ビーフ・ウェリントン・エピソード
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目次 (ビーフ・ウェリントン・エピソード)
ビーフ・ウェリントンのエピソード
冷血な軍人。国家の利益を何よりも大事にしている。
あらゆる娯楽は彼にとっては一種の浪費である。容姿端麗だが不愛想、人畜無害そうな見た目をしているが怒ると怖い。普段は自分を軽視する者を無視しているが、威名が轟いた後はそういう者も少なくなっていった。
Ⅰ軍神
一国の強さに必要なのは、十分な経済基盤はもちろん、それを支える十分な武力も欠かせない。
十分な軍事力がなければ、いくら財力があっても、他国の財布と化してしまう。
だから、皆が安心して平穏に暮らせるようにするには、国を守る城壁である我々は、敵を脅かす程の、敵対したくなくなる程の強い実力が必要だ。
これは御侍から聞いた話だ。
彼はとても穏やかで思いやりのある人だ。しかしそれと同時に強い軍人でもある。
――更に言えば、この国を守る軍神でもあるのだ。
堕神が跋扈するこのティアラで、我が国は最初から多くの食霊がいた訳ではない。
そしてそんな時、軍を率いて民を守り、堕神を退治していた者こそ、わたしの御侍だ。
「私の決意が神々に届いたのか、遂に貴方が私のところに来てくれた」
わたしの肩に置かれた彼の大きな手のひらから、安心するあたたかさが伝わった、そして責任の重さを感じた。
堕神の悲痛な叫びと共に、戦友たちの歓声が飛び交った。そして彼らはわたしを取り囲んで、嬉しそうに胴上げした。
「フッ、彼らを責めないでやってくれ。嬉しすぎたんだ。何しろ、貴方が来るまで堕神を本当の意味で消滅させたことはなかったからな」
その時、ふと気付いたのだ。
わたしの周りにいる戦友たちは皆、いつ死ぬかわからない中、覚悟を持ってこの戦場に立っていることを。
彼らは、自分たちでは堕神に立ち向かえないことをわかった上で、それでも背後にいる国民の安全のために自分たちの血肉で高い防壁を築き上げてきた。
彼らの赤くなった目と生き残れたことに対する喜びを見て、わたしは長鞭を強く握りしめた。足元にいる伴性獣も、わたしの気持ちを察したかのように優しく足にすり寄ってくれた。
彼らは怖がっていない訳ではない。
ただ、引き下がることはできないんだ。
御侍は、歓声を上げて笑いながらふざけあっている兵士たちを見てから、わたしの肩を叩き静かに笑った。その笑顔は優しく、そして安らかだった。
「私たちのところに来てくれて、希望を与えてくれて、本当にありがとう」
そうわたしに言った御侍は、わたしを見つめながら深呼吸した後、目を見開いて空を見上げた。そしてわたしに背を向けて、一つ咳払いをした後にこう続けた。
「私の兵士を救ってくれて、子どもたちを救ってくれて、ありがとう」
最前線に兵士を送る命令を冷血に下す度、御侍は自分を責めた。しかし、過去の経験から背後にいる国民のために一時的な平和を得るには、堕神を追い払わなければならない、犠牲は欠かせないのだ。
彼の冷酷さに怯え彼を批判する国民たちは、真実を知らないまま彼に守られていた。
軍神はその人たちも含め、一人一人を我が子のように思っていることを、兵士の誰もが知っていた。
兵士を死に至らしめるかもしれない命令を下す度に、彼の手は僅かに震える。
しかし、彼の後ろには数えきれないほどの国民がいる。引き下がることはできない。
わたしは鞭を胸に当て、敬意を持って、わたしが最も尊敬する男に最高の軍礼をした。
「我が魂に誓う、この命尽きるまで全ての兵士を守ってみせます」
Ⅱ 平和な暮らし
全ての苦しみは次第に薄れていった。
帝国はわたしの他に、騎士団や貴族、王室などに、徐々に食霊が増えていった。
そして、兵士たちへの皺寄せも少しずつ軽減され、全てが良い方に向かっていった。
「おや、ウェリントン。貴方の子ライオンにはまだ名前がないのですか?」
手で顎を支えながら悠然と話しかけてきた者はエッグノッグという。彼は公爵の後継者の食霊だ。未だに理解できないのは、彼の御侍はとても真面目な方なのになぜ彼はこんなにも軽薄でいつも殴りたくなるのだろうか。
真面目な事柄においては、彼は彼の御侍同様信頼出来る人物だ。しかし、いつもの怠惰でだらしない様子を見ていると気が気でない。
「……名前は必要か?」
わたしの足元で寝そべってステーキを頬張っている子ライオンを見て、ふと自分が主人失格であるのではないかと感じた。どんな名前が似合うかを考えていた矢先のことだった……
「ステーキ!ステーキが好きみたいですし、ステーキにしましょう!」
「おいっ!!!」
「ガオー!ガオー!」
「ステーキ!」
「ちょっと待った!その名前は流石に……ふざけてないか!!! 」
「ステーキ〜」
「ガオー!!!」
彼は子ライオンの頭を撫でながら、笑顔でわたしを見上げた。
「ほら、彼もこの名前を気に入ってくれたみたいですよ。子ライオンとステーキ、なんて素敵なコンビでしょう!」
その満面の笑みを前に、自分の歯がギシギシと鳴る音が聞こえてくる。
こいつは絶対何かを企んでいるに違いない。
何しろ、わたしと彼の知り合いの中に「ステーキ」という名を持つ暴れん坊な食霊がいるのだ。
しかし断る間もなく、子ライオンは本当に気に入ったのか、すっかり彼の手のひらに擦り寄って、嬉しそうに転がっていたり
喜んで腹を出しているその姿に、思わず絆されてしまった。
(――まあいい、本人が気に入っているのなら、「ステーキ」で良いだろう)
「ステーキ?ハハハハハッ!!!!!ステーキ?!おいっ、ビーフステーキ見てみろ!こっちのステーキの方がお前よりも賢く見えるな!」
いつと優雅で落ち着いている赤ワインは、子ライオンを抱えて真剣に見つめた後、手袋をした手でドンドンとテーブルを叩き、笑いながらテーブルに突っ伏してしまった。
わたしはその様子を横目で見ながら酒を口にした。そして彼と同じくらい満面の笑みを浮かべているエッグノッグとローストターキー殿下を見て頭を振る。
(やはりあの子に「ステーキ」と名付けたのは、この日のためだったのか……)
「なんだとっ!!!私より賢い訳がないだろっ!!!ぬっ……しかし”ステーキ”という名を持った以上、騎士道精神を守るべきだ!良いな!」
「ガオー!」
「ぷっ……ハハハハハハッ!」
「ハハハハハハッ」
「エッグノッグ!チビ!何を笑ってやがる?!」
「ガオー!」
「ハハハハッ!ピン芸人からコンビになれて良かったなハハハハッ!」
「赤ワインこの野郎!!!!!」
お互いの胸倉を掴んで今にも殴り合いを始めそうな勢いのビーフステーキと赤ワインを見て、わたしは遂に我慢が出来なかった。
「フッ……」
小さく漏れてしまった声に反応した一同は、一斉にわたしの方に視線を向けた。
「ウェリントン笑いましたね!」
「貴様、今笑っただろ!」
「……笑えたのか」
「ビーフステーキ見ろ、ビーフ・ウェリントンですらお前のバカさに呆れて思わず笑ってしまっているぞ」
(そう言えば……この二人は公爵の裏庭を荒らした後、罰として「悪い子」の札を首からぶら下げたまま公爵邸で門番をしていたことがあったな……あれも実に愉快な光景だった)
このように平和で、全ての者が笑顔でいられる生活こそ、わたしが守りたいものだ。
(このためなら、わたしは全ての敵にとっての悪魔にもなろう……)
Ⅲ 伯爵夫人
最も尊敬している方は誰かと聞かれたら、わたしは間違いなく御侍と答えるだろう。しかし。わたしは彼のことを完全に理解しているとは思っていない。
我が国の隣国は、小さいとは言えないが力がない国だ。そこには御侍のような勇猛果敢な軍人もいないため、堕神の猛攻を前に退却を繰り返すことしか出来ない。そのため国土はどんどん失われていき、次第に小さな国都しか残らなかった。
御侍に「隣国に力を貸さないか」と聞いたことがある。彼は血に染った大地を見つめながら考え込んだ後、やがて首を振った。
かつてのわたしは彼の考えを理解出来ずにいた。多くの貴族が彼に「隣国を助けよう」と提言したが、全て拒否された。
ただでさえ悪かった評判が、一層酷くなった。
隣国を見殺しにする、冷血で無情な人。
ある時、隣国の継承権を持つ姫が我が国に嫁ぐことを自ら申し出たことで、ようやく御侍は援助の手を差し伸べた。
帝国に嫁いだ姫は伯爵の妻となった。彼女を中心に、しばしば対立していた両国が、突如としてそれまでにない程に平和で友好的な関係を結ぶこととなった。
伯爵夫人に何度もお会いしたことがある、彼女は優しく淑やかな女性だった。そして何より、異国にいても彼女は王族としての貫禄を失ってはいなかったのだ。
彼女は美しい女性だ。そして先々まで見通す能力もある。そのおかげで伯爵は順調に陛下が信頼する臣下となった。
しかしその時御侍は、一層深刻な顔になっていた。
彼の憂いを晴らそうとした時、彼はわたしの頭を優しく撫でた。
「ウェリントン、貴方も私のことを冷血無情だと思っているか?」
「わたしは、そう思ったことは一度もありません!」
慌てふためくわたしを見た彼は手を伸ばしてわたしの頬を引っ張った。
誰もが彼を、冷血で冷徹な帝国の軍神だと思っているが――
彼が本当は冗談やちょっとしたいたずらが好きな優しい人であるのを、彼と親しい者しか知らない。
「貴方を召喚した時、私はまだ若かった、貴方は既にこの姿でいた。最近私は白髪が増えてきているが、貴方とビーフステーキたちは何も変わっていない。きっと、私が年を取っても貴方たちは変わらないのだろう」
「……」
「なーに、そんな顔をするな。貴方たちが変わらずにいてくれることに安心しているんだ。そうすれば……百年後、安心して帝国を貴方立ちに任せられるよ」
「御侍……」
「ただ今回の答えは、教えられない。ウェリントン、貴方自身で答えを見つけてくれ。自分で考えることを覚えないと将来この口を人間や堕神から守ることは出来ない」
「……はい」
答えを得るにはそれほど時間は掛からなかった。
かつて弱者だった隣国に、マリーという女王が現れた。
彼女の食霊はこれまでに見てきた食霊の中で最も天真爛漫で、最も強く、そして……残酷だった。
その小柄な体に似合わない巨大な斧を振り回し、堕神の群れの中で血のワルツを踊るようにして戦う姿を見た。
……甘美なる笑顔で同盟国の兵士たちを切り捨てる姿も。
隣国は同盟協定を破り、同盟国で人質となっている同胞を見捨て、弱い国を武力で占領しようとし始めた。
しかし、彼らは我が国の国境に触れようとはしなかった。
わたしたちが強いから、そして、彼らへの警戒を一度たりとも忘れたことがないからだ。
Ⅳ 未来への旅路
人間の歴史において、堕神は大した敵ではない、人間の敵は常に自分自身であった。
堕神のいない歴史の中でも、人間は争いをやめることはなかった。
誰しも永遠に勝ち続けることは出来ない。
例え、どんなに強い力を持っていてもだ。
マリー女王の全盛期は長くは続かなかった。あまりにも残虐な行為と内部に潜む半党、そして彼女を断頭台に送ろうとして、彼女の兄たちが玉座を少しずつ崩そうとしていたのだ。
最終的に、絢爛な王朝は花火のように儚く散った。
女王の食霊が暴れた後の処刑場に、生気はなかった。
決定権を持つ者の多くを失った国は、間違いなく周辺国のターゲットとされてしまう。
御侍はわたしたちを満身創痍となった国に連れて行ってくれた。残骸の中から宝石をえぐり取られた王冠を見つけ出し、悲惨な死を遂げたマリー女王の頭に乗せ、彼女の両目を閉じた。
そしてその日、御侍の一見冷酷に見える行動の裏には、必死でもがいている魂があることを知った。
救いたくないわけではないんだ、もっと大切で、守るべき人がいたからだ。
重荷を自分で背負えるか、酷い結果になっても自分は制御出来るか分からないが、彼は冷静に考えなければならなかった。
劣勢にいる時に交わした御伽噺のような美しい約束は、弱者が力を持った暁には烈火の中に放り込まれた御伽噺の本のように簡単に燃えてしまうものだ。
「ウェリントン、この光景を見ても……まだこの国を守ろうとする意思はあるか?」
珍しく、御侍は疲れているように見えた。
彼の手にはボロボロな赤い髪紐があった。彼は悲しそうに、力なくそれを見つめた。遠くない場所にある瓦礫の下に幼い両手が見える、その手には小さなぬいぐるみが握られていた。
「帝国のために、何かが起こるとわかっていながらここを見捨てた」
「……」
「色々諦めてきたが、守るべきものはもっと多い」
「御侍……」
「守っているものを見ていると、自分がやってきたことに果たして意味はあるのかと、疑ってしまう時がある。彼らは何も知らない、何も知ろうとしない。それを見て、腹立たしく思う時があるんだ……」
「……」
「しかし……ウェリントン、自分を見失わずに、目指すべき方向を、求めるべき未来を、努力して見つけるんだ。どれだけ見捨てても、どれだけ誤解されても、覚悟を決めて進み続けるんだ!ウェリントンよ!貴方に出来るか!」
「はい!御侍!出来ます!必ずやり遂げてみせます!」
「よく言った!ハハハハッ!」
御侍は空を見上げながら笑った、思いっきり笑った。この日は珍しく晴れていて、雲間から差し込む太陽の光が眩しい。
「雨、降ってきたな」
「はい、御侍。雨が降ってきました」
Ⅴ ビーフ・ウェリントン
帝国連邦が「同盟協定」を正式に締結するまで、この地は戦火が耐えなかった。
人間と人間、人間と堕神、堕神と食霊。
同盟協定が締結された日から、全ての者が望んだ平和がようやくこの地に訪れた。
ビーフ・ウェリントンの御侍は、年を重ねるごとに目が悪くなっていった。目の前の者が「ビーフ・ウェリントン」なのか、「ビーフステーキ」なのか、それとも子ライオンの「ステーキ」か、見分けがつかない程に。
彼は人間としては間違いなく長寿と言える年齢まで生きた。
将軍の座を降りた後、彼は軍神というレッテルから解放され、温和で親しみやすいお爺さんとなった。
ただ、このお爺さんが子ライオンの「ステーキ」に向かって度々「ビーフステーキ」と呼ぶ行為は、ビーフ・ウェリントンを飲みに誘いに来るビーフステーキ本人をしばしば怒らせていた。
「ほっほっほっ、年を取ると目が良く見えないんだ」
「あああああ!ジジイ絶対わざとだろ!絶対だ!赤ワイン放せ!あああああ!!!!!」
「ご老人に突っかかるな、お前の騎士道精神はどこに行ったんだ?」
「あああもうっ!!!!!」
ビーフ・ウェリントンの表情筋は相変わらず動かない。彼はかつての軍神の全てを受け継いたようだ。しかし少年のまま成長しない外見のせいで、命知らずの新兵にちょっかいを掛けられることもしばしば。
鞭で縛られ、手すりに吊るされて晒し者となった者たちのおかげで、彼もすぐに新たな軍神として名を馳せたようだ。
時が経つにつれ、かつての小さな殿下は小さな陛下となり、エッグノッグの御侍も公爵の後継者ではなく公爵となった。
そして伯爵夫人は……悪名高い血に飢えた殺人鬼となってしまった。
全ての人間が変わっていく中、食霊たちは時間という概念から切り離され、人間が羨む程に縛られない生活を送っていた。
彼らは老いもせず、変化もしない。
しかし、彼らを取り巻く全てのものが彼らに囁くのだ、長い、実に長い時間が過ぎているということを……
軍神がこの世を去った日、彼はビーフ・ウェリントンの手を握り、優しく撫でた。そして最期は微笑みながらこう言った。
「ウェリントン、自分が歩みたい道を見つけたか?」
「はい!」
「歩み続ける覚悟はあるか?」
「この魂に誓って、何があっても歩み続けます」
「良かった、それなら安心だ……安心して……」
老人は静かにこの世を去った、赤ワインとビーフステーキたちも屋敷にやってきて、彼の見送りに来た。
それ程多くの泣き声も、貴族たちのお世辞も聞こえない。ただ変わることのない食霊たちが、彼らより一足先に老いた御侍を静かに送っているだけ。
しばらくして、赤ワインとビーフステーキの御侍も相次いでこの世を去った。そして彼らもとっくに人間との付き合いに飽き飽きしていた。
帝国から離れたいという彼らの気持ちを察したビーフ・ウェリントンは、彼らのために全ての障害を取り除き、反対する全ての貴族たちを黙らせた。
去り際、彼らはビーフ・ウェリントンのところにやってきた。
「ウェリントン、私たちはもう行く、しょっちゅう帰ってくるつもりだ。貴方も……一緒にどうだ?」
そう聞いているが、赤ワインとビーフステーキはビーフ・ウェリントンの答えをわかっていた。昔のまま変わらない少年は、年々見ることが少なくなった優しい笑顔を浮かべてこう答えた。
「ここには守りたいものがある、求める未来がある、わたしは魂が消えるその日まで、ここを守り続けるつもりだ」
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