フェタチーズ・エピソード
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フェタチーズのエピソード
天使のような可愛い外見を持つ男の子。辛い「実験」のせいで性格は臆病になったが、本質はとても良い子。しかしタイガーロールケーキの事になると、偏執的で狂った性格に豹変してしまう。タイガーロールケーキは初めて彼を守ってくれた人物。タイガーロールケーキにとても依存していて、強い独占欲を持つ。タイガーロールケーキの事になると「闇堕ち」してしまう。そしてこれを逆手にとってタイガーロールケーキを独占している。
Ⅰ.実験室
「実験体フェタチーズ、状態正常……身体機能良好……」
虚空からぼんやりとした声が途切れ途切れに聞こえて来る、何かが停滞を破ったようだ。
目を開けると、視界に入ったのは知らない部屋だ。
名も知らない機器に囲まれ、点滅しているランプはぼくをじっと見張っている目のように見えた。
冷たくて鼻につく金属臭と、消毒液の匂いが混ざり、鼻腔の中を暴れ回る。
喉の不快感を抑えて、再び顔を上げると、ガラス窓の後ろに白い幽霊のような誰かが立っているのが見えた。
頭の中をある意識が掠める、彼らがぼくをこの世界に連れてきて、断ち切れない契約を結んだんだと。
「契約って……何……」
ぼくはその意識を掴もうとして、無意識に声を発した。
「契約があると、無条件に彼らの指令に服従しなければならない。彼らに抗うと、この契約によって、貴方は自爆して最終的に死ぬことになる」
淡々とした声が耳元で響き、それから細い金色の誰かがぼくに向かってきた。
彼の翡翠のような瞳には小さな誰かが映っている。
乱れている巻き毛と縮こまっている体。
迷いと戸惑いの気持ちが心に溢れる。
だけどもっと多いのは、もう一つの不思議な気持ち。ぼくが知っている限り、それは恐怖というもののようだった。
「じゃあ……ぼくは何をすれば……」
「もちろん、この偉大な実験を終わらせ、より強い力を得る事だ。そうすることだけが人間、そしてティアラを守ることができる」
質問に答えたのはもう一人のメガネを掛けている男。
彼のまっすぐな視線に目を合わせる勇気がない。ぼくは視線を下げて、彼の服の光るバッジを見た。
金髪の男はこれ以上何も言わず、ただ静かに視線を寄越した。
彼の瞳は変わっていて神秘的で、ぼくを通して何かを探しているようだ。
ここにいる者の中で、唯一彼の気配だけは知っているような感じがした。
「注射を始める」
誰もぼくに質問させてはくれない。細長い針が突き刺さる。
痛みは前腕から伝わってきて、四肢と脳にまで広がっていく。
「ぐっ……!」
不思議な力がまるで蛇のように神経を伝い、耳元や頭頂部で絡み合って暴走している。
突然、何かに引き裂かれるように、この力は突き抜けていく。
「あぁ……!!!」
押し寄せてくる痛みは全てを覆い、ぼくは悲鳴を抑えられなくなった。
ガラスの壁に反射された光景で!自分の耳が変形しているのが見えた……
頭頂部に角が生え、それから少しづつ変形して、羊の角と化した……
ぼくの様子が……変わった……?
ぼくは何もわからない。ガラスの反対側の者たちも呆然とぼくを見ていた。
血液の中にぼくのものじゃない力が流れているようで、心臓の鼓動しか感じられない。
「フェタチーズ、改造実験初回、成功」
人の声が拡張器から聞こえてきた。
成功って、どういう意味……これが彼らが言っていた、より強い力なの……
じゃあぼくは……力になったの……?
「素晴らしい。お前は他の者より大人しいな。覚えておけ、ティアラ大陸を守るために、お前らを召喚してきた人間を守るために、誰かが犠牲になる必要がある」
「改造を経て、お前らが堕神程の強い力を身につけてこそ、それを全う出来る」
「当然、前にも言った通り、もしこういう改造を受けたくなければ……」
あのメガネを掛けている男の話は、突然止まった。
上のモニターはチラつきながら、次から次へと画面を映す。
同じ実験室の背景に、自分の力に呑み込まれ絶望して歪んでいるたくさんの顔が見えた。
彼らは奇妙な獣の角が生えているか、もしくはもう見るにも耐えない姿になっていた。
恐怖で背筋が凍る、ぼくはまるで寒い氷の中に身を置いているかのように感じた。
椅子の背もたれが唯一の熱源で、ぼくは体を縮こませた。
「あれが契約に抗おうとした後の暴走と滅びの結末だ。ちゃんと見たか?」
レンズの後ろから確認の視線を向けられる、答えは一つしか与えられていない事は明白だった。
ぼくは力強く頷き、震えている体を必死に抑える事しか出来なかった。
Ⅱ.研究所
その日から、ぼくは研究所のこの部屋で日々を送った。
ここに昼と夜の区別はなく、毎日出入りしている白衣の研究員しか見えないし、電子機器の退屈な「ピッー」という音しか聞こえない。
ぎっしりと並んだ機器は怪獣のように、ぼくを彼らの腕の中に閉じ込めている。
後から、自分は食霊だと言う事を知った。
ぼくらは人間には及ばない力を持っていて、外では堕神が蔓延っている。ぼくらはこの力に応じた責任を背負わなければならないと。
次の瞬間、体から伝わってきた痛みによって我に返る。
ぼくは目を閉じて、血液の中で走る力を抑えようとする。
「ピッーー」
周囲のモニターが急に消え、部屋は暗闇に陥った。
「うっ?!」
「シーッ」
知らない声に伴って、影の中から突然白い人影が出てきた。
「お前が例の羊か」
「きみは誰……無断で走り回っている事がバレたら……懲罰房に連れて行かれるよ……」
「そう、バレたくなかったら、大きな声を出すな」
「うっ……うん!」
彼の厳しい口調に、ぼくは言う通り口をしっかり抑えた。
「ハハッ、ヒツジちゃんはお利口だな」
「安心しろ。ジェノベーゼは俺に色々引っ掻き回して欲しいらしいんだ。だからバレても罰は受けないよ」
「手首の機器、壊してあげる……心配するな、こっそりいじるだけ。やつらにはバレない」
「楽になったか?」
彼は気楽そうに話しかけてきた。とても用意周到に見えた。
この時、縛られていた箇所が、徐々に緩んでいることに気がついた。霊力が漲り、強張った四肢の痛みも退いた。
「ありがとう……」
「俺はチェダーチーズ、また会えるかもしれないよー」
この白髪食霊が誰なのかは知らない。どうして助けてくれるのかもわからない……
その後どれだけ経っても食霊が懲罰房に閉じ込められたという話は聞いていない。
手首についている機器が動いていなくても、研究員の誰も気づかない。
それから彼に会えていないのは残念だけど、彼には本当に感謝している。
前より楽な日々がこのまま続いていくと思っていたけど、研究員はもう一度ぼくをあの実験椅子に連れていった。
以前よりもっと硬い鎖に、いつもより太い針を、ぼくがそれらを認識する前に、激しい痛みが先に神経を貫いて、電気のように血液の中で爆発した。
血液の中の力は何かを感じたのか、逆巻いて荒れ狂った。
全ての感覚は消えていき、果てしない暗闇に襲われ、とても暗い深遠に落ちていくようだ……
どれくらい経ったのだろう。緊急警報の音で意識が引き戻された。
ぼやけた視界の中に人影が見え、ぼくは無意識に体を縮める。
声を聞くと、それは研究員じゃなくて、虎の耳が生えている少年だと気づいた。
彼は慌ててドアに鍵を掛けて、ぼくを見て少しボーっとしていた。でもその目に驚き以外、他の感情は含まれていない。
「こっ、怖がらないで!」
彼は消毒液の匂いがする実験室を通り抜け、駆け寄ってくる。濁っている空気に特別な、これまで嗅いだことのない……
甘い香りを漂わせながら……
Ⅲ.堕化
ぼくはロリポップを撫でる。オレンジ色の包装紙は光のによってキラキラと輝いて、周囲とそぐわない宝石のように見えた。
「悲しい時に食べてて。あっ、もちろん、嬉しい時にも食べていいよ!いつでもいい!」
あの日聞いたタイガーロールケーキの言葉はまだ耳に残っている。
でもこんなに素敵で貴重な物は……大事に保存しないと……
手のひらが熱い、ぼくはそっと手を閉じた。
頭の中で不意にあの明朗で純真な顔が思い浮かび、胸の高鳴りが抑えきれない。
外からやってきた食霊だって彼は言ったけど、彼はチェダーチーズや研究員たちとは違う……
きっと綺麗なところで育ったから、あんなに生き生きとしているんだろう。
だからあの時、避けるべきだった体は動かなかった。思わずここの事を全て教えてしまった。
でも、ここの存在を知った後、再び来ようと思う者はいないだろう……
時計の針が何周も回る。期待と不安は段々と恐れと失望と化した。
カチャンッーー
ドアの鍵から変な音が聞こえてきて、見た事のある人影がさっと中へ飛び込んできた。
「はぁ、やっと忍び込めた……あはは、ごめん……つい力を入れすぎちゃったんだ……」
タイガーロールケーキは気まずそうに頭を掻いている、もふもふとした耳も動いていた。
驚いて、ぼくの頭は真っ白になった。呆気に取られて、緊張すべきか、喜ぶべきかわからなくなっている。
「——フェタ、何ボーっとしてんだ……そんな目で俺を見て。まさか俺のことを忘れちまったのか?」
「ううん……忘れていないよ……」
「なら良かった、これあげる……うあっ、クリームがぐちゃぐちゃになってる!」
タイガーロールケーキは慌ただしくカラフルなボックスを取り出した。この瞬間、ロリポップに似ている甘い匂いが鼻に入った。
羊を模った何かがぐにゃぐにゃになって、へたり込んでいるようだ。
目の前の彼は落ち込んで項垂れているけど、僕の心には柔らかなそよ風が吹き抜けたかのように、思わず口元が緩んだ。
「えっ、笑えるのか?!」
「笑う……?」
ぼくはまた呆然となった。
笑うって、こんな感じなのか……ぼくは何かわかったかもしれない……
その後、あのふわふわした甘い物がデザートと呼ばれていることを知った。
ぼくらはもっと仲良くなり、タイガーロールケーキは頻繁に来てくれるし、持ってくる物もどんどんおかしくなっていった。
ぼくはカラフルなキャンディをこっそりと隅に隠した。それを見れば、タイガーロールケーキの明るい笑顔が思い浮かぶような気がしたから。
でも、鼻の奥がツンとする。
彼は一番仲良い友達で、いつも力をくれる。
彼は危険を恐れず忍び込んできてくれるし、いつも軽やかな言葉で僕を慰め、そしてぼくを連れて実験室から抜け出そうと決心をしてくれた。だけど、ぼくはいつ彼を傷つけてしまうかわからない、足手まといになるだけの存在……
胸騒ぎがする。脈も激しくなっている。突然、渾沌たる戯言が頭の奥で響き始めた。
彼の笑顔を守りたい。
彼を傷つける物事は一切許さない。彼を誰も知らないところに隠して、永遠に守りたい……
もしかして、人間の言った通り、そうする事で本当の意味で彼を守れるんじゃ……
白いランプがついて、部屋の全てを冷たく見下ろした。
また一本の薬剤が体の中に注射された。まるで体中に熱い炎が流れ、体の中の謎の力と融合しているようだ。
何かがますます膨らんできて、心臓まで潰れそうになっている。
「痛い……」
ぼくは腕を思いっきり掴んで、口の中でねっとりとした何かが広がるのを感じた瞬間、ぼくの霊力はいきなり暴走して溢れ出した。
監視カメラから聞こえてくる電子音は乱れ、研究員たちの声が途切れ途切れに耳に入った。
「……実験体は超負荷と反抗兆候が出ている……中止するか?」
「中止してはダメだ。あと少しで堕化実験が完成する!薬剤の量を増やせ!」
血肉がもう一度刺され、冷たい針は骨の中にまで刺さるかのようだった。
灼熱感はより強くなり、この時、ぼくは体の束縛を全て破壊したくなった。
「あああ……ここから……出して……!!!」
「出せ?ハッ、もしあのタイガーロールケーキの命が惜しいなら、大人しく実験を受け入れろ」
「タイガー……?!」
「ふふっ、お前らの小細工程度で、実験室の監視を掻い潜れると本気で思っているのか?」
「甘いな。お前らに利用価値がなければここまで生かすかよ」
「……」
「お前が反抗すれば契約の力に呑み込まれるだけでなく……」
「……タイガーロールケーキに自分の暴走した姿を見られたくないだろう?」
一言一句が耳元で大きく響く、心はまるで嵐が巻き起こっているかのように荒れている。
タイガーは……堕神が一番嫌いだって……
絶対に彼にこんな姿を見られてはいけない……
より強くならないと……彼を守れない……
この瞬間浮かんだ考えは、天地を覆い隠すような勢いで押し寄せてきた。引き裂かれるような痛みはもう感じられない。
そうだ、彼を失いたくない。
実験室の嫌な匂いを追い出してくれるあの甘い香りは……
この暗い場所を照らしてくれた太陽の光のような鮮やかな色は……
ぼくがちゃんと守らないと、ぼくは……
永遠に彼にそばにいて欲しい。
Ⅳ.終結
濃い暗闇は果てしない深淵のように視界の外へと伸びていく大地の罅には渾沌と深紅が流れている。
突き当たりには、小さな人影が黒霧に包まれて、顔はぼやけて見えない。
「彼らを殺せば、きみは実験室から逃げ出せる」
聞き覚えのない冷たい声が響く。
「なに……」
「全てを滅ぼせば、誰ももうタイガーを傷つけられない。きみは、永遠に彼を守れる」
「タイガー……違う……きみは誰……」
「ぼく……?あはははっ……ぼくはきみ自身だ!!!」
「?!」
甲高いけど今にも嗄れそうな声が狂風に乗って耳に入ってきた。血色はあの歪んだ顔を照らす、自分とそっくりな顔が見えた……
彼は凄まじい笑みを浮かべ、汚れに塗れた目はぼくをじっと見つめている。
この瞬間、息苦しさが内臓まで伝わった。
ぼくは後退りしようとしたが、地面はいきなり崩れてしまう。
「フェタ!気をつけろ!」
聞き覚えのある呼び声は空を引き裂いて届いた。眩暈の後、温もりを強く感じた。
我に返ると、背中にはタイガーロールケーキがくっついていた。舞い上がる砕石は彼によって遮られている。
「タイガー……!」
心臓が激しく鼓動する。ぼくは無意識に彼の手を握って、やっと落ち着くことができた。
「無事で良かった。実験室は爆破されたけど、ここはまだ安全じゃない。離れずついてきて!」
実験室は……爆破された?
彼の言葉を聞いて、ぼくはあたりを見回した。視界に入ったのは廃墟だけが残っていて、壊れた機器の破片や倒れた壁ばかりだ。
視線の先にチェダーチーズがいた。頭があるはずの場所……そこには鮮血に濡れ、欠けた丸い何かが残っている……
鼓動は再び激しくなった。この前、チェダーチーズが言っていた言葉が浮かぶ……
「ヒツジちゃん、実験室を抜け出す方法は、もうわかっている」
「実験室を……抜け出す?!」
「その時、ちゃんと逃げ出す事を忘れるなよ。それに……」
「ジェノベーゼは殺すな、あいつはまた役に立つから……」
これが彼の言っていた方法……?
頭の整理はまだ出来ていないのに、腕をギュッと引っ張られた。
「研究員が攻撃してくる!早く逃げよう!絶対に君を連れ出してやるから!」
周囲はボロボロになっているが、彼の目つきはいつもと変わらず揺るぎなく明るい。
ぼくは彼の手を握り返して、大きく頷いた。
実験室の籠を破れば、タイガーロールケーキの言ったように希望がやってくるとぼくは思っていた。
しかし……実験室との契約に逆らう事で生まれる力は、ぼくの想像を遥かに超えていた……
脱出し始めてからどれくらいの時間が経ったのだろう。痛覚はもうなくなってきていて、頭の中でガンガンする音しか聞こえない。
あの力はまだ落ち着く様子もなく体内を駆け巡る。ぼくは唇を噛み締めて、できるだけそれを一番奥に抑えようとした。
手を強く握り締める。唯一その温度から真実と安心が感じられた。
「タイガー……」
「もう少しで、成功するぞ……!」
ぼくらは足を引きずって遠くへ向かっていく。この時、強烈な血の匂いを感じた。
胸に不安が沸き上がり、ぼくはタイガーロールケーキの手首を握り締める——
手首、腕だけじゃない、全身がボロボロで傷だらけだ。
ぼんやりとした月明かりを頼りに、ぼくはようやく彼の疲れきっている蒼白な顔が見えた。
大きな釘でその場に縫い付けられたかのように、ぼくは固まってしまった。
タイガーは、ぼくのために……こんなにひどい傷を……
一緒に逃げ出そうと約束したのに……
「あいつらのせいで、君はここに閉じ込められている。君は俺と同じで、太陽の光を浴びながら、自由な生活を送るべきだ。だから、絶対に君を連れて実験室から逃げ出してやるからな!」
「もちろん俺らは友達だから、君に美味しいお店を案内したいし、面白いところへたくさん連れていきたい!」
タイガーロールケーキの情熱に満ちた笑顔が目の前に現れて、ぼくが手を伸ばすと、画面はパッと割れた。
「ドンーー!!」後ろの実験室の攻撃はまだ続いていて、轟音は夜空に響き渡る。
瞬く間に、血液に強烈な欲望が混じり、噴き出しそうになった。
「殺せ!あいつらを殺せ!!あいつらはぼくの全てを壊したんだ!!!」
「タイガーを傷つける者は、全員死ね!!!」
視界がもう一度黒霧に覆われた。ぼくは再びあの不気味な深淵を見た。
ぶつぶつと囁いている声が付き纏う。膨大な力がぼくを貫いて、ぼくを作り直そうとしている。
「ははははっ——あいつらを殺せ!かつて与えられた痛みを全部返してやるんだ!!!」
尽きない殺戮の欲は炎のように燃え上がって、深紅の血の色だけが、それを緩めることができる。
目の前の画面はぼやけた欠片となり、断片的な音と共に未知の彼方へと消える……
Ⅴ.フェタチーズ
温かい陽射しは葉っぱを通り、小屋のドアの前に降り注ぐ、細密な影が広がる。
タイガーロールケーキは部屋の中を見回し、白い姿がいないのを確認してから息をつき、もふもふもとした大きなしっぽを揺らした。
彼は急いでフェタチーズのそばに行き、神妙な顔で精巧なボックスを取り出した。
「これは午前中並んで買ったデザートだ。チェダーのやつがいないうちに早く食べて!彼に見られたらまた奪われるから!」
タイガーロールケーキが真面目に怒っている顔はボックスの中にある丸いクリーム団子とそっくりで、フェタチーズはつい笑ってしまった。
「大丈夫だよ、チェダーは出かけたみたいだし……一緒に食べよ」
「……コホンッ、ダメだ!おひとり様一点しか買えなかったんだ。君の体はまだ回復していないから、君が全部食べて」
「でも……この間買ったのがまだ残っているよ」
「コホンッ、甘い物を食べると気分良くなるし体にも良い」
「ぼくは大丈夫だよ……鎮静剤を打って、だいぶ良くなってきたから……」
フェタチーズの話が終わると、タイガーロールケーキの表情は沈んだ。
「あのジェノベーゼって食霊は危険だ。しかもあいつこそがあのクソ実験の提案者らしいな。あいつに頼らなくても、絶対君の堕化を食い止める方法を見つけてやるって言っただろう!」
「うん、わかっているよ……ありがとうタイガー!でも……ぼくらはまだ実験室を破壊した容疑者リストに載っていて、魔導学院に追いかけられているし……」
しばらくの沈黙の後、フェタチーズの思考が飛んだ。
あの日から何日も経っているが、自分たちがどうやって逃げ出して、海上を漂流することになったのかははっきりと覚えていない。
ただ目覚めた時、タイガーロールケーキが無事で自分のそばにいたことだけは覚えている。
彼にとっては、これだけで十分だった。
フェタチーズの顔が白くなっているのに気付いたのか、タイガーロールケーキは軽く咳をして、彼の肩を叩いた。
「今カイザーシュマーレンについてあちこちを回っているし、あいつらはそう簡単に俺らを見つけることは出来ない。それに、俺が守ってやるよ。あいつらとまた戦っても構わない」
「あれ、誰か戻ってきた」
タイガーロールケーキはまだ腕を回しているが、部屋の外に次々と人影が現れた。
黒い髪を結っている男は余裕ある足取りをしている。その後ろには、綺麗な顔つきをした、馬の耳と足が生えている長髪の男がいた。
「きみの体……あっ、ごめんなさい……別にそういう意味じゃ……!」
フェタチーズの声を聞いて、その者は視線を避けるかのようにマントの前を締めた。
「大丈夫……私はバニラマフィン……」
彼が話終わるとすぐに、ドアは勢いよく蹴り飛ばされた。
ゆらゆらと揺れているチェダーチーズの姿が皆の前に現れたのだ。
「ああー腹減ったー!腹減ったー!」
「うん?デザートの匂いがするー!」
白い影は突如素早く動き、タイガーロールケーキが気づいた時には、手に持っているデザートはもうなくなっていた。
「あぁ……普通だな……美味しくない!」
「あああああ、チェダー!それは3時間並んでやっと買えた限定デザートだぞ!早く吐き出せー!」
「タイガー、気をつけて……!」
フェタチーズはムキになっているタイガーロールケーキを止めようとした。チェダーチーズはデザートをそのまま呑み込み、彼のことを相手にすることはなかった。
彼が満足して顔を上げた時、やっと隅で縮こまっている者に気づいた。
目を合わせた時、彼は驚き喜んで、飛びかかっていった。そして口元についているクリームを闇雲に相手の頬にこすりつける。
「ウマちゃん!お前が!あはははっ!久しぶり!」
「うぅ……!チェダー……だからその名前はやめて……」
「チェダー!俺のデザートを返して!!!」
あたりは混乱していて、フェタチーズはまだ状況を把握できずにいた。カイザーシュマーレンだけは慣れた顔をしている。
多分……これからもこのように騒がしい生活を送っていくのだろう。しかし……
彼は振り向いた。そばにいるタイガーロールケーキは明るい笑顔を浮かべている。それは全ての雲を払う太陽のようだ。
でもみんなが……タイガーがいれば……それでいい。
心にあたたかな気持ちが湧き上がり、彼は無言のまま微笑んだ。
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