片児麺・エピソード
◀ エピソードまとめへ戻る
◀ 片児麺へ戻る
片児麺のエピソード
書面の修復師として、卓越した技術を持ち、仕事を心から愛している。南離印館では比較的高い地位にあり、そばには豆沙糕という弟子がついていて、彼女のために伝言を行う。高飛車で冷ややかに見えるが、可愛い物事を愛している、これは極一部の者しか知らない。
Ⅰ.画情
冬の午後。あたたかな風が吹いていて、日当たりも良い。
湖の畔に建てられた迎賓館は広々としている、湖面の水は光を受けてきらきらと波打っていた。綺麗に彫られた窓枠から外を見ていたら、反射してきた光のせいでなんだかくらくらしてきた。
「明四喜(めいしき)は何か良からぬ事を企んで、我ら年寄りと弱者を虐げておる。館長様は館長様でちゃらんぽらんとして、だらしがない。南離族が決起するのはもう難しいだろうな!」
「フンッ!賊共に南離印館を乗っ取られ、朱雀様の神物を探す名目で搾り取られ、その上経費で人心までも掌握されてしまっているなんてな!憎たらしい!」
一日の中で一番良い時間は、部族内の老人たちの止まらない愚痴によって台無しにされてしまった。
何の意味もない憶測を繰り返し、まるで大局を見ているような口ぶりだが、自分たちの私腹を肥やそうとしているに過ぎない。
私の心はここにはない。ただぼんやりと白い磁瓶の中にある、豆沙糕(とうさこう)が朝早く飾った蝋梅を見ていた。
骨ばってごつごつとしていたが、その花は思いのほか美しい。
言い争う声はどんどん大きくなっていく、それを聞いていると心身共に疲れてしまった。
最低限の面子は立てた、私の沈黙で彼らの口を塞ぐことが出来ないのなら、扉を閉めて帰って頂く他ない。
書斎に戻ろうとした時、豆沙糕が入口に立っているのが見えた。私の顔を見ると、すぐさま慌てた表情を浮かべた。
近頃事務作業が多く、彼は今頃館長の手伝いをしている筈だ。ここに居ること自体おかしいが、私はそれを指摘することはなかった。
「片児麺(へんじめん)様、おっ、おかえりなさいませ。長老たちは何か仰っていましたでしょうか?」
「ええ、長老らは副館長の明四喜は謀反を企んでいて、館長の京醤肉糸(じんじゃんろーす)は遊んでばかりだと怒っていましたよ」
「えっ?!どうして……そんな事を……」
「彼らが何をしようと、他人が何を言おうと、気にする必要はない。しかし、豆沙糕よ、私のもとで勉学に励んでいる以上、師弟の縁がある。私たちの立ち位置というものを忘れることなかれ、中立公正を保つのです」
彼の返事を待たずに、私は書斎に入り、机に置いてある古い画の方に向かった。
この画の修復は概ね完了しているが、人物の表情だけはまだ空白になっている、どうしても手を加えられないでいた。
今日完成させようとしていたが、長老たちの無駄話といつもと様子が違う豆沙糕のせいで、心が乱れてしまっている。
豆沙糕がどもりながら話す様子を見て、かつて彼に教えた言葉を思い出した。
「復元の道は心を重んじる、心が淀んでいる時は、筆を執ってはいけない。必ず、覚えておくように」
「はい、しっかりと覚えます、片児麺様!」
あの頃、彼はまだ入門したばかりだった。突出した素質はなかったが、十分な粘り強さを持っていて、一意専心に励んでいた、これらは書画の復元という道には合っていたのだ。
古籍や書画の修復は味気ない仕事に見えるが、実際には繭を作るかのように、全ての工程は密接に関連していて、臨機応変に対応しなければならない。
一歩間違えば、全て間違えてしまう、油断は許されない。
「片児麺様?どっ、どうして筆を執らないのですか?」
長い間豆沙糕を見つめてしまったからか、彼は我慢できずもごもごと口を開き、視線を彷徨わせた。
「この人物の顔面部分は完全に損なわれている、手掛かりもないためどう筆を執れば良いか悩んでいた」
画に向かってため息をつき、首を横に振った。
「修復は創作と違い、原作を尊重しなければならない。一筆間違えただけで、何もかもが台無しになってしまう可能性がある」
今の南離族もそうではないだろうか?南離族はもとは朱雀族だ、朱雀が行方不明となった今、方向を見失っている。
「あの……」
「話すと良い」
「修復師として、原作を模写出来るだけの技術の他、時には閃きを使って欠陥を補うべきだと、以前片児麺様より教わりました」
「確かにそう教えた」
「この画からはあたたかさを感じます……多分……優しい微笑みこそ、この画に相応しいのではないでしょうか?」
「感じたこと……相応しいものこそ、最善?なるほど……」
豆沙糕から視線を外し、ホッと胸を撫でおろした。
彼は真面目だけど、才能が欠けていると思っていたが……それは余計な心配だったようだ。
「なるほど、現状やはり京醤肉糸様が南離印館の館長に最も相応しいみたいですね……」
「えっ?!ど、どういう意味でしょうか?」
「豆沙糕、館長様はまた遊びに出掛けたのでしょう?」
「片児麺様!どうして……それを……」
「もとより口下手な貴方が、嘘などつける筈もない」
「申し訳ございません……」
「謝る必要はありません、原因は貴方にはありませんから。しかし、間違いを犯したのなら、罰を与えなければなりません」
「はい、もう二度としません……」
「では、部屋で琴の練習をするように、今回はこれ位で許してあげましょう……次はないですよ」
「はい!もう致しません!」
Ⅱ.琴心
「訓導して厳ならざるは師の惰りなり」
豆沙糕が京醤肉糸にそそのかされ、嘘をついたのは、私が放任してしまった事にも原因がある。
「楽譜は覚えましたか?」
「覚えました」
「良いでしょう。次は、毎日百回練習するように、感情と律動に注意すること。例え練習であっても、全身全霊で行うこと」
「はい!」
馴染み深いこの言葉は、御侍様がかつて私に教えて下さったもの。そして私は、教えられた全てを豆沙糕に教えている。
ただ違う点があるとすれば、この子は音楽にそこまで興味がない、ただ全力で私が出した課題をこなそうとしているだけ。
旋律を通して感情を伝えるよりも、笑顔で周りを励ます方が向いているみたいだ。
故に、ある程度基礎を覚えさせた後、私はもう琴を強制することはしなかった。
今回の彼は京醤肉糸に巻き込まれてしまった被害者だ、あの情緒不安定で素行の悪い館長は、もっと……
まあ良い、昔の事は忘れよう。
夜になると北風が物寂しく吹いていた、掠れた琴の音が響く。
豆沙糕を罰しているというより、私を苦しめているようだった。
庭はガランとしていて、いつも餌付けしている猫すら現れない。
豆沙糕の伴生獣である兎の雪丸は、耳を垂らして可哀想にブルブルと震えていた。
雪丸を抱きかかえると、そのあたたかく柔らかい感触によって心のイラつきが少し軽減したような感じがした。
恐ろしい音色は響き続ける。ここまで耳障りの音を聞いたのは、京醤肉糸と共に琴を学んだ時以来だ。
彼も琴を学ぼうとしなかった、なのに外に抜け出しては曲を聞きに行きたがっていた。
ここまで耳障りな音色も珍しい、いっそ彼を呼んで共に鑑賞でもしようか?
かつての情景が脳裏に浮かぶ、同じ物語を繰り返している……
「館長様、どこに行くおつもりですか?」
「おや!片児麺……ふぅ、貴方だったのか!驚かすな!」
「館長様は誰だと思ったのですか?松の実酒(まつのみざけ)でしょうか?何を怯えてらっしゃるのですか?何かやましい事でもしているのでしょうか?」
「いやいやいや、まさか!私は……鍛錬、そうだ、体を鍛えていたんだ」
「こんな夜更けにですか……流石館長様、塀の上でする鍛錬など聞いたことがありません」
「今聞いただろ?」
「……」
かつての月は今日のそれと変わりはなかった、そしてかつての私たちも今日と大して変わっていないように思う。
「京醤肉糸!何をしているんですか!また抜け出して遊びに行こうとしているんですか?!」
「片児麺!御侍には言わないでおいてくれ、帰りに飴細工を買って来てやるから!」
「飴細工なんて何の意味があるんですか?そんな物体面を損なうだけです」
「……体面にこそ何の意味があるんだ?食べられないし、遊べない!」
「御侍様ー!」
「わかったわかった!何なら体面を損なわないんだ、命がけで持って帰ってやるから!」
「……ふわふわしている物……」
「ははははっ!まさか、貴方みたいな冷たい奴が、ふわふわな物が好きだなんて……」
「御侍様ー御侍様ー!京醤肉糸がまた遊びに行こうとしています!御侍様ー!」
ブツンッ!
弦が切れた。
「ああ!すみません、すみません!驚かせてしまいましたか?!」
豆沙糕は怯えている小動物のようだった。自分もビックリしているのに、いつも自分のことよりもまず周りにいるひとを気にする。
彼と初めて会った日を思い出して、更に心が安らいだ。この弟子は、京醤肉糸に比べると大層可愛げがあった。
この少年は純粋で、大人しく、努力もしている。立っているだけで、ひとを和ませる。
「もう練習しなくて良い、私と共に音楽理論を学ぶだけで良い」
「……えっ?本当ですか?!しかし……」
「どうした?驚く必要はないし、塞ぎこむ必要もない。琴棋書画というのは、身を修め人格を磨くためにある。好きでないなら、押し付けたりはしない。しかし、音楽理論は引き続き学ばなければならない、古籍書画を修復する時に役に立つのです」
「片児麺様……申し訳ございません、もうこれ以上貴方を騙したくはありません……」
「どういう意味ですか?」
「京醤肉糸様が仰っていました……嫌いな事は、出来ないフリをすれば良いと……片児麺様、申し訳ございません!私が間違っていました!」
「ふふっ……貴方は間違ってなどいませんよ!」
「片児麺様、どこに行かれるのですか?」
「館長様をお招きして、琴でも鑑賞しようかと……」
「えっ!片児麺様ー?!」
Ⅲ.書香
「玉琢かざれば器を成さず」
私は厳酷で薄情なひとではないが、折角の弟子を京醤肉糸のせいで悪く育つ事だけは避けたかった。
ところが、豆沙糕への罰は数日も経たない内に、強制終了させられることとなった。
明四喜が多くのものを連れて帰って来たのだ。古籍書画だけでなく、多くの負傷者も。
短い「懲戒」を終えた豆沙糕は、文句も言わずすぐさまこき使われることとなった。
負傷者の介抱、整理分配などの雑務を彼が担ってくれたおかげで、私は修復に専念することが出来た。
修復の目処が立ち、ようやく半日の休暇を貰えたというのに、招かれざる客がやって来たため、対応に精神を費やすこととなった。
「かつては夜遅くまで語り合った仲ではないですか。ですのに、今は顔を合わせても話がないなんて、悲しいですね」
「明四喜様は何のご用件で?ただ陳腐な言葉を並べに来ただけでしたら、お帰り頂けないでしょうか?」
明四喜と向かい合う、出したお茶もいつの間にか冷めきっていた。
向かいにいる彼の表情はいつもと変わらない。彼の笑顔をあたたかく親しみやすいものだと思っていた頃もあったが、今となっては何も読み取れない。
世の中には、他人が清廉潔白でいることを見ていられず、引きずり下ろそうとしたくなるひとがいる。明四喜の得意分野だ。
初めて会った時、私に彼を知己だと思わせた。話す事、為す事全てを信じ込ませ、彼こそが南離の未来であると思い込ませた。
松の実酒と長い言葉を交わしたことで僅かな疑念が生じなければ、今でも彼の手の平の内にいたかもしれない。
「貴方に何か失礼なことでもしましたか?それとも、不才に関する何か悪い噂でも聞いたのでしょうか?今のような関係になるようなことは何も起きていない筈ですよ」
「明四喜様は南離を強く思っていらっしゃる、過ちどころか功労しかございません」
「なら、我々は心を合わせるべきでは……」
「それは違います」
私は明四喜の言葉を遮った、これ以上聞くとまた信じてしまうような気がしたから。
「南離は朱雀様の南離です。朱雀様がいらっしゃらない以上、誰が正しくて、誰が間違っているかなんて、判断を下すことは出来ません」
「今の南離印館はご存じの通り、京醤肉糸様という館長はもちろん、明四喜様……貴方様も必要です」
「私という名誉長老の存在は、貴方様、館長そして長老会の均衡を保つためにあります」
「これが南離の未来にとって、最も良い選択ではないでしょうか?」
「もし貴方様が仰っているように、貴方様の心は南離のためにあるのなら、私の心を乱す必要はない筈です」
明四喜は静かに私の話を聞き終え、悲しむでもなく、怒るでもなく、笑った。
「片児麺様は公正であると聞き及んでおりましたが、噂通りのようですね」
「不才の考えが至らなかったようです。均衡を保つ、良いですね、良いです!」
「いつの日か、情勢が変わった時、南離の未来のために不才に力を貸して頂けると幸いです」
どうしてか、心に悲しみが生まれた。だが顔色一つ変えずに、頷いて彼に言った。
「もちろんです、全ては南離のために」
明四喜を見送り、やっと一息ついたが、どうしても南離の未来が心配になった。
古い画のように、過度に破損してしまった場合、適切な方法で修復したとしても、きっと様変わりしてしまうだろう。
Ⅳ.棋局
「片児麺様、これは何でしょうか?」
「これは精巧な碁盤ですね、倉庫で見つけたのですか?」
その日以降、平和な日々が続いた。急ぎの業務がなかったため、豆沙糕は自ら進んで倉庫にある収蔵品を整理してくれた。
私は面倒な整理整頓が苦手だった、彼が代わりにやってくれるのは、願ってもない話だ。
整理していると、たまに珍しい物が出てくる。彼に教えることで勉強にもなって、一石二鳥だった。
「片児麺様が碁を打つところを見たことがありません、嫌いなんでしょうか?」
「天地という碁盤の上で、一日中碁を打っている。わざわざ小さな碁盤を使う必要もない」
「片児麺様のお話は……難しいです……」
「決められた規則に従い、利用出来るものを利用し、ひとと渡り合い、目的を達成する。これらの条件が揃えば、碁と呼べるでしょう」
「……すごいですね!では何を碁石にするのでしょうか?」
「万物全て碁石にする事が出来ます」
「えっ?では、食べ物、骨董品や書画なども碁石に出来るのでしょうか?」
「もちろんです。人、食霊、堕神、名利、財力、人心など全て碁石に出来ます」
「人心?」
「ええ、書画に形はあるが、人心に形はない、しかし全て碁盤に並べることが出来ます。貴方が館長の言葉を聞いて、私を騙したのも、彼の碁石になったと言えるでしょう」
「片児麺様!もうしません!」
「問題ない、我々はお互いの碁石だった、ただ目的が違うだけ」
豆沙糕は話がわかっていないようだ、まるでかつての私のよう。
私は碁盤の上にいるが、彼の純粋な心は私に勝る。
「しかし……私は片児麺様のことを碁石だとは思えません……」
「どうして?」
「誰かが碁を打っているとするなら……あなたはどちらかというと裁判官のように思えます!」
「その心は」
「何故なら、誰もがあなたのことを公正であると言います、裁判官とはそういうものではないのでしょうか?」
私が何年も費やして悟った道理を、彼の一言で論破されてしまった。
やはり、碁盤の外に出なければ、大局は見えないようだ。
南離とは南離族の南離である、朱雀が姿をくらましているのなら、南離の未来は南離の者が決めなければならない、誰か一人の好きにさせてはならないのだ。
「豆沙糕は裁判官になりたいですか?」
機嫌が良くなっているのを隠し、わざと厳しい顔で彼に聞く。
「私には、力が……」
「力には色んな種類があります。自分の力を使う、誰かの力を借りる、皆の力を奮い立たせる。貴方なら、どれを選ぶ?」
「私は……」
いつも弱弱しい豆沙糕は、少しずつ力強い表情に変わっていった。
「皆の力を奮い立たせられるようなひとになりたいです!」
私の懐にいた雪丸は耳をピンと立て、私と一緒に主人の方を見つめた。
見たことない程力強い豆沙糕を前にして、私は次の言葉を掛けるのが忍びなくなった。
「では、三列目の棚の最後の段にある棋譜を全て暗記するように!裁判官になりたいのなら、まず碁を打つことから覚えましょう」
「あっ……本当ですか!わかりました!全て暗記して参ります!」
人生の楽しみは、書籍を読み、名画を眺め、茶を嗜み、猫を愛でる以外無いと思っていた……
しかし今は、二つ程楽しみが増えたーー
雪丸を撫でる事と豆沙糕で遊ぶ事。
Ⅴ.片児麺
南離族とはつまり朱雀族である。朱雀のおかげで成功し、朱雀のせいで没落した。
朱雀が姿をくらました後、南離族は四聖族の末席に転落するようになった。
片児麺は南離が最も危機的状況に陥っていた時に召喚された食霊の一人だった。
食霊の力が注がれた南離は、次第に生まれ変わっていった。
しかし、朱雀がいないことで、主のいない族内では紛争は絶えなかった。
片児麺の御侍は前進するために退却し、争わず奪わず、本心を守ることにした。そして、中立派の代表として激動の中、南離での立場を固めた。
時は移り変わり、人員は様変わりした。食霊は長い命があるため、次第に舞台の中央に立つようになった。
南離印館が出来、京醤肉糸が館長となり、片児麺も彼女の御侍に代わって中立派の代表となった。
片児麺は御侍の教育を全身に受け、高貴で端然としていて、成熟で穏やか、南離を復興させることを使命としている。
彼女は南離を愛しているが、それ故に苦労が絶えない。
豆沙糕に出会う前、片児麺は一時意気消沈とした日々を過ごしていた。
南離族の最後の半霊族の身も心も朽ち果てていった。
新任の館長である京醤肉糸は気ままに放蕩していた。
何かを企んでいる明四喜は族内をかき乱していた。
片児麺は一時人間と食霊の関係性は歪んでいると、人間は食霊に導かれるべきだと考えていた。
仁義礼智なんて!琴棋書画なんて!南離の未来なんて!全てどうだって良い!
庭にいる一匹の野良猫の方がましだった、なんせ彼女に柔らかさとあたたかさをもたらしてくれるのだから。
幸い、偶然の出会いという救いがあった。
片児麺には小さな従者が増え、そしてすぐに彼は弟子に昇格した。
多くの事は体験してみないとわからない。
誰かの師になるという事もそうだ。
「何をしているのですか?」
「あっ、片児麺様!猫に餌をやっていました!」
「どうしてですか?」
「……特に理由はありません。ただふわふわで可愛いと思ったからです。片児麺様は猫はお好きですか?」
「……」
「どうして最近早起きをしているんだ?」
「掃除を担当しているおばさんが足を捻ってしまったそうなんです……安心してください!私は仕事が早いので、昼間の業務に支障をきたしたりしません!」
「……」
豆沙糕と触れ合い、ヒビが入っていた彼女の心は少しずつ修復されていった。
今の片児麺は、かつてと同じように高貴で冷たく見える。
実直だがその言葉には刺があり、刺されてしまったひとは一たまりもない。
明四喜はこのような片児麺に対処する方法を持っておらず、彼女の言葉を噛みしめているといつも眠れなくなってしまう。
気付けば、彼はわざと彼女を避けるようになった。
これは片児麺にとって良い話だった。
何しろ、危機感をもっていたとしても、明四喜は気軽に関わって良い者ではない。
ただ片児麺にとって残念なのは、彼女がいくら刺のある言葉を投げかけて、意地悪をしても、京醤肉糸を動かすことは出来ない。
彼女の言葉では彼の心の内に触れることは出来なかったのだ。彼は依然として自由気ままに、放蕩し、加減をしらない。
しかし南離印館はこの微妙な均衡の中、どんどん勢力を強めていった。
歳月はひとを待ってはくれないが、時たま暇をくれることもある。
夕映えが綺麗で、光が降り注ぐ。
湖の上にある水閣の間にて、豆沙糕が墨を磨り、片児麺が書を書いていた。
彼女は修復が出来るほか、自身も書画の大家であることを知る者は少ない。
大家が故に、一目で読めるような書ではなかった。
彼女は書が乾いた後、それを折りたたみ豆沙糕に渡して彼にこう言った。
「京醤肉糸に渡しておいてください。いつでも目に入るよう、部屋に飾るようにと」
「片児麺様、これはどういう意味でしょうか?」
「反求諸己、さすればひとに恥じることはない」
「うぅ、よくわかりません……」
「つまり、館長様に誰にも迷惑を掛けないようにして欲しいのですよ」
……
豆沙糕は大きな目をパチパチさせていた、片児麺は何も言わず雪丸の耳を撫でる。
「早く行ってきなさい、でも雪丸は残して」
「はい……片児麺様……どうかお手柔らかに……」
まだ手を出していないのに、雪丸はふらっと片児麺の膝の上に倒れ込んだ。
そして耳を垂らして、可哀そうに震え続けた。
◀ エピソードまとめへ戻る
◀ 片児麺へ戻る
Discord
御侍様同士で交流しましょう。管理人代理が管理するコミュニティサーバーです
参加する