ウイスキー・エピソード
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ウイスキーのエピソード
おっとりとした薄ら笑いを浮かべている行商人。
その裏では錬金術の研究に没頭し、医学にも造詣が深い。
純粋過ぎるが故、欺晴に満ちた世界を理解できず、その心を闇に取り込まれた。
クレバーで礼儀正しいが、決して本心を見せない。
Ⅰ 葬列序曲
それは、私がずっと夢見ている情景――
雲ひとつない澄んだ青空が広がっている。
そこに時を告げる鐘の音、痩せた土地、更に人々の喧噪がここには集まっている。
私はそれが相容れない絵だと思ったが、彼らの顔は幸せな笑顔で満たされている。
色鮮やかな花が、そんな煩雑な冬の街を埋め尽くした。
雪が街を覆う前に、レッドカーペットが敷き詰められた。
この町に偶然やってきた旅行者が、目の前の豪華な光景を見て驚いて近くの人に話しかける。
「とても盛り上がっていますね!今日は何か特別なお祝いの日ですか?」
「……いいえ。お祝いではありません」
私はその呟きに、そっと口を開いた。旅行者が驚いた顔で振り返る。
「いいえ、これは葬礼です。この国の過去を葬る儀式です」
「えっ? 葬……礼?」
鐘の音がより一層大きくなる。旅行者は、もっと詳しく聞きたいと口を開きかけるが、軽く会釈して私はその場を後にした。
――数年後。
この街はヒナギクで埋め尽くされた平和な国となった。
静寂と平和で満たされた国。
戦争の苦しみもなく、苛めの徒もいない。
すべては彼女が教えてくれたお伽噺のように美しかった。
「嘘で人を幸せにすることができるなら、おとぎ話となるでしょう」
そんなことをその人は、空を見ながら笑って話してくれたのを思い出す。
あの時望んだ願いが今やっと現実となった――彼女は喜んでくれますか?
嘘でも、彼女は信じてくれるでしょう。
かつての荒廃した様子が嘘のようなこの街に、私は思わず笑ってしまった。
***
この国の王は、以前の権力者と違って、平和を愛する人間だ。
国王は仁慈と善政によって国民から敬愛されていた。
彼の食霊もまた、平和の象徴として持て囃されていたらしい。
それでも国王には、どうにもならないことがあった。
それは娘のイリヤ姫の病気である。
王女は幼い頃から病弱であったため、治療できる優秀な医師を国中から募集していた。
私はその募集記事を剥がし、内容を確認する。しかし、牛革の紙に書かれた文字は色褪せ、よく見えなかった。
紙の表面はまだらになっており、この募集が随分と長いこと忘れられていたのだろうと私に教えてくれた。
私は思わず笑ってしまう。ここから、やっと私の目指す理想的な未来を手に入れる序幕が開いたのだ。
(必ず……実現させる)
私は勢いよくその告知を剥がした。
すると、それを認めた衛兵がふたり、すぐさま私の両脇にやってきた。
「乱暴はやめてください。私は、医者です。この記事で募集している姫の病気を治したいと思っています」
その言葉に衛兵は驚いた様子だったが、黙って私を宮殿へと案内してくれた。
シンプルでエレガントな宮殿は、複雑な模様を刻んだ空の壁しかなく、豪華な装飾が煤けて見えた。
けれど、王座に座っている彼の人はとても愛想が良く、この国が平和であることを確信できた。それと同時に、私はこの国を嫌いだと思う。
だが、どんな国でも蛆虫が巣食っているものだ。幸い、私はそのような人間を見つけるのが得意だった。
「あなたは、私たちの王女を治せますか? そのための術を持っていますか?」
王様の傍に立つ男が、下卑た笑みを浮かべて、私を見てそう聞いてきた。
彼は私が何者なのか、気に止めている様子もなかった。どうやら彼は、私が王女を治療できるとは信じていないようだ。
(この男だ……)
このような偽善的な者こそ、私の一番使いやすい駒となる――
「……王様は、錬金術について、聞いたことがありますか?」
私は恭しくお辞儀をし、ゆっくりと顔を上げ、上目遣いで王様を見上げた。
「錬金術?! あなたは……?!」
「私の名は、ウェッテ。行商人ですが、諸外国を回っているとき、様々な出来事と遭遇しました。そこでの経験で王女様を治せるのではないかと確信しております」
「ハハハッ! これまで何人がここで貴様のような強気な姿勢で宣言したか……どいつもまるで話にならなかったがな!」
王の横に立つ男は、一際苛立った様子で語気を荒げて叫んだ。
そんな彼とは対照的に、私は冷淡さを醸し出して、僅かに口端を上げる。
そして私は、手に持った箱をゆっくりと開いた。
「そ、それは?」
私の手の中で踊る金色の蛇を見て、王と側近の男は驚いた様子で目を見開いた。
「もしやそれは錬金術で作ったのか?」
その質問に私は静かにうなずいた。
すると、王も側近の男の顔が明るくなる。
「簡単に言うと、錬金術でこのような物質を作り出します」
私の狙い通り、彼らは私の話を真に受けているようだった。
(これで、第一歩……)
私は小さく嘆息し、笑い出しそうになるのを必死に堪えながら、もう一度深々とお辞儀した。
「けれど、このようなものを作るには、それ相応の準備期間が必要です。私に、時間をくださいませ」
Ⅱ 無神妄論
人間はとても面白い存在である。
食霊を生み出すこと自体が夢の力なら、人間は純粋な欲望の集合体であり、自分以外の者を取り込みたいと望んでいる集合体だ。
だから私はまず、空々しい振舞いを見せていた彼らの信頼を得ることに努めた。
その結果、彼らの態度は急変した。
私が準備時間を提示した後、善良な王は私の願いを快く承諾してくれた。
同時に王の横に立つ男が、私を城へと招くようにと王に要求を出した。
その時に私は知る一一彼の名は、カール親王。現王の弟であった。
彼は興味深げに私に話しかけてくる。
「ウェッテさんは商人なのに、医理に精通しているとは思いませんでした」
「ほんの少し、かじった程度の知識しかありませんよ」
「前にどこかでこのような仕事をしていたことがあるのでしょうか?」
「医学でも錬金術でも、取引するにはたくさんのチップが必要です」
「取引?」
「さて、あなたは忘れましたか? 私は商人です。それでは、人々と取引する最も価値のあるものは何だと思いますか?」
頭の横をそっと指で叩いて、彼の鈍った頭を働かせるように促した。
「お金? 宝物? それとも権カ……?」
ふふ……人生一一命ですよ。人は死から逃れることはできないでしょう?」
私の目には欲望に溢れている人間が映り、堪らず私は声をあげそうになるも、それを押しとどめた。
やはりこの話は彼の興味を引いたようだ。
彼の表情が一瞬硬直したのを私は決して見逃さない。だがそんなことにはまるで気も止めない素振りで、私はゆっくりと彼を上目遣いで眼鏡越しに見上げた。
「しかしそれでも、命の価値は人によって違います」
そこで一呼吸置き、私は一際ゆっくりと語りかける。
「それは自然なことです。人には元々貴賤の区別がある。それが私がここにいる理由です。また、これは将来、王の証明にもなるでしょう」
「仰る通り。すベては運命ですな」
彼は私の期待通りの答えを聞いて、とても満足しているようだ。無防備に私に近づいてきて、薄ら笑いを浮かべる。
「では、ウェッテさん、私と取引してくれませんか?」
「勿論ですとも。私は商人ですからね」
笑顔は無意識のうちに口の隅に浮かぶ。だから、私は運命を信じず、神を信じない。
(そう、誰にも期待を持たない…… )
それこそが、平穏に生きていくことだ、 と目の前の我欲に満ちた男と握手を交わしながら思った。
このヒナギクに囲まれた国は、王宮内にも真っ白な花で満たされている。
だから、あの青い瞳の少年が私の目の前を通り過ぎると、私の目を引いたのだろう。
「ああ、恥ずかしがらないでいいよ。これは国王陛下が受け取った隣国からの贈り物なんだ。だから、大切にしないと駄目だよ」
少年は輝く金髪と笑顔を私に向ける。
「王女に見せるんだ。すぐ持っていくから。安心してくれ」
その後を召使いのように見える青年が追いかけていく。後に響く少年の朗らかな笑い声が、これまでの静寂を破った。
「またあのピザは……王兄がどう考えているのかは分かりかねますね」
「食霊ですか?」
「何故そんなことを?ウェッテ先生?」
そのとき私は少年の無邪気な笑顔を見て、ふと面白いことを考えた。
「なるほど……彼か」
人は裏切りが得意だ。
私はこのようなことは、 あの人に何度も注意をした。
「なぜあなたはここにいると思いますか?」
「今の生活はよくないですか? 昔の私は勉強に追われていました。早く独立して政治問題に対応できるようになって、年老いた王を助けて、妹を守りたいと考えていました」
「妹姫は貴方の代わりに王になりました」
「そうね、多分私は彼女に借りがあるのね。私は必要な愛を得ることもできなかった。それに、健康な体を持っていなかった」
「それを貴方の責任とする必要がどこにあるでしょう?貴方たちは双子です。容貌もとてもよく似ています。それなのに、どうして彼女は貴方を恨むことができますか?」
私はそんなことを口にしながら、手にしたこのお椀で、あの人の体を日に日に毒で侵していった。
これは私の御侍に頼まれたことだった。この薬では足りないことはわかっていたが、それでも少しずつその肉体を弱らせる。
「貴方は、この国の人たちは幸せに暮らしていると思っていて?」
何度も読んだ物語の本を閉じたあの人は、ためらうことなく薬を飲んだが、突然そのような質問を私に尋ねた。
「イエスと言ったら?」
「それなら私は信じるわ」
「ああ、貴方は本当はそう思っていないのですよね?」
「本当の答えは分からないよね。だから目の前にいる貴方を信じることにしたの」
あの人は空を見上げてから私に向き直る。あの空に映る日の光は、ずっと暗闇にいた私には眩しすぎた。
(信じますか……私を)
ーーそれは、面白い冗談ですね。
「これで契約を切っても食霊をコントロールできますか?」
「イエスと言ったら?」
これは、あの日と同じ言葉。けれどここはもう、あの人のいる小さな塔の屋根裏ではなく、カール親王の邸宅であった。
「それは、試してみる価値がありますね」
彼は私の手から黒いナイフを受け取った。
そして、まっすぐにそれを見つめて、静かに……だが野望を感じさせる熱を帯びた語調でそう呟いた。
さてー一
(目の前の彼が信じているのは、私ですか?それともあのナイフですか?)
実際のところ、これは単なる実験であり、必ず実現することは保証できなかった。
真偽の見分けがつかないものは、嘘になる価値がある。
それでも彼は、己の願いが叶うと信じて、手にしたナイフを見つめて、都合の良い未来に想いを馳せている。
興味深いことに、人間は己が望むことならば、どんなに非現実なことでも信じてしまう生き物だ。
そのことに対する感想を私は特に抱かない。なるようになってしまうのだから、 ただ、流れを見守るだけだ。
その後、その男はすぐにカッサータという食霊を呼び出して、計画通りに国王の傍に配置した。
さて、男の願いは叶うのか否かーー想いが強い方が生き残る……。
「そうだったら、いいんですけどね」
Ⅲ.果てしない夜
「待つ時間は多くの人にとっても無意味です」、しかし、その王にとっては苦しみと同様、体も心も燃え尽きて疲れた。
人の愛はいつも盲目的で、まるで病のようだ。
だから、また会った時に、王様の目差しは最初より深い期待に満ち溢れていたのだ。
「ウェッテさんは行商人です。多くの国を回ってきたから、知る者のいない神秘的な技術を身につけました。嬉しいことに、この中の一つで、ちょうどお姫様を治すことができます」
「神様が姫様を見守ってくれたからこそ、私とウェッテさんは出会えたのでしょう」
私はまたこの宮殿に近づいたが、こんなに早く彼に出会うとは思わなかった。
「王様、こちらの方は?」
「ワシの食霊、ピザと言います」
王は確かにこのピザという食霊を偏愛しているようで、父親のような口振りでこの食霊への愛を述べている。
ただ、ピザは少し警戒しながら私を見つめている……ふむ……それとも恐れと言った方がいいのでしょうか?
そういえば、弱い動物ほどたまに意外なほど役に立つ直感を備えているらしいですね。
「彼の旗は……本当に綺麗ですね……」
先ほどまではあった爽やかな笑顔が、今はもう彼の顔から消えていた。
いいですね!彼がこのような疑いの目で私を見てくれるとは、本当に見るだけで人を喜ばせてくれる表情だ。
あの人と同じくらい純粋な瞳。私はその湖のような緑の瞳から自分すら見える。
しかし、私はあまりにも純粋なものが嫌いだ。そんな存在を見ると、私はもっと汚したくなるのです。
ピザは私と目を合わせた後、すぐ視線を逸らした。
「あっ……あ、ありがとうございます」
彼はしっかりと手の中の旗を握っている。まるでそうすることで少しの安心感を生み出すことができるかのようだ。
私はひっそりと笑った。
本当にあの人の好きな物語に出てくるキャラクターのようですね。
その後、王は私のために王宮に住み処を用意してくれた。ピザはよく薬をもらいに来てる。
彼が怖がって表情を歪ませるのを見るのはなかなか面白いのですが、こんなにも早く自分の素顔と真意をさらけ出すつもりはない。
日がゆっくりと過ぎて、玄関に立って待つだけだったピザが、たまにこの部屋を気ままに歩き回るようになるまでになった。
「ウェッテさん、若く見えますが、いろいろなことを知っているみたいですね!」
「そうですか?それはきっと私に対して、時間の流れがずっと前から止まったままだからでしょう」
あの人が去った瞬間に止まった。
「止まった?」
「最近お姫様様の体調はどうですか?」
私は話を逸らした。もちろん彼がこのような話を理解できることを期待している訳ではない。
「前よりよくなりました。そういえば、ウェッテさんはお医者さんですか?」
「医者?」
これは本当に「高尚」な呼び方だな。残念だが、好きではない。
「私はただの商人です」
今の私は欲望を満たすために、ここに来ているだけなのだ。
あの人が去った後、私は御侍が残した医書を全て読んだが、あの人に会える方法は見つけられなかった。
そこで、私は身の回りのすべてを利用して、長年調査してやっと人類に忘れられている錬金術を発見した。
ここはちょうど私の最初の実験場として利用できる。
本によると、錬金術の第一歩は「特徴をなくす」ことであり、金属を純粋な硫黄と水銀に還元し、金属の潜在力を掘り起こし、改めて融合させる事で、新たな金属が得られる、との事。
この世界の生命は夢の力で構成されていて、食霊は夢の力に最も近い「種」のような素材なのだと。
もちろん、私はこの喜ばしい情報を仁徳が厚い王にも伝えた。
「他の……方法は無いのですか?」
それを聞いた王は、ぼんやりと書斎の椅子に座って、哀求に近い口調で私に尋ねた。
「ピザ……彼はイリヤと同じ、私の大切な子供です」
「私も大変悲しんでいます、王様、しかしこれは今一番良い方法だと考えます」
私は王の耳元でそっと示唆した。
ただ食霊一つを利用することくらいに、軟弱な人間はこんなにも動揺しているのだ。この実験が成功した後、自分の食霊が自分の国民を殺し、自分の国を滅ぼすことをもし知ったら、どんな面白い顔をするのだろう?
「お姫様が死んだら、もう二度と彼女に会えないです。しかし、食霊は違います。彼らは消えてもまた召喚できます……これはいい提案だと思いませんか?」
やつれた顔をしている王はピザの名前を繰り返し呼んでいるだけで、目の力は弱くなりながら、涙が滲んで止まらない。
この間、私はお姫様様が日常的に飲む薬剤を任された。他にも幸いなことに、王様の食事にも工夫できた。
彼は意志が弱くなりながらも、ただ少しだけの理性と無駄な愛情が残っている。彼は精神的にもがけばもがくほど、苦しくなる。
肉体の死よりも、魂の堕落の方がはるかに大きい。
「では、王様、どう思いますか?」
雷鳴とともに空を引き裂き、閃光に照らされた王の顔が釈然とした。
「……お願いします。ウェッテさん」
人間は最後に自分の最も原始的な欲望に従うだけだ。
その瞬間、彼の魂は死んだということだ。
「光栄です、王様」
外で雷鳴が轟いているが、破れた稲妻も闇の浸食を止める事はできない。
私はそこに隠れて、そのわずかな微光も無限の夜色に飲み込まれるのを待っている。
Ⅳ.逢瀬
予想外の出来事もあったが、私は無事ピザを連れて行った。
王宮を離れて前に住んでいた邸宅に来た時、どうやらカール親王は我慢できずに自分の反乱軍を集め始めたようだった。
役者も台本も用意されて今、次の舞台で何が起こるか私は知っている。
しかし、これは私とは関係が無いのだ。
偽りの平和はもう消え去って、今の私はただもう一度あの人に会いたいだけ。
時間は秒速に流れる。
私は暗い周囲を眺めているが、あれからどれぐらいの時間が経ったのだろう?
さまざまな方法と術と陣法で彼の意志を破壊しようとしたが、どうしても正確な核心を見つけられなかった。
冷たい石台の上に寝て全く動かないピザを見ると、寝姿さえ笑っているように見える。
無駄な怒りが彼への嫌悪をだんだん強くする。
どうやら彼の体をナイフで切り裂くと、苦しさのために表情が歪んでいるように見えるようだ。
ハァ……本当に不快な気分だ。
実験結果を待つ時間は思ったより長いようで、外の廊下に出た。
黒い雲はとっくに消えて、ただ孤独な月光だけが残っている。
遠くない王宮の城を眺める。古鐘がついてる高い教会堂はもうないし、監獄のような高閣もないのだが、昔のことは簡単に目の前に浮かんできた。
「この不幸な運命は、やはり私があなたにもたらしたものだろう?」
あの人を世話していたある月の夜、私は偶然にもこの全身真っ黒で手に月珠を抱いている女性を見た。
青白い月の光の下で、彼女の体は銀白色の月の輝きを覆って、少し現実らしくない感じがした。
この世には本当に幽霊がいるのかという疑問さえ感じさえられた。
これは少し不思議だった。
彼女はこの国の珍しい装束を身につけているだけではなかった。気になるのは彼女がいつも楼閣を見つめていて、近寄らず、敵意もなく、懐かしそうな目つきをしている事だ。
何故このような表情が在るのだろう?
彼女の口から答えは聞けなかった。
しかし、私はすぐに気づいたのだ。これは私の考えるべき問題ではない。
何故なら私は彼女のように無駄に待ったりは絶対しないからだ。
あらゆる手を考えて取り返すんだ。たとえそうしたらあの人を連れ去ったこの世界を壊してしまっても……
いつの間にか現れた赤い蝶が私の思考を断ち切った。
血のような翼は月夜にはとても美しいのだが、その形が特別な翼は少し気になる。
しかしこの世には誰も知らない物が存在するものだ。それらとの出会いは私の唯一の楽しみ方なのだ。
そんな事を考えながら、私は部屋に戻った。
ピザの、先程から目を覚ましていたことを隠すための微動に私は気づいた。
私はわざと彼の下顎を持ち上げる。緊張している彼は自分の閉じた瞼が止まることなく震えていることに気づいていないようだった。
あまりにも下手な演技で、これ以上彼と共演する気さえなくなった。
「起きましたか?」
やはり、言い終わった途端、彼はついに目を開けて私を見つめた。
その怒りに満ちた目つきは、実験の失敗を証明した。
どちらにせよ、この国の結末はもう変えられない。
無意義なこの「廃品」をどう処理するかと考えていたら、私の計画中の不確定要素であるカッサータが現れた。
しかし、これも私の予想の範囲内とも言えるかな?
虫けらはいつも集団でお互いを抱いて暖をとることが好きだ。そして、独りよがりで彼らには明らかに変えることができない事を口にする。
彼らが私の目の前で友情を賛美するのを聞く時間はないのだが、こんな乱暴な侵入方法は、たとえ私でも怒るだろう。
先ほどの報復か、その松石緑の瞳をもう一度見るために敵視の目をむき出しにしたのかもしれない。私は親切にも企画した脚本を「ありのまま」彼らに伝えてやった。
やはり、ピザは予想通りの反応をした。
ただ、この脚本の終章が私にこのような意外な「サプライズ」を与えてくれるなんて思わなかった。
黒い炎が彼の握っていた平和を象徴する旗をまとい、炎に侵された旗が巨大な黒い鎌となって私を正面から切りつけてきた。
その壊れた体を引きずっても、まだ頑張って私を殺したいのですか?
本当に可愛い子ですね。
「君は本当に面白い『失敗作』ですね~」
この時、私はこの「廃品」を処分したいという考えを捨てた。
私は後ろに跳ねて、簡単にピザの攻撃を避けた。
「目的は既に達成したが、本当にあなたには驚かせられた。ピザ~」
今回の実験は無意義ではないかもしれない。
間違いなく、ピザの異変は錬金術によるものだ。
しかし、生命の転化はやはり私の想像より簡単ではない。
理論だけでは足りない。私はもっと実験が必要で、人間であろうと、食霊であろうと、もう一度あの人に会えるならなんでも……
たとえ世界を敵に回してもいいんだ。
某日、グルイラオヒレイナのあるレストラン。
長い睡眠時間を経て、私は再び目を開けた。明るい日差しがレストランの窓から差し込んだ。この時、私の目に映る世界は珍しい物になった。
誰かと会えますよね?
そう思いながら、私は周りを見回した。見たことがあるような顔が私のそばに立っていた。その手で月を抱いている真っ黒な女性は立っている。
その時、私の口元は笑いを上げた。
「御侍様はご存知ですか?この世界には均衡を保つためのルールが存在します。願いが叶うということは、同時に何かを失います。……等価交換というとわかりやすいでしょうか。さて、私と出会ったこの瞬間、貴方はいったい何を失ったのでしょうね?」
慣れた笑顔がまたその顔に咲いた。
「君を召喚できた事で、何か損があるのかい?うん……えっと……お金以外なら、なんでも!」
お金以外だと?
思いがけない答えだったが、私はとうとうまたあの人に出会った。
はあ……私が欲しいのは決してそれじゃない。ただあなたの自由がほしいんだ。
だから今度は絶対にあなたを離さない。
Ⅴ.ウイスキー
知っている者がいるかどうか分からないが、すべての物語の始まりは、すでに書き上げた結末のためだけ。
噴火する名無しの怪物がいるという伝説があって、そいつは獅子の頭、山羊の体とウワバミの尾を持っている。
どこに現れても、その場を破壊して、至るところは荒れ果てる。
噂があまりにも恐ろしすぎた為か、凶獣の伝説はすぐに童話に改編された。
童話の中には善良な王子と正義の騎士がその怪物を殺しに行って、最後に世界は平和を迎えた。
人々は童話の最後に、幸せで円満な生活を送っていたのだ。
しかし、すべてはあくまでも噂だ。
ここは平和の王国であり、民を愛して勤勉な国王、賢くて美人である王妃、と後継者となる可愛いお姫様がいた。
しかし、この王国には秘密があったのだ。
それは王権後継者としてのお姫様は、実は双子だったということだ。
彼女たちは双子の花のように、この世界で一番綺麗で、そして一番悲しい花でもあった。
彼女たちは一緒に生まれて、ほぼ同じ顔で、性格が正反対の二人だった。
姉は明るくて聡明で、社交的で、誰から見ても王としてふさわしい人物だった。妹は影にこもって家から出ず、存在すら人に知られていなかった。
この正反対の性格のせいかもしれないが、たとえ彼女たちが同じ運命を背負っていたとしても、異なった苦難に遭っていっただろう。知っているはずだった。彼女たちは生まれた時から、違った未来を迎えるのが決まっていたことを。
ウイスキーの御侍はこの国では有名な医学者で、国の後継者の世話をしていた。
その御侍だけが双子の秘密を知っていた。
生まれた時から嵌合体の双子の妹は、子供の頃から体が弱くて病気がちだったので、双子の姉こそ国の本当の後継者だった。
しかし、その時の医学は妹の体に残った奇怪な胎記を解釈できなかった。
まるで天使と悪魔が結びついた醜い体は、王と王妃に伝説中でも嵌合体として知られている凶獣のことを思い出させた。
王と王妃が凶獣のことを連想できる以上、他の人が連想してしまうことはないという保証はない。
人に発見されれば、この小さい子供は死ぬだけでは済まないだろう。
彼らの子供を守るために、王国を混乱させないために、王は双子の存在を隠していた。
娘の奇妙な胎記を治すために、王はウイスキーの御侍に命令し、誰も入ってはいけない小さな楼閣で、娘の「奇病」を治療させた。
双子の姉は子供の頃から錦衣玉食で、高レベルな教育を受けて、正しい礼儀を学んで、人々の褒美と期待を受けていた。
最初は大勢の人に推挙されたお姫様は、自分には一人の妹がいるという事実を知らなかった。
しかし、彼女がその事実を知ってからは、よくこっそりと楼閣に妹の見舞いに行っていた。
彼女はよく妹と喋ったり、物語を話したりしていた。最も素晴らしい物を全てこの可哀そうな妹にあげたかったのだ。
しかし、他人を哀れむのは高位者の姿であり、低位者の目から見て、施しは最も低廉な善意である。
彼女の優しさは妹の理解を得られず、さらに他人に利用されて、妹の心にさらなる深い悪意を生み出した。
そしてある日、王と王妃が急逝した。
以前は謙虚で礼儀正しかった後継者は、傲慢で横暴な女王になってしまった。
その時、女王のそばには、彼女がいつも「医者」と呼ぶ中年の男がいた。
その人はウイスキーの御侍であった。
多くの人々は幼い頃から自分の本性を隠していた恐ろしい女の子が親を殺して皇位についたと思っていた。
しかしウイスキーは知っていた、これは自分の御侍と関わりがある事を。
御侍の手配により、現在の女王と容姿がよく似た女の子の世話をしていたのだ。
だがそれは世話というより、むしろ監視と言ったほうが良い。
彼女に毎日飲むと徐々に衰弱していく薬を飲ませる事は、ウイスキーの役目だった。
しかし、例えこのような状況でも、彼女はこれに対していかなる恨みも一斉持っていなかった。
彼女は妹への無条件の信頼と、軟禁された立場にも関わらず過度にポジティブな考えで、ウイスキーを笑わせながらも新たな救いを得ていた。
「いつもこんな虚構の物語を読んでいて、飽きないのですか?」
「ええ、これは私が見たい世界ですから。」
「たとえそれが最後には嘘だったとしても?」
「……」
「もし私が貴方に嘘をついていたらどうしますか?」
「嘘が人を幸せにすると、童話になるよ。」
彼女は笑いながらウイスキーに言った。
彼女はあらゆる悪意を受け入れていた。嘘だらけのウイスキーにも、この少女は彼のことを童話として謳われていた。
彼らを除いて誰も、この国の高い楼閣の上で足に鎖をかけられた女の子が静かに、かつて彼女の妹のために何度も読んだ童話を読んでいる事など知らなかった。
鐘が四回鳴った時は、この国の女王がアフタヌーンティーを楽しんでいる時間だった。
王宮の中、花の香りでいっぱいな上、蝶にも囲まれている庭園で、女王は最も贅沢な食べ物と紅茶を楽しんで、最も洗練された食器とテーブルや椅子で、この時間を過ごしていた。
このような美しい画面は、庭園の花の蕊(しべ)に止まる蝶さえ、血を飲む怪物のように見える。
その後「血好き蝶」の名はこの国に広まった。
長くない時間が過ぎ、暴虐君主の荒んだ生活が災いを招いた。
王国内の歓声や笑い声は全て、庶民の飢えと貧困を踏みにじるものだった。
被害を受けた民衆はついに反抗の道に立った。
すべてを察知したウイスキーの御侍は、持ち運びやすい金品をすべて持っていき、ウイスキーに自分を協力させて夜に逃げると命じた。
彼らの馬車が去って間もなく、王国はすぐ民衆に破壊された。
ウイスキーはこの彼がとっくに知っているストーリーの結末を見ていて、奇跡が現れる事を期待していた。
同じ童話を何度も聞いたせいか、彼は初めて神の哀れみに少し期待を生み出した。
しかし神はやはり彼を裏切った。
ウイスキーは御侍を落ち着かせた後、また王国に帰った。
怒っている人たちにまだ見つけられていなさそうだった女の子を助けたかったから、彼はあの空の「監獄」に来たのだろう。
彼は自分が帰った理由をしきりに質問していた。
しかし、彼はまだ答えを得られないうちに、長い剣に刺されて、地面に横たわっている冷たい死体を見た。
真っ赤な血が彼の緋色の目を映していた。ただ少女の顔に微笑があったことが、彼女がまだ温度を持っている事を証明していた。
ウイスキーは生と死について彼女に聞いたことがある。
食霊にとっては、生だろうか、死だろうか、実は重要ではない。
彼は以前からそう思っていた。
でも、彼女に会ってから、ウイスキーは急に彼女の答えを知りたくなった。
過去に死にたいと考えたことはないが、死を恐れたこともないと彼女は言った。
死は無意味ではない。死は終わりであり、始まりでもある。だからこそ、死に価値があるんだ。
このような死には価値があったのか?
その人の顔に残った淡い笑顔を見て、彼は否定できなかった。
何故なら、これはあの人が選んだ選択だったから。
しかし、なぜ死んだのが彼女だったのか?
生まれた事以外に、この世界が彼女に何も与えたことがなかった。
彼女はこの国を守ろうとしていたのに、民に暴君として扱われて死んでしまったというのはあまりにも可笑しい話ではないか?
真実とは何か?
真実とは本当に重要か?
人々は自分の中に溜まった怒りを彼らが認識した真実の上に発散するだけで、本当に自分を迫害している人さえ見分けがつかなかった。
少しも曇らない空は、まるでこの童話の幸せな結末を暗示している。
痩せた土地に、あの悪魔の呼び声のような鐘の音がまた鳴り響いた。
しかし、そのアフタヌーンティーを飲んでいた女王はもう消えてしまった。
人々は嬉しそうに笑い、赤い絨毯を敷き、花を散らし、美しい未来を期待している。
もう少し経つと、人々は全てを忘れて、新しい生活を始める。
しかし、ウイスキーは嘘で作られたこの童話の終末を理解できない。
彼はこの全てを壊したいと思った。彼はあの人が守った平和を壊したいのだ。
この全てが彼女を奪ったかったからだ。
彼は今だ分からない。どうして契約一つだけで自分を縛ることができるのだ?
なぜ食霊は人間よりも尊いのに、契約のために無条件で服従しなくてはいけないのか?
最初から彼は何も持っていないのだ。
大切な御侍?守るべき人?
これらは契約という物を自分勝手に押し付けられるものではないか?
なぜ自分はそんな話をしたか?
なぜあの人達にそんな顔をしたか?
彼らが好きだったから、だろう?
彼らにとって、自分がしたことがすべて本当かどうかは重要ではない。
だったら、彼はいったい誰だ?
あの人達の目に映るのは本当に自分なのか?
ウイスキーは今まで長い間この矛盾した世界を理解できなかった。
この世界は欺瞞に満ちている。では、なぜ彼を誠実にさせるか?
しかし、その人と出会ってから、ウイスキーは自分が探していた物を知るようになった。
やっとのことで、彼は見つけられると思っていた。
しかし、彼女は奪われた。
だから、このいわゆる平和と、彼女を生贄にした人間を、彼は全て破壊しようとしているのだ。
彼はあの人が受けた全てを、彼女を傷つけた人全てに千倍万倍で返すのだ。
彼がまた彼女と会える未来を作るまでは……
彼がもう一度あの瞳から自分を見つけられるまでは……
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