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純米大吟醸・エピソード

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純米大吟醸のエピソード

酒好きで、花魁の衣装を着る男性。

話が上手で軽く見えるが、それは他人と距離を取る手段である。

他人を信じていない。

怒っても感情を表に出すことはない。


Ⅰ.商品

揺らめく煙幕が、 格子窓の向こう側にいる来客の心を惑わしている。彼らは虚ろな愛に騙されて、自ら望んで蜜と毒でできた泥沼へと溺れていった。


顔に出る疲れであれば、派手な化粧でなんとでも誤魔化せよう。しかし、ロ元に浮かべる妖艶な笑顔と、口唇に滴る芳醇な美酒に酔って、誰もが全てを差し出すほどに我を失なってしまう。


ここでは笑顔も愛も、酒とくらべると安っぽいものだ。


並みの者ではとても手が届かない、この夜に会える一番の高嶺の花は、誰よりも人の心を弄ぶのが上手な女だった。


煙びやかな衣装を纏った姿を前にして、それが一時の幻とわかっていても、皆が彼女に魅了されていく。


彼女は妖艶な笑顔と男心をくすぐる言葉に堪能で、愛を求める者たちから簡単に『愛の証し』を手に入れる。


──全ては芝居仕立ての、夢の世界のことでありんす。


──騙し騙され、虚の交差する世界に真実などござりんせん。


世の男たちを手の平で踊らせる彼女でも、ある男の本心だけは見えなかったようだ。


その男は彼女から数え切れない資金と情報を手に入れたが、二人の間に暗闇を照らすような光は一筋とて見えない。



そんな状況で彼女はこの世を去ってしまう。この世界で唯一あちきが気にかけた御人は、自分の『愛』に溺れてしまった。


あの間抜けな間男は、長らく求めていた『怪物を操る者』を、自分の手で斬ったことすら知るよしもない……まったく笑い話だ。



──商品は所詮、ただの商品と考えておくんなんし。


どんなに値が張るものでも、壊れたら取り替えればいい。棚の一番上に見せびらかしていた自慢の逸品ですら、人々の記憶からなくなるのにそう時間はかからない。


彼女の前で永遠の愛を誓った男たちも、今ではすっかり忘れた様子であちきの前で媚びるような笑顔を見せてくる。


(……左様で御座いますれば)


ぬしのその『愛』は、あちきが奪って見せんしょう。


ぬしの思い、無下にするほど野暮ではござりんせん。



月の隠れた長い夜。酒と艶事で己を麻痺させるあの男は、夜の闇が訪れれば、必ずここに戻って来る。


あちきは一輪の明月が浮かんでいるはずの夜空を見あげた。


(風に揺れる夜桜の美しさも、月の光がなければ物足りないものでありんすな)


「聞いたか!あのお方はむごい死に方を遂げたらしいぞ!」

「お方などと呼ぶでない、女を踏み台にして上り詰めただけのろくでなしであろう……」

「よせよせ! 殿、殿と呼んでいたのは他でもないお前だろう」

「しーっ! 声がでかい!」


ほら見るがいい。暗い夜の商品であっても、日の下の商品であっても、壊れてしまえばすぐに記憶から消し去られるもの。


「大吟醸、やりすぎたんじゃないか?バレるぞ」


全く光のない深い暗闇に振り向くと、 そこから呆れた声が聞こえてきた。


あちきは視線を戻し、輝く月を瞼に思い浮かべながら、もう一度空を眺めた。


「あちきはただ彼に『愛の証し』を求めただけでありんす。くれぬなら他の何かを差し出すのが筋というものざんしょう?」


「……それは」


言葉を詰まらせた問いかけ主に、あちきは堪らず笑ってしまった。


「それに、あちきの側にはぬしがいる。他に何か必要なものでも? あるなら教えていたしんす……フフ」

Ⅱ.月

「報酬」を払わなかった男の問題を解決したあと、平凡な生活に戻った。


あちきは下を向いて遠方を眺めている人たちに手を振った、彼らの歓声には既に飽き飽きしていた。


「おいーーおいーー鯖の一夜干し、退屈でありんすーー」


あちきは振り返って影にいるやつを見た。あの無口なやつをからかうのが唯一の楽しみでありんす。


「……何でしょうか?」

「ふむ――――気の利いた舞いでもひとつお願いしんす」

「…………」

「では、あちきが舞ってお見せしんしょうかぇ?」


影にいても彼のつまらない表情が見えるようで、ついプッと吹きだしてしまう。


手すりに戻って下に往来しているお客たちを見つめる。


人間は、いつまでたっても同じでありんすな。


あちきは室内に戻って、姫様が命を守るために差し出した巻物を広げた。


あの巻物の中には久しく見ていない月が描かれている。


全ての遊女が遠い空にあるものだと思い憧れているあの月は、あちきらにとって特別なものではなかった。


後ろから微かな足音がしたので、服を整えてあちきは巻物を持って振り向き、鯖の一夜干しを見た。


「サバ、ぬしは確か月が好きでありんしたっけ?」

「ん?何故ですか?」

「好きでありんすか?」

「……好きです」

「わかりんした」


鯖の一夜干しの不思議そうな表情を見て、あちきはつい笑い出した。服を整えてから、応接室へ向かうドアを開けた。


「あちきたちはお客様に会うべきでありんす」


鯖の一夜干しは相変わらず不思議そうにしているが、付き合ってくれる。


あの時彼が誓った通り、それは彼からの「報酬」。


だから、あちきも彼に何かの報酬をあげんといけんせん。


Ⅲ.混乱

小さき石がひとつあれば、湖をかき乱すことはできるでありんしょう。


人間の力より遥かに強い生霊は人間より使いやすい駒だ。


強い力を持っている食霊がどうして人間に扱われるのか?


もし、支配するために力が必要だとしたら、強い力を持っている食霊たちはなぜここを支配できないのだろう。


それぞれの理想、それぞれの追求。


食霊同士の争いが激しくなってきた。


保護するため、あるいは支配するために、それぞれの理想を叶えるために活気のなかった桜の島をめちゃくちゃにした。


しばらくの間、人間を巻き込んだ争いは人々に百鬼夜行と呼ばれた。


鬼の仮面をかぶった食霊は各地で自分の領域を争った。


しかし、あちきの商売はそれに影響されるどころか、昔よりよくなっていた。


なぜなら酒で全てを忘れたい人間を除くと、人間に「妖怪」、「怪物」だと呼ばれている食霊たちにとって、ここは交渉や取り引きにうってつけの場所だったからだ。


あちきはようやく桜の島の水を乱すことができた。




桜の島は昼間が短くて、見上げると太陽が輝いているが、暖かい温度は感じられない。


巻物を広げたまま、頬杖をつき窓の外の太陽を見つめた。記憶の中にある太陽と違っている。


あちきが覚えているあの太陽は眩しいほど輝いている。今目の前にある太陽を見つめても、あの時の眩しさは感じられない。


鯖の一夜干しは両手を広げてあちきの前に立ち、太陽の光を遮った。


「日差しを受けてはいけません」

「大丈夫、心配無用でありんす。もうすぐ月見団子が着く時間でありんすか?」

「奴と協力する気ですか?」

「うん?焼きもちでありんすか?」

「……あいつは危ない」

「あのような者だけが、あちきらに付き合ってくれる。そうではありんせんか?」


あちきは遮られた影から手を出した。今の微かな「太陽光」でも、一瞬にしてあちきの手に傷をつけた。


「偽物だと思って……」


鯖の一夜干しに手を掴まれ、彼は眉をひそめて、表情を歪ませた。


「危ないことはやめてください」

「危ない?ぬしがそばにいるでありんす」

「毎回貴方を守れるわけじゃない」

「大丈夫、あちきはぬしを信じていんす」


返事ができない鯖の一夜干しを見て大笑いした。やっぱりこいつはとても面白い。


一瞬のうちに、「太陽」が雲に隠れて、桜の島が深夜のように暗闇に沈んだ。


「最近昼間の時間が短くなってきた」


鯖の一夜干しは一瞬にして暗くなった外を見て、そう言った。闇が好きなはずの彼も寂しげに言った。


「そうでありんすな。もし夜しかなかったら、それでもあちきらは夜を求めたでありんしょうか?」


Ⅳ.計画

心地よい三味線の音が響いている。あちきは目の前にいる客に手酌した。


客と一緒に酒を飲むのは嫌いではない。

鯖の一夜干しは酒に弱く、まだ始まったばかりなのに既に酔っていた。


目の前にいる客はあちきの提携パートナーだ。


「やはりここのお酒が一番いい」

「それはもちろんでありんす。この歌舞伎町で大吟醸がいるのはこの店だけでありんす」

「だから、やつらはここであなたと交渉するのでしょう?」


あちきは月見団子の笑い出しそうな表情を見て、酒を一気に飲んだ。


「彼らは本当にあちきの店が好きじゃありんせんの?」

「もちろん好きです」


猪口(ちょこ)はとても精巧で、清酒の下に描かれた金魚は、まるで尻尾を振って泳ぎ出しそうだ。


月見団子はある箱を机に置いた。


「うちのボスから手土産です」

「ほう、あのガキが手土産でありんすか?」


あちきは箱を鯖の一夜干しに渡した。彼は月見団子が室内に入ってから、すごく警戒している。


鯖の一夜干しはとてもいいやつだけど、たまに頑固になってしまう。それにゴマすりみたいなおべっかは苦手なようだ。


交渉が終わってから、月見団子を見送って、あちきは疑問に思っていたことを聞いた。


「本当に一緒にこの計画を執行するでありんすか?ぬしにとって、メリットは何もないでありんしょうに」


殆どの人の欲求は見いだせるが、あちきは目の前にいる優しく笑いかけてくれるこの者を理解することができない。


「あの月を見られるなら十分メリットがある」


彼の理由は単純だ。あちきの長年の経験から見て、彼は嘘をついていない。


でも本当にそんな簡単な理由でいいのだろうか?彼の考えがわからない?


久しぶりに面白いやつに出会った。


月見団子を見送ってから、室内に戻って鯖の一夜干しの不満そうな表情に気づいた。笑いながら彼の前に酒を置いた。


「貴方たちの計画は危ない」


彼には応じず、窓の外の風景を見た。


どんなに綺麗な桜、美人、うまいお酒があっても、月がないだけで何かが欠けているようだ。


「いったい何をするつもりですか!」


頭を振って焦っている鯖の一夜干しを見て、持っている杯を回した。


「手伝ってくれんすか?」

「……ええ」

「たとえなにがあっても?」

「ええ」

「ねえ、いったいあちきは何がしたいのでありんしょう?この浮世に大切なものとは何でありんしょうか?」


Ⅴ.純米大吟醸

桜の島には歌舞伎町の愛人を利用して大臣になった男がいた。


あの綺麗な花魁は幼馴染との約束を果たすことができず、自分の心を「ふるさとから彼女を探しに来た」という貧乏な男に託してしまった。


彼女は良心を無視し、言って良いこと悪いことも全て自分の恋人に伝えてしまう。


彼女は恋人との誓いを信じていた。彼が出世してから最初の満月が現れたとき、二人は自由になれるはずだと。


しかし、月が沈まないうちに、恋人は彼女に刀を振るった。


「すまん、将軍様に姫様と結婚することを命じられた。姫様は私たちの事を知り、おまえが許せないようだ。月、すまない」


まだ姫の婿になっていないというのに男は浮かれていた。そんなところに、彼が全力を尽くしても召喚できなかった食霊が目の前に現れた。


「ぬしは、あの馬鹿な女を心から愛していたでありんすか?」


「……どうやら心はなかったようでありんすね。ぬしのような客はここにいらしてはなりんせん。罰を受けて当然でありんしょう。……そうでありんすな、姫様もご一緒の方が良いでござりんしょう。つきおうていただきましょう」


人間の力は食霊に比べれば遥かに劣っている。


警備が厳しい城であっても、一瞬にして二人の食霊に滅ぼされた。


大吟醸は姫が命を守るために渡した巻物を手にした。噂によれば桜の島の秘密が書いてあるそうだ。読み取れない内容もある。


うんざり気味の大吟醸は巻物を見て考え込んでいた。


「大吟醸、こいつらからもう情報は聞きだせそうにない」

「ならば、お命頂戴いたしんしょう」


姫の城を出た大吟醸が頭を仰いで月のない空を見つめる。今までにないこわばった表情。


「大吟醸?」

「ふふふ、今すぐ行くでありんす」


彼は鯖の一夜干しの後ろ姿を見てちょっと注意を逸らした。


「もし昼間がなかったら、夜が存在する意味などないでありんす……どうやら、この芝居、ここからが山場でありんしょう?」



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