金糸蜜棗・エピソード
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金糸蜜棗のエピソード
気が強く、好き嫌いがはっきりしているため、トラブルに巻き込まれる事が多い。かつての放浪生活のせいで、言葉遣いが乱暴なところがある。身の上は謎で、ずっと自分の身の上を調査している。夢回谷に迷い込み、そこの風景と人たちに夢中になり、それ以来そこに住みついている。
Ⅰ.雨夜の出会い
橙花姉さんとは、霧雨の降る夜に出会った。
その日、あたしは食霊としてこの世に生を受けたけれど、初めて目を開けた時、目に映ったのは暗い路地だった。
「御……侍……?」
身体を縮こまらせ、長い琥珀色の髪は雨に濡れ、服の上に張り付いていた。
誰でもいいから、誰かに慰めて欲しい、人間の体温に包まれたい。
しかし、見渡す限り……霧雨しか見えない。
「どうして、契約がないの?」
食霊として御侍の召喚に応じて生まれたはずなのに……あたしには御侍がいない。
軒下にあった土瓶が雨粒に叩かれ、カランとした音を響かせた。
身寄りのないあたしと同じで、中身は空っぽだ。
何かを掴もうとした時、橙花姉さんが現れた。
彼女は傘を差し、水溜まりを踏み越えて、ゆっくりとあたしの前にやって来た。長い黒髪に金色の蝶が模られたかんざしが飾られていて、眉間には桃花で染められた扇形の花鈿があしらわれている。碧色の切れ長い目があたしを見つめている。
「……食霊?」彼女は単刀直入に聞いてきた。
なんて美しく、生き生きとした人だろう。彼女と比べるとあたしはとても小さく見えた。
これ以上惨めにならないように、頑張って笑顔を作って、口を開いた。
「綺麗なお姉さん、とっても美人だね」
その言葉を聞いたお姉さんは眉をひそめた。しばらくすると、腕を伸ばしてあたしの方に傘を傾けてくれた。
こうして、あたしは姉さんと一緒に家に帰った。
客人たちによると、姉さんは異国から来た踊り子だそうだ。異国の舞姫の多くは派手な踊りと明るい個性で光耀大陸に名を知られている。だけど姉さんは他の人たちとは違った。いつも優しくて穏やかで、あたしが無謀な行動で面倒事を起こしても、許してくれるし後始末もしてくれる。
彼女はあたしと真逆の存在だけど、一番憧れている人だ。
「蜜棗……貴方にお願いしたい事があるの」
姉さんの呼びかけであたしは我に返る。彼女の元に近づくと、いつもと違った格好をしている事に気付いた。いつもよりももっと手練れに見える。
「よく私の踊りを見に来た総兵様の事を覚えているかしら?」
正午に出掛けて、総兵様を長く足止めするよう彼女から指示された。そして、城北に行って彼女の友人を訪ね、あたしへの伝言を聞くようにと。
あたしは迷わず言われた通りにした、だってあたしたちは一番仲の良い仲間だから。
仲間っていうのは、お互いを信じ合うものでしょう?
正午、あたしは表通りに行った。そして本当に巡回する総兵様を見つけた。彼としばらく遊んでいたけど、彼の兵が駆け付けて来た時、総兵様の表情が一変した。
彼を足止めしようとするあたしを突き飛ばし、怒りに満ちた表情で去って行った。
その後、姉さんが駐屯地に侵入し、大量の武器と兵器を奪って行ったという話を聞いた……
そして、彼女は姿を消した。残されたあたしに、総兵様の怒りの矛先が向いた。
その夜、軍隊は隠れられそうな場所を片っ端から探し始めた。
あたしの肖像画は、彼女の物と一緒に城門の横に飾られた。これが記憶の中、最後に彼女と肩を並べた瞬間だった。
Ⅱ.逃避行
事件後、街を見回る兵士たちに居場所がバレたくないあたしは、こっそりチンピラたちに頼んで、姉さんにまつわる情報を探ってもらう事にした。
しかし、誰も彼女の事を知らない。彼女が言及していた城北にいる友人でさえ、調べたらデタラメだと判明した。
おそらく……これは、長い間計画されてきた作戦だったのだろう。でも、理由はどうあれ、この罪はあたしと彼女が一緒に背負わなければならない。
城門には警備がいるため、夜の間に抜け道から逃げ出した。長年の縄張りを手放して、命をも預けられると思っていた友情さえも失った。
……その「友情」とやらは、あたしの勘違いでしかないのかもしれない。
初雪が降った夜、あたしの逃避行が始まった。
三日三晩、あたしは歩みを止めなかった。日に日に厚くなる雪の上は歩く事すら困難で、風雪は容赦なく肌を切ってくるし、まつ毛まで雪の色に覆われてしまった。
しかし、昼夜問わず旅をしていたにもかかわらず、馬に乗った追手たちは容易にあたしを追い詰めた。
自分の蜜金琉珀糸で細かい網を織り、襲い来る矢の猛攻をどうにか防いだ。だけど、追手の数は想像を遥かに超えていて、あたしは近くの谷に追い込まれた。小川の傍にある岩陰に隠れ、急流の音があたしの荒い呼吸を消してくれる事を祈った。
……彼らは手ぶらのまま帰らないつもりらしい。
手で水をすくい上げて、頬に掛けた。少しでも冷静になれるようにと思ってやったけど、水面に映ったのは自分の悔しい顔だった。
……こんな所で倒れて、一人で死ぬのは嫌だ。
「いたぞ!そこだ!」
異様に気付いた追手に囲まれてしまった。
この時、太陽が東からゆっくりと昇り、金色の日差しがあたしの髪を照らした。相手もあたしをどう処理すれば良いのかを把握していないのか、追手の足取りが遅くなったのが聞こえた。
その一瞬の隙を掴んで全力で応戦すると、更に囲まれてしまった。一人が刀を抜き、あたしが油断した隙に、全力であたしの首を切ろうとしていた。
「カンッーー」
小さな石が刃を弾いた。
顔を上げて、石が飛んで来た方を見ると。雪松の枝の上に、白い服を着た銀色の髪の美しい少女が座っていた。
「……美人のお姉さん、助けてくれませんか?」
どうにか冷静を装い、笑顔で懇願した。
僅かに彼女が頷くと、静寂な雪原は蘇ったかのように、雪崩が発生した。恐怖に陥った追手は食霊の強大な力に屈し、急いで谷から逃げ出して行った。
「何故、諦めないのですか?」
お姉さんはあたしに聞いて来た。
「仕方ないじゃない、美人に注目されている時にカッコ悪い姿を見せられないわ」
ふざけたような本音で返すと、彼女の白い頬は少しだけ赤くなった。そして、夢回谷の主、冰糖燕窩(ひょうとうえんか)という名を素直に教えてくれた。
あたしは彼女の事が好きだ。彼女が美しく、強いから。そして、彼女の少ない言葉から、俗世離れした純粋な魂が見えたから。
……彼女は橙花姉さんとは違うかもしれない。
もしかしたら……彼女を信じてもいいかもしれない。
Ⅲ.思わぬ災い
冰糖燕窩は身寄りのないあたしを受け入れてくれた。食霊として必要な事を全て教えてくれた彼女を、あたしは師と仰いだ。あたしからも人間として世間を渡り歩く方法を彼女に教えてあげたりもした。
そして、彼女は夢回谷の仲間たちを紹介してくれた。毎日美男美女に囲まれて、美人に膝枕して貰って、日向ぼっこしながらお茶を飲んで、谷の外での生活を忘れてしまうぐらいに幸せな日々を過ごした。
しかし、あたしを逃がしたせいで罰を受けた総兵様は、あたしという仇をしっかりと覚えていたのだ。
彼は数百もの騎兵を集め、夜陰に乗じて夢回谷に侵入し、数百の蹄が真っ白な雪を砕いた。
その夜、谷にいたのはあたし、ロイヤルゼリー、師匠の三人だけだった。
あたしは慌てて彼女を訪ね、どう対処したら良いか聞こうと思ったが、ロイヤルゼリーとの会話をうっかり聞いてしまった。
「……蜜棗を囮にするのが、最善の策だろ」
ロイヤルゼリーの態度は相変わらず冷たかった。彼はいつも現実的な方法で問題を解決しようとする。あたしはボーっと部屋の入口に立ったまま、扉の小さな隙間から二人を見つめた。
師匠は目を閉じてしばらく悩んでいた。だけどあたしは彼女が頷く前に、逃げ出した。
今回は、敵の前に逃げる事になってしまったけれど。
「それに、あたしの自業自得だもんね……」
深呼吸して、あたしはゆっくりと総兵様の前に出た。
「いつまでも……他人に頼ってちゃダメだよね……」
あたしは蜜金琉珀糸で金色の長い鞭を編み、何の躊躇いもなく敵に突撃した。彼らが気付くより前に、陣形をバラバラにした。真っ赤な血が金色の糸から垂れている、一緒に流れているのはあたしの体力だ。
でも、彼らの包囲から抜け出せれば、あたしはきっと生き残れるはず。
ーーそう期待していた矢先、後ろから短い矢が飛んで来て、左肩に深く突き刺さった。
敵の援軍が……来たのか。
「……痛い……不意打ちなんて……良い度胸だわ……絶対に逃がさない……」
呼吸する度に激痛が体中に走る、涙が止めどなく目から溢れる。涙にむせぶあたしは、糸を強く握った。
あたしの背中は、もう誰にも預ける事は出来ない。
この糸が、最後の拠り所だ。
Ⅳ.肩を並べる
「バカめ!大バカ者!バカ野郎!金糸蜜棗(きんしなつめ)、妾はとんでもなく怒っておるぞ!」
どうにか体を起こそうとした時、背後から声が聞こえて来た。
聞き慣れた罵声の数々に、無意識のうちに声を張り上げ言い返した。
「バ、バカって何よ!エンドウ豆羊かん!これ以上言ったら容赦しないんだからね!」
「其方こそこの世で一番のマヌケじゃ!どうして妾たちと合流するまで待てなかったのじゃ!其方を探すため、谷主は慌てて飛び出して、怪我までしたのじゃぞ!」
師匠が……怪我を?
呆気に取られ、鞭を握る手が緩んだ。
「……エンドウ豆羊かん、よしなさい。大した怪我ではありません」
柔らかく澄んだ声が聞こえて来た、あたしの鼻先にある雪を融かすかのように、あたしの心の中にある不安を綺麗に一掃してくれた。
「……しばらく時間稼ぎをして、皆を呼び戻そうと思っていたのに、貴方が先に突っ走ってしまうとは」
「単細胞なヤツめ」
ロイヤルゼリーは無表情に嘲笑いながら、気まずい雰囲気を破った。
「だっ、だってあんたたちの会話を、あたしは扉の外で、その……てっきり……」
……てっきり、あんたたちもあたしの事を見捨てるんじゃないかって。
余りにも恥ずかしいから、あたしは本音を吐き出す事が出来なかった。鼻の奥がツンとなっているけど、これを誤魔化そうと大げさに笑い始めた。
「あはは、そうよ!あたしはあんたの手柄を取ろうと思ったの!不服なら、あたしと勝負でもしない!」
「……フンッ、やれるもんならやってみろ」
ロイヤルゼリーが先に武器を抜いて敵軍に突っ込んで行った。あたしも鞭を握り直し、敵前に行こうとしたら、師匠があたしの手を掴んだ。
「消耗し過ぎています、休んでください」
「ダメ、あたしのために戦っている仲間を置いて、一人で休むなんて出来ないわ!」
師匠はじっとあたしを見た後、柔らかく笑った。
「わかりました。我々は……肩を並べて戦うべきですね」
彼女はあたしの手を離すと、あたしに背中を預けてくれた。
あたしを頼ってくれるの?
金燕が彼女の袖から飛び出し、逃げようとしている総兵様に襲い掛かった。あたしの鞭も、彼を捕まえる事に成功した。
……姉さん、本当に良かった。
師匠は、あんたとは違ったよ。
Ⅴ.金糸蜜棗
光耀大陸は四季がはっきりしている国だ。
冬になると、厚い雪が夢回谷に春服を編んでくれる。そして春が来たら、黄金の太陽が凍った川を融かし、南に行った燕たちが帰って来る。
「銀針姉さん、今日程良い日はないわ。過去の事を一旦置いといて、あたしと温かい酒を飲みながら、本を読んだり、のんびり過ごそうよ〜」
金糸蜜棗は君山銀針(くんざんぎんしん)の膝に頭を乗せ甘えている、輝く大きな目からは笑みが溢れていた。
エンドウ豆羊かんは不満そうに、君山銀針の腕に抱きついてこう呟いた。
「君山姉さんは妾と遊ぶと約束してくれたのじゃ、其方より妾のが先じゃ!」
「デタラメ言うな!銀針姉さんはあんたみたいなバカと遊んでくれないわ!」
「バカって言った方がバカなんじゃ!」
二人の少女に引っ張られ、困っている君山銀針は二人のふわふわした頭をそっと撫でた。
「金糸蜜棗、エンドウ豆羊かん……やめなさい。おや?谷主、来たのか」
金糸蜜棗は一瞬呆気に取られた後、慌てて起き上がり皺くちゃになっている自分の服を直した。
だけど振り返っても冰糖燕窩の姿はなかった。
彼女のこの様子を見ていたエンドウ豆羊かんは、大声で笑い出す。
「あはははは、バカ蜜棗、まんまと引っかかりおって!」
「なっ!引っかかってなんかないわ!」
「エンドウ豆羊かん、私はここです」
冰糖燕窩の声が後ろから聞こえた途端、エンドウ豆羊かんはすぐ静かになった。彼女は自分の口を塞いで、何事もなかったかのように地面にいるアリを数え始めた。
「……フッ」
その様子を見て、冰糖燕窩は微笑んだ。そして、金糸蜜棗を手招いて、ついてくるように伝えた。
「また、冬が過ぎましたね」
小さい声で呟いた彼女の言葉に、金糸蜜棗は笑顔で頷いた。
「そうだね、雪が溶けて、燕たちも巣に戻ったわ」
「……ええ。南から帰ってきた燕が、貴方の探し人の事を知っているそうです」
金糸蜜棗は足を止め、少し躊躇いながら尋ねた。
「橙花……姉さんの事……?」
冰糖燕窩は頷いた、彼女は金糸蜜棗の表情を見て、少し憂いた顔をした。
「蜜棗、もう……過去の事ですよ」
相手の態度に気付いた金糸蜜棗は、珍しく少し恥ずかしそうに頬をかいた。
「……もう心配しないで、あたしはもう大丈夫だから!」
「ええ……」
長い間、二人は肩を並べて無言で歩いた。突然冰糖燕窩が立ち止まり、少し冷たい手の平を金糸蜜棗の手の甲に押し当てた。
「大丈夫ですよ、蜜棗。何があっても……私たちが共に向き合ってあげます」
金糸蜜棗は固まった、心の中で冰糖燕窩の真剣で重苦しい口調を笑いそうになったけれど、自分の事をこんなにも大切にしてくれている気持ちも彼女の心に流れ込んだ。
「師匠、そんなに真剣な顔してどうしたの?あたしはもうわかっているわ……」
小川は楽しい歌を歌いながら遠方へと流れて行く、燕は芽を出した枝の上で休みながら、首を傾げて木の下にいる二人を見つめている。
金糸蜜棗は笑いながらこう言った。
「──仲間っていうのは、お互いを信じ合うものでしょう!」
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