそりと周りに人がいないことを確認しているのだろうか。そして誰もいないことを確認した後、自然と手を伸ばし、寝台の上で傍若無人に爪を舐めている大きな猫にそっと触れた。
(柔らかい……)
その柔らかで滑らかな感触に夢中になった俺は、更に手を伸ばした……
(なんだこれは……埋もれる……)
俺の手のひらは完全に蕎麦の柔らかな毛に埋もれてしまった。
(……本当に……もふもふだな……)
「あっ!蕎麦!やっと見つけました!無常さまがお休みしているところを、邪魔してはいけませんよ!」
「ぷはっ、お休みしているところを邪魔されたのは、一体どっちの方かな?」
突然子どもの声が聞こえてきた。俺は蕎麦の柔らかな腹からガバっと顔を上げ、入口の方を見る。
そこには、不思議そうな顔で俺と蕎麦を見ている猫耳麺(ねこみみめん)と、もう一人扉に凭れている軽薄そうな奴がいた。彼は不敵な笑みを浮かべながら、からかうように俺を見つめている。
「あらーまさか我らの無常さまも小動物がお好きだったなんてねー」
「うん?」
「猫耳ちゃん、きみの無常さまがね、蕎麦とお友だちになりたいらしいよー」
「えっ!本当ですか!無常さまは、蕎麦がお邪魔したことを怒らないんですか?」
「…………ああ」
猫耳麺のそばで、彼が見えないのを良いことに、豆汁(とうじゅう)は声を発さずに笑い転げていた。自分のこめかみがピクピクと痙攣しているのを感じる。
やはりこの軽薄野郎のことは気に入らない。
Ⅲ.地府
「どうか!お許しを!お願いします!いくら欲しいですか?金ならある!金ならたくさん持っているんです!」
俺の前で土下座している男は、無様に泣き続けている。
その醜態は、彼がしてきた事と同じくらい醜い。
俺は片手で彼を持ち上げ、沸騰した油で満たされている油鼎(ゆてい)に投げ込んだ。
「ぎゃあああああーーーーー!!!!!」
案の定、彼は凄まじい悲鳴を上げた。
しかしこうなったのは全て、彼の自業自得だ。
悪行を重ねれば重ねる程、油の温度も高くなる。
悪事に手を染めたことの無い善人なら、例え油鼎に入っても無傷でいられる。
彼は悲鳴や罵声を上げながら油鼎の中で暴れ続けた。
そして俺の仕事は、彼が油鼎から逃げ出せそうになった瞬間を見計らって、刀で彼を叩き落とし、犠牲者たちの絶望を味わわせることだ。
「うわぁ……なあ、油条(ようてゃお)。その油鼎は絶対無実な者には効かないって知っていても、やっぱり恐ろしいな」
肩に重みを感じて振り返ると、予想通り八宝飯(はっぽうはん)が肩に乗りかかっていた。
俺の肩に圧し掛かってくる奴なんて、彼ぐらいだ。
「罪を犯したからだ」
「はいはい、知っているよ、自業自得だろ」
「当たり前だ」
「わかってるってーーそうだ!リュウセイと面白い物を入手したんだ、見に来ないか?」
「……」
「なんて顔すんだよ!あんたを友だちだと思って誘ったんだ!ほら、行くぞ!」
八宝飯は俺を連れて地府の宝物庫に直行した。高そうな宝物が揃っている他、ボロボロ過ぎて価値がわからない者からしたらゴミに見える品々も大切に保管されている。
一振りの古い長剣が机に置かれていた。リュウセイがその前に立ちながら深呼吸を一つした。
「皆揃ったな?では始めよう」
提灯はゆっくりと浮き上がり長剣の上に止まった。それが回り出すと、剣を手に国の安寧を守る少年の物語が映し出された。
その場にいる全員は、その物語に夢中になった。
「……このお兄さんは、死ぬまで姫のことを忘れていないんですね……」
「猫耳ちゃんのバカ!おまえの感想なんてどうでもいいよ!」
「うぅ……ご、ごめんなさい」
「バーカッ!!!」
「腐乳(ふにゅう)落ち着け、猫耳ちゃんをいじめるな。それよりリュウセイ、何かわかったか?」
リュウセイベーコンは提灯を仕舞い、ゆっくりと深呼吸をした。
「少年の剣には、国を守る決心とあの少女に対する想いが詰まっている」
「……確かに感動的だけど、別にオイラたちが探しているものじゃないだろう?」
「ああ。アタシたちが探しているのは少年が想い続けいてる少女の方だ。彼女こそ、山河陣を修復する鍵かもしれない」
「鍵?!」
「ああ。アタシの予想が正しければ、彼が好きな少女こそ、自分を犠牲にして真っ先に山河陣に入った長公主かもしれない。そして彼女の墓には、きっと山河陣の陣法があるだろう」
「やっと手がかりが見つかったってことか!じゃあ、この少年はお墓の位置を知っているか?」
「さぁな、だが彼の物語から大体の方角はわかった!」
喜んでいる皆を見ていたら、俺も思わず微笑んだ。
この地府という場所に来た経緯は覚えていないが、俺はここを気に入っている。
「あっ!無常さまが笑いました!」
「えっ!油条、あんたもちゃんと笑えるんだな!ハハハッ!良いことだ!」
俺のことを面白がっている彼らを見て、一つ咳払いをして端に移動し、笑いながら祝賀会の準備を始めた皆を眺めた。
今までずっと探っていた件にやっと目処が立ったのだ、間違いなくめでたいことだ。
じゃれあっている八宝飯と腐乳を見てボーっとしていると、リュウセイがいきなり隣に座った。
「ありがとう、無常」
「いや、俺は別に何も」
「悪を裁くことをアンタが担ってくれたから、アタシと八宝飯は山河陣の情報集めに専念出来た。随分助けてもらったよ」
「……」
(俺は皆の力に……なれたのか……)
それ以上は何も言わず、リュウセイは俺に一礼をしてそのまま去って行った。俯いて杯を眺めながら考え込むと、いきなり肩に重みを感じた。
「油ー条ー」
「…………」
「どう?もう……思い出したんでしょう?」
Ⅳ.記憶
「どう?もう……思い出したんでしょう?」
微笑んでいる豆汁が肩口から覗き込んできた。酒気を帯びた彼の顔は、赤く色づいている。俺はその言葉にヒヤッとした。
「そんなに緊張しないでよ~わたしが薬湯を半分捨てなかったら、きみは永遠に思い出せずにいたかもね」
相変わらず子供ぶっている彼だが、その言葉とは裏腹に笑顔は怪しく見えた。
「……何故だ?」
「何が?」
「……」
俺の顔を見つめた後、彼はいきなり立ち上がって、机の上に座った。そして、地宮の中央にぶら下がった宫灯を見上げた。
この時、彼は見たこともない真剣な顔をしていた。
「地蔵のやつは、罪を償えば、やり直せると考えている……」
そう言いながら俯いた彼は、いつも持ち歩いている赤いお椀に触れながらこう続けた。
「でも……本当にやり直せるの?」
その疑問に答えられない俺は、静かに彼を見つめることしか出来なかった。
「地蔵のやつは人が良すぎる。例えどんな悪人だろうと、罪を償う気がなるなら、更生する機会を与えようとする」
「けどね、改心しても消えない罪はある。全ての罪人が背負った業なら解脱出来る訳じゃないんだ」
「油条、きみは自分の罪をきちんと反省して、地獄から這い出て来られる悪鬼だと信じているよ。くれぐれも失望させないでよねー」
豆汁は小躍りしたがら去って行った。残された俺はただボーっと、自分の手を見るしかなかった。
戸惑いを隠せない俺は、気付けば高麗人参(こうらいにんじん)がいる大陣の前に来ていた。
大陣にいる限り、全てを見通せるその男はすぐに俺の存在に気付いた。
「無常。何か用ですか?」
「……もうわかっているだろう……俺は……」
巨大な門の後ろで、彼はしばし黙り込んだ。
「ええ。忘川が、忘川水を全てそなたに飲ませていないことはわかっていました」
「なら何故俺をここから追い出さなかった……もし俺が!」
「そなたはそうしなかった、でしょう?」
「……何故だ?」
「忘川の人を見る目を信じ、そしてそなたのことも信じているからです。忘川が言った通り吾の考えは甘いかもしれません……それでも吾は、誰でもやり直せると、信じていたいのです」
独特な落ち着きを持つその男は、優しい口調で自分の考えを述べた。俺は何度も拳を握りながら、返す言葉を探したが、思いつかなかった。
かつての俺にとって、その考えはあまりにも甘すぎる。
もし極悪非道の大罪人にさえやり直す機会があるのなら、果たしてこの世界に公正というものが存在するのだろうか。
だが……俺は何故かこの男が望んでいる事を理解し始めていた……
そこにあるのは甘さだけではない、彼には全てを包み込むだけの懐の深さと、この世界の美しさへの期待があるのだ。
「記憶を消すことだけがやり直すための条件ではありません。全ての刑罰は、皆を苦痛から解放するためのものです。このような救済を、全ての者が理解出来るとは思いません。しかし、一人でもわかってくれる者がいれば、きっといつか……」
「……」
「全ての者の公正を保つには、果てしなく長い時間が必要でしょう。全ての物に自分の罪を認識させ、綺麗な世の中を作ることは容易ではありません。しかし、希望がある限り、吾はそれを信じてみたいのです。そなたは……暗闇の中で光を見出したのでしょう?」
「高麗人参様……」
「?」
「ありがとう」
「例など必要ありません、そなたを解放したのはそなた自身なのです」
Ⅴ.油条
地府には三司がいる。
その名も溯回司、無常司、忘川司という。
地府は、人間の官僚が裁けないこの世の不公平を裁く場所であると噂されている。
悪行を重ねながらも懲罰を逃れた者は皆、溯回司により悪事を全て暴かれ、無常司により刑罰を与えられ、最後に忘川司により記憶を消去され輪廻に戻ることとなる。
無常司は、黒ずくめで、鬼のような形相で、長い刀を持っていると噂されている。
無常司は、黒ずくめで、額にはお札が張られていてら地蔵様により超度された感情を持たない悪鬼であるとの噂もある。
そう噂している者たちは、恐怖の代名詞である無常司が、まさかもふもふとした猫の尻尾に夢中になる普通の青年であるとは思いもしないだろう。
机の上に座っている豆汁は、猫耳麺から騙し取ったサンザシの砂糖漬けを食べながら、腐乳と一緒に本棚を整理している油条を眺めた。
「ねぇ、油条。ここ最近随分と変わったじゃない?」
「なんだ?気のせいだろう」
油条から大きな変化を感じながらも上手く言葉に出来ない豆汁は、ふくれっ面で最後のサンザシを口に放り込んだ。
「あっ!わかった!前より怖い顔をしなくなった!」
「いつも通りだ、考え過ぎだろう」
「いや、かつてのきみならいつも嫌な顔で罪人たちを見ていたけど、今は違う。そうだね……少しだけ人参に似てきたかもね」
「……」
足を揺らしている豆汁は、一瞬動きが止まった油条に向かって得意げに笑った
「あらー図星かな?」
「奴らは誤って道から外れたに過ぎない、裁きを受けて反省出来るのなら良い事だ」
「だから変わったって言っているんだよ。きみは来たばかりの頃、かなりの暴れん坊だったからね!きみを捕まえに行った時は、手を押えられながらもあのデブを噛み千切ろうとして怖い顔をしていたからね」
自分の黒歴史を掘り起こされた油条は、どうしようもない顔で豆汁の方を振り向いて、長いため息をつき頭を抱えた。
「ぐおぉーー!ぐおぉ!みたいな感じでね!!!」
「……お前っ」
「わたしが何ー?」
いつの間にか来ていた八宝飯は、顔を真っ赤にして刀を持って豆汁を追い回している油条を見て目を丸くした。
「リュウセイ、油条のやつ最近ちょっとおかしいんじゃないか?」
「そうか?別に良いんじゃないか。どうやら連中が言った言葉の中に、一つだけ正しいものがあるようだな」
「へ?何が?教えて、誰が何を言ったんだ?ちょっとリュウセイ、最後まで言って!」
数月前。
光耀大陸のとある城。
慌てて駆けつけた八宝飯とリュウセイベーコンは、一面に広がる死体の山を前に眉をひそめた。
赤い月明かりの下、刀を手にした青年が振り向いた。感情を失った両目は鮮血で真っ赤に染められ、まるで悪鬼のように人をぞっとさせる。
「どうする?」
「……どうやら暴走しているようだな。仕方ない……」
傷だらけの青年はすぐに二人によって押さえられた。鋭いナイフが彼の喉を貫こうとした瞬間、ある声がリュウセイベーコンの動きを止めた。
「ま、待ってください!」
「猫耳ちゃん、どうしてこんな所に!」
「はぁ……はぁ……にっ、人参さまが、彼を連れ戻すように、と!」
「しかし……」
「人参さまはただ……連れて帰るようにと、だけ……」
「ちょっと!いきなり止まるなよリュウセイ!なんで油条を見ているんだ?おいっ?リュウセイ?」
八宝飯の呼びかけによってリュウセイベーコンは我に返り、豆汁の頬をつねっている油条を見て笑った。
「地蔵よ、アンタは一体何人をたらし込めば気が済むんだ」
「はぁ?何訳のわからないことを言っているんだ?扉の前で止まるなよ!いって、鼻が……」
「わからないなら、それで良い。ほら、そろそろ出発するぞ」
◀ エピソードまとめへ戻る
◀ 油条へ戻る
Discord
御侍様同士で交流しましょう。管理人代理が管理するコミュニティサーバーです
参加する