豚骨ラーメン・エピソード
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豚骨ラーメンのエピソード
正義感が強く親切。穏やかなラーメン屋女将に見えるが、優しい外見からは伺えないただならぬ過去が隠されている。
Ⅰ.客人
ラーメン屋は毎日営業開始の時間が決まっている。
水桶を持って入口に行き、木勺で店の外に水を撒いて暖簾を掛けた。
これがウチの日課。何の変哲もない、普通のラーメン屋の女将と同じ。
店の客もみんないたって普通の人間たちだ。
彼らがウチの店で、家で起きた事や、生活の悩みをぼやくのを聞くのが好きだ。
このような簡単で単純な日々はウチに全ての悩みを忘れさせる、更には自分が食霊であることさえ忘れさせた。
しかし、どうしても空気が読めない人がいて、安寧を邪魔しにくる。
騒々しい声が店中に鳴り響き、静かに食事をする客全員を驚かせた。ウチは顔を上げて隅に座っている数人の若者の方を見る。
「女将!見ろよこのラーメンの中!こんな大きい虫が入ってやがる!兄貴がお腹壊したらどうしてくれんだ!」
店の常連客は騒いでいる若者たちを見て、どうしようもないと首を横に振った。
老人は若者たちを見て、目に同情の色が浮かべながら、重々しく言う。
「若者よ、今ならまだ間に合う」
包丁を持つ手を止めた。
(うっ……前回”害虫”ば掃除した時、客ば驚かせてしもうたかもしれん……)
店内は静まり返っていて、ウチの次の行動を待っているようだった。しかし、その若者たちだけはこれに気づかない。
ウチは気まずそうな顔で天を仰いで、出来るだけ穏やかな笑顔でそのチンピラたちを見た。
「ウチの店のラーメンに虫がおるはずがなか、見間違えやろう」
「このアマ何言ってんだ!あんな大きな虫!俺たちの目が節穴だって言うのか!」
「うっ――腹いてぇ――」
「そうだそうだ!兄貴痛がってんじゃねーか!」
「……」
穏やかな方法で解決出来そうにないな。
申し訳ない笑顔を浮かべてお客さんに迷惑を掛けた事を謝っている間、ウチの店員らは慣れた手つきで机を横にどけた。
Ⅱ.姉御
ウチはその若者たちを店の外に放り投げた。彼らが狼狽しているのにも関わらず見栄を張って騒いでいるのを見て、ウチも店のお客さんたちも思わず笑ってしまった。
「女将さん、相変わらず強いですね!」
「お姉さん凄い!」
「はいはい、冗談ばよして、早う食べてくれ。今日はお詫びに温泉卵ば無料で皆さんに差し上げるたい」
「よっしゃ!女将さん最高!さすが姉御!」
「アンタたち……」
騒いでいる数人の常連さんを見て、いつの間にか笑顔が浮かんでいた。
あのチンピラどもは何故か諦めることなく、より一層ウチに絡むようになった。
しばらくの間、奴らの絡みは常連さんの最高の酒のつまみになった。
ウチは彼らの顔が痣だらけになっているのを見て、どうしようもない気持ちになる。手を伸ばして、リーダー格の小僧の顔の傷をつついてみた。
「おい、これで何回目や?アンタらにウチは倒せん」
二十歳にも満たないような青年は痛みのせいか、息を深く吸った。
「漢がこのまま負けを認められるか!道義に反する!」
隣の常連さんたちが次から次へと笑い声を立てると、青年は顔を赤くした。ウチは彼の肩を叩いてこう告げた。
「道義とは、こん通りで王ば称するだけで得られる、そげん簡単なもんやなか。アンタん兄弟らはアンタを信じとー、アンタがやっとー事はあいつらに申し訳がたつか?帰ってよく考えてみんしゃい」
その後長い間、その青年が来る事はなかった。
常連さんたちも茶番が見られなくなって少し残念に思っているようだ。
彼を再び見た時、彼は突然ウチの前に膝をつき、額を地面に叩きつけた。
「姉御!俺をもらってください!」
ウチは驚いて半歩後ずさった、彼がしきりに頭を下げている姿を見て、頭が痛くなる。
「とりあえず起きんしゃい!」
「いや!姉御が俺をもらってくれなきゃ起きない!!!俺はあんたのそばで道義を求めたい!」
「………ここはラーメン屋、どこに道義ばあるん?」
「構わない!!姉御俺をもらってくれ!」
「………」
「だから、このラーメン屋は店員がどんどん増えているのか?」
うな丼は酒を一口啜り、笑わないよう努力しているようだったが、その目には隠し切れない笑みと人の不幸を喜んでいるような様子も浮かんでいた。
彼の手の中の徳利を容赦なく奪い取って、彼を店の外に蹴り出した。
「屋根ん修理終わったんか?座って酒ば飲みやがって!」
「一口だけ…それだけは飲ませてくれ!」
「屋根ば今日中に直さんと晩飯抜きだ!」
「あああああ――――今いってくるでござる!!!」
Ⅲ.雑用
うな丼と出会ったのは随分昔の事だ。
彼と再会した時、彼がまさかこんな姿になるとは到底思わなかった。
食霊は食事を取らなくていいが、十分な休息を取って霊力を回復する必要がある。
彼の困り果ててやつれた姿は、あの戦場ですら見た事のないものだった。
雨に濡れて凍えていて、まるで飢えている野良犬のように、可哀そうな姿で険しい声を上げていた。
それでも彼は、強がってウチの前に立ちふさがり、保護費をもらいに来たチンピラ共を追いやってくれた。
「こんな事をして、それでも男か?!」
そのチンピラたちは逃げながら、痛くもかゆくもない捨て台詞を吐いて、泣きながら立ち去っていった。
「あっ!お主だと分かっていれば手を出さなかったでござる!霊力がもったいない!」
やっとウチを認識したうな丼はホッとした表情を浮かべた。しかし、突然彼は眉をひそめ、鼻先で軽く嗅いで、振り返って厳しい顔でウチを見た。
「何の匂いでござるか!」
「……ラーメンだが」
「良い香りだ!一杯頂きたいでござる!」
彼は数口でラーメン大盛を綺麗に食べ切った。満足げにげっぷをし、財布を取り出した時、気まずそうな顔をした。
「豚骨ラーメン!」
「うん?」
「従業員を募集しているか?給料はなくていい、住み込みでまかないがあればいいでござる!」
「………」
彼の目には期待が浮かんでいた、ウチの答えが出る前に、彼は急いで立ち上がって、明るい笑顔で彼の財布を渡してきた。
「あ……冗談でござる!失礼する!」
「……アンタ財布は?」
「どうせお金は入っていないので、財布はあげるでござる!」
「………うな丼!……ここに残るか?」
うな丼は振り返って、驚いた顔でウチを見た。
「本当に残っていいでござるか?」
「ちょうど雑用がたりんけん、残る気はあるのなら残ればよか」
「……拙者の素性は?」
「素性?ウチと何の関係が?それに、ウチも手合わせできる相手が欲しかった。そん時ば負けても泣くなよ」
その後、うな丼はウチの店の他の店員と同じように、この店の一員になった。
元々はウチ一人だけのラーメン屋だったが、知らず知らずのうちに、多くの人の帰る場所になっていた。
Ⅳ.「月下」
うな丼が来てくれたことで少し楽になった。
喧嘩を売りに来るチンピラたちはあいつを見ただけで逃げ帰るし、食い逃げをしていた奴らの姿も見なくなった。
大分後から知ったが、あいつはウチの知らない所でそういった「不安要素」を全部片付けていたらしい。
最後のお客さんを送り出し、店に戻ったら、あいつは窓の外を眺めていた。
満開の夜桜はそよ風に揺られて花びらを落とした。花びらは杯の中に落ちて、酒の表面に幾重のさざ波を起こす。
彼のそばに座り、自分のためにも一杯注いだ。
窓の外で風に吹かれて踊る桜の花びらを眺め、薄い桃色が濃い夜色の中に輝きをもたらした。
これらはまるで当時の月下のようだ。
ウチと彼は月の下に座って、今と同じような涼しい風がそよそよと吹いていて、同じく桜が舞い散る季節だった。
ただ、今ウチらの杯の中にはもうあの明るい月はない。
「豚骨ラーメン、昔は蒸れるのが嫌で、着物の袖が大嫌いだったではないか?」
うな丼はぼそぼそと言いながらウチの肩を見た。
彼が見ているのはウチの服じゃなく、幅広な着物の下に隠れている腕全体を覆った色付きの入れ墨なのはわかっている。
ウチは自分の着物を少しはだけて、肩にある派手な入れ墨を露わにした。
「これば探しよんと?」
うな丼の両目が輝いた。彼は大きな入れ墨を眺め、目には美しい物に対する称賛で満ちていた。
「何回見ても……お主の入れ墨は綺麗でござる。あれ……そこに描かれていた四頭の凶悪な獣は?」
「ほら、毎日アンタん前でダラダラしとーやろ?」
ウチは口を尖らせ、真ん丸な伴生獣の方を見るよう促した。ラーメン屋の一角に用意された小さな巣の中に四匹は丸まっていた。
うな丼は口を大きく開け、暗いろうそくの光の下でもツヤツヤとテカッている四匹の子豚を見て驚いていた。
彼は受け入れがたい表情をしていた。かつての戦場では、噂だけで人を逃げ出させたあの四匹の凶悪な獣が、今や人畜無害そうな子豚になっているだなんて。
ウチは失笑して巣の中から一匹をすくい取って手の中で揉みしだいた、この柔らかく滑らかで弾力性のある手触りはウチを虜にする。
「今はこん子らに血ば浴びさせる必要ないけんね、これでよかやなかとか?」
Ⅴ.豚骨ラーメン
桜の島にいる子供たちは、小さい頃から親のこのような忠告を聞かされたものだ。
「言うことを聞かないと、四匹の大きな獣がお前たちを咥えて、女の妖怪に食べさせるぞ!」
全ての噂は現実からきている。
この噂を聞いたうな丼は自分の刀を抱え、桜の木の下では息もできないほど笑った。
そばの月見団子はぎこちなく笑って、豚骨ラーメンの手をつかんだ、彼女に伴生獣を牽制している縄から手を離さないようにと。
雲の後に隠れた月がゆっくりと自分の姿を現し、桜の花びらはゆらゆらと杯の中に落ち波紋を生んだ。
このように美しく静かな夜は、血に染められたあの思い出の中で、極わずかな綺麗な景色だった。
豚骨ラーメンの記憶の中では、人間同士の戦争はいつも見当もつかないうちに始まっていた。
金のため或いは権利のため、更にはもっと小さな事で、彼らは無数の仲間の血を代償に、同類の死体を踏み台にして上り詰めようとしていた。
豚骨ラーメンは顔についた赤を拭い、倒れている自分の兄弟たちをぼんやりと見ていた。
元は…守るため…
元は…もっと良くするため…
どうして……こうなった…
「姉御、今晩ラーメンを食べませんか?」
「姉御!あいつ好きな人が出来たそうです!」
「姉御!私は……私は……私は……あなたに憧れています!」
「姉御!」
「姉御……」
豚骨ラーメンは仲間が次々と倒れていくのを見て、唐突にこの戦争の必要性を疑い始めた。
「姉御……あなたは……自分の面倒をちゃんと見てくださいね……」
豚骨ラーメンの最後の仲間が血の海に倒れたことで、彼女を繋ぎ止めていた最後の糸も途切れた。
彼女は自分の身にある妖艶な入れ墨に伴生獣を回収して、夜の闇に乗じ、月見団子の見送りのもと兵営を離れた。
この時、戦場から四匹の凶獣を連れた殺しの神が一人減った。
桜の島の村には、四匹の子豚を飼っている至って普通のラーメン屋女将が増えた。
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