あん肝・エピソード
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あん肝のエピソード
人形を操る、陰気で弱々しい青年。長年海底で生活していたため視力は弱いが、嗅覚で堕神、人間、食霊を識別出来る。彼は12歳程の艶やかな少女の人形を操る。人形が持つ提灯からは霊力が放たれており、それが堕神を引きつける。彼は少女を使って堕神を誘き寄せ、残忍な方法でそれを殺す。
Ⅰ.あたし
フンッ、愚かな人間、初めまして。
あたしの名前は雛子よ。
後ろにいる辛気臭いバカはあたしの下僕。
はぁ、こいつの話をするだけでムカつくわ。
最初から運命の糸で結ばれていなければ、こんな埃まみれで地味なやつと一緒にいる訳がないのに。
お前なら知っているはずよ、あたしたちは桜の島の人々から「妖怪」って呼ばれている。
確かに、人間とは少し違う。
あたしと後ろにいるバカはと言うと。
あたしたちは「転生」したその日から、飢えていた……
とても、とても……
こんな飢えをお前は経験した事があるか?
まるで燃え盛る炎が、食道を通って胃から喉まで全てを焼き尽くしているような。
胃酸が胃壁を蝕み、腹腔の中で灼熱が激しく広がり、内臓を消化しようとしているような。
吐きたくても何も吐き出せない。
飢餓は人食いの猛獣如く、目の前にある全てのものを口に入れるよう駆り立てる。
目に映る世界は激しく揺れ始め、すぐにでもひっくり返りそうになっている。
いくら叫んでも、どんなに懇願しても、満たされない飢えは影の形に沿う如く離れない。
抗えない力によって操られているようだ。
だから、お前はわかってくれるだろう?なぜあたしたちは人間の叫び声の中で食べ物を求めるのかを……ね?
「怪物!この怪物め!出て行け!!!!!」
怪物?
あたしはこんなにも可愛いのに、怪物な訳がないでしょうり
ギシギシとした音がして、あたしは戸惑いながら振り返った。
すると、ガタガタとした騒音が、あたしの四肢の関節から聞こえてくる事に気付く。 腕が人間には折り曲げられない角度になっていて、怪しげに折り曲り、捻くり、めちゃくちゃに蠢いていた。
だけどどうして、ちっとも痛くないの?
……そうだ。
思い出した。
あたしは痛みなんて感じない。
だって「人間」じゃないもの。
そして「妖怪」なんかでもない。
あたしは。
ただの「人形」。
あん肝という名のバカの「人形」だ。
Ⅱ.私
こっ、こんにちは……初めまして……宜しく……
わ、私はあん肝。
わっ、私は雛子の下僕。
私……私は……
私は……「妖怪」だ。
人間は私の事を、不幸そのものだと言う。
確かに、私は雛子に不幸をもたらした。
この生まれつきの厄運のせいか、私たちはこの世界に「転生」した日から、飢餓に襲われた。
普通の飢餓ならまだ耐えられる、だけど心を摩滅する程の飢餓に襲われた時、私はいつも理性を失ってしまう。
雛子は、私を見捨てなかった。 彼女は私と話してくれる、欲しい物も教えてくれる。
雛子はなんて可愛いんだ、この世で一番美しい黒髪を持っている。
彼女の両目は星河を映しているようで、どんなに派手な着物も、彼女を一段と引き立たせるだけ。
私……私のような汚い者が、雛子の下僕だなんて……
飢餓に支配される度、再び目を覚ますと、全身が汚い赤色に染まる。
私には似つかわしくない赤色。
人間の恐怖に満ちた視線から、私はまた「怪物」のような事をしてしまったのだと知る。
目の前にあるあられもない死体を見て、何故か凄まじい魅力を感じた。
「急げ!怪物どもが同士討ちしている間に逃げろ!!!」
人間たちは悲鳴を上げて逃げて行った。私は目の前にある死体を見て、無意識に唾を飲み込む。
「バカ……あたし、お腹空いた……空いたよ……」
彼女の弱々しい声が私の耳に響いた。
でも……
「バカ……バカ……お腹空かせたままにするつもり……」
「ちっ、違う!」
「食べよう……食べよう……こいつの”肝”があたしたちを飢えから救ってくれる……」
「ほっ、本当に?」
「バカ!あたしの言葉が信じられないの!」
「ご、ごめん……雛子……」
肝って、本当に美味しいな。
Ⅲ.あんた
「ゴホッ、貴方たち……が……ケホッ……」
雛子は怯えて私の後ろに隠れた。陶器のように白い小さな手で私の服を掴みながら、こっそり目の前にいる弱っている男を見ている。
「バカ!あいつ病気なんじゃないの?追い払って!あたしに移したらどうするの!」
「ひっ、雛子……」
顔を上げると、薬箱を背負っているその男は、青黒い顔色をしているのが見えた。
今まで見てきた「死者」や「怪物の屍」のどれよりも生気がない。
「あっ、貴方たちは、ゴホッ……噂の……肝を探している”妖怪”かな?ゲホゴホッ、ゴホッ……」
男は、まるで自分の肺を吐き出す勢いで咳をしていた。
深いようで弱弱しい呼吸をしながら、ゆっくりと私のそばまで移動して、私と雛子と周りをぐるぐると回った。
雛子はかなり怯えているようで、私の背中をしがみついて放さない。
しかし、男の事も気になっているみたいで、何度も顔を出して覗いた。
男は初めて私たちに近づいた人物だ。
雛子の提灯に惹かれてきた人たちと違って、私たちが怪物の肝を喰ら食い尽くす姿を見ても悲鳴を上げなかった。
ただ興奮した目で、ひたすらに私たちの周りを回り続けるだけ。
咳が止まらないのと同じように、動きも止まらない。
最後、彼の視線は私に止まった。
こいつ……変だ……
私がわざと「普通」を演じている時も、ほとんどの人は綺麗な雛子に目を向ける。
人間を嫌うように、この男を嫌悪していないが……
その視線は少し不快に感じた……
こんな目つきを見た事がない。
雛子に惹きつけられた人間たちは、いつも溺れたように彼女を見つめていた。
雛子に惹きつけられた怪物どもは、いつも貪るように彼女を見つめていた。
雛子を見る目つきを、私はよく知っている。
そして、人間たちはよく怯えた目で私を見ていた。
そして、怪物どもはよく狂った目で私を見ていた。
私を見る目つきも、私はよく知っている。
だけどこの男は今まで出会った全ての者と違っている、鼻に掛けた眼鏡に私が映っている。
相変わらず埃っぽくて、薄汚い、雛子が気に入らない姿をしていた。
眼鏡の奥にある澄んだ瞳には期待が込められていて、私には眩しすぎる光が輝いている。
「面白い……貴方……私の実験品になってくれないか?」
あの男はやっと、咳をする事なく言葉を言い切った。
「フンッ、このあたしから目を逸らすなんてありえない!この野郎!あたしを見ろ!」
男が私をひたすら見つめた事に苛立った様子の雛子は、さっきまでの怯えた様子から一転、私の前に出てあの男の脛を強く蹴った。
「ひっ、雛子!」
こんなに怒っている彼女をあまり見た事がない……
「何あたしの下僕をジロジロ見てんのよ!こいつはあたしの下僕も!誰が勝手に見つめていたいいって言った?!」
あぁ……やはり、雛子は私の事を気にしてくれているのか……
バタッーー
鈍い音の後、見た目から弱そうな男は、雛子の軽い一蹴りで地面に倒れ込んでしまった。
「そっ、そんなに強く蹴ってないわよっ!!!」
雛子は怯えた小動物のようにまた私の背後に隠れたが、結局我慢出来ずにまた頭を出して、地面に座り込んでいる男を覗いた。
「ケホッ、怖がらせてしまって……すまない……昨日試した薬の効果が……まだ消化しきっていないみたいだ……」
そう言いながら、男はよろよろと立ち上がった。
「バカあん肝、あいつお前より弱そうだな」
後ろから雛子の低い声が聞こえてきた。
「ゴホッ、心配ご無用……ケホゴホッ……」
相変わらず肺が飛び出そうな咳をしているが、口調は実に穏やかだった。
「僕はふぐ刺し……またの名を、百聞館の”薬師”だ」
あれ……百聞館って……
なんだっけ……
思い出した……聞いた事がある……
……百聞館には万病を治せる仙薬があると……
「貴方は、ケホッ……雛子嬢を飢えから救いたいか……?」
Ⅳ.お前
とにかく、あたしとバカな下僕は、「薬師」と名乗る男について、百聞館に足を運んだ。
禿げた山の頂きに一枚の襖が立っていて、そこにはヘンテコな模様が描かれている。
「コホッ……ここから……ケホゴホッ……ここから入るんだ……」
山頂にポツンと立っている薄い襖を、あと病人は咳をしながら開けて、あたしたちに入るよう言って来た。
あいつもバカ?
こんな置物を通って、何になるって言うのよ!
フンッ、やっぱりあたしのバカな下僕をからかって遊んでいるに違いない!
「この野郎、あたしたちを弄んでいるの?!この雛子様は騙されないわよ!」
「ケホゴホッ、雛子嬢……騙してなんか……いないよ」
……チッ、イライラする。
こいつと話していると、今にも目の前で倒れそうな気がしてくる。
「ゴホッ、試してご覧……ケホッ……」
「もういい、これ以上喋るな!入れば良いんでしょう!ゲホゴホうるさいわね!バカ、早くあたしを連れて通りなさい!」
「わっ、わかった」
バカな下僕の腕の中で、あたしは目を閉じて襖をくぐった。
「ほら、どう見たって……」
目を開けると、目の前にある全てによって口から出かかった文句が引っ込んだ。さっきまで不毛な山にいたはずなのに、襖を通ると苦い薬の匂い漂う和室にいたから。
「へくちっ」
「ひっ、雛子……大丈夫?」
「フンッ、あたしがくしゃみなんてする訳ないじゃない!」
「……ひぃ……雛子……痛い……」
バカのつま先を2回踏んづけて、引き続き周りを観察した。
「ゴホッ……すまない……ここは僕の薬室だ……ケホッ……」
男が振り返って和室の襖を閉めると、襖は跡形もなく消えて、満杯の薬棚になった。
ふっ、不思議!!!
「雛子……?」
バカな下僕が訝し気に見てくるから、あたしは慌てて咳払いをして背筋を伸ばした。
「で、どうやって飢えから救ってくれるの?」
薬師と名乗る男は返事しなかった。彼は背中を丸めて横にある梯子を登り始めたけど、ふらついていて今にも転げ落ちて来そうだった。
何が探る物音は長く続いた、そして男は一番上の段から何かを取り出した。
あまり中身がないのか、振るとカランと小気味いい音がする小瓶のようだ。
「コホッ……飲んで」
蝋燭の光に照らされて、怖いぐらいに白く見えるその小瓶から寒々しい気配がした。バカな下僕がそれを手に取るのを見て、思わず唾を飲み込んだ。
「雛子……これ……飲んで良いの……?」
「……もっ、もちろんダメに決まっているだろ!お前は世間知らずの子どもか!知らないひとからもらった物を飲もうとするな!」
「でも……」
「黙れ!少し考えさせろ!」
慌ててバカを黙らせ、あたしは必死でどう見ても怪しい小瓶を見つめた。
少し前の殺戮で抑えられていた飢えが、また体中に広がり始めた。魂が焼かれる程に恐ろしい感覚が、あたしの正気を奪っていく。
「怪物!!!!!あんたは化け物だ!!!!!」
「妖怪なんて早く出て行け!!!!!」
「出てけ!!!!!ここはお前らがいていい場所じゃねぇ!!!!!」
怒りに狂った人間たちの様子が脳裏に浮かんで、ぎゅっと両腕を抱いた。
あたしは怪物じゃない。
そんな目であたしを見るな。
お腹すいた……
あたしはこの飢えから逃げたいだけなのに……
お腹すいた……
怪物どもの肝だけが、辛うじてあたしを満たしてくれる……
「本当にいらないんだね……?」
男の穏やかな声が聞こえる。彼は手を伸ばし、バカな下僕かま持っている小瓶を取り返そうとした。
「この野郎!このあたしにくれた物は、もうあたしの物よ!いいから早く飲み込め!」
あたしは小瓶を手に取り、中に入っていた唯一の丸薬をバカな下僕の口にぐいっと押し込んだ。
Ⅴ.あん肝
「えー!薬師ー!実験台を探す手伝いをしてあげたのに、遊んでくれないのー?」
艶やかな女性の声がする。その言葉に込められた甘えに、ほとんどの男性は太刀打ち出来ないだろう。
しかし、目の前にいる青年は、明らかにほとんどの男性の範疇には入らない。
「ゴホッ……実験台を見つけてくれたら、遊んであげるなんて約束してないよ……コホッ」
「えー、でも他の者たちは皆相手をしてくれるわー」
「僕をそこら辺にいる"人間"と一緒にしないでいただきたい……ゲホゴホッ……」
「トットットッ」、薬を押し潰す音が止まらない。青年は甘えてくる声が聞こえていないかのように、ひたすら奇妙な薬剤を臼に入れ続けていた。
「"ねぇ毒薬師、あたしの今日の食料はどこにあるかしら!"雛子はこう言ってる……」
柔らかいが臆病な青年の声が聞こえる。その浮世離れした弱々しさは、思わず心の中で暗くてひ弱な青年を思い浮かべてしまう。
しかし、振り返ると最初に目に飛び込んできたのは、花のように美しい少女だった。
その少女は、目を逸らせないほどに華やかな衣装を身に纏っている。顎を少し上げたその可愛らしい姿に、ほとんどの人が目を奪われてしまうだろう。
「"フンッ、あたしに見惚れたの?これはバカな下僕が用意してくれた新しい衣装よ、綺麗でしょう?"雛子はこう聞いている……」
青年の弱々しい声は少女の後ろから聞こえる。一言の中に全く異なる二つの口調が混ざっていて、街中で腹話術を使って小銭を稼いでいる下手な芸人のように滑稽だった。
しかし、彼の異質さを気にする者はいない。
薬を碾いていた青年は、ただ冷静に臼を手に取り、事前に用意した薬に汁を注ぎ込んだ。
無駄のない一連の作業の後、一粒の丸薬の完成した。
「どうぞ」
「あ、ありがとう……」
青年は冷たい手を伸ばし、薬師の手のひらから丸薬を手に取ると、「ゴクッ」という音と共に、黒くて不気味な気配を放つ丸薬を飲み込んだ。
「"ふぅ……肝を食べた時の満足感には及ばないけど、前の薬より少しマシになったねみたい、腕が上がったわね!"雛子はこう言ってる……」
青年のぼそぼそとした言葉に、薬師が何の反応も示さないでいると、口べたな彼はまた隅っこに引きこもってしまった。
「ゴホッ……雛子嬢、最近少し調子良くなった?」
「う、うんっ!」
「そう、それはよかった」
「"じゃあな!毒薬師!"雛子はこう言ってる」
シャッーー
襖が閉じられた。
「トットットッ」、薬を押し潰す音が再び響いた。
「とんだ悪党だわ。あの人形はどう考えたって本物の"妖怪"や"人間"にはなれないのに、それを理由に実験台にしているなんてねー」
「ケホッ……彼のように"妖魔"を貪っても同化しない体質はあまりにも珍しい。逃すと、もう出会えないかもしれないからね」
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