SPムースケーキ・エピソード
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SPムースケーキのエピソード
幻楽歌劇団の団長。かつては強い貴族食霊であった彼は、不幸にも禁断の儀式に巻き込まれ、多くの霊力を失った結果取り返しのつかないダメージを受け、精霊樹の種に命でしか生命維持をできなくなった。歌劇団のある危機に、彼は内なる強い願いと仲間を死守する信念から霊力が爆発し、一時的に元の姿に戻り、歌劇団の危機を救った。
Ⅰ
食霊大会
ミドガル大劇場
高くて華やかな天井、舞台の両側に金の糸が入れたベルベットのオペラカーテンがぶら下がっている。ガラスのシャンデリアは舞台に儚い光を差し込む。
舞台の真ん中に、背が高くて細い長髪の青年が豪奢なステージ衣装を身に纏い、ピアノを演奏している。綺麗な音が月光のようなしとやかな足取りで、星々の夢路を紡ぐ。
青年が目を閉じて、遠い昔の唄を口ずさむ。いままで重ねてきた練習と努力のおかげで、彼はすべての音符とリズムを自由に操って、完璧な旋律を演奏できる。
一曲終了、観客たちは音楽の余韻に浸りながら、雷鳴のような拍手を送った。
観客A:なんと素晴らしい!これがあのいつも優勝するムースケーキか、すごいな!
観客B:さすがは姫様が直々に育てた食霊だ!サインを貰えないかな。
観客C:今年の食霊大会の優勝者も、彼になるだろうな。
熱い議論を交わす観客たちが騒ぐ。白髪の青年は観客たちに一礼して、舞台から降りると、ほっとため息をついた。
姫:よくできたわね、ムースケーキ。
聞き慣れた声が聞こえて、豪華なドレスを身に纏う一人の華奢な女が現れた。化粧を施したが、その顔色はやはり青白い。
ムースケーキ:殿下……!ここにいらっしゃったのですか……申し訳ありません。控え室を用意しておきべきでした。
姫:いいのよ、気にしなくても。あなたが優勝する姿を、この目で見てみたかったの。
ムースケーキ:お褒めに預かり光栄です。この勝利の栄光は、間違いなく殿下のものでございます。
ムースケーキがいつもの通り、礼儀正しく一礼をした。その時、舞台から朗らかな声が聞こえた――
パエリア:皆さん、こんにちは!あたしはパエリア!こっちはあたしの相棒のシフォンケーキ!特別なダンスを披露させていただきます!
シフォンケーキ:これがパエリア自作のダンスだぜ!皆さん、ぜひパエリアを応援してください!
ムースケーキが舞台に目を向けると、二人の見知らぬ食霊だった。赤いドレスを着た元気な女性と、にっこりと笑っている髪色が浅い燕尾服の男性。
ムースケーキ:(新しい選手か……強そうですね……)
ムースケーキが考えながら、無言のまま舞台から目を戻す。姫と一緒にここを去ろうとするときに、ユニークで明るい旋律が聞こえた。
ムースケーキ:(宮廷舞曲……?いや、違うか……)
ムースケーキ:(この曲は……編曲されたものだ……)
聞いたことがない旋律に惹かれ、彼が立ち留まり、振り返ると、舞台のスポットライトを浴び、リズムに乗って踊る二人がいた。
女の方が両足でターンして、赤いドレスが鮮烈な炎のように舞い、美しいバラのように咲き乱れた。
観客席から感嘆と驚きの声が上がった。曲は盛り上がり、ダンスがますます自由に、情熱が溢れるようになる。
アコーディオンの音が激しくなり、伝統音楽とまったく違う演奏になっていく。艶々しいダンサーと明るいアコーディオン奏者、まるで炎と太陽のように、彼らの情熱を劇場の隅々まで伝えていく。
ムースケーキ:(こういう演出もあるんだ……素敵だな……)
曲はまだ続いてるが、ムースケーキは自分の胸の高鳴りしか聞こえない。感動で涙が出そうだ。しかし次の瞬間、姫の冷たい言葉が彼に水を差した。
姫:曲もダンスもめちゃくちゃじゃない……まったくふざけているわ……
ムースケーキ:あのね……
ムースケーキ:(いいえ……殿下の言う通りだ。こんな大胆な演出は、食霊大会の伝統に反している。)
ムースケーキ:(でもどうして……彼らの演出に拍手を送りたいと思っただろう……)
戸惑いを感じるムースケーキがお辞儀をするあの二人の選手を眺めて、動揺を禁じ得ない。
案の定、優勝はほぼ完璧な演奏を披露したムースケーキだった。姫が満足な笑顔で優勝の儀式を見守ってくれたが、ムースケーキのいつもより暗い目に気が付くことはない。
夜
ムースケーキの部屋
高い宝石が嵌めた優勝者の冠が綺麗に掃除された棚に置かれた。明かりが灯る静かな夜だったが、横になってる青年はどうしても寝付けない。
昼に聞いたあの旋律は彼に鮮烈な印象を残して、脳に焼き付いている。
完璧ではないが優秀な演出。貴方も彼らに拍手を送りたかった、違いますか?
ムースケーキ:誰……!?
茨と糸を切らないと、生まれ変われないですよ。
心の底に、誰かの囁きが聞こえる。呆然と誰もいない部屋を見回しながら、ムースケーキは急に自分が自分でなくなった感じがする。
ムースケーキ:なんだか、変です……僕は……いったい?
Ⅱ
春の巡演の前
お城の書斎
書斎の前に食霊が集まって、複雑な顔で、小さな隙間から書斎にいる男の子の姿を望む。
シフォンケーキ:団長は……ここに引き籠ってもうずいぶんだぜ……いったいどうすればいいんだ……!
ヌガー:そうですよ、大好物のケーキも食べないなんて……
ブルーチーズ:うん……最高の脚本を書くためとはいえ、団長は大変ですね。
オペラ:疲労が溜まると、創作によくない……
パエリア:でもうちの脚本はまだまだたくさんあるでしょ、なんなら、演目を変えてもいいじゃない……うっ!
シフォンケーキ:しーっ!その話、団長に聞かれたらまずいぞ!この脚本のために、団長は一生懸命に頑張ったんだ。今回は公爵様に誘われて行う公演だからな。
ヌガー:そういえば、最近、団長がよく公爵様のところに行くようです。公爵様のお話を伺いたいとか。
ブルーチーズ:インスピレーションとうまい物がたくさんもらったって団長から聞きましたよ。ディルリキ公爵は博識で親切な人ですね。
シフォンケーキ:団長がそんなに頑張ってるなら、俺も頑張らないと!最高のステージを観客たちに届けようぜ!
ブルーチーズ:ふふっ、じゃ、一緒に稽古場に行って練習しましょう。団長の創作には静かな空間が必要です。
ドアが軽く閉じられて、広い書斎が静まり返った。数時間後、自分の世界にいたムースケーキははっと気がつく。床を優しい月明かりが照らし、すでに夜だった。
ムースケーキ:うわぁ……もうこんな時間!でも最後の仕上げはまだ……なにか足りないような……
「コンコン――」と、ノックの音が聞こえる。くらっとする頭を軽く振って、ムースケーキが来客に目をやる。そこに立っているのは、スーツ姿で微笑んでいるディルリキ公爵だった。
ディルリキ公爵:ムースケーキ団長、お邪魔してすまないね。まだここにいるとブルーチーズさんから聞いたので、差し入れを持って来たのだ。
ディルリキ公爵:団長と歌劇団のみんなは公演のために、真面目にやってるんだね。さすがは有名な幻想歌劇団。
ムースケーキ:へへっ……そうだ、お礼はまだでしたね。書斎を貸してくれて本当にありがとう!
ディルリキ公爵:ふふっ、皆さんは私の大事なお客さまだ。歌劇団の力になれて、とても光栄だよ。
男の子が満面の笑みを浮かべて、ふと少年が書いている脚本のページを見ると、残念そうにこう言った。
ディルリキ公爵:大したおもてなしもできずに、本当に申し訳ない。
ムースケーキ:えっ?そんなことないですよ。ケーキも美味しいし、公爵さんから面白い話をたくさん聞けました。
ムースケーキ:前のあの精霊の話は、ブルーチーズに促されて、最後まで聞けずに寝室に帰ったけど……
ディルリキ公爵:ふふっ、ブルーチーズさんはあなたを心配しているからね。でもその話のことだったら、ぜひ一緒に行ってほしい場所があるんだ。
ディルリキ公爵:ムースケーキ団長、どうかね?ちょっと遅いけど、みんなに黙っておけば問題ないだろう。
夜
鐘塔小屋
他の豪華な部屋に比べて、この部屋は極めて素朴で、中央に一つの時計を置いているだけだった。時計がチクタクと進んで、その音が部屋に響く。
ムースケーキ:うっ……面白い場所ってここ?時計しかないのに……
ディルリキ公爵:時計の音を聞くと、落ち着くらしい。ムースケーキ団長、すこし落ち着いたかい?
チクタク……チクタク……
ムースケーキ:うっ……確かに落ち着くけど……でも……なんだか……眠い……
ディルリキ公爵:そう……よりよい創作するためには、ちゃんと休まないといけないからね。
チクタク……チクタク……
ムースケーキ:でも……頭が……くらくらする……
ディルリキ公爵:大丈夫、ムースケーキ団長。目をつぶって、お休み。永遠に……目覚めないように……
男が最後の言葉を口に出して、地面に倒れていく少年を見つめる。優しい笑顔は欠片もなく消えていった。
「ゴーン――」時計の長針と短針が重なって、真夜中を示す鐘の音が響く。墨のような真っ黒な夜闇が一層深まっていく。
ディルリキ公爵:あなたの指示通りに……この子をここに連れてきた。これで、私の任務が終わっただろう!や、約束だ!任務を果たせば、私を見逃してくれると……うっ!うわぁぁぁ――
男は誰もいない部屋で、緊張をはらんだ声で独り言を続ける。しかし言い終わらないうちに、誰からが首を絞められたかのように、男が息苦しそうに目を丸くして、悲鳴を上げた。
??:くくく――人間も食霊と同じ、愚かだな。この権力、この富、どうやって手に入れたのか、忘れたか?あの力を取り戻す前に、お前の体をいただく――
Ⅲ
午後
宴会ホール
ヌガー:ふう――疲れますね……
若いデザイナーさんにとって、こんな盛大な舞踏会は久しぶりだ。彼女はめまいを感じて、外の空気を吸うために踵を返したが、片隅のある姿に目を引かれた――
人々が音楽に乗って踊っているのに、あの顔立ちが整っていて美しい青年は独りぼっちだ。水晶のシャンデリアの光に照らされて、彼のまつ毛も、髪も、服も、まるでショーウィンドウの人形のように美しい。
ヌガー:素敵です。まるで……新しい服の試着に使われるマネキンみたい……
貴族A:ふふっ、あれは今年の食霊大会の優勝者だ。ほとんど顔を出さない殿下も直々に今年の儀式を見に行ったのよ……
貴族B:もちろんだ。ムースケーキは殿下の自慢の食霊だもんね!
ヌガー:彼があの優勝者だったのですか。でも、なんか浮かない顔ですね。
貴族C:姫様の要求が厳しいからじゃない?……でも生贄にされるより、こうして苦労した方がいい。
ヌガー:えっ?あれ……蕎麦!どこに向かっているの……!(※誤植)
貴族A:知らないのか?ムースケーキはね、姫様の病気を治すために召喚されたんだ。殿下は彼の一命を取り留めてあげたけど。ムースケーキが連続優勝を勝ち取ったから、誰も殿下バカにできなくなった。でないと、あの姫様の容態じゃ……
貴族B:しーっ!そんな話、誰かに聞かれたらまずいって!
貴族令嬢たちが慌ててデザイナーを連れてどこかに行った。片隅に座っている青年は彼女たちの会話を気にもせず、ずっと目の前のアンティーク陳列棚を見つめている。
陳列棚の中に、一本の古いバイオリンが置いてある。使い古されたが、精巧さと優雅さは昔のままだ。右側の金属札に、「コレクター・ローク」という文字が彫られている。
青年がジーっとバイオリンの弦を見つめる。一瞬で何か思い出したようで、彼が顔をあげて周りを見渡したが、あの二人は期待していた通りに現れなかった。彼は自分の失望を隠せなかった。
ムースケーキ:(あの二人は……来ていない……)
ムースケーキ:(僕はいったい……なにを期待していんる……)
??:どうも、このバイオリンがお好きですか?
ムースケーキ:……!!
優しい声で聞かれて、ムースケーキが我に返った。振り返ってみると、そこには羽根帽子を被って、水色のマントを羽織る長髪の青年が立っていた。メガネ越しに、サファイアを思わせる優しい瞳が見える。
ムースケーキ:いえ……ちょっと見てるだけです……
??:これは僕の親友が使っていたバイオリンです。でもここに来るほとんどの人は、このバイオリン二興味がないようです。きっと古すぎるからでしょう。
ムースケーキ:でもこの弦はよく手入れされています……きっと大切にされているでしょう。このバイオリンなら、きっと素敵な音が出せます。
??:お褒め頂きありがとうございます。君もきっと優秀な奏者でしょう。
ムースケーキ:わたしは……
ムースケーキはバイオリンから目を逸らして、あの日の素敵な演出が頭に浮かんだ。とっくに終了した演目なのに、いつまでも燃えている炎のように、彼の心をくすぐる。
でも彼は分かっている。あれが自分にはできない自由な旋律と踊りだ。
ローク:なにかお悩みでも……?僕はヴァイオリニストで、ロークと申します。よろしければ、一曲を演奏させていただきましょう……
姫:……ムースケーキ、どうしてまだここにいるの。
冷たい掠れ声が二人の対話を遮った。長髪の青年が丁寧に口を噤んだが、ムースケーキがすこし震えたのを認めた。
ムースケーキ:すみません、殿下……馬術の授業時間を忘れていました……
姫:それに言ったわよね。知らない人と離さないでと。
ムースケーキ:申し訳ございません……
姫:……今夜、鐘塔に来て。話があるから。
夜
鐘塔
重い夜風に吹かれて、巨大なガラス製の時計が光を放ち、よ闇に浮かぶ。お城の明かりと騒ぎ声が遠く隔たっている。聞こえるのは単調で冷たい時計の音だけ。
ムースケーキが鐘塔の台を仰ぐ。いつの間にか、なにか複雑な模様を描くよう、そこに大量な白い蝋燭が灯っている。
姫:ここを覚えている?ムースケーキ。
ムースケーキ:殿下、もちろん覚えています……ここは……貴方に救われた場所です。
ムースケーキ:(僕の……祭壇でもある。)
生まれつき体が弱い王室の姫様が、生贄だった卑しい食霊を助けて、食料と知識を与えて、貴族のように接してくれた。
すべての贈り物がそれ相応の代価がある。殿下の命令に従い、完璧な食霊になるために血の滲むような努力が必要だとしても、彼に不満はない。
彼は自分に、頑丈な「恩返し」の枷をかけた。
姫:いいわ……とてもいい……
姫はやせこけた顔に不気味な笑みを浮かべた。彼女が手を伸ばしてムースケーキの頬を撫でる。その指先がとても冷たくて、ムースケーキが身が硬直する。
姫:いまのあなたは、このミドガルで最も完璧な食霊よ……あなたに勝るものなど、どこにもいないわ……でもね……
姫:私がいないときに……あなたはなぜか変な人から悪い影響を受けてしまうようね……
姫:だからね……新しい術式ができたのよ。これをかけたら……私以外の人に影響されることがないわ……どう?
女が低くて掠れた声で声で言いながら、ムースケーキの柔らかい髪を撫でる。彼女の目に、重い愛欲が溢れている。
彼は断らないと、彼女が知っている。自分は断れないと、彼が知っている。
ダダダ――女が足を早めて、ふふふと笑いながら、儀式を急ぐ。
夜空を輝く星々が消えていく。ムースケーキは急に手足に力が入らなくなって、時間の流れも遅くなった感じがする。彼は反抗する術もなく、姫に蝋燭の中央につれられていく。
い……行くな!
またどこかから聞き慣れた声が聞こえて、彼が我に返った。
台の上で揺れる蝋燭の火が、まるで青白い無数の手のように、彼に向かって伸びてくる。背筋が凍る恐怖を感じて、ムースケーキが思わず足を止めた。
姫:……どうして泊まったの?嫌なの?ムースケーキ。
ムースケーキ:僕は……
行くな!
ムースケーキ:うっ……!
急に首に痛みを感じ、ムースケーキの動きが止まった。すると、遠くから綺麗なバイオリンの音が伝えてきた。
ムースケーキ:バイオリンの音……?
Ⅳ
ムースケーキ:どうしてここに……バイオリンの音なんか……
薄れゆく意識の中で、バイオリンの音はますますはっきりと聞こえてくる。綺麗な音符が万物を潤す恵みの雨のように、ムースケーキの首の痛みを和らげてくれる。
姫:――何者だ!?
音がする方向に目を向けると、ガラスの時計の向こう側の塔に、一人の羽根帽子を被る背が高い青年が立っている。彼は片手にバイオリンを持ち、水色のマントが夜風に靡く。
ムースケーキ:ロークさん……!
ブルーチーズ:いいえ、僕のことをブルーチーズと呼ぶべきですよ。団長さん。
ムースケーキ:団長……さん?
聞き慣れた呼び方を繰り返すと、もっと他の声が脳内に浮かんだ。
団長!
団長。
団長ちゃん~
ムースケーキ:これは一体……
さまざまな声がひっきりなしに脳内で響き、胸が張り裂けそうだ。でも一つの細い手が彼の腕をしっかりと掴んだ。
姫:ムースケーキ……!儀式が始まるわ……
ブルーチーズ:団長、行っちゃだめです!
男の叫び声が夜風に吹かれて、聞き取れない。青年の澄んだ瞳がまた茫然の色に染まる。
弧状の首の傷跡が白い光を放ち、きりっとした痛みと共に、混乱した記憶が呼び覚まされる。
ムースケーキ:うっ……殿下……申し訳ありません……僕は……
姫:また影響されたわね……この得体の知れない者どものために、私を裏切るつもり?
ムースケーキ:いいえ、僕はただ、知りたいんです……
ムースケーキ:自分はいったい……何者なのかを……
姫:あなたは私の食霊、あなたの命は私のものよ!私のためなら、なんでもすると言ったわよね!
姫が声を上げて、怒りに痩せた顔を歪める。
チクタク、チクタク……
早くなった鐘音が上から伝わってくる。同じ言葉がムースケーキの脳内に響いて、他の全てを呑み込む……
あなたの命は私のものよ。この王宮で生きたければ、私の命令に従いなさい。
卑しい庶民と話さないで!私の指示に従いなさい!この王宮の最も完璧な食霊に育ててあげるわ。
ムースケーキ:僕は……殿下の食霊です……殿下の命令に背くことができません……
いやだ……人形になりたくない!
ムースケーキ:うっ……!頭が痛い……!
ゴーン――チクタク、チクタク、チクタク!
ガラスの時計がゴーンと音を立てて、針がより早く進み始めた。青白い炎が燃え、台に書かれた不気味な法陣を灯す。
姫:ふふっ……あんなに待たせて、今日の儀式は、なにがなんでも最後まで行って見せるわ!
突然、体から制御できない強大な力が湧き、その力に操られて、ムースケーキは抗うことがなく、法陣の真ん中に飛ばされていく。
姫が甲高く笑い、ドレスが風に靡く。彼女の顔が不気味な黒霧に覆われて、狂気に染まっていく。あれはもはや、ムースケーキが知ってる姫ではない。
ムースケーキ:殿下……一体なにをなさるつもりですか?
姫:なにをって?はははっ――もちろん、私の力を取り戻すつもりよ!!
法陣から捻れた蔦が生み出されて、ムースケーキの手足を縛り付ける。塔から誰かの呼ぶ声が聞こえたが、透明な障壁でも遮られたように、よく聞き取れない。
傷跡の痛みが増し、未知の力が潮のように体内で騒ぐ。頭の中に、自分の声が何度も繰り返される――
僕の命は姫様のものだ。彼女に逆らう資格など、僕にはない。
殿下の命令に従えばいい。これは僕の運命なんだ。
優秀な食霊なら、雑念を捨てるべきだ。やるべきことをやればいい。
冷たい言葉が、彼の心臓を貫く。しかし次の瞬間、心の底から暖かいなにかを思い出して、小さな声が聞こえる――
ムースケーキ:でも……
ムースケーキ:僕はどうして……消える前に……あの情熱か溢れる演目をもう一度見たいと思ってるだろう……
最初から分かっていたんだ。自分は生贄になる運命だと。でも死など怖くない。姫様の命令なら、彼はいつでも喜んで自分の命を捧げるだろう。
でもやはり怖い。あの自由な曲を聞く勇気を失うことが。
ムースケーキ:……!!!
急に、油のような濃く重い闇を払い、純粋で熱い音楽が聞こえた。ムースケーキが頑張って目を開けると、あの塔に立っている男がもう一度バイオリンを奏でる姿がぼんやりと見える。
とても綺麗な曲だ。バイオリンの音に合わせるように、なにか長い話を物語っているように、どこからかアコーディオンと歌声が聞こえる。
ブルーチーズ:団長、どうか、思い出してください……
ブルーチーズ:みんな、待っていますから。
バイオリンの音を通じ、彼の思いが伝わる。万華鏡を覗くように、過去の記憶が次から次へとムースケーキの目の前に現れる――仲間たちと共に舞台に立って、スポットライトを浴びる子供の自分。世界各地で巡演する自分。ケーキを盗み食いしたことがバレてしまった時の自分。
王宮の外で飛ぶ鳥を眺める時に、情熱が溢れる踊りを見る時に、心の底から自由への憧れが湧いてくる青年の自分。
すると、彼はようやく自分の存在、そして仲間たちの存在がはっきりと見えた。
ムースケーキ:僕は……思い出しました……
Ⅴ
ムースケーキ:僕は……思い出しました……
心の中の蟠りが消えたようで、青年が混沌から意識を取り戻した。不気味な鐘塔と法陣が崩れて、ガラスとロウソクも徐々に消え去った――
全てが消えると、もう一度光が見えた。すると、目に映ったのは全く見知らぬ鐘塔と、子供の姿になった自分だ。
ムースケーキ:ここは……!
シフォンケーキ:団長!目が覚めて本当によかったぜ!!
ブルーチーズ:よかったです……音楽は本当に効いたみたいです。大丈夫ですよ、団長、悪い夢を見ただけです。
ヌガー:あの公爵、よくも私たちの団長をこんなところに!早く見つけることができて本当によかったです!
パエリア:いや、違う……団長を閉じ込める法陣はまだ完全に解かれていない!
誰かが心配そうに騒いでいる。目の前にいる見慣れた仲間たちの顔。自分の手足はまだ縛られていて、体の下の法陣は、夢の中のあれと同じものだった。
気を失う前のことを思い出した。まだ巡演の最中で、自分は公爵の誘われて、鐘塔に来たはずだが……
ムースケーキ:公爵は一体なにを……どうしてあんな夢を……
オペラ:……誰かが来た。
ムースケーキが完全に目が覚めてまだ数秒も経たないうちに、急に甲高い声が響く。
ディルリキ公爵:このっ……!食霊め、よくも私の幻境を壊してくれたな!!
こっちに歩いてくる者の顔がはっきりと見えた。公爵だった。あんなに親切だった公爵とはまるで別人で、角が生え、耳が長くなり、目も赤黒い。その狂気が溢れる笑顔だけが、夢の中の姫様とすこし似ている。
ムースケーキ:き、君は一体だれ!?
不完全な精霊:ふん、お前たちのような卑しい食霊と違って、私は高貴な精霊だ。精霊胞子はお前たちのような者に相応しくない。
ムースケーキ:胞子?
シフォンケーキ:胞子を狙ってるのか!渡すもんか!あれは団長の命に関わる大切なものだぞ!
シフォンケーキの話を聞いて、ムースケーキは驚きを隠せない。自分があの儀式から助かったことを知っているが、こんな方法だったとは。
ムースケーキ:この胞子のおかげで、ここまで生きてこられたのか……
不完全な精霊:精霊胞子さえあれば、私は元の力を取り戻せる。人間の弱い体に取り憑かなくても済む。
不完全な精霊:あんなに探して、このガキの体内に見つけたんのだ。ちょうどいい、一匹たりとも逃がさんぞ!
不完全な精霊:食霊の力も、いい養分となろう。くくくっ――!!
言い終わらないうちに、時計が鳴り、濃い黒煙が周りから蔓が延び、冷たくて薄暗い気配がみんなを襲う。
ブルーチーズ:気を付けて!
ヌガー:なんだか……頭が、くらくらします……
オペラ:……まずい……
パエリア:力が……入らない……
シフォンケーキ:くそっ、卑怯者!
ムースケーキ:この感じは……夢の中に引き込もうと……!
前と同じような眩暈がする。仲間たちを助けようと、ムースケーキが必死に立ち上がろうとしたが、法陣に縛られて指一本動かすことができない。同時に、首に激しい痛みを感じ、彼の意識を奪う……
……
茨に囲まれる深淵に落とされた感じがして、温度のない自分の声が聞こえる。
君は誰かの傀儡に過ぎない。それが君の運命なんだ。
雑念を捨てろ。そうしないと、生きていけない。
深淵の底に落ちていくと、赤い血の海が目に入った――そこには、茨に縛られている本当の自分の姿があった。
ムースケーキ:君は……あの精霊……
相手が虚ろな目で彼を見つめて、口元を歪める。
僕は君なんだ。
ムースケーキ:いや……違う!
心の奥からの声に怯えて退く。恐怖で背筋が凍るが、もう一度仲間たちの顔を思い出す――
今まで聞いたことがない曲を奏でてくれて、今まで登ったことがない自由の舞台に立たせてくれて……この身が子供になったとしても、童話のような花庭園で大切に守ってくれた。それは全部、彼の本当の記憶。
彼は暗闇の中で自分の命を絶とうとしたが、彼らがもう一度命の灯りをともしてくれた。
今の彼は、その灯りをともす側になりたい。
なにかが枷を破った。ムースケーキはようやく分かった気がする。かつて小さかった灯火が、いつの間にか、熱い炎になった。
彼は顔をあげて、茨に縛られる自分を見つめる。そして茨を斬り裂く勇敢な戦士のように、高く剣を掲げる。
ムースケーキ:違う。そんな生き方、全く意味がない!
ムースケーキ:今のムースは、幻楽歌劇団の団長だ。団長たるものは、皆を守るべきだ!
輝く光と共に、少年が冠を被る青年になった。今度こそ剣を手にし、全ての霧と茨を切り払って、昔の自分を縛る枷を斬り裂き、自分の力で仲間たちを守るのだ。
ムースケーキ:彼らを、絶対に傷つけさせない。
不完全な精霊:法陣が破壊された!?そんなばが……お、お前が精霊胞子の力を呼び覚ましたのか……あれは、私のものなのにいぃ――!!!
カン――
悲鳴が響き、そして消えた。時計から生み出された幻境も水晶のように崩れていき、気を失ったみんなも目覚める。そして真ん中に立つ青年に目を向ける。
整っている美しい顔と、なにかを決心したような澄んだ瞳だった。
彼らにとって、意外な展開ではない。ムースケーキの心の底の灯火は消えていないと、彼らは誰よりも知っているからだ――星々の旋律がもう一度奏られるときに、ムースケーキはきっと最も明るい星になると、彼らはそう信じている。
数日後・春の巡演
ナイフラスト大劇場
明るい春の日差し、風に靡く色とりどりのリボン、囀る小鳥と花の香り。この露天劇場で、幻楽歌劇団の巡演がいよいよ始まった。
大勢の観客たちが集まって、綺麗な音楽と素敵な演目に雷鳴のような拍手を送る。
賑やかな声を聞きき、舞台裏に坐っている青年が本のページをめくりながら、口元を綻ばせる。眩しい光と音符ざ彼の肩に落ちて、春の旋律を紡ぐ。
ムースケーキ:胞子の力を手に入れましたが、完全に昔の姿に戻るには、まだまだ先が長そうですね……
ムースケーキ:でも……これでいいでしょう……肝心な時に彼らを守れるなら、これでいいです……
長髪の青年が独り言を呟きながら、舞台の方に耳を傾け、舞台の終幕を気長に待つ。
シフォンケーキ:……こうして、勇敢な少年が時計の幻境を突き破り、仲間たちを守って、精霊からの贈り物も貰いました……
シフォンケーキ:……幻楽歌劇団の舞台劇をご視聴いただき、誠にありがとうございます!しかし、終幕の前に、我々の偉大な団長兼劇作家――ムースケーキを紹介させていただきます!!
ムースケーキ:えっ……?リハーサルの時にはなかったぞ……
ヌガーとパエリアざ茫然としているムースケーキを舞台に引っ張っていく。観客たちの前に立つのが初めてのムースケーキは緊張し、言葉が上手く出てこない。
すると、誰かの手が彼の肩に触れ、もう一人が彼の背を押してくれた。ムースケーキが隣を見ると、明るくて見慣れた笑顔が目に入った。彼らが、勇気をくれたんだ。
ムースケーキ:歌劇団の皆のおかげで、今回の脚本を完成できたのです。皆と一緒にこのステージを完成することができ、光栄です!
観客たちが熱い拍手を送って、仲間たちが彼を抱きしめてくれた。そして、ムースケーキは理解した。この脚本に足りていないもの、それは彼自身なんだ。
彼にとって、幻楽歌劇団のみんなが一緒に紡いだ物語こそ、完璧なものなんだ。
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