金駿眉・エピソード
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金駿眉のエピソード
ミステリアスで危険な男性、側には獰猛な黒麒麟がいる。微笑んでいても、何千里も離れているような疎外感を与える。自分がしたい事だけをしたい、少し情緒不安定な所がある。
この世界を全て見て回っていて、色んな事を知っている。世界の真相にもある程度気付いているが、変える事は出来ない。世界にも、自分自身にも異様に無関心になったが、最後の望みを掛けて自分が生まれた光耀大陸に戻り、鬼谷書院を開いた。
Ⅰ.萎れる
わたしは黒色の夢の中、またあの血を見た。
ゆっくりと、冷たくなった御侍の頬から、流れ落ちる血。
手を伸ばして、手でそれを受け止める。
この手に顔を埋めると。
ーー目が覚める。
肉体が持続している事、それは個人の存続を判断する基準にはならない。
それを知っているからこそ、幾度となく死と生の狭間に落ち、記憶が構成した幻の中でしか生きられない時、自分の意識が完全に消えてなくなるのを期待した事もあった。少なくともこの不滅の体に閉じ込められたままの……怨念にはなりたくなかったのだ。
期待はいつもわたしを裏切る。
今になっても、わたしはこうして生きている。
二度と同じ失敗を繰り返さないために努力して来た事は全て水の泡となった。私が加えた変数では、この世界の終わりを止める事は出来ない。
しかし、時が経って、わたしは昔の姿ではなくなった。
輪廻が繰り返される度に、記憶の一部が持って行かれた。初めて御侍の死に直面した時、感じた心の中の恐怖、自責の感情をわたしは忘れていない。あれはかつてわたしを歴史の洪水に抵抗させるように背中を押してくれた。
しかし今、わたしは目の前で御侍が死ぬ所を平気で見ていられる。
彼の笑顔?もう覚えていない。
彼の名前?とっくに忘れた。
彼の固執?それは重要視じゃない。
果てしない輪廻の中、少しずつ消耗されていくのはこの世界だけでない、自分自身もだという事を知った。
なら、今まで続けてきた意味はどれくらい残っているのか?
「可哀想だな、必死で苦労しても何も報われない……早めに諦めたらどうだ?」
この問いかけは、まるで魂の奥底から聞こえてきたようだ。指を曲げ膝の上に落ちた茶枝を弾いてやると、横で寝そべっていた黒麒麟はわたしの仕草を気に入ったのか、束の間だけ先程の問いかけを忘れたようだ。
この悪念から生まれた怪物は、混沌がわたしに与えた「驚き」であり、最も人身を惑わすものでもある。
黒麒麟の外見は、初めての輪廻の際は色がわからないほどに薄かった悪念に過ぎなかった。
今で強力で拘束出来ない実体となっている……彼の存在があるから、輪廻を経る度に、自分の敗北をはっきりと意識させる。
「つまらない、はぁ……金駿眉(きんしゅんび)、今度こそ私が御侍の小僧を食ってやろうか?」
黒麒麟は黒ずんだ茶枝を掴み、満足げにまた問いかけてきた。
「……もがいても無駄だ。あと一、二回もすれば、貴方の身体を完全に支配出来る」
「あなたは、そう言いたいのだろう?」
黒麒麟は鼻を鳴らし、台詞を奪われた不満を口にした。
「萎れる寸前は、根気と気配りが大事だ」
わたしは笑みを浮かべて、無関係のような話題をゆっくりと切り出した。
「気が早すぎると、大成出来ないよ」
「萎れるとかどうでもいい。早く抵抗するのをやめろ、殺しが出来る方が大事だ!」
声を荒らげた黒麒麟を無視し、萎れたばかりの茶枝を茶碗に移し、次の製茶の段取りを考えた。
どうやら、布石を打つ時が来たようだ。
Ⅱ.揺青
抱えていた竹で編んだ茶籠を黒麒麟の前に投げつけると、それは首を伸ばすのも億劫そうに適当に匂いを嗅いだ。
「茶なら町で買えばいい、そんな苦労してまで作るか?」
「あなたにはわからないだろう。他人が作ったお茶は、自分が作ったお茶にはかなわないよ」
わたしは茶籠の中にある黒ずんだ茶枝をそっと撫でながら、何気なくこう付け加えた。
「金駿眉というお茶は、揺青の工程に入ると、碁を打つ者のような用心深さが必要になってくる。揺青する力、角度、頻度……季節によっても香りの濃淡が変わる」
「だから、わたしたちが盤上に落とす一つ一つの碁石と行動が、『金駿眉』を最終的に定義する礎になる」
黒麒麟はイライラしたように尻尾を振ってそっけない返事をした。
「ごちゃごちゃ言うな。こっちは悪果と人間をもっと食いたいだけだ」
その赤裸々な欲望を聞いて、わたしの表情が変わったのだろう。
黒麒麟は怪訝そうにこちらを見て、猫が威嚇しているかのように喉を鳴らした。
「そんな低級な欲望に駆られているなんて、あなたはやっぱり愚かだ」
わたしは微笑みながら、冷たい言葉を吐いた。
「——早くあなたを殺しておけば、こんな迷惑で愚かな話も聞かなくて済むのだろうか?」
「まだその考えを捨てていないのか?忘れるな、私は貴方の影だって事を」
「……死で輪廻を繰り返しても、私が強くなるだけだ」
黒麒麟はまた鼻を鳴らした、警戒心は収まらないようだ。
「貴方の力が衰え私を縛る事が出来なくなったら、貴方は私の操り人形となって殺戮の手助けをするようになるだろうーーはははっ、不愉快に思っているのに何も出来ない無力な顔を浮かべる貴方を想像するだけで、笑いが止まらない!」
わたしは頭を横に振り、黒麒麟の狂ったような笑い声の中、ある考えを閃いた。
……もしかしたら、これが唯一の解決策かもしれない。
「あなたのおかしな妄想が、現実になる事はないだろう」
かつてのわたしは黒麒麟の力に頼りすぎていた。殺戮によって世界の流れを変えようとしていたのだ。
今、紛れもない事実が答えを教えてくれた——殺戮は救済なのではない、殺戮そのものに過ぎないと。
「妄言は程々にしろ、貴方が私を眠らせようとしたのは初めてじゃない」
「貴方とは違って、私には実体がない」
黒麒麟はこう言ってきた。だがその言葉こそわたしの思い通りになっている事には気付かない。
「だから、閉じ込められる必要があるのは——わたしの方だ」
淡々とこう返事をした。
「……これで、わたしの身に宿っているあなたに逃げ場はなくなる」
自分の手足に力を封じ込める赤い糸を結んだ。例え正気を失い、黒麒麟に完全に乗っ取られたとしても、誰かを傷つけたり出来ないように。
これがわたしに残された最後の手だ。
「何をバカな事をしているんだ!自分の力を弱めるだけだろう!」
黒麒麟は慌てて飛び跳ねるが、わたしの決断を変える事は出来ない。
「世界を変えたいんじゃないのか?!力を失っては何も出来ないだろう!早く解け!」
「力だけで変えられる現実っていうのは、限られているだろう?」
赤い糸を揺らしながら、黒麒麟の怯えた視線の中、わたしは危うい笑みを浮かべた。
「わたしは……わたしの方法で、揺青をやり通すよ」
Ⅲ.発酵
その後すぐ、わたしは光耀大陸から出て、遠い地のグルイラオとナイフラストを目指して旅を始めた。
遠い記憶の中、わたしは異国の地で仲間と一緒に戦った事があった。
……そういう特別な経験がまったく役に立たない訳でなさそうだ。
記憶を頼りに、ティアラ大陸にわたしの足跡を散りばめた。金髪の詩人が歌い、黒髪の女性が琴線を弾き、わたしの奇跡的な予言を歌い繋いだ。
人々は両耳でわたしの残した伝説を捉えるが、わたしを両眼に収める事が出来た者は少ない。
旅の終わりが必要になった時、わたしは最初に召喚された場所を思い出した。
始まりの場所で日没を待つのも、悪くないだろう。 ところが光耀大陸のある海沿いの町に着いた時、わたしは近所の町民の口から聞いた事のない伝説を知った。
——町の近くの鬼谷に、人を怖がらせるのが好きな小さな怪物が隠れているという。
未知に直面した時の好奇心によって、わたしは鬼谷に足を踏み入れた。そして、町民が言う「小さい怪物」を捕らえる事にも成功した。
「あなたたち……嫌だ!勝手にあたしの縄張りに入って来ないで!」
「あなたの縄張り?良いね、今日からはわたしのものだよ」
「ごっ、強盗めー!!!」
それは怯えているだけの小さな女の子だった。だけど彼女はわたしたちの前に立ちはだかり、長い間守ってきた宝物を守ろうとするかのように、わたしたちが深入りするのを止めようとした。
このクラゲの和え物と呼ばれるちびっ子を見つめながら、横で涎を垂らしている黒麒麟を制止した。
「彼女を残した方が面白いと思うよ」
クラゲの和え物の出現によって、わたしの気が少し変わった。彼女はこの無数の輪廻の中での唯一の例外だったのだ、山河陣によって召喚された欠損した食霊。
この特異点から、もしかすると無数の可能性が広がり、最終的に変化をもたらしてくれるかもしれない。
だから、わたしは鬼谷に残り、ついでに暇を潰すための書院を開いた。
すぐに、読書家たちがわたしの名を広めた。
学者たちが殺到し、危うく鬼谷書院の敷居が踏み潰される所だった。当然のように、わたしはこの光耀大陸で最も有名な書院の院長となった。
かつての静かだった鬼谷は突然賑やかになり、孤独を恐れていたクラゲの和え物にも多くの楽しみをもたらした。
ある時、彼女はわたしの膝の上でしばらくわたしの様子を不思議そうに観察した後、急に笑いだした。
「あなたは凶暴そうに見えて、なかなか良い奴なんだな!」
「誰もがそう単純ではない、決めつけない方がいいよ」
「フンッ、馬鹿にしないで!言っておくけど、あたしは人を見る目はあるんだよ!うあっ!」
彼女のおでこを軽く弾いた。ふっくらとした頬に手を当てて怒っているこの子の姿は、確かに可愛らしい。
黒麒麟に食わせなかったのは、やはり正解だった。
授業が終わった昼休みの合間、黒麒麟が例によってわたしの耳元で不満そうに呟いた。
「……フンッ、貴方が今やっている事は、まったくの無意味だ」
「人間が生まれ持った悪という性質こそ、この世を破滅させる根源だ。道徳と礼儀をもって彼らの行為を律しても、現状を変えられない、ただの徒労に過ぎない」
彼の言うことにも一理ある、ただ……
この先も、本当に元の方向に向かって進んでいくのだろうか。
「人間にだけ罪をなすりつけるのはいささか的外れだ、堕落や罪は種族を問わないからね」
「でも、このままでいたら、その内世界はいつも通り終わってしまう。それはあなたが望んでいる事だろう?」
「時間の無駄だ!貴方は——」
わたしはお茶を一口飲んだ。
「うん、やっぱり……発酵だけじゃ、香りが足りないね」
「……話題を逸らすな!」
茶碗から立つ茶の香りのする湯気を吹きながら、わたしは悠然と黒麒麟と言葉を遮った。
「……で、後は何が足りないのかな?」
Ⅳ.揉念
時には、どんなに犠牲を払っても、失ったものを取り戻せない事がある。実に面白い話だ。
だけど時には、適当に折り合いをつけるだけで、難局を打開する事もできる。
無知だら、恐怖を覚える。知る事で現実を理解出来る。
全ての人々がわたしの決断を信じるようになった後、鬼谷書院は食霊と人間が平等に付き合う事の出来る珍しい地になった。
「クラゲの和え物、駄々をこねるな!逃げるな!!!」
「捕まえられるなら、捕まえてごらん!」
騒がしい足音と共に、賑やかな笑い声が室内に舞い込んできた。
黒麒麟は気怠そうに目を開いて、文句をブツブツと言った。
「やかましい、食えばよかった」
「類は友を呼ぶ、か……貴方のような変人がいるから、これだけの怪しい奴らを集められたんだろうな?」
わたしは笑うだけで返事はしなかった。外でふざけているちびっ子たちに危ない視線を送ると、猫を頭の上に乗せて暴れ回っていたクラゲの和え物は合図を受け取り、わたしに向かって変顔をしてから隣の建物に飛び込んでいった。
遠くから、また陽気な笑い声が聞こえて来る。
「……バカバカしい!以前なら、貴方の言葉を無視する奴は一人もいなかったのに」
黒麒麟がこう呟く。
「数年前までは、前世みたいに火を放ち、悪行を働いていなかったが……刺激的な冒険をした。今はどうした、毎日茶を飲んで、茶を飲んで、また茶を……」
「学生たちが貴方の名を広めたところで何になるんだ?今の世の中は前と全く同じだろう」
「それもそうだけど、ただ試したい事があるんだ」
「性質の違う者たちを揉み合わせたら……面白い事になるかもしれない」
わたしが蒔いた種は、世界のどこかで、特別な存在を呼び覚ましてくれるかもしれないだろう?
未知の展開というのは……なんて面白い体験なんだろう。
「このままなら、いつか、この手であなたを殺す事が出来るかもしれない」
わたしは冗談を言って、またお茶を淹れた。
お茶を口に運ぶのを見て、黒麒麟は目を丸くするだけで何も出来ない。
「わたしを生んだ最初のきっかけも覚えていないのに、自分でもわからないわだかまりを解きほぐそうとしているのか?」
「そうか……だが、そんな事を教えてくれるなんて、最近は随分穏やかになったな、それとも昔のような狡猾な悪念はもったままか?」
黒麒麟をちらりと見ると、流石に悔しそうな顔をして、ここ数日で輝きを増していた毛並みも萎えているように見えた。
「やっぱりそうだな。わからなくてもいい事はある、詮索しなくてもいいこともね」
「やりたい事をやれば、答えは目の前に現れるものだよ」
急に口を噤んだ隣の黒麒麟を無視して、俯いてお茶の香りを楽しんだ。
「……良いお茶にはそうそう出会えない。今こそ、じっくり味わう時だ」
Ⅴ.金駿眉
鬼谷書院とは奇妙な場所だ。
ここにはかなり頼りない院長と、天賦と比例するするように騒がしい学生たちがいる。
これ程多くの天才学生たちを集められたのは、金駿眉の名声もさることながら、彼の怠惰のおかげであった。
怠け者であるため、全く名前を悩む事なく、直接その地の名を書院に冠した。
怠け者であるため、入学試験に合格した学生だけを募集し、一から教える面倒を省いた。
同じく、怠け者であるため、藍、青、紫の三色の服によって学生の現在の能力と実力を雑に区別し、書院にいる長さに関わらず、進級試験に合格すれば、服の色を変えて、より奥深い学問を身に着ける事が出来るようになる。
「……つまらない、なんだこの先が見通せる生活は」
黒麒麟は書院の入口に立って、しばらく黙って門神を装っていたが、突然正体を現し、新入生たちを驚かせた後、金駿眉の所に戻って文句を言った。
「そうかな?さっきまで楽しそうに遊んでいたじゃないか」
金駿眉は最後の評語を書き終えると、筆を置いて座席にもたれかかった。
「ぐっ!そっ、それは……」
黒麒麟が口ごもり、言葉が出なくなっているのを見て、金駿眉は微笑んで、別の話題を提示した。
「朗報が二つあるんだ」
彼は一方的に話し続けた。
「その一、あなたは文句を言っていただろうが、わたしがあなたが生まれたきっかけを忘れたと」
「ああ?言ったが、なんで今更……」
「……あなたが生まれた理由を思い出した」
金駿眉は目を閉じ、骨を抜かれたかのように椅子に深く沈んだ、まるで果てしない悪夢に陥っているように。
彼は真っ赤な戦場の上に立ち、会ったばかりなのに死生を隔てられた無数の人間と食霊の傍らに立って、恐怖を感じていた頃、突然細い手によって力いっぱい押し退けられた。
一人の女性の顔しか見えなかった。
眉間に皺を寄せ、悲しそうな顔をしていた。
彼はその顔を思い出したのだ。当然、その正体についてもわかった——玉麒麟(ぎょくきりん)、今の絶境の主だ。
輪廻の終着点になると、いつも玉麒麟が彼を果てしない混沌に突き落とす。
食霊にとって混沌に還ることは、死に帰す事である。
金駿眉は考えた、その事で無意識のうちに悪念が生まれたのではないかと。
禍を転じて福と為したのか、輪廻の呪縛を越えられるような、根源の力の一部を手に入れた。
正直……彼はこの経歴をどう評価すればいいのかわからないでいた。
そう思って金駿眉は少しおかしくなった。
実際、声を出して笑ったが、目は笑っていない。
「これが一つ目の朗報だよ、もう一つは……」
「千年前、青龍神君は伏魔の陣に逆鱗をもって、魔蛟を抑えた。先刻、伏魔の陣が破れたと聞いた」
この青龍神君は、玉麒麟の旧知である。
「……わたしには、その女の虚実を探る方法がある」
「もし彼女がわたしの記憶通り、ただの冷血な獣だったとしたら……」
「殺すのみ」
殺意が露見した時、金駿眉の脳裏には突然、あの悲しげな顔が浮かんだ。
そんな顔をする人が、本当に彼の悪念よ根源となるのだろうか?
……全ては、未知の中にある。
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