クロワッサン・エピソード
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クロワッサンのエピソード
機械のように冷酷な大天使。彼の人生はまるで教廷しかいないように、この世界の光を守るために必死に頑張っているが、他人からは彼の優雅な一面しか見ていない。世間を信じて、そして世界のために努力する。昔の仲間が闇に落ちるのはとても心を痛むがそれでも表情は変わらずに彼を冷酷に制裁した。他の人が誤解するかは気にしない。手段は鉄血だが全部最善策を考えたあとのこと。
Ⅰ.過去
午後の木漏れ日のあたたかさは、昼寝に最も適している。
私は木の幹に寄り掛かり一つあくびをした。あたたかな陽ざしとそよ風に吹かれて、瞼が重くなるのを感じる。知らず知らずの内に、視界が真っ暗になった。
「ッ、ハクションッ!」
鼻に痒みを感じてくしゃみが出てしまった。
鼻先を軽く揉み、目を開いて悪い笑顔を浮かべている相手を見た。
「犯行道具」を握っているラムチョップに向かって力いっぱい叩いた後、手を伸ばした。
彼の力を借りて立ち上がると、私が話し始めるより前に、彼は私の肩に腕を回してきた。
「クロワッサン、どんな良い夢を見ていたんだ?楽しそうな顔しやがって」
私の髪をひたすら弄り続ける手を払いのけ、ついでにまだ治りきっていない彼の肩をつついた。
「どうしてここに?先生とヴァイスヴルストから静養するよう言われていたでしょう!」
「いって!やめろ!あいつらはいつも大事にしたがる、ちょっとした傷だ問題ない」
傷口に巻かれた包帯から血が滲んでいるのを見て心配になったが、その張本人はどうってことなさそうな顔をしていた。
「これは何ですか?」
「ああこれか?御侍が、私の霊力は詰まっているんだと。薬を使ったから、すぐに治るらしい」
「おい!もう髪を撫でるな!」
「ハハハッ!なんだ?背が伸びないってか?忘れるなよ!ビールの奴が言っていただろう、食霊は基本的に身体は成長したりしないってな!私より背が高くなることはないんだ!ハハハハッ!」
「ラムチョップ!待ちなさいーー!」
ふざけた顔で逃げて行くラムチョップを追うと、彼が私の方に振り返った瞬間、私たちが良く知っているひとにぶつかってしまった。
「ラムチョップ、傷は治ったかい?またクロワッサンを怒らせたのか」
「いたたた、貴方の骨は鉄で出来てんのか?」
私は手を伸ばして、地面に座り込んでしまったラムチョップを引き上げ、私たちの先生であるビールの方を向いた。
ビールは学院長の友人で、時々学院に招かれて歴史について教授してくれる。
彼はこの学院には人間以外に、御侍に付き添って通う食霊がいることに気付き、自ら私たちの先生になってくれた。
力の使い方以外にも、彼は諭してくれた。
この世界の異類として、私たちが持っている力は悪事を働くためのものではないと。
これは神から与えられた力、この世界を守る力であると。
先生というよりも、彼は私たちの友人、人生の先輩のように、この世界の全てについて真摯に教えてくれた。異なる力を持っている私たちはどうすればいいのかを、この力をどう使えばより多くの人を守れるのかを。
今は絶望の時代だ。
堕神は増え続け、生存できる範囲は減る一方。
しかしこのような時代にこそ、ビールのような存在は貴重だった。
私は彼が思い描く、人間と食霊が手を合わせて全ての堕神を倒した後に出現する美しい世界に憧れた。
この今も美しい世界は、皆の努力のもと、きっともっと良くなると思う。
ビールにラムチョップがきちんと休養してくれないと告げ口をしようとした時、傍を通った学生たちの会話に呆気を取られた。
「聞いた?聞いた?」
「どうした?」
「辺境の方にある小さな村落がまた堕神に荒らされたらしい、生き残りは一人もいないって」
「……はぁ、皇都に料理御侍がいっぱいいて良かった。そうじゃなければ私たちも酷い目に遭っていただろうね」
ラムチョップは私の握り締めた両手に気付いて、軽く私の手の甲を叩いた。
「クロワッサン?」
「……また、一つの村落が……」
「……」
ビールは私とラムチョップが落ち込んでいるのを見て、私たちの肩を叩いた。
「ほら、それは君たちがどうにか出来る問題ではない」
「しかし……」
「このような事がひっきりなしに起きているからこそ、僕たちは解決法を見付けなければならない。そうだろう?」
ビールの優しい笑顔を見て、イラついていた心は落ち着きを取り戻した。
Ⅱ.教皇
「それなら、法王庁の食霊を手配して、定期的にその村の近くにある堕神の巣穴を駆除するというのはどうだ?」
「しかし、現在法王庁に所属している食霊の数は少ない。全員この世界を守るために戦おうとしていますが、圧倒的に人数が足りません」
「……うっ」
「何をしているんだ?」
突然話しかけられて驚いてしまった。ビールが私たちの傍に立って、不思議そうに私たちのことを見ていたのだ。
「料理御侍のいない村落や町をどうやって守ればいいかについて話していました」
「そうか……なら、同じ志を持つ仲間たちに声を掛けて、法王庁に加入してくれるか聞いてみるのはどうだ?そうすれば、彼らの御侍は法王庁が守り、彼らは少し手が空いてより多くの人を守れると思う」
ビールの助けを借りて、私とラムチョップは次第に今の法王庁の雛型を作り上げていった。
元からティアラ全域に広がっていた法王庁は、昔のようにただ堕神がもたらす悲鳴の中、懺悔するだけの場所ではなくなった。
「……何を仰っているのですか?」
私は御侍様の勅令を呆然と見ていた。
あの優しい老人はあたたかな笑顔を浮かべながら、彼の王座を降りて私の肩を叩いた。
「クロワッサン、知っていますか?様々な意見を押し退け、ビールの提案に従って手配したところ、辺境の惨劇はもう随分長い間起きていません。いつか法王庁は彼の指導のもと、ティアラ大陸全ての子どもたちを守ることが出来るでしょう」
「しかし!あなたは……」
「クロワッサンよ、どうして私が退位するのかと、困惑しているのはわかります。私は老いたのです。堕神によって多くの犠牲が出ている現状を、私たちも神も見たくありません」
「私がいつまでもお守り致します!」
「私は老いた、いつまで正気でいられるのかわかりません。もしかしたら近い将来、病気や老衰によって教皇を背負ったまま自分を見失ってしまうかもしれません。しかし、ビールはそうなりません……彼は永遠の命を持っている、そして私が一番信頼している貴方が傍についています。貴方は彼と法王庁を助けてくれるでしょう?法王庁とティアラは貴方達に任せました」
老いた手が私の手の甲を覆った。あたたかな笑顔は私の目頭を熱くさせ、勅令を握り締める手の震えが止まらない。
「彼こそ一番相応しい。クロワッサンよ、行きなさい。貴方達はティアラに更に美しい未来をもたらすと信じています」
私は知っていた、ビールこそ一番相応しいと。
教皇になるには、寛大な度量、広大な見聞、冷静な頭脳が必要だ。
そして、この大陸上全ての生霊を愛する真摯な心。
ビールは人間が大好きだ、そしてこの大陸のことがもっと好きだ。
彼こそ一番相応しい。
彼がいなければ、私とラムチョップだけでは、今の法王庁を作り上げることは出来なかっただろう。
「えっ?!!!なんだ?!ぼ、僕が?教皇?!!!!!」
「はい……先生、助けてください。私が思いつく人選は、あなたしかいません」
「でも……教皇が指定したのは君だろう?君がダメでも、ラムチョップがいるじゃないか」
「ダメです。この役目はあなた以外誰にも果たせません」
取り乱す彼に、勅命を手渡した。
「ダメダメダメだ!!!僕のようなだらしない者が!そんな大事な役目を背負える訳がないだろう?!ダメだ!」
「……」
「可愛い学生が可哀想な目で見て来てもダメなもんはダメだーー!!!」
Ⅲ.軌跡
ビールは勅令を受け入れず、夜陰に乗じて皇都を抜け出した。手紙を残して、全てを私たちに任せたのだ。
事務作業で手が回らなかったが、幸いにもラムチョップがずっと私の傍で手伝ってくれた。
全ては良い方に向かって進んでいるように見えた。
フォンダントケーキは法王庁の神子だ。彼女の癒しの力は、堕神に迫害され絶望していた全ての人々に光明をもたらした。
彼女はいつもラムチョップと口喧嘩をしていたが、何も言わなくても、お互い相手を大切にしていることはわかる。彼らが私を大切に思っているのと同じように。
私たちは一番良い仲間で、同じ志を持つ戦友だ。
「クロワッサン!ラムチョップがまた傷が治る前に出てしまったわ!どうにかしてください!」
「彼のことが心配なら、自分から言えば良いでしょう」
「誰が彼の心配なんかするもんですか!あのバカ!外で死んでも知らないわ!しかも……貴方の話以外、彼は誰の話も聞いてくれませんわ」
私は顎を支えながら、怒っているフォンダントケーキを見て思わずため息をつき、持っていた書類を彼女に渡した。
「わかりました、彼を説得してみます。こちらの配布を宜しくお願いします」
「任せてください。貴方もきちんと休息を取ってくださいね、全然寝てないでしょう?」
「私は大丈夫ですよ」
フォンダントケーキが離れようとした時、私は彼女を呼び止めた。
「うん?どうかしました?」
「私を信じてくれてありがとう。貴方たちがいなければ、私はどうして良いかわからなかったでしょう」
「……礼なんていりませんわ。それに、貴方が最も感謝するべき相手は私ではないでしょう?」
彼女が言いたい事はわかっている。
ずっと傍にい続けてくれて、一生懸命助けてくれて、最初から私を信じてくれた奴こそ、私が最も感謝するべき相手だと。
そっと部屋のドアを開けると、ラムチョップは静かにベッドの上で寝ていた。寝ている時の彼は普段のひねくれた様子は見る影もない、柔らかな表情をしていた。
首にも、腕にも、あちこちに分厚い包帯が巻かれていた。
食霊の傷の治りはとても速い。しかし、それでも彼の身体には治りきらない数えきれない傷が残っている。
その様子を見て感傷的になろうとした時、寝ている時ですら大人しく出来ない彼は、掛けていた布団を蹴り飛ばした。
仕方なく床に落ちた布団を拾い上げて掛け直そうとしたら、私が彼に近付いた瞬間、彼によって腕をキツく掴まれた。
「誰だ?!」
開いた彼の目に広がっていた不安を見て驚いてしまった。彼がこんなに動揺しているのを見たのは初めてだった。
「私です。クロワッサンですよ。どうしたんですか?」
彼は私だと気付いて、すぐに不安な感情を引っ込め、人をイラつかせるいつもの笑顔を浮かべた。
「あぁ、クロワッサンか、私のファンかと思った」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まっているだろう?」
ずっと後になって、私は後悔した。どうしてこの時、問い詰めなかったのかと。
Ⅳ.去る
ラムチョップの堕化は、誰も予想できなかった。
そう告げられて私は信じることが出来ず、急いで彼がいる場所へと向かった。
いつも笑顔を浮かべている彼は、この時、とりわけ凶悪な表情を見せていた。笑みを含んだあたたかな目つきは、今は身に染みる寒さしか感じられない。
鋭い犬歯を露わにして、目の前の敵を引き裂こうとしていた。
そして彼の敵というのが……私たちだ。
「ラムチョップ!どうしたんですか!目を覚ましてください!」
しかし、この時のラムチョップはもう私たちを認識できなくなっていた。彼の真っ赤な瞳が恐ろしく感じる。フィッシュアンドチップスとプレッツェルが私の前に出た。この時の彼らの表情はとても険しく、額からは冷や汗が流れていた。
「クロワッサン、下がっていてください。彼はもう私たちのことがわからないようです」
「……」
私たちはラムチョップの御侍を助け、彼を庇った。彼の全身は血に染まっていて、地面には他の牧師とシスターたちの死体が転がっていた。
ラムチョップは私たちの知らない目つきで、憎しみをもって私たちを睨んだ。
「ラムチョップ!私たちのことはわかりますか!」
彼に呼びかけてみたが、まるで私の声が聞こえないようだった。その表情は人と言うより、堕神に近かった。
「クロワッサン、ラムチョップは完全に堕化してしまいました。私たちのこともわかりません……もう……」
「彼は……彼は何故……」
「以前堕神に襲われた時の傷に、堕化の種が残ったのかもしれない……」
彼の御侍に話を聞こうとしたが、帰って来た言葉に反応が出来なかった。
目の前の厳しい状況に言い知れない絶望を覚えた。ラムチョップの身体に妖しい光を放つ濃い紫の炎が灯される。その異様な姿にその場にいる全員が本能的に後ずさった。
「クロワッサン!もう迷っている暇はない!」
嚙みしめた唇から伝わってきた痛みによって我に返った。目の前で全身の霊力を燃やしているラムチョップを見つめ、口を開こうとした瞬間……
「クロ……ワッサン……」
完全に自我を失ったラムチョップはもがきながら私を見た、そしてよろめきながら私の方へと近づいて来た。
フィッシュアンドチップスは嬉しそうにラムチョップの方を見て、急ぎ足で血まみれな彼のもとへ向かう。プレッツェルですら、その様子にホッとした表情を浮かべた。
彼らや私にとって、ラムチョップに手を上げないというのが一番良い結末だが……
「そいつを……信じる……な……」
フィッシュアンドチップスは地面に倒れそうになっているラムチョップを支える。彼のつぶやきを私たちは理解することが出来なかった。
ただ……
「嗚呼ぁああああー!!!!!」
突然フィッシュアンドチップスのもとから抜け出したラムチョップの体から強烈な炎が噴き出した。彼の霊力を呑み込んだどんよりとした紫色の炎から恐ろしい黒色が染み出て、私の背後にいる大司教――ラムチョップの御侍に襲い掛かった。
大司教のすぐ近くにいて人々を守っていたプレッツェルは、かつての仲間がこんな事をするとは思わず、無防備のままその一撃を体で防ごうとした。
「プレッツェル!」
その場にいる全ての人の視線の中、フィッシュアンドチップスは地面に倒れた。
彼はプレッツェルに代わって大部分の攻撃を受け止めた。
「殺せ!殺せ!!!そいつを殺せえええええー!!!!!」
「クロワッサン……ラムチョップはもう……貴方にしか出来ない……早く」
ラムチョップの御侍の目に広がる悲痛を見つめ、私は傷ついた仲間たちと守るべき人々の前に出た。
Ⅴ.クロワッサン
「ありえませんわ!法王庁を裏切る可能性は誰にでもあるけれど!彼だけはありえない!クロワッサン、貴方は何を言っているのですか!」
フォンダントケーキは激しく動揺した様子でクロワッサンの胸倉を掴んだ。いつもは強い彼女の目尻は、この時ばかりは少し赤くなっていた。
彼女の机の上には、まだラムチョップが悪戯した落書きが残っている。
ほんの数日。
ほんの数日の外出で。
誰よりも法王庁を、クロワッサンを大切にしている彼が、裏切る筈がない。
クロワッサンはただ静かに彼女の声を受け止めていた。強く握りしめている両手から血を滲ませながら。
「他の誰も信じなくて良いけれど、貴方だけは彼を信じなくちゃ……貴方が彼を信じないなんて……貴方はどうして……どうして……」
フォンダントケーキは少しずつ崩れ落ちていった。
「全員が私を見つめていました。彼はフィッシュアンドチップスを傷つけ、多くの人を殺しました。私が手を下さなければ、他の者が彼を逃がさなかったでしょう」
クロワッサンの声はいつも通り淡々としていたが、強い意志が感じられた。
「彼が私たちを裏切るだなんて信じません。彼は私を裏切ったりしない。絶対に」
フォンダントケーキは顔を上げてボーっと眉をひそめているクロワッサンを見上げた。
「それって……」
「法王庁内部の……私たちの知らない所で……何か恐ろしい事が起きているのではないかと、疑っています」
フォンダントケーキは目尻の涙を拭い立ち上がって、一つ深呼吸をした。
「確かに、法王庁の規模はますます大きくなっています。今回外出した時も、妙な噂を耳にしました」
クロワッサンは拳を強く机に打ち付けた。歯を食いしばったことによって、首に青筋が立った。
「その者たちを決して逃がしません。フォンダントケーキ、あなたの協力が必要です」
「もちろんです」
すぐに、教皇の神子は現職の代理教皇に不満を抱き、激しく言い争った後、中央法王庁を離れ、教皇がまだ完全に手を付けていない国へと向かった。
そして代理教皇は別の場所からまだ幼い新任の神子を迎え入れた。
ある薄暗い夕方、黒いマントを被った人物が小さな教会にやって来た。
ボーっと神像を見上げているクロワッサンは、肩を叩かれたことでやっと我に返った。
「クロワッサン、奴らの尻尾を掴みました」
フォンダントケーキが持って来た資料を読んだクロワッサンは、一瞬息が止まった。彼は資料を強く握りしめ、引きつった笑顔を浮かべた。
「やっと……見つけました……」
「奴らは厳重に隠していたようですわ。私が法王庁を抜けたことで私への警戒が緩くなり、かつシャンパンの協力があったから、こんなにも早く奴らの尻尾を掴むことが出来ました」
「お疲れ様です。ここからは、私の仕事です」
クロワッサンは大きなマントを羽織り、教会の裏口から出ようとした時、フォンダントケーキは躊躇いながらも彼を呼び止めた。
「クロワッサン……」
「……どうかしましたか?」
「彼を迎えに行きますよね?法王庁は、前みたいに戻れますよね?」
彼女の問いに答えることなく、クロワッサンはフードを被り表情を隠した。
教会を出た彼は、雨風によってどんよりとした空を見上げた。
「彼らがいくら努力して全ての真相を突き止めても、壊れた現在は修復されない、美しい過去になんて戻れない」
彼には、この事をフォンダントケーキに伝える勇気はなかったのだ。
「必ず、奴らに代償を払ってもらいます」
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