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湖畔の小舎・ストーリー

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湖畔の小舎

序章-湖畔の小舎

 光燿大陸のとある町に有名な龍神像がある。他の仏像などは人々がいくら祈っても願いはそうそう叶うものでもないが、この龍神像は違う。

 人々はこの龍神像を訪ね、さまざま事を祈り願いをかける。彼らの『龍神』は、龍神像の近くにある湖畔の屋敷に静かに暮らしている。

 人々は困っている事を何かに書き記し、龍神像の足元にある祈願石の下に置く。龍井と子推饅は数々の願いの中から、彼らができる事を選びその願いを叶える。

 この町の人々は曖昧な神々への信仰はなく、湖畔の屋敷に住んでいるものたちの事を頑なに信じている。

 もともとその屋敷には龍神が独りで住んでいたが、いつしか優しく気さくな紳士と琴に長けた美しい女性も加わった。

 屋敷の住人は徐々に増えていったが、百姓たちは相変わらず感謝の気持を込め、自分たちで育てた野菜や作ったお菓子などをお供えした。

 ロンフォンフイは酒壺を持ち、鼻歌を唄いながら大通りや路地を通って屋敷へと続く小路を歩いている。彼に手を振ってにこにこと挨拶をする町の住民たち。やんちゃな子どもたちはこっそり彼に近づくと背中に乗りかかりじゃれついてくる。

ロンフォンフイ「おい! 落ちてしりもちついても泣くんじゃないぞ!」

 周りから笑い声が聞こえてくる。ロンフォンフイは背中に乗っかっている少年をそっと地面に降ろした。

ロンフォンフイ「はいはい、今日はあいにく遊んでる暇はないんだ! 子推饅から頼まれたものをちゃんと持ち帰らないとな。」

 少年は桃がぎっしり詰まった籠をロンフォンフイに押し付けると、そのまま遠くに走っていきながら大声で叫んだ。

少年「パシリのロンフォンフイ! 俺から屋敷のみんなへの贈り物だかんな! 盗み食いすんなよ!」

ロンフォンフイ「おい! オレも屋敷の一員だ! なんならここで全部食ってやる!?」

少年「そんな事ぜってぇしねぇくせに!!!」

ロンフォンフイ「なんだと! 逃げ足の早いやつめ!」

 周りの住人たちから笑いがこぼれる。ロンフォンフイもふりあげたゲンコツを降ろし、微笑む。住民たちからもらった桃を手にゆったりと歩いていく。

第一章-神明

この湖畔の小舎には一体、どんな神様が住んでいるのだろうか……

 西湖龍井は、いつの間にか光燿大陸の人々から龍神と崇められるようになっていた。彼は書斎で子推饅と共に人々が龍神像の下に置いていった祈りの紙を一枚一枚真剣に読んでいる。

 書斎に入ってきたロンフォンフイは一枚の便箋を手に取り、ただただとしい字で書かれた文章を読み始めた。

『りゅうじんさま、もうすぐボクの誕生日です。ボクはお化けがきらいです。これからもお化けに会わずに、毎年お父さんとお母さんと誕生日を楽しく過ごせるように見守っていてください。』

 ロンフォンフイは顎に手を当て、便箋をひらひら揺らしながら苦笑する。

ロンフォンフイ「なぁ龍井。昔ならともかく、今はこんだけ食霊がいるのに、あいつらはまだオメェのことを龍神と思ってるんだな? こんな些細な事までお願いして……」

西湖龍井「はじめから、私は神ではないと彼らはご存知ですよ。」

ロンフォンフイ「神様じゃないとわかってて、お供え物を?」

子推饅「災いの時に一度も手を差し伸べない神によりも、側にいて見守ってくれる『龍神』を讃える方がありがたいのでしょう。」

ロンフォンフイ「まあ確かにな。お願いって言っても、こんな世の中じゃ気休め程度だよな。」

西湖龍井「気休めだとしても、彼らが私を頼るのであれば、その気持ちを裏切る事はできませんね。それに……」

ロンフォンフイ「それに?」

 西湖龍井子推饅が仕分けた数々の『願い』をロンフォンフイの前に置いた。

子推饅「全ての願いを一つ一つ確認していくと、その中に『あの者たち』の痕跡が見えてきます。」

 ロンフォンフイは真剣な表情になる。願いを一つ一つ並べてみると、災いの渦中にいる人々はみんな、本当の救いの手を求めてここに来た事がわかる。

西湖龍井「その願いたちと向き合っていると、微かに違和感があります。子推と2人で内容を整理してみたところ、あの者たちの行動には一見なんの共通点もありませんが、わずかな痕跡が残っているのです。」

 西湖龍井は、見落としてしまいそうな小さな違和感を見逃さなかった。長い時を経て名が知れ渡った龍神には、さまざまな情報がおのずと集まってくる。突然の疫病、突如として増えた堕神、暴徒化する信徒……繋がりのない一つ一つの点は、やがて線になり全貌を現す。

 ロンフォンフイは積み上がった便箋を見て、ふと何か気がついたような顔をした。眉間にシワを寄せ、龍井の方を見る。

 龍井は、まるで屋敷に寝転がっているだけで情報が自ら集まってきたかのように話している。

 だが、ロンフォンフイは知っている。情報は寝ている間に、自らやってくるわけではない。『龍神様』として、人々を思い、彼らの期待に答えてきたからこそ、多くの情報が願いとして龍井の元に届けられる。

 神と呼ばれる者として、人々の願いに答え続ける事は決して楽な事ではない。

 西湖龍井は文句を言う事もなく、龍神という大げさな名に伴う重荷を背負った。神が何もしてくれない世の中で、人々に残された一筋の希望として。

 その思いが、ロンフォンフイの眉間のシワをよりいっそう深めた。彼は手を上げると、龍井に渾身の力でデコピンをした。

ロンフォンフイ「龍井、オメェを龍神だと慕ってる者が多いのはわかるよ。オメェが多くの人々の願いを背負っていることもな。だがな、オメェは独りじゃない。苦しみも、喜びも、オレたちはいつも一緒だ。」

西湖龍井「うっ……?!」

 西湖龍井は突然の奇襲を真正面から食らい、額を押さえながらロンフォンフイを睨んだ。しかし、ロンフォンフイの表情は真剣そのものであった。

ロンフォンフイ「オレだけじゃない。子推饅ロンシュースーもずっとオメェの事を大切に思っている。みんな一緒だ。わかったか?」

西湖龍井「……あなたたちを危険に巻き込むわけにはいきませんよ……」

 パチーン!

 またデコピンが綺麗に決まった。龍井はもう一度額を押さえながら、目を細めているロンフォンフイを見て唇を噛んだ。

ロンフォンフイ「オレたちは信じてる。オメェもオレたちを信じてくれ。自分の事もな。オメェくらい守ってやるから、その逆もそうだろ?」

 西湖龍井は真剣な様子のロンフォンフイを見て、ゆっくりと頷いた。

ロンフォンフイ「はっはっはっ!!! やっと素直になったな!!」

西湖龍井「……ロンフォンフイ! 私の髪に触らないでください……!!」


第二章-ロンフォンフイ

湖畔の小舎に、他の者とは毛色が違う豪快な武者が一人いた。

 この湖畔の屋敷の中で、他の連中とロンフォンフイはどこか毛色が違う、異質な存在だ。

 しかしながら、この豪快で底抜けに明るい武人は、他の文人のような者たちの輪にすっかり馴染み、のびのびと暮らしている。

 雄黄酒は顎に手を添えてぼんやりと、ロンシュースーに遊びを教えているロンフォンフイを見ている。

子推饅雄黄酒? 何を見ておいでですか?」

雄黄酒「ずっと不思議なのですが、彼はなぜ龍井とあんなに馬が合うのでしょうか?」

子推饅「ぷっ……」

 子推饅は何か面白い事でも思い出したかのように、笑いをこらえようとするが、肩の震えは我慢できなかった。

雄黄酒「ん? いかがなさいました?」

子推饅「彼らが初めて出逢った頃を知らぬのは、実に惜しい事です。」

 それは、とても昔の事であった。

 傷を負い、気を失っていたロンフォンフイはすぐに目を覚ました。元々血気盛んな彼は、すぐにでも黒ずくめの奴らを追跡する事を考えていた。

 舞い上がる炎に呑まれた村の中に、老人や子ども、病人も大勢残してきた。しかし、彼がいくら頑張ったところで全員を救う事はできなかっただろう。

子推饅「待ちなさい! まだ起きてはないません!」

ロンフォンフイ「命を救ってくれた事は恩に着る! だけど、オレにはやらなければならない事が!」

子推饅「ちょっと! 待ちなさい!」

 ロンフォンフイは玄関にもだどり着けないまま、薄青色で半透明の壁らしきものにぶつかった。

 ドーン!!

ロンフォンフイ「いってぇ!?」

西湖龍井「怪我人がずいぶん元気ですね……」

 子推饅は呆れ顔の龍井にちらっと視線をなげると、ため息をもらし床に倒れたロンフォンフイに手を貸した。

子推饅「大丈夫でしょうか?」

ロンフォンフイ「いっててて……オメェ! 村の人々はまだ……」

西湖龍井「今行ったところで、もう手遅れですよ。」

ロンフォンフイ「……」

 命の恩人に手を上げる事も、龍井の結界を破る事もできないロンフォンフイは、ただ唇をかみしめて龍井が去っていく後ろ姿を見つめていた。

 数日後、ロンフォンフイは庭で茶を愉しむ龍井の姿を見つけた。その時、ちょうど通りかかったロンシュースーの髪を掴んだ。

ロンシュースー「ヒッ! な、なにごとか!」

ロンフォンフイ「なぁ、あいつってずっとあの調子なのか? 毎日空を見上げ、星や月を見ながらお茶を啜っているだけなのか?」

ロンシュースー「あれは風流というものじゃ。ぬしのような無作法者には理解できぬ。離さぬか、髪を引っ張るでない!」

 ロンフォンフイが龍井を見つめていた時、元気いっぱいな子どもが軽い足取りで玄関までやってきて庭を眺めた。龍井を目にすると、その子は目を輝かせた。

少年「龍神様! これは家の果樹林で採れた今年初の桃です、食べてください!」

 少年はトタトタと入ってきて桃を置くと、逃げるように出て行った。龍井を前にして恥ずかしくなり焦ったのか、敷居につまずいた瞬間、ロンフォンフイに襟を掴まれた。

ロンフォンフイ「贈り物なら堂々と渡せばいいだろ。なんで逃げるんだ。怪我はないか?」

少年「あっ! だ、大丈夫です! ありがとうございます!」

 龍井を前に恥ずかしがっていた少年の後ろ姿を見ながら、ロンフォンフイは戸惑いポリポリと頭を掻いた。そして、お汁粉を持ってきた子推饅に話しかけた。

ロンフォンフイ子推饅、さっきの子どもが、龍井の事を龍神様って言ってたみたいだが?」

子推饅「ああ、町の人々は彼を龍神と呼びます。大昔から、今に至るまで長きにわたり。」

ロンフォンフイ「龍神様ねぇ……」

子推饅「いずれわかりましょう。」

 ロンフォンフイ子推饅の神妙な顔を見て、口を歪めた。

 時を待たずして、その理由をロンフォンフイは知る事になる。

 ロンフォンフイは池から積んできた蓮の葉っぱを日傘に、自分で造った庭のハンモックでぐっすりと眠っていた。ハンモックを揺らしても、彼はお腹をポリポリと掻いて寝返りを打ち起きる様子はない。徐々にハンモックを揺らす手は、激しくなり……

 ドーン!!

ロンフォンフイ「うわぁぁ!?」

 ロンフォンフイは地面に強打したお尻をさすりながら怒鳴った。顔を上げてみると、まだよそよそしい龍井の姿がそこにあった。

西湖龍井「起きてください。すぐに出発いたします。」

ロンフォンフイ「ど、どこに?!」

西湖龍井「着いて来てください。待ってはあげませんよ。」

ロンフォンフイ「ちょっ、おい! 待てって! なんなんだよ!」


第三章-兄弟

たとえ性格が真反対でも、彼らは互いを実の兄弟のように感じられる存在になれる。

 ロンフォンフイは龍井を追って町を出た。長い道中、龍井と口をきくつもりはなかったロンフォンフイだが、とうとう沈黙に我慢できずに喋り出した。

ロンフォンフイ「どこ行くんだ? おい! 黙ってないでなんとか言えよ!」

西湖龍井「着きましたよ。」

 ロンフォンフイは目の前の非常に素朴な小屋を見て戸惑った。

 そして、見た事のある子どもが粗末な草履を履いて走り出してきた。

少年「龍神様! あっ! この前助けてくれたーー」

 ロンフォンフイはまだ状況を理解できない様子で、龍井の方を見た。しかし龍井は彼の疑問に答える事なく、黙って少し離れたところに立っている人々を指差した。

 ロンフォンフイはまるで幻でも見ているようだった。そこに立っていたのは、黒ずくめの襲撃によって亡くなったはずの村人たちの姿だ。

 あの者たちを追っていたはずのロンフォンフイは、いつの間にか追われる立場となっていた。ある夜、心優しい人の住む村に泊まっていた時、あの者たちはロンフォンフイに襲い掛かった。村の人々もそれに巻き込まれたのだった。

 ロンフォンフイは慌てて村人たちの側に駆け寄って全員の顔を確認した。もう手遅れだった者たちを除いて、ほとんどの怪我人は生き残っていたのだ。彼は、複雑な表情で龍井の顔を見た。

ロンフォンフイ「……龍井、この人たちは、オメェに救われたと……。」

西湖龍井「救ったのは大紅袍です。」

ロンフォンフイ「……なんで教えてくれなかったんだ。」

西湖龍井「あなたがひどく怪我をしていたからです。あの時、あなたに必要なのは傷を癒やす事でした。」

 ロンフォンフイは心のわだかまりを全部吐き出すかのように大きく息を吐いて、龍井と肩を組み、嫌がるのもかまわずに彼の髪をぐしゃぐしゃにした。

ロンフォンフイ「ありがとう……兄弟!」

 ロンフォンフイは、屋敷に戻るとすっかり元気になっていた。子推饅がその様子を嬉しく思っていた時、ロンフォンフイは荷物を片付け、屋敷から出て行こうとしていた。

子推饅「傷はまだ完治しておりません。もうしばらく留まられても良いでしょうに、なにゆえ……?」

 側にいる西湖龍井も眉間にシワを寄せて、少し躊躇した後にこう告げた。

西湖龍井「あの者たちはもう大丈夫です。心配はいりません。」

 ロンフォンフイは大きくため息を吐く。名残惜しそうな目をしたが、心を決めて屋敷の人たちと別れを告げた。

ロンフォンフイ「オレがこれ以上ここにいると、迷惑をかけちまうだろ。奴らの狙いはオレだ。傷もだいぶ治ったし、そろそろ行くよ。」

子推饅「ご自分が狙われていると言うのに、一人では危険すぎます!」

ロンシュースー「あの者たちなど、遅るるに足らぬ。」

ロンフォンフイ「奴らはまだオメェらに気づいていないはずだ。オレのせいでオメェらを危険に晒すわけにはいかない。」

 互いに譲らない空気の中、西湖龍井は突然手を掲げ、屋敷を覆うように結界を張った。ここ数日で何度もその壁に行く手を阻まれたロンフォンフイ西湖龍井を振り返る。

西湖龍井「迷惑など構いません。あの者たちは私に何もできません。私があなたたちをお守りいたします。」

 ロンフォンフイは荒っぽいが、情に厚い。彼は龍井の話を聞いて、諦めたかのように肩を落とした。

 なぜだかわからないが、静かに淡々と話す龍井の言葉に、ロンフォンフイは安心感を覚えた。ここに留まりたい気持ちと、迷惑をかけたくない気持ちの狭間でロンフォンフイは苛立ちを隠せない。彼は頭をボリボリ掻きむしり、玄関外に張られた結界を見てその場に座り込んだ。

ロンフォンフイ「……ああぁもういい! あいつらなんて怖くもなんともない! 奴らが来ても、返り討ちにしてやる! その時は、こいつらの安全はオメェに任せる!」

西湖龍井「どうぞ。」

ロンフォンフイ「オメェはほんとに……龍井!!」

 ロンフォンフイは龍井に飛び掛かり、龍井の顔を思いきり引っ張った。龍井の無表情な顔は、引っ張られおかしな表情になる。次の瞬間、青い結界がロンフォンフイを弾き飛ばした。横で見てたロンシュースーは呆れ返っている。

ロンシュースー子推饅、この者を引き止めるのは果たして正か、否か?」

 子推饅は珍しく顔色が変わった龍井を見て、微笑がこぼれた。

子推饅「信じましょう。龍井が決めた事ならば、きっと正しいのでしょうから。」


第四章-雄黄酒

この者の来訪は誰にも予想できなかった。

 龍井が自ら屋敷に引き止めたロンフォンフイとは違い、雄黄酒が屋敷になじむことはないと思っていた。

 屋敷に来たばかりの頃、雄黄酒はいつも浮かない顔をしていた。ロンフォンフイは何度もちょっかいをかけ、彼はもう爆発寸前だった。

 しかし、龍井はその事についてさほど気にしていない。龍井が心配していたのは、雄黄酒がいつも着ている服の事だ。

 長らく邪教について調べていた龍井は、彼らの行動について熟知しているとは言わないまでも、情報はかなり把握している。龍井は雄黄酒の服にある烙印について、それが何であるか知っていた。

 ここに来たばかりの雄黄酒はどんよりと沈んだ様子で、あまり喋らず、子推饅たちに話しかけられてもオロオロしている。彼は夜中に窓辺に座り、庭を眺めて一人でぼんやりとするのが好きなようで、一度も彼らの集まりに参加する事はなかった。

子推饅「……彼、ずっと部屋にこもっていますけど、大丈夫ですかね? この子推が連れ出しましょうか?」

ロンフォンフイ「何回も誘ったけど、ついて来ないんだよあいつ。まったく、面倒なやつだ。」

 雄黄酒は屋敷の柱の後ろから、少し羨ましげな顔で、庭で食事をする人々を眺めていた。しかし、彼は一歩踏み出す前に、下を向いて自分の手の平をじっと見つめた。

 罪深い自分にあのように楽しい時間を過ごす資格はない。彼が部屋に戻ろうとしたその時、後ろの人影に気づく。

雄黄酒「はっ! 龍井……わたくしはその……これより部屋に戻りますので……」

 人にどう思われるかなど、あまり関心はなかったが、雄黄酒は龍井が自らの事を好ましく思っていない気がする。というより、彼は自分の事を警戒しているように思う。

西湖龍井「なぜみなさんの輪に加わらないのですか?」

 雄黄酒は一瞬ぎょっとし、自分の手をもう一度見て苦笑いした。

雄黄酒ロンフォンフイが言っていました。全ての罪を償うまで、わたくしに死ぬ資格はないと。ならば、花見や杯を交わすなど、言語道断でありましょう……」

西湖龍井「その倍、償えばいいだけです。一時の休みは、あなたの償いに関係ないでしょう。」

雄黄酒「……ですが……」

西湖龍井「子推もロンフォンフイも、あなたを放っておけないのですよ。」

雄黄酒「……しかし貴方がたは、わたくしが怖くないのですが……どうであれば、昔のわたくしは……」

西湖龍井「構いません。あなたが何をしようと彼らは私がお守りします。あなたには手出しする事はできませんので、お気になさらず。」

 雄黄酒は庭に視線を移した。ロンフォンフイロンシュースーが奏でる曲に合わせて剣舞をしている。その光景を目にした雄黄酒の目が、うっすらと輝きを取り戻す。

雄黄酒「わたくし……本当に、よいのですか?」

 龍井は返事をせず、静かに頷いた。

 雄黄酒は遠慮がちに庭へと足を進める。待ちくたびれていたロンフォンフイ子推饅は、満面の笑みで彼を自分たちの方へと引っ張っていく。そうして、再び雅な音楽が奏でられる。龍井は静かに席に戻り、何事もなく涼やかな顔で杯を持ち上げた。


第五章-安寧 

彼らの平穏な日々に一石が投じられた。

 西湖龍井は静寂が好きだ。屋敷に連れてきた頃の雄黄酒は、まだ誰とでも馴染めずにかしこまっていたが、心を解き放った雄黄酒ロンフォンフイのじゃれ合いは騒音となり、西湖龍井に頭を抱えさせた。

 ガンッ、ドドドドドッ、パタンッ!

 庭で琴を弾いていたロンシュースーからため息がもれる。いくら寛容であるとはいえ、この騒音を前にため息一つでも吐かずにはいられない。彼女はいかんともしがたい表情を浮かべつつ、顎に手を添えながら彼らの様子をうれしそうに見ている子推饅の方を見やった。

ロンシュースー子推饅、龍井はいずこに?」

子推饅「彼なら、また湖の底に隠れたのでしょう。」

ロンシュースー「心静かな場所によう隠れるものよ。雄黄酒が薬の研究を始めるたびに、余計な手出しをするロンフォンフイロンフォンフイであるが……。」

子推饅「彼は一度研究を始めると、時間を忘れてしまいますからね。ロンフォンフイが引っ張り出さない限り、食事も取らずに引きこもぅているでしょうね。」

ロンシュースー「我らは食霊なれど、疲れを知らぬわけではあるまい。あの者はなんのためにそこまで己を追い詰めなければならぬのだ?」

西湖龍井「償いのためです。」

 雄黄酒の話をしていた二人は、突如として現れた龍井の声に驚き、龍井の顔を見た。

子推饅「償い?」

西湖龍井「そうです。彼は昔、『あの者たち』の一員でした。」

 子推饅ロンシュースーの手の動きが一瞬止まる。

子推饅「最初の頃、彼を警戒していたのは……それゆえに、ですか?」

ロンシュースー「ならば常より……」

西湖龍井「人の手によって作られた疫病の広まりを、抑止するための薬物を研究しています。あの様子だと少し進展があったのでしょう。」

子推饅「龍井、最近の貴方は以前のように彼を警戒しなくなりましたが……ですが……」

西湖龍井「はじめの頃は、ロンフォンフイの保証があるとはいえ……彼は深く考えない人ですので、雄黄酒は従順そうに見せかけているのではないかと怪しんでいました。ですが今思うに……雄黄酒は彼よりもっと……純粋なのかもしれませんね。」

 ドカーン!!

 龍井の話は地響きのような爆音に中断された。ロンシュースーは黒い煙が上がっている研究室を見て思わず息を飲み、口にしようとした言葉を話していいものかと戸惑う。

 爆音の発生場所から出てきた雄黄酒は配まみれで、隣りにいるロンフォンフイと目を合わせようとしもしない。どう見ても怒っている様子だ。彼は一人で屋上に登り、誰とも口をきかなくなった。さすがにこういう状況になってはロンフォンフイでも声をか細くしながら雄黄酒に誤っている。西湖龍井はそれを見て頭が痛くなり、目頭を押さえる。

子推饅「龍井、彼はこちらの警戒心を解くためにわざとあのように振る舞っているとは、もう思わないのですか?」

西湖龍井「初めて会った頃は確かに警戒していましたが、演技であればそう長くは持たないでしょう。ロンフォンフイの人を見る目を疑うのであれば、彼に兄弟と呼ばれる資格はありません。」

 ロンフォンフイは屋上に立ち、両手を後ろに添えて月を少し見た。彼が何か言ったのか、はたまた雄黄酒の怒りが収まったのか、雄黄酒ロンフォンフイが差し伸べた手を掴み立ち上がる。二人は肩を並べ、月を眺めている。

 子推饅は隣の龍井へと視線を向けた。二人を見ている龍井の顔は月の光に照らされて銀白色に輝き、その表情からは彼なりの優しさが感じられる。彼の微笑みに釣られて、子推饅は笑みを浮かべながら彼に近寄った。

子推饅「このような日々が、このままずっと続けばよいですね。そう、思いませんか?」

西湖龍井「えぇ……そうですね……」

第六章-武夷大紅袍

互いを知り尽くした友ほど、黙って相手のことを守るものだ。

 この湖畔の屋敷の事は、ある人物なくしては語れない。その者は住んでこそいないが、常より屋敷に足を運んでいる。

 武夷大紅袍は龍井が自ら訪ねる数少ない友人であり、龍井の『弱点』を知っている希少な存在である。

 茶のさわやかな香りが湯呑から漂い、部屋を満たす。武夷大紅袍はいたずらっぽい顔で向かい側に座っている西湖龍井を見て、笑みを隠しきれずにいる。

武夷大紅袍「龍井茶よ、吾のところに来るとはどういう風の吹き回しでしょうか?」

 龍井は辛気臭い顔を上げ、武夷大紅袍をしばらく見つめると、静かに茶を口にする。

西湖龍井「石を使えば私を湖の底から呼び出せると、何故ロンフォンフイに教えたのでしょうか。あれからというもの、私の頭上に石が降り始め、困っているのですよ。」

 武夷大紅袍は思い出し、笑いがこぼれる。その屈託のない笑顔に龍井は何も言わずただ呆れて、友人の顔を見つめるしかなかった。

武夷大紅袍「して、此度はどのようなご用件でありましょうか?」

 龍井は咳払いをして少し迷っているようだった。湯呑みを自分の口元まで待ち上げ、気まずい表情を隠す。

西湖龍井「前回の件があったためか、ここ数日で雄黄酒はあの者たちの毒物から人々を守る薬物を幾つか作り出したのですが……」

 彼は、西湖龍井の顔に浮かぶ『難を逃れた』様子に疑惑を感じた。

武夷大紅袍「よもや、薬が苦いからここへきたわけではないでしょう?」

西湖龍井「……」

 西湖龍井は屋敷に満ちた異様な匂いと、ロンフォンフイの『惨状』を思い出して思わず首を横に振った。気を取り直し顔を上げると、武夷大紅袍の好機に満ちた表情に驚き、思わず咳払いをした。

西湖龍井「あそこから抜け出さなければ、次は私の番に違いありません。」

 武夷大紅袍はずっと山で隠居してきた身で、抜群に頭が切れる。彼は西湖龍井の物思いにふける表情を見て、ふと思った。あの屋敷にいる薬師に会った事はあるが、あの優雅で上品な彼が、どうにも劇薬を作り出すようには思えない。

 教団にいたためか、雄黄酒は毒物の扱いに慣れており人を治す方法も普通の医者とは一味違う。彼は毒を以て毒を制す方法を好み、よく使う薬材も斜め上を行くゲテモノばかりだ。そしてあらゆる完成品の一番目の被害者は、彼と一番仲が良いロンフォンフイである。

 そこに思い至った武夷大紅袍は失笑しながら、西湖龍井に手作りの茶菓子を渡した。

武夷大紅袍「そうは言っても、彼らにやりたい放題させたのはあなたでは?」

 西湖龍井の手が一瞬止まったが、すぐに何もなかったように菓子を口へと運んだ。

西湖龍井「彼はいずれ再び出会うであろう例の毒物に備えているだけです。やりたい放題とは、些か言いすぎではありませんか。」

武夷大紅袍「ふふふ、いくら時が経とうとも、あなたはそういう方なのですね。」

西湖龍井「そういう方とは?」

武夷大紅袍「一度仲間になると、何があってもあなたは信じて守りきろうとする。それが言いたかったのです。」

西湖龍井「……なぜそう思うのですか?」

武夷大紅袍「まだ雄黄酒を信頼していない頃、あなたは万が一に備えけして彼から目を離す事はなかった。今では彼が仲間たちだけで薬を試すのを許すまでに至っているのですから。」

西湖龍井「彼が私たちを仲間だと思う限り、彼を信じてお守りします。それは至極当然の事だと思いますが? あなたも同じでしょう。」

武夷大紅袍「至極当然ですか……人々がみんな、あなたのようであれば……良い世の中になるでしょうに‥…」

西湖龍井「おっ?」

武夷大紅袍「いいえ、何でもありませんよ。お話を続けましょう。」

 西湖龍井から漂うわずかな異常に、武夷大紅袍はあまり深く考えずただ一つの『予測』をした。しかし、さすがの彼にも、その『予測』がこんなにも早く現実になるとは思わなかった。



第七章-薬 

憶測を裏付けするチャンスが来た。

 湖畔の屋敷は、いつも安全で静かというわけではない。仲間たちが集まり、誰かがトラブルに巻き込まれた時の怪我はつきものだ。薬師である雄黄酒に何かあった時、山で隠居をしている武夷大紅袍は屋敷まで来て面倒を見る事になる。

 そんな時、屋敷には大体きつい匂いが漂っている。病床で寝ていたはずのロンフォンフイは起き上がり、窓際にもたれかかったまま昏睡状態にある雄黄酒を見ながら、こっそりと手に持っていた紙切れで彼の鼻先をいじった。武夷大紅袍は、その一部始終を見ていた。

 さすがに穏やかな武夷大紅袍も、ロンフォンフイの子どものようないたずらに堪忍袋の緒が切れた。

武夷大紅袍「ロン! フォン! フイ!」

ロンフォンフイ「おわっ!」

 ロンフォンフイは鼻先をさすりながら、笑いを浮かべて武夷大紅袍に向かって言い訳をする。

ロンフォンフイ「いやその、ほら、こいつの心配をしているだけで……」

武夷大紅袍「はたしてそうでしょうか?」

 武夷大紅袍は笑顔を浮かべたまま睨みつけ、ロンフォンフイは仕方なく床に戻った。武夷大紅袍は茶皿を持って西湖龍井の部屋に向かった。友人を前にして、彼は思わず愚痴をこぼす。

武夷大紅袍「龍井茶、ロンフォンフイは本当に落ち着きがない。なんとかならないものですかね? あっ、これはあなたの今日の薬です。」

西湖龍井「いつもの事です。まあ、彼なりに雄黄酒を心配しているのでしょう。問題を起こさなければ彼の事を放っておきましょう。ぐっ! この薬は……」

武夷大紅袍「どうかしましたか? あ、それは以前、雄黄酒の研究に基づいて作られた薬なんですよ。彼は毒物に詳しいですし、ちょうどあなたたちは悪しき瘴気にも侵されていたので、彼のやり方に従い毒をもって毒を……薬材は珍しいものでしたので、北京ダックに頼んで手に入れました。」

 武夷大紅袍は、珍しく大きな反応を見せた龍井の方を見た。龍井は薬が入っている茶碗を持ちながら表情を歪めている。相当不味かったようだ。

西湖龍井「……私の傷はだいぶ癒えましたので、この薬はロンフォンフイ雄黄酒に取っておいてください。」

 ロンフォンフイと違って、西湖龍井は言う事をちゃんと聞き、いかにも医者が好きそうな病人だ。武夷大紅袍は彼のおかしな反応に首を傾げた。そして、二人がお茶をしていた時の事をふと思い出す。

武夷大紅袍「……西湖龍井?」

西湖龍井「おっ?」

武夷大紅袍「もしやとは思いましたが……苦いものが苦手なのですか?」

西湖龍井「いいえ。」

 西湖龍井はいきなり茶碗を持ち上げて、一口で薬を飲みきった。それを見た武夷大紅袍は驚きのあまり何度も瞬きをする。

西湖龍井「ほら。」

子推饅「龍井、ハッカをきらせてしまったようですので、子どもたちから飴をいただいて……あっ……お邪魔しました……」

武夷大紅袍「ぷっ……」

 笑いをこらえきれない武夷大紅袍と、少し顔が赤くなった龍井を見て、子推饅も表情を緩めて微笑んだ。彼は形が異なる飴玉を龍井の側にある箪笥に置いて、音を立てないように立ち去った。

西湖龍井「……疲れました。先に休みます。」

武夷大紅袍「はいはい。」

 武夷大紅袍は龍井の赤くなった耳たぶを尻目に、茶皿を持って龍井の部屋から出た。

 その翌日から龍井は、毎日茶碗の側に、綺麗に包まれたお茶の香りがする飴玉がそっと置かれている事に気づくのだった……。


第八章-酩酊

西湖龍井は珍しく己の過去を語りだした。

 いにしえの書物の中に、とある神様の事が記されている。

 神様は慈悲深くて優しく、全ての人々の願いを叶えようとした。

西湖龍井「私は浅はかでした。願い事をする全ての人々は本当に助けを求めていると信じていたのです。人間の貪欲さを、侮っていたのでしょう。」

 人間は、美しい言葉で語れるべき種族だと龍井は思っていた。勤勉で善良で、助け合う事ができ、肉体の弱さにそぐわない芯の強さと、聡明さを持っている。これらの美点があったからこそ、人間はこの堕神が猛威を振るう時代を生き残れたのだと。

 しかし、一部の人間の悪行によって、食霊たちの憧れは負の感情へと変わっていった。

 貪欲な富商、権力を思うままに悪用する官僚。龍井の助けなどいらないはずなのにあざとい者たちは龍井を騙し、彼ら自身ではやり遂げられない事を龍井にやらせた。

 龍井の力に慣れきった者たちは、元々あった勤勉さを徐々に失っていく。

 少し留守をしただけで、建設費が横領され、いいかげんに造られた堤防は簡単に壊れ、多くの怠惰な人々は災害の被害者となった。

 しかし、彼らからしてみれば、全ては災害時にそこを離れた西湖龍井のせいだった。彼さえいれば、こんな災害も防げただろうし、建設費から横領した金の事もバレずに済み、危険な堤防の修理をする必要もなかったのだから。

西湖龍井「いくら私が力を持っていても、あんなに離れた場所から天災を止める事はできません。結局……私は約束を果たせませんでした。彼らを守れなかったのです。」

 龍井は淡々と、重い話を続ける。それを聞いた者たちはみんな、神妙な表情を浮かべる。

西湖龍井「ん? どうかしましたか?」

 酒のせいかもしれないが、今日の龍井は饒舌だ。彼は杯を持ちながら、いつも通りの冷ややかな表情をしているが、目の奥底からは彼の悲しみがうかがえる。

 彼は気にしていないわけではなく、ただ過ぎた事を考えないようにしているだけなのだ。

 ここに住んでいる者たちがなぜ龍井に尊敬の念を抱いているかはわからないが、今この時、この場にいる全員が心を動かされている。

西湖龍井「……話は終わりです。これ以上私を見つめても何も出ませんよ。」

 側にいたロンフォンフイは、腕でがさつに西湖龍井の首を軽く絞めた。

ロンフォンフイ「誰もがオメェのように考えていたら、これ以上ないくらい素敵な世の中になるだろうな。」

 西湖龍井は思いきりロンフォンフイを押しのけると、渋い顔でぐしゃぐしゃにされた髪を髪を整え始めた。みんなは彼の表情を見て心が和んだ。

西湖龍井ロンフォンフイ!」

ロンフォンフイ「はっはっは!! いつもの無愛想な顔も悪くないが、こっちの方がよっぽど龍井らしい。」

西湖龍井「……なっ! あなたたちも……」

 誰もがロンフォンフイの言葉に頷いていた。西湖龍井はそれを見て、不服そうに杯に酒を注いで一気飲みをした。

 いつからか、この屋敷にいる者たちは彼をからかう事を楽しんでいる。普段は一番温和な子推饅でさえ、時々からかってくるのだ。しかし、それは仕方がないかもしれない。龍井が無愛想で冷ややかな表情をするたびに、屋敷の者たちが不安を感じている事に彼は気づいていないのだ。

 子推饅たちも、漠然とした不安を秘めていた。西湖龍井は、いつか突然いなくなるのではないだろうか。神話に伝わる神様のように、使命を果たした時、俗世を離れ誰も知らない場所に消えてしまいそうで。

 彼の表情が緩むと、みんな安心する。その表情こそ、西湖龍井は伝説の神様ではなく、一人の仲間だと教えてくれる。


最終章-友人

相まみえれば友成--酒を酌み交わせば分かり合える。

 湖畔の屋敷には、常に客が訪ねてくる。その客たちの中には、いつも優雅で小粋な雰囲気を漂わせた一人の者がいた。彼の笑顔に魅せられた女の子たちが、ロンフォンフイに名前を尋ねる事も幾度かあった。ーーとある晴れ渡った夜。北京ダックは酒壺を持って、まるで散歩でもしているかのような軽やかな足取りで屋敷を訪ねた。

北京ダック「案の定、吾を待たずして始めているようですね。どのような話をしているのです?」

 子推饅はにこにこしながら酒壺を受け取り、みんなに酒を振るまった。

子推饅「龍井が昔の事を話しているところですよ。ご一緒にどうです?」

ロンフォンフイ「この悪徳商人め、盟約を結んでからちょくちょく飯を食いに来るよな? もしかして? 子推饅に胃袋を掴まれたとか?」

 図星らしく、北京ダックはギクッとした様子で彼を見て手を振った。

北京ダック「竹煙では銭に余裕がなく、無駄使いは許さぬ! などと酸梅湯に目をつけられるからです。こちらは居心地が良くのんびりしていて良い。」

 龍神祭りが終わってからというもの、屋敷には時々『通りすがり』の暇人が訪ねてくるようになった。

 暇人は言いすぎかもしれないが、何にせよ、竹煙を経営している北京ダックは決して暇というわけではない。しかし彼は、一休みのおりに魚香肉糸たちを引っ張って屋敷まで足を運び、みんなと過ごす時間を気に入っている。

 そしてある日、子推饅が作ったお菓子をたまたま口にしてからというもの、彼は以前よりもさらに足繁く通うようになったのだ。

 その日もまた、月が眩しすぎて星が見えないほどの、晴れ渡った夜だった。

雄黄酒北京ダックさん……」

北京ダック「いかがなされました? 何かご用ですか?」

ロンフォンフイ「別に。雄黄酒はオメェがこういう賑やかなのが好きだとは思っていなかったんだとさ。」

 北京ダックは少しきょとんとした顔をしたが、何も反論せずに笑いながら自分の杯に酒を注いだ。

 側にいた龍井は、北京ダックの笑顔を見ながら何かを考えている。北京ダックも龍井の視線に気づき、杯を持ち上げて彼に目配せをした。

 空は晴れ渡り、一片の雲もなく月が輝いている。屋敷の者たちが騒いでいるうちに、夜も深くなってきた。

 みんなが酔いつぶれた者を部屋まで運ぶかたわら、ほろ酔いの龍井は庭に座り、じっと月を見ながら誰かを待っていた。

北京ダック「龍井よ。」

西湖龍井「どうぞ。」

 北京ダックは笑みを浮かべ、龍井の横へゆっくりと座り込んだ。

北京ダック「そなたは、ここで吾を待っていたのですか?」

西湖龍井「あなたはロンフォンフイ雄黄酒と仲こそいいですが、ただ会いに来るほど暇ではないはずです。」

 龍井は振り向きもしなかった。彼は寡黙に光る月を見あげている。笑顔こそないものの、北京ダックは彼の表情から微かな優しさを感じた。

北京ダック「龍井よ、あの者たちを追ってどうするおつもりか? そなたには関係のないはず。あの者たちは危険……多くの人々を救ってきたそなたゆえに目をつけられた事を、知らぬわけではなかろう。」

 北京ダックに言われなくても、龍井は『あの者たち』の言葉の意味がわかっていた。彼が見た黒ずくめの者たちは、決して善人ではない。そして、彼らの魔の手から大勢の人々を救った西湖龍井は、言うまでもなく彼らの敵となった。

西湖龍井「おそらく、私はあの者たちには会った事があります。とても昔に。」

 ロンフォンフイ雄黄酒から西湖龍井の過去を聞いた北京ダックは、龍井とあの者たちとの間には関わりがないと思っていた。だが、龍井の真剣な表情からは、何かを伝えようとしているのが感じられる。北京ダックは、思わず息を飲んだ。

西湖龍井雄黄酒ロンフォンフイたちはもちろん知り得ぬ事です。あなたたちに出会うまで、私自身も確認できなかったものですから……今ならはっきりわかります。邪教が広まるきっかけとなった疫病も、人災も、彼らの手によるものに間違いないでしょう。」

北京ダック「何ですと?!」

 『あの者たち』の事はある程度知っていたが、古から存在していた可能性については、北京ダックは一度も考えた事がなかった。奴らがこの土地に根付いている時間は、彼が思っていたよりも遥かに長かったのだ。

西湖龍井「彼らの目的はわかりません。ですからあなたたちに出会ってから、わかった事があります。彼らが求めているのは、富や権力などといった単純なものではないようです。」

 北京ダックは拳を握りしめ、表情に険しさが増す。

北京ダック「あの者たちがあそこまで人々に影響を及ぼしうるのは、大きな富と権力を持っているがゆえ。あやつらが求めているのはいっそう恐ろしいもの……そしてさらに大きな黒幕が見え隠れします。『悪徒』の一言であの者たちが有する闇を説明するには無理がありますね。」

 状況が思っていたよりも厳しいと知った北京ダックは、少し焦り気味に立ち上がりその場を行ったりきたりと落ち着きをなくしている。すぐ側にいる龍井はただ酒を注いで、彼の前に置くに留めた。

西湖龍井「この件を知った以上、知らないふりはできそうにありません。彼らにも既にその事を伝えたところ、私と共に歩むと言っています。竹煙は……私たちに協力する気はございませんか?」

 西湖龍井の微笑む顔を見て、北京ダックは軽やかに杯を持ち上げた。磁気でできた二つの杯を軽く合わせると、カチンという綺麗な音が庭に響き渡った。

北京ダック「吾は竹煙の者として、この一杯の酒をもって今日からそなたたちと盟約を交わす事を誓いましょう。」

西湖龍井北京ダック、感謝いたします。」

 かつて盟約を交わした夜のように、庭の者たちはいつの間にか月の光によって銀色に燿く杯を高く持ち上げて、約束を交わし合った。

ロンフォンフイ「ここにいる全員がオレの仲間だ。嬉しいかぎりだ!」

 同じ志を持った仲間が集いし時。共に杯を交わすこのひとときこそが最高の楽しみである。夜風が静かに、怒りや悲しみなどを運び去っていく。

 このような時に、友が側にいれば。たとえ茨の道が待っていようとも、何も恐れる必要はないのだろう。

想い出の小舎

愉快な集い

あの者たちと出逢ってから、西湖龍井は少しづつ己を省みるようになった。

 この辺りの者なら誰でも、屋敷に住む龍神様の仲間たちは月と琴を肴に、軽く一杯飲むのが好きだと知っている。しかし、独りが好きな西湖龍井が、毎回欠かさず宴に参加すると思っていた者はいない。実はこれは、武夷大紅袍のおかげなのである。

 あれは昔のとある夏の日。武夷大紅袍は屋敷に入ると、すぐにロンフォンフイがやさぐれ顔でため息をついている姿を目にした。

ロンフォンフイ「ふぅ……。」

武夷大紅袍「どうしました? よほどの事がなければあなたがため息をつく事はないと思いますが。そういえば龍井はどこに? 彼が好きな茶の葉なんですけど。少し多めに持ってきました。」

ロンフォンフイ「あいつの事でため息をついてんだよ、はぁ……。」

武夷大紅袍「おっ?」

 武夷大紅袍の戸惑う姿を見て、最近ここによくいるドラゴン・リーという種類の猫たちの棚を作るために庭にいた子推饅が答えた。

子推饅「龍井はロンフォンフイがうるさすぎると言って湖の底に逃げ込みました。彼はどうすれば龍井を引っ張り出して、一緒にお酒が飲めるか考えているんだと思いますよ。」

ロンフォンフイ「その通りだ。オメェが来たら一緒に月見酒でもって思っていたのになぁ。あいつ、一度引きこもったら数日間は出てこないんだよ。ふぅ……。」

 子推饅の説明を聞いた武夷大紅袍は手で口を覆い、咳払いをして笑いを我慢している。急に何かを思い出したかのように眉間にシワを寄せた。

武夷大紅袍「それなら、吾に策があります!」

ロンフォンフイ「おっ?」

 武夷大紅袍の目が輝いた。顔にはいたずらっ子のような笑顔が浮かんでいる。

 町に住んでいる人々の大半は、龍神様が湖の底で休んでいる事を知っている。どんな悪がきも、湖に石を投げ入れるような真似は絶対にしない。

 伝説の中に、ひっそり王城から抜け出しデートをしていた若い二人だけが、その『無礼』な事をしてしまったと言う。

 武夷大紅袍に続いて、ロンフォンフイと、好奇心に駆られてついてきた子推饅ロンシュースーの四人が、湖畔のほとりに立った。

ロンフォンフイ「大紅袍? オレたちが湖畔に来てもあいつは出てきてくれないぞ?」

武夷大紅袍「まあ見ててください。」

 武夷大紅袍は自信ありげな笑みを浮かべ、湖畔の小石を数個拾い、記憶の中の方角に向かって湖に投げ入れた。

ロンフォンフイ「……何やってんだぁ?」

武夷大紅袍「あなたのために彼を呼び出しているのではないですか。」

 ちょうどその時、西湖龍井は湖の底に結界を張り、ぐっすり眠っていた。しかし突然、『ポチャン』という音が聞こえ、彼は湖面から落ちてくる石ころを見て不思議な顔になった。

 しばらくすると、湖の底から寝ぼけた様子の西湖龍井が姿を現した。

西湖龍井「……あなたたちですか、いかがなさいました?」

 龍井はまだはっきり目覚めていなかったが、ロンフォンフイはいきなり彼と肩を組んだ。

ロンフォンフイ「はっはっは! こんなやり方が! なんで思いつかなかったんだろう!!」

 ついに目が覚めた西湖龍井ロンフォンフイの笑顔を見て、ようやく我に返った。彼はロンフォンフイの屈託のない笑顔に、心の底からため息をついた。

西湖龍井(なぜこの方法を知っているのでしょう?!!)

ロンフォンフイ「ははは! こうすれば、さすがのオメェも逃げられないな! 宴にはちゃんと参加しろよな!」


ロンフォンフイの評価

ロンフォンフイから西湖龍井への評価。

 私塾の先生が出した宿題を持って、一人の少年がきょろきょろしながら屋敷に入った。辺りを見回すと、彼は目を輝かせてそこに座っている者に近寄った。

少年「ねぇロンフォンフイ! ちょっと質問してもいい?」

ロンフォンフイ「ん? なんの質問だ?」

少年「えっとね……先生に誰かの伝記を書くようにって言われたから、龍井様の事を書こうと思って! 龍井様はどんな人?」

ロンフォンフイ「は?龍井ねぇ……あいつはいいやつだ! 真面目すぎるところもあるがな。」

少年「だから毎回ちょっかい出してるの?」

ロンフォンフイ「そうだ。あいつのムキになった顔がなんだか自然だなぁと思って! それに面白くないか?」

少年「龍井様の事が怖くないの? 龍井様は厳しそうに見えるけど?」

ロンフォンフイ「そうだな……厳しいというか……面倒くさがりなんだよ、あいつは。」

少年「面倒くさがり?」

ロンフォンフイ「そうだ。いつも仏頂面だから怖いと思ってるだろ? 実はあれ、いちいち反応するのを面倒くさがってるだけなんだよ。」

少年「ええぇ……。」

ロンフォンフイ「ずっと湖の底に住んでいるのもそのせいだ! 出かけるのも厄介事も面倒くさがってるんだよ、まったく。」

少年「でも……仲が良いんじゃないの……。」

ロンフォンフイ「そうなんだよ! あんな面倒くさがり屋でも、オレたちに関わる事だといつも真剣そのもの。だからオレはあいつを兄弟だと思ってる!」

少年「兄弟? じゃあ、子推饅雄黄酒は?」

ロンフォンフイ「ぐっ……雄黄酒もだ! 子推饅もな!」

少年「人間の家族で例えると、屋敷のみんなはどんな役柄なの?」

ロンフォンフイ「えっと、そうだな……それならオレが兄貴かな、雄黄酒は弟で、ロンシュースーは一番下の妹って感じかな?」

少年「じゃあ、子推饅と龍井様は?」

ロンフォンフイ子推饅か……ぷっ……そりゃもちろん、みんなのお袋だ。毎日毎日お袋みたいにあれに気をつけろ、これに注意しろってうるさくてうるさくて。龍井は……その、親父より、あれだ……えっと……マスコットってところか??」

少年「マスコット?」

ロンフォンフイ「そうだな……あいつは絶対にいなきゃダメだ。と言っても、みんなは龍井をからかうのが好きなんだけどな。あいつがいれば安心だし……ずっとみんなで一緒にいられると思うんだ……」


過去

昔この小舎に住んでいた者たちは、楽しい日々を過ごしていた。

 雄黄酒が屋敷に来てから、元々湖の底で眠っていた西湖龍井は、日々繰り返されるロンフォンフイの『ロンハラ』に耐えながら、屋敷で一緒に住む事にした。

 ロンフォンフイが賑やかな性格のため、彼が来てからというもの、静かだった屋敷から静寂は失われた。

 夕方の風に吹かれ、雄黄酒は顔を真っ赤にしながらロンフォンフイの耳を引っ張り、何か文句を言っている。内容からするとロンフォンフイがまた雄黄酒の煉丹炉にいたずらをしたようだ。

 大体の者が酔っている。ロンシュースーは陸離を抱いてぼーっとし、子推饅は既にうつ伏せになって寝落ちしている。それを眺める龍井も顔が赤く、少し酔っているようだ。

ロンフォンフイ「おい、引っ張んなって! 離さねぇならマジで殴るからな! オメェには手を出さねぇと思ったら大間違いだぞ!」

雄黄酒「ヒック、殴れるものなら殴ってみなさい。ヒック、わたくしの丹薬に手を出した貴方が悪い! ヒック……」

ロンフォンフイ「この飲んだくれ! ぐぉぉー放せってば!!!」

雄黄酒「放しません! 薬を返しなさい! 丸二日かかったんですよ! あの煉丹炉に入ってる薬! よくも全部魚の餌になどしてくれましたね!」

ロンフォンフイ「魚に餌をやって何が悪いーーいてててぇ!!!」

雄黄酒「ヒック……! あんなに時間をかけて、少しだけしか作れなかったのに!」

ロンフォンフイ「おい! このオレは仮にも護国の将だ。薬師になど押さえつけられてたまるか! これでもくらえ!」

 どこから持ってきたのかわからないが、ロンフォンフイは一握りの炉の灰を雄黄酒の顔に投げつけた。

雄黄酒ロンフォンフイ! 許すまじ!!」

 騒音に目が覚めた子推饅は仕方なく顔を上げ、目をこすりながら同じくほろ酔い気味の龍井の方を見た。西湖龍井は普段通り無表情だったが顔はまだ少し赤く、子推饅に目で『あのやかましい二人を止めろ』と合図をした。それを読み取った子推饅は呆れた表情で言い返した。

子推饅「やかましいのが嫌なら、昔話でも話してみてはどうです? みんな聞きたがるんじゃないですか?」

 子推饅からの皮肉な視線を感じつつ、既に喧嘩を止めて自分を見つめる二人を前に、西湖龍井は珍しく恥ずかしそうな顔をした。彼は咳払いして目を逸し、中々口を開かない。

西湖龍井「昔話ですか。思い出せませんね。」

ロンフォンフイ「えぇ? 龍井オメェ、もったいつけておいてそれはないだろ……!!!」

 今日の湖畔の屋敷は、いつも通り賑やかである。


子推饅の評価

子推饅から西湖龍井への評価。

少年「えっと……うんと……」

子推饅「緊張しなくていいですよ、聞きたいことがあればどうぞ。」

少年「……あの、子推饅さんは、龍井様が初めて屋敷に連れ帰った仲間なの?」

子推饅「そうですよ。私が来る前、龍井はいつも湖の底で寝ていたと聞きました。無表情で無愛想に見えますが、彼にはかなり子どもっぽいところがありますね。寝起きが悪いし、目が覚める前に起こされるとすごく機嫌が悪くなります。」

少年「へぇー、龍井様も機嫌が悪くなるの……ちょっと想像できない。」

子推饅「子どもみたいに泣いたり喚いたりはしませんが、機嫌が悪くなると一日中口をきいてくれないし、一箇所に座り込んでむすっとしています。でも……」

少年「でも?」

 子推饅は何か面白い事でも思い出したかのように、ほくそ笑んだ。

子推饅ロンフォンフイが来てから、龍井が一人でむしゃくしゃしている事もなくなりましたね。ロンフォンフイは毎回彼を怒らせますが、その時の龍井は特に……その、元気に見えます。」

少年「元気??」

子推饅「そうですね、ふふっ。怒っていても自分の一番の友人だからひどい事はできないし、あのもどかしい感じが活き活きして見えます。」

少年「あの、ボクの勘違いかもしれないけど、怒らないでね。それを話している時の子推饅さん、なんだか楽しそう?」

子推饅「ふふふ、バレバレでしたか……別に楽しんでいるわけではないですよ、ただ……」

少年「ただ?」

子推饅「ご存知の通り龍井はあまり感情を表に出さないので、ずっとあの仏頂面でいられると、彼の存在を遠くに感じてしまいます。ロンフォンフイにからかわれている時の龍井からは、なんと言えばいいのか、私たちの側にいるんだっていう実感がわいてきます。」

少年「あはは、だからロンフォンフイさんはみんなが龍井様をからかうのが好きだと言ったのか。」

子推饅「そうです。彼はいつも何も言わずに近くにいて私たちを守ってくれます。普段は屋敷のみんなとじゃれ合う事はあまりありませんね。」

少年「先生たちが遊んでいる時に龍井様は見ているの? 騒がしいのが嫌いなんじゃないの?」

子推饅「ふふふっ……確かに騒がしいのは苦手です。でも知っていますか? 彼はね、ロンフォンフイたちがふざけているところを見ると笑顔になるんですよ。」

少年「ええぇーー!!」

子推饅「残念ながら、ロンフォンフイたちは気づいていないですけどね。」

少年「えっ? でも子推饅さんは気づいたんでしょう?」

子推饅「はい、そうです。私はいつも見ていますから。」


過ぎ去ってゆくもの

西湖龍井子推饅が初めて会ったときの話。

 西湖龍井にとっては、子推饅を救ったのは遥か昔の出来事だった。

 今にも泣き出しそうな空、普段は湖畔の風に吹かれながら雑談をする人たちもほぼ家に帰ってしまった。西湖龍井はこのような天気が好きだった。

 町の子供たちは、龍神様は静かなところが好きなので湖に石を投げ入れるのはダメだと小さい頃から教えられている。龍井は湖の底で安らかな日々を過ごし、たまに湖から上がり、湖畔で散策をしていた。

 ちょうど彼が散策していた時、近くの山林から黒い煙が上がった。

 このような天気では自然発火などありえない。となればーー

 ーー誰かがわざと火を放ったのだ。

 その山林が火事となれば、あっという間に広がりかねない。西湖龍井は渋い顔をしながら黒い煙が上がる場所へと向かった。

???「ここを抑えろ! やつらはいぶされて我慢できなくなれば出てくるはずだ!」

西湖龍井(……この者たち、誰かを追っているようですね? おや? この烙印は?)

 いきなり現れた西湖龍井に、黒服の者たちは警戒した。彼らは燃える山林と龍井を見て、山の奥を恨めしそうに睨むと、素早く立ち去った。

西湖龍井(……まあよいでしょう。この者たちの話が正しければ中には人がいそうですね。助けるのが先決です。)

 龍井の体は淡い青色の光に包まれていて、炎も煙もなぜか生き物のように彼を避けた。

 眉をひそめて周りを見渡していた龍井は、ちょうど白い影が地面に倒れ込むのを見た。助けようとしたが、火の勢いが強く近づく事ができない。彼は曇った空を見上げ、指で何かの合図をした。するとすぐに雨が降り始めた。

 龍井の霊力によって降り始めた雨のおかげで、山火事は消し止められた。一部始終を見届けた龍井は肩の力を抜き、あの倒れた者のところへと歩み寄る。

西湖龍井「大丈夫でしょうか?」

子推饅「おね……がい……たすけ……」

 西湖龍井がその者の指差した方向を見ると、もう一人木の下に倒れている者がいた。しかし、近づいてみると、既に息をしていなかった。

西湖龍井(……遅かったようですね。)

 西湖龍井は仕方なく気を失った男を古い友人が建てた屋敷に連れ帰った。しかし、時間が経っても青年が目覚める気配はなく。龍井は山に隠居している武夷大紅袍に助けを求めた。武夷大紅袍がその青年を診たところ、この全身が真っ白な者は彼らと同じく、食霊であるとわかった。

子推饅「うぅ……わたしは……」

 子推饅は火事のせいで喉に怪我を負ったが、長らく無人だった屋敷の庭を掃除し、龍井の囲碁やお茶の相手として付き合う事くらいはできた。

西湖龍井「他のところに行きたくなければ、或いは行くあてがなければ、しばらくここに泊まっても構いませんよ。」

子推饅「……?」

 一手打とうとしていた子推饅は驚いて手を止め、そして顔を上げた。その時の彼はまだ普段通りに話せなかったが、武夷大紅袍の治療のおかげで片言の言葉を発することはできた。

子推饅「どうして、ですか?」

西湖龍井「気を遣う必要はございません。好きなだけここにいて良いのです。」

子推饅「私が……悪人だったら?」

西湖龍井「それも私の責任です。どうぞ安心してください……」

 龍井の後ろ姿を見ている子推饅に知るべくもない。昔この屋敷を建てた二人の若者のうち、花のように笑う少女は奇妙な疫病にかかって亡くなった。そして、もう一人の少年はその後、王都に戻ってすぐに愛する人の後を追った。

 龍井はあの若いカップルの顔が思い出せない。しかし、彼らの願いは今でもはっきり覚えている。

『居場所のない者が現れたら、龍神様はこの屋敷に彼らを住まわせてください! そうすれば、私たちは誰かの役に立てた事になります。』


雄黄酒の評価

雄黄酒から西湖龍井の評価

雄黄酒「わたくしのところに訪ねてきたという事は、どこか具合が悪いのでしょうか? ご両親はお元気でいらっしゃるのですか?」

少年「あっ、いいえ! 父と母は雄黄酒さんの治療を受けたらすっかり治りました! 今回は雄黄酒さんに聞きたい事があって来たのですが、お邪魔でしょうか?」

雄黄酒「いいえ、今日の問診は既に終わりました。もし本当に急用ならば、屋敷に訪ねてくるでしょう。」

少年「で……では質問しても?」

雄黄酒「どうぞ。」

少年「雄黄酒さんはなぜここにいるんですか?」

雄黄酒ロンフォンフイが私を連れてきて、龍井がここに居ていいと言ってくれたので。それにわたくしはこの場所が好きですからここに残りました。」

少年「へぇ……そうなんですか。昔の雄黄酒さんは近寄りづらい雰囲気があったから、てっきりこの場所が気に入らないと思っていました。」

雄黄酒「……龍井が、わたくしにやり直す機会を与えてくれました……」

少年「えっと……じゃあ、龍井様は雄黄酒さんにとって……どんな方ですか?」

雄黄酒「龍井か……最初は嫌われてると思っていました。しかし、後で知りました。彼はただ私が他の者に害を及ぼす事を恐れていただけでした……」

少年「他の者に害を及ぼす?」

雄黄酒「いいえ……何でもありません。龍井は本当に、優しいのです。」

少年「優しい? どのようにですか?」

雄黄酒「長く付き合わなければ感じ取れないかも知れませんが、本当に優しいです。ひとりひとりの事を気にかけていて、全ての者たちの事を思っています。人々から龍神と呼ばれていますが、わたくしからすれば彼は龍神というより、人です……」

少年「どうしてですか?」

雄黄酒「神様というものは……高みから冷たい目で人々が道を踏み外すのをただ見ているだけです。でも龍井は、誰かが道を踏み外す前に止めてくれます。」

少年「雄黄酒さんは本当に龍井様の事が好きなんですね。」

雄黄酒「龍井を好きではない者はいないでしょう。」

少年「えっと……じゃあ、龍井様について何か面白い事はありますか?」

雄黄酒「うん……面白い事と言えば……貴方たちは彼が薬を飲む時の表情を見た事がないのですよね?」

少年「薬を飲む時ですか?」

雄黄酒「そうです。龍井は……思ったより子どもっぽいのですよ。」

少年「へぇ?!」

雄黄酒「苦いものは苦手で、薬を飲むのも苦手です。堕神に対抗する時は瘴気に侵される事は避けられないので、わたくしがみんなの分の薬を用意する事になりますが、龍井がその薬を見た時の表情ときたら、毎回ロンフォンフイが大笑いしています。」

少年「……」

雄黄酒「どうしました?」

少年「あっ、いいえ。でもなんだかみんな、龍井様の困っている姿を見るのが好きなように思えて……」

雄黄酒「えっ、そんな事は……」

少年「そうでしょうか……」



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