綿あめ・エピソード
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綿あめのエピソード
一見普通の女の子、とても子供らしい雰囲気を感じさせる。
人見知りもなく、自身の“お菓子の言え”に誰かを招待して遊ぶのが好き。
高熱や炎が嫌いで、炎を前にすると性格が変化する。
Ⅰ 甘い世界
──この世界は、甘いものでできている。
また甘いものだけではなく、楽しいものも甘いものと同等だとその人は教えてくれた。
花も、花からこぼれる蜜も甘いし、山からさらさらと流れる渓谷の水も甘い。枝の上で囀る小鳥、私と一緒に舞う蝶々……それらはすべて『甘い』のだ。
『甘い』とはすなわち、『幸福』を意味する、とその人は言った。
私は、その話を聞いてから、毎日がとても楽しい。だって、私の周りには『甘い』ことしか存在しないから!
(明日も明後日もその次の日も、満たされていたらいいのに……)
「早く、誰か来てくれないかなぁ……」
もう随分と長い間、私はそんなことを呟きながら、ひとりで『誰か』を待っていた。
***
森の中には、私の大好きなお菓子の家が、ひっそりと建っている。
その家は、私にとって何よりも『甘い』場所である。そこで暮らしながら、私はずっと甘くて楽しくて幸福な暮らしをしていた。
お菓子の家で寝ていると、 毎朝子熊がやってくる。私とその子熊は友達だ。
その子熊は、蜂蜜を食べさせてあげると、とても喜んだ。ここでまた『甘い』が溢れ、私もその子熊も『幸福』になる。
(なんて素敵な空間だろう……!)
私は嬉しくて、笑顔になった。
そして午後になると、私はリスと一緒に木の上で眠る。そうして日が暮れる頃、川の水辺で果物を洗う……。それが私の過ごしていた『楽しく幸せな日常』だった。
けれど私は、動物たちと戯れるだけでは満たされなかった。楽しくて甘いけれど、 物足りなかった。
「……あーあ。みんなとお話できたら、もっといろんな遊びができるのになぁ……」
木の上に乗っかって、足をぶらぶらさせながら、そんなことをひとり咳く。
「キュッ、キュッ!」
そんな鳴き声に視線を向けると、一匹のリスが急いでナッツを運んでいるのが見える。
(忙しそう……私なんか、ここにいてもいなくても、どっちでもいいんだろうな)
溜息をついて、私はリスに向かって手を伸ばす。
「リスさん、リスさん!忙しいかもしれないけど、ちょっとだけ綿あめと遊ばない?」
ぽん、とそのふわふわした尻尾に触れてみた。するとリスさんはビクンと立ち上がりクルリと振り返った。
「驚かせちゃった? ごめんね」
私の言葉にリスさんは、耳をピクピクと動かす。
「ねえ、リスさん。綿あめと一緒に遊ぼっ!いい子だから、こっちにおいで!」
そう言って手を伸ばすと、リスさんは耳をそばだてる。そしてびょんと一歩後ろに移動し、そのまましっぽを大きく広げて、木の上から飛び降りた。
(…もしかして私、リスさんのこと、怒らせちゃったのかな?)
「待って、リスさん!」
私は慌ててリスさんを追いかけようと、立ち上がった。
「きゃっ!?」
そのとき、背後から突然押される。私はそのまま前のめりに倒れてしまう。
「ごめん! 大丈夫!?」
すると、背後から聞き覚えのない声が聞こえた。私は少しだけ驚くも、リスさんが逃げた理由に気づく。
(あ……!この人がいたから、リスさんは驚いて逃げちゃったんだ!)
木の陰から少年がひょこりと顔を覗かせている。少年を見ると、ひどく申し訳なさそうに後ろ頭を掻いている。
リスさんの姿はもう見えない。きっと遠くに避難したに違いない。
(今日は、リスさんと遊べないな…。)
寂しい気持ちになって、私はうつむいた。
Ⅱ 約束
「この森の奥にだけ生える薬草がある?」
「うん、そうだよ。君は知らない?」
リスさんと遊ぶことは諦めて、私は少年に話しかけた。
すると彼は、昨日、ひとりでこの森に薬草を求めてやってきたと言った。
「でも、迷子になっちゃって……。どうしようかと思ったら、君の姿を見かけてさ!」
少年は、くしゃっと嬉しそうな笑顔を浮かべた。そのときだった、少年のお腹が豪快に音を鳴らしたのは。
聞くと、少年は昨日から何も食べてないらしい。それは大変だと、私は持っていた果物と綿あめをあげる。
「ありがとう!おいしい……ばくばく……うっくっ!?喉に詰まっちゃっ、た……!ごほごほごほっ!」
「あ、焦らないで!ゆっくり食べて!」
私は果物を絞って作ったジュースを少年に差し出す。
「ごくごく……ふぅ!も、もう大丈夫」
彼はそう言って、にっこりと微笑んだ。
「君に会えて良かった。このままだと、空腹で倒れちゃってたかもしれないよ」
少年は長い溜息をついて語り出す。
彼は母親の病気を治療する薬を求めて、この森に入ったと言った。
しかし、この森のことは何も知らない。案の定、すぐに迷子になってしまったと言う。
森は夜になると、とても危険だ。幸いにも昨晩は、無事朝を迎えることができた。でも今日も同じとは限らない。
「じゃあ、綿あめと会えて良かったね!」
彼が今晩も森で夜を迎え、飢えと寒さに苦しまなくて済んだことは良かった。けれど、私は小さく嘆息する。
「でもその薬草ってどこにあるの? 綿あめは知らないよ」
「僕も人伝えに聞いただけだから。でも、もしここで見つからなかったら母さんは……」
シュン、と少年は肩を落とす。その様子に私は、何かしてあげられないかと思う。
「じゃあ、私の遊び相手になってよ!そしたらその薬草、私も一緒に探してあげる!」
その言葉に、少年は顔をあげてパッと顔を綻ばせた。
「ほ、本当? すごく助かるよ!でも……僕は薬草を見つけたら、すぐに帰らないといけないんだ」
「薬が見つかるまででいいの!それまで綿あめと一緒に遊ぼ!」
「それでいいなら……いいよ」
少年は照れ臭そうに、私に向かって手を差し出してきた。私はその手を取って、強く握り返した。
(彼は、動物たちと違って、話すことができるお友達……!)
私は嬉しくなって、彼の手を強く握り返した。
「私の住んでる御菓子の家はね、森の中で一番安全なところだよ!だから、薬草が見つかるまでは一緒にいよう!」
「ありがとう!助かるよ!」
「えへへっ、私は食霊の綿あめ!よろしくね!」
私は彼に胸を張って、自慢のおうちを見せてあげた。すると、彼はとても驚いて、幸せそうな笑顔を浮かべた。
私のおうちは、甘くて楽しくて幸せな御菓子の家。
ここにいれば、何の危険もないし、悩みも生まれない。
(ここで、彼も甘くて楽しい幸せを享受できますように──)
Ⅲ 楽しい日々
──明朝。
またいつものように、子熊が御菓子の家に飛び込んでくる。
「わ、綿あめ!起きてー!!く、熊が家の中に入ってきたよーっ!」
その声に反応し、子熊が少年をぎょろりと睨みつけ、臨戦態勢に入った。
「シャアアアアッ!!」
少年はそんな子熊に目を細めて体を震わせながらも、勢いよく叫んだ。
「綿あめ、危ない!ここは僕に任せて!君は僕の後ろに隠れていて!」
「えへへー、大丈夫だよ!この子熊さんはね、私のお友達だからっ!」
私はサッと懐から缶を取り出して蓋を開ける。すると、あたりに蜂蜜の匂いが漂った。
子熊は蜂蜜の匂いに釣られ、鼻を動かす。少年は、慌てて叫んだ。
「綿あめ!」
「大丈夫なの!任せて!」
慌てる少年に私は大きく頷いて見せ、子熊の前に歩み寄る。そして私は、蜂蜜の缶を子熊に差し出した。
すると子熊は、嬉しそうに手を伸ばして、蜂蜜を手にすくって舐めた。
「え、えええ……!?」
ぽかんとしている少年に向かって、私はウインクをする。
「えへへっ、これはね、子熊さんと仲良くする方法だよ!キミもやってみる?」
「は……はぁ。僕はいいや……」
「どうして?」
その問いに、怯えた様子で少年は答える。
「だって危ないよ。怪我するかもしれない」
「大丈夫だよ。私、これまで怪我をしたことないし。こっちにおいでよ!」
「本当……?」
疑いの眼差しを浮かべながらも、少年は私と子熊に近づいてくる。
「シャアアアア!」
「ひぃいっ!やっぱ怖いよっ!無理!」
「あははっ!意地悪しちゃダメなんだからね、子熊さん!」
***
少年が来てから、御菓子の家は以前より賑やかになった。
最初は子熊とおっかなびっくりに接していた少年も、あっという間に子熊と仲良くなった。リスさんとも友達になってしまった。
そうして私は、彼と遊ぶようになり、楽しい日々が過ごした。
お腹が空けば、果物やナッツをとって、お腹いっぱいになるまで甘いお菓子を食べる。
喉が渇いたら、谷川の柔らかな甘い軟水を飲む。
そこには、子熊やリスさんたちもいる。ひとりじゃない。みんないて、とても楽しい。
私はあまりに毎日が楽しくて、少年が最初にここに来た目的をすっかり忘れてしまう。それほど、甘い遊びに夢中になっていた。
しかし、それは私だけだったようで、或る日少年は、泣きながら私に訴えてきた。
「ねぇ、綿あめ。ここでの生活は楽しい。でも、僕はお母さんのためにここに来たんだ。早く薬草を探しに行かないといけない……」
そんな彼に私は申し訳ない気持ちになる。
「ごめんね。ここで一緒にキミと遊んだ時間は、とても楽しかったよ」
「僕も……それは同じだよ。けど──」
そこで私は彼の言葉を制止して、にっこりと微笑んだ。
「あのね、キミにはとても感謝しているの。だから、森の奥には私が行く」
「え?!」
「森の奥は危険な場所なの。だから、ずっとここに住んでる私が代わりに行ってあげる」
「そ、そんなの悪いよ」
「ううん、キミは綿あめと一緒にいてくれたから。ひとりで寂しかったけど、キミが一緒にいてくれて、綿あめ、とっても楽しかったよ。それは幸福の証!」
「だからキミはこの御菓子の家で待ってて。私が必ずキミの探しているものを取ってきてあげるから!」
Ⅳ 薬を探して
私は、少年の代わりに森の奥に生えているという薬草を探しに出かけることにした。
御菓子の家では、少年が待っている。彼にはそこで待っていてくれるようにと、十分に言い聞かせた。
彼も一緒に行くと言ってくれた。
でも、森の奥は危険だ。
子熊にすら怯えた彼を連れていくのは、リスクが高いと思った。
だから、私はひとりで御菓子の家を出て行く──これは、彼の安全のため。
私と一緒に楽しい時間を過ごしてくれた彼に恩返しをするのだ。
私は、自分にそう言い聞かせ、ピンと背を張って、森の奥へと向かった。
森の中で生活するようになって、何年が過ぎただろうか。それなりの月日を重ねたと思うが、活動範囲は御菓子の家の近くのみで、森の奥へは行ったことがなかった。
ただ、少年の話を聞いてピンときた。彼が探しているのは、紺色の花を咲かせる薬草だという。その花は、人の心を射抜くような青色で、この森の奥にひっそりと咲いているらしい。
そんな青色に、私は心当たりがあった。
森の奥には、空を木の枝で覆っている場所があって、太陽の光は遮られている。
そこは、何故か地面が青い光で染められていた。それはとても玄妙で、魅惑的な空間。
たとえ豪雨に見舞われても、その青色を損なうことはない。
その光は、ここに迷い込んだ飛鳥を引き寄せるためのものだと聞いた。
そう──あれは、死の網だ。
この仕掛けは暗闇に隠れている謎の生物が作り出した、とその人は教えてくれた。そして、網にかかる侵入者を今か今かと待ち受けているらしい。
それはとても恐ろしく、私はそんな場所に行くことすら嫌だった。
でも、私は少年のためにそこに行くのだ。
私と一緒に遊んでくれた、優しい少年の願いを叶えるために!
少年の求めている花は、藤枝の更に上にある。それは死の網の傍にあった。
「うぅ……怖いよぉっ」
私は薬草を手に入れるため、背伸びをし、慎重に手を伸ばした。暗闇に隠れている生物が、いつ飛び出してくるかわからない。私は息を呑んだ。
「このまま……早く薬草を手に入れて、ここから逃げるのっ!」
そして、薬草に手が触れる。私は勢いよくそれを掴んで引き抜いた。
薬草を手に、私は背伸びをやめた。そしてゆっくりと息を吐いて、意識を後方の道へと向ける。
(大丈夫……このまま、ゆっくりと戻れば)
後ろ足で、一歩、また一歩を進む。
青白い光は、すぐそばにある。まだ、気を抜いてはいけない。
少年はたくさん、私と遊んでくれた。その時間、私は満たされていた。
(そんな彼の願いを、私は叶えてあげたい)
私は彼に誓った。
絶対に、薬草を持って帰るって。
その約束を果たせなかったら、私と遊んでくれた彼に、申し訳が立たない。
(だから……絶対に、この薬草を彼に届けるんだ!)
Ⅴ 綿あめ
綿あめの御侍様は、全身を火傷して病院で寝たきりの状態であった。
その人は、そんな寂しさを紛らわすため、綿あめを召喚した。
そして、綿あめに甘くて楽しい夢を語ってくれた。彼女は、その話を聞くのが大好きだった。
そこは、森にある御菓子の家で、いつでも幸せに溢れている場所だと言う。
御菓子の家は、火をおこさなくても生活できる。だから火による危険もないし、火災で亡くなった母親も存在しない……。
御菓子の家は、幸福の集まった、甘くて楽しい夢のような場所──
***
綿あめは森にある御菓子の家で、誰にも邪魔されることなく甘い時間を過ごしていた。
他には誰もいない森の中で、綿あめはいつもたくさんの動物と遊んでいた。
それはそれで楽しい日々であったが、綿あめは少しだけ寂しかった。彼らとは言葉を交わすことができないからだ。
そんなある日、綿あめはひとりの少年と出会う。彼は、母親の病気を治すため、薬草を取りに来たのだと言う。
その薬草に心当たりのあった綿あめは、彼を自分の住むお菓子の家に招待した。
そうして御菓子の家で綿あめと暮らすことになった少年は、蜂蜜を狙って家に遊びに来る子熊や、木の上で一緒に日向ぼっこをするリスたちと同じ驚きと喜びを綿あめに与えてくれた。
綿あめは少年の登場をとても喜んだ。暫くの間、綿あめは彼とふたりで遊ぶことに夢中になった。少年も楽しそうにしていた。
だから綿あめは思った……彼が、薬草を探しに行くことを諦めてくれないか、と。
あそこはとても危険な場所だ。だから、ずっとこの御菓子の家で自分と遊んでいたらいいのに、と。
そうして少年の願いから目を逸らしていた綿あめに、少年はとうとう我慢を切らし、薬草を探しに行くと訴える。
その必死な訴えに、綿あめは反省する。
彼を慟哭させたのは自分だ。その責任を取るため、彼女はひとり、薬草があるであろう危険地帯へ赴くことを決めた。
そうして彼女はひとり御菓子の家を出る。
森の奥深くにある危険地帯へと、綿あめは向かった。そして、とうとうその危険な場所へと辿りついた。
話には聞いていたが、綿あめは初めてその光景を目にした。
木の枝で覆われたその場所は薄暗く、青白い光に包まれている。
その光は、木の陰に潜む未知なる生物が、森に住む鳥を筆頭とした動物たちを誘い込むための罠であった。
その事実をある人──御侍様から教えられていた綿あめだったが、それでも薬草を手に入れるために意を決して足を踏み出した。
それは、すべて自分と遊んでくれた少年のため。
彼の願いを叶えるためとはいえ、不安と恐怖はあった。それでも、心優しき綿あめに後悔はなかった。
綿あめは、慎重に歩みを進める。そうして暗闇に隠れた影に襲われることなく、紺色の花を咲かせる美しい薬草を摘み取った。
彼女は戦うことが苦手だった。可能な限り争いごとからは離れていたかった。
それでも薬草を手に入れるため、命懸けで『未知なる生物』の罠へと立ち向かった。
そして綿あめは、その危険なミッションを終了し、薬草を手に御菓子の家へと帰っていく。
きっとこの薬草を渡せば、少年が喜んでくれる筈だ、と心を弾ませながら。
この薬草を渡せば、少年は綿あめの傍からいなくなってしまう。
それはどうしようもなく寂しいことだ。
それでも綿あめに迷いはなかった。
綿あめはどこまでも『いつだっていい子』だったからだ。
そして、綿あめは御菓子の家へと戻ってきた。期待に胸を膨らませて。
「え……?」
彼女は愕然とする。待っていたのはそんな期待を裏切る状況だった。
なんと、御菓子の家が炎に包まれていた。
綿あめは何故こんなことになっているか理解できず、呆然と炎の前に立ち尽くす。
炎は御菓子の家をすべてを丸飲みにして、烏有(うゆう)に帰してしまった。
(彼は……どこ?)
そうして振り返った先で、何百年もそこに存在していたであろう木々が燃えている。
風の音と相俟って、まるで木が悲鳴をあげているかのように聞こえた。
「どうしてこんなことになってるの!!何があったの!?」
恐ろしさで綿あめは頭を抱える。
「いやああああっ!!」
綿あめが悲鳴をあげると、それに呼応して背中の羽がばたばたと動く。
(なんでこんなことに!ここは甘くて楽しい夢の世界なのに!)
「は、早く……消さなくちゃ!」
そんな綿あめの前に、バケツを持った少年が現れた。彼は、手にしたバケツをひっくり返し、御菓子の家に水をかける。
しかし、バケツ一杯の水で消せるはずもなく、少年は再びバケツを抱えて水を汲んでくるために踵を返した。
「綿あめ!?」
そこでやっと少年は、綿あめを見つけた。
「綿あめ!早く火を消さないと!全部燃えちゃうよ!」
「これ……キミがやったの?」
唖然として、震える声で綿あめが訊ねる。
「ご、ごめん……!綿あめ、聞いて!」
憎しみの表情を浮かべる綿あめに驚いて、少年は綿あめに向かって叫んだ。
「綿あめが帰ってくる前に、僕のうちでお母さんがよく作ってくれた料理を作ろうと思ったんだ!」
「それで……火を使ったの?」
「とても美味しい御菓子なんだ!僕は綿あめにお礼を言いたかったんだ!」
「私はストーブの火をつけたら、御菓子の家が燃え始めて……!」
「こんなことになるなんて思わなかったんだ──わざとじゃない!綿あめ、ごめん!僕を許して!!」
綿あめは激昂し、少年に技を放った。食霊の技に抵抗できる人間なんていない。
少年は最初は逃げ惑ったが、綿あめの攻撃からはとても逃げられないと察した。
「ごめんね、綿あめ!僕のことは好きにしていい!でも、僕のお母さんは助けて!」
覚悟を決めて、その上で少年はそう叫ぶ。
「約束したよね、忘れちゃった……?」
「約……束──」
震えた声で鳴きながら訴えるその言葉に、綿あめは攻撃を止めた。
それと同時だった。
空に稲光が走り、ぽつり、と雫が綿あめの頬を濡らした。
その後すぐその雫は豪雨に代わり、轟々と燃えていた家と木々を消火する。
雨に打たれた綿あめは、やっと冷静さを取り戻す。
(誰も傷つけたくない……ただ、甘い夢を見たいだけ)
そんなことを思い出し、綿あめは大きく深呼吸をして、少年に向かって歩き出した。
少年は近づいてくる綿あめに、恐ろしさのあまり縮こまるも、腰が抜けて動けない。
「そんなに怯えないで。もう攻撃しないよ。キミを傷つけないから。でも……怖いね」
「……怖、い?」
きょとんとして少年が呟く。それに頷いて綿あめは涙を浮かべながら笑った。
「火って……怖いんだね」
綿あめは自分の心境をどう説明したらいいかわからなかった。
綿あめはもう、少年を攻撃しようなんて思ってなかった。さっきは、まるで燃え盛る炎に駆り立てられるように、綿あめはスキルを発動してしまっただけだ。
燃えたものはもう元には戻らない。
それは崩れ落ちるのを待つだけの物体と化すのだ。
(もう、その人は起き上がることはない……これからもずっと、寝たきりだろう)
その事実に、綿あめは溜息をついて、諦観した笑みを浮かべた。
「私、約束は守るよ。だから、ちゃんと薬草を取ってきたよ」
綿あめはそっと手に持っていた薬草を、少年に渡した。
「キミのお母さんが元気になったら、きっとそれは甘くて楽しいの。それは、幸せってことだから!」
「綿あめ……」
「だから……お母さんが元気になったら、また御菓子の家に遊びに来てよ」
綿あめは少年を立ち上がらせる。そして、涙を拭いて、目を細めて微笑んだ。
「そしてまた、綿あめと一緒に遊ぼ? 私はここで……ずっとまってるからね」
***
綿あめは、動くことのできない御侍様の話をずっと聞いていた。
今日もまた、朝からずっと御侍様は綿あめの話を語ってくれる。
綿あめはただただその話を熱心に聞く。
それが……綿あめがここにいる存在理由だったからだ。
「ねぇ、御侍様。その後どうなったの?少年は綿あめに会いにきてくれたの?」
「そうだね。少年も綿あめのことが好きだからね」
「そのあと、ふたりはどうしたの?また御菓子の家で一緒に遊んだの?」
「どうかな?それは綿あめ次第だよ。綿あめが彼と遊びたいと思ったなら、きっと遊んだんじゃないかな」
「そうなんだ!じゃあきっと遊んだよね!いろいろあったけど、やっぱり綿あめは、その子のことが好きだから!」
その話を聞いて、御侍は笑った。
「綿あめは、本当にいい子だね。僕が思った通りの子だ」
「うん!綿あめはいい子だよ!御侍様がそう教えてくれたから!」
「ねぇ、綿あめ。僕には綿あめがいたから、今も御菓子の家で元気にしてるんだ。これからもずっと……綿あめと楽しく話ができる」
「うん、うん!綿あめもそう思うよ!御侍様とふたりなら、こうやってずぅっとお話ができるもの!」
そこで御侍様は長い溜息をつく。その嘆息にどんな意味が込められているか、綿あめには想像することもできなかった。
「……綿あめ、次はどこに行こうか。どこでもいいよ、夢の世界なら僕は、どこにだっていけるからね」
***
それから程なくして、綿あめの御侍様は亡くなった。
御侍様がいなくなって、綿あめはひとり、いつか御侍様から聞いた『御菓子の家』があるという森へと飛んでいった。
そして、御侍様が言っていた通り、そこには、ボロボロの家が建っていた。
この家は火事で燃えたのだ。
だからボロボロでも仕方ない。少しずつ直していこう。食霊の自分には、時間はたっぷりある──
誰が住んでいたのか知らないその家を、綿あめは『御菓子の家』と名付けた。
そして御侍様が話していたように、ひとりで住んで、森に住む動物たちと仲良くなる。
蜂蜜を求めてやってきた子熊を手玉にとって仲良くなる。
木の上に登れば、そこにいるリスとお友達になるのだ。
森の奥には、かつての御侍様が話していたような、木の枝が生い茂り、青白く光る空間があった。
青白い光の傍にある暗闇には、怖い生物がいる。
それはこの森にいる動物だけじゃない、食霊である綿あめさえ食べてしまうのだ。
とても危険な場所だから、綿あめは決して近づかない。
御菓子の家の近くにいれば、綿あめを危険にさらすものは何もないから。
そうして綿あめは、御菓子の家で長い間、ひとりで待ち続けている。
母親の病気を治すために薬草を求めてやってくる人間の少年を──
そして、御菓子の家が炎に包まれることがないように、少年と一緒に薬草を取りに行くのだ。
『甘い』は『幸せ』。
それは、『幸福』を意味する──
「ねぇ御侍様、ここにいるよ!だから、早く綿あめのことを迎えに来て!」
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