ルーベンサンド・エピソード
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ルーベンサンドのエピソード
色んな意味でスペクター家で最も頼りにされている人物。頭脳明晰、計算や論理的思考が非常に得意。気性は荒いが、家族全員気性が荒いため、怒りを抑えようと常々我慢している。そのせいか、一人になるとおかしな行動を取ってしまう。両目は未来が見える。彼はこの能力を嫌っているため、いつもサングラスを掛けている。持っているペンデュラムに催眠効果があるが、彼自身にも効果が発揮するため、普段は投擲武器として使用される。
Ⅰ.道具
薬効が切れた……
手に持っていたファイルや書類が床に散らばったが、壁につかまり床に倒れこまないよう、必死にこらえる。
我慢しなければ、自殺するしかない。
食霊は生まれた瞬間から服従の重い鎖を着けられる。契約した御侍には危害を加えてはならず、破れば相応の罰を受けることになる。
それはまるで、骨の中からムカデが這い出て、血管の上を這い、骨髄や血流を痛飲し、皮膚や筋肉を喰うかのようなものだ。
しかし、痛みの根源を見つけることもできず、ただ、ただ無限の苦痛が蔓延り続ける。
禁忌の地から踏み出した瞬間、やっとその対価を知った……
朦朧とした意識の中、廊下から足音がぼんやりと聞こえる。
私の部屋はドアを閉めない。鍵すらない。あいつらも閉める必要はないと言っていたから。
「ルーベン、ハカールが君を探しているよ………どうしたんだ?」
一筋の金色が部屋に入り、私を床から起こす。
ウェルシュラビットだ。あいつらの中で唯一私に同情してくれる食霊。
「大丈夫か?薬が切れたのだろう?ハカールに言ってくる……」
「大丈夫です」
「だけど……」
「放してください……」
「……」
ウェルシュの傷ついたような目を避け、私はよろめきながら部屋を出て、曲がりくねった階段を下りていった。
優しさ、気遣い、何一つこの家には存在しない。
そう、ここはただの住処だ。私の居場所は最初からあそこにしかない……
広いリビングルームには誰もおらず、窓際の柔らかい革張りのソファーに、この家の主であるハカールが座っていた。
「おや、薬が切れたようね。大変でしょう?」
彼女は笑顔でそう言うと、手に持っていた新聞をそばに置き、毒蛇のような冷たい目で私を見つめた。
私は彼女の質問を無視したが、彼女は気にすることなく、傍らの小さなボックスから注射器を取り出し、私の方に歩み寄ってきた。
「大丈夫、その痛みはワタクシが治してあげるわ……ワタクシの言うことを聞いてくれればね」
首筋に軽い痛みが走り、冷たい液体がゆっくりと注入される、そしてやっと私の内側を蝕む炎が静まった。
「残りは要件を済ましたら、注射してあげる」
彼女は手の中にある、液体が半分残った注射器を見せつけ、ボックスに戻した。
「未来を見ることが出来るのなら、過去を覗くことも出来るでしょう?」
「……何が言いたいんですか」
「時間が線であるなら、“今”は線上の点でしょう?この点以降が見えるのであれば、この点以前、つまり過去も振り返って見ることはできないのかしら?」
「簡単に言わないでください……」
彼女はソファーに腰を下ろし、屈託のない言葉を続ける。
「あの欲張りな魔道学院が、アナタに未来を見る能力だけしか与えないと思う?とにかく、試してみて」
ああ……忘れるところだった。今の私はただの道具だ。
ハカールにとって私にはまだ価値があるから、だから彼女はここに座って私の意見を聞くフリをしているのだ。しかし、事実上道具に選択権なんてない。
道具の運命は、ただ使われ、利用され、わずかな希望と引き換えに自らの生命を消費することだ。
でもいい、そこに希望さえあれば……
目を閉じて、また開けると、ハカールは相変わらず不快な笑みを浮かべていた。
「……約束したことは忘れないでくださいね」
「家族と魔導学院との契約を解除する事でしょう?心配しないで、もう準備しているわ」
「わかりました、やってみます……だが、自分の過去を他人に覗かれてもいいのですか?」
「あははっ……ワタクシじゃないわ。アナタ自身の過去を覗けばいいわ」
「……」
「怖がらないで、もしアナタの堕化が進んだら、また新しい薬をあげるから」
彼女は傍らのボックスを撫で、微笑みながら催促してきた。
「ワタクシの考えが正しければ、アナタは記憶を一部失っているはず。さあ、自分で思い出しなさい。例え……それが堕化の原因だとしてもね」
「……わかりました」
深呼吸をして、サングラスを外した。
目の前の光景はあっという間に覆い尽くされ、代わりに見慣れない何千もの映像が飛び交う。
眩暈のするような嘔吐感を抑えながら、映像とは反対方向に歩こうとした。
それらは鋭い刃となり、触れるだけで、切り刻まれそうだ。
どれくらい逆走したかわからない。鼻が血の匂いでいっぱいになり、手足はおろか胴体の感覚さえわからなくなるまで、止まることも出来ずに歩き続けた。
だがそれでいい、家族の自由を取り戻せるなら、私の唯一の居場所を守れるなら……
そのためなら、なんだってする。
Ⅱ.過去
……
……
「チッ……今日のテスト長くないか?前よりつまらなくなった気がするぞ……ルーベン?おいっ!」
レイチェルは手を伸ばして私の目の前で手を振る、その指の間から微かに血の匂いが漂っていた。
「なにボーッとしてんだ?」
「いや、なんでもない……」
彼女は眉を顰めた。斧についた七面鳥の羽が風で揺れている。
「この後、またあの変な特殊能力テストに行くんだろ?あんなクソ試験をやる度にお前は変になるんだから、もし迷惑なら兄貴にボコボコにしてもらえよ。そうしたら行かなくてよくなるだろ」
「……バカなことを言うな、すぐに戻る」
レイチェルはそれ以上私を止めなかった。
彼女が退屈だからといってテストをサボる事が出来ないように、魔道学院が嫌だからと言って拒否出来る訳ではない。
予測不可能な大災害に対処するため、そして人間の未来のため、魔道学院は対堕神兵器開発の実験中に「未来を予知する」能力を私の体で実現した。
しかし、人間が作った「神力」にはどうにも問題が多いようで、この能力を強化したり修正したりするために、何度もテストが必要だった。
苦痛さえ感じなければ、どうでもいい事だった。
「……調整が出来た。繰り返す。テスト食霊、ルーベンサンド。目標、10年単位で10件の未来の出来事を予測せよ……」
「カウントダウン……3……2……1……」
目の前で結ばれていた黒い布が取り払われ、強制的に目を開けさせられると、見慣れない映像が目の前を素早く駆け巡り、ゆっくりと止まった。
天災、疫病、飢餓、戦争……
時間が止まり、見えたのは悲しみで顔を歪めている老人の顔、母の懐で息絶える赤子、そして砲撃により手足の歪んだ若者……
驚愕、怒り、悲しみ、無力……そして絶望、その全てを一度に感じた。
私は、一体何故召喚されたのだろう?
こんな絶望的な未来を見るためにか……?
何も出来ずに、ただ見るためだけに……?
残酷だ。
どんなに努力しても、その努力が無駄で、結局何も変わらない事を私は誰よりも知っている……
残酷すぎる。
未来が決まっているなら、“今”に……なんの意味があるのだろうか?
「感情に異常を検知……危険信号を検出……テスト終了まで、カウントダウン……」
意識が大きな闇に飲み込まれ、気絶する1秒前に、見慣れたようでよく知らない目で見つめられていた気がした。
ライムグリーンの瞳……目にある傷……彼だ……だけど、何故……
何故彼は……危険信号……
……
答えに辿り着く前に思考が停止し、そして……
大きな鈍い音で目が覚めた。
ドンッーー
ベッドの端の床では、トマホークステーキが頭をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。
「クソッ……痛いな」
テストの感触がまだ体に残っている。ベッドに横になってため息をつく事しかできない。
「……自分の部屋で寝てください。私の部屋の床を壊さないで欲しいです」
「クソガキ、ずっと起きないから心配した……どうだ?」
「どうって?」
「レイチェルから聞いた。またテスト中に気絶したらしいな。体は大丈夫か?」
「問題ありません、もう……慣れましたから」
「そんなものに慣れる必要はない」
トマホークステーキは頭を撫でてくれたが、髪がグシャグシャに乱れた。
「心配するな。もうジジイに話しつけた。これからそのテストはもう受けなくていい」
「……来てください」
「なんだ?どこか調子が悪いのか……何をしている?」
私は彼の腕を取って上半身を起こし、彼の全身を確認した。
「傷がない……?」
「ああ、それが心配だったのか。言っただろう、ジジイは話し合いをしたんだ、喧嘩じゃない」
「……彼が簡単に話を聞いてくれるとは思えませんが?」
「じゃあ、なんだ。俺と喧嘩するのか?変な事を考えるな。何があっても俺がお前たちを守るから」
彼は自信に満ちた笑みを浮かべ、私の手を叩いた。まるで頼もしい兄のようだった。
だが彼と私は兄弟なんかじゃない。
私は彼の手を払いのける。
「貴方の保護は必要ありません」
トマホークステーキは困惑し、私の言葉の意味が理解出来ないのか、一瞬固まった。最終的に、私の頭を無造作に撫でた後この場を立ち去った。
彼はわかっていない。
私たちは魔道学院が作り出した食霊「スペクター」だ。私たちの能力、性格、思考パターンなど、全ては学院が私たちに持たせたいものなのだ。
理由も正当性もなく、皆を家族として扱い、守ると言い張るトマホークステーキの意志もそうでしかない。
それはテストをさせる事よりも、命令を遂行させるよりも、もっと質の悪い束縛だ。
束縛されて欲しくない。
テストのラストシーンは、まだ色褪せないーー
ライムグリーンの瞳は血に隠れていて、そこには怒りと……私しか映らない。
だから……私を守らなければ、彼の未来は変わるのではないか?
もし、自分の未来を変えるチャンスが一度だけあるとしたら……私は……
Ⅲ.堕落
「“スペクター”諸君、おめでとう。貴方たちは全てのテストに合格し、明日から最後の任務に就くだろうーー」
「人間のために“堕神”を粛清する、偉大な仕事だ!誉ある戦場だ!この任務を遂行すれば、貴方たちは歴史に名を遺す英雄となるだろう!」
何回も聞いた話だ。ただ、時間が「1ヵ月後」から「明日」になっただけ。
「そんな事どうでもいい、終わったらあたしたちに何をくれるんだ?」
レイチェルの言葉に研究者の興奮は冷めたが、すぐに意味深な笑みに変わった。
「もちろん、人間のより良い未来を築いた立て役者には何でも与えよう。富、名声、自由、望むもの全てだ」
「ハッ、それはどうも」
「フフッ……対堕神兵器計画はまだまだ進行中だ。貴方たちに無理をさせ争いになるぐらいなら、後の食霊に期待しようではないか」
彼への返事は、沈黙だけだった。
誰も簡単には信じたりはしないが、私たちはそれを信じるしかなかった。
「少なくとも今は明確な目標がある。全員が一つの方向に向かっている、まだましだわ……」
スペクターのリーダーであるトフィープディングは、こういう時発言しなければならない。
「そうよ、どうせ喧嘩でしょ?どこでやっても同じだそれに、あんな鉄の塊と戦うより、堕神と戦った方がまだいい」
レイチェルがトフィーの言葉に賛同し、他のメンバーもそれに続いた。
横目でトマホークステーキを見ると、視線を感じたのか、こちらを見てきた。
「心配するな、何が起きても、俺が守……」
「次それを言ったら、殴りますよ」
「クソガキ……お前……」
「なんだ、ルーベン、兄貴に盾突く気か?公平のために、全員でかかろう!」
レイチェルは笑いながら私の肩に腕を回し、その目はウキウキしていてとても楽しそうだった。それを見たトマホークステーキは眉を顰める。
「なにがフェアだ?まあ、お前ら2人同時でも俺には勝てないがな」
レイチェルはトマホークステーキのわざとらしい挑発に飛びつき、2本の斧が瞬時にぶつかり合ってうるさい。
パンドーロとデビルドエッグはヤジを飛ばし、クリームチキンは仲裁しようとしても言葉は届かず、トフィーはそれを見て笑っていた。だがその笑顔は苦笑いのように見えた。
「ルーベン、私たちの未来はどうなるのかしら?」
「……どんな未来が見えたのかを聞いているのですか?実は……」
「いいえ、未来を知りたい訳じゃないわ。貴方にもう一度、未来に立ち向かう勇気を持って欲しいと願っているだけです」
太陽がゆっくりと沈み、不毛な大地を黄金色に染めた。
トフィーは地平線に沈む光を見つめている。徐々に暗くなっているが、その目に恐怖は感じない。
「未来は貴方の目で見たものだけじゃない、私たち次第よ。未来を変える事は出来なくとも、それを受け入れる事は出来るはず」
光がなくなりつつあるが、目の前はまだ明るい……
「スペクターが一緒にいる限り、何も恐れることはない」
言葉というのは弱い。
飢えを満たすことも、痛みを癒すことも出来ない、空虚で無力だ。
だが、私は自分の目よりも彼女の言葉を信じている、「スペクター」を信じている、家族がいる自分を信じている。
そう遠くないところで、レイチェルがトマホークステーキの背中にぶら下がって笑っている。それを制止するはずのクリームチキンは、デビルドエッグのイタズラにつまずいていた。パンドーロはすぐそばでデビルドエッグの説教をしている。
彼らはあたたかく、屈強で、不屈だ、だから……
未来を、恐れることはない。
最後の戦場は近かった、ましてや食霊の私たちにとっては尚更だ。
キャンプ地を整え、トマホークステーキはパンドーロと騒ぐ余裕さえあった。
しかし、安心出来たのはそこまでだった。
邪神遺跡の周りにいる堕神は、ここに封印されている邪神の影響を受けているようで、私たちが考えていたよりもずっと強かった。
やがて、皆遊ぶ余裕がなくなった。
うるさい研究者はいなくなったが、戦場での生活環境は魔道学院とは比べものにならない程悪かった。
その日片付けるべき堕神を片付けた後、皆疲れ果て寝ようとするが、中々眠りにつけない。
常に聞こえる騒音、冷たい風、乾燥した空気、硬いベッド、全てが私たちの神経をすり減らしている。
だが魔道学院での生活よりも、今の方がずっといい。
堕神を倒す度に、自由で明るい未来に近づいている実感があったからだ。
もっと頑張れば、後もう少し頑張れば、ここの堕神を片付ければ……
だが、予知していた日が遂にやってきた。
全ての根源は堕神だと思っていたが違ったのだ。災難の根源は、人間だーー私たちが必死で守ろうとした人間たちだった。
「あんな目に遭ったんだ、絶対に魔導学院を恨んでいるだろう」
暗い森の中で、卑劣な人間たちが、傷つきボロボロになったスペクターに刃を向けた。
「人間に恨みを持つ強力な食霊、しかも契約に縛られる事を恐れない食霊がいる……」
人間に狙われたトマホークステーキは斧を強く握り締めた、その背後には守るべき家族がいるから。
「“スペクター”にもう利用価値はない、脅威があるから消す……か……」
ふざけるな……
私たちを残酷に扱ったのも、私たちが恨むと勝手に決めつけたのも、私たちを邪悪な脅威と見なしたのも人間だ。
ああ、そうだった……
私たちに選択権はないのだ。
裏切りに怒り狂ったレイチェルはこうして堕化し、「スペクター」は根底から揺さぶられる事となった。
泣き叫び、血の川が流れた。
私は血に塗れたライムグリーンの瞳が見えた。
案の定、予知は本当だったようだ。
私たちの未来は既に決まっていて、どんなに「スペクター」が強く結束していても、運命の駒、神々の遊び道具に過ぎない……
クソッ……クソッ……クソッ……
もし私が死ぬために生まれてきたのなら、何故希望や光を見せる?
クソッ……クソッ……クソッ……
死ぬべきなのは、一体誰だ?
……
……
「フフッ、やっぱり出来るのね。怖がらなくてもいいわ、新しい薬を打ってあげる……」
意識が遠のく前に聞こえてきたのは、ハカールの冷たい声だった。
まるで古の死の予言のように、鮮やかな光を越え、私を深淵に引きずり込んでいく。
Ⅳ.賭け
「ルーベン……おいっ……ルーベン」
誰だ……
誰なんだ……
「トマホーク……兄貴……?」
「ルーベン、寝ぼけているのか?僕はウェルシュだ」
……
目を開けると、灰色の天井、蜘蛛の巣が蔓延る角、どこもかしこも死臭しかしない屋敷。
夢から覚めた。
「ルーベン、また気絶したのか?ハカールから薬は貰わなかったのか?」
「何か用ですか?」
ウェルシュラビットは心配そうな視線を戻し、珍しく真剣な表情で言った。
「ルーベン、逃げろ」
「逃げる?」
彼は冗談を言っているようには見えなかった、だが……
「知らないかもしれないが、私は邪神遺跡から逃げてきた……契約によってそこに縛られていて、そこを離れた反動が今尚私を蝕んでいる……ハカールの薬がなければ生きてはいられない」
「だから君に逃げろと言っているんだ!あの薬は……あれは薬なんかじゃない、食霊用の麻酔薬なんだ」
ウェルシュラビットは、私をベッドから立たせ、キャリーバッグを私に押し付けた。
「苦痛を減らす事しか出来ない、使えば使うほど効かなくなる。最後にはどんな薬も効かなくなってしまう……君も気づいているだろう?薬の効き目が弱くなっているのを」
「どうやら、私の推測は正しかったようですね……」
「えっ?」
私はキャリーバッグを彼に返すと、ベッドから立ち上がった。
「貴方が言った事は、私も推測していました。ただ……他に選択肢がないんです」
窓の外を見ると、そこには朽ち果てた灰色の庭があった。ブドウの香りが漂っているあの荘園を思い出す。
トフィーが人間に見捨てられた私たちのために創ってくれた、美しい夢だった。
私の居場所はあそこだけなんだ。
それを守るために、現実にするために、私に他の選択肢はない。
「ハカールが本当に手伝ってくれると思うのか?僕でさえこんな事信じないよ……」
「彼女に手伝ってもらう必要はありません。彼女がそうせざるを得ないよう仕向ければいいのです」
「うん?」
彼は戸惑った。少し焦っているようにも見える、あの短気な妹に似ている。
どうしようもない無力感が湧き上がり、目を閉じて彼に言った。
「貴方たちの仲間、あの刺客……魔導学院に因縁があるようですね」
「刺客……ラザニアの事か?確かに……」
「矛盾を拡大します……あのハカールが無視できなくなるまで、魔導学院と対立せざるを得なくなるまで……」
窓の外、カラスか山猫が餌を探しているのか、暗い影がチラっと見えた。枯れた風景に珍しく、生気を足した。
そう、生きる希望がある限り……
「魔導学院が消滅すれば、“スペクター”を縛る枷はなくなります。その時、例え私が……」
例え、私がいなくなったとしても……
「未来を変えるチャンスがあるなら、それに全てを賭けます」
見ているだけでなく、少しでも可能性があるのならそれに賭けよう。
私の誕生にはきっと意味がある、死に場所はここじゃないと賭けよう。
予知が外れる事に賭けよう。
「でもどうして僕に教えるんだ?僕が言いふらすかもしれないよ?」
「薬の事を先に話してくれたので、そのお返しです」
「でももし……ハカールが君に白状させるために僕を送り込んだとしたら?そんなに簡単に他人を信じて、彼女に勝てる訳が……」
「私では彼女は倒せない、だから貴方の助けが必要です」
「えっ?」
背中に隠した手をぎゅっと握りしめ、ウェルシュラビットの目を見つめながら、出来るだけ揺るがない声を出した。
「貴方とハカールは本当の仲間ではない事は知っています。彼女が悪事を働いている貴族たちを見つけられるから、同行しているんですよね?」
「貴方は“悪”を撲滅したいだけ、それと私を助ける事は矛盾しません」
ウェルシュラビットの目が少し揺らいだ。
もしかしたら、この賭けに勝てるかもしれない。
「無茶はさせない、ただ……」
「とっくに、過去を見られるって知っていたのか」
……
案の定、彼は見かけのように単純ではなかったようだ。
私の能力があったからこそ、彼と刺客の事を知ることが出来た。
彼はそれをもう推測していた。
「……ああ、とっくに知っていた」
「じゃあ、ハカールにその能力を無理やり覚えさせられて気絶したのは、わざと?何のために?」
「貴方の同情を得るため……」
「ああ、本当に正直だな」
彼は急に安心したように、私のベッドに座り込んだ。窓からは何も見えない……だが彼は見つめていた。
「魔導学院は悪い奴しかいないんだよね」
「ええ……今も、食霊を使った非人道的な実験をしていると聞いています……」
「いいよ」
「えっ?」
「君が正直に話してくれた。僕を信頼してくれているんだろう?それでも助けなかったら酷いじゃないか」
「貴方は……」
「一応先に言っておくけど、僕の頭はそんなに良くないから、複雑な事は頼まないでね。絶対台無しにしちゃうから」
ウェルシュラビットは微笑みながら自分の頭を掻いた、揺らめく金髪がとても温かく見えた……
ああ……そうだ、未来は怖くない。
この賭けは、勝たせてもらう。
Ⅴ.ルーベンサンド
もし、生まれたばかりの男の子に「ルーベン」と名付けたとしたら、それはきっと、両親が自分の子どもに、意志が強く、機転が利いて、大胆な人物になって欲しいと思っているからに違いない。
ルーベンサンドは、そんなあたたかな思いから生まれた訳ではないが、彼は確かにその名の通り、逞しく聡明に育った。
彼は、最初の訓練でもう気付いたのだ。魔導学院は彼らをただの道具として扱っている事に。
そして、道具は使い道を失うと廃棄される事も悟っていた。
だが、彼はそれを他の仲間には言えなかった。
彼らは、解放された後のより良い未来を想像し、美しい家や荘園を夢に描いていたのだ。
仲間に、自分たちが想像しているものは実現しない、と伝える勇気は持てなかった。
もし、彼が仲間の希望を打ち砕く事しかできないのなら、彼は何もしない事を選ぶだろう。
そして絶望を全て一人で受け入れるだろう。
ルーベンは長い間、消極的な人生を送っていた。
何故なら、彼は既に結末を知っていたからだ。
何をやっても、何をやらなくても、結末は変わらない。虚無、悲痛、つまりは何の期待もない未来。
彼は既に結末を知ってしまった。全ての過程はサングラス越しで見えた景色と同じで、無意味で色彩のないものだったのだ。
だが……
「ルーベン兄さん、どうやって僕のイタズラを毎回見破ったの?いつか必ず驚かせるからね!」
「ルーベンさん、前回のテストでまだわからない事があります。少しお時間をいただけますか?」
「ルーベン兄さん、またデビルドエッグにサングラス傷つけられたでしょう?新しいの買ってきたから、試してみて」
「ルーベン様、今期の経費です……失礼いたしました、本日は忙しそうなので、明日見てください」
「ルーベン!早く来い!あたし一人じゃ兄貴を倒せない!あいつの角に提灯を付けてやろうぜ!」
「ルーベン!……おいっ!レイチェルに手を貸すな!……おいっ!なんだ、その提灯!ダサすぎるだろ!アチッ!ふざけんな!」
「ルーベン……私たちが“スペクター”でいる限り、何も恐れる事はないのですよ」
目の前にあるもの全てを見た。
鮮やかな紫の葡萄、淡い緑の草原、緋色の花房、蒼碧の大空。
そう、世界には色があったのだ。
「ルーベン」という名前は、かつては単なるコードネームだった。親が子に願う名前は、食霊である彼とは何の関係もないし、何の意味もなかった。
しかし、今日、その名はデビルドエッグが悪戯をする上で越えなければいけない山で、クリームチキンが頼りにしている策士で、パンドーロが愛し大切にしている兄で、ヴィーナー・シュニッツェルが尊敬し信頼している主人で、レイチェルサンドが最も仲の良い姉弟だった。
そして、トマホークステーキの執着で最も深い傷で、トフィープディングが救済したい幸せになって欲しい弟だった。
「スペクター」全ての意味を与えてくれたのだ。
彼は愚かだった、自身が「スペクター」の全てを知っていると思っていた。トマホークステーキの意味がわからない保護欲は、魔導学院が設定した物に過ぎないと思っていた。
だが、契約にも縛られていないトマホークステーキが、どうしてそのようなものに支配されるのだろうか?
そして魔導学院の計画では、彼ら全員がトマホークステーキを頼るはずだった。だが彼自身は、トマホークステーキの保護を振り払い、逆に家族を守ろうとした。
彼は「スペクター」のために、不屈で聡明な食霊になる事を決意したのだ。
ハカールが目の前に罠を仕掛けてきても、臆する事はない。
彼は、相手が家族を救う手助けをしてくれるとは、決して思っていない。
彼はただ、この禁断の地を離れ、自ら家族を救う機会を求めていたのだ。
例え、契約の反動の痛みに耐えなくてはならないとしても、自分が消えてしまう日が訪れようとしても、二度と家族に会えないかもしれないとしても……
それでも彼は、賭けに出ることにした。
「あの薬は、痛みを感じなくなるだけだとわかっている……それでも、私には必要です。ウェルシュ、頼みます」
ルーベンサンドは、今唯一の味方を、藁をもすがるような目で見つめた。
ウェルシュラビットは少し緊張して頷くと、何度か深呼吸をしてからルーベンサンドの部屋を後にした。
「ハカール!ルーベンの薬が切れたって!」
「はいはい、ウサギちゃん、そんなに大きな声出さないで……これよ」
「えっ?なんで僕に渡すの?」
ウェルシュラビットは注射器を見て、呆けた。
「ワタクシは用事があるから、カレに注射をしてあげて」
「でも、僕は注射の打ち方なんて知らないよ。もし……」
「大丈夫よ、死んでも生き返らせる事ができるわ。安心なさい」
「なっ……」
バンッーー
ハカールは勢いよく閉じられたドアに目をやりながら、思わず額を押さえてため息をついた。
「今日はいつもと違うみたいだな。何か“良い事”があったか?」
手に持っていたティーカップを置くと、ラザニアはわざとらしく微笑みながら尋ねた。
「ええ、別に大したことじゃないわ。あのくだらない医師会の会合に出席して、昔の嫌な出来事を思い出しただけよ」
「過去?その場で復讐するタイプだと思っていたが」
「仕方ないわ、最後の敵が少し厄介なのよ」
「ほお?」
ハカールは床に置かれた新聞を手に取り、鋭い指先で見出しをなぞりながら、その笑みを一層冷たくした。
「国王陛下は精力的ね。医師会の定例会議を終えたばかりなのに、すぐに創世日の準備をされているわ」
「国王陛下?もしかして今回のターゲットは……」
「ええ、秘密兵器を手に入れたのよ……」
ハカールは冷たく笑った、そしてラザニアにウィンクをすると、次の瞬間、手に持っていた新聞が真紅の炎に包まれ燃え上がった。
「たかが食霊の王、どうって事ないわ」
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