サルミアッキ・エピソード
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サルミアッキのエピソード
近寄りがたい外見をしているが、親しみやすい。他人のお願いは基本的に受け入れる。怖い、怪しい物が好きだが、人形は論外、人形を見ると埋めたくなる。健康に気を遣っていて、自分の体の匂いがキツイため、嗅覚が鋭く、善意でまずいけど健康に良い食べ物を他人に差し出してしまう。
Ⅰ.薬
あのお姉さんに言われた通り、あたしはドアをノックした。
1、2、3……15……30……
いくらノックしても開かない。
部屋の中で待つように言われた。部屋の外じゃなくて。
だから早く入らないと。
幸い、鍵は掛かっていなかった。
ドアを開けると、長方形の台の上に縛られている大人と、細いナイフを振り回しながら楽しそうに笑っている子どもがいた。
(何かのゲーム?)
「おい、ルートフィスク!はっ離せ!」
(あれ、ゲームじゃないみたい)
大人は自分を縛り付けているベルトを解こうとして暴れていた。あたしの包帯よりも遥かにキツく縛られているみたい。まるでまな板の上にいる大きな魚のように、いくら逃げようともがいても、それは無駄な努力に過ぎない。
そして「ルートフィスク」って呼ばれていた小さな子どもは、さっきまでナイフを振り回していたのに、今は台の裏に隠れている。丸い頭と真っ白な服の裾しか見えない。まるで町角に隠れて通りすがりの人を驚かそうとしている、ハロウィンの小さな幽霊のようだった。
小さな幽霊は大体興奮して楽しそうにしているけど、彼はなんだか震えていた。
こんなに臆病な幽霊は初めて見た。
「チッ、クソッ……」
大きな魚は、助けたくなるような辛そうな声を上げている。
それを聞いて、あたしは彼に近づこうと動いた。だけど、一歩踏み出した瞬間、あの臆病な幽霊は一歩下がっていった。
あたしが一歩踏み出すと、彼は一歩下がる。
まるで磁石の同じ極が反発しているかのように。
(ちょっと面白いかも)
「こ、こっ……来ないで!!!」
小さな幽霊は部屋の角にまで追い詰められた。彼は壁に背中をつけ、俯いたまま叫んだ。
怒りと恐怖が入り混じった声だ。まるで赤い顔料と青汁の中に入れたみたいに矛盾しているようだけど分離は出来ない。
(う、こんなに怖がらせるつもりはなかったのに)
幽霊を怯えさせないように、小声で謝りながら、その場から動かずゆっくりと魚に向かって手を伸ばした。
ようやく解放された青年が台から跳び下りると、地面に落ちていたボロボロの布を手に取り、裸になっている自分の上半身を隠した。
「感謝する、貴方は……」
「サルミアッキ、よ」
「私はサンデビルだ」
サンデビルは、ショーウィンドウに並んでいるくるみ割り人形みたいに、真っすぐ立っていた。
「どうして、縛られていたの?」
「全てこいつのせいだ。また私の食事に変な物を混ぜて……貴方もここに長居するな。新薬の研究に使われる」
「薬?病気を治すための薬?」
サンデビルはあたしを見つめ口ごもった、どう答えたら良いか困っているように見えた。
「そう、かもな……」
「あたしも、そんな薬を作れるようになりたい。そしたら人間は簡単に死ななくなる……」
ルートフィスクに目をやると、壁にめり込む勢いで隠れようとしていた。
(一体何に怯えているの?)
(あれ、もしかして……)
自分の推測を証明するため、あたしは彼の反応を観察しながら、一歩ずつ後退した。
背中が壁につくと、壁に沿ってゆっくりと腰を下ろし、部屋のすみっこにおさまるように座った。
彼があたしを見る視線に、恐怖と不安以外に、困惑が足されたようだ。
混乱させるつもりはなかった。ただ早く薬の研究を続けて欲しかっただけ。そうすればもっと多くの人を救えるかもしれない。
「どうぞ、続けて」
彼が持つナイフを指差し、期待を込めた目で彼を見た。
Ⅱ.助手
ここはルートフィスクの実験室。ここに五日間篭もっているけど、初日にサンデビルに出会った以外、誰もここに来てはいない。
ルートフィスクは相変わらずあたしを警戒していて、あたしが大人しくすみっこでじっといているかどうかを確認するために、瓶の山で作業する合間、何度も振り返ってあたしの方を見た。
確認が出来ると、すぐにあたしから視線を逸らして、また複雑な研究に没頭する。
「あなた……」
(あっ、話しかけてきた)
「なんで……ずっと……ここに……いつまで、ここにいるつもりなの?」
「あたし、あなたの生徒になりたいの」
「えっ?!なっ……なんで……」
あたしの答えに驚いて一度振り返ったけど、すぐにまた顔を背けた。
「僕のこと……嫌じゃない?だって……匂いが、匂いは大丈夫?みんな、変、だって……」
途切れ途切れに話す彼はまるで古い蓄音機みたいだった。理解するのに時間と労力がかかる。
(匂い?)
深呼吸をしてみたけど、変な匂いはしなかった。
「ううん、嫌じゃないよ」
あたしの言葉を聞くと、彼は親指を口に当て、緊張している表情を浮かべた。
あと少しだけの喜びも見えた。
「本、当?本当に?」
目を輝かせている彼を見つめながらあたしは真剣に頷いた。
「でも、僕から何を学ぶつもり?」
「どうしたら人を、皆を救って、健康に生きていてもらえるか」
「でも……僕は……毒薬を研究している……それでも、嫌じゃないの?」
「人が……死んでしまうこともある……」
死。
この字を思い浮かべると、苦しむあの顔を思い出した。
「……どうしても死なないといけないなら、苦しまずに死んだ方が、良いと思う」
どこで間違えたのか、彼はあたしの返事を聞いた後会話を中断し、引き続き長い研究を始めた。
冷静さを保つためか、実験室の室温はとても低い。
窓はなく、棚の上にある薄暗い照明しかない。
寝るのにもってこいの場所だ。
あごを膝の上に乗せたまま、白い人影が目の前をフラフラしているのを見ていると、少しずつまぶたが重くなって、眠りにつく寸前の状態に。
白い何かがあたしの前に現れ、足元に落ちるまで。
目を開けると、あたしのそばにはルートフィスクが着ているものと同じ、白い服があった。
「生徒はダメ……僕の生徒、は、彼ら……」
ルートフィスクは、瓶の中にある標本を見ながら言った。
「急に……近づいてこないなら……ここに、いてもいいよ……僕の、助手として」
Ⅲ.痛み
ルートフィスクはこの学校で「薬学」を担当している先生だ。
あたしは彼の助手になった。
彼はとても良い先生だ。ジーっと見たり、一気に距離を詰めなければ、おかしな薬品名や複雑な配合を根気強く教えてくれる。
だけど、彼はこの実験室のことが大好きすぎる節がある。朝から晩まで一歩も離れようとしない。
だからあたしは助手として、彼の代わりに実験室と他の部門の間を行き来している。
「缶は品切れになった。他は全部ある」
彼が以前学校に申請した実験機材を倉庫から運んできたあたしは、報告しながら機材をきちんと地面に並べた。
いつもなら薬物と機械に飛びつく彼だったが、今回はあたしの靴を見てぼんやりしていた。
「どうしたの?」
「サルミアッキ……すごい……なんでも……応えてくれる……まるで、人形みたい……」
その言葉を聞いて、あたしは彼の顔を見た。
「サルミアッキのこと……解剖……してみたいな……面白そう……あっ、ダメ……サルミアッキは、助手……でも、でも……」
「試してみる?」
「えっ?」
あたしの言葉に驚いた彼だが、目は輝いていた。
「い、いいの?解剖だよ……正確なデータを取るため、麻酔は……打てない……痛いよ……その後、どうなるかも……わかんない……保証出来ない……」
「研究の役に立つなら、いいよ」
あたしは服を脱いで、解剖台の上に寝た。
サンデビルを縛っていたベルトはあたしが切っちゃったから、持っていた包帯を彼に手渡した。
「あたしの包帯を使っていいよ」
メスは光を反射して銀色に輝いた。その光が目に差し込み、目を閉じるように促してくる。
お腹に冷たい感触がした、少しくすぐったい、それからゆっくりと痛みが……
「ルートフィスク!!!」
叫び声とメスが落ちる軽やかな音がした。
目を開けると、叫び声の主がそこにいた。
実験室で待っているように言ってきたお姉さんだった。
急いで駆け付けた彼女は、地面に落ちた服でクレープを包むかのようにあたしを包んだ。
「サンデビルならまだしも、サルミアッキまでいじめてはいけません!」
(なるほど、サンデビルならいじめてもいいの?)
お姉さんは自分の身体でルートフィスクからあたしを隠して、あたしのお腹の上に分厚く包帯を巻いて、最後にちょうちょを結んでくれた。
彼女は、あたしが良く知らない感情であたしのことを見ていた。
屋根裏に捨てられたおとぎ話の本を思い出す。
その中で、ひどい目に遭った女の子はみんなこんな扱いをされる。
彼女は急な用事のせいで、長い間あたしのことを放置したことを謝ってきた。
そして、あたしの頭を撫でながら痛くないかと聞いてきた。
不思議なことに、この時急にお腹の傷が痛くなった。
あたしは彼女の胸元にすり寄って、小さく頷いた。
Ⅳ.人形
お姉さんの名前はフォンダントケーキ。あたしを部屋に帰らせ、自分は実験室に残ってルートフィスクの説教しているみたいだ。
説明しようとしたけど、優しかった顔が急に真顔になったと思ったら、何も聞かずにあたしを部屋から追い出した。
あんなに綺麗で優しいお姉さんなら、きっと怖いことをしたりはしないだろう。
でも、部屋に戻りたくはなかった。
学校の廊下をうろちょろとしていたら、誰かが落とした人形を見つけた。
辺りを見回してみたけど、人形の持ち主は見当たらなかった。
あたしは人形が嫌い。
だから、拾って校庭に埋めてやった。
その夜、過去の夢を見た。
人形がひしめき合うあの屋根裏で、彼が、御侍が失望した視線を投げかけてきた時の夢を。
「人形失格だ」
「君は彼女に全く似ていない」
「彼女」というのは、あたしが召喚された次の日に病気で亡くなった彼の娘だ。
それから、御侍はあたしを彼女だと思い込んだ。
彼女の大好物を作ってくれたり、彼女が好きだったワンピースを着せてくれたり、彼女が好きだったおとぎ話の本を読んでくれたり……
彼はあたしのために多くの事をしてくれた。だからあたしに彼のために、彼の娘のように泣いて、笑って、彼の作った人形を愛するように要求してきたから。
そして、最終的にこうなった。
あたしが、彼の娘の病気を治すことが出来れば。
そうすれば、彼はあんなに苦しい表情をしないで済んだ。
あたしが、彼が望んだ完璧な人形になれば良かった。
そうすれば、彼はあんな失望した表情をしないで済んだ。
あたしが、彼の心の病を治すことができれば良かった。
そうすれば、あたしを置き去りにはして火の海に飛び込み、自ら命を絶つ結末になんてならなかった。
彼が炎の中でもがきながら悲鳴を上げているのを、死ぬまで苦痛に囚われている姿をただ見つめることしか出来なかった。
どうにか目を覚ました。
夜明けだった。
白衣に着替え、実験室に向かった。
扉の開く音を聞いたルートフィスクは、パッとこちらを見て、すぐに俯いた。
「今日は……遅刻……だ……」
「ごめんなさい」
「もう、来ないのかと……思った……」
彼の方が上下しているのが見える、まるでケーキの上で揺らめくろうそくの灯のように。
「先生、泣いているの?」
「うぅ……ま、まだ、痛む?ご、ごめんなさい……ごめ、ん……」
少し前まで、あたしがいることに怯えて、すみっこに隠れていたのに。
今は、あたしが来ないことに怯えて、泣いている。
そんな先生を見て、なんだか妙な気持ちになった。
昔、一日中屋根裏で絵を描いていた時、下手くそだけど褒められた時の気持ちとちょっと似ている。
「大丈夫、もう痛くない」
「じゃあ……こ、これからも……実験室に、来てくれるよね……嫌いにならないで……嫌いにならないで、どうしたらいい?……あぁ……サルミアッキを、瓶に詰めれば……いいのかな……」
「ごめんなさい、もう遅刻しない」
ルートフィスクは袖で涙を拭いてから、鼻を鳴らした。
「大丈夫……遅刻しても、いいよ……だって……それなら……人形っぽく、ないから……」
思わず固まっちゃった。
「人形……人形みたいなのは、ダメなの?」
「よくない……怖いし……それに、瓶に、入れる必要がなくなる……やっぱり……瓶に詰めた方が良いよ……綺麗な瓶に、入れなきゃ……シシシッ……あぁ、み、見ないで……」
今度はあたしが俯いた。
「今度……一緒に、サンデビルと遊ぼう……」
「うん」
Ⅴサルミアッキ
長い間、サルミアッキは自分の名前がなかった。
自我もなかった。
一人娘を亡くした人形師は、サルミアッキを娘の身代わりにし、自分の言いなりになる人形にした。
サルミアッキは確かに言うことを良く聞く子だった。御侍が炎で自分の人生を焼き尽くしても、彼女はボロボロになった家を見守ったまま離れようとしなかった。近所の人たちから怨霊と呼ばれるまでは。
その後、彼女は学校に連れていかれ、ルートフィスクの助手として膨大な医療知識を学び、一定の製薬技術も身に着けた。
彼女は肉体にも、心にも傷を負った過去がある。
だからこそ彼女は、傷を治す、人を治す方法を学ぼうとした。
御侍のように苦しむ人をなくしたいと彼女は願っている。
誰もが健康で楽しく過ごせるようにと。
「先生、これはあたし特製の砂糖水。健康に良いよ」
「じゃあ……飲んでみる……うん、美味しい……」
ルートフィスクの感想を聞いたサルミアッキは、空になったコップを受け取って、彼に一つお辞儀をした。
「長い間指導してくれて、ありがとうございました」
一人前の学校医となった彼女は、全校の学生と教員の昼食に特製の黒い砂糖水を付けた。
その後、学校に毒水を作っている魔女がいるという噂が流れるようになった。
サルミアッキは知らなかった。長年様々な薬物や化学用品がある環境にいたせいか、ルートフィスクは味覚と嗅覚のほとんどがちゃんと機能していないことを。
そして、彼女自身も同じだった。
学校には面白い先生や可愛い学生たちがいるおかげで、彼女が屋根裏で受けた傷は徐々に癒されていった。
ただ、彼女は依然として人形を嫌っている。人形を見かけると、校庭に埋めたくなる衝動だけは抑えられない。
しかし、人形を見た時の恐怖や悲しみは、普段は堂々としているサンデビルが実験室の匂いを嗅いだだけで、突然真顔になって方向転換して去って行く様子で、楽しいものに変わっていく。
そして、相変わらず火を嫌い暑いのも苦手な彼女は、白衣をルートフィスクに返しても、時々実験室に居座る事がある。
ただ、近頃ルートフィスクがよく彼女を瓶に詰めたいとブツブツ言っていて、本能的に危険を感じたのか、少しずつ実験室にいる時間を減らすようにしている。
ある日、ルートフィスクの手伝いで教材のリストを送り届けていた時、偶然職員室でサンデビルが学生から回収したホラー小説を見つけた。
それ以来、彼女はこの本にハマって、すっかりホラーマニアとなった。
そのため、食霊の訓練基地に悪鬼が現れたと聞いた彼女は、迷わず底に向けて出発した。
悪鬼は魔女と同様に噂に過ぎなかったが、彼女は負傷した白い鷹を見つけた。
小動物は、人形よりもずっと可愛い。優しく撫でると温もりを感じられるし、応えてくれる。自分の考え方や、やり方も持っているし、不思議で、魅力的だ。
サルミアッキは触られるのを嫌がっている鷹を包帯で絡めたまま、傷口を確認しながら、改めて動物の良さを認識した。
「アンドレ?」
彼女の目の前に、純白を身に纏った美しい女が現れた。
「あたしはアンドレじゃない、サルミアッキよ」
彼女はやっと自分の名前を手に入れたのだ。
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