闇を晴らす光・ストーリー
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闇を晴らす光
1.病気
眩しい太陽の光が、窓辺でゆらめくカーテン越しに病室のベッドに降り注ぐ。ベッドに横たわった青年は表情を歪めている。顔面は蒼白しており、とても弱っているように見えた。
テキーラ「くっ……!」
傷口がまた痛みを訴える。テキーラは眉間に深い皺を寄せたまま眠っていた。マティーニは弓を抱えて、テキーラの寝ているベッドの横でうとうととしている。もう何日も正常な睡眠が取れていないようだ。
テキーラ「うっ……み、水……。」
昏睡から目を覚ましたテキーラはゆっくりと体を起こしてそう呟いた。その声にマティーニも目を覚ます。
マティーニ「やっと目覚めたか……ん? テキーラ、頭を押さえてどうした?」
テキーラは眩暈でもしているのか顔を顰めている。だが彼の瞳には強い意思が感じられ、マティーニは眉間の皺を緩ませて安堵した。
マティーニはそんなテキーラに水の入ったグラスを渡す。熱の籠った喉の感触を消すため、テキーラは受け取ったコップの水を一気に飲んだ。
テキーラ「……ゴホッ! ゴホゴホッ!!」
テキーラは水にむせて激しく咳込んだ。マティーニはそんな彼の背中を撫でる。
マティーニ「ゆっくり飲むといい。焦らなくて大丈夫、水ならたっぷりある。」
大きく息を吐いて、テキーラは水を飲む。そんな彼を横目に、マティーニは立ち上がり、病室の外に出て行った。誰か呼びにいったようだ。
暫くして、マティーニはヴァイスヴルストを連れて病室に戻ってきた。彼らの背後には、フィッシュアンドチップスの姿もあった。彼は、ヴァイスヴルストにアフタヌーンティーのデザートをよく送ってくる食霊だ。
ヴァイスヴルストは目を覚ましたテキーラの様子を見る。細かい検査ののち、彼の引きつっていた表情が穏やかになった。
ヴァイスヴルスト「大丈夫そうですね。堕神の瘴気が体内に侵入した痕跡はありません。摂取した薬も全て代謝できています。あと数日安静にしていてください。」
フィッシュアンドチップス「良かったな、テキーラ! それにしたってお前、無謀過ぎだぞ! 一人で堕神の巣窟に向かうなんてさぁ!」
テキーラ「こうして生きて戻ってこられたのだから良いだろ。安心してくれ、僕は節度は弁えているからね。」
ヴァイスヴルスト「ほう……節度を弁えていると……? どーのーくーちーがー言いますかー?!」
ヴァイスヴルストの怒りの籠った陰惨な声に、部屋の空気が一瞬で凍り付く。ヴァイスヴルストによくお仕置きをされているフィッシュアンドチップスは反射的にマティーニの背後で縮こまった。
ヴァイスヴルスト「テキーラ、ここに薬を置いておきます。しっかりと最後まで飲み切るように。わかりましたか?」
ナイトテーブルに置かれたクスリを横目で見て、テキーラの顔が青褪める。テキーラは息を呑んで、恐る恐るヴァイスヴルストへ視線を向けた。
テキーラ「ぼ……僕は大丈夫だよ……寝ていたらすぐに元気になるから、薬は必要ないんじゃないかな?」
引きつった笑みを浮かべるテキーラに、ヴァイスヴルストはフッと鼻先で笑う。そして、異様な匂いを発しているシロップ状の薬をテキーラに差し出した。
ヴァイスヴルスト「これは光耀大陸のレシピから作られた名薬です。あなたのような、人の話に耳を貸そうとしない者にはピッタリの飲み薬ですね。」
テキーラ「えぇっと……これはあの……?」
ヴァイスヴルスト「問答無用です! マティーニ、フィッシュアンドチップス! 彼を取り押さえてください!」
テキーラ「わぁっ! やめろーっ!」
ヴァイスヴルスト「無茶をした報いです。ハンッ! さぁ、全部飲んでもらいますからね!」
テキーラは、喉に流し込まれた液体に反応して激しい悲鳴をあげた。その様子に、ヴァイスヴルストは満足そうに眼鏡の縁を指で押し上げて、清々しい表情で病室を出ていった。
テキーラ「うえぇっー!! の、喉が焼ける!! みっ、水をくれっ! ひどいえぐみだ!!」
首を押さえて絶叫するテキーラに、フィッシュアンドチップスは、同情の眼差しを向けて、静かに頭を横に振った。
マティーニ「自業自得だ。反省しろ。」
そう嘆息し、マティーニはテキーラに水の入ったグラスを渡した。
テキーラ「キミたち……仲間だと……信じていたのに!! くらえ、怒りの回旋キーック!!」
ありったけの力を込めたテキーラの回し蹴りくらいそうになったフィッシュアンドチップスは、すんでのところでそれをかわした。そしてその肩にポンと手を置き、気まずそうに口を開く。
フィッシュアンドチップス「許せ、テキーラ。ヴァイスヴルストに逆らったら、次は俺たちが彼のターゲットになる……そうだよ、お前の犠牲は尊くも意義のあるものだった。」
2.禁足
軽快な冗談を放ったフィッシュアンドチップスとは対照的に、マティーニの表情は暗い。
マティーニ「残念ながら、同情はできない。君は全身ボロボロになって倒れていた。ヴァイスヴルストは怒り狂っていたし、キャンディケインなんて泣き出す寸前だった。テキーラ、あの子が前回泣いたのがいつだったか覚えてるのか?」
テキーラ「……悪かった。」
マティーニ「私(わたくし)に謝る必要はない。怪我してるのは君だ。」
テキーラ「……。」
マティーニ「それより、君は一体、何を見たんだ? 何故一人で堕神の巣窟に?」
テキーラは両手を握りしめ、眉間に皺を寄せて顔に影を落とす。マティーニとフィッシュアンドチップスは思わず息を呑んだ。
テキーラ「僕は……見たんだ、マルガリータを利用した奴等を。」
テキーラの震えた声に、その場にいた全員が押し黙る。室内の空気は瞬時に重たいものとなった。
テキーラ「もし……あのとき僕がマルガリータの異常に気付けていたら……!」
マティーニ「何故、私に教えてくれなかったんだ?」
テキーラ「お前を巻き込みたくなかった……。」
マティーニはその言葉に体を小刻みに震わせる。手にしたグラスが、今にも割れそうに軋んだ。フィッシュアンドチップスはいたたまれない様子で、慰める言葉を見つけられない。
フィッシュアンドチップス「ああああっ、そうだ! 最近、法王庁の外にすっごい可愛い花売りのお姉さんがいるんだ! 今度一緒に花を買いに行ってくれないか? えええとっ! 確か彼女、甘いものが好きだとか言ってた気がするなぁ!?」
フィッシュアンドチップスは額に汗を浮かべて、今にも掴み合いを始めそうなふたりの間に割って入った。テキーラは頷く。それは、マティーニを怒らせるようなことは言わない、という意思表示だった。
テキーラ「ちょうどいい。僕もすぐに支度をする。だから、皆で出かけよう。最近任務が多すぎて忙しいからな、のんびり休んでもいられない。」
フィッシュアンドチップス「えーっと、テキーラ……これはクロワッサンからの禁足令だ。お前が自分の無謀な行動を反省できるまで、暫く外出禁止だって。で、でも! ちゃんと反省できたらまた任務につけるからさ!」
マティーニ「私は暫くフィッシュアンドチップスとコンビを組む。君はしっかりや・す・ん・で・い・ろ!!」
マティーニはいつものユーモアで優しい話し方ではなく、棘のある物言いでそう告げた。テキーラに怒りを覚えているようだが、彼は怪我人である。それ以上の争いを避け、マティーニはカツカツと足音を立てて部屋から出て行く。
そして、バン、と激しい音をさせて部屋のドアを閉めて去っていった。
フィッシュアンドチップス「……。」
テキーラ「……。」
フィッシュアンドチップス「あのさ、テキーラ。マティーニの奴、今回は本気で怒ってるぞ。」
テキーラ「……みたいだな。」
フィッシュアンドチップス「彼が怒ってる原因は敵の計略にハマったからじゃないぞ? わかってるくせに……ま、いいか。俺はこれ以上の口出しは止めとくよ。とりあえず君は、ゆっくり休むといい。」
フィッシュアンドチップスも病室から出て行く。ひとり残されたテキーラは、包帯でぐるぐる巻きにされた腕を見て、がっくりと項垂れた。
テキーラ「ごめん……。」
3.後悔
――ドンドンッ!!
テキーラはドアの激しいノック音で我に返って顔をあげた。すると、キャンディケインが巨大なプレートを掲げて室内へと入ってくる。
彼女の不似合いすぎるその姿に瞬きしてテキーラはその様子を唖然として見守る。キャンディケインはプレートをテーブルに置いて安堵の息をつき、テキーラへと満面の笑みを向けた。
キャンディーケイン「テキーラ、おはよう~♪」
ふわりと笑ったキャンディケインにつられて、テキーラも思わず表情を綻ばせる。そして手を伸ばし、キャンディケインの頭をそっと撫でた。
テキーラ「今日はどうした? クロワッサンの宿題はもう終わった?」
キャンディーケイン「うん! クロワッサンさまから褒めてもらえたの! それで、今日は大事な任務を任せてもらえたんだぁ。」
キャンディケインが微笑んだ。彼女の笑顔には不思議な力がある。どれほど疲労していても、彼女の笑顔で皆が元気になるのだ。
テキーラの眉間に刻まれた皺は消えた。キャンディケインにつられたのか、自然と笑ってしまっている。
テキーラ「へぇ? だったらなんで僕のとこに? 任務は大丈夫なのか?」
キャンディーケイン「えへへ。わたしの任務はテキーラが脱走したりしないように見守ることなの!」
キャンディケインは無邪気な笑顔で、ベッドの横にある椅子によじ登って座る。そして地面に着かない両足を揺らした。
そして、キャンディケインが元気よく童謡を鼻歌を口ずさむ。机の上にはクッキーがたっぷり入ったバスケットと本があった。『監視』役に抜擢された彼女は随分と長いことここにいるつもりらしい。テキーラは脱力して呟いた。
キャンディーケイン「わたしだって監視なんてしたくないけど! テキーラが悪い子だから! 毎回ボロボロになって帰ってくるんだもん! だから監視役をつけられたんだよ?」
キャンディーケイン「私はフィッシュアンドチップスみたいに優しくないから、テキーラがいい子にしてなかったら、ヴァイスヴルスト先生に言っちゃうよ~? 先生、悪い子にはたっぷりドリンク剤飲ませるって!」
テキーラ「ひっ! そ、それだけはやめてくれ! 僕は逃げない! 誓うからっ!」
キャンディーケイン「えへへ! だったらいい子にしてようね~、わかった? 早く怪我を治そう? 元気になったら、クッキーを焼いてあげるから!」
キャンディケインはさっきテキーラにされたように彼の頭をそっと撫でて、顎を少し上げて得意げに笑った。対してテキーラは罰悪そうに肩を竦める。
テキーラ「はいはい、お嬢様。クッキー、楽しみにしてますよ。」
テキーラは大人しくベッドに戻り、両手を頭の後ろに回して天井を見上げた。
食霊は人間のように脆くはないが、自癒が追い付かないほどの重傷になると命の危機に晒される。今回、プレッツェルとヴァイスヴルストが助けに来てくれなかったらどうなっていたかわからない。
テキーラ「(はぁ……クロワッサンたち、きっと怒ってるだろうな。今回は堕神の埋伏のせいで、マティーニすら危なかった)」
テキーラの嘆息に気づいたのか、本を読んでいたキャンディケインが甘い声でテキーラを硬直させる言葉を口にした。
キャンディーケイン「クロワッサンさま、今回はとってもご立腹みたいなの。眉間にすごい皺が寄ってたから!」
キャンディケインは眉毛に二つの細長いクッキーを置く。テキーラは逆八になったクッキーを眺めて、脳裏に眉毛がクッキーになったクロワッサンを想像し、思わず吹き出してしまった。
キャンディーケイン「笑いごとじゃないよ? クロワッサンさま、本当にカンカンなんだから! あの日、レアのステーキ肉を何回も何回も刻み込んで、お肉がジャムみたいになってたんだから……。」
その光景を思い出したのか、青ざめた顔をしてキャンディケインは己を抱き込んで、その体を震わせた。
テキーラはそんなキャンディケインを見て、顔を引きつらせる。クロワッサンが眉間に皺を寄せ、己に見立ててステーキ肉をディナーナイフでザクザクと切り刻んでいる場面を想像したからだ。
テキーラ「(まいったな……クロワッサンはヴァイスヴルストと画策して、いよいよ僕のことを殺すことにしたか?)」
4.過去
キャンディケインはテキーラを震え上がらせた後、また読書を再開した。こうして釘を刺すことで、彼を大人しくさせようという算段だろう。聡い少女だ、とテキーラはページを捲る音を心地良く感じながら、彼女を見入ってしまう。
そのとき、キャンディケインが顔をあげる。テキーラの視線を感じ取ったからだろう。
キャンディーケイン「テキーラ、もしかして具合悪い? 今、お水を持ってくるね!」
テキーラ「いや、大丈夫。そのまま座っていて。君に少し聞きたい事がある。」
キャンディーケイン「なあに?」
テキーラ「 キャンディケインには思い出したくない過去とかある? 例えば……後悔してることとか?」
キャンディーケイン「後悔? あるよ! 昨日、フィッシュアンドチップスに『明日のおやつのクッキーをあげるから、代わりにその卵焼きをくれ』って言われたからあげたんだ。でもね、今日のおやつはクッキーじゃなかったの!」
キャンディケインは口先を尖らせ、怒りを滾らせている。テキーラはフィッシュアンドチップスの行いに一瞬苦い顔をした後、彼女の鼻先をつまんで言った。
テキーラ「それはひどいことだと思うけど……そうじゃなくて、例えば村から離れてなかったら、こうして毎日危険に晒されることもなく、毎日聖歌隊で楽しく歌を歌ってたかもしれないよ?」
キャンディーケイン「ねぇ……テキーラにはそういうことがあったりするの?」
テキーラ「そうだなぁ……もしもっと早い段階でマルガリータの様子がおかしいことに気付けていれば、とか。村に入ってすぐ奴らの陰謀に気づけていたら、とか。最近なら、敵の拠点に向かう前に、マティーニに知らせておけばよかったかもな、とかかな?」
キャンディーケイン「むむむ……。」
テキーラ「僕の話はいいよ。君はどうなの?」
キャンディーケイン「そういうのはないよ!」
迷わずキャンディケインが叫んだのを聞いて、テキーラは驚いて目を見開いた。
テキーラ「ええ!? 一つもない? ホントに?」
キャンディーケイン「うん! たまにやだなってこともあるけど、基本的にこれまでのことには、全部感謝してるよ。」
テキーラ「あらゆることに……。」
キャンディーケイン「だって、確かにつらいことや悲しいことはあったけど……だからこそ、今のわたしがいるんだもん! わたしが大好きなみんなに出会えたのは、この経験のおかげだって思ってる!」
キャンディーケイン「テキーラだって後悔はしてないでしょ。マルガリータを助けたこと、どう思ってる? 彼女と一緒に旅したこと……私たちの仲間になったこと――後悔してないよね?」
テキーラ「ああ……そうだね。後悔はしてないかな……。」
キャンディーケイン「でしょ! わたしも、もし村が堕神に襲われたとき今の力があったらって思うもの。そうしたら、マリーおばあちゃまやハンスお兄ちゃんが死ななかったのかも、って……。」
キャンディーケイン「大切な人たちが亡くなって辛かったけど、だからこそわたしはこの『法王庁』まで辿り着けたの。あの頃は無力だったけど、だから少しずつ良くなっていこうって、モチベーションに繋がってるんだ!」
テキーラ「少しずつ……良くなる?」
キャンディーケイン「うん! テキーラだって変わってきてるよ。この法王庁で一番機敏なのがテキーラでしょ。クロワッサンさまだってテキーラのこといっぱい褒めてたもん。小さな手がかりを見つけるのは、いつだってテキーラだから!」
キャンディケインは興奮していてテキーラが黙り込んだのに気づいていないようだった。しかし、噛んだりたどたどしく子どもっぽいその話に、次第にテキーラの心を縛り付けていた重たい鎖が解放されていく。
キャンディーケイン「笑顔ってね、みんなを明るくさせるんだよ。だからわたしはいつも笑っていようって決めたの。そうすればみんなも笑顔になってくれるもの。テキーラも頑張ろっ!」
少女の励ましの言葉を受け取りながら、テキーラは脳裏に渦巻く様々な感情に支配されていた。人間の屍で出来た罪悪感と後悔の山が、彼の理性を駆り立てている。
彼は、マルガリータの異常に気づくことができなかった自分を、クロワッサンたちに迷惑をかけた自分を、繰り返し責めていた。自分が選択した方法とは別の行動をできていたら、また違う結果を導けたかもしれないからだ。
しかし、目の前で懸命に己を慰めようとしてくれているキャンディケインに、テキーラの心中は少しだけ癒された。そのお礼に、テキーラはキャンディケインの頭をくしゃくしゃと少し乱暴に撫でた。
キャンディーケイン「な、何するのー!!」
キャンディーケイン「へ? ど、どういたしまして!? キャンディケインは、みんなのことが大大大大好きだから、当たり前のことをしただけだよ!」
5.解く
ドンドン――
笑顔のテキーラと戸惑うキャンディケインが戯れているそのとき、病室のドアをノックする音がした。
キャンディーケイン「あっ! クロワッサンさま。」
クロワッサン「キャンディケイン、イースターエッグが探してましたよ。」
キャンディケインはハッとして、ひっくり返った声をあげる。
キャンディーケイン「わわっ! そういえば、今日はイースターエッグと一緒に福祉施設に行くんだった! クロワッサンさま、テキーラ、またあとで~!」
キャンディケインはクロワッサンの横をすり抜け、部屋から出て行く。そんな彼女を見送ってクロワッサンはその場に立っている。どうやら去る気はないようだ。
クロワッサンは引きつったテキーラを余所に、彼のベッド近くに椅子を引き寄せて座った。公務を沢山抱えているクロワッサンは常に忙しい。それなのにこうしてここに来た事実に、テキーラは激しい焦りを覚えた。
クロワッサン「少々お待ちを。まだ処理しきれていないことがあります。」
クロワッサンの手にはたくさんの書類があった。皆の協力は当然あるが、ティアラ大陸全域にある法王庁を正常に動かすため、リーダーであるクロワッサンには休日など殆どない状態である。
室内には、紙がまくれる音とペンが走る音だけが響く。テキーラはクロワッサンを見ながら焦燥感に身を焦がした。
病室にはペン先が紙の上で動く音のみ響いていた。テキーラの声に反応を示すことなく、クロワッサンの視線は書類から離れない。書類にサラサラとサインをしていた。
暫くその緊張感の中で耐えていたテキーラが、いよいよ限界に達して窓から飛び降りて逃げようとしたとき――クロワッサンはやっと手元の書類を整理し終えたのか、机の上で紙を揃える。そしてゆっくりと顔を上げた。
クロワッサン「どちらへ?」
テキーラ「……先日の行動は確かに軽率でした。もうしません。」
テキーラは振り返って、素直に頭を下げた。その様子に、クロワッサンは小さく溜息をついた。
クロワッサン「彼らは一刻も早く探さなければないません。ですが、あなたはもう少し自分自身や仲間のことを大切にするべきです。」
クロワッサン「あなたたちは皆、法王庁にとって大切な存在です。あなた一人の行動と判断で任務が先送りになってしまう事態は今後可能な限り避けたいです。こうしている間にも堕神に命を奪われている者がいます。私たちは、悲劇が起こる前に堕神を倒さなければなりません。」
クロワッサンは淡々と無表情で話す。だから彼の真意は汲み取れなかったが、テキーラは嫌な気はしない。
もし皆の安全を願っていなければ、クロワッサンはプレッツェルに自分を助けるように命じなかっただろう。仲間の安全は勿論、皆が何を好きか、飲食に関することや気分の変化などすべてのことに、彼の注意は行き届いている。
クロワッサン「見てください。」
テキーラはクロワッサンから差し出した書類を受け取り、困惑しながら読み始めた。そこには壮絶な事件の記録が記載されていた。
テキーラ「これは……?」
クロワッサン「我々の捜査でマルガリータが居た村以外で起こった、類似の事件です。彼らは食霊を迫害するだけでなく、仲間にすら慈悲を与えなかった。彼らは組織として動いている。まだ事件は解決していません。」
テキーラ「……。」
クロワッサン「ですがあなたの救助の後、彼らの詳しい特徴を把握する事ができました。内部にでしか知ることができないだろう情報も多く手に入りました。先月のデータを見ますと、あなたの手柄で八件も似たような事件を阻止できました。」
テキーラ「……僕は。」
クロワッサン「彼らを暫く泳がせるように指示したのは私です。そしてその決断をした結果、より多くの者を助けられた。この事件はあなた一人の責で動いているものではありません。これからのために、あなたはもっと自分の力を蓄えておいて欲しい。」
テキーラはそれを告げるために、自分に書類を見せてくれたのだと気が付いた。とはいえ、クロワッサンの表情には変化が見られず、その心情は読み取れない。
クロワッサン「先ほどの繰り返しになりますが、この事件で起きた悲劇をあなた一人の責として捉えないで欲しいということです。これは私たち、皆が立ち向かう事件です。」
テキーラ「あぁ……よく分かりました。心配かけて申し訳ありません。同じ過ちは二度と犯しません。配慮くださり、ありがとうございます。」
クロワッサン「心配も配慮もしていません。これ以上仕事が遅れないようにしてもらいたいだけです。ご理解いただけたようなので、私は戻ります。まだたくさんの仕事が残っていますので。」
クロワッサンの態度はいつも通り、淡々としている。だが彼が逃げるようにこの場を去ろうとしている。その態度から、彼が心配と配慮をしてくれたことを理解する。赤らんだ顔で立ち去る上司に、テキーラは感謝の意を込めて頭を下げた。
6.兄弟
顔をあげたテキーラは背を向けたクロワッサンを見ながら、淡々としていて感情の読めない彼が多くの仲間から尊敬されている理由を改めて理解する。
クロワッサンがドアノブに置いた手を、そのまま動きを止める。そして、一瞬の躊躇を見せた後、テキーラへと振り返った。
テキーラ「どうしました?」
何か彼が言おうとしていることはわかったが、テキーラにはその内容がわからない。まっすぐにその目を見て、クロワッサンの言葉を待った。
クロワッサン「ここは、いつでもあなたが帰るべき場所です。あなたは仲間に頼ることを覚えてください。でないと、私のように信じている人を失望させてしまいますよ。」
その言葉に、テキーラは息を呑んだ。そんな彼を置いて、クロワッサンは病室のドアを開ける。その瞬間、ドアの向こうから見知った姿が倒れ込んできた。
そこにいたのは、マティーニだ。彼はまだ怒った様子で、ベッドにいるテキーラを見ようとはせず、罰悪そうにそっぽを向いた。
マティーニ「……ただの通りすがりだ。すぐに行く。」
クロワッサン「中へどうぞ、マティーニ。私はもう戻りますので。それと、テキーラの禁足令についてですが、さきほど解除しました。それでは。」
クロワッサンはマティーニとテキーラの間に漂うぎこちない空気などお構いなしに病室からさっさと出て行った。
マティーニ「フィッシュアンドチップスの準備できたみたいだ。私はもう行く。」
テキーラ「マティーニ! ……悪い、僕のせいで怪我をさせてしまった。」
マティーニはテキーラをジロリと睨む。怒りに満ちた表情で、ズカズカとテキーラの前まで近づき、彼の胸元に手を伸ばした。
マティーニ「自分のせいで、と言ったな? 私がなんで怒っているかわからないのか? テキーラ、あなたは私をなんだと思ってるんだ!?」
胸倉を掴まれて、テキーラは驚いてしまう。普段のマティーニならこんな風に感情を露わにしたりしない。いつも笑顔で明るいマティーニがこれほど怒りに猛っている。これはよほどのことだ、とテキーラは思った。
テキーラ「僕は……。」
マティーニは息を荒げ、歯ぎしりをしながらまだ自分の気持ちを理解していないテキーラに更に怒りをぶつける。
マティーニ「プレッツェルの到着が遅かったらどうなってたか! ヴァイスヴルストとキャンディケインの救出が間に合わなかったら!? 君は、この問題についてもっと真剣に考えるべきだ……!」
テキーラ「ごめん……。」
マティーニ「私はあなたの仲間ではないのか? 何故何も告げずにひとりで敵地に乗り込んだ? もしや私が止めると思った? それとも……私が足手まといになると思ったのか!?」
テキーラ「違う……僕はそんなこと……」
マティーニ「私たちは兄弟みたいなものだと……ここを自分のホームだと思ってくれ、と君は言ってくれた。それが、私にとってどれだけ嬉しいことだったか! それなのにあなたはひとりで言ってしまった。まだ私があなたにとって他人だからか……?」
マティーニの手が小刻みに震えていた。テキーラはどうしていいか分からない。
マティーニが法王庁に来てから、よく一人で任務に出て怪我をしていた。そんな彼に手を伸べたのがテキーラだった。そんなテキーラと行動するようになったおかげで、マティーニはだんだん法王庁で居場所を作れた。
マティーニは郊外の揺れる焚火の前で、自分に手を伸べてくれたのがテキーラだった。何かあったら一緒に乗り越えよう、だからもっと信じてくれ――そう言ってくれたテキーラの顔をマティーニは決して忘れることはないだろう。
戦闘力を見たら、テキーラはマティーニより劣っていた。だがあの瞬間、マティーニにとって、テキーラはかけがえのない仲間となった。
マティーニは落胆した表情で、テキーラの胸元から手を離した。そんなマティーニの背中を、テキーラはそっと撫でる。
テキーラ「心配かけて……悪かった。」
テキーラ「僕は……皆が傍にいてくれていることを忘れてしまっていた。自分ひとりで解決するんだって、思い込んでしまっていたんだ……信じて欲しいって言ったのは、自分なのにな。」
深呼吸をして、マティーニはテキーラを見る。そこには見る者を元気にする、いつもの笑顔を浮かべる彼がいた。
マティーニ「また同じことがあったら、そのときは問答無用でぶん殴る。いいな?」
テキーラ「わかった。今回の任務が終わったら、酒を奢るよ。それでどうだ?」
マティーニ「ああ、あなたにしては、まぁまぁの返事かな。じゃあ、そろそろ行こうか!」
7.戦闘
テキーラの暴走劇は、多忙な法王庁にとってはよくある小さなエピソードである。こうした喧嘩を繰り返して、彼らは仲間と絆を深めていた。
法王庁のメンバーである食霊たちは、堕神から人間を救うために日々忙しく働いている。
その日もテキーラとマティーニは、堕神討伐のために辺境の地へと向かった。先日の事件をきっかけにに信頼関係を深めた彼らは息の合った戦いを繰り広げる。それは、端で見ている者の目にも留まるようになった。
マティーニ「あっ! 逃げられますっ!」
テキーラ「くっ! 数が多すぎる! 道を開けろ!」
堕神はだんだんと遠ざかっていく。ふたりは焦って追い打ちをかける。そのとき、不意に堕神の首領が目の前で崩れ落ちた。
何故首領が落ちたのかはわからないが、これは好機である。他の堕神にふたりは向き直る。しかし、他の堕神たちは首領の亡骸を前にもう勝機はないと察したのだろう、皆一目散に散っていった。
ふたりはホッとして互いの顔を見て頷いた。そのとき、テキーラの目の端に、倒れた堕神に首を垂れながら、供養の言葉を唱えている者の姿に気づく。
テキーラ「あのフードから除いている尖った耳は――もしや……?」
マティーニ「いつの間に……さっきまではいなかったはずです。」
とはいえ、堕神の為に祈る彼の吟唱を中断したくなかった。ふたりは、黙って男の様子を見守った。それから暫くしてことを終えた男がテキーラたちに振り返る。
ビール「やぁ、はじめまして。僕はビール。通りすがりに申し訳ないと思ったが、少し手を焼いているようだったから余計な世話を焼いてしまった。君たちはテキーラとマティーニだね?」
テキーラ「僕たちのこと、ご存知なんですか?」
ビール「あぁ……君のとこのちびっ子からに聞いたんだ。でも、手紙に書いてあったように興奮状態ではもうないみたいだね。悩みはもう解決したのかな?」
テキーラ「(誰に聞いたって? ……こいつの目的は何だ?)」
ビール「ご安心を。僕は怪しい者じゃありません。でもこう言ったら余計怪しいか! はっははは!」
マティーニとテキーラは、ひとり大爆笑しているビールを前にして困惑してしまう。だが、彼が自分たちを助けてくれたことに間違いはない。テキーラは後頭部を掻きながら言った。
テキーラ「良かったら一杯奢らせてくれないか? 詳しい話はそこで聞かせてくれ。」
ビール「お、本当かい? ありがたく奢られるとするかな!」
8.酒
マティーニとテキーラは、ビールに連れられて町の酒場へとに入った。
ビール「女将さん、ビール三杯お願い! 一番大きいジョッキで。彼らリカーは飲めないから、ビール!」
テキーラとマティーニはただただ唖然としてしまう。どうやらこのビールという馴れ馴れしい食霊は、自分たちが度数の高いお酒が飲めない事まで知っているらしい。
ビール「ほら早く座って。ここのビール、本当に美味しいんだ! 僕は君たちを咎めるために来たんじゃない。君たちをここに来させるようにクロワッサンに頼んだのは僕なんだからさ。」
ビール「ん? クロワッサンとラムチョップは僕の生徒だったからね。まぁ、そんなことはどうでもいいよ、まず乾杯だ!」
クロワッサンは法王庁の教皇代理だが、彼の内情を知る者は少ない。テキーラとマティーニは警戒心を拭いきれないまま腰を下ろした。
テキーラ「(……奴?)」
マティーニ「……あの、あなたはクロワッサンの老師なのですか?」
ビールはマティーニが言った『老』と言葉を無視して頷いた。そしておかみさんから受け取ったビールを豪快に飲み干す。それは彼の神秘感溢れる格好と全く釣り合っていない。
ビール「彼らを教えていたのは、ナイフラストにいた頃だな。はっははは! 僕はこう見えて君たちよりずーっと年上なんだぞ~!」
テキーラはヴァイスヴルストが用意してくれた薬剤をジョッキの中身を検査してみたが、怪しい成分は確認できなかった。ビールの豪快な笑い声と飲みっぷりがだんだんテキーラとマティーニの警戒心を緩める。
男たちは、喧嘩の後に酒を飲む――そうすることで、友情が深まっていく生き物なのだ。
テキーラは酒と賑やかな空間が好きだった。だから次第にご機嫌になっていく。マティーニはビールの尖った耳について質問してどんどん彼に打ち解けていく。気づけばふたりは、ビールと肩を組みながら楽しく酒を飲んでいた。
マティーニ「ヒック! ねぇ兄さん、クロワッサンは法王庁の情報網を使って僕の種族を探してもいいって言ってくれたんだけどね……ヒック! 私はこれまであなたとジンジャーブレッドっていう少女にしか会ったことがないんだ……。」
ビールは大した聞き上手のようだった。他人となかなか打ち解けないマティーニすらもジョッキ片手に彼に悩みを打ち解けてしまう。ビールはそんな彼に、自分が持っている情報を教えてやった。
ビールには生まれつき、他の者を惹きつける魔力でもあるように見えた。すっかりビールに気を許したテキーラは、クロワッサンがいつも人員不足で悩んでいることを思い出してビールに言った。
テキーラ「ビール、お願いがあるんだけど聞いてくれないか? 善良な者たちが僕たちの助けを求めているんだ。だから……良かったら、僕たちの仲間になってくれないか? 」
9.突撃!
その誘いに、ビールはとても驚いたようだ。ジョッキを持っている手が止まった。言葉を詰まらせて、愛想笑いを浮かべている。
テキーラは、ビールが法王庁の任務についたら、己の旅に支障が出ると考えて迷っているのではないかと思い、更に続けた。
テキーラ「大丈夫! 法王庁は放任主義なんだ! もし法王庁に住むのが嫌なら、旅に出ても平気だ。ティアラ大陸全域に僕たちの支援スポットがあるんだ、たまに救助情報を受け取って支援してくれたらいいからさ!」
マティーニもビールに対して好感を抱いているようで、自分の仲間になって欲しいと願っているようだった。テキーラの言葉に被せて、ビールを熱っぽく誘う。
マティーニ「ああ! そうしたら旅をしていても住むところに困らないでしょう!」
ビール「うーむ……。」
ビールが悩ましそうに唸っているのを見て、酔いが回ったマティーニとテキーラはガックリと項垂れてしまう。叱られた子犬のような顔をしているふたりに、ビールは断りづらそうに目を細めた。
ビール「でもなぁ……。」
テキーラ「仲間たちなら心配しなくていい! みんないい奴だからさ! ビールなら大丈夫だ! 仲間になってくれ、兄弟!!」
そのときだった。騒がしい酒場のドアが突然勢いよく開かれる。
バン——
ドアの向こうに立っていたのは、呼吸を乱して汗だくになっているクロワッサンだった。マティーニとテキーラはこんなにも取り乱しているクロワッサンを見るのは初めてである。
旁白 焦った様子で周りを一瞥し、すぐにカウンターにいるマティーニとテキーラを見つけた。息をついて、ふたりの元へと向かってくる。
テキーラ「隠れろ!」
もの凄い形相で迫ってくるクロワッサンに、驚いたふたりは焦ってカウンターの影に隠れようとする。しかし、その前にクロワッサンはもう傍まで来ていた。
クロワッサン「隠れなくていい。」
ふたりはカウンターでぎこちない動きで顔を上げた。クロワッサンを前にして、気まずそうにふたりは礼儀正しく若干引きつった笑顔を作って見せた。
テキーラ「あの……クロワッサン……酒代は経費にはしないから……俺たちの報酬から引くから――」
クロワッサン「あの人は?」
テキーラ「えっ?」
テキーラ「え?」
10.誘い
そこでふたりはやっとビールがいなくなっていることに気が付いた。クロワッサンは溜息をついてカウンター越しに立つ女将さんに事情を訊いた。女将さんは苦い顔でそっと裏口を指す。
クロワッサン「任務は終わったようですし、私と一緒に法王庁に戻りましょう。その前に私はビールを探さなければなりません。ここで待っていてください。」
クロワッサンが裏口に消えた後、テキーラとマティーニは安堵の息をついた。
テキーラ「はぁ……でもなんで僕たちが隠れなくちゃいけないんだ? ここにはビールに連れてこられただけなのに……なぁ?」
マティーニ「まったく——私たちは、クロワッサンを見ると、何故か後ろめたくなってしまうんですよね……っと、それよりビールはどこに行ったんでしょうね?」
ビール「ふぅ。クロちゃんは、まだまだ元気なようだね。良いことだ!」
その瞬間、背後から声がして、テキーラとマティーニは慌てて振り返る。そこには、優しそうな笑みを浮かべたビールが立っていた。
ビール「あぁ、トイレに行ってたんだ。でも僕は、そろそろ行かないといけない。悪いけど、君たちにクロワッサン宛の伝言頼んでもいいかな?」
マティーニ「え?」
ビールは周りを見て、また元の喧噪に戻っていることを確認した。そして急に真面目な表情を作って言った。
ビール「奴等の勢力は、もう光耀大陸まで来ているみたいだ。僕はもうすぐ桜の島に行く。君たちも気を付けて。あまり……人間を信じたら駄目だよ。」
ビールはそう告げて、急いで店から出て行ってしまった。その直後、嵌められた事に気が付いたクロワッサンが戻ってくる。どうしたものかと思案して、テキーラとマティーニは、ビールから聞かされた話をクロワッサンに伝えた。
クロワッサン「光耀大陸ですか……分かりました。光耀大陸で信用できる人たちにその件について相談します。そうだ、あなたたち宛てに手紙があります。」
クロワッサンは、ポケットから封筒を二通取り出してそれぞれに渡した。
テキーラ「僕に?」
マティーニ「私にも?」
彼らは困惑した表情で手紙を受け取った。開けて読んでみるも、その困惑は解けないままである。
「尊敬に値する法王庁の皆様、ごきげんよう。ご無沙汰しております。近々お会いできることを楽しみにしております。誠意を込めて法王庁の諸君を盛大なるパーティーに招待させていただきこう。楽しみにしていれたまえ。」
クロワッサン「やはり、君たちの手紙も招待状のようですね。」
テキーラ「『も』ということは……クロワッサンにも届いたんですか?」
クロワッサン「最近法王庁を留守にしているプレッツェルにも届いてますし、最近法王庁から外に出てないキャンディケインにも届いていますね。」
テキーラ「キャンディケインやプレッツェルにまで……となると、このパーティには参加しない訳にはいかないようだな……。」
(終)
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